黄金郷への橋   作:そういう日もある

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友情その2

結局、あの後トレーナーと会ってもブリッジコンプは何も話すことはできなかった。ブリッジコンプの様子にトレーナーは気づいているようだったが、踏み込むことはしなかった。それがもどかしくて、口にしてしまいたくて、しかしこういう時に限ってブリッジコンプは一歩踏み出すことが出来ない。

 

簡単なこと、セイウンスカイ先輩をスカウトするつもりですか?それだけ聞けば良い。出来れば否定してほしい。なぜ否定してほしいのかはブリッジコンプ自身にも解らなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。けれどトレーナーとセイウンスカイ先輩は一向に契約を結ぶ様子もなく、ブリッジコンプも甘えてしまっている。

 

現実では今もトレーニングをセイウンスカイ先輩が見ていて、最悪なことにブリッジコンプ自身が心に反してめきめきと成長しているのを感じた。タイムも縮み続け、ようやく折り合いがついた走法は昔よりも強く踏み込むことが出来るようになった。脚の筋肉も心なしか増えているように見える。

 

落ち続ける心。上り続ける体。

 

「ブリッジ、今のタイムは良かった。そろそろスタート練習をしても良い頃かもな」

 

芝の上に落ちていく汗の水滴を見つめる。蹄鉄のついた靴は母親に買ってもらったもの、小さく油性ペンで頑張れと書かれた文字が使い込んだことで掠れ始めていた。額の汗を掌で拭って、見上げるといつもの柔らかな笑顔でトレーナーがペットボトルを差し出してくる。受け取って潰しながら飲み干す。

 

「ありがとうございます。もう一本良いですか?」

 

「ああ、一本だけだぞ」

 

息を大きく吸い込んで、深く吐き出した。それを二三度繰り返せば、ざわつく心も体も落ち着いていく。既に内ラチ側は荒れていて、走るのは少し外に膨らんだ方が良いだろう。一歩、二歩、三歩と踏み出してブリッジコンプは駆け足から徐々に加速した。

 

走っている間は自由だ。

 

照らしてくれる太陽も、吹き抜ける風も、さわさわと揺れる草も。ブリッジコンプを肯定してくれる。皮肉なことに、ブリッジコンプは最近漸く走ることが好きになり始めた。現実逃避の為に走っているマイナスの感情の筈なのに。成程、ウマ娘とは走るために生まれてきたのだ。

 

誰かと一緒に走ると必ず一番とそれ以外が生まれることはまだ嫌だったけれど。今はそれですら忌避感が薄れてきた。

 

1ハロンずつが描かれた幟を20歩で追い抜く。踏み込みは強く、ひねらない程度に。腕はピンと指を立てて、横ではなく背後に流れるように。息は長く素早くタイミングが崩れないように。全力ではないけれど、フォームが綺麗になるように本気で。

 

「トレーナー、酷いよ」

 

トレーナーと1.5ハロン離れて、漸くブリッジコンプはぽつりと声を漏らした。本当に酷い人だ。ブリッジコンプの心の澱みに気づきながら良しとしている。ブリッジコンプに、いや、ウマ娘に必要なのは自分で作り出した走るための理由なのだろう。ただそれだけで、プラスもマイナスも違いはない。ブリッジコンプは両親の為に走りたかった。でも今は自分が現実から逃げる為に走っている。

 

そして速くなった。

 

ブリッジコンプの眼はとても良い。だから徐々にトレーナーの中にある冷たいものに気づき始めていた。ウマ娘の前では絶対に見せないから、ブリッジコンプだけが気付けたのだろう。気づいてしまったのだろう。

こうすればこれだけ速くなる、こうすればこれだけスタミナがつく。ブリッジコンプにGⅠで勝てると言ったように、希望や期待ではなく、トレーナーの中では当たり前の法則に従って考えているようだ。だから今のブリッジコンプの状態を構わないと思っているのではないかと、勘ぐってしまう。

 

流石にそうではないと思いたい。ブリッジコンプがもしウマ娘でないのなら、トレーナーがトレーナーでないのなら気づいた時点で関わりたくないと思ったかもしれない。けれど、ブリッジコンプはトレーナーと離れるわけにはいかなかった。

 

普通のトレーナーでは駄目なのだ。勝たせてくれるトレーナーと組まなければ、きっとこの三年間を後悔してしまう。こうして悩むこともなく、走ることが好きだと気づかなければ、才能を感じられないトレーナーに拾ってもらって、GⅢを漸く一勝して、良い思い出だったと笑うようになってしまう。両親のようになってしまう。そしてブリッジコンプ自身、そういうトレーナーに冷たい部分があると知りながら、目をそらして心地良い部分だけを見てしまう。まさに悪魔との契約だった。

 

後ろからぐんぐんと近づいてくるプレッシャーを感じる。それから芝を蹄鉄で踏み込む音が聞こえてきた。

 

「おやッ!ブリッジさん、浮かない顔ですね!」

 

