黄金郷への橋   作:そういう日もある

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マリーゴールド

サクラバクシンオーの圧勝から一週間。窓から光が差し込み、上りゆく朝日にブリッジコンプはぱちりと目を覚ました。目覚まし時計を見れば予定の時間より30分ほど早い。けれど流石にもう二度寝する気になれなくて、目覚まし時計を止めた。上半身を起き上がらせて大きく伸びを一つ。

 

部屋の中で、夜中点けっぱなしにしていた加湿器が赤いランプを灯して、水がもう残っていないことを主張していた。持ち込んだ枕のお陰で寝違えてはいないだろうけれど、慣れないベッドに固まった首をぐるりと一周だけ回す。ベッドに腰掛けながら、手を伸ばして窓を開けた。

 

爽やかな、とは言い難いまだ寒い空気が部屋の中に流れ込んでくる。窓の外には一面牧草地が広がっていて、呑気に牛たちが朝日を浴びてモゥと鳴いた。遠目に見ればウマ娘達が既にジョギングしている。ここは北海道、札幌トレセン学園の寮である。

 

洗面台で冷たい水で顔を洗い、持ち込んだ化粧水に加えて保湿用クリームを肌に塗っていく。関東地方と違って北海道には梅雨がない。乾燥した空気は肌にぴりぴりとしてブリッジコンプはあまり好きではなかった。ごしごしと歯ブラシで入念に歯を磨いて、鏡に自分の顔を映した。

 

うん、クマもないし、肌荒れもない。歯も白い。つまり好調ということだ。

 

レース場に行くまではまだ制服でも良かったけれど、体操服に着替えてジャージを上から着る。中央トレセン学園の制服はこのトレセン学園ではあまり良い目で見られていないことをこの二日間でブリッジコンプは理解していた。無駄に敵意を買って良いことなんてない。

 

多分、嫉妬とか、そういう感情なのだろう。中央に入るには地方からでは高い壁があって、良く挫折すると聞く。

 

確かに地方にも東海ダービーといった有名なレースは存在する。しかし、実際ブリッジコンプから見た限りではこの札幌トレセン学園に中央のGⅠをとるような才能を持ったウマ娘は見受けられなかった。黄金の瞳は平等にウマ娘を見抜くのだ。

 

勿論鏡に映る自分でさえも

 

誰も居ない廊下を抜けてカフェテリアに行く。ちらほらとウマ娘の姿を見かけて、直ぐにブリッジコンプはトレーナーの姿を見つけた。朝食の新聞紙と珈琲を片手にまた、ウマ娘数人に囲まれている。それに変わりなく楽しそうで、トレーナーは中央でも地方でも相変わらずのようだった。

 

近づいていく私の気配に気づいて、遠慮がちに地方のウマ娘達はトレーナーから離れていった。私ってそんなに威圧感出しているだろうか?やっぱりこの目つきのせいかな。トレーナーが地方のウマ娘を、それも才能のない子を担当するなんてことないんだし。別にどうとも思っていないのだけれど。

 

「おはよう、ブリッジ。昨日はよく眠れた?」

 

「はい。一応処方して貰った睡眠薬は飲みましたし、ぐっすり」

 

それは良かったと頷いて、トレーナーは新聞に視線を落とした。月刊トゥインクル増刊号。少し気になって覗くと春の天皇賞、テイエムオペラオー勝利の秘密に迫るとの文字が一面に飾っている。当然まだメイクデビューについては載っていない。特に気になる記事ではなかったので、ブリッジコンプはカフェテリアでホットココアとハンバーグサンドを注文した。北海道の牛肉はとても美味しいのだ。

 

ほかほかと湯気をたてるプレートをもってトレーナーの元に戻る。

 

「そういえばバクシンオーはどこにいます?」

 

「ああ、ここの子達と打ち解けたみたいで朝の練習に付き合ってる。バクシンオーが勝手にやってることだし俺は別に何もしていないんだけど、あっちのトレーナーからも感謝された」

 

うーむ、ブリッジコンプと違ってサクラバクシンオーは随分と受け入れられているらしい。元から嫌われるような性格でもないし、地方の子達からしてみれば、それもデビューを目前にした子達からしてみればあまりに実力が乖離し過ぎていて嫉妬も湧かないのかもしれない。中央の情報を仕入れている者であれば既にサクラバクシンオーがメイクデビューで快勝したことも知っているだろう。

