日本ウマ娘トレーニングセンター学園、それも中央ともなれば学園の広さは皇居に並ぶほどである。多くの利権が絡み日夜秋川やよい理事長は見た目に似合わず苦労しているらしいが、ここで走るウマ娘たちにはあまり関係のないことだ。
コースは一周、芝2000m。田の字に内と外のコーナーがあり、中山レース場3200mと同じ距離を走ることができる。また、中距離まで走れるダートコースもあり、屋外プール、ジムなどなど多種多様な鍛え上げるための手段がここにはあった。
黄金の瞳と髪を持つブリッジコンプもターフの上に立っていた。
ウマ娘は春先になると、突然二次性徴期を迎える。兆候は半年前からでるため誰でも気づくことができる。その年は初等部からむかえるニシノフラワーや高等部からむかえるトウカイテイオーとばらばらで、通例では十二歳から十八歳までと考えられる。人間の三倍近いパワーを持つウマ娘だが、そうなるのは二次性徴を迎えてからだ。さもなければ力の使い方をまだわからない幼い内に同級生の人間の首を素手でねじきるような事件に発展する。
二次性徴期を迎えた年を一般的にジュニア期と呼ばれ、ようやくレースに参加できるようになる。それから一年ごとに段階を踏んで成長し、クラシック、シニアを迎えるわけだ。体が熟達したクラシック級のウマ娘がジュニア級でデビューしてしまい、公平性に欠けるレースにならない配慮である。
ブリッジコンプは中等部一年にして二次性徴期の兆候を見せて、二年でデビューすることが決まった。明日は各チームによらない、総合選抜レースの開催前ということもあって、ほかのウマ娘たちに混じって準備運動をこなしていた。
今から始まる選抜レース前の模擬レース。明日が本番なため、足が故障しかねないほどの全力で走る子はいないだろうが、それでも多くのウマ娘たちは力が漲っていた。なぜなら、観客席の中には東条トレーナーの他にも多くのトレーナーたちが集まっていてこちらの様子を伺っているのだ。
あそこにいるトレーナーがすべてではないだろうが、残念なことに東条トレーナーを超える輝きを持つトレーナーはブリッジコンプの眼から見ていない。だがそもそも、ウマ娘と違って貧弱な人間のトレーナーの才能を見切るのはブリッジコンプの眼をもってしても至難の業。
一瞬の煌めきの可能性もなくはないし、よく観察しておくべきだろう。
「ブリッジ!どう?どう?良さそうなトレーナーいた?」
「東条トレーナーがいるよ、狙ってみたら?」
無理だよぉと急に自信をなくしたワイスマネージャーが耳をぺたりと横にする。あわよくばという気持ちもないではないだろうが模擬レースも今日で十度目。自分の立ち位置が皆それぞれわかってきた頃だ。ブリッジコンプもワイスマネージャーも全体からみれば上位の方ではあるが一級にははるかに劣る。
けれど……。今日もやはり出るみたいね、トウカイテイオー。
すでにスカウトされているのだから辞めておけば良いのに、他の子と違って自己主張が強いのか毎度模擬レースに参加している。選抜レースではないとはいえ、模擬レースも立派なトレーナーへの主張の場だ。その機会を毎度のごとく潰される同世代の子からしてみれば憎しみすら覚えても不思議ではない。
そしてそのスポーツマンシップからぎりぎり外れない程度の嫌がらせを、悉く打ち砕いて中距離2000mの模擬レースで常に勝利してきたのがトウカイテイオーである。
「ワイスは今日はテイオーさんと当たらないことを祈ろうね」
「やだなぁ。ブリッジは今日も短距離とマイル?」
別に中距離も走れなくはないし、それなりに適性もあると思うのだが、ブリッジコンプは絶望的にスタミナが足りていなかった。これはウマ娘の学園で習う常識であるが、適切なスタミナを身につけるのは、走法の次に難しい。正確な筋力バランス、有酸素運動、専用に組まれたメニューをトレーナーによってしっかりこなすことでようやく身に着けられる。
その証明に長距離のオープンですらクラシック級8月前半の札幌日経、G1があるのはクラシック級10月後半の菊花賞とかなり遅い。トレーナーによってしっかりと適性が見極められ、鍛え上げられたウマ娘が挑む舞台なのだ。
だからブリッジコンプはひたすらスピードとパワーを鍛えた。おかげでスピードはトウカイテイオーに並んだと思うが、多分どう鍛えても皐月賞に間に合わないくらいスタミナがない。
