黄金郷への橋   作:そういう日もある

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未勝利戦

時が経つのは速い。気づけば七月、冷房が必要になってくる時期。街路樹も葉が生い茂り、烏が電線の上にとまって、獲物を探していた。この時期は湿気と熱気で、ただでさえ毛量が多いウマ娘にとっては辛い時期である。キューティクルも見る影もなく尻尾も自然と元気なく垂れてしまうものだ。しかも、これからもっと酷くなっていく。ウマ娘の夏休みも明後日からと相応に早い。二日間を耐えるため、寮の中では今頃ゾンビのようなうめき声がいくつも上がっていることは想像に難くない。

 

さて、ブリッジコンプはというと冷房がしっかりきいた福島のホテルに一泊したところだ。相部屋はサクラバクシンオー。つまり、ブリッジコンプの未勝利戦の日である。調子はそう悪くない。トレーナー自身は何も言わなかったが、今回の宿泊費も前回の北海道の宿泊費も殆どトレーナーの財布から賄われているらしい。このことを知ったのはワイスマネージャーと話している最中のことだった。

 

重賞未満でトレーナーに経費で払われるのは交通費だけなのだとか。

 

らしいというのはトレーナーはそういったことを何も口にしないのだ。結構な金額だろうに、多分一般のトレーナーがするようなことではない。ワイスマネージャーからは相当に驚かれた。担当ウマ娘が勝てばトレーナーにボーナス給が入るため、なんとしても勝ちたい。勝ちたい理由がまた一つ増えた。

 

「おはよう。バクシンオー」

 

「おはようございますッッ!」

 

私が備え付けの目覚ましで起きたころには既にサクラバクシンオーは起きて、身嗜みも整えて着替え終わっていた。相変わらず笑顔が眩しい。太陽の光を見なくとも、サクラバクシンオーの声を耳にすれば眠気も飛ぶというものだ。

 

予想に反してサクラバクシンオーは睡眠中暴れることも五月蠅くなることもなかった。ウマ娘は基本的に落ち着きがないので、寝相が悪いことが多い。しかしサクラバクシンオーは途中でトイレに起きた時に確認したけれど、ピーンと綺麗な寝相で寝ていたのである。こういうところはやっぱりお嬢様なんだなと思った。

 

大きな欠伸を一つ。お気に入りの水色のパジャマのボタンを外して脱ぎ、洗面台に向かう。

 

鏡に映る自分の体を見て、少し微妙な気分になった。筋肉はもりもりつくのに、出てほしいところが一切出ない。流石に映像で見たサイレンススズカ先輩程ではないが、もしやこのままという懸念はあった。腹筋も薄っすら筋が入ってきたし、腕に力を入れれば力こぶが盛り上がる。

 

「筋肉ばっかりつくと脂肪がつきにくいってことかな……?」

 

でもウマ娘はしっかり鍛えていてもメジロライアン先輩みたいなのだっているのだ。これからに期待しよう。

 

金髪を一つ纏めにして、顔を洗って化粧水を使い、歯磨きをしっかりする。うん、今日も歯は白い。今度こそウィニングライブに立ちたいから、こういうところはきちんとしておきたい。夏場だしポニーテールで走っても良いかなとも思うけれど、やっぱりルーチンは大事かと思い直して髪を梳いた。

 

学生服に着替えて、キャリーバックを手にサクラバクシンオーと共にホテルのバイキングに向かう。席を探すと相変わらずトレーナーは早起きで、珈琲片手にタブレットを弄っていた。思えばトレーナーは何時も珈琲ばかり飲んでいる。インスタントや缶コーヒーも平気で飲むので特別な拘りはないみたいだけど。

 

「おはようございます、トレーナー」

 

「おはよう。ブリッジもバクシンオーもよく眠れた?俺はああいうホテルのベッドって慣れなくてな。あまり寝れなかったんだが」

 

「はいッ!ぐっすり!」「私も大丈夫でした」

 