 

ちなみに流石にセイウンスカイ先輩は札幌まで着いてくることはなかった。

 

「直ぐに戻ってくると思う。それで、ブリッジ。今日だ」

 

こくりと頷く。そう、今日が本番、ブリッジコンプのメイクデビューである。トレーナーがどういうコネを使ったのか此処札幌トレセン学園で二日間の慣らしを終えていよいよ挑むことになる。他のウマ娘は前日に現地入りして、ホテルなどに泊まって翌日本番ということも多いらしいので明らかなアドバンテージだった。

 

トレーナーは私の眼を見ても逸らさない。むしろじっと見つめる。

 

「今日一番の相手はやはりニシノフラワーだろう。パドックを見るまで解らないが、総合力ではブリッジの方が勝っている。ただ一点を除いては」

 

結局ブリッジコンプはオーラの爆発……領域を習得することも、対策することも出来なかった。トレーナーが言うからには肉体的にはニシノフラワーより勝っているらしい。ただ、魂の資質では、才能の底では明確に負けている。

 

「この二か月の間やれるだけのことはやった。よくハードなトレーニングに着いてきてくれた。ただ懸念は幾つもある。スタートの問題も解決していないし、慣らしたとはいえこの気候はブリッジには合っていない」

 

「チームスピカのトレーナーは、スペシャルウィークをスカウトしてたった一週間でメイクデビューに出して勝利させた。俺もブリッジもそんな化け物みたいな才能はない」

 

嘘だ。トレーナーにはきっととてつもない才能が有って、ブリッジコンプがあまりにも無いだけだ。けれどそんなことは解りきっているから、今さらブリッジコンプも口にすることはなかった。ただ黄金の瞳でトレーナーから立ち上るオーラを見ているだけだ。

 

「世の中の人々はGⅠ、精々重賞くらいまでしかこの新聞の様に興味がない。しかし多くのウマ娘達が本来デビューすることなく夢破れている。割合でいったらデビュー戦か未勝利戦で勝てるウマ娘なんて上澄みの上澄みだろうな」

 

「それでも。この二か月のお前の全てを出し切って、勝て」

 

何時からかトレーナーはブリッジコンプ達への口調から丁寧さや遠慮が抜けていた。君ではなくお前と呼ぶようにもなった。ブリッジコンプもサクラバクシンオーも気にならなかった。むしろそれは私達に併せて変えたのだと解って、ブリッジコンプは信頼の証と受け取った。強く言ってくれなければブリッジコンプは一歩を踏み出すことが出来ないのだ。

 

「わかりました」

 

負けない。負けたくない。ブリッジコンプは自然と強く拳を握りしめた。

 

「おやっ!お目覚めですか、ブリッジッ!」

 

サクラバクシンオーの声にはっとなって見つめ続けていたトレーナーとの視線を離す。辺りを見回せば堂々と胸を張るサクラバクシンオーと、此方をみてこそこそ話すウマ娘達がいた。曰く、「中央のトレーナーさんて皆ああなの?」「プロポーズみたい」「私なんか顔赤くなってきた」などなど。ブリッジコンプは急速に顔に熱が競りあがってくるのを感じた。

 

「あ、うぁ、ああーーー!!」

 

ブリッジコンプがその場を駆け足で逃げだしていく。サクラバクシンオーは喜んで勝負ですかッ!と後に続いて追いかけていった。良い感じに緊張もほぐれただろうと、トレーナーは手をつけられていないブリッジコンプが持ってきたハンバーグサンドに手を伸ばした。

 

 

メイクデビュー 六月 札幌レース場 芝右1200m 11:15発走

 

札幌市は都会だが、それでも東京と比べれば空気が良く感じる。ただ、走ってみなければ解らないがレース場の状態は東京のレース場よりは劣るように思えた。勿論それは日本のレース場という高水準の中の更に上澄みと比べればであり、地方レース場そして海外レース場に比べれば断然状態が良いのだがブリッジコンプには関係のない話だ。

 

今日の観客は四百人程度、多くは地元の住人である。サクラバクシンオーが誘ったのだろう、札幌トレセン学園のウマ娘も結構な数いた。ブリッジコンプは他のウマ娘に習って、ジャージを羽織ってパドックの待機列に並ぶ。

 

「三番人気はこのウマ娘。5枠5番ニシノフラワー!身長はなんと135cm、現在記録されている日本ジュニア級ウマ娘の最小は133cmですから、今世代においてはおそらく最も低身長ですね」

