黄金郷への橋   作:そういう日もある

57 / 68
トレーナー視点


本音

「いえ、ですからその件については父にお任せしておりますので。はい、はい、それでは」

 

電話を切って机の上に広げたゲームの企画書を戸棚の一番奥に仕舞い込む。如何にURAとはいえ余計な仕事を持ち込まないで欲しい。時計を見れば朝八時少し前と丁度いい。ジャンパーを着こみ、キャップをかぶり、トレッキングシューズを履く。傍には弁当の入ったクーラーボックスとリュックサックが用意してある。

 

珈琲の残りを飲み干して待っていれば、玄関のチャイムが鳴った。

 

「時間ぴったり、よく寝坊しなかったな」

 

「にゃはっ、セイちゃんてばトレーニングはサボっても釣りはサボらないからね☆」

 

セイウンスカイは何時もの制服ではなく俺と同じようにジャンパーを羽織りハイキング向きの恰好をしていた。というのも、言葉通り今日は釣りに行くつもりだ。大阪杯に向けてそう日もないのだが、だからこそストレスを緩和するために息抜きは必要になる。

 

なにより最近やる気は出しているもののセイウンスカイは延々とトレーニングを続けられるタイプではない。サボって欲しくない時にサボられるくらいなら此方から羽を伸ばせるタイミングを用意した方が良い。

 

「釣り竿はケースごと車に積んであるから」

 

「それじゃあセイちゃんはこれを持ちましょうー」

 

そう言ってクーラーボックスを自主的に持つ姿は珍しい。余程釣りを楽しみにしていたようだ。駐車場でまたもや父親から借りた車に荷物を積み込んで乗った。向かうのは車で一時間半程度の奥多摩。海ではなく渓流である。流石に何度も使っては慣れるというものでスムーズに学園から出る。

 

「海空さんは連れて来なくて良かったのか?」

 

「せっかちだから魚が逃げちゃうんだよ。前に行ったときはそれで私までボウズになっちゃったからね」

 

まあ、確かに何処となく海空トレーナーはせっかちでかつ抜けている部分が多い。

 

セイウンスカイ復活記者会見の予定も昨日まで忘れていたくらいだ。急いでURAなど各関係者に連絡したところ、慌てていた為か根回しに失敗して会見前にセイウンスカイの情報がSNSにも流れてしまっている。参加したい社が殺到して、今頃海空トレーナーはてんやわんやしている筈だ。

 

「トレーナーさんもバクシンオーちゃんとブリッジちゃん連れて来なくて良かったの?」

 

「ああ、バクシンオーはシャカールに今頃しごかれてるからな。俺がいるとついつい甘くしてしまう」

 

サクラバクシンオーは逃げでGⅡフィリーズレビューに勝利し、意気揚々とファインモーションに挑んだところ見事に撃沈した。大きく成長する夏にも入っていないクラシック級では、熟達したシニア級にはやはり勝てないらしい。これで通算三回敗北したので渋々先行策を覚えることを同意。エアシャカールが仕込んでいるというわけだ。

 

元々ブリッジコンプと違って脚質的には先行策もいけるのでNHKマイルカップまでには間に合うだろう。

 

そのブリッジコンプといえば、

 

「ブリッジは今日チームリギルに預けている。ちょっと可哀想だが必要な事だ」

 

担当になりたての頃なら、絶対にしなかった。今だって学園最強の才能チームを前に潰れやしないか不安だ。

 

「それ大丈夫?」

 

「ダメなら桜花賞もダメだろう」

 

ブリッジコンプはもっと多種多様な才能を身近で見た方が良い。それは先行策を走らせてより強く実感した。

 

俺の想像を超えて目が良いのだ。おそらく人間や普通のウマ娘がこうして見えている景色とはまったく別の、情報量の多い世界を見ている。言語化しにくいが肉体に宿る魂の形を見ているというか。その為に予想より早く領域の不発という戦術を身に着けつつある。

 

