迎えた土曜日。
ブリッジコンプは着替えやトレーニングに必要な物、それから押し付けられるようにワイスマネージャーから渡された化粧品をキャリーバッグに詰め込んでいた。必要最低限のものをリュックサックに詰めれば良いだろうと考えていたのだが、キャリーバッグまでワイスマネージャーに用意されてしまった。
喧嘩して以後、妙に過保護が過ぎるのでブリッジとしては前のワイスに戻ってほしかった。
今日はサクラ家のトレーニング場を貸してもらう日だ。日帰りを二日の予定だったのが、サクラ家から是非にということで泊まりがけになった。サクラバクシンオー曰く、「父上も母上もトレーナーさんと是非に会いたいとのことです!」とのこと。ブリッジコンプが両親に聞けば、お前の好きにしなさいとしか言われなかったので名家のご息女は違うなともやもやした気持ちにもなる。
とはいえ、外部のレース場。それも私有地となれば初だったため、楽しみなのもまた事実である。
「ブリッジ、忘れ物ない?歯磨きはちゃんとするんだよ。黄色い歯なんてライブじゃ絶対見せられないからね」
「ワイスは私のお母さんじゃないでしょうに」
「お土産よろしくね」
「東京都府中市だよ?東京内だからお土産もなにもないよ」
トレーナーから教えられて初めて知ったのだが、なんと東京レース場のかなり近いところにサクラ家は構えているのである。家柄だけでいえば、日本の中でも一二を争うだけのことはある。サクラバクシンオーが相手なので気後れすることがないのが幸いだった。
それじゃあ行ってきます。寮を出て、キャリーバッグをコロコロと引きずりながら、正面口へと向かう。社用車の大きなバンをそこで停めてトレーナーが待っていると聞いていた。
「おはようございますっ!ブリッジさん、今日は良いバクシン日和ですね!」
「おはよう。バクシンオーさん」
今日も元気なサクラバクシンオーと挨拶を交わす。実家ということもあってサクラバクシンオーの荷物は手提げ鞄だけだ。二人で会話しながら、歩を進めると白塗りのバンがあり近くにウマ娘の人だかりができていた。また私のトレーナーがちょっかいを掛けられているのだろうか?ならば、と近づくとどうも違う会話が聞こえてくる。
「復帰されるんですか?」「トレーナーの方は……」「期待しています、頑張ってください」「また走りが見られる日を待っています」
パンパンという大きく手を叩く音が聞こえてきて、聞きなれたトレーナーの声が続いた。
「あー。悪いが質問はなしだ。俺から答えられることもないし、俺の担当の子も来てて時間も限られている。また今度彼女の……、ああいや彼女自身に聞いてくれ」
ウマ娘達がはけていくとまず見えたのは私のトレーナー、それから隣にいたのは芦毛のウマ娘だった。会話したこともなく一方的に知っているだけだが、むしろ彼女を知らないレースを志すウマ娘はモグリと言って良い。二冠、ワールドレコーダー、黄金世代、その名はセイウンスカイ先輩。
秋の天皇賞以来表舞台から姿を消していたが、どういう理由で彼女がそこにいるのか皆目見当もつかなかった。大海と大空のようなオーラが肉体を取り巻いている。だが、菊花賞の時程は感じさせない。天皇賞でも感じたことだが怪我でもしたのだろうか?
トレーナーがウマ娘たちを完全に追い払うと此方に体を向けた。
「ブリッジ、バクシンオー。おはよう」
「おはようございます!トレーナーさん」
「おはようございます。なぜセイウンスカイ先輩が此処に?」
セイウンスカイ先輩の様子を伺っても、此方を気にした素振りも見せない。否、どちらかというと眼中にないと言った方が正しいだろうか?理由はわからないけれど、ただぼーっと眠気眼で、トレーナーの方を見ている。顔は微笑を浮かべているが、喜びからの笑みというわけでもなさそうだ。
トレーナーは一瞬だけセイウンスカイと目を合わせて、直ぐにそらして棒読みで話し出した。
「ああ、そうだね。セイウンスカイは学園で偶然会ったんだ。それで話したら練習を見に来てくれることになった。彼女ほどの逃げウマ娘は殆ど居ないし、君達の助けになるだろうと思ってね。色々ごたごたしていて完全に伝え忘れていたよ」
話の筋は通っている。セイウンスカイ先輩はチームリギル所属ではないためどこで知り合ったかは解らないけれど、セイウンスカイ先輩だって学園に所属する身だ。偶然の縁もあるだろう。しかし……やけにトレーナーの方もセイウンスカイの様子を気にしている気がする。悩ましいが、セイウンスカイは既に二冠に導いた担当トレーナーがいるわけで、私のトレーナーと深く関わることもないはずだ。また自分のただの被害妄想、勘ぐりだろう。
「そうでしたか!セイウンスカイさん!よろしくお願いしますねっ!」
「え?ああ、うん」
サクラバクシンオーによる至近距離からの挨拶にようやく気付いた様子で、セイウンスカイ先輩ははっとなって此方を見てきた。
