黄金郷への橋   作:そういう日もある

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トレーナー視点


カクテル

まだ少し肌寒く感じる夜。ネオンサインが点灯し、通行人の大半が酔っぱらった人やウマ娘達で、なかには千鳥足で道端に座り込んでしまった者もいる。夜の九時になろうかという時間帯に、俺は繁華街を歩いていた。ここはトレセン学園からほど近い場所にあり、トレーナー達にもよく利用されているらしい。ウマ娘は臭いに敏感でまだ学生の子はアルコール臭や煙草を嫌がることが多い。必然的に臭いが移らない様に寮で飲むことはできない。

 

しかしトレーナー業はブラックかつストレスを溜めがちで、飲まなければやってられない時もある。ウマ娘の前で一度も吸っている姿を見せたことがないのに、肺が真っ黒になった結果引退した先輩もいたらしい。とはいえ、今日俺は自分から来たわけではなく東条ハナから呼び出されてきたのだ。

 

雑多なビルの裏路地に入り、小さな階段を降りると木製の扉にはWELCOME OPENの札。人目につきにくい場所だ。扉を開けると緩やかにジャズの音が聞こえてきて、洒落たバーになっている。客は数人しかおらず、マスターは老齢な紳士、まさに知る人ぞ知る場所なのだろう。

 

見回すと、東条ハナと駿川たづなが並んで酒を嗜んでいた。

 

「前の見学させていただいた時以来ですね。お久しぶりです、東条さん」

 

「トレーナー、と呼ばなかったところは評価してあげるわ。ここは私の奢りよ、好きに頼みなさい」

 

おそらくジントニックが入っているグラスから目を離して、此方に視線を向けるとため息を吐かれた。なんでだ?とはいえ、先輩に奢られるのを拒否することは逆に失礼に当たる。遠慮せずウォッカのオン・ザ・ロックを頼む。

 

「駿川さんもいつもありがとうございます」

 

「いえいえ、手伝えることが少なくて逆に申し訳なく思っていますよ」

 

グラスと共にカウンターに置かれたナッツに手を伸ばす。そういえば直前まで仕事をしていたので夕食を食べていない……流石にこのようなバーで大量に食べるのも憚られるし、とはいえ大抵の店はバーを出る頃には閉まっているだろう。あとでマクドナルドによるか。

 

「それでどうしたんです?急に。一緒に飲むような関係ではないと思うんですが」

 

早速本題に入ろうとすると東条ハナは苦虫を嚙み潰したような顔をした。駿川たづなに視線を向けてもいつものにこにことした笑顔が帰ってくるだけだ。確かに前に見学をさせて貰った上、リハビリに関する大量の資料を貰った恩はある。あるがそれは公的な立場であって私的な関係ではない。理由が思いつかない。

 

「この前の資料の件でしたら改めてまたなにかお礼を」

 

「それはいいわ。後進のトレーナーを手伝うのも先達の役目よ。そう、そのことでね。貴方やっぱり新人トレーナー歓迎会に呼ばれていないわよね?」

 

新人トレーナー歓迎会?なんだそれは。一応、スマートフォンを開いてメールを確認しても、トレセン学園からそのような連絡は来ていない。俺のその様子に改めて東条ハナは深い深いため息を吐きだした。曰く此処から二棟向こうの居酒屋で先輩トレーナー主導の新人トレーナー歓迎会を行っているらしい。

 

「私は自分から声をかけて来るか紹介でもない限り、もう指導しようとは思わないから、いつも参加しないのだけれど。沖野トレーナーや複数の先輩トレーナーが後輩の為に毎年やっているのよ。新人トレーナーはノウハウも少ないし繋がりの為にね。貴方の同期は皆呼ばれているはずよ」

 

な、なんだってぇ!

