黄金郷への橋   作:そういう日もある

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阪神ジュベナイルフィリーズ

かなり昔は阪神JFと朝日杯FSは同日開催されていたらしい。近年はトゥインクルシリーズの興隆も相まってGⅠという大舞台は同日開催を避けるようになった。先に始まるのは同じGⅠでも僅かに格の落ちる阪神JFからである。

 

12月上旬

 

眼下では前来た時にはあれほど茂っていた街路樹が裸を晒していた。木枯らしが吹き、枯れた落ち葉が風にくるくると舞う今日。ウマ娘達にとっては一生に一度しか挑むことの出来ない、GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズが開催される。朝から既に阪神レース場の周りは異様な静かな興奮と熱気に包まれていた。

 

ブリッジコンプが息を吹きかけると窓が白む。指を当てる。指先からじわじわと外の冷気が伝わって来た。ゆっくりと雫が落ちない様にしながら、ブリッジコンプ自身の名を描き出す。未だに実感が湧かない。もしかしたら走るまで湧かないだろう。

 

ブリッジコンプがこれからGⅠという大舞台に挑む。

 

「ブリッジ?」

 

声をかけられて慌てて自分の名前に息を吹きかけて消した。

 

「トレーナー」

 

ホテルの合鍵は渡していたが、部屋に入ってきたことに気づかなかった。遅れて現実感が戻って、バスルームからシャワーの音が響くことに気づいた。サクラバクシンオーが浴びているのだろう。願懸けの為に同じ部屋とったが今日の相部屋はサクラバクシンオーだった。

 

本人は来たがっていたが海空トレーナーは寒風が傷に響くし長距離移動が出来ない為、トレセン学園に残った。セイウンスカイもそれに付き合う形だ。

 

「やっぱり何処も混んでいたがなんとか買えたよ。ピザトースト、サンドイッチ、メロンパン、クロワッサン他にも色々。ブリッジが買いに行かなくて正解だった」

 

トレーナーがどさりとベッドの上に重そうな紙袋を二つ置いた。

 

「途中でニシノフラワーを見掛けたがトレーナーと一緒に昼食中なのに報道やファンに囲まれていた。可哀想だけど流石にライバル関係の俺が口を出すのもな、話が拗れる」

 

「東京より南とはいえ生憎の曇りということもあってレース開始時間になっても冷え込んでいるだろう。雨も予報ではないと言っていたが可能性はある」

 

「冬の雨は……ブリッジ?」

 

はっとなった。トレーナーの瞳と、ブリッジコンプの黄金の瞳が合わさる。またどうやら上の空になってしまっていたらしい。今日ばかりはGⅠということもあって仕方ないとはいえ、これではレースどころの話ではない。

 

「あ、いえ、その、そうですね」

 

「さては話聞いてなかったな?まあ仕方ない。本番になれば自然と意識が向くはずさ。出来るだけのことはするがウマ娘の魂っていうのはそういう風に出来ているらしい」

 

ブリッジコンプは、違う。あの日ファンタジーSで勝ってから拗ねたように何も言わなくなった。心も体も着いてくるのに魂だけが折り合いが着いていない。言語化できない漠然とそういった感覚がある。ただどう説明したら良いのか解らなくてブリッジコンプは何も言わなかった。

 

トレーナーが紙袋を開くとパンの香ばしい匂いがした。阪神JFまで時間があるしいっぱい食べることにしよう。

 

「ブリッジッ!今上がりましたよ!是非気分転換の為にシャワーを」

 

サクラバクシンオーが一糸まとわぬ姿で、つまり全裸でバスルームから出て来た。ぽたりぽたりと髪から拭き残した雫が滴り落ちる。

 

『あ』

 

「?」

 

トレーナーとブリッジコンプが唖然として、認識が追いつかずにサクラバクシンオーが首を傾げる。ブリッジコンプは何時もながら良いプロポーションだと現実逃避した。

 

ゆっくりとトレーナーが居ることを理解しだしたのか、サクラバクシンオーの首から上が赤く染め上げられていく。

 

「ちょわぁああああッッッッ!!!」

 

全力でサクラバクシンオーはバスルームに戻っていった。

 

「トレーナー」

 

「はいなんでしょう、ブリッジさん。切腹ですか?」

 

自分でも信じられないくらい底冷えた声が出た。なんだかブリッジコンプはGⅠレースへの緊張だとか、魂の折り合いだとか全てがどうでも良くなった。取り敢えずこのラッキースケベトレーナーをどう料理しようか考えることにした。

 

 