「でも一番の問題は……」
中距離の王がトウカイテイオーならば、短距離にも王がいる。
サクラバクシンオー
黄色と紫色のリボンに黄色のカチューシャ、長いポニーテイル。名前は知っていたがトウカイテイオーほどの知名度はない。高等部の学級委員長として学園で少しだけ名の知れた……ついでに頭が少し悪いことでも知られているが、彼女が今年デビューすることになる。その公開は電撃的なもので、本人がそもそも二次性徴をむかえていたことに気づかなかったという誰も予想できないものだった。そして走りを見せられた者は誰もが確信した。
今世代最強のスプリンターはサクラバクシンオーである。
今はスタミナ不足でマイルや中距離の模擬レースにも出て逆噴射しているが、成長すればマイルにも猛威を振るうだろう。そして最大の問題があった。
「おおお!そこにいるのは心の友!ブリッジさんではないですか!」
「お久しぶりですね。バクシンオーさん」
このサクラバクシンオー、ブリッジコンプを妙に同志として扱ってくるのである。短距離での戦績はニ戦二敗、当たっていないレースではタイムが常にぼろ負け。ブリッジコンプはスプリンターとしてサクラバクシンオーの足元にも及ばないと十分すぎるほどわからせられた。
それでもなんとかブリッジコンプが面子に恵まれて短距離一位を三度とり、サクラバクシンオーが逆噴射して勝手に負けるマイルではブリッジコンプがタイムで勝っているからだろうか。学年も違うのによく話しかけてくるようになった。不思議と悪い気がしないのがサクラバクシンオーの魅力である。
「噂によると逃げ切りシスターズというものが学園にあるそうですよ!私たちも新しい逃げ世代としてツインターボさんと一緒に新しいチームを組んでみませんか!」
絶対にお断りです。
短距離はレースの短さから、駆け引きよりも実力が表に出る。ブリッジコンプとしては模擬レースは経験になるため良いとしても、いざデビューすればマイル以上の距離しか走らないつもりだった。このような才能の塊の化け物を相手にしていたら、G1勝利という夢は完全に潰される。
「それより、バクシンオーさんはどこかのチームか…担当トレーナーは決まったんですか?」
「いいえ!勧誘はきましたが私が長距離で勝ちたいと言ったら、なぜかどのトレーナーさんも勧誘をやめました!」
「それはそうなんじゃ?」
思わず口をはさんだワイスマネージャー、悪手である。
「なぜですか!学級委員長ですから全部の距離で勝つのは当たり前です!」
「い、いいえ……なんでもありません……」
ワイスマネージャーがサクラバクシンオーの勢いにあてられて急速に沈んでいく。サクラバクシンオーと付き合う時のコツはとにかく相手の話に疑問を挟まないことだ。学年としては先輩なのであまりこういう言い方はよくないのだが、頭が良くないので会話がそもそもかみ合わない。走るためにそれ以外のすべてを犠牲にしたと言い換えればもう少し聞こえはよくなるだろうか。
サクラバクシンオーが長距離を挑んでも昨年のハルウララ先輩の有馬記念になるのが落ちだ。
「バクシンオーさんを長距離で勝たせるような良いトレーナーが見つかると良いですね」
「はい!」
バクシン!バクシン!バクシンシーン!と叫びながら準備運動を始めたサクラバクシンオーから目をそらして改めて観客席の方を見る。幾人かトレーナーが増えてはいたが、いずれもブリッジコンプが反応するようなトレーナーはいなかった。
そうしているうちにも、チームリギルのヒシアマゾン先輩によって白線が敷かれ、模擬レースの準備が整えられた。今日の最初は中距離のようだ。このトレセン学園以外にも、中央レースへの出場資格を持つ学園はいくつか存在するが、この学園で毎年三百人近くがデビューを目指すため、フルゲート十六人で走っても自分の番が来るまでかなり時間がある。特に最近はサクラバクシンオーを避けるためかマイル、中距離の模擬レースに積極的に出る子も多くなった。
だからといってトウカイテイオーといった才能の塊に勝てるわけではない。特にすでに才能の高い子は遠慮して模擬レースに出てきていないが、今年の中長距離路線は面子の厚さという意味では短距離を遥かに凌駕している。今年も心折れて幾人がこの学園を去るのだろうか。
