サクラバクシンオーとファインモーションの一回目の挑戦はサクラバクシンオーの敗北で終わった。レース展開としては序盤勢いよく逃げ出したサクラバクシンオーに対して少し控えめなペースで動いたファインモーションが5バ身以上の差をつけられたものの、中盤から先行とは思えない凄まじい追い上げでサクラバクシンオーの背後にぴたりと張り付くと延々とプレッシャーをかけ続けた。
マークというよりは最早猛追といって良い動きは存分にサクラバクシンオーのスタミナと集中力を抉り取った。そのまま終盤は二人の領域勝負となり、殆どサクラバクシンオーは不発して敗北した。領域を自由に使わせない手口はブリッジコンプにとっても大いに勉強になる。
追い上げと、威圧感は絶対に食いついて離さない猟犬。逃げの天敵とも言って良いファインモーション先輩相手に逃げ切るのは不可能だ。走った後も余裕そうに鼻歌を歌う姿と、疲れ果てて倒れこんだ姿を見ればその差は歴然である。
トレーナーが急いでサクラバクシンオーに駆け寄って水を飲ませる。
「ガガーンッッッ!この私が、優秀な学級委員長たる私が負けてしまいましたッ!」
「そうだな」
「ああ、ありえません!でも、でも、トレーナーさんにバクシンすることの素晴らしさを教える大事な一戦に負けてしまったのも事実……もしや私才能無いのでは!」
「そんなことはない。実際真の意味でバクシンしていたら勝機はあったと思うぞ。俺は絶対に勝てる賭けは担当とはしない。でもバクシンオーはかかりっぱなしだっただろう」
「それもそうですね!私はまだ停滞していない、これからどんどんとバクシン的成長をしていくはずですから!あと二戦の間に勝てばいいのです!」
流石というべきかサクラバクシンオーはトレーナーが着いていれば切り替えが早い。トレーナーはサクラバクシンオーに構いきりなので代わりにブリッジコンプがファインモーション先輩にタオルとペットボトルを渡す。
「ふんーんーん♪ありがとっ、そだね~。私からしてみれば今のバクシンオーちゃんはブリッジちゃんより弱いかな」
いやいやいや。妄言は辞めて欲しい。
「それは無いですよ。今でも負けっぱなしです」
トレーニングメニューをこなす速度だってサクラバクシンオーの方が上だ。最近はよりハードになってきてブリッジコンプはメニューが終わらずに日が沈むまで続けることだってある。脚部不安によって一度差は縮まったもののまた突き放され始めている。サクラバクシンオーはペースというものを覚え始めて、領域もあるし1600m以下ではどう頑張っても勝てないところまで来ている。
「ほらブリッジちゃんはチクタクチクタクってペースを保ち続けるし、焦っても我慢できるでしょ?ペースを崩すなら物理的ブロックしかないのはちょっと面倒だよ」
そうだろうか?確かにあの状態に入れば体内時計は正確になるものの地力が上がるわけでもない小細工だ。納得がいかず首を捻るも、納得できる回答が帰ってくるわけでも無し。トレーナーがサクラバクシンオーの脚をマッサージしているのを眺めていると、太陽のような凄まじいプレッシャーが近づいてくるのを感じた。
これほどの存在感を放つウマ娘をブリッジコンプは一人しか知らない。振り返れば案の定、シンボリルドルフ会長が此方に歩いてきていた。トレーニング中だったのだろう、ジャージを着ている。序に、とても嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「久しぶりだな、ファインモーション。古今独歩、先ほどのレース見事だった」
「久しぶり♪会長も相変わらずだねっ」
「いやはや実のところ年々衰えを感じるよ。ところで本格的にトレセン学園に戻ってくる気はないだろうか。君ほどのウマ娘ならばURAも喜んでドリームトロフィーの出走資格を認めるだろう。否、私が認めさせよう」
少し調べてみたがファインモーション先輩はトゥインクルシリーズを引退した後、実家の都合で帰国したのだ。名家なのは雰囲気からして解っていたが王族と血縁もあるのだとか……無礼はしていないと思うのだが態度を変えるべきか悩ましい。
兎に角、日本で再びそのレースが見られないことを多くのファンから嘆かれたという記事もあった。ブリッジコンプの目からしてもまだまだ走れそうである。というよりクラシック期に入ったサクラバクシンオーを簡単に打ち負かしてしまう時点で通用するのは当然である。
