黄金郷への橋   作:そういう日もある

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トレーニング+

初めに生で見て思ったのはちぐはぐな綺麗なウマ娘という印象だった。鹿毛に額の毛束だけ白く、両耳についた飾りはシャムロックの花。物腰柔らかくどこかぽわぽわとした浮世離れした雰囲気。所作の一つ一つが家柄の良さを感じさせた。いわゆる名家ウマ娘の想像通りの姿。

 

ファインモーション先輩というウマ娘は普通そう見えるのだろう。

 

「現役の頃はこのトレーニング場の少し離れた場所にクローバーの群生地があってね。よく四つ葉のクローバーを探したんだけど、今はもう舗装されちゃってるみたいで少し悲しいなー」

 

けれどブリッジコンプの黄金の瞳は正確に捉えていた。現役を引退した?嘘でしょう?立ち上るオーラは燃え盛る炎を思わせ、ファインモーションの中で腹を空かせた獰猛な獣が今か今かと歯ぎしりをしながら涎を垂らしている。オーラだけでいえばシニア級G1ですらなかなか見ることの出来ない強烈な物を持っていた。本人に自覚があるのかは解らない。しかし、間違いなく見た目だけの印象は擬態だ。

 

「ブリッジさん?」

 

此方に黄色の瞳が向く。ぞくりと悪寒が走って、勝手に心臓の鼓動が早まる。別に威嚇された訳でもない。エアシャカール先輩のように威圧感のある顔を浮かべているわけでもない。ただ自然と天敵だとウマ娘としての本能が警鐘を鳴らしている。数多くの強いオーラのウマ娘を見てきたが、こういう感覚は初めてのことだった。

 

なんとか動揺が表に出ない様にしなければ。そう思っても耳や尾が勝手に反応してしまう。せめて手で両耳を抑えた。

 

「……っはい、なんですか?」

 

「ブリッジさんはトレーナーさんのことどう思う?私はとっても面白いと思うんだっ♪」

 

ファインモーション先輩の視線がトレーナーに移って安堵する。今トレーナーはサクラバクシンオーとエアシャカール先輩が並走をしているのを見ていて、此方に意識を向けていない。トレーナーが聞いてる中で、改めて言うのはなんだか恥ずかしくて助かった。

 

「面白い、ですか。私は優秀で凄い才能があると思います。バクシンオーも、その比べたらダメですけど私もぐんぐん成長してますし」

 

「なるほどなるほどー」

 

ファインモーション先輩は何が可笑しいのかくすくすと笑った。

 

サクラバクシンオーの並走が終わり帰ってくる、と思ったら直ぐにサクラバクシンオーはエアシャカール先輩に連れられて芝の反対側へ行った。サクラバクシンオーは悲痛な声を上げてトレーナーに手を伸ばしているが、トレーナーはこれを無視。私たちに向き合う。

 

「じゃあ次はファインだ。同じく一周頼むよ」

 

嫌だなんて流石に言えない。でも私はエアシャカール先輩の方が良かった。顔は怖いけど、それは目付きが悪い私としては妙にシンパシーを感じるし。生で見ればオーラはとても理知的で言動に似合わず、冷静さを持っている。まるでファインモーション先輩とは合わせ鏡のようだ。

 

ファインモーション先輩と私の相性が悪いことはトレーナーも気づいている筈。何をさせたいのだろうか。

 

「ふっふふ~ん♪ブリッジさんよろしくね!」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

準備運動は既に終えていたのでフォームを意識しつつ走り出す。スピードは指示された通り軽めだ。直ぐにファインモーション先輩が追いついてきて並走が始まる。

 

先輩の走り方はとても綺麗だ。身長は私より10cm以上高く、その分脚も長い。十分なストライドを保ちつつペースを自然と此方に合わせてくる。走ること自体が本当に楽しそうで、軽やかなスキップを思わせる。

 

「そういえばなんでトレーナーの事、面白いって思ったのか聞き忘れていました」

 

隣で放たれるプレッシャーから意識をそらすため疑問を口にした。

 

「凄く成績悪かったんだよー。シャカールにいっつも怒られてたし、私のこと最初はいやらしい目で見て来たし、全然他のトレーナーと交流もしないし」

 