阪神ジュベナイルフィリーズ 芝右外 1600m 15:40出走

 

「全員が初めて勝負服をお披露目するこのレース。是非観客の皆様には可愛らしい彼女たちの姿を歓声で迎えてあげていただきたい」

 

GⅠという大舞台に駆けつけた観客は総員一万人に上る。八万人が収容できる阪神レース場も指定席は埋まりきっていた。既に多くの歓声と熱気に包まれる中、パドックにてGⅠという大舞台に立つウマ娘達の紹介が始まった。出走するウマ娘は合わせて十五人、その中でもブリッジコンプより才能において格上だと断言できるウマ娘が複数いた。

 

「いよいよ大本命一番人気3枠4番ニシノフラワー。GⅢ札幌ジュニアステークス、GⅡデイリー杯ジュニアステークスにおいていずれも一着。その小柄な体躯からは想像も出来なかった凄まじいキレは私達を毎度驚かせてくれました。新しい勝負服も可愛らしく似合っています。今回の仕上がりも良い様に思えますがどうでしょう?」

 

「ええ、見事な物です。毛艶も良く今回も良い走りを見せてくれそうですよ。元々臆病な性格だったようですが大舞台の二戦を超えたことで精神面でも十分。パドックで見事な笑顔を花開かせています」

 

ニシノフラワーは白をベースに黄色と紫色がコントラストを生む花をイメージした勝負服だった。もうメイクデビューの時のように、二度も振り返り掛かってしまう様な甘い相手ではない。経験値、実力何れにおいてもこのレースでは一番だ。歓声を前にしているのにオーラも落ち着いていた。

 

5番の子が紹介されて舞台裏に戻ってくる。いよいよ私の番だった。

 

深呼吸をしてお立ち台に登って、深碧のマリアヴェールを脱ぎ捨てた。

 

「続いて二番人気4枠6番ブリッジコンプ。GⅢファンタジーステークスでの勝者。1600mという距離が不安ではありますがメイクデビューでニシノフラワーを唯一追い詰めたことで二番人気に推されました。このウマ娘をまず現すとしたら凄まじい仕上がりの一言です。トレーナーと良く折り合いが着いているのでしょう。成長具合が毎回予想を超えてきます」

 

「勝負服を担当したのはかの有名なビューティー安心沢氏。黒と茜色が金毛によく映えています」

 

ブリッジコンプの勝負服は金の刺繡が施された茜色とベースが黒のドレスだった。フィッシュテールスカートと呼ばれる前丈が短く後ろが長いアシンメトリーなデザインが、走りを阻害しない機能性を重視して前は腿半ばまで切り詰められている。スカートの内側から僅かに黒のショートパンツが見えた。

 

ヴェールも含めてルネサンス期に活躍した画家カルロ・クリヴェッリをモチーフにした作品である。多くの天才的な画家が活躍したルネサンス期においてその名は隠れがちだ。しかし、ビューティー安心沢はクリヴェッリの代表作マグダラのマリアの金毛と金眼から着想を得た。

 

黒ではなくマグダラのマリアの衣服から紺を使う予定だったがブリッジコンプの要望により変更されている。また絵画とは違い金の刺繍はあくまでアクセントとして施されて御淑やかさを演出している。神聖さと気品を静謐に感じさせる勝負服に仕上がっている。

 

「今回はどんな走りを見せてくれるのか、好走に期待したいところです」

 

トレーナーはビューティー安心沢に凄く怒っていたけれど、ブリッジコンプはこの勝負服に満足している。特別なレースだから、自分は特別なウマ娘ではないからこそ、特別な勝負服でありたい。ただやっぱりこの大観衆を前にすると恥ずかしい。手と足はちゃんと交互に動いているだろうか?震えていないだろうか?

 

多くの人々の中からブリッジコンプの名を叫ぶ声がする。応援が聞こえる。走りに期待してくれている。勝てる気がしないこのレース、それでも、私は。

 

深々と一礼してブリッジコンプは壇上を降りた。

 

専用通路に行くとトレーナーとサクラバクシンオーがブリッジコンプを待ち受けていた。

 

「ブリッジッ!!バクシン的勝利を目指しましょうッ!」

 

「バクシンオー。バトンを繋げるように頑張ってみる」

 

「うん、ブリッジ。綺麗だ」

 

「有難うございます」

 

深く息を吸って、吐いて、トレーナーの手を掴んだ。こうして手を繋ぐと徐々にブリッジコンプはトレーナーの隠された感情を徐々に理解できるようになってきた。瞼を閉じていたとしても、いやだからこそ黄金の瞳はより深くまで覗き込む。

