太陽の如き未来は覆すべき運命を教えた
ぎゅうぎゅうに人が押し込められている列車の中に後から押し入る気にはなれなかった。一度目の電車は見逃して列の先頭に並ぶ。時間に追われている訳ではないが、こういうことなら車かタクシーにすればよかったと思う。
駅のホームは満員で、後ろではがやがやとあの子が可愛かった、一番人気はあの子だろうなんて取り留めのない話をしている。
「まもなく列車が参ります。危ないですから白線の内側にお下がり下さい」
駅員のアナウンスが聞こえる。スマートフォンを弄りながら電車が来るのを待った。
ドンッ
「え?」
気付いたら俺の脚は駅のホームから離れていて。ゆっくりと流れていく視界の中で、目の前に電車が迫っていた。
「ッ……は!……はぁ……はぁ」
酷く寒い、脳が活性化するごとにズキズキと頭痛が広がっていく。荒い呼吸と動悸を整えながら、胸元のボタンに手を伸ばす。指先を動かすのさえ困難でボタン一つ外すのに苦労した。
視覚情報と認識が一致していく。点けっぱなしの明かり。散乱された紙の束にスリープモードに入った卓上のノートパソコン。床には飲みかけのペットボトルが転がり、時計は午前7時半を指し示している。漸く平静を取り戻すと、ぶるりと身を震わせて俺はソファから起き上がった。
「寒っ、寝落ちしたか」
12月の夜に暖房もつけずにいればこうもなるだろう。
昨日は大変だったから仕方ないとはいえ、この汚い部屋は後30分もすれば訪れるかもしれないサクラバクシンオーに見られれば評価が落ちる。いや気にしなさそうな予感もするが希望的観測で物事を進めるのは管理トレーニングにおいて最もやってはいけないことだ。
凝り固まった首をぐるぐると回しながら、暖房に電源を入れる。カタカタと音が鳴って風が吹きつけ始めた。
「……久しぶりに見たな。でもまあ、そりゃ悪夢でも見る」
独り言を呟くことで思考を反芻して精神を落ち着かせる。自分が死んだ時の記憶なんて思い出して良いことは何もない。夢見た後に強烈な発作がくるのは毎度のことだ。最近はめっきり見ていなかった為油断していた。
ペットボトルを潰しながら飲み干して一呼吸つくと、紙束を片付けていく。顔を洗って着替え、髪を整えた頃に丁度よくチャイムが鳴った。あんな日の後でも相変わらず時間通りに来るらしい。流石、優等生を心掛けるだけのことはある。しかし正直今日ばかりは来ないで欲しかった。
深呼吸を改めてして表情だけでなく心の表層からも動揺を消し去る。ガチャリと玄関を開けた。
「こそこそ、おはようございます!トレーナーさん!」
「おはよう」
迎え入れたサクラバクシンオーの左脚には包帯が巻かれて固定されていた。松葉杖を受け取って、手を貸しながら部屋にあげる。
サクラバクシンオーの左脚は炎症を含む軽度の脚部不安に陥っていた。ウマ娘の脚はデリケートな硝子製だ。そのパワーとは裏腹にオーバーワークで簡単に脆く壊れる。酷い時には重度の炎症や骨折を引き起こしリハビリに何か月もかかるか最悪二度とレースに出られなくなる。
朝日杯FSで見せた最後のスパート。おそらくサクラバクシンオーの領域は、その才能と魂の大きさ故にジュニア期の未熟な肉体が耐えきれなかったのだ。幸いなことにライブ曲ENDLESS DREAM!!は派手な振り付けがなく、ライブ直後に速攻で病院に送ったものの。ライブが終わった途端アドレナリンが切れて痛みに蹲った姿はかなり肝を冷やした。
「今日は来なくて良いって言ったんだがな」
「ハァーッハッハッハ!問題ありません!優等生として日課をサボるわけには行きませんから!」
「ブリッジは普通にスマホで今日も連絡してくれると思うぞ」
元より態々訪れるようになったのはサクラバクシンオーのうっかりミスが原因である。ソファに座らせて何時もの通り珈琲と、カフェモカを用意した。業務用の大袋人参クッキーもある。
「おや?トレーナーさん、ソファで寝るのは体に良くないですよ!」
「良くわかったな?」
「匂いで解りますとも!私は鼻も優等生ですからね!」
一応ウマ娘にも優しい芳香剤が着いていないタイプの消臭剤をかけたのだが効果がなかったらしい。もっと強力な消臭剤を買い込むとしよう。
「それで脚の具合はどうだ?まだ痛むなら午前座学の方は連絡して休みにして貰おう」
「いいえ!心配には及びません!ピンチはチャンス!この脚もまた学級委員長として成長する好機ですッ!」
この様子では学園の中で松葉杖なんて放り出して駆け出してしまいそうである。兵庫まで応援に来ていて病院にまで駆けつけてくれたサクラバクシンオーの同級生と交わした連絡先を、早速使う時が来たようだ。注意してもらうように連絡すると直ぐに了解の返信が来た。慕われているサクラバクシンオーのことだからこれで俺が見ていない間も大丈夫だろう。
「程々にな。二週間以内には下手なことをしなければ完治する」
この時期に脚部不安に陥ったことは不幸中の幸いだ。サクラバクシンオーが走れそうなクラシック級のレースが本格化するのは二月三月からと十分に治療とリハビリ、仕上げを行うことが出来る。他のウマ娘と違って三戦三勝のサクラバクシンオーは無理に評価値稼ぎに走る必要もない。
「大丈夫です!私の細胞一つ一つも優等生なので、ケガも直ぐに治りますから!」
「本当に大人しく頼むよ」
