サクラバクシンオーは今の環境に満足している。
競り合える仲間、夢を肯定してくれる優れたトレーナー、トレーニング環境全てが揃っている。小さい頃実家では何時もビリだった。当時からスプリンターとして競い合うなら別だっただろうけれど。サクラ家は中長距離を専門としていたし、サクラバクシンオー自身当然そうなるだろうと思っていたので短距離なんて考えもしなかった。何時もスタミナが切れてへろへろにゴールしていた。
サクラ家の教育係の言うことは難しくて良くわからなかった。何時ももっとペースを考えて走りなさいだとか、スピードを落としなさい、名門らしく礼儀正しくしなさいだとか、口癖を辞めなさいなんて言ってきた。他の家の子に負けて「速かった!それは認めましょうとも!」なんて褒めた日には貴方にはサクラ家としての自覚がないのなんて怒鳴ってきた。
でも教育係の言う事は全然バクシンじゃない。
最速こそ最強 常にいついかなる時でも誰よりも速く走る 誰よりもゴールに近い先頭を走り続ける
両親は桜驀進王と名付けてくれたのだから、サクラバクシンオーにとってバクシンするのは当然の責務だ。その上で負けたのなら潔く相手を称えるのが真のあるべき姿だ。
誰よりも速く走れば誰よりも速くゴールに辿り着ける、当たり前のことを両親以外誰も理解してくれなかった。初等部の同級生ウマ娘でさえ何故か名門サクラ家だから、駆けっこで勝てないからなんて理由で近寄ってくることはなかった。
消沈する中で、出会ったのがサクラローレルだった。サクラローレルはペースを考えろだとか、スピードを落とせなんて一言も言わなかった。むしろバクシンという口癖を褒めてくれた。誰よりも速く走れば誰よりも速くゴールに辿り着けることも肯定してくれた。
とても速くて他のサクラ家の誰も口出しすることが出来ない存在だった。バクシンする為により多くのスタミナをつける必要を教えてくれた。一緒に並走してくれた。二人だけで雨上がりの芝を走った。その頃にはもう意識しなくなっていたがサクラバクシンオーより速い、デビュー前の同世代のウマ娘は居なくなっていた。
サクラバクシンオーは両親とサクラローレルさえいれば良かった。
サクラローレルは言った。
「君のバクシン道は間違っていない。けれど、もし運命と出会ったのならその言葉を信じなさい。王とは孤独ではない。速度の向こう側にたった独りで居る愚者ではない。傍に立つものが居て従う者が居て初めて王であるのだから」
サクラローレルは迂遠な言い回しを好むので、言われた時も理解できたとは言い難かった。運命だとか王だとか孤独だとか暗黒だとか聖騎士だとかサクラローレルはそういう言葉が大好きなのだ。恰好良いとは思っても、理解は出来なかったけれどサクラバクシンオーは話を聞くのが好きだった。
当然の如くサクラバクシンオーはサクラローレルに憧れた。両親が模範的なウマ娘は学級委員長だと教えてくれた。当時のサクラローレルは学級委員長だったので、納得して自身も学級委員長になりたいと思った。助けてくれた人みたいに成りたい。だから周りに自ら積極的に関り、助けるということを覚えた。
気付けばサクラバクシンオーは学級委員長になっていて、初等部の中頃には多くの友人達が出来ていた。自分が学級委員長なのだからサクラローレルは大学級委員長である。サクラローレルがトレセン学園を実質的に卒業した後も、中等部の頃も引き続き学級委員長であり続けた。
早く大学級委員長の様にデビューしたかったけれど、どうやらもっと速く走れなければ駄目らしい。体がまだ目覚めるべき時ではないと囁いているようだった。
高等部に上がり、漸くデビューが認められ、サクラバクシンオーは運命と出会ったのである。特徴的な顔立ちではなかった。トレーナーは奇抜な格好をする人も多いから、普通のスーツ姿であることも特徴の無さを助長していた。
けれどブリッジコンプと一緒に座る姿を見た瞬間、ビビッと来た。この人となら私も大学級委員長になれると思ったのだ。
「むにゃ……だから……大学級委員長に……」
「バクシンオー?生きてる?」
「にょわっ!」
頬にぺたりと当てられた冷たい感触にサクラバクシンオーは飛び起きた。目をぱちぱちと瞬かせて周囲の状況を見る。囲む森に舗装された山道、寝ていたのは長い木製のベンチ、自販機が三つに十五時半を示す時計。サクラバクシンオー自身は髪が解かれている。湿って重くなったジャージ姿の下に同じく濡れた水着。
思い出してきた。今日は夏合宿二日目。確かトレーナーさんがトライアスロンなるものを提案してきたのだ。砂浜を走って、海を泳ぎ、山を登って降りてきたゴール地点。かなり過酷だったがバクシン的に乗り越えることが出来た。
