年が明けてもブリッジコンプは実家に帰省することは無かった。勿論両親と電話は定期的にしているけれど、この一年間関係は其れだけだ。両親のことは愛している。でも、期待はしていてもブリッジコンプにGⅠに勝てるだなんて言ってくれない。言ってくれるのはトレーナーだけだ。
今はもうGⅠ勝利はブリッジコンプの中に深く根付いて、夢ではなく目標に代わっている。甘えたくなかった。
カーンカーンカーン
鳴り響く音ともに覚醒した。迷惑な事に誰かが朝から除夜の鐘の如く蹄鉄を打っている。時計が鳴るのより10分速い。
「ワイス、起きて」
寒さで抱き着いているワイスマネージャーを力づくで引っぺがす。散乱した菓子の袋に、空のペットボトル、点けっぱなしの照明とテレビ。年越し番組を見ている間にどうやら二人揃って寝落ちしてしまったらしい。歯ブラシをし忘れてしまった。
「ん、んん」
びくりと震えてワイスマネージャーが瞼を開いた。それから眠気眼で欠伸を噛み殺す。
「あけましておめでとう、ブリッジ」
「あけましておめでとう。口臭いよ?」
「ひどい」
残念ながら事実だ。髪の毛だって寝癖が凄い。二人並んで洗面台に向かい、顔を交代で洗った後にシャコシャコと歯ブラシを動かす。
まだ慣れず重さで違和感を感じる腕には金色と桜色が交差するブレスレットがつけられていた。トレーナーからのクリスマスプレゼントで、色合いは当然ブリッジコンプ、サクラバクシンオー其々をモチーフにしたもの。
値段は教えてくれなかったが純金製で多分相当高い筈だ。サクラバクシンオーは兎も角庶民派のブリッジコンプはつけるのを躊躇ったが、特殊な加工が上から施されていて傷つきにくいらしい。レースにも使えるとか。
因みにセイウンスカイには高級釣り竿を、海空トレーナーにはまた元気に歩けるようにとブランド物の靴が贈られていた。海空トレーナーの足のサイズを何時知ったのだろうか?それにトレーナーは給料が良いとはいえ限度があるので、実はトレーナーの実家も金持ちかとブリッジコンプは疑っている。
「ワイスは帰省しなくて良かったの?」
「実は母さんと父さんが今大絶賛喧嘩中みたいだから帰りたくないんだよね。母さんに父さんが勝てる訳もないのに性懲りもなく。トレーナーも学園にいるからまあいいかなって」
言わないが、クリスマスも一緒に過ごしたようだしワイスマネージャーは少しトレーナーに入れ込み過ぎだ。トレーナーも男性なのに線引きをあまりしないタイプらしく一緒によく遊びに行っている。生徒会からそろそろ注意が行くんじゃないかと思っている。
比べてブリッジコンプのトレーナーは線引きを凄くするタイプだ。此方に合わせた話は色々出来るが、トレーナー自身の話をしない。信頼されていないわけではないと思うけれど。
「あーあ、遂にクラシックかぁ。嫌だなぁ。目標がまだ決まらないよ」
「あれ?皐月賞じゃないの」
「多分そうなんだけど……、テイオーさんのシクラメンステークスみてちょっとね」
シクラメンステークス、トウカイテイオー2バ身差の勝利。走りきった後も余裕の表情で明らかに実力差が大きいレースだった。間違いなく皐月賞へと向けて脚を温存しているのだろう。レースは一着をとれなければ意味がないのだ。勝てないなら回避するというのは十分に考えられる。
「桜花賞は来ないでね?」
「うーん。まだブリッジには勝てないかな」
内心ほっとする。もし親友と走って、勝ち負けが着いてしまったら今までと同じ関係でいられるかは解らない。ライバル関係による友情と言うものをブリッジコンプは理解できない。なにかあるのだろうとは思っていても、負けは負けだ。
「クラシック三冠路線を回避するならオークスあたりかな」
「そっか」
着替え終わって、上からコートを羽織る。
「それじゃあ行ってきます」「行ってらっしゃい」
別れて駐車場に向かうと、案の定既にトレーナー達いつもの面子が待っていた。サクラバクシンオーは既に脚部不安を完治しているし……、海空トレーナーも車椅子ではなく杖に代わっていた。順調に回復している。
あけましておめでとうございますと挨拶を交わし合う。
「それじゃあ行こうか。神頼みに」
「凄い露骨ですね!?」
「そ~そ~、使えるものは神様でもなんでも使うべきだよ、本当」
「五円玉九枚持ってきました」
「お任せください!私の模範的バクシン式初詣を正しく行えば神様だって喜んで願い事を叶えてくれるはずです!」
