「えぇぇ!?バクシンオー、皐月賞でないの!」
教室でトウカイテイオーの声が響き渡った。それは始業して間もない日のことである。東京では珍しく校舎の外ではしんしんと雪が降り注ぐ冷え込んだ今日。暖房がしっかり効いた中で、特別教室も終わり。ブリッジコンプは真剣にニシノフラワーの映像を黄金の瞳で何度も何度も繰り返しスマートフォンを使って見ていた。
トウカイテイオーの声に思わず画面から顔を上げる。うわ、この二人が並ぶと才能の煌めきが凄い。挫けそうになった意志をなんとか持ち直して物申す。
「そもそもバクシンオーはスプリンターだよ」
それも1200mという凄く短い範囲でしか全力を発揮できない極限のスプリンターである。そのくせ他の有力ウマ娘を押しのけて朝日杯に勝ってしまうのだから才能の差とは至極残酷なものではあるが。しかし皐月賞となれば距離は2000m。中距離に適性があるブリッジコンプだってサクラバクシンオーに勝てる自信がある。いやちょっと言い過ぎた、負けるかも。
「だってカイチョーはあのトレーナーはカイチョーにも負けないウマ娘を育てるつもりだって言ってたのにぃー!」
私のトレーナーは何時そんな妄言を吐いたのだろうか。シンボリルドルフ会長だって短距離に限ればサクラバクシンオーが勝ってしまうかもしれないが、勿論そういう意味ではないだろう。今もトレセン学園の頂点に座す永遠の皇帝に勝るなどブリッジコンプは思いつきもしない。
しかしサクラバクシンオーは真に受けてしまったらしい。きらきらと目を輝かせて大きく頷いた。
「私にバクシンするななどという荒唐無稽な話をしましたが!もしや会長を超えるとまで信頼しているとは!トレーナーさんからの熱い期待を感じますッ!」
「いや、どうだろう」
何とも言えない。ブリッジコンプにGⅠを勝てると断言するようなあのトレーナーのことだ。サクラバクシンオーが長距離を走るということだって否定しないし、そういえばサクラバクシンオーの次の目標も発表せず仕舞だった。約束のことがあるので皐月賞なわけはないと思うが。
「やーそういえばブリッジはさっきから何見てるの?」
ナイスネイチャの疑問に画面を見せる。今はニシノフラワーの公開されているトレーニング映像が映し出されていた。ニシノフラワーを徹底的にマークするなら、あらゆる物を認識し理解しなければならないとトレーナーが言っていたので素直に実行しているのだ。
「なるほどね。ちょっとストーカーみたいだけど、桜花賞に二人とも出走予定だもんね」
「絶対に負けたくないから」
そういえばとふと思いつく。
「ネイチャだったらどうマークする?」
「なんでアタシ?」
私の言葉にナイスネイチャがきょとんと首を傾げた。自覚ないのだろうか。
明らかにナイスネイチャは他のウマ娘をマークするのが得意なタイプだ。いやよく考えれば未だにメイクデビューと未勝利戦しか通過しておらず、その間に強敵との激突もない。ともなれば自分の性質に気づいていなくてもおかしくない。この瞳前提で話をすると食い違いが出てくるのも当然だ。
「なんとなくで良いから」
「うーん。直ぐ後ろ内寄りの位置につけて圧力をかけるかな?」
「その心は?」
「どちらもってもう何言わせるのさ。でもほら、外なら追い抜かれるカモってずっと不安になるし。ぴったり後ろより少し斜めの方が相手の足音に自分の足音が重ならないっていうかー……あはは、何言ってんだろうアタシ」
なるほど。確かに意識させるだけでは不十分だ。自分と少しずれた足音、呼吸を聴くだけで徐々にペースは歪んでいくかもしれない。より聞こえやすい位置というものを探っていく方が良いかもしれない。メトロノームによって規則正しくペースを守れるブリッジコンプにはない視点だった。
「参考になった」
「そう?」