思わず走るペースが少し崩れる。今のトレーナーからは想像もつかない。むしろ真逆だ。そもそもトレーナーが誰かを、ウマ娘をいやらしい目でなんて信じられない。セイウンスカイのからかいさえ軽く受け流してしまうのだ。全部別人のことと言われた方が納得できる。

 

「まあでも、日本の諺でえーっとそうそう!えへへ、バカな子ほど可愛いだね♪不思議と面倒見てあげなきゃって思う面白い子なんだよ。だからブリッジさんが優秀って言った時なんだか可笑しくなっちゃって」

 

笑ってしまったと。なんだか聞かなければ良かったという気持ちになった。会話を切って少しだけペースを上げる。

 

この一週間で慣れてきたが違和感は残っている。体が重くなった代わりに——そのことは今でも納得していないが——踏み込みがより強くなった。強くなった分力が大きくかかり、今までのフォームでは真っすぐ前に進まず余分な力が少し斜め上へ体を上げてしまう。重心が上下にずれるから余計なスタミナを使う上に、コーナーを曲がるときに膨らみやすくなっている。

 

余分な上方向の力を全て前方向にしなければならない。しかし、その為には今まで培ったフォームを捨てなければならない。正しい走法を模索中で、自分の成長した体を使いこなせていないのが今のブリッジコンプだった。歩幅は2mという現状が限界点。体が小さなブリッジコンプにこれ以上のストライド走法、つまり歩幅を広くする走法は難しい。ならばどうするかという答えを今日出す予定だとトレーナーからは言われていた。

 

「キミが何をさせたいのかようやくバッチリ解ったよっ」

 

何を?今のファインモーション先輩の言い方はブリッジコンプに向けてのものではなかった。先輩は並走を辞めて横から少しだけ下がった。

 

「よぉし、それじゃあブリッジちゃん———いくよ」

 

先輩の、声のトーンが落ちた。ぞわりと悪寒が走った。ブリッジコンプの耳がぺたりと垂れて、びりびりと皮膚の上を何かが這いまわっていく。ウマ娘の魂が震えている。細胞の一つ一つが危機を感知して真っ赤なアラートを上げている。

 

「ひぃっ!」

 

口から悲鳴が漏れ出た。

 

凄まじいプレッシャーが直ぐ背後から解き放たれる。此処まで明確な幻視をブリッジコンプは体感したことがない。シャムロックの花が咲き誇る巨大な城の門が開かれていく。門の奥、薄暗闇の中。繋ぎ止めようとする鎖が引きちぎられ『未知』を求めるアイルランドの化生がゆっくりと表に出てくる。

 

映像で見たファインモーションの全盛期、エリザベス女王杯の時とは全く異なるモノがまろび出る。

 

ブリッジコンプは気づけば全速力で逃げだしていた。振り返ることすらできない。かかっているのは解っている。けれど、どれだけ危険信号のままに逃げ出そうとも、ぴったりとブリッジコンプの背後を獣が着いてくる。

 

懸命に脚を振る。フォームなんて、もう意識することが出来なかった。芝を蹴って、コーナーを曲がり、どこまでも逃げる。後ろの存在から逃げ出したいという本能が理性を押しのけている。でもまだ着いてきている。

 

息が荒い。呼吸が苦しい。脳に酸素が回らなくなり、徐々に意識が白み始める。

 

「そこまで!!」

 

急速に後ろのプレッシャーが萎んだ。トレーナーの声、此方に駆け寄ってくる姿が見えた。緊張と安堵でよたよたとスピードを緩めて、ブリッジコンプは芝の上にへたり込んだ。息を整えていくうちに目頭が熱くなる。涙が出てきてしまいそうだ。泣くまいと必死に我慢する。

 

「ファイン!やり過ぎだ」

 

「ごめんなさいっ!ブリッジさん、大丈夫?」

 

パンッ!

