トレーニングを終えて皆でお風呂に入ることになった。まるで温泉旅館のような大浴場になっているらしく……家の中に男女別の暖簾がかけられている風呂を初めて見た。早速堪能しようと、ブリッジコンプ達は脱衣所でトレーニングウェアを脱いだ。
「ふんふん♪」
「ご機嫌ですね、セイさん」
尻尾をふりふりと揺らし、耳も横に傾けて嬉しそうだ。基本的にブリッジコンプの同世代でも感情が耳や尻尾に出るのを嫌って抑える努力をする。ブリッジコンプも感情が大きくなると出てしまうが抑えるようには努力している。しかし、セイウンスカイ先輩にその様子はなかった。ちなみにサクラバクシンオーにもない。まさかの2対1である、いやゴールドシチーも抑えるって雑誌で書いてあったし私の方が正しいはずだ。
「うん。スぺちゃんやエルはシニア一年目が終わった後に温泉旅行に行ったらしくてねー。羨ましかったんだ」
「なるほど」
セイウンスカイ先輩の脚に不調があることは流石にブリッジコンプも気づいていたし、担当トレーナーが気遣って行かなかったのだろう。ウマ娘がよく利用する高級温泉旅館といえば有名どころが二つあるが、どちらもトレセン学園からはかなり遠く移動で負荷がかかる。
厳密にはここも温泉旅館とは違うのだが、セイウンスカイ先輩の機嫌が良さそうなので構わない。
「さぁっ!バクシン的に入浴しましょう!」
一気に下着も含めて脱ぎ捨てたサクラバクシンオーが腰に手を当て体を惜しげもなく晒してくる。あの速さで脱いだというのに服が綺麗に纏められているのはどのような魔法を使ったのだろうか。育ちの良さが滲み出てなんか嫌だ。
「それにしても」
「はい!なんでしょう!」
「いや……なんでもないよ」
それにしてもサクラバクシンオーはプロポーションが良すぎではないだろうか。ウマ娘は十二歳頃に体が急激に成長して殆どそこで止まる。サクラバクシンオーについてトレーナーが記載していたのを盗み見たので知っているが身長158cm、手足もすらりと長く、尻は引き締まりそのくせ胸もしっかりついている。スリーサイズはB83、W55、H83と理想的だ。腰細すぎである、何食べたらそうなるんだ。
セイウンスカイ先輩もすらりとした体型だが、流石にバランスでサクラバクシンオーには負けるというものである。やはり食生活か。良いもの食べて良い暮らしをすると体型がよくなるのだろうか。いや、サクラチヨノオーはそのような感じはしなかったけれども。
「それに比べたら、はぁ」
自分の体を見下ろす。寸胴体型ではない、しかしほんのちょっぴり出るところは出ているが初等部とも良い勝負が出来そうな始末だ。低身長はレースの強さに関してもそうだが、ブリッジコンプにとっては強いコンプレックスである。
見つめていても体が成長するわけでもない。諦めてお風呂に向かう。
確かに温泉旅館のような風呂場である。軽く十人は入れるだろう風呂に、三つ並べられたシャワーと桶。露天風呂があるのだろう。外へと続く扉が見えた。
「どうしてこんなに広いの?」
「サクラ家一同がよく利用しますからねっ!全員が集まることはなかなかありませんが、本家として必要なことだと御爺様が作ったとか!」
本家!本家である。ドラマでしか聞いたことのない単語が飛び出してきた。そしてサクラバクシンオーは有所正しき本家筋のお嬢様というわけだ。いやはや、凄いウマ娘と同期になってしまったなと、ここまでくると嫉妬すら湧かない。
「セイさん!私がよき学級委員長としてお背中を流しましょうっ!」
「おやおや~?ありがたいねー。それじゃあ私はーブリッジちゃんの背中を流そうかなー♪」
「自分で洗いますから!」
手を×に交差して拒否しても、いいからいいからとセイウンスカイ先輩は構わず両手をわきわきさせてにじり寄ってくる。どうもセイウンスカイ先輩の気分が上がっていて遠慮がなくなっているようだ。悩ましいが此処は後輩として大人しく従うのが丸いだろう。
「わかりました。お願いします」
背中を向けて持ち込んだシャンプーハットをかぶる。初等部から愛用しているピンク色のお気に入りアイテムだ。
「綺麗な金髪だね」
「私の場合、瞳も金色ですから珍しいみたいですね」
「バクシン的背中洗い!!」
「バクシンオーちゃんちょっと早すぎて痛い」
ボディーソープやシャンプーは柑橘系の香りがした。ゴタゴタはあったものの三人並んでシャワーを浴びて、泡を流し終わってからお湯につかる。流石に地下から湧き出しているわけではないだろうが、お湯は薄く緑の色がついており、木の香りと共に仄かにココナッツの香りがする。高い値段の入浴剤を使っているに違いない。