 

大声を出しそうになるのを口に手をあてて抑える。まさかのハブりである。まだトレセン学園に所属して大した期間も経っていないし、殆ど関わることもないため嫌われているとは思い難い。いやだからこそか?同期のトレーナーはもっと積極的に同期と絡んでいるのだろう。いやしかしそれでも、仕事用のメールアドレスは公表しているし普通一応呼びはするのではないだろうか。

 

「ま、いつも断っているのだけれど、律儀に毎年参加者名簿が来るのよ。そこに貴方の名前がなかったから連絡したというわけ」

 

ウォッカを口に含んで心を落ち着かせる。理解した。メールの内容に体調不良などの理由がないのなら来なさいと書かれていた理由は、俺が誘われたのに事情があって断った可能性を考慮したものだろう。対して俺は一二もなく、何の問題もありませんと飛び出して来たのである。

 

「俺ってそんな嫌われてるんですかね」

 

「そうね」

 

絶望的な三文字が告げられた。助けを求めて、駿川たづなを見ると神妙な顔で頷かれる。

 

「残念なことですが、私と理事長が把握した時にはそのような状態になっていたようです。元からトレーナーさんは同じ研修出身の同期からは評判が良くありませんからその延長だと判断していたのですが、まさかこうも広まるとは」

 

研修生の同期から評判が悪いのは知っている。主にエアシャカールと、ファインモーションによるものだ。いや彼女たちのせいにするのもどうかという話だが、俺はかなり問題児だった。成績がただでさえ悪かったし、ゲーム知識という不要な情報によって、ウマ娘の完全数値化というバカな理論を組もうとしていたのである。

当時の俺の理論だが、今となっては考えられない話だ。こういう理由もあって俺は自分のゲーム知識をまったく信用していないのである。

 

ただ主流のウマ娘に寄り添うトレーナーという形とは違うその考えが、エアシャカールに目を付けられた。初対面のバカを見る蔑みの眼を俺は今でも忘れない。そしてなんだかんだ他の同期より目をかけられるようになって、ついでにファインモーションもそれに付き合う形で、俺は周囲の目を気にしなかった。

 

研修生の中でも成績が悪く将来性が低いと考えられていた俺に講師が特に力を入れる、同期からすれば良い気分になるはずがない。

 

「でも別に研修同期って噂を広めるような性格の悪い人達居なかったと思うんですけど。というかむしろウマ娘に寄り添いたいって考える成績も人柄も良かった記憶がありますよ」

 

なにせ本物のエリート達である。中には性格が悪い人もいたかもしれないが、俺の同期達は中央値よりは上のトレーナー適性があると言われていたはずだ。良いトレーナー適性即ちウマ娘に嫌われない人格面の評価も含む。俺より余程優秀だった。

 

「よくそんな子達に嫌われてるわね。まあいいわ。原因は比較的新しいものよ。もう一つは選抜レース前にサクラバクシンオーという逸材をスカウトしたことよ。しかも多くのトレーナーが声をかけたにも関わらず、袖にされ、逆スカウトという形で彼女は貴方を選んだ。ブリッジコンプも逆スカウトよね。新人トレーナーは選抜レース後に担当を決めるのが普通とはいえ、これは殆どやっかみに近いわ」

 

成程納得できる理由だ。スカウトは早い者勝ちに近いとはいえ、俺は選抜レース前に担当になった。俺みたいな成績が低かった問題児がなぜ二人からも逆スカウトを受ける?なんて疑問に思っても仕方ないし、俺自身疑問である。解っていたことだが、外聞に良くないか。

 

「幸いその噂は私と理事長が手を回して殆ど鎮静化したのですが……、トレーナーさんとセイウンスカイさんが会った二日後にセイウンスカイさんが担当トレーナーとの契約を解消。その後、セイウンスカイさんはよくトレーナーさんと会っていますよね。それで再燃しまして」

 

実は駿川たづなにも理事長にも迷惑をかけていたらしい、有難い話だ。確かに土日にサクラ家に一緒に行って以来、セイウンスカイとよく会うことが多くなった。放課後に担当の子達のトレーニングを見てくれているし、駿川たづなとの二人体制でかなり仕事が楽になった。なによりGⅠウマ娘の経験則というものは力強い味方だ。

