9月中旬
ミーンミンミンミンミンッ!
蝉の鳴き声が喧しく、イヤーカバーが必要な程だった。今年は9月中旬に入っても今日まで猛暑日が続いていた。雲一つない空が憎々しい。教室のウマ娘達は皆バテバテで、先生の授業なんてまともに聞いてられない。先生も人間の女性ということもあり、教室に男性の目がないので中には肌着姿のウマ娘もいた。ブラジャーを外している子すらいる始末。
男性陣トレーナーにはとても見せられない光景である。各々がスカートが捲れあがることも気にせず尻尾を振ったり、教科書を団扇代わりにしているが送られてくるのは生温い風ばかり。
ブリッジコンプは流石に肌着姿になったりブラジャーを外すことはなかったが、例に漏れず机に突っ伏していた。ちょろいことで有名な先生の授業も右から左へと聞き流している。耳には青いイヤーカバーをつけ、きついと言われている目つきも連日トレーニングの疲れと、暑さにへなっている。今にも溶けて消えてしまいそうだった。
二日前に大して役に立っていないと思っていた冷房も切られてしまった。なくなって重要さに初めて気づくモノである。事務室で一括管理されているので各教室で点けることも出来ない。節電やエコなんてクソくらえだ。
例外的に元気なのがワイスマネージャーだ。同じくバテてはいるが気にならない程、嬉しいことがあった。今月にオープンレースのアスター賞で勝利したのだ。トウカイテイオーを主とする綺羅星のようなウマ娘達が出場することがない中、間隙をついた勝利。
石川県金沢レース場とかなり遠く、ブリッジコンプは応援に行くことが出来なかったが生中継でウィニングライブまでしっかり見た。夜に帰って来た時は事前にケーキを買ってきて祝いもした。
それから三日、今でもことあるごとに眼鏡を光らせてどや顔をしてくるし、ちょっとウザく思えてきている。でも私がもし勝ったら同じ感じになるんだろうなぁとも思う。
「あ つ ぅ い!!」
バンと音が鳴って、ツインターボが叫んだ。すわ何事かと教室の注目が集まる。勢いよく立ち上がったツインターボは拳を振った。心なしか青いツインテールが何時もより弱弱しくへなっているように見える。ただ顔は頬を膨らませてむくれあがっていた。
「ターボもうやってらんないっ!理事長に抗議してくる!」
「ツインターボさん!席に戻りなさい!」
教室の扉を開いて、駆け出したツインターボは先生の呼び止める声などでは止まらない。流石にツインターボの行動は突飛が過ぎたが生徒全員が同じ気持ちである。とにかく暑い。
「ブリッジコンプさん、ツインターボさんを止めてきて頂けませんか」
人間の先生では捕まえられないだろう、でもなんで私?
まあ、確かにクラスじゃ相変わらずツインターボは孤立気味だ。話すのもブリッジコンプ含めて数人くらいしか居ない。私と同じだ。
ブリッジコンプはサクラバクシンオーで耐性を持っているから会話できるが、ツインターボは何かにつけて大声で叫ぶし勝手に走り出すし勝負したがりで慣れていないと話が合わないのだ。
同じきら星のような才能を持つウマ娘、例えばナイスネイチャとは何故か話が合うようだが生憎このクラスには居ない。
だからといって私の言葉に一度決めたツインターボが耳を貸すわけではないし、今からじゃとても追い付けない。そもそもツインターボを追いかけ回すという無駄に疲れる行為を行いたくない。机に顔を突っ伏した体勢を維持して誤魔化す。
「もう、どうしましょう」
寝たふりを続けながら薄目を開ける。困った顔を浮かべる先生に対してワイスマネージャーが眼鏡を光らせながら、手を挙げた。
「先生、ツインターボさんの意見はもっともです。此処は私達も理事長に会って冷房を再開するよう抗議を行うべきだと思います」
「ええ!?」
前なら言わなかっただろうけれど、アスター賞で勝って自信がうなぎ上りなワイスマネージャーは堂々と言い切った。私やツインターボと違ってクラスで受け入れられているワイスマネージャーの発言に、賛同者が次々と現れだす。
「もう無理だよー、暑すぎるもん」「百科事典がやるなら私も協力するよ」「見てよこのハンカチ、絞れそう」「汚いから近づけないで」「よっ!流石ワイス!」
周囲の賛同に気を良くしたワイスマネージャーは、政治家の様に身振り手振りで演説した。ブリッジコンプは微妙な気持ちになった。これ、昨日一緒に見たロボットアニメの演説の仕方そっくりだ。
「見ての通り私達は授業を受ける集中力を欠いています。この状況が正しいでしょうか?私達は自らの為に、そして授業をして下さる先生の為に立ち上がろうというのです。先生もまた同じ目的を志す同志として理事長に直談判しに行きませんか」