「極楽~♪極楽~♪ちなみにー、サウナもあるの?」
セイウンスカイ先輩なんてタオルを顔に乗せて仰向けになって湯に浮いている。髪の毛が完全に湯に浸かっているが気にならないのだろうか、キューティクルが落ちると雑誌に書いてあった。まあ、本人が楽しそうなので指摘するのも無粋だろう。
「はい!露天風呂の隣にありますよっ!」
至れり尽くせりとはこのことか。最早卓球台や、マッサージチェア、瓶の牛乳までありそうだ。尚、お風呂から出た後に実際にあることを知る。
「チヨノオーさんも来れば良かったのにね」
サクラバクシンオーとチヨノートを返しにいったとき、誘わないのもどうかと思って誘ったのだが、また走って逃げられてしまったのだ。
「模範的な学級委員長である私と違って、チヨノオーは恥ずかしがり屋ですからね!気を許せばバクシン的に詰め寄ってくるのでそこが可愛いですよ!」
従妹といってもサクラバクシンオーとクラスは違えど同学年なのだが、彼女の中ではどうも妹的な扱いらしい。確かにサクラバクシンオーはバカだが時折知性を光らせるのに対して、サクラチヨノオーは身長も低いし今のところ気の弱い姿しか見ていない。ついでにサクラバクシンオーより才覚も低い様に見えた。
「トレーナーがウマ娘から露骨に避けられているの初めて見ました。たまに校内で見かけると大抵ウマ娘か駿川さんと一緒にいますし」
そういえばワイスマネージャーから、昨日マルゼンスキー先輩と真っ赤なスポーツカーに乗ってドライブに行っていたという情報も来ている。多分、チームリギルのトレーニングを見学しに行ったのだろうと思うが普通二人だけでドライブするだろうか?そのことを伝えるとサクラバクシンオーは唸った。
「むむむっ!トレーナーさんには注意しないといけませんね!風紀の乱れは心の乱れ!学級委員長のトレーナーさんとしてしっかりして頂かなくては!」
うむ、サクラバクシンオーに詰め寄られればトレーナーも流石に自粛するだろう。
「そういえばセイさんのトレーナーってどんな人ですか?私はあのトレーナーしか知らないので」
「そうだねぇ~」
適当な話題を選んだつもりが、妙にセイウンスカイ先輩は言い渋った。表情はタオルに隠されて伺うことができない。この反応はもしや、喧嘩でもしたのだろうか。しかし、それが爆弾となると猶更私のトレーナーが関わる理由がわからなくなる。
「あの、言い辛いなら」
「優しい人だったよ。皐月賞の時も、菊花賞の時も、勝った喜びより心配が先に来る人だったなー。脚が故障したときなんて、自分のせいだーって私よりわんわん泣いていたよ。逆に私が冷静になっちゃったくらいにね。それでもう走らなくていい。セイちゃんは頑張ったんだからお休みしていればいいなんて言うから」
一気に言い切って、声のトーンが一瞬だけ冷え込んで、戻る。
「ま、そんな人だよ♪」
これ以上、触れられたくなさそうだったのでそれに従うことにする。まだ会って一日も経ってない相手に踏み込めるほど、私は図々しくない。なにより私自身、才能のある人に探りをいれるだけならまだしも、強く踏み込みたくないという気持ちが強い。
「どうです?サウナでも」
「いいでしょう!学級委員長として勝負しましょうっ!」
しないよ。
「もう少しここでゆっくりするよー」
セイウンスカイ先輩を置いて、ブリッジコンプとサクラバクシンオーは湯から出て露天風呂へと繋がる扉を開けた。春とはいえまだ裸で歩くには少し寒く、タオルを体に巻き付ける。セイウンスカイ先輩の事情は意識的に頭の中から消した。
本音で言えば、私のトレーナーに重しを背負わせなければどうだっていいウマ娘である。世代も違うし、走りを見て感動もしたけれど、会ったのは今日が初めて。あくまでファンであってそれ以上でもそれ以下でもない。私は私が親しい人とウマ娘だけが大事な、冷たいウマ娘である。その中にセイウンスカイ先輩は入っていない。
「此方です!」
サクラバクシンオーに案内されて、木立の中を石畳みの道を進んだ先に木造の小屋があった。道は少し入り組んで別れていて場所を知らなければ迷ってしまったかもしれない。此処に来るまでに少し体を冷やしてしまったのでさっさとサウナに入りたいところだ。いや、電気式ヒーターだろうけれど温まるのに時間がかかるのかな。
サクラバクシンオーが扉を開くと、蒸気が中から溢れて、腰にタオルだけ巻いたトレーナーと目が合った。
はっ?
