セイウンスカイが京都から帰ってきた。そして今日は担当の三人と共に早速サクラ家の所有する別荘に出立する日だ。とはいえ朝から気分が悪い。原因は昨日のこと。社用でまさか行くわけにも行かず両親から車を借りたのだが、その時に色々言われたので憂鬱だった。
両親は俺に期待をかけすぎなところがある。俺は何も担当については伝えてなかったので、サクラバクシンオーの担当になったことを月刊トゥインクルで知ることになった。そして目にする8バ身差の勝利記事とその後の朝日杯勝利宣言。特に父親は元トレーナーということもあって、直ぐに名門サクラ家の令嬢だと気づいた。
大そう喜んで、何故報告を寄越さなかったのかと怒られた。曰く、怪我をさせずしっかりGⅠを勝たせなさいだとか、これで元同僚に自慢できるだとか、祖父母の墓に報告に行きましょうだとか、古臭い根性論やトレーニング論を延々と語ってきた。ウマ娘の関連企業とも俺には事後報告で勝手に連絡を取っているらしい。
両親がシンボリルドルフの映像をあれ程見せてきたか理解できてしまった。父親は東条トレーナーの上の世代である。そして、担当が勝つことが出来ない永遠の皇帝に魅せられてしまったのだ。嫉妬と諦観が確かにあった。
トレーナーになって大人になったから過去を振り返って解った。父親は古臭い理論に固執して、しかし加速するウマ娘の速度に着いていけず自らトレーナーを辞めたのが真相だ。東条トレーナーより上の世代は父親の様に引退者が多い。その癖に父親は今もURA職員に天下りしてウマ娘という存在に固執している。
自分が達成出来なかった夢を、伝説的ウマ娘の傍に立つ栄誉への期待を俺にかけようというのだ。
なによりブリッジコンプの未勝利戦について、サクラバクシンオーに比べておめでとうの一言しかなかったのが一番イラつく。元トレーナーでありながら大事なことも理解できないくらい光に目が焼かれて盲目になってしまっている。
本当にバカバカしい。バカバカしいとは思うけれど、大事な両親であることには違いないので困ったものだ。毒親という程もなく、むしろ大切に育てられた。狂わせたのは多分子供の頃の無邪気な俺だ。意味のない知識を無駄にひけらかして天狗になっていた。
人間とはかくも醜いと思おうとしたが、サクラ家もサクラ家で大概だったのでなんとも言えない。
「………ふぅー」
向かう先のない苛立ちをウマ娘達のグッズを見て落ち着かせる。シンボリルドルフのミニキャラがプリントされたパジャマを脱いでシャワー室に入った。
暖かいお湯に包まれながら、よく歯を磨く。この歯ブラシはこの前京都で買ってきた物でテイエムオペラオーのサインがプリントされている。流石にブリッジコンプ達には見せにくいから持っていくことは出来ない。洗って大事に棚に仕舞い込んだ。
寝ぼけたまま運転する気はないから、昨日は早めに寝た。おかげで今日は目の下にクマもなく誤魔化す必要はない。忙しくなり始めた担当二人の業務に加えセイウンスカイのリハビリが積まれたので平均業務時間が16時間を突破していた。自分でもそろそろやばいと思っていたので今回の合宿は良い羽休めになるだろう。
因みに一昨年と昨年の東条トレーナーはエルコンドルパサー、グラスワンダーという黄金世代の二人に加えデビューしたテイエムオペラオーを担当していた。更にシンボリルドルフを筆頭としてシニア二年以後やドリームトロフィーに向けたウマ娘達の調整もしていたのだから化け物が過ぎる。俺なら一年も経たず過労死する。分身の術でも覚えているに違いない。
「今日も歯が白い」
鏡の前で、いの口でしっかりと歯の隅々まで確認する。清潔感は大事だ。自分の顔が特別優れているとは思わないが、歯の色や、歯並び、にきび、寝癖にしても印象ががらりと変わる。当然の倫理観から恋愛に発展しないようにするとはいえ、ウマ娘はまだ学生の女子。一緒に不細工がいてトレーニング効率が下がることはあっても、上がることは基本ない。特に男のトレーナーの場合は猶更だ。
タオルで体を拭ってドライヤーで髪を乾かしながら軽めにワックスを使う。軽くメンズ用の香水を手首に擦り付ける。香水はあまり匂いのきついものはウマ娘から逆に反感を買うので選ばない。スーツは暑すぎるのでアイロンがけが終わっているシャツとスラックスだけを着た。後は父親から譲られた高い腕時計をして終わり。
改めて姿見鏡で指さし確認する。問題なし。