良くわからないといった風なナイスネイチャに別れを告げてコートを羽織り、マフラーを首に巻く。今日は雪ということもあってトレーニングはないのだが、多分トレーナーはチーム棟にいるはずだ。ずっと他のウマ娘の研究をパソコンと睨めっこしながらしている様子が目に浮かぶ。
「バクシンオー、先に行ってるね」
「わかりましたッ!学級委員長としての仕事を終えたら私も向かいますとも!」
暖房がきいた教室から出ると急に寒く感じる。ぶるりと身を震わせて、尻尾を片脚に巻き付けた。はしたないがこうすると暖かいのだ。ウマ娘としての知恵である。それにしても冬にもスカートというのは如何なものか。流石に下にジャージを着るというのは男性トレーナーや事務員の目もある中でしなかったが、僅かに残ったプライドも窓の外を落ちていく雪を見れば折れそうになる。
生徒たちの間をぬって抜けて、正面玄関に辿り着いた。まだ降り積もっている程ではないが街路樹の枯れた幹は白くデコレーションされている。
上履きから靴に履き替えて外に出た途端、目の前を高速で白い物体———雪玉が通り過ぎて行った。
「わっ!なんですの!」
そのまますぐ前を歩いていたメジロマックイーンに着弾した。下手人を見て見れば案の定、ゴールドシップである。芦毛は雪とマッチしているなーと現実逃避する。なにせこの後に起こる悲劇など簡単に予想がつくからだ。
「いえーい!マックちゃんにヒット!汚れちまったのはマックイーンなのか、はたまたちっぽけな自分の心なのか。難しいな、世界って」
「誤魔化そうとしても無駄ですわ!」
メジロマックイーンの強力なラリアットが直撃し、轟音と共にゴールドシップが吹き飛んで木に激突する。振動で落ちて来た雪にそのままゴールドシップは埋もれた。アニメの様な一幕を見なかったことにしてブリッジコンプはチーム棟へと向かった。
もしかして才能のあるウマ娘って皆キャラも濃いのだろうか。今更ながらにそう思う。
チーム棟にはいると案の定明かりが点いていて、トレーナーが大きな段ボールを抱えていた。その顔は喜色が浮かんでいる。
「トレーナー。どうしたんです?それ」
「ああブリッジか。実は……まあ直接見せた方が俺の歓びも解ってもらえると思う」
トレーナーが早速とばかりに段ボールを開ける。
「ぱかプチ、これバクシンオーのですよね」
段ボールに入っていたのはミニキャラ人形やイラスト調のサクラバクシンオーが描かれた小物などが詰め込まれている。なるほどG1に勝利したのだから作られて当然だ。
トレーナーは嬉しそうに頷いた。
「そうなんだよ、漸く試供品が届いてな。見て見ろこれ可愛いだろう?」
トレーナーの悪い癖が始まった。確かに可愛く作られサクラバクシンオーのイメージをしっかり掴んだ出来とはいえ。同期のウマ娘の人形を、嬉しそうに撫でる成人男性を見てちょっとキモいと思うのは当然のことだ。
「部屋に飾ろうと思ってな。まあ、問題は流石に部屋の大きさもあるしなんのグッズをどかすかなんだがどれもこれも捨てがたくてな。セイのは絶対に外せないし、ファインやシャカールも無理となると……」
「いやあの説明しなくて良いです」
そうか、と残念そうにするトレーナーから目を離して部屋を見回すと昨日来たときにはない異物があった。見れば部屋の中には簡易ベッドが置かれている。トレーナーがセイウンスカイの為に設置したのだ、予想通りである。うちのトレーナーはセイウンスカイに甘すぎる。
「ああ、言い忘れてた」
一枚の封筒が差し出されたので受けとる。開いてみると招待状の文字。
「なんです?」
「週末のURA賞記者会見招待状だ。サクラバクシンオーがジュニア級で選ばれたから貰ったんだが、生憎どうしても外せない事情があってな。当日はファインも合流するから安心してくれ」