結局は力負けしたものの既にサクラバクシンオーやセイウンスカイの領域でさえ不発に追い込んだ。レース全体をコントロールするという難題も可能かもしれない。だが実践とトレーニングはまったくの別物。それに力押しで負けてしまっては何の意味もない。桜花賞にまで間に合うかどうか、この三週間にかかっている。多少強引でも変化を必要としていた。

 

「そっか、私も頑張らないとね」

 

セイウンスカイは自身に言い聞かせるように呟いた。

 

トレセン学園から中央自動車道を通って一時間もすれば辺りは急に田舎になってくる。多摩川に沿って進み、山に囲まれた道を行く。途中で渋滞に捕まったが大した時間はかからなかった。換気の為に窓を開ければ心地いい風が吹き込んでくる。

 

梅は綺麗な花を咲かせ、ホーホケキョとウグイスの鳴き声が聞こえてくる。すっかり春の陽気だ。

 

「帰りに神社にでもよるか?ウマ娘を祀ったものもいくつかあるらしいぞ」

 

「そうだねー。ああでもお御籤は引きたくないかな。大吉のままでいたいし」

 

「二回ひいてどっちも大吉ならもっとご利益がありそうなものだがな」

 

「セイちゃんは自分の運を試すような真似はしないのですよ」

 

他愛ない話をしていれば砂利で舗装された道に代わり、十時頃に現地に到着する。既に幾人かの釣り人が同じようにいたが、混んでいるという程でもない。これがあと一二週間もすれば春釣りの最盛期に入り人でごった返していただろう。というのはネットでの受け売りだ。

 

今回俺は初心者ではあるが、初心者用の釣り堀には向かわずセイウンスカイに付き合う形で本流に向かうことにした。ボウズになりそうな気もするが致し方ない。車を降りて施設で入漁料を支払う。今の時期はニジマスだけでなくヤマメの放流も行っている。

 

自然なままの魚はいないのかとは思うが、人が管理しなければ釣りすぎて魚が居なくなってしまうらしい。なんとも業が深いものだ。

 

「釣り道具はあるとして、餌はなにが良いんだ?」

 

「買うならハチミツガかイクラ。でも大丈夫♪セイちゃんが現地調達するからね」

 

こうして透明なパックに詰められた虫よりその方が活きがいいのかもしれない。ここは上級者であるセイウンスカイに従って購入せずに川の上流へと歩いていく。しばらく進めばレジャーというより釣り師といった具合の人達にだんだんと層が変わっていった。

 

「よ~し、ここがいいかな」

 

セイウンスカイが決めたのは更に上流の人がいない場所だった。川の流れは強く、飛沫が上がり魚影が良く見えない。本当に釣れるのだろうか?疑問に思いながら木陰にブルーシートを広げて折り畳み椅子を二つ並べる。

 

その間にもセイウンスカイは川辺の石をひっくり返していた。直ぐに虫で籠がいっぱいになっていく。一匹二匹ならまだしもこうしてうぞうぞと蠢く大量の姿を見れば気持ち悪い。セイウンスカイは気にした様子もなく素手で掴んで見せびらかした。

 

「こっちがクロカワムシで、こっちがカワゲラの幼虫。よく動くのが良いよ♪」

 

見た目は黒い芋虫に細長い腕が生えた虫と、頭にも尻にも触覚が生えた虫。

 

「カワゲラって飛ぶんじゃないのか?」

 

「成長したら飛ぶね~。だから捕まえられるのは初夏まで。それと羽が生えたらウスバカゲロウみたいにもうご飯を食べないんだ」

 

へぇと感心するばかりである。セイウンスカイが釣り好きなのは知っていたが、此処まで雑学があるとなると本気度合いが伺える。釣り竿を素早く組み立てるのを見様見真似で組み立てる。ちなみにセイウンスカイは使い込まれた竿で、俺のは新品同様である。前クリスマスプレゼントに渡した竿は海用で川では扱いにくいらしい。

 

重りをつけてからおっかなびっくり針に虫を通す。

 