山を登ったところまでは居たはずの後ろにブリッジコンプが居ないので、下山した先の公園で体を休ませながら待つことにしたのである。ベンチで横になってから十分も経っていない。セイウンスカイはリハビリ中には過酷すぎるということで別のトレーニング中だ。十五時五十分まではトレーナーさんはセイウンスカイの方につきっきりの予定である。ブリッジコンプから受け取ったペットボトルを飲む。
汗は拭いたはずでも、ジャージに吸い込んだ分はどうしようもないので体を冷やしてしまった。ただ立ち上がる気力を取り戻すのはなかなか難しい。サクラバクシンオーをもってしてもきついものがあった。こういう時に桜餅さえあれば回復するのだが残念ながら自販機には無い。
「今日も追いつけなかったー」
どさりとサクラバクシンオーの横にブリッジコンプが座り込む。頬からは今も汗が滴り落ちていて、顔は赤く染まっていた。ブリッジコンプがぎゅっと金髪を絞るとぽたぽたと汗の水滴がコンクリートの上に染みを作っていく。
「ブリッジもまだまだですねッッ!」
「そうだね、もっと頑張らないと」
サクラバクシンオーはブリッジコンプのことが好きだ。まあ、学級委員長であるサクラバクシンオーに勝てないとしても。何時だって背中を脅かしてくる気配、後ろにブリッジコンプが居るからこそ全力を出すことが出来る。実際、ブリッジコンプが後ろで走っている時の方が良いタイムが出ている。
「よっほ!ほっ!」
勢いをつけて跳ねるようにサクラバクシンオーは立ち上がる。トレーナーが来る予定の時間まで十五分はあるし、体が冷え切ってしまう前に少しは動かした方が良い。優等生として風邪を引くわけにはいかない。
髪ゴムを咥えて、後ろ手で髪を掴んでから結ぶ。この髪型も大学級委員長を真似したものである。大きく伸びを一つ。軽くその場で足踏みをすれば疲れはすっかり取れていた。公園の周りを一周もすれば体が温まるだろう。
「それじゃあブリッジ!私は……む?むむむむ?」
「バクシンオー?」
公園の入り口に立つ二人の小さな影。その片方、黒みがかった鹿毛の流星が目立つ方。不思議とサクラバクシンオーの桃色の瞳は吸い寄せられた。相手の子ウマも同様に驚いた顔で赤い瞳をじっとサクラバクシンオーに向けている。
「ビビッと来ましたッッッ!!」
サクラバクシンオーはその子と会ったこともない筈なのに不思議と運命的なものを感じる。トレーナーに感じたものとは違う。まるでサクラローレルに感じたものと近い家族のような感覚。でもサクラ家にあのような姿の少女は居なかったはずだ。
「ダイヤちゃん、なんだろう。この気持ち。胸がドキドキする」
「えぇ!キタちゃん!?」
二人とも合わせ鏡のように互いに走り出して、ぶつかる直前で急停止した。きらきらと輝く桃の瞳と、赤い瞳が見つめ合う。子供は興奮したように胸の前で両手の拳を握って、サクラバクシンオーは胸を張って腰に手を当てて名乗った。
「こんにちは!キタサンブラックです!」
「こんにちは!みなさんの学級委員長、サクラバクシンオーです!」
「もうキタちゃん!」
キタサンブラックの首元を、追いついてきた白いダイヤが目立つ鹿毛の子が後ろから引っ張った。
「ぐへぇ」
ブリッジコンプはその様子を見ながら戦慄して声一つ出すことが出来なかった。サクラバクシンオーやトウカイテイオー級の才能をこの小さな子ウマが二人とも持っている。そうしている間にも自己紹介が進んだ。ぺこりと礼儀正しく鹿毛の子は頭を下げた。
「キタちゃんが失礼しました、私の名前はサトノダイヤモンドです!」
「此方は私の友人であるブリッジコンプですッッ!」
名前を呼ばれて、ブリッジコンプは動けるようになった。立とうとして、疲れていたことを思い出して倒れそうになる。なんとか転ぶことなく立ち上がることが出来た。まだ子供だというのにブリッジコンプは気圧されていた。
「う、うん。それより、キタちゃん?のこと離してあげようよ」
首が締まったままだったので、キタサンブラックは白目をむいて泡を吹いてしまっている。サトノダイヤモンドが急いで離すとげほげほと咳き込んだ。ウマ娘なら大事にはならないだろうが、意外とサトノダイヤモンドの方がキタサンブラックより天然なのかもしれない。
改めてサクラバクシンオーは記憶を探ってみて首を捻った。
「やはりサクラの文字が名前にありませんか」
「実は祖母がサクラ家の方だそうです!」
「なるほどッッ!ならば家族も同然!サクラキタサンブラックと名乗って良いですよッ!!」
良くないと思う、心の中で思ってもブリッジコンプは何も口にしなかった。それより気になることがあった。なんとなく昨日トレーナーがあれ程動揺していた原因がこの子達にあるように思えて仕方なかった。才能ならトレーナーが挙げた名前にも勝るとも劣らない。
「もしかして昨日私達のトレーナーに会わなかった?」
ぴょこぴょこと二人の子ウマ耳が思案するように動く。
「トレーナー、そういえば会いました!」
「昨日のお店で道案内をしていただいたんです」
