転生者ではないです
俺は転生者……かもしれない
そう気づいたのは恥ずかしいことに、18歳で中央トレーナー資格を取得した後のことである。言い訳をするなら前世の記憶など大して存在しない。生まれてきた赤ん坊に記憶があったからといって、意識がついてくるわけでもなく、赤ん坊の頃の注意散漫さをもってすれば前世の記憶など忘れてしまうのも仕方のないことのはず、だ。
ライトノベルにあるような記憶も意識ももって生まれる転生者とは根本的に違うのだ。自意識が明確に芽生えたころには残っていたのは死ぬ直前に電車にはねられたことと、直前にやっていたウマ娘プリティーダービーというソーシャルゲームおよびその関連コンテンツ、他は覚えていない。
丁度その頃、マルゼンスキーがクラシック路線で二冠をとり、世間をにぎわせていたので、ウマ娘のゲームもアニメなどのコンテンツも自身の作り出した夢や妄想に違いないと勝手に思い込んでいたのである。俺の家は名門とはいえないもののニ代にわたってトレーナー業をしており、自意識の芽生える前からウマ娘について語って聞かせ、あるいは映像を見せてきたのだから勘違いは加速した。
十三歳の頃に、まるで自分が考えたことのようにウマ娘のゲームを両親に語って聞かせたことが今でも恥ずかしい。両親は俺のことを天才だと持ち上げて、「うちの子は凄い、いずれはゲームデザイナーかトレーナーになるに違いない」と喜んだものだ。穴があったら入りたいという言葉の意味を正確にとらえた出来事であった。
両親の期待にこたえて俺はすくすくと育ち、幸いなことに地頭は悪くなく、無事に中学を好成績で卒業した。その後受験して名門の私立中央トレーナー養成学校に入学を果たした。私立中央トレーナー養成学校は三年間の学習で無事に卒業できるのは三分の一という難関だが、卒業さえすればほぼ確実に中央トレーナー資格を取得できるといわれていた。正解はトレーナー資格を取得するまで卒業できないのである。なんと三留している先輩すらいた。
転生者としてのアドバンテージなどない俺にとって、中学時代に伸びた鼻をへし折られる魔境だったが、両親による教育のたまもので無事に卒業できた。成績は卒業できた同級生の中では下の方だったのはご愛敬である。その後、ニ年間の研修を終えるとトレセン学園などに採用されるのだが……。
研修期間中に生で、セイウンスカイが皐月賞と菊花賞をとるところを、エルコンドルパサーがブロワイエに凱旋門で敗北するところを、スペシャルウィークがダービーの一年後にブロワイエとジャパンカップを競うところを見てしまったのである。しかもチームリギルの東条トレーナーも、チームスピカの沖野トレーナーさえいた。アニメ一期の終わりである。
両親に話した妄想が現実になった瞬間だった。そして俺は自分が転生者だと気づいたというわけだ。
なぜジャパンカップ対決まで気づけなかったのか自分の阿呆加減に泣きたくなる。急いで確認すると、チームスピカにはデビュー前のトウカイテイオーやメジロマックイーンがすでに所属していることが書かれた乙名史悦子の小さな記事を発見した。
つまり、高い確率で俺がトレーナーとなるその年にアニメ二期が始まる。トウカイテイオーの美しい挫折と再起の物語を見ることができる。しかもツインバレル師匠のこれが諦めないってことだァァ!トウカイテイオー!が見れる!
東京芝レース場で歓喜のあまり研修講師のエアシャカールに抱き着き、ウマ娘のパンチで全治一か月の怪我を負ったが大したことではない。
「まさか最大の敵が自分とは思いもしなかった」
「なに言ってんだお前」
最大の敵が自分。そう自分がトレーナーになることであの美しいアニメになんらかの悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。絶対に名前を知っているウマ娘の担当トレーナーに俺自身がなることはないが、それでもバタフライエフェクトという言葉がちらつく。トウカイテイオーならダービーまで無敗を貫いてくれると信じているが、万が一にも自分の影響でそれが阻止されてしまうと考えると恐怖を覚える。
トレーナーにならないという選択肢は両親の期待も、なにより少しでも近くでみたいという俺の欲望もあって無しだ。
だが、トウカイテイオーの勝利や怪我のタイミングがわずかでもずれるだけで、ダブルジェット師匠のこれが諦めないってことだァァ!トウカイテイオー!が発生しない可能性がある。
トウカイテイオーやメジロマックイーンに怪我をして欲しくはないという気持ちがトレーナーとしての教育を受けた自分にもある。しかし、沖野トレーナーはジャパンカップでスペシャルウィークを勝たせた俺とは比較にならない天才的トレーナーだ。沖野トレーナーが防げないなら、まして担当トレーナーですらない俺が怪我を防げるわけがない。
俺はトレーナーとしての成績も悪かったし、そもそも手を出せない問題である。というか手を出しても怪我をして、その後に復活できないという可能性すらある。
「おい、話聞けよ」
