ジャパンカップ 11月28日
本格的な冬へと入る少し前、東京レース場は寒気を吹き飛ばすほどの熱気に包まれ満員だった。観客席の最前列には大レースを見ようとウマ娘たちが詰めかけていた。
その日、日本は歓喜に包まれた。
「飛翔する戦士」ハイライズ
イギリスダービーウマ娘
「世界最強」ブロワイエ
アイリッシュ、フランスダービーウマ娘
「欧州の女傑」ボルジア
ドイツダービーウマ娘
「日本総大将」スペシャルウィーク
日本ダービーウマ娘
四人のダービーウマ娘、他にも世界から集められた英傑がそろう。世紀の一戦を確信させる面子。パドックにウマ娘達が姿を見せ始める。
スペシャルウィークの白い三つ編みを後ろまで編み込んだ特徴的な頭は、遠目でもよく目立った。ピンクと白を基調としたいつもの勝負服に包まれた肉体は、いままでの比ではなく世界の並み居る強豪の中でひと際目立っていた。グッズもレース前から飛ぶように売れ、ウマ娘のレースは賭博がないにも関わらず億単位の金が動いているだろう。
「さあ、ジャパンカップに出走するすべてのウマ娘が入場しました。やはりブロワイエの存在感は圧倒的ですね」
だが、日本というアウェーにもかかわらず、1番人気はスペシャルウィークをおさえブロワイエだった。ブロワイエが凱旋門にて黄金世代の一角エルコンドルパサーに勝利したことは記憶に新しい。日本の前に立ちはだかる世界の壁。高身長の脚から繰り出される一歩はターフをえぐり、たとえ悪路であろうともあらゆる敵をねじ伏せた黄金の実力者。シニア級において世界最強と名高いウマ娘であった。
「そうですね。なにしろほぼ負けなし。凱旋門賞ではあのエルコンドルパサーを下したウマ娘ですからね」
「ずばりブロワイエの強さとはなんでしょう?」
「彼女の強さ。それは抜群のレースセンスです。テンよし、中よし、終いよしの完璧なウマ娘です」
「スペシャルウィークにも頑張ってほしい所です」
解説もブロワイエを褒める言葉ばかりが並べられる。そうした中で、スペシャルウィークの頬にブロワイエがキスをしたことで観客が一斉に湧いた。
対するスペシャルウィークは多少動揺したものの元気にほかの対戦相手と話し合っていた。どうも威勢の良いことを言っているのか、挑発か、話しかけられたウマ娘たちは皆それぞれ怒りの表情を浮かべている。さすが日本の総大将といったところだろうか。
ファンファーレが鳴り響き、遂に一時代を背負う英傑たちがゲートに入る。
「今ゲートが開きました!好スタートを切りました。スタンド前をまずアンブラスモアが通過していきます」
好スタート。先頭をきったのはシニア級のアンブラスモア。シニアに入るまで苦しい未勝利戦を重ね、GⅢ小倉記念にて悲願の一着。GⅡ毎日王冠にて三着とようやくのりだしたウマ娘だ。苦しいレース人生の中であきらめることなく走り続けた根性は目を見張るものがある。四頭のダービーウマ娘を除いてさえ、其々のウマ娘たちが輝きを放っていた。
GⅠとはそれだけの大舞台。立つことさえ叶わないウマ娘が大多数を占めるウマ娘たちの頂点なのである。
スペシャルウィークはいつもの先行策を捨て、秋から見せ始めた差しでレース展開を進めた。その後ろからはぴったりとブロワイエがマークする。1000m地点を進んだとき、観客からは落胆のため息が漏れた。レース序盤から中盤にかけてスペシャルウィークは少しうつむき加減で気力が充足していないように見えた。
「日本のウマ娘は世界に届かないのか」「シンボリルドルフさえ現役時代に世界に羽ばたいていたら」
そのような声も観客の間でちらほらとあった。
だがこれは狙いだった。自らがブロワイエにマークされていることを自覚し、わざと中盤は後位置についたのである。ブロワイエのレース展開を崩すための本能的な策であった。