曰く、帰り道が解らなくなったところを送ってくれた大人の人がいたらしい。特徴を聞いていれば完全に一致するのでトレーナーに間違いない。会って話して道案内したくらいなら、トレーナーがあれ程動揺することもないと思う。トレーナー本人に聞くことは出来ない。ブリッジコンプは踏み込むだけの勇気がない。
けれど、知りたいとは思う。トレーナーだから、ブリッジコンプは知りたいと思う。トレーナーに聞けなくても、今日初めて会ったばかりの子ウマ相手なら別だ。ブリッジコンプは黄金の瞳を片膝をついて二人の目線に合わせた。
「なにか言ったり、言われたりした?」
「私、デビューすることになったらトレーナーさんになって欲しいって頼みました!」
キタサンブラックが無邪気に嬉しそうに笑った。これだとブリッジコンプは確信した。
「良い考えですねッッ!キタさんは見る目がありますよ!なんたってこの学級委員長の運命のトレーナーですから!」
「はわっ運命の人だなんて大人です」
トレーナーは多分、このキタサンブラックと深く関わりたくないと思っている。それが何故歪めてしまうだなんて発想に至るのかブリッジコンプには解らない。キタサンブラックがどういう経緯で逆スカウトしようとしたのか気になった。
「なんでトレーナーになってもらおうと思ったの?」
キタサンブラックが赤い瞳を爛々と輝かせて言い切った。
「びびっと来ました!」
ブリッジコンプは自分でも我慢していたのに動揺して耳がぴくぴくと動いてしまった。びびっときたを言葉にするなら運命的出会いというモノだ。セイウンスカイが、サクラバクシンオーがトレーナーに関して感じたモノ。ブリッジコンプだけが感じていないモノだった。
「なるほどなるほど!トレーナーさんは常に正しく善良ですからね!!キタさんのことも良く導いていただけることでしょう!」
ブリッジコンプが考え込んでいる内にすっかりサクラバクシンオーとキタサンブラックは意気投合してしまった。
余談
インディアンポーカーというゲームがある。其々トランプカードを一枚ずつ引いて、自分の数字やマークは確認せず他の人には見えるように自分の額に置く。その後、各々が向き合って自分のカードが他の人のカードより大きい数字判断するゲームだ。ジョーカーは抜き。賭けられたのは当然高級人参、参戦するのは三人のウマ娘達。
発案は一番高級人参を多く獲得したセイウンスカイからだった。ブリッジコンプ達から更に高級人参を奪おうというのか、それとも余裕故の遊びか何時もの笑みからは判別できなかった。
トレーナーが買ってきた一本千円の高級人参。綺麗にラッピングされており、ウマ娘の間では垂涎の物でよく誕生日ケーキなどに使用される。セイウンスカイが現在五本、サクラバクシンオーが四本、ブリッジコンプが三本という状況だ。
全員風呂上がりのパジャマ姿のまま、リビングの机を囲んで真剣勝負となった。
桃色の瞳と、青色の瞳と、黄金の瞳がぶつかり合う。この勝負、オーラで動揺を見抜くことが出来るブリッジコンプに有利だ。是非とも二人から高級人参をむしり取りたい。鮮度があるので今夜中に食べなければならない以上、敗北は許されない。
「それじゃあ、バクシンオーちゃんにシャッフルをお願いしようかな♪」
「良いですよ」
「解りましたッッ!この学級委員長にお任せあれ!」
サクラバクシンオーがシャッフルをすることに異はない。セイウンスカイは仕込みをする可能性がある、そうセイウンスカイ側もブリッジコンプに対して思っているだろう。あの笑顔の裏側に隠された強いプレッシャーを知っている。
シャッフルされ、裏側で扇状に広げられたトランプカード。ブリッジコンプはカードの真ん中を選び、二人もそれぞれ選んだ。誰も自分のカードを確認しないことを、相互監視しながら額に当てる。セイウンスカイがダイヤの7でサクラバクシンオーが同じくダイヤの6。
「おおっと~」
私のカードを見て声を上げた、セイウンスカイの動揺は明らかなブラフ。コップに入った麦茶のように精神は一つも揺れ動いては居ない。
「なるほどッ!私のバクシン的勝利ですねッ!!」
サクラバクシンオーはどんな時も自信満々なので全く読めない。例え私のカードがキングつまり13でも同じ態度をとったはずだ。此処に勝つには完全に運になる。どちらも想像以上の難敵だ。ブリッジコンプが手持ちの高級人参を増やすのは難しいかもしれない。
「セイちゃんは降りないかな」「私も勝負ですッッ!」
息を吸って吐いて、心を落ち着かせる。カードは13種類、7を超える数字は全体で見れば低い確率だが勝負に出なければ勝ち目はない。
「私も降りません」
勝負ッッッ!!!!
一斉に額からカードを外して机の上に置く。ブリッジコンプのカードはハートの9!!勝った!!
「なかなかやるねぇ♪」「お見事ですッ!ブリッジ!」
結論から言うと、この後ブリッジコンプは高級人参を一本以外むしり取られることになる。
感想・評価・誤字報告有難うございます。励みになります。