強引に頭を持ち上げられると、頬をはたかれ無理やり意識を引き戻された。目の前にはゲーム画面で見た時よりも幾分か成長を遂げたエアシャカールがこちらを威圧している。今日は俺が中央トレセン学園に採用が決まる理事長との面接の日であるが、なぜか研修講師のエアシャカールが態々付き添いできていた。随分と生徒の面倒見がいいことだ。
それにしても美しい顔だ。エキセントリックな髪型が不思議とよく似合う。相手はウマ娘かつ年上、しかも講師と生徒の関係なので下手に出るのだが。
「き、緊張してるんですよ。けしてシャカールの話っていつも説教があって面倒だなとか思っているわけではなく」
「殺すぞ」
ひぇ!レース場でみせる肉食獣のような殺気。視線をそらして逃げ場を探すと、丁度よく理事長室への扉が開いて駿川たづなが出てきた。それから困惑した顔でこちらの様子をうかがってくる。
「準備ができましたのでどうぞ」
「はい!」
ひりひりする頬をさすって理事長室に向かう。もし本気でウマ娘にビンタされていれば首が一周してもおかしくないので、相変わらずエアシャカールは加減がうまい。舌打ちして後ろからついてくるエアシャカールに怯えつつ、入室すると秋川やよい理事長に並んで、生徒会長のシンボリルドルフがいた。
間違いない。何度もテレビにかじりついてみた、長い鹿毛のウマ娘。七冠娘、皇帝、勝利よりたった三度の敗北を語りたくなるウマ娘。
本物のシンボリルドルフ!シンボリルドルフだ!サインをくださいという言葉をぐっとこらえる。中央トレセン学園は自由な校風ということで、生徒会の力も強い。予想はしていなかったが同席するのは当然だろう。
とりあえず無難に自己紹介を終えて、許可を得て反対側のソファに座る。エアシャカールも隣に座るが、これではまるで保護者面談である。恥ずかしいからやめてほしい。
「歓迎ッ!君のような前途有望なトレーナーを迎え入れることができたこと、嬉しく思う!」
「ありがとうございます。未熟な身ではありますが、精いっぱいトレーナーとして務めさせて頂きます」
「ちなみに君は、最初はチームのサブトレーナーとして下積みをするか、トレーナーとして働くかどちらを希望する!」
サブトレーナー…。アニメでは存在したか記憶が定かではないが、もしチームスピカやリギル、カノープスなどに入ればトレーナーとしての経験を詰めても、物語をゆがめる危険がある。
「サブトレーナーのチームは自薦ですか?それとも推薦ですか?」
「うむっ!こちらが合っていると考えられるチームに所属してもらう!」
ならば答えは決まりだ。名前の知らないウマ娘を育てて、出来るだけアニメで登場したレースを避けてG1を取らせる。そのようなトレーナーとして、ウマ娘のファンとしてのいいとこどりが目標である。
勝者がいればそれを遥かに超える敗者がいる。G1を勝たせるだけでも難しいのに、レースを私的な理由で選ぶなど、新人トレーナーとしては中央を無礼るなよといわれても仕方ないことだ。
だが夢は大きく持たなければならない。諦めてはならない。教えてくれたのはツインターボ師匠だ。
「俺はトレーナーを目指します。そして、G1勝利を目標にします」
「結構ッ!しかしスカウトできるかは君次第!それを努々忘れるな!」
「はい!」
正式な採用が決まった。勿論、不安があったわけではない。中央トレーナー資格はごく少数しか持っていない狭き門。この中央トレセン学園のトレーナー募集枠もいつも満員になることはない。たとえ、下から数えた方が良い俺でさえも、今はまだトレーナとして足りなくとも、将来性を見込んで配属が認められる勝算は高かった。打算ともいう。
「正式な採用、おめでとうございます、トレーナーさん。選抜レースは明日開催ですが、今日はデビュー前の模擬レースが行われます。もしよければ見ていってください」
駿川たづなの言葉に俺は大きくうなずいた。有力なウマ娘はどんどんスカウトされていってしまう。すでにトウカイテイオーやメジロマックイーンがチームスピカに所属しているように、有力なトレーナーはつばをつけられるというわけだ。新人トレーナーとしてはこの差は絶大なものに感じられるが、しかしすべてのトレーナーが歩んできた道なのだろう。
無事に終わってよかった。その油断を俺はすぐに後悔した。
面接が終わろうとするとき、笑みをたたえていたシンボリルドルフが口を開いた。
「Eclipse first, the rest nowhere.この意味を君はどうとらえる?」
放たれたプレッシャーに冷や汗が垂れた。意味は当然分かっている。アニメでも語られる通り、伝説のウマ娘エクリプスに向けられた言葉、唯一抜きん出て並ぶ者なしだ。だがシンボリルドルフの求めている回答は違うようにみえた。トレーナーとしてさらに一歩その先を見極めようとしているのだろうか。生徒会長であるシンボリルドルフは学園内を支配しているとも言っていい。ならば実質的な最終面接はここだったのだ。どのような回答をすべきだろうか?どのような回答を望んでいるのだろうか?