いくつかのレースが始まり、準備運動も終わったのでレース外の場所で軽くジョギングを済ませようと思った時だった。
人間を超越した……しかし、人間で間違いない光が観客席に現れた。まるで二人分の魂を持っているかのような存在感。見た目はごく普通のどこにでもいるような青年で、顔も悪くないが印象に残りやすいわけでもない男性。しかしブリッジコンプからは違って見えた、トレーナーなのかはわからない。その傍には駿川たづながいて、笑みをたたえて彼に話しかけていた。
「ブリッジ、どうしたの?」
「う、ううん。ワイス、あの人トレーナーかな?」
光が強く見えるトレーナーを指さすとワイスマネージャーは、眉間に皺を寄せた。マネージャーという名前だからか、ワイスマネージャーは学園の大抵の有名な生徒と、トレーナーを覚えていた。ついたあだ名は百科事典である。あまりその呼び方が気に入らないのでブリッジコンプはワイスと呼んでいるが……。
「わからないかな。もしかしたら新人トレーナーかもしれないけれど、少なくとも昨年のトレーナーにはいなかったと思う」
「ありがとう」
今までの模擬レースも本気で走っていたのは確かだ……でも、明日全力で走れなくてもいい。今日は全力で走ることにしよう。そう思わせるだけの魂の光がそこにはあった。元より選抜レースで目立つなど困難を極めることだ。なら、望んだトレーナーのもとにいくには、ブリッジコンプには逆スカウトしかない。あれが果たしてトレーナーとしての才能なのかはわからなかったが、千載一遇の機会であることは確かだった。まずは今日のレースでいい所を見せて好印象を与えることが大事だろう。
「それにしても新人トレーナーだとしたら駿川たづなさんが着いてるなんて、どこかの名門なのかな?たしか今年から桐生院家の新人トレーナーが新しく学園にくるって聞いたけれど、でも女の人だったはず」
「桐生院家の人だったら、ハッピーミークさんスカウトしてたよ」
「えぇ!だから今日のレースにミークさんいないんだ!ありがとう、早速この情報はメモしておかなきゃ」
どこからともなくメモ帳とペンを取り出して、ワイスマネージャーがメモを取り始めた。
ハッピーミークといえば、ブリッジコンプからしてみれば一級より少し劣る程度の才能の持ち主だったが、適性はずば抜けていた。ダート、芝、短距離、マイル、中距離。模擬レースで走れるすべてのレースにおいて常に自身の実力を遺憾なく発揮できる万能、昨年のキングヘイロー先輩すら凌駕する。もしかしたら、桐生院家であれば才能がいまいちでも適性さえあれば勝利ができると踏んだのかもしれない。芝ダート含めた全距離重賞制覇という偉業を目指しても不思議ではない。
黄金世代に劣る?とんでもない。魔境の世代に自分は生まれたのかもしれないと、ブリッジコンプは嘆息した。
「それじゃあ、ブリッジさん!私も準備運動が終わりましたので!一緒にバクシンしましょうか!」
考え事に時間をかけているとサクラバクシンオーに捕まった。
「どうです!今日は順番を頼んで入れ替えてもらって私とブリッジさんと、ターボさんで走りませんか!」
「ブリッジにもバクシンオーにも負けないから!ターボ勝つもん!」
ついでにツインターボもついてきた。
ギザギザした歯に小柄な体躯、一級には少し劣る程度のブリッジコンプを超える才能をもった子。とはいえ、ツインターボの場合大逃げするかしないかの二択なので一緒に走ってもあまり影響はない。どちらかというと巻き込まれて、この二人と同列に扱われるのがブリッジコンプとしてはなんだか凄く嫌だった。二人が嫌いというわけではないのだが、端的にいってバカに思われそうだ。
「ええはい、芝の距離は1800mのマイルでいいですよね」
流石にサクラバクシンオーと短距離を競う気力はない。
「わかった!ターボは勝つ!」
「わかりました!どんな距離でもバクシンします!」
結果、半ば予想していたことだがツインターボの大逃げにサクラバクシンオーが乗り、1200m地点で二人とも盛大に逆噴射。1800mをスパートなんてシニア級のステイヤーでも不可能である。それでも遠目になるほど離れていたので、ギリギリのところだったが無事に模擬レースで一着を取ることができたのだった。
その後の短距離も付き合って二人にセーフティーリードをされたのはご愛敬である。