普通のトレーナーが此処まで気を付けるかは知らない。トレーニング外でも土のついたジャージ姿のトレーナーもいる。ただサクラバクシンオーは兎も角、ブリッジコンプは割とトレーナーの見た目を気にするタイプと分析出来ている。トレーナーは担当されるウマ娘にとってはステータスの側面を持つ。優秀であること、イケメンや美人であること、名門であること。どれも俺は持っていないから、身綺麗にする程度でやる気が落ちないなら安いものだ。
リビングの上の分厚い封筒を見て悩む。中身は一度は断ったものの強引に押し付けられた、両親から送られた百万円。散財しまくっているので、金欠なのは確かだ。悩んだ末に金に貴賤はないかと判断して、そのまま革鞄に突っ込んだ。
革鞄とキャリーバッグを手に駐車場に向かうと、丁度よく対面から担当の三人が来た。
「おはよう、バクシンオー、ブリッジ。それから久しぶり、セイ」
セイ呼びはセイウンスカイの希望ですることになった。本当はセイちゃん呼びがお望みらしいがブリッジコンプ達にちゃんづけしない手前、妥協して貰った。
「おはようございますッ!!」「おはよう」「おはよー♪セイちゃん帰還致しました」
セイウンスカイの表情は明るい。海空トレーナーの傍にいたことが精神安定に繋がっている。雨降って地固まるというやつだ。サクラバクシンオーは相変わらず絶好調で、ブリッジコンプからも合宿への興奮を耳の僅かな動きから感じた。
「ブリッジは夜眠れた?」
「あーその、ちょっと夜更かししちゃいました」
予想通りの答え。三人から昨日の睡眠時間や食事を聞き出しながら黒のワゴン車のトランクに荷物を詰め込んでいく。案外一番量が少なかったのがセイウンスカイだ。化粧品などは入っていなさそうな軽さである。遠征に行くことも多かっただろうから慣れているのかもしれない。次にサクラバクシンオーで、最後にブリッジコンプ。
「眠ければ車に乗ってる間に寝ると良い。渋滞に捕まらなければ大体四時間くらいだな」
忘れずに諸々をメモに取って運転席に乗り込む。カーナビがあるとはいえ、近くまで行ってからは道案内が必要かもしれないのでサクラバクシンオーが助手席。ブリッジコンプとセイウンスカイが後ろに座った。一月前なら絶対にしない後ろの組み合わせでも、今はもう構わない。
「昼ご飯は途中のサービスエリアで済ませる。それじゃあ出発だ」
初めてこの車は運転するので慎重に発進させて、トレセン学園を出た。首都高速道路に入って向かうは茨城県だ。
なぜサクラ家が態々関東圏内に別荘を有しているかは気になったので私的に調べてみた。結論からいうとゴルフ場を安く買い叩いたからというのが大きい。バブルで各地に広大な土地を利用してゴルフ場が建設されたものの崩壊した結果、利用者が激減し赤字になった。
バブル崩壊にも関わらず大きな資産を有していたウマ娘名門はこぞって経営難の日本芝のゴルフ場を買収、私用トレーニング施設に変えた。こうした買収はバブルに関わらずでも公民問わず各地であり、最も有名な例としてはURAが管理する阪神レース場が挙げられる。現在では閉鎖されているが阪神レース場の内バ場にゴルフ場があったのだ。
ついでとばかりにサクラ家は元ゴルフ場近くに別荘を建設し、一部のビーチにアクセスする土地を複数のウマ娘の名門と共同名義で買収。管理団体を立ち上げ、実質的なプライベートビーチを作り上げた。法律的にはグレーラインも良い所だが利用させてもらう手前何とも言えない。
似たようなことは他の名家もやっているが此処までの規模はサクラ家だけだ。流石大企業に根を張るウマ娘の名門はスケールが違う。
「清掃管理は毎年業者を呼んで既にやり終えているらしいが、掃除洗濯炊飯は俺たちでやる必要がある。まあ、寮生活で慣れているだろうから心配いらないだろう」
「おやおや~、トレーナーさんが料理を作るの?」
寮生活だからと言って、ニシノフラワーの様に料理が得意とは限らない。むしろ食堂とカフェテリアしか利用しない者も多い筈だ。大半のウマ娘はエンゲル係数が尋常ではないので、自分で作ろうとすると赤字になる。
その例にもれず担当は三人共苦手というか、サクラバクシンオーは悲惨だ。
「そうなる。実は管理栄養士資格も持っているし料理の腕もわりと良い方だと思うぞ」
ウマ娘のハートを掴むにはまず胃袋から。エアシャカール本人が言っていたので間違いない。尚一番の得意料理はファインモーションのせいでラーメンだ。元々担当が一人だけなら完全に食生活をコントロールするつもりではあったが、ただ残念ながらトレーナー業が忙しすぎて披露する暇がなかった。俺自身も自炊せず食堂を利用する始末だ。
