黄金郷への橋   作:そういう日もある

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桜驀進王

六月。梅雨に入ったものの、この日は雲の間隙を縫うようにして快晴だった。草葉の陰から飛び出して来た虫たちを小鳥が襲う。千葉県中山レース場。まだ午前かつ第一レースの為、満員とはとても言い難い。しかし他のメイクデビュー戦に比べて関東地方ということもあって、二、三百人近く多い七百人の観客がいた。

 

だがそれだけではない。彼らの一部はとある一人のウマ娘を見にやってきたのだ。

 

サクラバクシンオー

 

デビュー前でありながら、この名を知らないトゥインクルシリーズ関係者はモグリだ。名家サクラ家が生み出した新世代のウマ娘。トゥインクルシリーズは、ウマ娘のレースは血統主義がついてまわる。故にサクラ家と聞けば中距離以上を走る、そう思った者も当初は多かっただろう。だが、彼女はスプリンターだった。

 

そして血統など関係ないとばかりに神が与えたもうた天性の肉体を持っていた。トレセン学園が主催する模擬レースや一部トレーニングの映像は広報活動の一環で一般公開されている。故にこのメイクデビュー時期になるとトゥインクルシリーズのコアなファンはチェックし、そして直ぐに気づいた。かのシンボリルドルフからも目をかけられ、二次性徴前からチームスピカに入っているトウカイテイオーが中距離の王ならば。

 

サクラバクシンオーは短距離界の王だ。

 

サクラ家が距離適性という限界を打破し、とってこなかった短距離やマイルのGⅠ勝利ウマ娘の名にサクラの三文字を加える為とすら憶測で言う者もいた。異常なことに観客700人の大よそ50人ほどがトゥインクルシリーズの関係者である。サクラバクシンオーと同世代の短距離適性を持つウマ娘と共に、これからの進退を見極めに来たトレーナーすらいた。

 

サクラバクシンオー、唯一の懸念材料は悪評のある新人トレーナーが担当しているということだ。

 

果たしてどうか。

 

パドックにてお披露目の為、ウマ娘達が姿を現していく。

 

「さて一番人気はこのウマ娘。5枠10番!サクラバクシンオー!」

 

ごくりと自然と唾をのむ声が観客席からはいくつも聞こえてきた。トレセン学園に通うウマ娘ならサクラバクシンオーの姿を大抵は見たことがある。廊下をダッシュしているし、よく生徒会に捕まっている。同級生であれば頼れる学級委員長だと言うだろう。

 

ばっとジャージが脱ぎ捨てられる。

 

だが今日のサクラバクシンオーは違った。どよめきが起こった。いつもの快活すぎる笑顔は消えて、落ち着いた笑顔を浮かべている。同時に空気をびりびりと痺れさせるようなプレッシャーを放っていた。あの体操着から覗いた脚、無駄な筋肉など一つもなく細さを保ちながらもしっかりと張っている。

 

「あの子良いんじゃないか」「もう駄目だぁおしまいだぁ」「ちょっ!トレーナー」「サクラバクシンオー先輩頑張ってー!」「見ろよあの背筋、体幹も凄い」「サクラバクシンオー!」「トレーナーの事前評本当に正しいのか?」

 

様様な声の中にしっかり応援する声も混じっている。どうやら学級委員長として奔走する間に助けたデビュー前の後輩や同級生が応援に駆けつけてくれたらしい。サクラバクシンオーは勢いよくぶんぶんと手を振った。

 

「見事に仕上がっていますね。これは好走が期待できそうです」

 

サクラバクシンオーは専用通路に帰っていった。その後も16番までのウマ娘達が紹介されていくがサクラバクシンオー程のウマ娘は見受けられなかった。

 

パドックから専用通路でレース場へと向かう途中。他のトレーナー同様にトレーナーとブリッジコンプ、それからセイウンスカイがサクラバクシンオーを待ち受けていた。サクラバクシンオーは嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振った。

 

「気分はどうだ?」

 

「いよいよ……なのですね」

 

トレーナーに会って、パドックでは抑え込んでいた感情が爆発するのを感じた。トレーナーとブリッジコンプが慌てて自分の耳を塞ぐ。セイウンスカイはぼーっとしていた為、爆音に直撃して悶え苦しんだ。

 

「いよいよ!私のッッッ!偉大なるチャレンジがッッッ!始まるのですねッッッ!」

 

「……調子良さそうだな」

 

「はいっ!絶好調ですッッッッ!」

 

「ば、バクシンオー。他の子にも迷惑だから」

 

絶好調です!絶好調です!大きく反響する声に慌てて、ブリッジコンプがサクラバクシンオーの口に手を当てて抑える。驚いた他のウマ娘達がサクラバクシンオーを見て納得して通り過ぎていく。当の本人がこくこくと頷いたので一つため息を吐きだしてブリッジコンプは手を離した。それから遠慮がちに、しかししっかりとした目で見上げる。

 

「頑張って。あ、静かにね」

 

「こそこそ、解りましたッ!優等生の私にお任せあれ!」

 