 

掌から伝わってくるのは不安や緊張、恐れ。レースの時は大抵がそうだけど、今日は特に大きかった。

 

カチ カチ カチ カチ カチ カチ

 

メトロノームが鳴り響く度にブリッジコンプの中の負の側面が溶けていって、トレーナーもそうなれば良いと思う。トレーナーの今抱えている負の側面はブリッジコンプが生み出してしまったものだ。もっと才能が有れば安心させることが出来たはずなのに。

 

鼓動がメトロノームと重なって、呼吸も一定のペースに落ち着く。体に引っ張られるように心もざわめきを無くした。

 

黄金の目を見開く。

 

「行けます」

 

「勝て」

 

言葉はそれだけで十分だった。ブリッジコンプは身を翻して、歓声が沸き始めたレース場への入口へと向かった。

 

「レース中に降り出さなければいいけれど」

 

水の匂いがする、やっぱりトレーナーの言った通り雨が降るかもしれない。曇天を見上げてブリッジコンプは独りごちた。周囲のウマ娘から強い視線が幾つもブリッジコンプに突き刺さるがお構いなしだ。冬の寒さを吹き飛ばす歓声にも緊張を見せない。メトロノームの魔法がかかっている以上、ブリッジコンプの心と肉体は静けさを保っている。

 

GⅠ用の特別なファンファーレが鳴り響き、各ウマ娘達がゲートに入っていく。

 

カチ カチ カチ カチ カチ カチ

 

「第10レース。阪神レース場で行われますGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズ。ジュニア級生涯に一度しか走れない歴史の重いこのレース。今年も実況解説を担当させていただいたこと、光栄に思います。さて空模様が心配ではありますが発表によればバ場状態は良」

 

「寒風吹き付ける中、URAの発表では1万512名のファンがこのレース場に詰めかけております。ゲートイン問題なく行われて行きます。やはりこのレースで注目すべきはニシノフラワーでしょう。競争成績だけでも頭一つ抜けております。ですから他のウマ娘が何処まで彼女に食らいつけるかも注目したいところです」

 

ブリッジコンプもゲートに入り、その瞬間を待っていた。

 

バンッ!

 

「気合が入ってさあスタートしました!ちょっとスガノヒボタン、キタシバリヨンもダッシュがつきません。GⅠという大舞台だけあって緊張してしまったのでしょうか。中からハナを奪ったのは6番ブリッジコンプ、彼女にとっては良い展開ですね。あとは一丸となって直線を駆けていきます」

 

問題ない。メトロノームの魔法はまだ続いている。

 

このままペースを握れば!

 

「ファンドリエバートとユートジェーンが外と内からぐんぐん上がっていきます!ブリッジコンプには好きにはさせないと気炎を上げて突き進みます!」

 

予兆を真っ先に気づいたブリッジコンプは信じられなかった。この阪神レース場という環境を理解しているなら、ハナを奪いに来たウマ娘のペースは破滅的だ。しかし現実は正しく相当速いペースで競り合いながら、そしてブリッジコンプの位置を正確に認識しながら二人のウマ娘が目の前を封鎖しつつある。

 

「悪いけど!アンタの好きにはさせないよ!」「絶対に負けないんだから!」

 

別に彼女たちがレースを捨てようというのではない。

 

この事態はブリッジコンプと他のウマ娘の認識の違いにあった。最もこのレースにおいて警戒しなければならないウマ娘はニシノフラワーではない。ブリッジコンプであるとレースに出場するウマ娘達は認識していたのだ。

 

ニシノフラワーは良くも悪くもその才能と肉体に任せた力圧しを得意とするウマ娘である。しかしブリッジコンプは違う。肉体は確かに見事に鍛えあがっているが、キレ脚はなく、また何より策略でレース全体を制御するタイプのウマ娘だと思われている。

 

だからこそブリッジコンプという有力ウマ娘に好きにさせないようにするには先頭を走らせてはならない。二人は多少無理をしても、脚を使っても自身の勝率を上げる為に必ず頭を抑えにいった。

 

「……ッ!!」

 

仕方なく気配を消して二人の影に潜航する。これで用意していた二つの策が潰れた。

 

「さあ400mの直線を終えて、ファンドリエバートが先頭。二番手はユート、違う!ブリッジコンプここで飛び出しました!」

 

「なに!?」「いつの間にそんな!」

 

コーナーに入り、二人の競り合いを外からファンドリエバートが制した瞬間、黄金が煌めいた。ぴったりと影の様に張り付いていたブリッジコンプが内側にスライドしてそのままファンドリエバートを抜き去っていく。