もうあのきつい坂路ダッシュを終えたのか。汗水を頬から滴り落としながら、相変わらず爽やかな笑顔でサクラバクシンオーが追いついてきた。バテてから回復するまでの速度が異常だ。サクラバクシンオーはトレーナーと契約してから常に絶好調だ。トレーナーはトレーニングに関して担当間での差別をしない為、内容は違うとはいえトレーニング量自体はブリッジコンプと変わらない。

 

しかし、才能故に既にブリッジコンプはサクラバクシンオーから実力が離され始めている。同じレースに出場することは多分ないから、それだけは少しだけ気楽だった。サクラバクシンオーは此方と並ぶとペースを緩めて並走し始めた。

 

「そんな顔をして見えるかな?」

 

「はいっ!ですが、むむむ、後ろから見た時は気分が良さそうに見えたのですが」

 

実際、走るのが好きになってきたのだから当たっている。ただ折り合いが付けられないだけだ。

 

「ちょっと、考えちゃって。トレーナーのこととか」

 

「なるほど!どうやらこの優等生の私には相談し難い内容のようですね!ですがご安心を、学級委員長はアドバイスも一流ですからッ!是非、同級生の友人と相談することをお勧めします!」

 

同級生と。残念ながらブリッジコンプには親しい友人が殆どいない。同じクラスではワイスマネージャーだけだ。

 

「迷惑に思われないかな?」

 

「迷惑ですね!」

 

はっきり言う。いやサクラバクシンオーが迂遠な物言いをした記憶は一度もない。抗議の眼を向けても、サクラバクシンオーはにこりと笑った。どこまでも底抜けに明るい、漸く友人と呼んでも良いと思い始めた才能に溢れたウマ娘。瞳の中の桃の花びらが優しく此方を見ていた。

 

「ですが、迷惑をかけてこそ友人というものではないでしょうか!」

 

「それは、そうかも」

 

ワイスマネージャーと喧嘩した時のことを思い出す。大きく踏み込むのが怖かった、けれど今はああして一度喧嘩して良かったと思っている。あの時はワイスマネージャーが私に迷惑をかけたのだから、今度は私がかけても良いだろう。普段かなりお世話になっていることは目を瞑ってそう思った。

 

「ありがとう。バクシンオーさん」

 

「いえいえ!お役に立てたならなにより!なにせ優等生である私の実体験に基づいたアドバイスですから!あれは二年前のこと、図書委員を手伝っていた私ですが、同時に先生からアンケートの頼みごとをそして、母上からは映画観賞を誘われてしまい。流石の私でも手が回らなくなってしまいましたッ!バクシン的敗北に陥りそうになった時、同級生達が集い……」

 

走りながらよく息が続く。というか息を吸わずに延々と話しているが、やはりサクラバクシンオーは私と肉体構造がそもそも違うのではないかとすら思えてくる。ある程度まで聞いていたのだが、なんだか面倒臭くなってペースを上げた。

 

「ちょわッ!競争ですかっ?良いでしょう!」

 

良くない。

 

ぐんと加速するサクラバクシンオーにあわせて、更に強く踏み込む。追いつかれて、サクラバクシンオーの陰に潜り込んで離されない様にしがみつく。成程、トレーナーに言われた通り良い逃げと走れば、普通に走るより速度が出る。それでもゴールに着くころには二バ身だけ離されていた。これが今のブリッジコンプとサクラバクシンオーの差だ。絶対的な差だ。

 

大きく息を吐き出して、顔をあげる。

 

「……バクシンオーさん」

 

「はいッなんでしょう?ブリッジさん」

 

「今日から私、バクシンオーって呼ぶね。だから貴方もブリッジって呼んで」

 

「わかりました!ブリッジ!共に頑張りましょうッ!」

 

底抜けに明るいサクラバクシンオーの笑顔が花開いた。まだ心に黒いしこりが残っていたけれど、とりあえずブリッジコンプは一歩前進したのだった。

 

 

トレーニングを終えて、トレーナーの触診を受け、シャワーを浴びてから着替える。トレーニングはどんどん負荷が上がって自主練どころではない。ゾンビのようにふらふらと歩いて、寮に戻る。部屋の中からはわずかに音が漏れ出していて、ワイスマネージャーが既に帰っていることを示した。いつものように鍵を開ける。

 

「ただいま、ワイス」

 

「おかえり。ブリッジ」

 

ワイスマネージャーは小さなショートケーキをテーブルの上に二つ置いてにこにことした笑顔で此方を待っていた。微かな香水の匂い、耳につけられたシュシュにリボンが巻き付かれいつもより凝っている。あれは確か耳飾りにワンポイントとウマ娘用雑誌に載っていたやつだ。

 

「どうしたの?」

 

「ブリッジ、聞いて聞いて」

 

「うん」

 

話したくてうずうずした様子のワイスマネージャーの対面に座る。今日はブリッジコンプの誕生日でも、勿論ワイスマネージャーの誕生日でもない。二人が友達になった記念はこの前やったから、きっと別のことだけれど……いやもしかして。

