黄金郷への橋   作:そういう日もある

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未勝利戦その2

もう私が負ける相手じゃない。

 

ジャズステップの考えることはわかる。スリップストリーム、高速で移動する物体の直ぐ後ろには気圧の低下が起きて、空気抵抗が落ちる現象。ウマ娘であれば誰でも理論として知っている。だからブリッジコンプの影に入り込み、スリップストリームで坂をスタミナを消費せずに抜ける。そこから平坦なコーナーで抜かしにかかる。もし同じ状況に置かれたらブリッジコンプだって同じことを考える。考えた。

 

そしてセイウンスカイ相手に失敗したという経験が、ブリッジコンプをジャズステップより一つ上の思考へと押し上げる。

 

坂でペースが落ちると思い込んでいるのだろう。今のジャズステップは最適なポジションより少しだけ後ろにいる。勝負所はここだ!意識からジャズステップを排除して、脚を使って強く踏み込む。1.3m差の勾配、観客席で見ているより、坂を上るのはよっぽど登山に近い。前傾姿勢のフォームをとる以上、体勢は殆ど坂と平行になる。根を上げそうになる脚に叱咤激励して速度を落とさない。加速は無理だ、でも速度を落とさないだけでジャズステップがブリッジコンプの影に入れなくなる。

 

「ああもう!」

 

後ろから思惑が外れて苛立つ声。プレッシャーが先ほどより明らかに落ちる。減速しないままに進むブリッジコンプと、影に入ろうとして僅かに下がったジャズステップ。今からブリッジコンプの影に入るのは不可能だ。自力でジャズステップは坂を上らないといけない。思惑が外れた精神的動揺もあるだろう。

 

此処でジャズステップを完全に潰しつつ、全体のペースを奪う為の策を使う。

 

「ふぅーーー」

 

坂を上りきる直前、息を大きく入れる。坂を上りきった途端、一気に加速した。後ろのウマ娘達はまだ速度が落ちる坂に居る。当然坂を上っている最中は脚を使わない限り速度を出せないから、予想以上に相対的にブリッジコンプが前へ行っているように見える。見えてしまう。更には多少スピードを出しても坂とブリッジコンプのいる平地では距離は縮まらない。

 

走っている最中は必死だ。正確な体内時計を持つウマ娘は殆ど居ない。正しい自分のペースで走っているか自信がなくなる。取り敢えず先程までいた距離にいようとあがく。後ろの集団のオーラが幾つか乱れるのを感じて、策が成ったと確信した。

 

「ブリッジコンプが速度を緩めずぐんぐん坂を上りきって更に加速していきます!」

 

「上手い!此処から大逃げですか。上り坂の時点で披露された後ろの子達は精神的にきついでしょう。シニア級の駆け引きを見ているようですね」

 

そうだろう。なにせこの策を教えたのはセイウンスカイだからだ。トレーナーが手を加えて、サクラバクシンオーが共にトレーニングしてくれた。ブリッジコンプただ一人だったら思いつかなかっただろう走りだ。集団の幾人かがかかってしまえば、例え冷静さを保っていても飲み込まれたウマ娘は抜け出すことが出来ない。無理矢理ハイペースに引きずり込まれる。

 

「くそっ、もうあんな場所まで」「やばいって逃げられる!」「邪魔すんなよ」

 

そしてぐんぐん前へいく集団を見て、後列のウマ娘も焦って前へ行く。脚を使ってしまって、得意の末脚が出せなくなる。

 

「えげつないなぁ」

 

本当にえげつない。セイウンスカイは特別な技術をブリッジコンプに授けたわけではない。元より頭が良い方ではないので特別な技術なんて出来ない。ただ、走るペースを教えただけで、ブリッジコンプはレース全体のペースを握ることに成功した。

 

序にジャズステップも1バ身引き離した。もうコーナーで抜かすことが出来なくなった以上、逃げという走法においては致命的な距離だ。先行策に切り替えるには少し脚を使い過ぎているし、今までジャズステップは逃げのみを使ってきた。ジュニアウマ娘に本番でいきなり走法を切り替える器用な真似が出来るウマ娘は存在しない。とセイウンスカイがブリッジコンプに言った。