 

セイウンスカイが見せたコーナー捌きを正確なメトロノームの魔法と黄金の瞳が可能にした。メトロノームがタイミングを測り、黄金の瞳が正確にオーラの揺らぎを、隙を見抜いて行くべき道を指し示してくれる。

 

だが諸刃の刃だ。ここで脚を使ってハナを奪った以上、減速するわけには絶対にいかない。残った脚で直線勝負だなんて明らかな負け筋だ。だから今、コーナーで更に加速して突き放すしか勝利の道筋はない。

 

このGⅠという大舞台で1600mという本番では未知の領域を大逃げする。可能だろうか?ただ一つ解っていることは挑まなければ絶対に勝てないということだ。

 

「負けたくないッ!!!」

 

脚に力を込める。芝を蹴りぬいて更に加速しブリッジコンプは破滅か勝利かの二択へと挑んだ。

 

「ブリッジコンプぐんぐん逃げる!2バ身、3バ身、更に更に突き放していく!このペースは大丈夫でしょうか!」

 

「掛かっているわけではなさそうです。ただ前を序盤で二人に塞がれた以上、そこにしか勝機を見出せなかったのでしょうね」

 

コーナーの中間地点に入る。黄金はまだ一人旅を続けていたが、一際大きな気配がゆっくりと競りあがってくるのを感じた。間違いなくニシノフラワー。

 

最悪だ。大逃げという戦法が勝つパターンは主に三つ。一つ目は絶対的能力差で勝つ。二つ目はレース全体のペースを破壊して後続の脚を使わせる。三つ目は後方で有力ウマ娘達が牽制し合っている間に隙をついて逃げ切る。

 

ニシノフラワーというウマ娘は勝ち筋全てを粉砕する。能力はニシノフラワーが勝り、二つの重賞を乗り越えたことで精神的に落ち着き脚を使う様子もなく、あまりに他ウマ娘と実力が乖離し過ぎていて牽制が意味を成していない。

 

爆発的な末脚が欲しい。膨大なスタミナが欲しい。強い心臓が欲しい。力をくれる魂が欲しい。でも全部無かった。無かったからこの選択肢しか無かった。

 

直線に入る。魔法をかけていたメトロノームの針がひしゃげる。後2ハロンもあるというのに心臓の鼓動は悲鳴を上げて、脳が茹つ。

 

「先頭はブリッジコンプ、二番は内を突いたユートジェーン。集団一つになって黄金へとじわじわ距離を詰めていきます!」

 

残り1ハロン。背後で爆発的なプレッシャーが複数噴き上がる。それらを制したのはやはりというべきかニシノフラワーだった。世界が花に包まれていく。凄まじい浸食速度でブリッジコンプの足元まで広がった。彼女の、ウマ娘の魂が咆哮を上げてレースを走る全員の認識を歪めていく。GⅠクラスの領域を受けたことがないウマ娘達は驚いて思わずペースが乱された。

 

どうして自分の体が動いているのかすら解らない。手足は鉛の様に重い。今自分が息をしているのかさえ定かではない。あれ程五月蠅かった心臓の鼓動も聞こえない。

 

白む意識の中でブリッジコンプは駆け抜けていく。

 

「ここでブリッジコンプをかわしてニシノフラワー先頭!続いて内からサンエイサンキューも伸びて来た!」

 

オーラの輝きだけがブリッジコンプの世界にあった。失速していることに、抜かされたことにすらこの時のブリッジコンプは気づいていなかった。

 

「……着。続いて六着ブリッジコンプ!」

 

ふと、意識が現実に引きずり戻される。

 

異常な程に心臓が鼓動を打ち鳴らし、浅い呼吸が抑えることも出来ずに勝手に酸素を求め、視界が霞んでいた。耳は先ほどから何も音を捉えない。思い出したようにヨタヨタと進む脚に感覚が戻ってきて、ブリッジコンプは崩れ落ちた。

 

ああ、負けたんだ。漸くブリッジコンプは理解した。

 

熱い感情が込み上げてくる。

 

無様に這いつくばるブリッジコンプの頬にぽたりと雫が落ちる。次第にそれは大粒に変わって雨となり、ブリッジコンプの嗚咽を涙を押し流していった。

 

「うあぁ……ぁぁ……」

 

阪神レース場はニシノフラワーの勝利を称える歓声が響き渡っていた。




感想・評価有難うございます。励みになります。
勝負服に関してはライスシャワーが一番近いです。
出走中はヴェールを着けません。
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