曇天、五千人の観衆が見守る中遂にゲートにウマ娘達が収まっていく。URAによって伝統と競争内容、重要度によってGRADEの文字を冠されたファンタジーステークス。勝利者の名にはGⅠ三冠の女王スイープトウショウを含む。
ジュニア期におけるGⅠは三つ、GⅡは二つ、GⅢは九つ。ある意味では、多くの重賞が存在するクラシックより狭き門だ。クラシック三冠を目指すウマ娘の中にはジュニア期で脚をすり減らすことを危険視して、トウカイテイオーの様に回避する者すらいる。
巨大なモニターに映されたウマ娘達の中に何れGⅠを、そして伝説を遂げるのではないか。期待と興奮の中、2分にも満たないレースの為だけに観客たちは固唾をのんで見守っていた。
「阪神レース場で行われます。GⅢファンタジーステークス。GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズへと向けられる登竜門の一角。出走するウマ娘は十二人。秋風が吹きつける中、問題なくゲートインが行われて行きます」
「落ち着いた様子ですね。これは好スタートに期待できそうです。ウマ娘の中には今まで負け知らずでここまで来た子もいます。誰が勝者になるのか解りません。ですから私はブリッジコンプを中心に今回は解説していこうと思います。日本の金毛は走れないという根も葉もない噂を覆してほしい所です」
「金毛が好きだからと贔屓目が過ぎませんか?さて……ファンタジーステークス、スタートしました!」
ブリッジコンプはまだトレーナーにかけられた魔法が続いていて、落ち着いている。見えなくても手に取るように解る。周囲のウマ娘の息遣い、みじろき、尻尾をせわしなく振る子もいる。観客の歓声といった余計なものだけがすっかり意識から消え去っていた。
十二人の様子を見ずとも把握できていたから、何時始まるのかも手に取るように理解できた。ゲートが開かれる瞬間には一歩を踏み出していた。
「好スタート、ですが少しばらついた展開か」
「スタート直後に僅かな起伏がありますからね。坂に脚を取られない様に走りながらポジションを試行錯誤している様子です。さて内をついてぐんぐんと前に飛び出したのはブリッジコンプ。紅葉を思わせる金色の毛をたなびかせてハナを奪います」
最適なスタート、ブリッジコンプの前にも横にも遮るウマ娘は居ない。後ろのウマ娘の位置を足音で確認しつつ内ラチから少しだけ外に出ていく。荒れたバ場、緩やかなコーナーと直線を考えればインコースのメリットはほとんどない。幸いなことに逃げ策を取るウマ娘はブリッジコンプだけだった。
逃げは1人、先行は7人、差しは4人。
「ブリッジコンプの後ろ、集団は一つに固まっています。少し離れて最後方はリボンヴィルレー。全体を観察しながら走っています」
最初の1ハロンは普通に速いペースで逃げていく。小細工を弄し始めたのは2ハロン目だった。
「さてペースは……かなり遅いですねこれは」
最後の長い長い直線を考えれば中団以降のウマ娘は急いで前に出る必要はない。先行策のウマ娘も抑え気味だ。最後の2ハロンさえスパートをかけて叩き合いに勝利すれば、どこの位置にいたとしても勝てるのが阪神レース場の定石である。
だからこそ逃げがブリッジコンプしかいないこのレースでは内ラチが空いているにも関わらず、誰もハナを奪って進むブリッジコンプを抜かそうだなんて思いもしない。
初めて重賞を経験するウマ娘ばかりのレース。向正面でさえ激しく聞こえてくる歓声を前にしては誰だって緊張する。そして自然と体はこわばる。更に内ラチが荒れているのを考慮して少し外に出て走るウマ娘にとっては正確なラップタイムが解らなくなる。本来のペースから1ハロン1秒2秒遅れる誤差など誰も気にしない。
ブリッジコンプ以外は。
真面にやりあっても阪神レース場でブリッジコンプが勝つのは困難だ。手札は最初から逃げしかない。才能が最も出る最高速度、爆発的なスパート力という二つをブリッジコンプは欠けている。長い直線で真っ向勝負になったら負けることなんて一月前から解っていた。
ブリッジコンプの内側でメトロノームが正確な時計を刻み続ける。正確にブリッジコンプはペースを把握している。
魔法はまだ続いていた。
「集団を見ていきましょう。二番手はシンガリノ、三番手はダイロンプルス。最後方大外からリボンヴィルレーがゆっくりと集団に近づいていきます」
「ファンタジーステークス、ここ五年で最も遅い展開かもしれません。ブリッジコンプ、大丈夫か?このままのペースでは絶対に逃げられない」
実況が話す前からブリッジコンプには解っている。だがあえてスローペースをコーナーに入ってから維持し続けている。ウマ娘の本能がもっと速く走れと、逃げる為にはこのままでは駄目だと囁いてくる。それをねじ伏せた。
