掃除に関して言えばサクラバクシンオーは意外と真面目にこなして、セイウンスカイは早い内にサボって寝始めた。それでもトレーナーが帰ってくるまでに両方のコテージの掃除を終えた。ウマ娘パワーは並ではない。軽くジャンプしただけで天井の縁まで雑巾を届かせることが出来るのだ。
コテージは二階建てで、一階にはオール電化のキッチンと居間にバスルーム。二階がベッドで丁度三つあった。木材の良い匂いがする。年季が入ってはいたものの、管理がしっかりと行われていたお陰で白アリやダニその他の虫の影一つない。毛量が多いウマ娘にとって特にダニは天敵なのでとても良いことだ。
掃除を終えた頃に帰ってきたトレーナーは明らかに顔が青ざめて居た。ああして動揺するのは大抵ウマ娘関連なので誰か知り合いにでも会ったのだろうか。直ぐにいつも通り平静に戻って料理を作り始めたけれど、間違いない。ただサクラバクシンオーやセイウンスカイは気づいていないようだし二人の前で追及するのは憚られた。
料理を待つ間ダンベルなどで各々メニュー通りに筋トレをする。セイウンスカイはふらりと外に出て、丁度料理が出来上がる頃に帰ってきた。色眼鏡なしで見るとこの先輩サボり過ぎじゃないだろうか。
料理は白いご飯に真鯛の煮つけ、カレイの竜田揚げ、ほうれん草の胡麻和えに、サラダと味噌汁。どれも両親より料理の腕が上だなと思える味だった。トレーナーに出来ないことはないのかもしれない。最初に選ばれたのがセイウンスカイの要求だったのは少し残念だけど。
そして夜になった。
早々に二人は寝付いてしまってブリッジコンプは車の中で寝たせいか眠ることが出来なかった。目も冴えてしまっている。スマートフォンの電源コードを抜いて、わずかな明かりを点ける。同じく車で寝ていたセイウンスカイはシーツを跳ね除けて丸まって寝ているし、サクラバクシンオーはぴーんと綺麗なまま寝ている。それぞれの性格が出ていた。
セイウンスカイにシーツをかけ直すともぞもぞと動いてシーツを脚で蹴り飛ばしてしまう。
「にゃ~」
これは駄目そう。他のウマ娘の例に漏れずセイウンスカイは寝相が悪いタイプらしい。ゲート入りが苦手なので然もありなん。諦めて足音を立てない様に一階に降りる。
カーテンを閉め忘れた窓の外に月光が見えた。
満月というわけでもなく精々半分と言ったところ。それでも硝子の向こう側に綺麗に見える。星座の名前なんて一つも知らないけれど、星々も良く見えた。東京は明かりが多いから月や星が見えにくいなんていう話も本当だったんだ。
ああでも、場所は解らないけれど夏の大三角の名前くらいは知っている。デネブ、ベガ、アルタイル。知ったのはウマ娘のニュースからだった。アドマイヤベガ、昨年の日本ダービーウマ娘。菊花賞以来、その名を聞くことはなかった。日本ダービー、最も世代で強いウマ娘が勝つたった一回の勝負。だからこそ一度勝ってしまえば燃え尽きてしまうウマ娘が多いと聞く。
代わりに話題になったのがテイエムオペラオーやメイショウドトウ。果たして今アドマイヤベガは何をしているのだろうか。あれだけ話題になった、輝いていたウマ娘が次の年ではニュースで目にしなくなる。
冷蔵庫からスポーツ飲料を取り出して口に含む。まだ眠れそうにない。気分転換に夏の大三角を探したくなって、スマートフォンの明かりを頼りに、玄関から外に出た。
潮の匂いと波の音が昼間より鮮明に感じられた。パジャマでも夏真っ盛りということもあって、温い風が吹きつけてきて寒くない。サンダルの音を鳴らしながら、コンクリートで舗装された道路を横切って海へと向かった。
ビーチには既に人影がいた。
「トレーナー」
見間違えるはずもない。相変わらず強い星々の明かりにも負けない魂の輝き、人とは思えないプレッシャーを持っている。声掛けに気づいて私の方を見るトレーナーの顔は凄く辛そうだった。少しだけトレーナーは茫然として、瞬きをする頃には何時もの優しそうな顔に戻っている。
「ブリッジは眠れないのか?」
「車の中で寝ちゃったので」
「そうか。一人で出歩くなんて危ないって言おうと思ったけどウマ娘だもんなぁ」
確かにウマ娘なら人間の不審者くらいなんとかできるし、毒やスタンガンも殆ど効かないとは聞くけれど心配して欲しいかどうかは別の話だ。とはいえ、今はそんなことよりトレーナーの様子が気になった。よく見ればトレーナーは裸足で、足首まで白く泡立つ波が押し寄せてくる。砂浜にスニーカーが並べて置かれていた。
「トレーナーどうしたんです?」
「どうって、ああ。俺も寝れなくてな。最近はこの時間まで起きていたから」
尤もらしい、でも嘘だ。直感的にブリッジコンプは解った。もし本当にただ眠れないだけだとしたら、最初に「ブリッジ『は』眠れないのか?」なんて言わない。それくらいはこの四か月間で解るし、なによりブリッジコンプの黄金の瞳は人を理解することに長けている。