誘いに対して、意外な事に先輩は困った顔を浮かべた。
「うぅん……名残惜しいけれど、今は無理かな。シャカールも心配だしね」
「ふむ、君達は確かに仲が良かったな。彼女にも何度も打診しているのだが……運命、か」
「でも大丈夫っ!ブリッジちゃんとバクシンオーちゃんがなんとかしてくれるから♪」
どういうことか理解はできないけれど。変に期待されても困る。
「なるほど、そう言うことか」
シンボリルドルフ会長の桃色の瞳がブリッジコンプの黄金の瞳と重なる。何故か、会長は凄まじいプレッシャーを放っていた。金縛りにあったように呼吸が止まり、一歩も動くことが出来ない。視界の端ではトレーナーを自然とサクラバクシンオーが庇う体勢に入っている。思考より先に本能が目の前の存在に対して警告を鳴らしている。
雷鳴が轟く。巨大な扉が現れようとして
「意地悪は駄目だよ!」
その中で気にした様子もなく、怒ってますといった風にファインモーション先輩が会長に声を上げた。
ばちりと瞳の奥に黄金の雷が瞬いて、ふとプレッシャーは落ち着いていく。助かった。思わず止めていた呼吸を再開する。慣れていなければまた泣きそうになったことだろう。ファインモーション先輩とは違う独特な、神威とも言うべきプレッシャーだった。これが永遠の皇帝、格が違う。
「む。思わず気を抜いてしまっていたか。委縮させてしまった様だな。すまない」
本当に申し訳なさそうに耳を垂らして謝る姿は、先ほどとのギャップで目を疑う。別に意識して此方を威圧しようとしたわけではないのだろう。むしろ、垣間見えた大きさからして自然と溢れ出すプレッシャーを普段から抑え込んでいるといった風が正しい。果たしてこれで本気のレースの時、どれ程のプレッシャーを持つのか想像もつかなかった。
「此処は一先ず退散するとしよう。ファインモーション、また走る気になったら何時でも連絡してくれ」
去っていくシンボリルドルフ会長はまさに嵐のようなウマ娘だった。
「よし、休憩も十分とった。ブリッジとバクシンオーも本格的に追走を覚えていく。兎に角経験あるのみだ」
気にせず話し出すトレーナーを見て、この人もやっぱり凄いと思う。並みの人間の胆力ではない。心配があるとすればプレッシャーにあてられたブリッジコンプが今日のトレーニングに身を入れられるかどうかである。
花壇の近くでセイウンスカイは一歩を踏み出せないでいた。何と声を掛けたら良いのかわからなくて、気まずくて。それでも、見つめ続けてたっぷり100秒は経った後に勇気を振り絞ってセイウンスカイはその小さな背中に声を掛けた。
「やー、フラワー」
「スカイさんっ!」
ちょっと、軽薄すぎたかな?でもセイウンスカイにはこれ以外の話しかけ方を知らない。ぱっと花開くように笑顔を向けるニシノフラワーを見て、申し訳ないという気持ちが湧き上がってくる。前は学年が違うにも関わらずあんなに一緒に遊んだのに。脚を故障して以来、無様な自身の姿を見せたくなくて避けてしまっていた。
話しかける決心がついたのは正式に大阪杯を目標として復帰が決まったからだ。
「今日も花壇の手入れ?にゃはは、フラワーは真面目だね」
花壇の土は掘り返されて、傍にあるプランターはまだ蕾にもなっていない植物が植えられている。
「好きでやっていることですから。漸く天候も落ち着いてきたので移し替えようと思いまして」
「へぇ~何のために?」
「実は元々花壇にあった花なんです。でも花壇だと土の栄養が減ってきちゃいますし、古い根っこも良くないので。今年の冬は雪が降るという予報もありましたから、その前に一度プランターにお引越ししました。それで今は花壇に肥料を撒いて馴染ませ終わったので、植え直すんです」
ニシノフラワーはやっぱり花のこととなると饒舌になる。前の通りの姿にセイウンスカイは内心ほっと胸をなでおろす。あるいは此方に気を使ってくれているのかもしれない。この小さな友人は気配り上手なのだ。
「手伝おうか?」
「ありがとうございます!のんびりしていたらトレーニングに間に合いそうになくて」
トレーニングと言われて実感が湧いてきた。ニシノフラワーはもうデビューしていて、ジュニア級で四戦四勝している。ブリッジコンプが果敢にチャレンジして、それを二回とも打ち破った凄いウマ娘になったのである。映像では見ていたが、なんだかこうして改めて実感したのもニシノフラワー自身の言葉だからだろう。