助けを求めて少し視線をずらすと駿川たづなが笑顔の中で、こちらを薄く開いた目で見つめていた。その姿は微笑にも関わらず緑の悪魔を実感させる。この回答がまるで己の生死を分けてすらいるように感じるシンボリルドルフを超えるプレッシャー。逃げ場がない!
笑うという行為は本来攻撃的なものであり獣が牙をむく行為が原点である。押し出されるように考える暇もなく、俺は思わず口に出していた。
「何の意味もないんじゃないですかね?」
言ってしまった。終わりだ。必死で言い訳を探す。だが、逃さないとばかりにシンボリルドルフの眼光が射貫く。気のせいかバチバチと雷鳴すら轟いているように見えた。皇帝の神威を見よばかりに俺の頭の回転を奪っていく。
「つまり?」
「えーっとその、つまり、つまりですね。唯一抜きん出て並ぶ者なしこれはレースで一着をとった圧倒的な強さのエクリプスが、次のレースでも勝つことを予想した言葉ですよね。あまりに強すぎたから文字通り並ぶ者なしと言われたわけです」
ノリだしてしまった口は自分でも止められなかった。射貫くようなプレッシャーがそうさせなかった。
「シンボリルドルフ。たった三度の敗北を語りたくなるウマ娘。七冠の栄光は見事です。未だ並ぶ者はいないでしょう。ですが……ですが、いずれシンボリルドルフに並ぶ、あるいは超えるウマ娘が必ず現れます」
アーモンドアイ、キタサンブラック、ディープインパクト、テイエムオペラオー、前世の記憶が朧げな俺でさえ名前を挙げることができる面々。キタサンブラックやテイエムオペラオーはウマ娘の世界に存在することを俺は知っている。
「だからこの言葉には何の意味もないんです。たとえ、今唯一抜きん出て並ぶ者がいないとしてもいつかは並ばれることになる。だからえっと……そのぉ」
「いや、もう良い。ありがとう」
プレッシャーがきれて、俺はようやく背もたれに背中を預けることができた。シャツはびちゃびちゃで、正直漏らしていないか心配だ。今もばくばくと心臓が激しく動いている。ウマ娘と人間の生物的な差を改めて実感した。結論もなく言いたいことを言うだけになってしまった。意識が今にも白みそうだ。
「歓迎しよう。トレーナー、ようこそ中央トレセン学園へ」
「あ……ありがとう……ございます」
なんとか差し出されたシンボリルドルフの手と握手する。手汗でべたべたな気がするが、いやそうな顔一つしないのは流石というべきか。申し訳ないというべきか。どうにか面接を乗り越えることができたらしい。中央トレセン学園のトレーナーが定員割れする原因はこの圧迫面接に半ばあると俺は確信した。
「君の、君が担当するウマ娘の挑戦を待っているよ」
面接は最後にそう締めくくられた。
俺が育てたウマ娘がシンボリルドルフを超えるって勘違いされてない?
トレーナーが去り、一時的な静けさが理事長室を覆った。それから口火を開いたのは秋川やよい理事長だった。トレーナーがいたときには見せなかった、怒った様子でシンボリルドルフと駿川たづなを叱りつけた。
「激怒ッ!やりすぎである!」
「も、申し訳ありません。つい」「ふふっ私が悪いのだ。興が乗ってしまった」
「とはいえ、興味深いのは確かである!あれが例のトレーナーか!」
話しかけられたエアシャカールは目を細めて頷いた。
世紀の天才か、はたまたバカか、判断に苦しむ手のかかる異端児。それがトレーナーだった。この伝説的な御三方によって見極めてもらうために態々場を用意してもらった。自分が講師として見てきたものを語ろうとしてやめた。すでにエアシャカールは三人の様子で確信していた。
「ありゃ天才でもバカでもねえ。頭がイカレちまってるんだ」
ウマ娘は人間の三倍のパワーをもち、毒に強い耐性をもち、体は頑丈で生物的には完全に上位に位置する。そこから放たれるプレッシャーは蛇に睨まれた蛙よろしく慣れていない人間であれば動けなくなる。多少慣れた人間でもシンボリルドルフから放たれた本気のプレッシャー……それもオーラが立ち上るほどとなれば失神するのも当然である。
だがトレーナーは耐え、むしろ挑発した。そこには生物的本能に植え付けられた危機感、死への恐怖というものが欠けているように見えた。
「私は結構気に入りましたよ。最近の子は少しぬるま湯につかり過ぎていますから。むしろ手助けしたくなりました」
流石というべきか駿川たづなは微笑んだ。あまりトレーナーに駿川たづなという立場ある者が深入りするのはよくないことだが、不思議とそれを咎める者はこの場にはいなかった。一般にはおかしなことで、彼女たちには必然なことがあった。
成し遂げるものは螺子が外れていなければならない
「過激ッ!しばらく様子を見ようと思う!」
「私も気にしておこう。トレセン学園に新しい風が吹く……オグリキャップを思い出す」
三者三様の反応を見せて話し合いは終わった。
スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダー……黄金世代は終わった。
だが、新しい時代が、伝説がやってくる。