 

「彼女のSNSは私も拝見しています。仕上がりは良好ですね。ただやはりレースは歩幅の広さも強さに出ますから、その点で評価が落ちたのでしょう」

 

本当に見る目がない。濃い桃色のイヤーカバーをつけたウマ娘、パドックでもどこか落ち着きがなく心細そうに辺りをきょろきょろと見回していた。観客席からも頑張る子供を応援するような温かい歓声が上がっている。ブリッジコンプの黄金の瞳は咲き誇る花のような、超一流のオーラをニシノフラワーからは感じていた。まったく油断ならない、どころか本気で負けかねない相手だ。

 

ブリッジコンプの番が来たのでお立ち台に上っていく。肩に羽織ったジャージを勢いよく脱ぎ捨てた。ブリッジコンプの肉体は二か月前とは明らかに見違えていた。柔軟な体、絞った上半身、ハードなトレーニングをこなしたことで、トモの筋肉がしっかりと浮き上がって見えた。

 

「二番人気はこのウマ娘。6枠6番ブリッジコンプ。此方も低身長、145cmです。仕上がってきていますよ!」

 

「見事な仕上がりですね。期待できそうです。純粋な金毛ということもあって評価が落ちましたが、そうでなければ一番人気だったと思います」

 

自分が二番人気で、ニシノフラワーが三番人気なんて本当に見る目がない。この黄金の瞳に映る景色を見せてやりたかった。観客席の中にはトレーナーの姿はない。さっと会釈してブリッジコンプは踵を返した。

 

専用通路に移動すると案の定トレーナーとサクラバクシンオーが待っていた。

 

「ブリッジッッッ!頑張ってくださいねッ!」

 

先週注意したことも忘れたようで、相変わらずぐわんぐわんとサクラバクシンオーの声が専用通路に反響する。トレーナーもブリッジコンプも息ぴったりに耳を塞いでいた。ただ、お陰でブリッジコンプの中にあった緊張が解れていくのを感じた。

 

「間違いなくニシノフラワーがハナをとる。ただ本番でどうするかはブリッジ次第だ」

 

ブリッジコンプの瞳からはトレーナーと同意見だった。当然ニシノフラワーよりも才能のあるウマ娘はいなかったし、ブリッジコンプより才能が上でも仕上がりで勝っているウマ娘は居なかった。だから一騎打ちになるだろう。

 

トレーナーが差し出した手を両手で握る。ブリッジコンプを支えてくれた手だ。

 

「行ってきます」

 

「ああ、行ってこい」

 

ジャージを預けて、トレーナー達と別れブリッジコンプはいよいよレース場に入場した。

 

「芝の状態は良。天候も晴れです。初めて訪れる方の為に、札幌レース場の特徴の解説をお願いしても良いでしょうか?」

 

「はい。札幌レース場は内側にダートコースのあるレース場で芝の一周は大体1660m、高低差は0.7mと殆どありません。坂路の緩急がないため、駆け引きよりも最も速いウマ娘が勝つと言えるでしょう。メイクデビューまで鍛え上げた真価が発揮されます」

 

「有難うございます」

 

ジャージを脱いだら少し肌寒い。ブリッジコンプは入念にストレッチをしてから、その場で足踏みをして体温を上げていく。ブリッジコンプの黄金の瞳が直ぐに、観客席に戻ったサクラバクシンオーとトレーナーを見つける。やっぱりサクラバクシンオーの才能の桁は違くて、そしてニシノフラワーに視線を向ける。

 

うん、サクラバクシンオーよりは下だ。ならまだ勝機はある。

 

もしこうして直接見比べてサクラバクシンオーより上の才能を持っていたら、ブリッジコンプの気力は急速に萎えていっただろう。なにせ今まで全戦全敗。だがサクラバクシンオーと見比べるだけで、当然ブリッジコンプより上にも関わらず気力を奮い立たせる要因となった。

 

誘導されてゲートに入る。いよいよだ。青いシュシュに軽く触れる。隣はニシノフラワーと都合が良い。

 

「さて各ウマ娘ゲートに収まりました。態勢整いまして、今スタートしました!」

 

バンッ!