この作戦はブリッジコンプのトレーナーや友人達が立てた策だ。だからこそ、ブリッジコンプが考えたものではないからこそ信用できる。
元より大して役に立たない魂など邪魔にしかならない。ここまでブリッジコンプは一定のペースでは走っていない。僅かに下がったり、僅かに前に出たり細かな変更を加えていた。全体のペースを徐々に気づかれない程度に落とし続けていた。そして遂に小細工が後ろの集団に効き始めた。
「集団の順位が激しく入れ替わっていますね。かかってしまっているのでしょうか?」
「いいえ、各自ペースを保っている様に見えます。ポジション争いでしょう」
見なくても感じ取れる。集中力によって強まった耳が、鼻が、皮膚の感覚が、確かに後ろの集団が先頭を代えて行くのを捉えた。瞬間、ブリッジコンプは小細工が決まったと確信した。
トレーナーとウマ娘は同じレースに出るウマ娘の対策を立てて研究している。ブリッジコンプも出場するウマ娘のメイクデビュー未勝利戦オープンレース映像を全て見た。トレーナーに至ってはブリッジコンプの数倍は見ている。
ツインターボと聞いて普通どう思うだろうか?やはり破滅的な大逃げ、逆噴射を思い出す様に。同じレースを走るウマ娘はブリッジコンプが大逃げをするウマ娘だと思い込んでいる。メイクデビューでハナをニシノフラワーとテンから奪い合い、未勝利戦では文字通り破滅を思わせる走りを展開してきた結果だ。
直ぐ後ろのウマ娘からすれば、そのブリッジコンプが少しずつ離れたり近づいたりを繰り返している。自身のタイムを正確に把握できていない以上、あの未勝利戦の様にペースが引きずられて上げてしまっている可能性を考える。
スタートダッシュと最初の1ハロン、内から前を行く金色の毛はかなりのペースだった。自分の息は上がっていないから可能性は低い。しかし、最後の直線を考えれば今はまだ二番手を譲って全体の様子を見ても構わない。
そう考えている筈だ。
異常なことに今、後続は集団のハナを取ろうとしているのではない。少しずつペースが落ちているのにも関わらずハナを譲り合っているのだ。集団が短く詰まっていく。最後の直線で全てがひっくり返る阪神レース場だからこそ起こった展開だった。
だがこの策、当然ブリッジコンプにはむしろ今の段階ではマイナスだ。最終直線での叩き合いになれば負ける以上、必ずコーナーで仕掛けなければならない。遅れれば遅れるだけ勝ちが遠のく。ブリッジコンプはその瞬間を逸る魂を抑えつけて待ち続けた。
タイミングは、第三コーナーが終わり第四コーナーに入る緩やかなカーブ。再び後続集団の先頭が入れ替わろうという時、集団が詰まったことでポジション争いの為の接触が起こった。狙って起こしたことではないが幸運の女神がブリッジコンプに微笑んだ。
混乱が起こりブリッジコンプから一瞬視線が離れて。
「———いくよ」
あのファインモーションのように、ブリッジコンプのトーンの落ちた声が漏れ出る。息を入れて一気に加速した。
「上がり4ハロン。ここで動きました!ブリッジコンプ!後ろの混乱を背にぐんぐんと伸びていく!」
「これを狙っていたとしたら恐るべきレースコントロールですね」
ペースだけで言えば完全に逃げというより前のめりな先行に近い形だ。黄金の瞳は遥かに劣化品だとしてもファインモーションの前へ前へと行く獰猛さを模倣していた。相変わらずプレッシャーの爆発など起こせない。抑えつけたことで拗ねたのか、今日は重賞だというのにやはり魂はうんともすんとも言わない。
でも構わない。最初から期待なんてしていない。助けてくれるトレーナーと友人の力を借りてブリッジコンプは進む。
メトロノームの音が胸の内で鳴り響く。
後続の先行策も少し遅れてブリッジコンプの様子に気づきペースを上げ始めた。下り坂に突入して、更に前へ前へと突き進んでいく。
リボンヴィルレーは最後の第4コーナーが終わり、直線を迎えようとしたとき、驚愕した。目の前に巨大な壁が立ち塞がったのである。今までのレースでこんな光景を見たことがない。視界の中に映る他の差しウマ娘も途方にくれていた。
七頭の先行策のウマ娘が内ラチを除いて殆ど横一列に大外まで詰まっている。
この異常事態を前にリボンヴィルレーの思考は一瞬フリーズした。此処から動く選択肢は接触を気にせずに強引にこの壁を貫くか、荒れた内ラチを進むかの二択しかない。前者の場合中盤であった小競り合いとは違う、今はスパートが始まっている。
つまり最高速度時速70kmに達する本気のウマ娘同士がぶつかり……最悪そのままレース人生が絶ち切られる危険がある。クラシック期の夏以降であれば体が仕上がって強引に抜け出せたかもしれない。しかし、まだジュニア期で、完全に抜け出すパワーはない。そのリスクをGⅢというレースで犯していいのか。
しかし、2ハロンを超える直線を荒れたターフを進んで勝てるのか?