小声で、しかし良く通る声で頷く。友達の信頼に応えなくしてなにが学級委員長か、なにが優等生か。本当に良い同期を持ったと思う。願うことなら、一緒のレースにも出たいとサクラバクシンオーは思った。実際にそう告げればブリッジコンプは凄い勢いで首を横に振っただろう。

 

耳を手で抑えて悶えていたセイウンスカイが漸く立ち上がった。

 

「バクシンオーちゃん。楽しんでおいで♪」

 

「勿論ですッ!セイさんからの教えをしっかり活かして魅せますとも!」

 

セイウンスカイは満足そうに一歩下がって、代わりにトレーナーが前に出た。

 

「バクシンオー。見たところお前と競り合える逃げウマ娘はいない。だからお前の好きに走っていい。勝て、油断はするな」

 

「はいッ!!!」

 

トレーナーの差し出した手をしっかりと握る。ウマ娘の怪力であれば簡単に捻りつぶしてしまう手が、今日はいつも以上に頼もしく思えた。その場でジャージを預けて、トレーナー達と別れサクラバクシンオーはいよいよレース場に入場した。

 

「芝の状態は良と判定が出ておりますが、やはり連日の雨もあって状態が最高とは言い難いでしょう。滑らない様に注意して欲しいです」

 

「そうですね。いよいよメイクデビュー。未勝利戦があるとはいえ、此処で勝ち切るウマ娘はその分トレーニングに費やすことが出来ますからね。URAからの評価も変わってきます。とはいえ、どのウマ娘も初めてのレースで焦らない様に、しっかりと自分のレースが出来れば良いですね」

 

「注目のウマ娘は誰でしょうか?」

 

「やはりサクラバクシンオーです。パドックの様子からしても群を抜いています。しかし、二番人気のキタサンヤマト、四番人気のマイネルトゥルースも調子が良いように見えました。短距離ですし誰がペースを握るのかによってはまだまだ結果は解りませんよ」

 

「有難うございます」

 

水を浴びた青臭い芝生の香り、サクラローレルとの二人だけのトレーニングを思い出す好きな匂いだ。サクラバクシンオーは大きく息を吸って、吐き出した。いよいよメイクデビュー、始まりの一戦だというのにまったく緊張がなかった。逆にサクラバクシンオーに他のウマ娘達は気圧されていた。

 

地方より水準の高い中央とはいえメイクデビューや未勝利戦に出るウマ娘はまだ玉石混合。そして大半のウマ娘はデビューできずに終わる。そうした中で、サクラバクシンオーと同じレースになったこと自体が不運だ。

 

同じレースに親しい友人がいなくてよかったとサクラバクシンオーは思った。親しい友人と競い合うのは楽しいが、それでも負けて泣いているところをみれば申し訳なく感じることになったかもしれない。トレーナーが勝てと言ったのだ。端から負けるという考え自体サクラバクシンオーにはなかった。

 

「各ウマ娘達がゲートに入っていきます……おおっと、ブランドセーヌが入るのを躊躇っています」

 

「まだメイクデビューですからね。ゲート入りが難しい子もいるでしょう」

 

そう解説は話すが、ウマ娘達は誰も言わずとも解っていた。サクラバクシンオーの隣にゲート入りするというだけのことで、既にプレッシャーに圧されかけているのだ。サクラバクシンオーはそのことを気にした様子もなく自然体である。

 

セイウンスカイからメイクデビューからGⅠまですべてのレースの感想などは聞かされていたしゲート入りはブリッジコンプと何度も練習をした。トレーニング環境に恵まれていたのである。確かにうずうずとしたちょっと落ち着きのない気持ちになるものの、それはどちらかというとレース自体への楽しみからだった。

 

黄色のカチューシャを手で抑えてしっかりと位置調整する。

 

「さて各ウマ娘ゲートに収まりました。今スタートです!」

 

バンッ!

 

真っ先に飛び出したサクラバクシンオー。実家にレース場があるためスタートのトレーニング量も他のウマ娘とは桁違いだ。1ハロンも経たずに直ぐに内ラチ側に入り込み先頭をキープする。後ろの蹄鉄の音を完全に意識から除外して自分だけのペースを作る。

 

「先頭争い。まず中をついてぐんぐん出てまいりまして、ハナを奪ったのは5枠10番サクラバクシンオーです。これを追いまして1枠1番のカオリローマン……」

 

「サクラバクシンオーがペースを掴みましたね。ここから後列はどう仕掛けるのか、おおっとこれは?」

 

サクラバクシンオーは難しいことがわからない。だから駄目で元々で、トレーナーは難しいと言ったペース逃げを感覚で掴めるように少しだけトレーニングを施しては見た。たった一月で何れミホノブルボンというウマ娘が完成を見せる走法に勿論至れるわけではない。サクラバクシンオーには正確な体内時計などない。

そういう走法もあると教える為今後の為になると少しだけトレーニングもさせたが、トレーナーは好きに走って良いと言い続けた。実際サクラバクシンオーが好きなバクシン的逃げ……大逃げでも十分勝てるだけの育成は終わっていた。