 

「スカウトされた?」

 

ぱっとワイスマネージャーの顔に深い歓びが広がった。

 

「そう!そうなんだよ!流石ブリッジ、大親友。そろそろ逆スカウトしないと不味いかなって思ってたんだけどね。東条トレーナーの選抜レースの後に話しかけてもらって。男の人なんだけどもう、八年トレーナー業をやっててGⅠに勝ったウマ娘も担当していたみたいで」

 

うんうんと興奮冷めやらぬワイスマネージャーの話を聞いていく。私も自分のことのように嬉しかった。喧嘩して仲直りしたとはいえ、現実は変わらなくて、少し負い目を感じていた。でもこの様子なら問題ないし良いトレーナーを見つけたみたいだ。少しからかいたくなった。

 

「えー?ということは東条トレーナーのスカウト落ちたんだ?」

 

「ふふんっ!結局選抜レースをしたのに誰も取らなかったんだよ!例年なら必ず一人は合格者が出てるのに!」

 

どうやら今年は東条トレーナーのお眼鏡にかなうウマ娘はいなかったようだ。あのチームはマイル以上を主戦場としているし、ニシノフラワーは既に別のトレーナーにスカウトされている。中距離となればトウカイテイオーが群を抜いて強い。トウカイテイオーに対抗できそうな未スカウトの子を東条トレーナーは発見出来なかったらしい。メジロマックイーン先輩もクラシック路線に入るし、今年はチームスピカの時代かもしれない。

 

「なるほどね。トレーニングは何時からなの?」

 

「明日からだよ。やっぱりきついかなぁ」

 

「サクラバクシンオーは4.8トンのタイヤ牽きを五十周してたね」

 

うへぇと口にするワイスマネージャーを見ながら、立ち上がってブリッジコンプは小さな箱を取り出した。中には両親から送られてきたものが入っていて、その一つに高級なダージリンティーの茶葉を乾燥剤と共に袋詰めしてある。自分がトレーナーにスカウトされた時に飲もうと思っていたのだが、逆スカウトしたのですっかり忘れていた。折角なのでキザな寮長の声真似をする。

 

「じゃあこの私が手づから高級な紅茶を淹れてあげましょう。ポニーちゃん」

 

「えぇー、ブリッジ手先不器用だから私が淹れるよ」

 

きわめて正論で返されてしまった。仕方なく座ってワイスマネージャーが紅茶を淹れるのを待つ。

 

「折角ワイスの門出を祝ってあげようと思ったのに」

 

「そういうことブリッジには似合わないよ」

 

「嘘。私祝い事好きだもの」

 

「それこそ嘘。教室でいーつもきつい目つきで正直初めて見た時何考えてるんだか解らなかったよ」

 

別に好きできつい目つきだったわけではない。ただ目付きが父親から受け継いで悪かっただけだ。祝い事は好きなのだが目付きのせいでいまだに殆ど話しかけられることがない。誕生日会の招待も来たことがない。連続でワイスマネージャーと同じクラスになったのは本当に助かった。ワイスマネージャーは顔が広いし、ぎりぎりなんとかやれている状態だ。来年になってクラスが離れたら私は孤独死してしまうに違いない。

 

「ワイス、来年も同じクラスでいようね」

 

「何言ってるの。そろそろブリッジちゃんも独り立ちの時期ですよ、っと。はい」

 

湯気からいい香りのする紅茶が置かれて、二人で向かい合う。それからせーので頂きますをしてからケーキにフォークをつけた。そういえばこのケーキはカフェテリアから持ってきたものだろうか?持ち帰りOKとはどこにも書いてなかった気がする。

 

「ああ、おばちゃんとちょっと仲良くなってね。友達の為に持ち帰りたいって言ったら包んでくれたの」

 

流石顔が広いだけのことはある。私には到底できない真似だ。

 

「それにしてもトレーニングかぁ。ブリッジと合同とかしたいなぁ」

 

口に運んだフォークを噛んで動揺しそうになったのを誤魔化す。幸いワイスマネージャーは紅茶の湯気で曇った眼鏡を拭いていて、此方の様子には気づいていなかった。沖野トレーナーから、私のトレーナーの悪評が広まっているという話は聞いている。だからきっと断られるだろうし、そのことでワイスマネージャーが担当トレーナーと拗れるのは嫌だ。

 

「うちのトレーナーがそういうのはチームリギルとだけするんだって」

 

「残念。それにしてもあの最強チームのリギルかぁ!私もマルゼン先輩とかと走ってみたいなぁ」

 

歓びから幸いなことに、ワイスマネージャーは違和感に気づかなかったようだ。そういえばトレーナーとセイウンスカイ先輩の関係について、ワイスマネージャーと相談しようとしていたことを思い出す。ただ、ワイスマネージャーの様子を見れば無粋だろう。目つきは悪くても空気は読めるのだ。

 

今はこの親友との大切な時間を楽しむのが一番だと判断して、紅茶を一口啜った。

 

「美味しい」




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