席の傍にキャリーバックを置いて、バイキングへ向かう。バターロールにハムやベーコン。まだレースまでには時間があるからエネルギー補給の為にもここはがっつり食べる。前のメイクデビューでは朝食を食べ損ねて、飲む栄養ゼリーで我慢したから今日こそはである。

 

少し離れた位置からの視線を感じてみると、芦毛のウマ娘が気まずそうに皿を持って待っていた。多分、今日一緒にレースすることになったウマ娘だろうなと思う。遠慮して此方に近づかない様にしている。仲良い同士なら同じレースに出ることになっても、気まずくはならないかもしれないが、顔見知りでないとなると難しい。

 

うーん、でも顔見知りと走ることになるのも嫌かな。特に未勝利戦は出られるのが四回まで、全てに負けるとレース人生が完全に断たれてしまう。重賞とは違ったマイナスの方向性で、どのウマ娘も必死だ。配慮してささっと取るものを取って、席に戻った。あちらも聞こえないくらい離れた場所の席に座ったのを確認する。

 

「さて今日のレースだが、食べながらでいい。福島レース場について改めて解説する。福島レース場はとても小さい」

 

トレーナーがタブレットにレース場を映し出した。一周はたったの1600mと直線もコーナーもかなり短い。札幌レース場に近い形だ。しかし、札幌レース場が洋芝だったのに対して此方は芝の状態が良く踏み込みがしやすい。それから二回の起伏があり、高低差は1.9m。速度より、坂の上手さがレース展開に大きく関わることになる。

 

「だからここ二週間は坂路練習ばかりさせてきた。小さいレース場だが速度が出にくい関係上、差しや追い込みが一番怖い。ハイペースな展開にするため、ハナは絶対に取らないといけない」

 

頷く。ブリッジコンプは取り敢えずのところ、目を瞑ってスタートすることで、なんとか出遅れを阻止することに成功した。ゲートを開く音で反射的に反応すればサクラバクシンオーより僅かに劣る程度にまでスタートを縮めることが出来る。劣るなので勝てるわけでもないのが悲しい。

 

更に目を瞑ること自体最初のコース取りの判断が他のウマ娘より遅くなるので改善策とは言い難かった。タイミングが悪く噛み合って、接触する可能性も怖い。それでもやる。同じ逃げをとる難敵が今回いるのだ。

 

「バクシンオーからはなにかあるか?」

 

「バクシンすればいいと思いますッ!」

 

「だそうだ」

 

未勝利戦 七月 福島レース場 芝右1200m 10:10発走

 

福島駅からほど近い場所にある福島レース場。近くには阿武隈川が流れ、じめじめとした生ぬるい風が吹きつけてくる。川向うには森が広がっていて、今も鳥のさえずりが鳴り響いていた。芝の状態は良、走ってみなければ解らないが内ラチも荒れている様子はない。

 

観客の入りは三百人ほど。メイクデビューより更に少ない。元々福島レース場は未勝利戦しか殆ど行われないため東京などよりは人気が劣る。仕方ない。ブリッジコンプが出走するのは第一レースだが、第二レース以後にも未勝利戦が続く。それにブリッジコンプとしては観客が少ない方が緊張しなくて済む。

 

パドックでの紹介が始まった。

 

「二番人気はこのウマ娘、2枠2番パンパシフィック。メイクデビューでは三着でしたが、ハイペースのレース展開において冷静な判断力が見受けられました。ペース配分の難しい福島レース場では十分に力を発揮できるでしょう」

 

「得意の先行策で上手い位置につけるかがカギになります」

 

今日の朝ホテルのバイキングで会った芦毛の子だ。パンパシフィックっていう名前なんだ。癖毛で短い髪が外ハネしている。肌は良く焼けていて、髪の色とバランスが取れていた。この一月の間、相当に特訓を積んだのだと解る。暑さに強いのか、調子が良さそうだ。

 

次は自分の番だと、お立ち台に上がる。大外じゃなくて本当に良かった。

 