 

だからサクラバクシンオーは当然ペース逃げを選択した。運命の人であるトレーナーが言ったのだから行うのは必然である。他のウマ娘を気にせず1ハロン2ハロンと多分正解だと思い込んでいる時計通りに走り抜けていく。実際は2、3秒以上の差が開いているとしても、別にこのレースでは全く問題にならなかった。

 

「むっ?」

 

後ろから一つしか蹄鉄が芝を抉る音が聞こえてこない。ただ自分の足音だけが聞こえる。後ろを振り返ると、サクラバクシンオーは最初走るコースを間違えたのかと思った。なにせ同じ逃げを選択したキタサンヤマトを除いて既に6バ身以上の差がつき始めている。キタサンヤマトですら3バ身差だ。大逃げでないというのに、圧倒している。

 

けれど今更止まるわけにはいかない。そのまま前を向きなおして、決められたと思い込んでいるペースを続行する。

 

「レースは縦長の展開、サクラバクシンオーと先頭集団がもう6バ身7バ身と離されています!かかってしまっているのでしょうか?」

 

「見てください。息が全く上がっていません。このままのペースで走りきりそうですね。後ろの子達は間に合うのか心配です」

 

キタサンヤマトが必死の形相で追いすがる。2番人気だった、それだけ期待されていた。サクラバクシンオーの背中をただ一点だけ見つめて走る。サクラバクシンオーではなく間違いなく自分がかかっている。予想していたペースより遥かに脚を使って走っているとキタサンヤマトは自覚していた。だが追いつけない。影を踏ませてすら貰えない。

 

サクラバクシンオーはトレーナーの元でトレーニングをこなしている時、セイウンスカイとぎりぎり良い勝負をして勝ったり負けたりしたし、ブリッジコンプも食い下がってきた。だから自身を本来より過小評価していた。

 

しかしだ。例え距離適性がないとしても、不調だとしても、GⅠに勝利するようなシニア級ウマ娘と、デビュー前のウマ娘の差は本来かけ離れている。だからセイウンスカイと良い競り合いをして勝った時点で、同世代の過酷なトレーニングをこなしたブリッジコンプ相手に全勝出来るだけで、こうなるのは当然だった。

 

「バクシーンッッッッ!!」

 

最後のコーナー。サクラバクシンオーは予定通りに、そして他のウマ娘達には絶望を知らせるように、咆哮しながら加速した。後ろのウマ娘達は大逃げだとばかり思っていた。いずれ垂れてきて、この差をなんとか埋めることが出来るかもしれないと僅かな希望を持っていた。

 

全てを粉砕する。行け!バクシンオー!、そう叫ぶトレーナーの声が確かに聞こえた。

 

芝を抉りこむような踏み込み、熟練した動きを魅せる華麗なコーナー。ずるずるとキタサンヤマトとの距離が、4バ身、5バ身と離れていく。追いつけないと理解してしまって、そしてスタミナを使い切ってキタサンヤマトは後はもう垂れていくことしか出来なかった。

 

本人は大逃げのつもりがないというのに、ハイペースに引きずり込まれて後列はガタガタに崩れていた。自分のペースで走れていたならば流石にこれほどの着差は発生しなかっただろう。しかし現実はサクラバクシンオーに追いすがるだけの脚も殆ど残っていない。

 

「キタサンヤマトはもういっぱいいっぱいか。先頭100mの地点で完全に抜け出しているサクラバクシンオー、これはセーフティーリード!」

 

下を一度も向かず、真っすぐ前を向いたサクラバクシンオーの頭がゴールを捉えた。

 

一着、サクラバクシンオー、8バ身差の圧勝。

 

「圧巻の走りを見せました!サクラバクシンオー、見事と言う他ありません!」

 

「二着のマイネルトゥルースも最後諦めずによく延びました。次走に期待できるでしょう」

 

全力疾走から少しずつ緩めて、駆け足になり、最後は歩き始める。勝った、勝ったのだ。その実感が改めて湧き上がって、サクラバクシンオーは思わずくるりとその場で回った。そして観客席に戻ったトレーナー達に決めポーズを向ける。

 

「バクシン的!勝利ッッッ!ハーッハハッハハッ!!」

 

歓声が沸き起こった。手を振るトレーナー達にぶんぶんと手を振り返す。

 

勝利パフォーマンスを終えて専用通路に戻り、ウィニングライブへ誘導する立て看板に従って分岐する。ウィニングライブに出れるのは一着から三着までだ。トレーナーは珍しく抜けていて一週間前まで完全にライブのことを忘れていた。慌てたのは良い思い出である。

 

サクラバクシンオーは誰よりも運命の人、トレーナーに自分のライブを見せたい。トレーナーになって初めて担当したウマ娘のライブだ。凄く嬉しいに違いない。もしかしてあのトレーナーが喜びで泣いてしまうかもなんて考えて、気分に合わせて拳を突き上げた。

 

「よーしッ!これからもバクシンしていきますよーッ!!」




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