わちゃわちゃしながら車に乗り込み初詣に向かった。トレセン学園の近くにある神社はウマ娘の神が祀られていてレース祈願によく使われる。実際既に多くのウマ娘やトレーナー達が駆けつけて、屋台なども立っていた。
「ってファイン、何やってるんですか」
トレーナーが真っ先に気づいて一つの屋台に近づいていく。そこには信じられないことに商売繁盛と描かれた鉢巻をつけたファインモーション先輩がラーメンを湯切りしていた。しかもかなり長蛇の列が出来上がっている。
ファインモーション先輩程のウマ娘が作るラーメンとなれば当然大人気になるだろうが、匂いからして味も美味しそうだ。ただ醸し出す上品な雰囲気からはあまりにも不釣り合いだった。
「偶然だね!キミもラーメン食べる?庶民の味を完全再現です♪特製醤油が決め手なんだよ!」
「あー……是非後で」
「そのうちトレセン学園の感謝祭でも許可を貰う予定なんだっ。久しぶりに制服も着てみたいしね」
「制服着るんです?それは楽しみですね」
なんだかファインモーション先輩に対するイメージががらりと変わってしまった。別れて、列に並んでお参りする。やはりというべきか何処かのレースで見かけたようなウマ娘が多い。少し離れた場所にはチームスピカのメンバーも居た。
「いいですか!バクシン式初詣というのはまず拍手!その後は失礼しますとお辞儀をしましょう!神様もニコニコ顔で願いを聞き届けてくれます!」
聞く限りではまだ普通のお参りだ。でも予想を遥かに越していくのがサクラバクシンオーというウマ娘である。
「そして最後に忘れてはならないのは、お願い事を伝えます!ハッキリ大きな声で、天まで届くように!」
「バクシンオーちゃん、お願い事は口に出したら叶えられないんだよ~」
「ちょわっ!?」
ブリッジコンプは五円玉を九枚も投げて、勿論GⅠ勝利を願った。桜花賞は……解らない。多少は持ち直したものの阪神JFのしこりはまだ心の中に残っている。ニシノフラワーや他の輝かしいウマ娘達との才能の差を強く刻み付けられている。勝てるビジョンが見えない。セイウンスカイの言うことは最もだ。勝たせてくれるなら神様だろうがなんだろうが構わなかった。
「ですがご安心を!私が出るあらゆるクラシックレースでバクシン的勝利という夢は、神様ではなく自らの手で掴み取って見せますから!」
じゃあ一体サクラバクシンオーは何を願うんだろうか?
「絵馬も書こうか」
「御御籤は引かないんですか?」
こういう時には定番だと思う。トレーナーは何故か難しい顔をした。
「あんまり良い印象ないんだよな。実は大吉を一回も引いたことがなくて大凶は結構ある。でもまあ折角だし引くか」
「それって逆に凄いですね」
この神社はどうか解らないが、大抵の神社は大吉が多く出るように作られている。逆に大凶は極々少ない筈だ。ブリッジコンプは少なくとも人生で一度も見たことがない。
100円ずつ払って、其々カラカラと回して引いていく。引いた番号の箱から紙を取り出した。ブリッジコンプは中吉。願望は努力すれば叶う、待ち人遅れて来るなどなど極平凡なことが書かれている。どうやら神頼みは上手く行かないらしい。
「やりましたッ!大吉です!神様もこの私のことが好きみたいですね!」
「やったー☆セイちゃんも大吉。気休めでも参拝した甲斐があったね~」
喜ぶ二人に比べてトレーナーは死んだ目をして、無言で自分の紙を眺めている。気になって横から覗くと書かれていたのはなんと大凶!願望は悲しみと苦労が絶えず、事故に合うなどなど。全部が全部悪いことが書いてある。
「と、トレーナー。元気出して」
「まあ、こういうことだ。流石に大凶を引いたのは三年ぶりだが。実際に走るお前たちがこうじゃないなら良い。とりあえず木に結んでくるから先に絵馬を書いておいてくれ」
因みに海空トレーナーは中吉だった。
トレーナーの煤けた背中にかける言葉を思いつかず、言われた通り絵馬を買う。書くのは勿論、桜花賞勝利だ。サクラバクシンオーは超模範的ウマ娘になるで、セイウンスカイは大阪杯勝利。絵馬がかけられている場所を見れば同じようにレース勝利を願う絵馬が多い。
ふと、一つの絵馬が目についた。復活と二文字だけの絵馬、書かれた名前はアドマイヤベガ。どうやら彼女はまだ走ることを諦めていないようで少しほっとする。夏合宿にトレーナーと見た星は今でも鮮明に思い出せた。
翌日