ジャパンカップは東京レース場、芝2400m左回り。緩やかな上り坂と下り坂があり、総合力が試されるレース。なかでも最後の直線は525.9m、スパートから差しきるには十分な距離。馬場状態もよく日本の芝になれたウマ娘は実力を発揮しきれる。黄金世代のなかでも総合力がずば抜けたスペシャルウィークには、最適なコースといえる。
「第三コーナーを抜けて、第四コーナーへ。大外からスペシャルウィーク!しかし!さらに外からブロワイエがきた!」
むかえた最後のコーナー。ややスローペースで突入した先頭集団に早めにスペシャルウィークがスパートをかけ始めると不安視する声は掻き消えた。直線に入るとウマ娘たちが横に並んだ。ゆっくりと顔を上げたスペシャルウィークの顔に観客は一瞬、度肝を抜かれた。瞳が違った。そこにシンボリルドルフ、オグリキャップといった伝説を見た。
世界がモノクロになったと幻視した。スペシャルウィーク以外のウマ娘が、観客が、羽ばたく鳥が、雲が完全に静止したように誰もが認識したのである。
ウマ娘は自らの限界を超越し、壁のさらにその向こうにたどり着いたとき特別なオーラが視認できるという。菊花賞に轟いたシンボリルドルフの雷鳴、有馬記念のオグリキャップが放つ光。それはウマ娘という生命の理を超越した存在が生み出す余剰エネルギーともいわれている。瞬間、ダービーですら見せなかったスペシャルウィークというウマ娘の真価を発揮したのだ。
驚異的な末脚。一気にマークしてきたブロワイエを振り切る。もはやスペシャルウィークにはブロワイエのかけるプレッシャーなど存在しない。ただまっすぐに精神一到何事か成らざらんと前を見つめる。
「だぁあああああああああああああああア!!」
四!三!二!コンドルの翼がスペシャルウィークの背後で羽ばたいた。
背後からブロワイエが迫る。追いつけない。突き放す。先頭の景色は譲らない……!
観客の喉が張り裂けんばかりの声援すらかき消す咆哮を上げ、スペシャルウィークはジャパンカップを駆け抜けた。エルコンドルパサーから、グラスワンダーから、サイレンススズカから、キングヘイローから、セイウンスカイから思いを受け継いでターフをえぐりこむように踏み込む。
凱旋門にてエルコンドルパサーが2着に敗れたとき、誰もが世界の強大さを知った。だが、日本のジャパンカップという大舞台で日本のウマ娘が世界に劣らないということをスペシャルウィークが証明する。
「スペシャルウィーク!スペシャルウィークだぁあああ!」
スタンディングオベーションの大歓声。
「やはり日本総大将!スペシャルウィークが勝ちました!」
その様子を見に来たブリッジコンプは、ウマ娘の力で最前列を勝ち取った中等部一年生は、確信した。
「勝てない」
日本の中でさえ年間、一万人が誕生するといわれているウマ娘。さらにその中で中央のトレセン学園に入学する才をもったウマ娘とは思えない発言だった。だが同時にトレセン学園で走るウマ娘たちの大多数が理解することだ。天才はいる、悔しいが。G1勝利という華々しい戦績を残すウマ娘がいる中で、十六人出走すれば十五人の敗者が生まれる。
時に、心折れて中央トレセン学園を去るものすらいる。マルゼンスキー世代は、同世代の中であまりにマルゼンスキーが強すぎたために中央トレセン学園から数十人の転校者すら作り出したという。
それほどまでに、ハルウララなどの特例を除いて、ウマ娘にとって一着をとるということは彼女たちの中で絶対なのだ。
だが、走る前から、ましてやデビュー前から自らの敗北を確信する、才能のなさを自覚するウマ娘がいるだろうか。たしかにシニア級とデビュー前では明確に差があるが、違う。ブリッジコンプは更にその先を見ている。
「無理。どう私が成長しても追いつけない。昨年のエルコンドルパサー先輩の走りでわかっていた。成長速度が違う。受け継いだ魂の質が違う」
ブリッジコンプは大歓声の中、笑顔を浮かべる観客の中で、唯一絶望的な表情を浮かべていた。勿論、ブリッジコンプが魂の元となった存在を知るわけではない。四足歩行の巨体を持つ走ることが得意な、草食生物だと伝えればブリッジコンプはなんの冗談だと笑うだろう。