解らない。どちらが正しい?迷った時点で、リボンヴィルレーの負けは確定した。
これで直線勝負の叩き合いになれば必ず負ける最大の脅威だった差しウマ娘は潰れた。
「ウマ娘達が前に大きく広がって、先を走るブリッジコンプを追いかけていく!」
原因はブリッジコンプによる小細工にあった。全てのウマ娘が完全に脚を残したまま、上がり3ハロンに突入した。先行策の誰もがそろそろペースを上げようと考えた。脚はまだかなり残されている。だからここから外に膨らんだとしても、十分走りきれる。そう考えて、コーナーを超えて余裕をもって直線に突入したのである。
最後には上り坂が待ち受けているため脚はある程度残しておかなければならない。だからこそ、実力の差があったとしても、直線の入り口。少なくとも残り1ハロンまでは先行策のウマ娘達の状況が拮抗する。多少の前後はあっても殆ど一列に並ぶという現象が発生する。
途中の小競り合いでの混乱によって、急にペースを上げたことで、ブリッジコンプは3バ身後続を突き放していた。速めに加速した分、才能の差で最高速度と加速力で負けていたとしても最後の1ハロンまでは完全に距離を保ち続ける。
「さぁブリッジコンプ逃げる逃げる!集団から離れて一人、ターフの上をきらきらと黄金が駆け抜けていきます」
後続のウマ娘同様にブリッジコンプは十分に脚を残していた。ブリッジコンプとの距離を縮めようと、後ろで小規模のプレッシャーが幾つか吹きあがる。当然だ、ブリッジコンプより才能のあるウマ娘が出来ない筈もない。
だからこそ。
「わ た し はッ!!負けないッッ!!」
咆哮を上げて脚に鞭を入れる!
徐々に後続が距離を詰める中、最後の1ハロン。1.5%という凄まじい勾配を駆け上っていく。下を向いた視界の中を芝が高速で流れていく、まっすぐ前を向く余裕なんてない。汗が噴き出す、心臓が悲鳴を上げる、脚がもつれそうになる。酸欠で意識が白み始める。
もう魔法はとっくに切れている。メトロノームもぐちゃぐちゃになって、異音を奏でている。
それでも。
私をGⅠに勝つウマ娘と言ったトレーナーを信じる。サクラバクシンオーを、セイウンスカイを信じる。綺羅星のような才能を持つ者達が私を信じている。だから私は絶対に此処で勝ってGⅠに行く。
夢を叶える為の一歩を踏み込む。
行けぇぇッ!!ブリッジィィ!!
トレーナーの咆哮が確かに聞こえた。此処まで来てもブリッジコンプの魂は爆発なんて起こす様子もない。速度差で負けて背後からプレッシャーが迫りつつある中で、不思議と恐怖はなかった。
「ここで集団を抜け出したのはシンガリノ、続いてダイロンプルス。リボンヴィルレーも集団をかわした!追いつくか!追いつくか!」
他のウマ娘の呼吸が直ぐ近くまで聞こえてきて。
「届かない!ブリッジコンプが今一着でゴールイン!阪神レース場に黄金が花開きました!」
ゴールを駆け抜けて、勢いそのままにブリッジコンプは無様にゴロゴロとターフの上を転がった。幸い受け身を取れたため何処かが折れたりした様子はない。金色の髪が緑の芝に広がった。横を避けて他のウマ娘達がペースを落としていく。
そういえば今回はパンパシフィックのように起こしてくれるウマ娘は居ないんだった。秋の少し冷たくなった風を吸い込んで呼吸を整えていく。心臓の鼓動は収まらなかったけれど、勢いよく上半身を持ち上げる。その時初めて、ブリッジコンプはスタンドから送られる歓声に気づいた。酸欠のせいか良く聞こえない。
慌てて起きようとして脚に力が入らず失敗する。もう一度ゆっくり挑戦して、小鹿のようなぶるぶると震える脚で立ち上がった。
聴覚が漸く正常になって、声援が鮮明に聞こえてくる。
「ブリッジコンプ!よくやった!」「素晴らしいレースだった!」「金髪、最高ーーーッ!」「次のレースも頑張ってくれ!」「これから応援する!」「見事な逃げ勝ちだ!」
信じられなかった。目の前にいる沢山の人々がブリッジコンプというウマ娘の勝利を祝福している。魔法が解けたことで思い出したように緊張が競りあがってきた。自分の体が震えているのが歓喜からか疲労からか緊張からか解らなかった。
目頭に熱いものが込み上げてきて、やっぱり勝利パフォーマンスなんて出来そうにもなかった。
だからブリッジコンプは精一杯頭を下げる。
「ありがとう、ございました」
盛大な拍手が鳴り響いた。
GⅢファンタジーステークス 一着 ブリッジコンプ
GⅡ京王杯ジュニアステークス 一着 サクラバクシンオー
感想・評価・日間ランキング掲載有難うございます。励みになります。
GⅢ勝利に26.4万字(45話)
リボンヴィルレーはジュピターカップHARDに登場したモブウマ娘です。