「そんなんじゃ甘いよ、トレーナー。もっと腹にぐっと差し込まないと流されちゃう」

 

「あ、ああ」

 

より深く針を虫に、クロカワムシに刺し込めば一層うぞうぞと蠢いた。フィンガーガードをつけて竿を持ち勢いよく虫のついた針を川の奥に飛ばす。俺の方が身長が高い分有利だというのにセイウンスカイの方が遠くに飛んだ。

 

やはり近くで見ても流れが強く魚がいるのかさえ解らない。

 

「ここ釣れるのか?」

 

「ううん。あんまし釣れないかな。普通に釣りたいならもう少し下流の人がいた場所に行くと良いよ」

 

どういうことだろうか。

 

セイウンスカイの顔を見れば、見惚れるほど何時になく川を真剣に見つめていた。青い瞳は川からの照り返しできらきらと輝いている。まるで流れの速い川から勝利の二文字を釣り上げようとしているかの様に、なんていうのはあながち間違いでもない気がする。

 

「セイ」

 

声をかけようとした俺をセイウンスカイが遮った。

 

「トレーナーさん。釣果が上がってから話そう」

 

「……解った」

 

竿を小刻みに動かして、時折針に虫がまだついているかを確認しながら20分たった頃。セイウンスカイの浮きがぴくんぴくんと揺れ動いた。

 

「ひかなくて良いのか?」

 

「まだ食いついてないからっと、よいしょー!」

 

どういうタイミングが正しいのか解らないうちにセイウンスカイは勢いよく竿を振った。すると大振りの魚が姿を現す。急いで自分の竿を置いてから網を使って掬う、これはニジマスだろう。赤紫色の帯が入った光沢を煌めかせている。

 

セイウンスカイが素早く針を外して水をいれたバケツに放り込む。

 

「40cmってところかーまあまあだね」

 

「美味しそうだ」

 

下流の施設では焼いてくれる。弁当も持ってきたが、大した量ではないし追加でニ三匹はいけるだろう。

 

「あは、そうだね」

 

セイウンスカイはきらきらと鱗を煌めかせるニジマスを見ながらぽつりと呟いた。

 

「私、負けるかもしれない」

 

大阪杯、既にテイエムオペラオーが出走を宣言している。当然コンビのメイショウドトウも。逃げウマ娘のメジロパーマーもだ。他にも有力なウマ娘達が出てくる。ブリッジコンプやサクラバクシンオーと違ってあまりにも綺羅星の如き強敵が多すぎる。

 

一年越しの復活は確かにストーリーとしては大きいが逆に言えばそれしかない。なんとか走力も全盛期まで取り戻したとはいえ、厳しい。

 

「海空トレーナーさんと釣りに行ったのはさ。丁度、春の天皇賞の少し前だったんだ。混んでたから今日みたいに上流に行って結局釣果はゼロ、根がかりすらしなかった」

 

なるほど、それは確かに海空トレーナーを誘わないのは当然だ。ジンクスというものはバカにならない。

 

「その時も。壁や限界を超えるにはどうすれば良いか考えてた。際限知らずで強くなるライバル相手に頭打ちの私が勝つには、どうすればいいか……」

 

「結局見つからなかったんだけどね」

 

セイウンスカイはニジマスから目を離して、針に餌をつけて川に投げ入れる。

 

まるであの時のようだ。初めてセイウンスカイと出会った日。トレセン学園のレース場前で別れて、元来た道を戻っていくセイウンスカイの背中とその背中は似ていた。同じように俺はなんて言葉をかけるべきか解らない。

 

此処でセイウンスカイに絶対に勝てるって信じて、言って見せることは出来る。勝率は低いことなんて解っていても、エアシャカールから習った管理トレーニングは自分の感情を塗りつぶせる。でもそれは正しくないことだと直感的に思う。きっとそしたらセイウンスカイは笑って頷いて、それっきり。

 