 

「貴方今なんて言われているか知っているかしら。寝取り野郎よ」

 

うそでしょ……。

 

「二人のウマ娘を騙して担当にした後、弱っていたセイウンスカイに付け込んで担当との契約を解消させ自分の手元に置いている。なんていう噂もあるらしいわ。まあ、私がルドルフに頼まれたとはいえ、面倒を見てしまったこともやっかみから噂を助長させる結果にはなったけれど」

 

傍から見たら確かにそう見えるのかもしれない。セイウンスカイに関しては俺自身未だに若干後悔している。セイウンスカイに担当トレーナーが現状いないため、リハビリは病院でやっているらしい。流石にいたたまれなく、俺が口を出したいところだが立場として許されないのも自覚しているし、だからといって邪険にすることも出来ない。しかしそうした遠慮も周りから見れば悪い方向に捉えられているのだろう。

 

「でもそれ前の担当トレーナーがどうにかする問題なんじゃないですか?というか、セイウンスカイに会いに来てるところ見たことないんですけど」

 

俺が来てから既にマティーニを五杯も飲んでいるにも関わらず顔色に変化がない駿川たづなが、遠慮がちに口を挟んだ。

 

「セイウンスカイさんを担当していたのは、海空トレーナーさんですね。今彼女はその……、セイウンスカイさんから契約を解消されたことが大きなストレスになったらしく家から出てこない状況でして」

 

まさかの引きこもりである。いや一緒に三年間も駆け抜けて、努力して二冠という栄誉、そしてワールドレコーダーという名誉を成し遂げた信頼も信用も出来るウマ娘から契約を解消されたら引きこもりたくもなるか。もし俺が三年後にブリッジコンプやサクラバクシンオーから同じことをされたら、同じ気持ちになりそうだ。

 

「担当を変えるウマ娘はわりとよくいるわ。私もサイレンススズカを手放したしね。でも貴方セイウンスカイと契約してないわよね?」

 

「まあ、今のところ俺からしたいとは思わないです。既にブリッジとバクシンオーでいっぱいいっぱいです。とはいえ、このままずるずると行くのも良くないのは解るので。俺がその……えーっと海空トレーナー?に会いに行くべきでしょう。来週の担当の休息日なら」

 

「貴方刺されるわよ」

 

防刃チョッキでも着ていくべきかな。

 

「私が着いていくから問題ないですよ」

 

駿川たづなが着いてきてくれるなら安心だ。耳は確認できないが尻尾もないし、ウマ娘ではないと思うのだが。しかしウマ娘並みのパワーを持つことは確認済みである。この前なんて平気な顔で4.8トンタイヤを片付けていたし、世の中には不思議なことがあるものだ。人間のトレーナー程度容易く鎮圧出来るだろう。

 

上手くいけば万事解決と思ったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

 

「例えセイウンスカイが元の鞘に納まっても貴方の悪評は消えないと思うわ。色々な真実も含めた噂が絡み合って七十五日を経っても無理そうね」

 

「うーん」

 

たっぷり、三分も悩んだが結局解決方法は思い付かなかった。開きなおるしかない。ウォッカの残りを一気に煽って、息を吐き出した。

 

「ふぅ。東条さんは模擬レースしたかったら組んでくれますよね?」

 

「ええまあ、仕方なく」

 

「有難うございます。なら気にしなくても良いですね」

 

確かに胃が痛い問題だったが、逆にいえばそれだけだ。噂はどちらかというと担当している二人とセイウンスカイに同情的なものだし、彼女たちへの嫌がらせに発展することもない。模擬レースの相手もGⅠ常連のチームリギルが面倒を見てくれるなら、同期の育ち切っていないウマ娘に興味もなかった。なら、トレーナー業に差しさわりはないし、元から人間相手に愛想よくするのは苦手である。

 

「貴方ね」

 