ただ先生には説得力があったようだ。ちょろい。
「……わかりました。私も理事長室に行きましょう。ですが、着いてくる生徒の数はワイスマネージャーさんともう一人まででお願いします」
「じゃあブリッジ、行こうか?」
思わず顔を上げてワイスマネージャーを見ると案の定ニタニタとした笑みを浮かべていた。やられた、完全に巻き込む気満々だ。一番私なんて不適格なのに、親友だからって許されることと許されないことがあるのだ。この借りは絶対に返して貰わなければならない。
「ほらやっぱり狸寝入りしてる」
「それじゃあワイスマネージャーさんとブリッジコンプさんで行きましょう。他の皆さんは自習を」
寝たふりも辞めてしまい、名指しされてしまった以上逃げることは出来ない。ゾンビの様に椅子から立ち上がった。
「うおぉー!はーなーせー!」
廊下に出て少しすると叫び声が聞こえてきた。何事かと他の教室からも生徒たちが顔を出している。見れば、エアグルーヴ先輩によってツインターボが鎮圧されていた。じたばたと暴れても、完全に床に抑えつけられて動けないでいる。
「おお!ブリッジ、助けに来たのか!ターボと一緒に副会長を倒すぞ!」
「いや、違うから」
私が参加したところで先輩に勝てるとは思えないし、そもそも参加する気もない。
「先生、見回り中にこのたわけが廊下を走っていたので捕まえました。また脱走ですか?」
そういえば夏休み前にも一度勝手にツインターボが教室を飛び出していったことがあった。あの時は確か寮に大事なウサギのぬいぐるみを忘れたんだったか。しかし、今回は理事長に抗議しに行くという事情があるので先生からエアグルーヴ先輩に説明してもらう。ツインターボは無事に解放された。
「なるほど事情は解りました。先生も同行するというのなら構いません。ただツインターボ、廊下を全速力で走るのは迷惑行為でしかない。何度言ったら解る」
「ふふんっ!べーだ!正義はターボにあり!」
解放された途端、やめればいいのにどや顔でツインターボが煽り始める。先輩の額に青筋が立った。
「先生。心配ですので、私も着いていきます」
同行者にツインターボとエアグルーヴ先輩が加わった。階段を降りると、その最中にゴールドシップ先輩?と遭遇した。水中眼鏡とバケツ、何故か大漁と描かれた幟を持っている。バケツの中にはカラフルな小魚達が入っていて潮風の匂いもするし、もしや海にでもいたのだろうか。
「うぇい!面白そーなことやってんじゃねえか!アタシも混ーぜーろーよっ!」
「ゴールドシップ!またお前も脱走したのか!」
「そう怒んなってエアグルーヴ。アタシもプールに魚を放流したいって理事長に直談判しにいくつもりなんだからさ!」
小魚はどう見ても鹹水魚だし、プールは淡水なので絶対に許可が下りないと思う。それでも、強引にゴールドシップ先輩?が同行者に加わった。最初出発したときは三人だったのにもう六人と雪だるま式に大所帯になりつつあった。二度あることは三度あるというか、まだ増えそうな気がする。
嫌な予感は当たり、今度はサクラバクシンオーが紙の束を抱えて廊下を走ってくる。
「おやッ!ターボさんにブリッジではありませんか!如何されましたか?」
ツインターボが事情を嬉々として説明してしまった。
「なるほど!私は職員室までアンケート用紙を届ける予定でしたがッ!生徒の声を代表して理事長に訴えるのもまた学級委員長としての務め!全力で力になりましょう!」
学園の問題児が三人になって、エアグルーヴ先輩の胃と額の血管が破壊されそうだった。それから続々と同行者は増えて行き、理事長室前に着くころには七人から十五人になっていた。しかも大半が学園の有名な問題児たちだ。
流石に重厚な扉を前にしては先生も気力が急速に萎んだようだが、生徒たちの目の前で来た道を戻るわけにもいかない。恐る恐るノックをすると、中から入るように秋川やよい理事長からの指示があった。
「歓迎ッ!しかし今は授業中の筈、何用だろうか!」
扉が開かれると、私程の身長しかない理事長が扇子を手に待っていた。相変わらず小さい。直ぐ後ろには駿川たづなもいる。だがなにより目を引いたのはブリッジコンプ達のトレーナーと海空トレーナーがソファに座っていたことである。海空トレーナーとは初対面で写真でしか知らない。才能はまあ、普通の人間といったところ。まだ車椅子に座り、腕を包帯で吊った痛々しい姿だけど無事に退院できたようだ。
「トレーナー、何故ここに?」
「それは此方の台詞だが、海空トレーナーがまだ本調子ではないとはいえ復帰を希望しているから、付き添いで来たんだ」