「続いて三番人気はこのウマ娘。3枠3番ブリッジコンプ。メイクデビューでは二着、後ろとは3バ身差と実力を見せつけました。低身長とは思えないコーナーでの伸びは期待できるものがあります。体も良く仕上がっています」

 

「前走は起伏の少ない札幌レース場、ハイペースな展開を得意としてましたから福島ではどうなるかは解りませんね。とはいえ実力は確かです。前走では逃げ策でハナを譲っていましたから、同じ逃げ策の一番人気ジャズステップと人気が競合した形です」

 

三番人気。前走より落ちたのは解説の通り、福島レース場は得意ではないと見られたから。予想を覆す準備はしてきたつもりだ。見た限りブリッジコンプより才能が遥かに勝るようなウマ娘は居なかった。一礼して、投げたジャージを拾ってから立ち去る。序に回収し忘れていたパンパシフィックのジャージも拾ってきた。

 

壇上から降りてジャージを忘れたことに気づいたのだろう、パンパシフィックは困った顔で幕の下で待機していた。此方を向くとぱーっと花が開くように顔色が良くなる。朝の遠慮がちな様子とは態度が一変していた。

 

「ジャージ、拾ってきました」

 

「ありがとう!一緒に頑張ろうな!」

 

レースになるとメンタルが変わるタイプかな。パンパシフィックはジャージを受け取って腰で縛る。それから握手の為に掌を差し出してきた。溢れんばかりの元気を体現している笑顔、サクラバクシンオーみたいなウマ娘だなと思った。才能は格が違うけれど。ブリッジコンプは少し迷ってからその手を取る。ギスギスしても良いことなんてない。

 

「よろしくお願いします」

 

ぶんぶんと振られる手を見ながら、ブリッジコンプはちくりと胸の痛みを感じる。やっぱり、良いライバルとかの関係を全く理解できない。レースは勝つか負けるか、そして敗者は泣くことしかできない。ブリッジコンプは敗者になりたくない。顔には当然出さないけれど、パンパシフィックを見て負けてとしか思えない。

 

「邪魔ですよ」

 

そう私たちに声を掛けたのはオレンジ色の髪をしたウマ娘だった。自然とパンパシフィックとの手が離れてほっとする。一番人気の子、ジャズステップ。前走ではクビ差の二着と惜敗した逃げを得意とする子。ハナを奪われれば一気にペースを持ってかれかねない。前走のブリッジコンプなら間違いなくハナを譲ってマークしただろうけれど今回は違う。

 

「ナハハハッ!これは失敬!それじゃあ一から三番人気まで仲良く入場するとしますか!」

 

「私はトレーナーに呼ばれてるので」「同じく」

 

「連れないなぁ」

 

勝つのはただ一人。慣れ合うつもりはなかった。ジャズステップも同じ意見のようだ。口調とは裏腹に表情は楽しそうに、パンパシフィックは離れていく。あれは強敵かもしれない。ブリッジコンプも専用通路で待ち受けるトレーナーの元へ向かった。

 

トレーナーの横にはサクラバクシンオー、それから欠伸を噛み殺して眠そうなセイウンスカイがいた。朝食の時は見掛けなかったが、直前まで寝ていたらしい。それにしても三人は他のトレーナーやウマ娘から注目を浴びていた。特に世代スプリンター最強と噂されるサクラバクシンオーやクラシック二冠セイウンスカイの存在はその気がなくても慣れていなければ強いプレッシャーになる。

 

心が弱いウマ娘は調子を崩すかもしれない。意図はないだろうけど盤外戦術もいいところ。でも、利用できるなら利用する。

 

「この学級委員長が応援してますからッ!!」「ブリッジちゃん頑張ってね」

 

「有難うございます」

 

サクラバクシンオーとセイウンスカイの二人には頭が上がらない。其々にトレーニングとリハビリがある筈なのに、ブリッジコンプのトレーニングやレースプランに時間を割いてくれた。期待に応えるためにも負けるわけにはいかなかった。