東条ハナが呆れた声を出した直後に俺のお腹ががぐぅと鳴る。恥ずかしい。

 

「あ、すみません。胃にものを入れちゃったので反応したみたいで」

 

「……マスター。彼に賄いを。メニューには出していないのだけれど、結構美味しいわよ」

 

流石東条ハナ、通である。五分ほど無言でマスターが奥に消えると、ブレッドボウルつまりパンに包まれたクラムチャウダーが出てきた。ぐつぐつと煮え立っていて、鼻孔を擽る匂いはとても美味しそうだ。早速スプーンで一口、ふぅふぅと息を吹きかけて食べるとアサリの独特の味が口いっぱいに広がった。

 

「凄い美味しいですねこれ。それでなんでしたっけ?東条さん」

 

改めて聞く姿勢をとるも、既に話す気分ではないようだった。

 

「はぁ、たづな。よくこんな頭おかしい子の配属を認めたわね」

 

「ええ、成績もあまり良くありませんでしたし理事会では否定的な意見もあったようです。ですがウマ娘達の為になると理事長が判断しましたので」

 

そこは否定してくださいよ。やけになってマスターにモヒートを頼む。奢りだし沢山飲むとしよう。

 

「あの理事長ならそういってもおかしくないわね」

 

グラスに口をつけて二人の話を聞いていると俺が思っていた以上にトレセン学園に配属されることへの自信は砂上の楼閣だったらしい。まさか理事会から反対されるとは思ってもいなかった。もしや、研修期間初期の論文とすらいえない研究発表を見られたのだろうか。いやあれはデータを消去したはず。もしや、というかわりと俺のやらかしが多くて殆ど隠蔽したつもりだが判別がつかないな。

 

「悪評は今は良いかもしれないけれど、次のスカウトに響くわ。もしトレーナー業を続ける予定があるなら、結果で黙らせなさい」

 

真剣な口調で東条ハナは俺にそう言い放った。いや、はなをかけたギャグじゃない。反応した脳内の鹿毛を追い出して、成程と頷く。担当しているウマ娘が実績を持てばそれこそ、東条ハナなどといった名トレーナーのようにウマ娘から沢山声をかけられるだろう。俺もあと二十年はトレーナー業を続けたい。

 

「解りました。やれるだけやってみます。成績が下の俺自身はともかく、ブリッジもバクシンオーも走るウマ娘ですから」

 

 

 

 

11時頃にトレーナーが去った後も、東条ハナと駿川たづなはまだ酒を飲み交わしていた。既に東条ハナは出来上がっていて顔を赤く染めていたが、遥かに度数の高いアルコールを摂取し続けた駿川たづなは素面のままだ。

 

「新人が、また沢山辞めるはめになるわよ。良いのかしら、たづな」

 

ぼそりと東条ハナが呟いた。東条ハナはトレーナー業を始めて直ぐに天才と呼ばれた。シンボリルドルフと共に勝利の栄光を築き上げ、そして光の陰で沢山の同期が辞めていった。あのマルゼンスキーの走りを見ただけで転校する子が続出した時のように。残ったのは腐れ縁の、沖野トレーナーだけだった。

 

あのトレーナーは素質があるとルドルフは言った。ルドルフが人間に対してそう口にしたのは人生で三度しかない。

 

「それがウマ娘達の為になるのでしたら」

 

彼女は、彼女たちはいつもそうだった。ウマ娘の誰もが幸福になれる時代、理想の為にはどのような犠牲も厭わない。東条ハナは自分が優秀だという自負がある。しかし、天才だとは思っていない、何故なら本物の天才を知っているからだ。どうやらあのトレーナーは今劣っていても何れそうなる素質があるらしい。

 

アルコールに溶けた思考の中で少しだけ、嫉妬する。結局、東条ハナはシンボリルドルフの隣に立つことはできても、同じ理想を抱いて空を飛ぶことは出来なかった。

 

「私も年かしらね」

 

口紅がついたグラスを眺める。感傷が過ぎた。




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