だが目が良すぎた。それは才能と呼んでいいものであったが、ブリッジコンプのなかでは到底受け入れがたい才能だった。誰が好き好んで一番を取りたいと魂が叫ぶのにも関わらず、一番になれないことを理解したいだろうか。
GⅢは勝てるかもしれない。GⅡもあるいは。GⅠを勝つような、まして伝説を作るウマ娘はブリッジコンプの瞳から違って見えた。走る中でそのウマ娘の真価を発揮したときにだけ見せるオーラを、ブリッジコンプは常に視認していたのである。
「トウカイテイオー、ナイスネイチャ、ツインターボ、リオナタール、」
ブリッジコンプは指を折って、来年自らの同期としてデビューを目指すウマ娘の名を挙げていく。両手の指の数を超えていた。いずれも、綺羅星のごとき活躍をするだろうとブリッジコンプがトレセン学園に入学して見たウマ娘たちだった。
同時に自分の才能で勝てないだろうと確信したウマ娘だった。この観察眼は人として生まれればトレーナーになり活かせただろう。だが、ブリッジコンプはどうしようもなくウマ娘で、どうしようもなく魂が叫んでいるのだ。
「勝ちたい。勝ちたいよ」
母親はGⅢを一勝したマニアでなければ知らないようなウマ娘。父親はそのトレーナーだった人。両親は自分を大切に育て、中央トレセン学園への入学を勧めた優しい人たちだ。母親の黄金の髪を受け継ぎ、勝気な瞳は父親似。だからこそ、ブリッジコンプは悔しかった。生まれからして走るための、GⅠに勝つための才能がない。メジロ家やスカーレット家などの名家の生まれではないのだ。
そのようなことを思ってしまう自分が、両親に申し訳なかった。口にすることはなかったが、両親は自分たちが叶えられなかった夢を、GⅠ勝利の夢をブリッジコンプの双肩にかけている。良すぎる瞳は見抜いていた。その夢を叶えてあげたいと思うほどには両親のことが好きだった。
どうしようもなく綺羅星たちに自分の力では勝てるビジョンが見えなかった。自分自身には期待しない。才能が足りないならば他から勝つための要素を持ってくるしかない。必要なものはわかっている。
ウマ娘の才能を覆す、天才的トレーナーだ。
デビュー前からトウカイテイオーは、チームスピカに所属している。ジャパンカップに勝利したスペシャルウィークを育て上げたトレーナーのチーム。敏腕なのだろう。
またシンボリルドルフなど数々の名ウマ娘を育てたチームリギルの東条ハナといった名トレーナーも、自分たちの世代の誰かを担当するかもしれない。
ならば、超える才能のあるトレーナーを見つけなければならない。自分を勝たせてくれるトレーナーを見つけなければならない。そのような存在がいるのかはわからない。どうしようもないのかもしれない。それでも諦めるにはまだ早すぎる。幸か不幸か、才能を見つけることだけは自信があった。
「私、もう行くね。ワイス」
隣で感動に打ち震えるウマ娘に声をかける。ワイスマネージャー、朱殷色の髪に赤のメッシュを入れた眼鏡の子。トレセン学園の寮で同室となり、偶然にも同じクラスだったため、仲良くなることができた。多分一番の理由は自分と同じそれなり程度の才能だからだと思う。
「え?ちょっとまってよ!見ないの、スぺ先輩のウィニングライブ!」
いまだに大歓声に包まれる観客席でブリッジコンプは唯一踵を返した。スペシャルウィーク先輩は来年、ドリームトロフィーを目指すことが公表されている。ならばもはや自身のジュニアにもクラシックにもシニアにも関係のない存在だ。興味はなかった。
引き留めようとするワイスにごめんとだけ声をかける。わずかにでも可能性を信じて今は一秒でも長くトレーニングするしかない。
肩までかかる金髪を払い、黄金の瞳を輝かせながらブリッジコンプは歩みを進めた。
これは後に「
その始まりはパンドラの箱が如く絶望と、僅かな希望への期待だった。