「今日の、買い物の時から様子がおかしかったです」
トレーナーは自分の口元に触れた。所作が何よりも雄弁に私たちの前では偽りがあるのだと述べていた。普通のウマ娘なら気づかなかったかもしれないけれど、ブリッジコンプの黄金の瞳は誤魔化せない。でも構わない。笑顔を浮かべるのも、優しい態度をとるのも、全部私たちの為だってことは解っているのだから。
だから。
「話してみれば、楽になるかもしれません」
トレーナーの為に何かしたいと思うのも当然のことだ。
「そう……か。うん、これじゃあシャカールに怒られるのも当然か」
トレーナーは海から上がってきて、砂浜に座った。そうするべきだと考えて、ブリッジコンプもトレーナーの隣に座った。
「全部は説明できない。だから多分今から話すことは理解できないと思う。それでもいいか?」
「はい」
月明かりに照らされて砂浜の上を蟹が歩いていく。三度波が引いては押し寄せて、漸くトレーナーは考えが纏まったのか話し始めた。
「俺はお前達の……違うな。セイウンスカイといった黄金世代や、テイエムオペラオー達。一つ上だとメジロ家。今の世代で言えばトウカイテイオー、サクラバクシンオーとかまあ、色々だな。凄い才能の子のファンなんだ」
挙げられた中にブリッジコンプの名前はなかった。明確な区分がブリッジコンプには理解できた。輝かしいばかりの才能があるか否か。ただ活躍するウマ娘だけを指してファンというようなミーハーなものではなく。もっとトレーナーの奥底で根深いものを感じた。
「ただのファンでありたかった。より近くで見たいという願望はあっても、傍に居たいとかいう願望はなかったんだ。俺みたいなのが居ることで歪めたくないんだ」
「トレーナーは凄い才能が、あると思います。だからそんなこと」
言わないでください。トレーナーより輝きがない、ナイスネイチャに沿って言うならキラキラがないブリッジコンプが惨めになってしまうから。歪めてしまったというのならブリッジコンプの方だ。きっとトレーナーは本当はもっと凄い才能のある子を担当してサクラバクシンオーと一緒にメイクデビューを簡単に勝つことが出来たに違いない。
今でもブリッジコンプの中ではニシノフラワーに勝つというイメージが湧いてこないのが証拠だ。トレーナーは最適なトレーニングを与えてくれて、体はぐんぐん成長している。けれど魂はどうしようもなくブリッジコンプのままなのだ。
「信じてくれているブリッジの存在は何時も助かっているよ。でも、今日歯車を狂わせてしまったかもしれない。自分の手で歪ませてしまったかもしれない。だから、動揺していた」
ブリッジコンプにはトレーナーが言っていることが理解が出来なかった。間違いなくトレーナーが一人で買い物に行っている間に何かトレーナーの中で大きなことが起った。きらきらと輝く才能を持つウマ娘についてだ。でも、誰かの人生を歪ませてしまうような出来事が思いつかない。まさか交通事故なんて起こしたわけでもないだろう。
解らない。ブリッジコンプの黄金の瞳はオーラや揺らぎを見抜くことが出来ても理由や中身までは解らない。けれど、トレーナーをこのままにしておくのは何故か致命的な気がして……。結局踏み込む勇気が持てないままに、ブリッジコンプは口を開いた。
「トレーナー、夏の大三角ってどこでしょうか?」
ぴくりとトレーナーの肩が揺れて、しばらくしてくすくすと笑い出した。そして天に指を向けた。トレーナーの横顔は、先ほどまでの辛そうな雰囲気が消えていた。根本をどうにかしたわけではない。この一時を誤魔化したに過ぎない。ブリッジコンプは踏み込めない。
でもトレーナーが少しでも楽になったのなら嬉しいと思う。
「オーケー。まずはあれが夏の大三角だ。左下がデネブ、そこから時計回りにベガとアルタイルがある」
トレーナーが指す方向に自分も指を向けてみると、確かに他の星々を凌ぐ明かりを持つ星が三つ輝いていた。三角形に向かって掌を広げる。トレーナーは勝てると言ったけれど、自分では信じられない。いつか私もあれに届く日が来るのだろうか。
というのが昨日の話。
なぜか今私は折角のビーチだというのに目隠しをされて、棒切れを持って立たされている。容赦なく降り注ぐ太陽光、耳に届く波の音と、潮風の匂い、それから靴の下のじゃりじゃりとした感触が私に此処が浜辺だと事実を伝えてくる。汗が早速滲み始めたトレーニング用水着の締め付けがきつい。
「なぜ?」
「スイカ割りだ」
トレーナーの明瞭な答え。いや何をさせるのかを聞きたいわけではない。スイカ割りなのは誰がどう考えてもそうだろう。海辺で目隠しをして棒を持っているウマ娘を見てスイカ割りと判断しない方がどうかしている。ただスイカ割りをトレーニングとしてトレーナーはブリッジコンプにやらせようというのだ。