とても大切な日だ。サクラバクシンオーの晴れ舞台である。普段のトレーナーなら例えインフルエンザにかかっていても行こうとするだろう。それなのに行けない用事というのが全く想像もつかない。
「ドレスコードは制服で良いだろう。記者からの質問にたいしては何も明言しないようによくバクシンオーには言い含めておいてくれ」
「あの、それ私行かないとだめですか?」
その言葉にトレーナーは壁の一面に近づいて行って示した。ベッドは最近できた異物だが、この異物はもっと前から、それこそ昨年の10月頃から徐々に増えて行って壁一面を覆ったものだ。隙間なく張られた写真全てが全てニシノフラワーを筆頭とした桜花賞に出るだろうウマ娘達の写真やデータである。何処で手に入れてきたのやら明らかにオフショットも混じっている。
「この記者会見にはニシノフラワーも出てくる。絶好の観察機会だ。多くの記者に囲まれた中で、どういう緊張を示すのか、その時の仕草は、急に想定外の話題を振られた時の対応は、指先一つに至るまでブリッジはニシノフラワーを観察しないといけない。ただレース映像やトレーニング映像を見ているだけでは本質までは掴めない」
トレーナーの瞳は最早執念と呼んでもいいものであった。実際に桜花賞でニシノフラワーに負けたくないと思っているブリッジコンプでさえ超す、悍ましいとさえ形容できる執念だ。ブリッジコンプを勝たせる為にこのトレーナーはあらゆる手を尽くそうとしている。
「ということでブリッジは行くべきだ」
「……解りました」
当日になってみればやり込められた感が強くなったものの、兎に角私はこうして不相応な場に到着したのである。辺りの名の知れたウマ娘達はトレーナー同伴の中ファインモーション先輩は平気そうで凄く居心地が悪い。それに皆スーツかドレスを着ていて、事前に前年の映像を見ていなければブリッジコンプは制服で来るところだった。
昔の服なんてダサ過ぎて着る気になれず、急いでトレーナーの財布を手に買いに行ったのは昨日の話。それでもスタイルの良いファインモーション先輩とサクラバクシンオーが隣に並べばチンチクリンに見えるのだが。
「トレーナーの嘘つき」
「ふっふふ~ん♪ブリッジちゃん何か言った?」
「いえ、なんでも」
「この場に来るのも懐かしくなるね♪シャカールも来れば良かったのになー」
担当トレーナーごとに授与されるということで、ニシノフラワーより先に発表の場に立つことになる。観察しろとは言われたものの自分がガチガチにならないように制御するだけで手いっぱいで、観察どころでは無かった。ちなみにニシノフラワーもレースの時の覇気はどこへやら私と同じくガチガチになっている。
「それにしてもトレーナーさんの大事な用とは一体なんでしょう!この私の晴れの舞台より優先するとは、はッ!もしかして御両親が御病気でしょうかッ!?」
「あーまあどうだろう。そんな所かもね」
トレーナーは自分について話さないので可能性としては十分にあり得る。ただどうも週末と決めている辺り何かしら他の大きなイベントの様な気もする。サクラバクシンオーといえど肝心な時にトレーナーが居ないことは少し不満になっているようだ。
「サクラバクシンオーさん!」
「はいッ!」
呼ばれたことで気分を持ち直して、元気良く挨拶をして出て行ったサクラバクシンオーに着いていく。
「GⅡ京王杯及びGⅠ朝日杯に勝利し見事、251票を集め最優秀ジュニア級ウマ娘に選出されましたサクラバクシンオーさんです!」
「当然の結果です!ハーッハハハハ!」
パシャパシャと一斉にフラッシュがたかれる。当然と言えば当然だが、幸いな事に此方に向けられるカメラは殆ど無い。サクラバクシンオーの高笑いと傲慢にも思える振る舞いは何時ものことだ。実際間違いなく世代最強の一人なので、その権利がある。