ファインモーション先輩が伸ばした手を、ブリッジコンプは植え付けられた恐怖から思わずはたいてしまった。

 

「あ、いや、その、違くて」

 

急いで謝ろうとしても、口が回らない。その私を、強引にファインモーション先輩は抱きしめた。花の心を落ち着ける香りがふんわりと広がる。先ほど見た城の中の獣はなりを潜め、謝りたいという感情が伝わってくる。

 

「ごめんね。久しぶりに思い出深い此処に来たから、ついつい走るのが楽しくて加減を間違えちゃった」

 

鼻水をずずっと啜って、目をぎゅっと瞑って涙を抑え込む。

 

よく考えれば先輩が私を襲うことなんてある筈もない。例え獣のプレッシャーを幻視してもあくまで幻に過ぎない。つまりブリッジコンプは黄金の瞳故に、無駄に恐怖を感じすぎてしまったのだ。

 

「……解りました。解りましたから」

 

心臓の鼓動がなんとか平常へと戻っていく。私が落ち着き始めたのを確認して、ファインモーション先輩は離れた。見上げればトレーナーは困ったような表情をしている。なんだか、大袈裟にしてしまって気恥ずかしい。

 

「俺の意図を汲んでくれるのは良いんだが、説明してからやらせるつもりだったんだ」

 

「なんの、意図があってですか?」

 

ただ怖がらせる為だけではないだろう。トレーナーは頷くと、タブレットを此方に向けてくる。どうやら私達が走る映像を撮っていたらしい。再生されると恐怖に顔を歪ませて、後ろにぴったりと張り付くファインモーション先輩から全速力で逃げる私の姿が映し出された。

 

「ブリッジは色々悩み過ぎだと思ってな。この時の走り、最適じゃないが色々考えを捨てて自然だった。ウマ娘は走ることを本能に刻まれているから悪くない方法だと考えた」

 

トレーナーがそう言うならそうかもしれないけれど、全然記憶にない。ガムシャラに走っていた。

 

「ということで今からブリッジが自然な走法が体に染みつくまでファインが追いかける。よろしく頼みます」

 

え?

 

「バッチリ任せて!」

 

えーーーーー?ちょっと待って、あんな体験なんてもうしたくない。でもトレーナーの前でトレーニングを嫌ですなんて言えない。自分の走法について解決する方法も思いつかない。ブリッジコンプはぐるぐると思考が回って、最後に残ったのが諦観だった。

 

必要な事だと諦める。ため息を吐きだしつつ、立ち上がった。

 

「解りました。ちょっとその、手加減をお願いします」

 

「うん!」

 

言葉とは裏腹に走り出した途端、ファインモーションのプレッシャーが再び増大する。『未知』を求める獣が顔を出す。ブリッジコンプは体の信号に任せて必死に逃げたのだった。

 

 

 

セイウンスカイは久しぶりに一人だった。傍にはどちらのトレーナーさんも居ない。脚はまだ重く万全とはとても言い難い。昔は走っていればあんなに声を掛けられたのに、今では何処にでもいるトレーニング中のウマ娘だ。

 

別にそれは良い。セイウンスカイにとって走ることに、声援やファンの数が重要ではない。むしろ、お休み中に話しかけられることが減って助かっている。脚が故障する前は走る目的が同期達に勝ちたいということだった。黄金世代と一緒くたにされた私達の中で、誰もが競い合って一番を目指した。

 

でも、もう黄金世代は終わった。今年の三月に高松宮記念でキングヘイローが勝って終わったのだ。スペシャルウィークとエルコンドルパサーは引退しドリームトロフィーを目指す。グラスワンダーはまだ未定だが少なくとも今年中には引退して同じくドリームトロフィーを目指すはずだ。キングヘイローはまだまだシニア級で走る様だが、ドリームトロフィー出走資格へと向けた評価稼ぎだ。

 

シニア級は今やテイエムオペラオー達新たな世代によって席巻されつつある。

 

じゃあ私は?