二人のウマ娘を育てて、レースで勝って、敏腕なんて言われ始めて。成し遂げたものもある筈なのに、あの時と俺は何一つ成長していなかった。俺は結局、ウマ娘という存在に対してファンのように憧れていたいが、恐れを抱いたままだ。

 

それでも。

 

「セイ」

 

「なに?トレーナーさん」

 

声をかけたのに次の言葉がなかなか出てこない。でも釣れたじゃないかなんて言葉に逃げようとして、そうじゃないと否定する。剝き出しの本心を言葉にするべきなんだ。

 

「……俺はセイには大阪杯で走って欲しくないんだ」

 

言葉として出てきたのはセイウンスカイの背中を押すものではなかった。むしろ脚を引っ張るものだった。

 

「え?」

 

真ん丸に驚いた青い瞳が此方を向く。釣り竿が手から滑り落ちて、カランと音を立てる。

 

これがドリームトロフィーなら良かった。黄金世代の対決を心の底から見たかった。なのになぜかセイウンスカイが再びシニア級で走る事に不安がつのる。嫌な胸騒ぎがあった。

 

「今でも多くのウマ娘が走れなくなって、必死に前みたいに走りたいとリハビリをしている」

 

トレーナー業の一環としてウマ娘が通院する病院でのチャリティーイベントに参加した。一緒にライブ曲を歌ったり、今のレースの話をしたり。俺の目から見ても二度と本気で走れないだろうと思わせる状態なのに、もし脚が治ったらスカウトして欲しいなんてお願いもされた。在りのままの現実だった。

 

「俺はセイが楽しそうに走っている姿が好きだ。風を切って海の上を跳ねるように、大空を羽ばたくように飛ぶ君の姿が好きだ」

 

模擬レースの時は何時だって楽しそうだった。何度だって改めてセイウンスカイをファンとして好きになった。でもこの一年間はそれだけじゃなかったんだ。

 

一緒にサクラバクシンオーの実家に行った。夏合宿に行った。クリスマスパーティーをした。他にも沢山、楽しかった思い出だけではないけれど。ウマ娘であるというフィルターにかけていない、セイウンスカイそのものを少しずつ理解していく内に感じてしまった。

 

「でも、もう一度、本気を超えた力で走れば二度と走れなくなるかもしれない」

 

ウマ娘の脚は硝子製、故障は再発しやすい。いくら補修しようとも入った罅は罅のまま、今度こそ砕け散る危険がある。既に全盛期を過ぎたセイウンスカイがそうなれば致命的だ。しかしセイウンスカイはきっと大阪杯で本気を超えて走ろうとする。

 

だから大阪杯で走って欲しくない。今までの行動と矛盾した身勝手な俺の本音だった。

 

「トレーナーさん」

 

セイウンスカイは柔らかく微笑む。

 

「普通そういう時は頑張れとか、一緒に勝とうとか、そういうことを言うんじゃないかな♪」

 

茶化すように努めて明るい声を出した筈の、セイウンスカイの声は震えていた。

 

「仕方がないだろう。それでも、思ってしまったんだ」

 

セイウンスカイはふぅと息を大きく吐き出して、自身の胸に手を当てた。

 

「トレーナーさんの気持ち凄く伝わった」

 

瞼を閉じて、再び見開いた青い瞳を見た時。ああ俺の本心は叶えられないんだなと悟った。

 

「そうだね。次が最後のレースになるかもしれない。本当の終わりかもしれない。壁を乗り越えた先に地面がなくて落っこちちゃうのかも」

 

びりびりと認識が破けて歪んでいく。川の音が遠のき、セイウンスカイの想いが景色となって現れる。それは全盛期のセイウンスカイさえ超えている、全く別の代物だった。今ようやく必要な最後のピースが揃って、進化を遂げた。

 

脚を引っ張ったはずの俺の言葉は、逆にセイウンスカイの背中を押してしまった。

 

「……でも、さ。でも私は勝ちたい。証明したい。だからトレーナーさんには見ていて欲しいな」




評価・感想・日間ランキング掲載有難うございます。励みになります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。