なるほど。トレーナーは最近また過労気味だしセイウンスカイのサポートが分割されれば、負担が減るのは良いことだ。見たところ海空トレーナーは気の良さそうな人だし問題なさそうである。
「ブリッジさんと、バクシンオーさんですね。セイちゃんがお世話になっていたようで有難うございます」
いえいえ、此方こそと頭を下げる。そうしている間にも理事長に説明が終わった。部屋はどかどかと侵入してきたウマ娘達によってすし詰め状態だ。
「———ということですから、冷房の再稼働を嘆願しに参った次第です」
「決意ッ!皆の勉学を大事にする気持ち、わたしに十分に伝わった!冷房の再開をするッ!」
バッと扇子を広げた理事長におーっという歓声が上がる。流石、滅茶苦茶高いジムを私財を投じて設営しただけのことはある。また従来の十倍の性能を持つ整備機を購入したお陰で芝やダートコースが管理出来ているのだ。彼女の破天荒さは有名で、お陰でトレセン学園の自由な校風が保たれているといっても過言ではない。
「待ってください理事長っ!文部科学省、省エネルギー会議の正式決定ですよ!理事会の承認も終わっています」
否を唱えた駿川たづなに生徒たちから身勝手なブーイングの声が上がる。
「感激ッ!トレセン学園は残念なことに年々成績が下がっているッ!ならば、こうして勉学に熱意あるウマ娘が立ち上がったこと歓迎すべきであるッ!」
問題児のウマ娘達は各々の顔を見合った。何処に勉学に熱意を向けるウマ娘がいるだろうか。基本的にウマ娘はじっとしていられない種族なので、問題児であればサボり、脱走、睡眠の常習犯ばかりだ。でも取り敢えず上手く行きそうだと自分たちの所業は黙っておく賢い選択をした。
「懇願ッ!たづな、許してほしいッ!全てはウマ娘の誰もが幸福になれる時代の為に!」
「はぁ……そういわれては仕方ありませんね」
うぉおおおおおお!と歓声が上がり、ウマ娘達によって今回の立役者ともいえるちょろい先生が胴上げされる。そのまま凄まじい勢いで理事長室を出て行った。何時もながら、学園の問題児たちは嵐のようだ。
「よっしゃー!このまま凱旋パレードだぜ!」「わっしょい!わっしょい!」
「ちょ、ちょっと!そこ触らないで!きゃー!」
「お前たち!待てーーっ!」「待ちなさーい!」
エアグルーヴ先輩とサクラバクシンオー、駿川たづなも追いかけて行って、急に理事長室が広く感じられる。此処に私がもう居る意味はない。トレーナーに一声かけてから、私とワイスマネージャーも遅れて理事長室から出た。
嬉しいことに先生が連れ去られてしまったため今日の授業はもうないだろう。ゴールドシップ先輩?ならあのまま学園外まで脱走しそうだ。冷房がついたら本格的に昼寝をしよう。そう考えるブリッジコンプもまた真面目とは言い難い。
ふとそういえば、ワイスマネージャーに聞き忘れていたことがある。
「そういえばなんで巻き込んだの?結局私何もしてないよ」
「ブリッジちゃんの為に、かな?」
なーにそれ?と小突いてもワイスマネージャーは話してくれることはなかった。多分気恥ずかしかったのだろう。それから、ブリッジコンプとツインターボは同級生から前より話しかけられるようになった。私は理事長に詰め寄って冷房を再開させた立役者だとか、脚色された身に覚えのない噂も広がっているらしい。
この事を計画したのだとしたら、私の親友はまったくもって友情深く、呆れるほど策士である。
10月に入ろうという時、再び空き教室にブリッジコンプとサクラバクシンオーはトレーナーに集められていた。本格的な秋になってすっかり気温も落ち着きだした。快適な日々だ。これから人参の旬が始まると思うと食欲が止まらない。
「それじゃあGⅠ目標へ向けたローテーションを発表する。次走目標はブリッジがGⅢファンタジーステークス。そしてバクシンオーがGⅡ京王杯ジュニアステークスだ。抽選にはならないと思う。拒否したり別のレースにどうしても出たいなどがあれば聞くよ」
サクラバクシンオーが京王杯ジュニアSを走るのは解る。朝日杯FSへ向けたステップレースだからだ。しかしブリッジコンプもまた重賞を指示されてしまった。初めは絶対オープンレースに挑戦すると思っていた。
トレーナーが決めたのなら拒否なんてしない。トレーナーは信じている。でも私自身は、ブリッジコンプは信じていない。
勝てるだろうか?もし綺羅星のようなウマ娘が出場したら?解らない。不安が幾つも脳裏を過る。解らないけれど。ただ負けたくないとは思った。
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ライブラ杯頑張ります。