 

「なーんとまー、セイちゃんてば諦めの悪い」

 

走る。走る。二人のトレーナーさんによって、指示された通り路面でも問題ないと太鼓判を押された踏み込みの浅い走り方。その分腿をよく上げるようにする。木々が流れていき、月日を間違えて出てきた蝉が鳴いていた。木陰を走って、出来るだけ太陽から逃れる。まだ学園を一周しかしていないのに心臓は五月蠅く、息は上がっている。

 

走りながらジャージの前を少しだけ開けて風通しを良くした。二年前はこうじゃなかった。脚は羽の様に軽く自由で、空を飛べるような気がした、海を走って渡れるような気がした。でも明確にあったイメージは徐々に薄れ来ていて、今では領域も出せなくなりつつある。

 

このままではそのうちブリッジコンプにも短距離で負けるかもしれない。確かに才能がないけれど、其れでも肉体はメキメキと成長している。セイウンスカイは、停滞はしていない。一度落ち込んだ走りを徐々に上げつつある。でも成長速度はジュニア級やクラシック級と比べるべくもない。

 

セイウンスカイが復活するには、魂に、才能にくべる新たな薪が必要だった。

 

もう半周してから、息を整える為にセイウンスカイは公園の前で立ち止まった。序に水分補給もしておこう、確か水飲み場があったはずだ。ポケットからトレーナーに渡された塩味の飴を取り出しつつ、園内に入る。

 

公園で栗毛が風に揺れていた。長い髪のウマ娘の名はグラスワンダー、セイウンスカイの同期だ。対決したのはクラシック級の有馬記念、セイウンスカイは惨敗した。そのグラスワンダーが一人、ベンチで本を読んでいた。また故障したので、脚には包帯が巻かれている。

 

今年六月末GⅠ宝塚記念、グラスワンダーとテイエムオペラーの世代対決と言われた勝負はレース中にグラスワンダーの骨折という決着がついたとは言い難い形で幕を閉じた。

 

「グラスちゃんおひさー」

 

グラスワンダーはぱたんと本を閉じて呆れたように見上げてきた。

 

「セイさん。今日の午前中一緒に授業受けましたよね?」

 

「にゃはは~、授業中はセイちゃんてばいつも通りお休みしてたらね」

 

もう卒業の為の単位は取り終わっている。ドリームトロフィーを目指さずに引退でもしない限り、学園には幾らでも居て良い。だからセイウンスカイは午後のトレーニングの為に授業中は睡眠という形で有効活用しているのである。先生の声と、窓から差し込む陽気でしか得られない快眠というものはある。

 

最近は昼食もトレーナーさんの元に押し掛けて一緒にとることが多いので同期組と話すことも少なくなった。でも仲が良いのは相変わらずだ。

 

「脚、治りそう?」

 

「ええなんとか。こういう言い方は変かもしれませんが、慣れてしまいました」

 

グラスワンダーは朝日杯FSでレコード勝ちした後、ほぼ一年間骨折に悩まされた。その後も何度も故障を繰り返し、出場していたらもっと勝利数が多かっただろうと言われている。たらればの話だ。

 

「折れてなければ勝てていた?」

 

私の質問にグラスワンダーは困った顔をした。

 

「どうでしょうか。オペラオーさんは強いですからね、負けていたかもしれません」

 

同じチームリギルに所属する以上、テイエムオペラオーの実力について詳しい筈だ。そのグラスワンダーが負ける懸念を口にするということは既にテイエムオペラオーはグラスワンダーを超えている。今のセイウンスカイでは逆立ちしたって勝てない。

 

でも。

 

「ま、なら私がオペラオーちゃんに勝てば黄金世代最強はこのセイちゃんてことで良いよね♪」

 

「セイさん!?」

 

黄金世代は終わった、言われなくても解っている。同期達は皆新しい道を見つけて、未だにもがいているのなんて仲良し五人組の中でキングヘイローだけだ。セイウンスカイには復活したって、このままドリームトロフィーへと向かう切符もある。クラシック二冠、ワールドレコードというのはそれだけ評価値が大きい。黄金世代対決もドリームトロフィーで決着を着ければ良いというのは当然の話だ。

 

でも。

 

私達の世代がこれで、尻切れトンボで、ファンが望んだ泡沫の夢(ドリームトロフィー)で終わっていいなんて、セイウンスカイはこれっぽっちも思わない。いつか終わりが来るのなんて解っている。でもセイウンスカイは我儘なのだ。世界に、最後まで鮮烈に強く刻み付けなければ我慢ならない。

 

「キングだけに任せておくのは不安だからね」

 

まだ足りないけれど、一つセイウンスカイの中で薪が魂にくべられた。




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