何度も念を押したが不安だ。何時もの通りサクラバクシンオーがクッキーをつまみながら、項目に入力していく。やはり食欲も少し減っているみたいだし本人は気づかなくとも不調の影響は出ているのだろう。全てが終わって時間も丁度良くサクラバクシンオーを玄関から送り出した。
11時50分頃、サクラバクシンオーの治療計画の作成を切り上げる。今日は秋川やよい理事長と面談の日だ。別に俺がなにかやらかしたわけではなく、新人トレーナーは順繰りにやっている。短めと聞いているから十分終わった後に食事をとってトレーニングに向かうことが出来るだろう。
鏡でネクタイを調整して、革鞄を手に玄関から出た。タイミングが合って少し離れた部屋から沖野トレーナーが出てくる。にこりと人好きのする快活な笑顔を浮かべて此方に片手を挙げた。ああいう距離を許してしまいそうな雰囲気は長年のトレーナーで培ったものか天性のものか、どちらにせよ羨ましい。
「よォ、バクシンオーの朝日杯勝利おめでとさん」
「有難うございます。と言っても無理をさせすぎましたけどね」
「ウマ娘のやりたいようにやらせるってのは俺も好きだぜ」
流石だ。あの大逃げが俺の指示ではなくサクラバクシンオー自身の考えだと見抜いているらしい。能力だけ見れば末脚のキレもあるサクラバクシンオーは普通に直線勝負した方が勝率は高い。俺は止めるかどうか悩んだがブリッジコンプの為にも模範となる走りをと言われてしまえば首を横に振ることは出来なかった。
結果としてレースに勝ち、ブリッジコンプは精神的にかなり持ち直すことになった。
「トウカイテイオーはそろそろレースですか?」
「ああ、シクラメンステークスなんだが。ま、来年はライバルっつーことでよろしくな」
「ええ、競合しないことを祈っておきます」
元より競合させるつもりなどない。ブリッジコンプは適性があるから何れ中距離に挑むかもしれない。しかしブリッジコンプ自身トウカイテイオーが出てくるとなれば出走したいとは思わないだろう。未だ才能へのコンプレックスは根深いのだ。
沖野トレーナーと別れて今度こそ学園の正門をくぐった。ファイルの束を手に駿川たづながウマ娘達に挨拶をしている。脅威的な事にこのマンモス校全校生徒の名前を憶えているのだとか。理事長秘書だけでなく色々なことに手を回している駿川たづなに出来ないことはないのだ。
「おはようございます、駿……たづなさん」
「おはようございます、トレーナーさん。丁度いいですから理事長室までご一緒しましょう」
「解りました。そういえばそのファイルは?良ければ持ちますよ」
「ふふふ、大丈夫ですよ。中身は秘密です♪」
口元に指を当ててにっこり笑う姿は艶やかで思わず見惚れそうになるが俺は忘れてはいない。初めて理事長室に訪れた時に感じた笑顔の裏の凄まじいプレッシャー。もう八か月の付き合いになるが、底が読めない人である。
「貴方が新人さんとしていらっしゃったのもついこの間の事なのに、今では担当が二人もいる立派なトレーナーさんですものね。初年度で担当がGⅠを取ったのは十年以来の快挙ですよ」
「あれはバクシンオーの実力によるものですよ。作戦も俺が考えたものじゃないですから」
並んで理事長室に入ると案の定秋川やよい理事長が扇子を広げて待っていた。許可を得てソファに座る。
「祝福ッ!まずはこれを受け取るように!」
出されたのは分厚い封筒。厚みはこの前両親から貰った百万円に近い、というか実際に金だろう。
「朝日杯勝利のボーナスです」
「ああ成程、有難く受け取らせていただきます」
受け取った封筒を革鞄に入れる。GⅡやGⅢも含めて銀行振り込みだったがGⅠだけ手渡しというのは、流石に格式高いレースだけあって拘りがあるようだ。多くはレース場への旅費にあてるとして担当ウマ娘になにか奢るか買うかしよう。
「期待ッ!今後も活躍するのだー!」
「それとサクラバクシンオーさんは最優秀ジュニア級ウマ娘の候補に挙がっています」
最優秀ジュニア級ウマ娘は年度代表ウマ娘と同じく翌年の初めにURAが発表する、文字通り年のジュニア級で一番強いウマ娘だ。年毎に二人選ばれる。
「有難い話ですがまだ少し気の早い話でもありますね」
阪神JFと朝日杯FSは終わったがジュニア級のGⅠはホープフルSが残っている。むしろ中距離2000mであることを考えればクラシック三冠路線に最も今近いウマ娘を決定するレースと言っても過言ではない。同じGⅠでもクラシック三冠とそれ以外では大きな開きがあるから影響は大きい。俺の言葉に駿川たづなは頷いて答えた。
「ええですが代表ウマ娘に選ばれると通常の物に加えて専用のグッズが販売されます。トレーナーさんはまだ新人ですからお伝えしておいた方が良いと思いまして」
「ああ成程……グッズ。考えてもいませんでした」
前から漠然と作られたら嬉しいなと思っていたのは確かであるが、しかしいざその時になると間抜けな事に言われるまで思いつかなかった。サクラバクシンオーはGⅠウマ娘になったので、当然URAからグッズも作られ始める訳だ。まさか俺が担当するウマ娘のグッズが現実になるなんて感無量である。
来年にはサクラバクシンオーがレースに出る度にお土産物コーナーにブロマイドやミニキャラ人形などが陳列される。レース場限定販売品でなければ通販もされるだろう。代表に選ばれれば加えて特別版が出る。このボーナスはグッズを買うのに使うのも良いかもしれない、いや流石に試供品で貰えるかな?