隣で鮮血が舞った。サクラバクシンオーが鼻血を噴き出して倒れていく。目をぐるぐると回して、完全に気を失っている。だが、そのことが気にならないほど、ブリッジコンプは顔にまで熱が競り上がってくるのを感じた。先ほどの冷たい思考とのギャップに脳が茹る。
「いや、待て待て待て。いいか、ブリッジ。冷静になれ、その拳は下げるんだ。そいつで殴られたら俺の頭部は弾け飛んで温泉旅館殺人事件になってしまう!」
ふー、ふー、ふー。荒い息を整えていく。拳を血管が浮き出るほど強く握りしめた。遺言を聞こう。
「おそらく露天風呂とサウナは男女共有なんだろう。バクシンオーは俺にも君にもそのことを説明し忘れていたというところだ。道は入り組んでいたし、気づかなかったのも無理はない。それに君たちも俺も大事な処はタオルを体に巻き付けているから、見えていない。その上で俺は謝るしかない、本当に申し訳ない」
驚くほどの早口がトレーナーから放たれた。爽やかな風が吹きつけて、ブリッジコンプの上った血の温度を徐々に下げていく。確かに言われてみれば、似ているだけでここは温泉旅館ではなくサウナや露天風呂まで男女別に作ることはない。それに利用するのがサクラ家だけならば、サクラバクシンオーもついうっかり説明し忘れてしまうこともあるだろう。
その犯人は隣で完全に気を失っているので、証明のしようがないが言っていることは筋が通っているように思えた。
「カフェの季節限定超巨大特盛りイチゴパフェ」
「あれカロリーがって、わかった!わかった!ブリッジにもバクシンオーにも奢るよ」
こんな時にまでカロリーの話を持ち出すとは失礼なトレーナーである。一つ五千円するパフェで手を打った私の寛大さを褒めてほしい所だ。拳を下げると、トレーナーは安堵のため息を吐き出した。それから倒れているバクシンオーに近づいて、手をとって脈を測る。
「頭から倒れなくて良かったな。脈は少し早いが、のぼせただけだろう。ブリッジ、悪いけどバクシンオーを脱衣所に運んでやってくれ。風をひかない程度に冷やして、水を飲ませてやれば回復するはずだ」
「わかりました」
タオルがずれないように気を付けながら、トレーナーに手伝ってもらってサクラバクシンオーを背負う。体格の違いもあって、ずれ落ちそうで心配だ。トレーナーはどうやらサウナに戻る気はないようで別の道を行く。しかし、ふと立ち止まって此方を振り返った。その表情は内心の感情を押し殺しているように見えた。
「そういえばブリッジ。セイウンスカイの様子はどうだった?」
「セイさんでしたら、だらけきって楽しそうでしたよ。それがどうかしました?」
関係ないでしょう?とは勿論言わない、不要な言葉だとは解っている。
「そうか、なら良いんだ。ここで会ったことは内緒に頼むよ」
トレーナーは今度こそ去っていき、ウマ娘の耳が奥の方で扉が閉まる音を捉えた。その音を聞いて、漸くブリッジも女子風呂へと来た道を戻った。風呂では相変わらずセイウンスカイ先輩が浮かんでいて、サクラバクシンオーを背負った私を見て驚いた様子を見せる。
「おやおや?バクシンオーちゃんどうしたの」
「のぼせたみたいです」
今もサクラバクシンオーの鼻からは血が出てぽたぽたとお風呂場の床に血の跡を残している。セイウンスカイ先輩もお風呂から出ると、そのまま脱衣所まで運ぶのを手伝ってもらった。扇風機の電源を入れて、サクラバクシンオーの鼻にティッシュを詰め込む。ウマ娘の回復力は人間より強いので直ぐに目覚めるだろう。
「どーぞ」
頬に冷たい感触。思わずびくりとして、後ろを振り返ればセイウンスカイ先輩が牛乳瓶を二つ持っていた。その立ち姿は風呂上りだからか、妙に色っぽく大人に見える。牛乳に関しては脱衣所に設置された冷蔵庫の中にあったようだ、よくぞ見つけたものである。頬につけられた方の瓶を受け取った。
先輩は残った方の牛乳瓶の蓋を開けて豪快に飲み始める。飲み切って、ぷはーと息を吐いた時には口元に白い髭が出来ていた。肩にかけたタオルも相まって、先ほどの印象が打ち消されておじさん臭い。
「珈琲牛乳がなくて残念だったけど、これはこれでありだね♪」
「ありがとうございます」
ブリッジコンプも牛乳瓶の蓋を開けて、勢いよく煽った。水分が体に染み込むが、流石に外に出て体が冷えたばかりなので凄く美味しいかといわれると微妙だ。これは風邪をひかないためにも、もう一度お風呂に入るべきだろう。
「私もう少しお風呂に入ってきたいですが、バクシンオーさんのこと見ててもらえますか?」
「構わないよー。行ってらっしゃい」
サクラバクシンオーの様子も問題なさそうだったので、ブリッジコンプは風呂に戻る。
外に出て少し冷えた体が芯まで温まっていくのを感じる。期せずして水風呂に入った後のような感じだ。こうして風呂に入っていると胡乱な思考が浮かび上がってきて、そういえばと思い出す。トレーナーの腹筋、割れてたな……この思考は自分でも無いなと思う。思考を頭の中から追い出すためにブリッジコンプはお湯の中に潜った。
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