 

これで一番人気のウマ娘は潰した。勿論、人気がレース展開に直結するわけではない。ニシノフラワーだって三番人気だった。それでもブリッジコンプにとっては心の平穏に繋がる。後ろから脅かされる感覚、ニシノフラワーが二度も振り返った理由がわかる。相手が何もしていなくても此方が消耗するのだ。

 

「行くよ、バクシン」

 

叫ぶのはなんだか恥ずかしくて小声で呟く。最初から、それこそ出場ウマ娘と枠番が解った時からバクシン的逃げ……大逃げを選択することは決まっていた。まさか起伏の大きなスタミナを使う福島レース場で、後半逆噴射することが見えている大逃げを使うだなんて誰も想定しないだろうから。だから。

 

「速くも第三コーナーへと抜けてブリッジコンプがちぎっていきます!1バ身下がってジャズステップ。それから少し抜け出して4バ身離れてオットー。ややかかり気味か。集団固まって三番手争いを繰り広げています」

 

「ブリッジコンプ苦しい!苦しいですが粘っています!このまま逃げ切ってしまうのか!」

 

既にかなり脚を使っている。でもここからは直線まで平坦なコース。コーナーを速度を維持しながら、理想的に回っていく。汗で垂れた前髪を手で拭って、更に突き放すために加速する。最後と決めて一度だけ振り返った。後ろのウマ娘達は雪だるま式に大きな集団になっている。あれでは自分のペースを掴むのは不可能だ。

 

ジャズステップが諦めずブリッジコンプの直ぐ後ろにいるのも、焦らせる原因になっている。一人より二人どんどん前に行く方が自分のペースがおかしいように思えてしまう。そして、初めから大逃げのつもりだったブリッジコンプと、引き離されない様に走るジャズステップ。覚悟の違いが勝敗を分ける。もう絶対に追いつけない。

 

「なんでっ!追いつけない!」

 

ジャズステップの悲痛な叫び。ブリッジコンプとジャズステップの最高速度は多分殆ど変わらない。トレーニングの質によって、少しブリッジコンプが勝る程度。あれだけ鍛え上げても最も才能が表に出るスピードという分野においてはブリッジコンプは並みにしかなれない。

 

ただ坂の上手さや積み上げられたスタミナ、そして授けられた策があった。全部自分のモノじゃない。でも別に良い。自分で勝ちたいなんてブリッジコンプはこれっぽっちも思ってない。精々負けたくないくらいだ。

 

なにせ、トレーナーが、サクラバクシンオーが、セイウンスカイが背中を押してブリッジコンプを勝たせてくれるのだから。

 

ただまっすぐ前を向いて、最初から最後まで決められた通りに勝つッ!

 

「ブリッジコンプ!ぐんぐん伸びる伸びる!ジャズステップは二回目の挑戦に失敗しもう脚は残っていないか」

 

油断はしない。まだ居る。この状況下でしっかりと脚を溜めて、集団に飲まれない様に少し下がって最終直線まで我慢していた子が必ず居る。

 

「後ろからパンパシフィック大外からまくって上がってくる!」

 

来た、来た、来た!でもまだ、パンパシフィックとは6バ身差がある。この800mで積み重ねた大きな差だ。

 

そして第四コーナーの途中から下り坂。ブリッジコンプのペースは落ちない。転がり落ちるようにブリッジコンプは速度を緩めず駆け降りていく。脚はもう僅かにしか、残っていない。使いどころは決めてある。汗が噴き出す。片眼に汗が入って視界が滲む、構わずブリッジコンプは脚を前に進めた。拭う体力ですら今は惜しい。

 

「勝つッ!勝つッ!俺は勝つ!」

 

咆哮が聞こえる。小規模のプレッシャーの爆発。ブリッジコンプよりはパンパシフィックの方が才能で優れているから、出来るだろうとは思っていた。でも、自分の世界を構築できていない。だからサクラバクシンオー、セイウンスカイ、ニシノフラワー、そういった超一級には劣る。なら勝機はある。