図々しくも聞いてみれば貰えるようだ。良かった。
「此方がURAプロモーション部、サクラバクシンオーさんの担当の連絡先になっています」
「有難うございます」
名刺を受け取って財布に仕舞う。
「それと最後に、来年への事前調査アンケートですね」
ウマ娘との相性はどうだとか、次のレース目標だとか、後何年トレーナーをするつもりだとか、勤務時間はどうだという当たり障りのない内容だった。勤務時間は勿論労働基準法に則った嘘を書いておく。
最後に好きなことを書いて良い項目があったのでプール施設の増築か類する施設とダメ元で書いた。今年の夏は予約争奪戦で本当に苦労した。施設の増築新築となると莫大な金がかかるので多分毎年他のトレーナーも要望を出しているだろうし望みは薄い。
「トレーナーさんは新しくスカウトをされるつもりはありますか?」
「ないですね」
セイウンスカイは海空トレーナーが来たお陰で負担は軽くなったが、既にサクラバクシンオーとブリッジコンプで限界ギリギリである。来年のクラシックを考えれば余裕なんてない。というか俺はまだ新人トレーナーであるし、二人のシニア期二年目が終わるまで担当を増やすつもりはなかった。
「困りましたね……どうしましょう?理事長。来年の募集枠も十分な数が集まるとは思えないのですが……」
「難題ッ!このままではトレセン学園の危機である!」
「流石にその辺を平新人トレーナーに言われても困りますから」
二人のワザとらしい小芝居に改めて首を横に振る。そもそも海空トレーナーだって担当がずっと一人のままなのだ。流石に新人トレーナーが三人も担当するのは無理があるというか不可能。是非、エアシャカールの研修を抜け出た新人が多いことを期待するしかない。
「それじゃあ失礼します」
俺は断りを入れて理事長室から出て行った。
トレーナーが去った後、駿川たづなが先ほどの小芝居ではなく本当に困った顔を浮かべる。手には他のアンケート用紙の入ったファイルがあった。
「既にトレーナーさんの問題は出ていますよ、理事長」
直接退職したいと書くことは無かったが、新人トレーナーの何人かが辞めそうな雰囲気を出していた。それくらいは長年勤めて来た理事長と理事長秘書なら解る。トレーナー業は基本的にブラックで情熱と給金で成り立っているところがある分、退職が多い業務ではある。六十五歳まで勤務可能なのに定年退職までたどり着くのは一割を切る。少ないとはいえ自殺者も居る。
新人トレーナーは毎年ふるいに掛けられて、それなりの数辞める。新人トレーナーが優秀なのは確かだ。しかし全てのトレーナーが優秀なエリートなのである。その中で経験値の無い新人トレーナーが担当を勝たせるのは困難を極める。エリートとしての自負で初年度にウマ娘を担当したもののデビューすらできない挫折を味わって、担当と一緒にトレセン学園を去るパターンが一番多い。
チームを組んでいるトレーナーが担当ウマ娘への悪影響を懸念してあまりサブトレーナー制度を利用せず枠が少ないのも原因の一つだ。ウマ娘のことを考えている分強制は出来ない。
しかし今年は例年より多すぎる。
「懸念ッ!東条トレーナーの時と同じ、あるいはそれ以上である!」
自分の担当はデビューできず未勝利戦で敗北を重ねているのに、同期で悪評のあるトレーナーが初年度で重賞を取っていく様は余程堪えた様だ。軟弱なと言いたいところではあるが現実問題としてトレーナーの全体数が下がれば中央トレセン学園の運営にも関わる。
「なにがあろうと最後まで見届けること。称賛し最大限伸ばし育てること、わたしはそれしかないと思う!」
「……そうですね、理事長」
昔はこんな軟弱なトレーナーなんて居なかったのにと駿川たづなは溜息をついた。
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