この前やったように目隠しして食事をとった時の様に目に頼らない様にする為、かもしれないが態々砂浜でやることでもないし、スイカはゲートと違って音なんて発しない。
「目標のスイカはここから直線で四分の一ハロン。場所を教える掛け声は一人一回まで。嘘はなし」
しかも距離が凄く長い。目隠しをする前に見たスイカは模様がぎりぎり見えるか見えないか程度の距離まで離されていた。
「トレーナーさーん、ブリッジちゃんのパワーですいかを叩いたら木っ端微塵になっちゃうよ」
「セイ、良い意見だ。ブリッジは手加減して棒を振り下ろすように。バクシンオーは何かあるか?」
「ブリッジッッ!指示は私にお任せくださいッッ!」
サクラバクシンオーの指示が一番信用がならない。そもそも何故皆ノリノリなんだ、おかしいとは思わないのか。私の体がサクラバクシンオーとセイウンスカイによってぐるぐると回されていく。丁度十回数えた頃には頭がぐらぐらし始めていた。足元が覚束ない。でも少なくともスイカがある方向は解る、多分。
「それじゃあ行くぞー。ちなみに三回までに当たらなかったらブリッジは高級人参抜きだ」
こなくそーーっ!なんてことをいきなり言うんだ。トレーナーがパンと掌を叩く音に合わせてゆっくりと歩き始める。別に走らないといけないとは言われていないので、当然の策だ。確かに三食トレーナーの御飯も美味しいが、高級人参という言葉は魅力的である。
「ブリッジッ!バクシンです!」
早々に、無意味に貴重な助言を使い切ったサクラバクシンオー。予想通りである。自分の歩く歩幅は、走る歩幅の調整の時に知った。約65.5cmつまり50mを歩くには76歩必要な計算になる。問題は真っすぐ歩けるかどうか。ふらつく脚に意識を集中させつつ一歩一歩前進した。
じりじりと天から降り注ぐ太陽光が脳を茹って集中力を奪っていく。36歩目にして、突然脚に冷たい感触が襲い掛かった。波だ!気づいたら大分右に逸れて海に近づきすぎたみたいだ。これで合計76歩を超えて歩かないといけないのは確実になってしまった。
左に調整し直して波から離れていく。頬に汗が一滴流れ落ちる。砂の感覚が正確な歩幅を狂わせる。まだトレーナーとセイウンスカイからの助言はない。有難いことに最終盤でしてくれるようだ。そして丁度76歩を達成して、これからが勝負だ。私が立ち止まったことでセイウンスカイから助言が来る。
「すいかはあと斜め右五歩くらいだね~」
言われた通り進む。確かに鼻孔に微かにスイカの甘い匂いがする……気がする?ただ正確な場所までは解らない。再び立ち止まって最後のトレーナーの助言を待つ。
「もう一歩進んで右30度くらいだ」
ここっ!振り下ろした棒がすかって転びそうになった。外してしまったようだ。目隠しを外せば30cmは離れた場所に丸々と大きく張ったスイカがビニールの上に鎮座していた。匂いも覚えたしもう後二回挑戦すれば当たりそうな気はする。
それにしても。改めて気になってトレーナーに聞く。
「トレーナー、やっぱりこれ何の意味があるんです?」
「トレーニング的な効果はないよ」
ないの!?絶対あると思っていただけに驚きは大きい。
「まあ、お遊びついでのトレーニングだな。普段の学園じゃトレーニングは土日以外午後だけだ。一日中トレーニングを連日でいきなりやりだすと脚が壊れる。だから最初の二日間の午前は遊びだが本気で体を動かして、本格的な午前トレーニングは一日中体を動かす感覚に慣れてからだ」
土日は一日トレーニングをしていても、確かに毎日はしたことがない。でも不満はある。
「なら最初からそう言ってくれれば良かったのでは」
「疲れるくらい本気で遊ぶのが目的だからな。例え高級人参が報酬にあってもそれなりで済ませたと思うぞ」
むっ!高級人参の魅力はその程度ではない。現に今脳内は次にどうスイカを叩き割って高級人参を手に入れるかをシミュレーションしている。頬を膨らませて不満を主張すると、トレーナーは苦笑いして謝った。子ども扱いされている気がする。不満をより主張するためにトレーナーの脛を軽く蹴る。
「痛い痛い。悪かったって。今日の午前はこんな感じでゲームをしていって勝ったら高級人参て感じだ。他にもビーチバレーとかもあるぞ。だからセイウンスカイは手を抜いてサボらない様に」
「は~い」「解りました!バクシン的勝負ですねッ!」
さてビーチバレーというと対戦形式になる。果たして私はサクラバクシンオーとセイウンスカイに勝てるのだろうか。不安になってきた。
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