 

最後の直線、残り1ハロン、再び上り坂に突入する。脚は足りているか?解らない。ジャズステップが背後にいただけで、想像以上にスタミナが削られている。後ろからプレッシャーが迫ってくるのを感じる。この雰囲気は見なくても解る、パンパシフィック。やっぱり一番最後に立ちふさがるのは彼女だった。予想していた、予想していた分だけ覚悟が出来ている。

 

ブリッジコンプはプレッシャーの爆発的増大なんて出来ない。与えられた魂はうんともすんとも言わない。ただトレーナーと共に鍛え上げた肉体だけがある。脚を使う。坂に脚を踏み入れ四分の一ハロン、がくんとブリッジコンプの速度が落ちた。逆噴射だ、予想以上に速い!もうフォームなんて滅茶苦茶で、ただがむしゃらに坂を上る。

 

顔を前に上げる余裕もなくて、滲む視界の中で前へ動く脚を見つめながらブリッジコンプは咆哮した。

 

「アアアァああああああ!!」

 

「ジャズステップ食い下がる!だが外からジャズステップをかわしてパンパシフィック迫る!迫る!」

 

勝ちたい、勝つという熱意を感じる。

 

気配が近づいてくる。足音が聞こえてくる。息遣いが聞こえてくる。全てが荒い、必死だ。パンパシフィックだって必死なんだ。最初集団に包まれて神経をすり減らしたし、そこから足を溜める為に一度下がったから、スタミナも余計に消費している。そして内枠が荒れていないにも関わらず、集団を外から抜くしかなかった。ブリッジコンプより半ハロンは多く走っている。

 

「今二人の真っ向勝負!」

 

対してブリッジコンプに根性なんてない。ニシノフラワーに抜かされた後、心が折れていた。脚が前に進まないことをただ嘆くしか出来なかった。絶対に勝つなんて意志も持てない。それでもブリッジコンプは負けないを積み重ね続けた。トレーナーと友人達が勝つを積み上げた。

 

だから、勝利の栄光を掴むのはこのウマ娘だ。

 

 

「だが僅かに届かないか!ブリッジコンプ、今一着でゴールイン!!二着パンパシフィック、2バ身離れて三着ジャズステップ!」

 

「素晴らしいブリッジコンプとパンパシフィックの勝負でした。作戦負けはしていましたが最後、ジャズステップも意地を見せました。次走に期待したいですね」

 

速度をゆっくりと緩めて、他のウマ娘の邪魔にならないところまで行って芝の上に倒れた。仰向けになった。目に入った汗を拭おうとした腕が、滴るほどに汗にまみれていて断念する。息も絶え絶えですべてを出し切った感覚。荒い呼吸も心臓の高鳴りもなかなか収まらない。生温い筈なのに流れゆく風が心地よかった。

 

歓声が聞こえてくる。重賞ともメイクデビューとも比ぶべくもない、たった三百人の歓声。ブリッジコンプには十分すぎるほどで、胸が熱くなる。クビ差で勝った。作戦をあれだけ練ったのに不格好すぎる勝利。それでも勝ったのだ。

 

拍手と共に芝の上を歩く足音が聞こえてくる。見上げると、汗が毛先から滴り落ちる芦毛が見えた。パンパシフィックだ。

 

「おめでとう。俺が勝てると思ったんだがなぁ。ほら、勝者が寝転がったままじゃ俺とジャズステップの立場がない」

 

パンパシフィックが手を差し出してくる。視線をずらすとジャズステップが息を整えながら此方を見ていた。その脚は疲労から震えているのに、弱い所は見せられないとしっかりと立っている。二人とも負けて悔しいという気持ちはあってもブリッジコンプを恨んでやろうとか、憎いとかそういう感情を感じ取れなかった。

 

少しだけ迷ってブリッジコンプはパンパシフィックの手を掴んだ。

 

「ありがとう」

 