「ではサクラバクシンオーさんに今後の目標を聞いてみましょう」
「今後の目標は勿論ッ!私が出るあらゆるクラシックレースでバクシン的勝利です!」
ガッツポーズを見せつけるサクラバクシンオーにおおー!という声が上がる。これもいつも通り、幸いな事に三冠を目指すなど余計なことは言わなかった。
「では同じ担当のウマ娘であるブリッジコンプさんはサクラバクシンオーさんについてどう思われますか?」
何事もなく過ごそうとしていたのに私に振るなんて思いもしなかった!隣には格好の獲物であるGⅠ二冠ウマ娘ファインモーション先輩がいるじゃない!司会者を抗議の目で見つめても今更出されてしまった質問は引っ込めようもない。噛まないようにゆっくりと考えながら言葉を口にする。
「そう、ですね。月並みな言葉ですが凄いウマ娘だと思います。才能と努力も勿論そうですが、なによりこの剛毅な精神面が彼女の強さです。同じ担当として負けないように頑張りたいと思います」
なんとか言い切って逃げ切ることに成功した。心の中でほっと一息つく。あとでトレーナーをシバくと決めた。
「ではサクラバクシンオーさんはその功績を称え外部トレーニング施設二年分の無料使用権が授与されます!」
正直いらないなと思う。なにせその辺の外部施設より整ったサクラ家の施設があるのだ。ああでも流石にトレーニングが出来るほど大規模なプールはないので、プールの利用券も着いてくるならお得かもしれない。
こうして私は新年早々の一幕を何とか無難に乗り越えたのだった。
「あなたは」
構わないで欲しいのに、独りにして欲しいのに、今日もその男はしつこく付きまとってきた。黒寄りの鹿毛の青い耳飾りを付けたウマ娘は面倒臭そうに振り返る。逃げても逃げてもストーカーの様に此処毎日のことだった。
「今日は、今日だけは会って話をして貰える気がしたから」
中央トレーナーと名乗り、実際バッジも持っているので正しいのだろう。
しかし目の前の男にとって今日は担当ウマ娘の晴れ舞台の筈。なぜ態々私なんかに此処まで構うのか気になって。思惑通りになるのは嫌だったが話を聞く気になった。
「それで何の用?」
「大したものじゃないが渡そうと思ってね」
差し出されたのはUSBと紙の資料だった。警戒しながら受け取って捲っていくと、ウマ娘の眼は思わず驚愕に見開かれた。
自己管理を行ってきたウマ娘にとって一目で解った。膨大なリハビリと再トレーニングのデータ、その一部だ。もしこのUSBに全てが収まっているとすればあらゆるトレーナーやウマ娘にとって値千金、垂涎の代物だ。中にはウマ娘にとって不治の病とされる症例の奇跡的な完治例まであった。
これがあればあるいはと、自分の思うように動かない脚を見てしまったのは仕方がない。
「勿論データは全部USBの中に入れて置いた」
理解できなかった。意味が解らなかった。
「か、勧誘?」
なんとか思いついたのはソレだった。確かに自分は日本ダービーウマ娘だ。今のトレーナーも最初から名前借りだったから執着はない。この資料を対価にネームバリューに惹かれて、あるいはファンとして……という考えは目の前の男が首を横に振ったことで否定される。
「見返りが欲しい訳じゃない。俺の両手はもういっぱいいっぱいだ。とてもではないけど、暫く担当は持つつもりはない」
なら、なんで
「君もまだ独りで走るつもりみたいだしそれはそれで師と同じだから俺としては否定しない。ただ、君は確かに俺と担当を繋ぎ止めてくれた。だから感謝の気持ちだと思ってくれ」
男はそれだけ告げて去っていった。
残されたウマ娘は、アドマイヤベガは。湧き上がる名前の思いつかない感情に、どうすれば良いのか解らなかった。
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