「へぇ~セイちゃんは魚料理がいいなぁ」
「私はニンジンハンバーグが良いですッッ!」「私は中華が良いです、トレーナー」
全員違う要求。一日二日滞在というわけではない。其々の好物を栄養を考えつつ順繰りに作っていけば良いだろう。中華なら餃子、エビチリ、中華焼きそばといった典型的なものがいいかな。いっそ、餃子をくるむのを手伝ってもらうというのも合宿イベントらしくて良いかもしれない。そういった例ではまずカレーが思いつく。バーベキューも良い。
トレーニングだけでは精神的に参ってしまう。適度に緩急をつけることで、最高のトレーニング効率は発揮されるのだ。
「セイ、海空トレーナーの様子はどうだった?」
「やー、元気も元気☆セイちゃんの折角の心配も無駄ってものですよ」
それなら良かった。俺が過労死する前に速い復帰を本当に心待ちにしている。
東関東自動車道に入りサービスエリアで特に言うこともない無難な食事を終えて、次第に辺りは土手や田んぼ後は木ばかりになってくる。幸い渋滞に捕まることなく、天候も悪くない。現地には四時間で到着することが出来た。
後ろを見ればブリッジコンプとセイウンスカイが肩を寄せ合って寝ている。サクラバクシンオーは俺に配慮してか起きていて、しりとりや水平思考クイズ等言葉遊びに付き合ってもらった。クイズに関しては正答率は悲惨だったもののバクシンオーの頓珍漢な回答が意外と楽しかった。意外な知識の深さに育ちの良さも散見された。
「懐かしいですねッ!一昨年にローレルさんと来た時以来です!」
私道に入り、トレーニング場に作り替えられたゴルフ場を横切ってコテージの前に到着した。松の防風林の向こうには海と砂浜が見えていて、幾つかパラソルが立っていた。ゴルフ場は兎も角ビーチは共同名義の為、他のウマ娘も利用しているのだろう。
木製のコテージは二棟あり、外観は綺麗だ。片方は俺が、残りはウマ娘達が利用することになる。
「荷物を下ろすから二人を起こしてくれ」
「ブリッジッ!セイさんッ!!起きてください!到着しましたよッ!!」
車から降りれば潮風の匂いがしてくる。暑いことには暑いが肌で感じた限り、東京よりは気温が低い様に思えた。これならトレーニングを十分にこなすことが出来る。砂浜でのトレーニングは短期的なモノならかなり効率が良いというデータも出ているくらいだ。この夏の大きな飛躍に期待しよう。
寝ぼけ眼でブリッジコンプとセイウンスカイが車から降りて来た。セイウンスカイなんて大きな欠伸を零している。
「それじゃあ俺は買い出しに行ってくる。バクシンオーが中心となって荷物の整理と掃除を頼む」
「お任せください!この学級委員長によって新品同様にしてみせましょう!」
大丈夫かな?まあ、意外と学級委員長としてはしっかりしていると聞くし大丈夫だろう。荷物を全て下ろして、俺は再び車に乗った。少し離れた場所にそこそこの人口の町がある。調べた限りでは水族館があって、買い出しが出来るスーパーマーケットも何軒かあった。公共のビーチにも面しているので結構観光客も結構来るらしい。
田舎らしいスーパーマーケットの大きな駐車場に車を停めて、店前に連なったカートを引き抜いた。さて食材の品定めの前にまずはお菓子コーナーだ。お菓子は一番の落とし穴である。三食は良い、作る以上材料も栄養素もしっかり解る。
しかし間食のお菓子となるとかなり危険だ。ストレスの軽減に繋がるため否定はしないしむしろ必要なものだ。人間で考えても解ることだが、ポテトチップスなど塩分と脂質の爆弾である。問題は、塩気のない甘いものばかりというのも飽きが来る。上手いバランスを取らなければならない。幾つか既にリストアップしたメーカーの商品を探す。
まずは飴の袋からと手を伸ばした時、横合いから同じ飴を取ろうとした小さな手が触れた。考え事をするあまり周りへの意識が薄らいでいた。
「ああ、すみません」
謝りつつ、その子を見て俺は顎が外れかけた。居るなんて想像もしなかった。見ただけで才能を感じさせる。黒寄りの鹿毛に、白い流星。小さな体躯に此方を見上げるあどけない赤い瞳。サトノダイヤモンドと対をなす逃げウマ娘。いずれ伝説に至るだろう、その名は。
キタサンブラック
「キタちゃん待ってよー!」
更に、商品棚の裏からキタサンブラックに加えてサトノダイヤモンドまで現れてしまった。俺は呼吸が止まった。
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