でも二人とも手が汗でびちょびちょだったから。ブリッジコンプが上半身を起き上がらせる途中で、ずるりと滑って離れた。握力が想像以上に失われていたらしい。背中を強く打ち付けてブリッジコンプはごほごほと咽る。

 

「悪ぃ!大丈夫か?」

 

「ふぅーーはぁーーー。うん大丈夫」

 

悪気がないのは解っている。今度こそしっかりパンパシフィックの腕に捕まって起き上がった。

 

サクラバクシンオーは勝った時、パフォーマンスをしたと思って。でもブリッジコンプに出来るわけもなく、深く観客に向かって頭を下げる。見なくても解る。最初に私のトレーナーが拍手を始めた。そして徐々に、拍手が広がった。観客だけじゃない。パンパシフィックも、嫌そうな顔をしながらジャズステップも、一緒に走ったウマ娘全員。

 

初めて、ブリッジコンプは少しだけ解った気がした。負けるのは怖い、嫌い、大嫌いだ。でもレースにはただ勝つか負けるかだけじゃなくて、もっと大切なものがある。その感情の名前を未だブリッジコンプは知らなかったけれど、でも確かにあるのだと。

 

観客の拍手はブリッジコンプ達が退場するまで続いた。

 

専用通路は二つに道が分かれている。ブリッジコンプとパンパシフィックが並んで、案内に従って右の道を選んだ。少し遅れてジャズステップが続く。他のウマ娘達は左の道だ。右の道の先には専用の控室がある。其々の荷物は既に運び込まれていた。

 

「よしっ急ぐよ」

 

その通り、あまり悠長にはしていられない。第二ラウンドレースまでにウィニングライブを終わらせないといけないのだ。汗で肌に張り付く体操着をブリッジコンプとパンパシフィックが互いに引っ張り合って脱ぐ。体操着はずっしりと重く鈍器のようだった。それから三人は下着をつけたままシャワー室に飛び込んだ。熱いお湯を浴びながら下着を脱いでいく。

 

きっかり30秒を数えてシャワー室を出た。タオルで拭いながら、裸のまま髪をドライヤーで乾かしていく。尻尾を絞ってから乾かすのは互いでやる。流石にこれはジャズステップも参加した。他の二人は手慣れていたけれど、ブリッジコンプは初めてだったので結局二人ともブリッジコンプを重点的に手伝うことになった。

 

本当に申し訳ない。

 

「あと10分。私のウィニングライブなのに遅れたら承知しないよ」

 

「ブリッジが主役でしょー?」

 

ジャズステップからはレース開始時のような嫉妬はもう感じなかった。ただ性根なのか、言葉がちょっと痛い。

 

キャリーバッグを開いて、持ち込んだライブ衣装を取り出した。白をベースに紫の裏地。黄色のラインがところどころ入った伝統のライブ衣装だ。スカートじゃなく赤のショートパンツなのは良い。でもへそ出しでお腹がすーすーするし、やっぱり三百人の観客の前でこんな格好恥ずかしいけれど。センターで踊るところをトレーナーに見せたいという気持ちが勝った。うん、ほつれているところもないし問題なし。

 

「大丈夫そうかー?ブリッジ」

 

「うん、いけるよ」

 

パンパシフィックの言葉に頷く。息を大きく吸い込んで、吐き出す。観客の前に出れば解らないけれど、まだ緊張はしていない。レースに比べればなんてことない。強敵の二人に勝ったことが、ブリッジコンプの背中を押してくれる。ジャズステップが黄金の瞳を見つめて言い放った。直ぐにパンパシフィックも続く。

 

「ブリッジコンプ。次は私が勝つ」「俺も次でデビューするからまた勝負しようぜ!」

 

「……私も、負けないよ」

 

行こう。ブリッジコンプ、パンパシフィック、ジャズステップ。三人並んで、ライブ会場へと向かった。




評価・日間ランキング掲載有難うございます。

ブリッジコンプ初勝利。
ジャズステップ、パンパシフィックスはブリッジコンプと同じくレジェンドレースで登場したモブウマ娘です。
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