黄金郷への橋   作:そういう日もある

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トレーナー視点


バレンタインデー

二月中旬

 

「どうするべきか」

 

冬の寒さも和らいだ今日この頃、休息日ということもあって誰もいないチーム棟。朝からパイプ椅子に座りながら俺はレース一覧と睨めっこしていた。セイウンスカイはステップレースを使うことなくいきなり大阪杯に出すようだ。海空トレーナーの方針なら構わない。

 

考えは解るし俺もブリッジコンプに関して、大目標までレースに出すのを辞めようかと悩むほどだ。既にURA評価値を稼ぎ終わっている以上、大目標以外のレースに出す利点は一つ、レース勘を得るあるいは取り戻すことにある。これはかなり大事な要素だ。本番のレースでは、千人を超える大歓声と期待、他のウマ娘達の真剣度合全て、力に変えると言えば聞こえはいいが、つまり必要以上に力み過ぎるのだ。

 

特に大目標の一月半以内はステップレースであり、ウマ娘達のレース勘を高い状態に維持したまま大目標に挑む為に走る。URAも意識していてGⅠへの優先出走権を得られるトライアルレースに大体が定められている。

 

欠点は二つ。一つはその分トレーニングにかける時間が少なくなる。トレーニングとレースへの仕上げはまったく違う。トレーニングは肉体を苛め抜いてウマ娘の最低値ごと引き上げるのに対して、仕上げは最高値になるように調整する。大体仕上げには長ければ一週間を使い、終わった後も更に一週間は限界ギリギリのトレーニングを脚を壊してしまう為出来ない。成長速度が凄まじいウマ娘にとって二週間という差はあまりにも大きい。

 

二つ目は情報戦だ。俺も行っているように殆どのトレーナーはいずれ同じレースで担当がぶつかるだろうウマ娘に対して分析を行っている。気性、好きな作戦、得意な走法と距離、成長速度、癖、毛の艶などなど一つ一つに至るまでデータを集める。ウマ娘達はレースにおいて本気で走る以上、当然走れば走るだけ分析が進み対策が生み出される。

 

セイウンスカイの場合は一昨年の秋の天皇賞から今日まで殆どデータが知られていない。それは研究し尽くされ合っているシニア期において大きなアドバンテージになる。初見殺しのような手だって使えるのだ。問題はあまりにもブランクが長すぎる。殆ど賭けになるだろう。

 

翻ってうちの担当となると悩ましい。

 

「バクシンオーは……出した方がいいよなぁ」

 

レース勘というのもあるが昨日ファインモーション相手に二回目の敗北を迎えた。かなり落ち込んでいて自信を喪失しかけている。大舞台に勝つことで再び自信を取り戻さないとトレーニングにも影響を及ぼすかもしれない。負け癖がついては困る。

 

GⅠはしばらくない為大舞台となるとGⅡだ。GⅡ候補は中距離の弥生賞を除いて、チューリップ賞、フィリーズレビュー、スプリングS。うち前者二つは桜花賞のトライアルレースでもある。長距離を目指して距離を少しずつ伸ばしていくという意味でスプリングステークスも良いかもしれない。ただ、距離が長すぎて勝てるかどうかは解らないし、何故か嫌な予感はする。

 

扉が開かれて外の冷気が広がっていく。入ってきたのはコートを羽織ってマフラーを巻いたブリッジコンプだった。少し緊張しているのか癖で耳の飾りを弄っていた。

 

「やっぱりトレーナーいた。休める時に休んだ方が良いですよ」

 

「休んでるよ。だらだら考え事をしているだけだ」

 

鍛え上げられてるとはいえ、ニーソックスとスカートの隙間の太ももは少し寒そうだ。ジャージくらい下に履いても許されるだろうにと思うのは男だからか。俺がファッションに興味がなく選ぶ服も取り敢えずスーツばかりだというのもある。

 

「見過ぎです」

 

視線を上げると頬を膨らませたブリッジコンプがじとっとした目で見てきていた。

 

「悪い」

 

脱いだコートを受け取ってハンガーにかける。ハンガーは最近海空トレーナーが追加したもので、俺のせいでもあるがなんだか最近この部屋も手狭に感じられる。その間にブリッジコンプは新しく珈琲を煎れて砂糖とミルクをドバドバと投入していた。

 

「それで今日は休息日の筈だがなんで此処に?」

 

「あーその」

 

話しにくそうなので別の話題を出すことにする。

 

「ブリッジは次のレースどうする?桜花賞のステップで無難にいくならチューリップ賞、フィリーズレビュー、ファルコンステークス、毎日杯ってところだ。出ないって手もあるが」

 

一応オープンのアネモネステークスも桜花賞のトライアルレースだが評価値稼ぎや優先出走権目的ではない以上、少しでも雰囲気を味わう為に出るなら重賞の方がいい。

 