「あまりに天気が良いからぼーっとしちゃった。なるほどなるほど~、この子達が新人トレーナーさんの担当なわけだね?よろしくー、セイウンスカイだよ」
へにゃりと微笑を浮かべて、気の抜けた青い瞳を向けられる。その様子はレース場でみたセイウンスカイそのものだった。私たちも改めて自己紹介をして、車に乗り込む。猫のようにするりとセイウンスカイが助手席に座ったので、ブリッジコンプとサクラバクシンオーが後部座席に座った。
どうも意図が読めないがセイウンスカイ先輩がトレーナーに関心を抱いているのは確かなようだった。
「ペーパードライバーも良い所なんだ。シートベルトはしてくれよ」
正直、トレーナーは運転できたんだというのが感想である。ブリッジコンプから見れば十分大人に見えるトレーナーだったが、契約書の項目で見たので間違いないがサクラバクシンオーやセイウンスカイと年が近い。最初は電車で向かうのかと思っていた。
エンジンがかかり発車する。速度は確かに速いとは言えない。運転が特別下手というわけでもなさそうなのに、必要以上にトレーナーは緊張しているように見えた。一同を乗せた車はトレセン学園から出て首都高速道路へと向かう。
「セイウンスカイさん!セイさんと呼んでもいいでしょうか!」
「うんうん。好きに呼びたまえー。ブリッジちゃんもね」
「わかりました!セイさん!」
「はい、よろしくお願いします。セイさん」
サクラバクシンオーが早速セイウンスカイ先輩に距離をぐいぐい詰めていく。それは、生来の性格もあるだろうが菊花賞というGⅠ長距離レースで勝利したことに対する憧れからもあるのだろう。サクラバクシンオーの長距離レースで勝ちたいという夢はどこまでも本気である。ブリッジコンプとしてはトレーナーとの関係に対するもやもやと、才能への嫉妬から関わり方を掴みかねていた。
「二人とも選抜レース前に食堂で新人トレーナーさんに逆スカウトをしたんだって?話題になっていたよ」
「はい!私との出会いがトレーナーさんにとっての運命です!」
「ええはい。私の方から声を掛けさせて貰いました」
珍しいねと呟いて、それから幾つかのことをセイウンスカイ先輩は聞いてきた。普段のトレーニングはなにをしているのか、他の同期の様子、トレーナーが生活習慣を管理していることについてなどなど、他愛もない話だ。こちらの緊張をほぐそうとしてくれているのだろうか?
「つまり基礎練習だけなんだ。私はレースの練習ばかりやってたなぁ。新人トレーナーさん的には~その辺どう思うの?」
少しだけ考えて慎重に言葉を選びながらトレーナーは話し出す。その雰囲気は爆弾解除にも思えて、流石にブリッジコンプも気づいた。
「バクシンオーもブリッジもクラシック三冠に進ませるつもりがないから、出るレースもまだ様子を見つつになる。彼女たちの底が分かるまでは、とにかく基礎練しかない。新人トレーナーだからその辺の見極めも済んでいない。それにシニア期も考慮するなら基礎練習は最も重要だ。
だけど、セイウンスカイの場合は最初からクラシック三冠という目標があったんだろう?出ているレースも最低限でGⅠ出走の為の評価値稼ぎにオープンのジュニアカップ、それから皐月賞に向けたトライアルレースのGⅡ弥生賞だけだ。だから慣らしのためにレースの練習は正しい判断だと思う」
セイウンスカイ先輩はなにかしらの爆弾を抱えている。それもトレーナーの言動次第では爆発しかねないモノだ。だが初めて会ったのが学園だというのが正しいなら、なぜ爆弾の導火線にトレーナーが火を点けたのかわからない。トレーナーは普段の言動を見ていれば人嫌いのするようなことを言わない、元から思いつかないタイプだ。
少し探りを入れたい。ただ欲を出してはいけない、向こうから話題を広げてくれるのが望ましい。
「そういえばトレーナーはどこでセイさんと会ったんですか?」
「恥ずかしいことに迷子になってね。公園のかなり奥まった場所にセイウンスカイが寝ていたんだ」
「の~んびりしてたら、まさかあんな奥まった場所に人が来るなんてあの時は驚いたよ。新人トレーナーさんて迷子の才能があるね」
「言い訳すると後から駿川さんに聞いたが、どうもゴールドシップが案内板を勝手に持って行ったらしくてな。まあ、道を聞いてからレース場に向かえって話ではあるんだが、俺は悪くない」
それから幾つか会話を重ねたがセイウンスカイ先輩が抱えている爆弾について、わかることは無かった。しかし上手くはぐらかされることで逆に確信できる。何のために私のトレーナーに近づいたのか、この二日間にそれを探ろうとブリッジコンプは決意したのだった。
車は渋滞に捕まることなく五十分ほどでサクラ家に到着した。見た限り高い塀に囲まれ、巨大な門が構えていた。その在り様はトレーナーが二度カーナビを確認するほどである。トレーナーが電話をかけると門が開かれて中へと通される。