 

真っ先に飛び出したニシノフラワー。その影にブリッジコンプが潜航する。ブリッジコンプはスタート練習が凄く苦手だ。他のウマ娘に気が散ってしまう。けれど、誰かの特に隣のウマ娘の後ろに着く形なら、隣のウマ娘以外に集中力を向ける必要がない。ニシノフラワーという強い光を持つウマ娘なら猶更だ。

 

「ハナをとったのは5枠5番ニシノフラワー、その後ろぴったりと6枠6番ブリッジコンプ。続いて……」

 

「400mを超えまして既にニシノフラワーとブリッジコンプから、中団は4バ身離れています」

 

完璧なレース展開。まだセイウンスカイ先輩のようにブリッジコンプはマークしたウマ娘にプレッシャーを与える技を持っていない。あまりにも経験の差が大きすぎる。それでもニシノフラワーの生来の気質が災いして二度此方を気にして振り返ってきた。

 

「早くもコーナーへ、おっとブリッジコンプ仕掛けにいく!」

 

逃げウマ娘である以上、何時かはハナをとらなければ必ず負ける。何度も練習したコーナー。ニシノフラワーが少し外に膨らんで、元に戻ろうとした瞬間。僅かな減速にあわせて、ブリッジコンプは仕掛けた。ニシノフラワーの息遣いが真横から聞こえてくる。

 

「負けないッ!!」

 

ニシノフラワーがびくりと驚いた視線を此方に向けているのを感じる。合わせて速度を上げてきたが、ぎりぎりハナをブリッジコンプは奪い取った。だが無理に奪ったせいで内ラチをニシノフラワーにとられたままだ。内ラチに戻る時間は残されていない!

 

「ハナを奪ったのはブリッジコンプ。しかし僅かに外に膨らんでいるか?二人はそのまま直線へ」

 

「完全に二人のデッドヒートです!後ろの子達は7バ身開いています。差を詰めては来ていますが、この距離は如何ともしがたいか」

 

瞬間、ブリッジコンプの少し背後で凄まじいプレッシャーが解き放たれた。芝生の上一面に色とりどりの花が咲き誇っていく。これに追いつかれたらまずい!解っていても、走る速度より浸食速度は遥かに花が上回った。ニシノフラワーの領域が展開される。

 

視線を向ける余裕などない。ぐんぐんと真横までプレッシャーが競りあがる。

 

「ここでニシノフラワー!ブリッジコンプをかわすか!?」

 

負けない。負けたくない。しかし心に反して、肉体が軋みを上げる。速度を上げたいのに、これが限界だと囁いてくる。手を必死に振って前へ前へとあがく。脚が芝を蹴りぬく。今までで一番の走りをしていると解る。それでも、それでも!!!

 

トレーナーの、行けという言葉が確かに聞こえているのに!!

 

「私だって!」

 

花が散り、視線の中に遂にニシノフラワーを捉えてしまった。なんて凄い才能なんだろう。あれだけ動揺していたのに、あれだけ手足が短いのに。それでも不思議と徐々にブリッジコンプが離されていく。負けたくないのに。

 

待って。お願いだから、先を行かないで。

 

「ニシノフラワー!ブリッジコンプをかわしました!」

 

「一着はニシノフラワー!1バ身離れまして。二着はブリッジコンプ!」

 

負けた。

 

負けたのだ。

 

少しずつ走るペースを落として、ブリッジコンプは自然とトレーナーの方を見た。サクラバクシンオーが泣いていた。そして、あのトレーナーが、何時だって冷静だったトレーナーが、確かに泣いていた。距離があるにも関わらず。ブリッジコンプの目には確かにトレーナーの瞳から落ちる涙を見てしまった。黄金の瞳が確かに捉えてしまった。

 

「う、あ」

 

声を出すことが出来なかった。私のトレーナーを泣かせてしまった。誰が?

 

私だ。期待に応えられなかった。あんなに必死にしたトレーニングも、何の意味もなくて。ただ負けたという真実だけがそこに深く横たわっていた。

 

心の奥底で、バキリと音が鳴った。

 

声にならない声が出て、息が吸えない。脚がもつれる。気づけば、ブリッジコンプの視線は横倒しになっていた。柵を超えて駆け寄ってくるトレーナーとサクラバクシンオーの姿が見える。混乱した頭のまま、ブリッジコンプは瞼を閉じた。




評価・日間ランキング掲載・月間ランキング掲載・誤字報告有難うございます。
漸く此処まで来ました。
今後も自分の気力が続く限り、よろしくお願いします。
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