「……そう、ですね。あの、トレーナー」

 

「なんだ?」

 

言いにくそうにブリッジコンプは視線を逸らして、結局口にした。

 

「ファルコンステークスが良いと思います」

 

「解った」

 

今挙げたレース場の内、唯一阪神レース場開催ではないのがGⅢファルコンSだ。中京レース場、芝の距離1400m。今年は桜花賞の22日前開催なため期間的な問題がない。

 

「理由は聞かないんですか?」

 

「聞かなくても解るし、それは別に逃げじゃない。だから俺は良いと思う」

 

もうそろそろ一年の付き合いなのだ。理由は予想がつく。もし桜花賞と同じ阪神レース場で負けたら、今度こそ桜花賞に向けて立ち直れないかもしれないと考えている。だからこそ挑ませたいという気持ちはあるが、無理する程のことでもない。

 

それにリニューアル後の中京レース場は阪神レース場よりブリッジコンプにはきついレース場だ。個人的には平等性を欠いているので好きではないが、差しや追い込みの勝率が明確に高い。ここで勝つことが出来れば桜花賞への布石になる。

 

「ただ条件はある。先行策でいくが例の策は秘匿する」

 

まだまだ未完成のレース全体をコントロールする戦術は限界まで秘匿する。既に偵察しにきたトレーナーやウマ娘の姿は何度も見掛けているし、最近のトレーニングが追走寄りになっていることもばれている。しかし、レース全体をコントロールするなどという突拍子のないことは思いつきもしないだろうし、本番のレースで披露したのとそうでないのは全く違う。

 

「切り替えは使っても良いんですか?」

 

「構わないがそっちも未完成のまま出走することになると思うぞ」

 

「それって勝てるんです?」

 

黄金の瞳を見て正直に答える。観察する目を磨いているので、もう最近はブリッジコンプに下手な誤魔化しもきかなくなってきた。管理トレーニング方式としては手間がかかるものの、成長なので悪くない。

 

「六割くらいかな」

 

「……ちなみに桜花賞の勝率って聞いても良いんですか?」

 

気になるか、当然か。

 

「同じく六割。レース全体をコントロールできた前提でな」

 

同じ六割と言っても小数点以下の部分は桜花賞の方が下。更に前提を加えるならニシノフラワーという突出した存在を抑え込めるかどうかにかかっている。

 

「解りました。ファルコンSに出ます」

 

「オーケーそのつもりで行こう」

 

こうなるとサクラバクシンオーもチューリップ賞かフィリーズレビューでも良い。それとなくスプリングSを避けるように誘導しつつ上記の二つから選んでもらうとしよう。忘れないためにメモを取っていると、少しの溜をおいてブリッジコンプが切り出した。

 

「トレーナー、これあげます」

 

鞄から取り出されたのは綺麗にラッピングされた赤い箱。そのことでふと思い出す。今日はバレンタインデーだ。一週間前からスーパーマーケットでも宣伝されていた。市販のラッピングや箱ではないので手作りの様だ。

 

「有難う。開けてもいいか?」

 

「ど、どうぞ。あ、勿論、義理?ですからね」

 

それは言われなくても解っているが、嬉しいものは嬉しい。特に担当からとなれば格別だ。紐をするりと抜いて破かないように包装をはがしていく。最後に箱を開ければ星形のチョコレートにホワイトチョコレートでハートマークが描かれている。

 

「ワイスが、その、こういう風に作るんだって。初めて手作りなんてしたので見た目は整えられたんですけど結構失敗しちゃって」

 

取り出して齧ってみると確かに少しぼそぼそしている。火を通し過ぎたのだ。誤魔化すために更にチョコレートでコーティングしたから見た目は良い。でもはじめてにしては上手くできているから、手先が器用というわけでもないブリッジコンプが何度もチャレンジした努力が伺える。何よりもそれが良い。

 

「うん、美味しいよ」

 

「嘘ですね。今ちょっと敢闘賞くらいって思いましたよね」

 

鋭すぎる。じとっとした黄金の瞳は完全に俺の内心を見抜いていた。

 

「本当だって。こういうのは気持ちの問題だし、ワイスマネージャーだって美味しいって言っただろう?」

 

「そうですけど。トレーナーにはお世話になりっぱなしなので、こういった方法でしか返すことが思いつかなくて」

 

気にしなくて良いというのは簡単だが、そういうわけにも行かないのだろう。担当なら大抵のお願いを無償奉仕するつもりなのに、何故かブリッジコンプはサクラバクシンオーやセイウンスカイと比べて一歩引きがちだ。

 

「なら来年はもっと美味しいのを作ってもらわないとな。なにせ俺はホワイトデーにホールケーキを作るつもりだ」

 

「来年も……解りました。それじゃあ、用はこれだけなので」

 

ブリッジコンプが勢いよく立ち上がってカタンと椅子が鳴る。忙しなくコートを羽織ってマフラーを手に扉を開けた。

 