まだ新年の浮ついた気分は残っているが今日からトレーニングが再開される。ただその前にトレーナーからブリッジコンプとサクラバクシンオーに話があるということでチーム棟でホワイトボードを前にしていた。
トレーナーの顔は誤魔化しきれない程やつれている。たった半日で何があったのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「ああ、サクラ家の新年会に行ってきたんだが疲れたよ。完全に圧迫面接だった」
聞くところによるとサクラ家が総出で集まったらしい。さて、とトレーナーは話を切り替えて真剣な口調になった。
「反対意見は大いにあると思う。あると思うが……今日からお前たちには先行策を覚えてもらう」
読んで字の如く、先行策は集団の前目につくが逃げ程離れるわけではない。あくまで脚を溜めて最終コーナーから直線にかけて勝負を仕掛けていく戦法だ。レースにおいては差しと並んで王道中の王道である。真っ先に声を上げたのはサクラバクシンオーだった。
「トレーナーさんとはいえッ!流石に聞き入れることが出来ません!誰よりも先頭に立ち誰よりも先にゴールする。バクシン的勝利こそが模範的学級委員長としてあるべき姿ですからッ!」
ブリッジコンプも消極的ながら反対だった。
「その、最終直線の競り合いに勝てるとは思えないのですが」
ブリッジコンプは逃げ策を取りたかったのではない。逃げしかとれる戦法が無かったのである。それなりに速いペースで持続的に走ることが出来る代わりに末脚が才能のあるウマ娘と競り合える程ない。そのことはトレーナーだって良く知っている筈だ。
「言いたいことは解るが理由を説明する。まずバクシンオーだが、1200mまでなら良い。逃げ続けるだけでどんな相手でも絶対に勝てる。1400mも勝てるだろう。ただ、朝日杯の様に距離が延びれば延びるほど脚が耐えられなくなっていく」
「こう言っても納得しないだろうから、次のレースまでにファインに1600mで勝てたら逃げて良い。ファインが全力を出せるのは年三、四回だけだが全部使ってくれると約束した」
無茶だと思った。実際に並走したことがあるから解る。引退して尚、ファインモーション先輩の実力は凄まじい。タイキシャトル先輩には劣るが間違いなくサクラバクシンオーの格上だ。夏を過ぎればまだ解らないが今のままでは勝てない。
「俺は本気でお前を長距離で勝たせる。だからお前も意志を貫きたいなら本気で挑め。負けたら素直に言うことを聞け」
何時にもましてトレーナーは強い口調だった。そう決意させたのはやはり、サクラバクシンオーの脚が脚部不安に陥った経験からだろう。
「お任せください!トレーナーさんにどんなレースでも私のスピードが通用すると、解ってもらうとしましょう!」
サクラバクシンオーは対して大きく頷いた。その姿はもしかしたら勝ってしまうかもと思わせる程力強い。ブリッジコンプにはない強さだった。
「さてブリッジだが単純に、ニシノフラワーに勝ちに行く」
ニシノフラワー、凄まじい才能を持った格上の相手。阪神JFではメイクデビューの時より飛躍的に成長していた。桜花賞でも同じくらい成長するだろう。
「元より次の桜花賞も阪神レース場、逃げ切るのは不可能だ。だから徹底的にマークして潰すしかない」
「でも、マークしたって他のウマ娘に負けると思います」
言いたいことは解る。ブリッジコンプも正面からニシノフラワー相手に勝てるとは思っていない。しかし例えマークして、ニシノフラワーの精神と肉体を深く揺さぶって負けさせたとしても。たった二人でレースしているわけではないのだ。
「そうだな。だからレースに出る全員のペースを崩して潰す。崩した上で途中から逃げる。結局逃げて勝つには変わりないが、終盤手前まで先行策でいく」
冗談だと思った。とてもではないが、絵空事だ。それなのに、トレーナーの瞳は何処までも真剣だった。
「挑戦になる。でも俺はこの方法に活路を見出した。信じて走ってくれないか?ブリッジ」
酷い人だ。
こういう時に限って最後の判断をブリッジコンプに任せようとしている。でもブリッジコンプには全く桜花賞での勝利のビジョンが見えていない。なら選択肢なんて初めから無いも同然だった。神様だって頼りになりそうもない。
一つ大きなため息を吐きだして黄金の瞳をトレーナーの瞳に合わせた。
「解りました。頑張ってみます」
勝つ為ならなんだってする。
感想有難うございます。