 

「緊張していないみたいだな」

 

「はい」

 

「なら言うことはない。勝て」

 

「はいッ!!」

 

差し出されたトレーナーの手と握手する。パンパシフィックの時と違って、胸にちくちくとした感触はなく、心がゆっくりと落ち着いていく。トレーナーの瞳をじっと見つめて、大きく息を吐き出すと手を離した。

 

 

レース場に入ると準備運動をしっかりこなしてその場で軽い足踏み。芝の状態はやはり悪くなさそうだ。これならハナを取れば内ラチに入って問題ない。やっぱり暑いからか髪を手で払うウマ娘が多い。ブリッジコンプも首筋に汗をかき始めていた。黄金の瞳が、トレーナー達が観客席の方に戻るのを捉えた。

 

視線を外して、他のウマ娘の様子を見るとジャズステップが観客に向かって手を振っていた。ああいうパフォーマンスはたとえ一番人気だからってブリッジコンプには出来そうにない。期待なんて、負けたら全てが裏返ってしまうからだ。ブリッジコンプにはトレーナーと数人の友人たちで十分。

 

誘導に従ってゲートに入っていく。尾を届かせて、髪を一度だけ払う。ふと視線に気づいて振り返ると、ジャズステップが此方を見ていた。一番人気だというのに嫉妬を感じさせる奇妙な視線だった。でも、今は無視だ。前を向き直す。

 

少し下を向いて、息を大きく吸い込んで、瞼を閉じる。鋭くなった感覚が他のウマ娘の息遣い、足踏み、観客の声を捉えた。少し汗ばんだ匂い、香水の匂い、草の匂い、水の匂い。徐々にそれらを意識の中から捨てていく。

 

「第一ラウンド、未勝利戦。一度は逃がした勝利、ここで勝つウマ娘がデビューすることが出来る緊張の一瞬。今スタートしました!」

 

行ける! バンッ!

 

踏み込んだ瞬間、ブリッジコンプは目を見開いて辺りの状況を認識する。視界が一気に広がる。内枠スタートのお陰で全体をよく確認できる。出遅れはなし、逃げ策をうつと思われるウマ娘はブリッジコンプとジャズステップしかいない。ジャズステップの方がスタートが速い。でも、ジャズステップは7枠9番だ。十分優位を持ってハナを奪える。

 

後ろの子と間隔を開けながら内ラチにスライドする。

 

「ハナを奪ったのは3枠3番ブリッジコンプ。するすると内ラチに入りました。続いて7枠9番ジャズステップ。その後集団固まって……」

 

「ブリッジコンプがハナを取りましたか、こうなるとレース展開が読めなくなってきますよ」

 

流れていく柵、あと四分の一ハロンで早速上り坂に突入する。見えていなくても解る。後ろに迫る悔しそうなジャズステップの息遣い、脚の運び、手の振り方。位置は内ラチ寄りで、クビ差後ろ。脚を使って、この序盤の上り坂の入りでブリッジコンプが減速したところを、勝負を仕掛けてきて一気に抜かすつもりだ。

 

「ぐんぐんと外からジャズステップが上がってきましてブリッジコンプに迫ります」

 

けれど、序盤直線で抜かそうなんて言うのは、既にブリッジコンプがセイウンスカイ相手に模擬レースで失敗したことだった。対処法は知っている。斜行にならない範囲で、ブリッジコンプは僅かに横にスライドする。

 

舌打ちが聞こえてきた。道を塞いだわけではないからジャズステップが抜かそうと思えば抜かせる。でもほんの僅か坂を更に斜めに外へ向かって上らなければ、その後内ラチに入るために逆方向に斜めに坂を上らなければ、ジャズステップはハナを取れない。そうなれば当然、脚とスタミナの消耗も激しくなる。ジャズステップが選んだのは内ラチに入って二番手で妥協することだった。勘定が自分で出来るウマ娘、頭が良いけれど。

 

もう私が負ける相手じゃない。




続く

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