「そっか。フラワーとは前みたいに遊べないのかー、しくしく」
「もう、そんな言い方無いですよ」
むっと頬を膨らませたニシノフラワーに謝りながら、花壇への移し替えを手伝っていく。ずぼらな性格だと自覚しているので、何時もよりはちょっと緊張しながらプランターに指を入れて、根っこを傷つけないように花を引き抜く。
「スカイさん、ちゃんと前みたいにお花にいっぱい話しかけてあげてくださいねっ」
「はいはい、頑張って綺麗に咲くんだよ~」
「その調子です!お花もよろこんで綺麗に咲いてくれますから……!」
迷信である。でも、不思議とニシノフラワーの育てる花は確かに必ず綺麗に咲くのだ。きっと花の様な笑顔を真似ているのだと思う。並んで作業をして、穴に花の根っこを埋めて、土を葉に被せないように気を付けながら掛けた。
「ごめんねー。話しかけられなくて」
普通には話せなくて、ぽつりと呟く。ウマ娘の耳はそれでも聞き取れる。
「良いんです。前にこうして手伝ってくれた時、ゲジゲジがいたのをそっと逃がしてくれたことありましたよね」
「おお、そんなこともあったかな?若いと記憶力がいいのお」
「スカイさんはお花を大切にしてくれる方だから。だからまた仲良くなれるって信じていたんです」
胸に暖かいものが込み上げてきて、気恥ずかしくなって頬を袖でゴシゴシと擦る。漸くセイウンスカイは言い出す決心が着いた。
「私、大阪杯出るよ」
手を止めて此方にニシノフラワーが向くのを感じる。顔を合わせるのが恥ずかしい。セイウンスカイは誤魔化すように植え替えを続ける。なんと反応が帰ってくるのかちょっぴり怖くて、でも同時に期待もしてしまう。
「おめでとうございます!絶対に応援に行きますね!」
ニシノフラワーは自分のことのように喜んだ。ああやっぱり凄い子だな。
「ありがと、フラワーも桜花賞頑張ってね」
「はいっ!」
ちょっとまずったかなと言ってから思った。ブリッジコンプだって桜花賞に挑むのだ。レースにおいて勝者は一人。付き合いはニシノフラワーの方が長いけれど、最早どちらが大事だとか順位をつけるのはセイウンスカイの中で無理そうだった。でもまあ、これもこれで私らしいかなとどちらを応援すべきかという問題を意識の中から追い出す。
「うん、頑張るよ。ウィニングラン、楽しみにして」
宣言する。勝ちたい。否、ここまで啖呵を切ったのだ、絶対に勝つ。その為に必要な事をセイウンスカイはもう知っていた。プランターから全てを移し終わって跳ねるように立ち上がる。
「よっと、それじゃあセイちゃんもトレーナーさんの所に行ってくるね」
「あ、そうですね。私も行かないと」
ニシノフラワーと別れて真っ先にチーム棟へとセイウンスカイは向かった。どうやら今は海空トレーナーしか居ないらしい。好都合だ。
「セイちゃん、今日はサボらないのね?」
「にゃはは、私ってばお昼寝マイスターだからね。最も気持ちいいタイミングを見計らっているのさ」
もう大分長い付き合いになるが、この人を大変な目に合わせてしまったのだという負い目は未だにあった。事故と言うのも薄々違うのではないかと今では気づき始めている。だからこそ、一番最初に告げるのは海空トレーナーだと決めていた。
息を大きく吸って吐いて告げる。
「トレーナーさん、私は前の走りを捨てるよ」
長い付き合いだから、此れだけで伝わった。見つめる目が驚愕に見開かれる。もう、皐月賞や菊花賞みたいに走れないのは解っている。それでもという気持ちがセイウンスカイにも海空トレーナーにもあった。フォームの修正も今の体で走れる中で、過去の走りに近いものにしてきた。
でも、自覚しなければならない。二冠ウマ娘セイウンスカイはもう終わった存在なんだと。フォームを変えたところで爆発的に速くなれる訳でもない。領域だって別のものを編み出さなければならない。調整期間ももうあまりない。それでも、過去の栄光に縋っていては絶対に勝てない。
「一から、やり直そう」
「セイちゃん……、解った。うん、うん、そうだね」
ぼろぼろと海空トレーナーが泣き始めてしまう。慌てて駆け寄ったセイウンスカイの手を、大事そうに海空トレーナーは両手で包み込んだ。
「ちょ、ちょっとトレーナー?」
「また、頑張ろう」
決意を新たに。祝日でも、特別な日でもない。なんてことのない今日が、セイウンスカイにとって新たな始まりの日だ。
感想有難うございます。