和式の大きな屋敷が中央にあり、左手にはもう一棟の日本家屋と、寺院で見るような園が出来ている。右手を見ればレース場と遜色ない芝生のコースが見えた。サクラ家が名門とは知っていたが、想像以上の大きさであった。
「バクシンオーさん起きて、着いたよ」
鼻提灯を作ってバクスイするサクラバクシンオーの肩を揺らす。これほど大きな鼻提灯は初めて見た。此処まで来て、サクラバクシンオーの寝顔と屋敷を見比べても全く繋がりを感じさせないのだから、ある意味凄い。
「ふんがっ!私のバクシン的勝利!って家じゃないですか」
サクラバクシンオーは車から降りて当然の様に、迎えに来た使用人に挨拶をしにいく。そう使用人だ!しかもウマ娘から見ても美形の人間である。巨大な屋敷を維持するには必要なことだとはわかるが、自分との生まれの格差が大きすぎて眩暈がする。
「ほら、トレーナーさんもブリッジさんも行きますよ!私の自慢の両親に挨拶しましょうっ!」
勝手知ったるとばかりに、サクラバクシンオーは屋敷に入っていく。流石にトレーナーも目を白黒させていて、セイウンスカイ先輩は珍しいものを見たとばかりに辺りを見渡している。そういえばセイウンスカイ先輩の実家も名門ではないので、初めて見る光景なのかもしれない。
「そ、その声はまさか。バクシンオーじゃないですか!」
「おや、チヨノオーじゃありませんか!貴方も帰って来ていましたか!」
追いかけると、屋敷の玄関でクリムゾン色の髪をしたウマ娘がサクラバクシンオーと遭遇していた。瞳の中に花はなくセイウンスカイ先輩より濃い青い瞳をしている。あのような特徴的な目は一族の中でも極僅かしかいないのだろう。察するに親戚といったところだろうか?
「うん。たまには顔を見せなさいって。それでバクシンオーはなんで家に?」
「そうでしたっ!紹介しましょう!此方はサクラチヨノオー、トレセン学園の高等部に通っている従妹です!」
「わわっ!」
一同が屋敷に入るとサクラチヨノオーは明らかな動揺を見せた。どうもサクラチヨノオーはサクラバクシンオーと性格の系統が違うようだ。無個性ではないのだが、弱気というか、サクラバクシンオーに比べれば個性で押し負けている。サクラバクシンオーが二倍になられてもそれはそれで困るのでむしろ有難かった。
「此方が私の運命の人ことトレーナーさんです!それと、同期のブリッジコンプさんと、付き添いのセイウンスカイさんです!」
「ひゃっ!う、運命の人?バクシンオーが大人になっちゃっいました!それにセイウンスカイ先輩、あの菊花賞の?」
「よろしく」「よろしくお願いします」「にゃはは、よろしくねー」
トレーナーはサクラバクシンオーの言い方を咎めながら、ブリッジコンプはいつものように、セイウンスカイは飄々として返す。
しかし、三者三様の挨拶も聞かずに、大変ですー!と大声を上げながら屋敷の奥へとサクラチヨノオーが駆け出していく。その途中で、手帳を落としていった。話も聞かずに慌てて駆け出すところは、外見が似ていなくともサクラバクシンオーと血が繋がっているのだろうなと思う。似なくて良いとも思うけれど。
「これは……」
トレーナーがサクラチヨノーが落としていった手帳を拾った。
「おや、それはチヨノートですね。チヨノオーのポエムが書かれていますよっ!」
ポエムノート……実はブリッジコンプも持っている。流石に小説を書き始めるワイスマネージャーほどではないが、乙女の嗜みといえた。今は勉強机の鍵がかけられる棚にしまい込んである。誰かに見られたら記憶を消すまで殴る自信があった。
「俺が拾ったらまずい奴だな。バクシンオー、これをサクラチヨノオーに渡してくれ。頼めるか?」
トレーナーは、流石の危機回避能力だった。
「はい!学級委員長にお任せあれ!」
奥まで通され、サクラバクシンオーの両親と挨拶する。二人とも気さくな方で、サクラバクシンオーと違ってごく普通の性格をしている。その上で言動からサクラバクシンオーのことを溺愛しているのだということが伺えた。父親の方は頼むとトレーナーに深く頭まで下げる始末である。まるで、娘を嫁に出す両親の様であった。
サクラ家に受け入れられ、其々の部屋に案内された。ブリッジコンプはサクラバクシンオーと一緒の部屋かと想像していたら、まさかの個室が与えられた。和室には真新しい畳が敷かれ、壁際には価値が高そうな壺と掛け軸がかけられている。このような豪奢な部屋ではブリッジコンプは安息できるか自信がない。
「疲れちゃえば寝れるよね、うん」
ブリッジコンプは逃げるように、トレーニングウェアに着替えて芝へと向かったのだった。
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ヴァルゴ杯頑張ります。