「ケーキはイチゴ味が良いです」

 

誤魔化すようにそう言って出て行ったブリッジコンプの横顔は、緊張が限界に来て赤くなっていた。勉強詰めだった俺にはないアオハルをしているなと思う。恋愛だけがアオハルではないのだ。残ったチョコレートは箱に戻して冷蔵庫に入れる。後で大事に食べるつもりである。

 

気分転換にレース映像でも見返すかとパソコンを開いた時、バンッ!と大きな音と共に扉が開かれた。ブリッジコンプが忘れ物をしたかと思えばそこに居たのはサクラバクシンオーだった。くんくんと人間よりよくきく鼻を鳴らす。

 

「おやッ!どうやら私が一番乗りではない様子、ブリッジが最初でしたか!流石ですね!」

 

脇には明らかに手作りの小包が抱えられている。今年は担当二人からチョコレートを貰える幸せな年になりそうだ。不安があるといえばサクラバクシンオーの料理の腕は悲惨の二文字であること。だが油分と水の塊のチョコレートに旨い不味いはあっても食べられないということはない、はず。

 

「トレーナーさん、学外にいきましょう!優等生として学内で率先してお菓子を渡すのはNGです!」

 

「いや渡すなら此処にしてくれ。スキャンダルが怖い」

 

可能性は低いだろうが。もし外でチョコレートを渡している姿が激写されれば、翌日には熱愛!?サクラバクシンオーとトレーナーの禁断の恋という見出しが記事に載り、俺は停職処分を受ける。学園内だからこそ許されていることもある。

 

「むッ!では仕方ありませんね!どうぞ、受け取ってください」

 

小包を受け取ってみると石が詰まって良そうなずっしりとした重さがあった。明らかにチョコレートの重量を超えている。嬉しそうに笑うサクラバクシンオーの前で不安そうな顔をするわけにもいかず、笑顔を心掛ける。

 

「ハッピーバレンタインです!」

 

「有難う。ちなみに中身はなにか聞いても良いか?」

 

「チョコレートです!お世話になった人にチョコレートを渡すのがバレンタインですよ!」

 

やはりチョコレートか。果たしてそもそも食べることが可能な物質かどうか。

 

「誰かに手伝って貰った?」

 

「はい!母上に手伝って頂きました!」

 

それなら安心とはいかないのがサクラ家クオリティである。とりあえず開封してみれば見た目はシンプルに大きなハート型だった。試しに触ってみれば石かなにかに触れたようなコンコンという硬質な感触が返ってくる。

 

「ちなみに味見はしたか?」

 

「いいえ!真っ先にトレーナーさんに食べて頂きたいと思いましたので!」

 

試しに齧ってみるが当然歯が立たない。舐めてみればきちんとチョコレートの味がする不思議な物質。

 

「うん、美味しい。ただ朝に食べると胃もたれするからゆっくり食べるよ」

 

箱に戻して同じく冷蔵庫に入れる。勿論貰った以上完食はするつもりだ。湯煎すれば食べられるだろうか?湯煎した時点でサクラバクシンオーの手作りチョコレートと言えるかどうかは疑問だが致し方ない。

 

「バレンタインなど慣れませんがどーーうしてもトレーナーさんにはお渡ししたくて!だってトレーナーさんは私が長距離レースで勝てると信じてくれる、夢が叶うと本気で信じてくれる方ですからね」

 

声のトーンが落ちる。

 

「今ではトレーナーさんのお陰で多くの方々が理解してくれていますが、昔はそれはそれは無理だなんだと否定の言葉ばかり聞いたものです。ですが私とトレーナーさんは一緒にバクシンし続けて、もうそう言う方は殆どいなくなりました。本当にありがとうございます」

 

「バクシンオー」

 

熱くなった目尻をぎゅっと目を瞑って我慢する。見開いた時には何時もの笑顔が目の前に広がっていた。

 

「これからも一緒にバクシンを見せつけてやりましょう!」

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

がっしりと手を結ぶ。ウマ娘の力で少し痛かったが、だからこそサクラバクシンオーからの熱い信頼を感じ取る。

 

「ところで次のレースに出るなら何が良い?GⅡならチューリップ賞かフィリーズレビューって選択肢がある」

 

「おや?スプリングステークスもありますよ!トレーナーさん!」

 

誰だ入れ知恵したのは。

 

「俺が挙げた二つは三月上旬で、スプリングステークスは下旬。出来るだけ早くお前の走りを応援しているファンに見せた方が良いだろう?」

 

「なるほど!流石トレーナーさんですねッ!ですが1800mという距離は長距離を目指す私のクラシック路線の入り口として相応しいのではないでしょうか!」

 

説得にはかなり苦労したが、なんとかサクラバクシンオーにフィリーズレビューに出走することを頷かせた。




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