黄金郷への橋   作:そういう日もある

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焦がれて

ブリッジコンプは一人トレセン学園のカフェテリアで黄昏ていた。テーブルには氷が溶けだして半透明になった飲み残しのアイスコーヒーと、スマートフォン。もう桜花賞まで五日しかないというのに、魂が何処かに抜け落ちてしまったようだった。

 

目を閉じれば、瞼の裏にセイウンスカイの走りが鮮明に蘇る。執念、覚悟、決意。ゴールの直前、セイウンスカイの体は不自然に沈んだ。トレーナーはもう柵を飛び越えて走り出していて、ブリッジコンプは動くことも出来ずに見惚れているしかなかった。

 

沈んだ瞬間、セイウンスカイというウマ娘がもうトゥインクルシリーズでは走れないことを黄金の瞳で理解した。あの時点で、また再び治療してリハビリを行うことになれば、間に合わない。いずれにせよトゥインクルシリーズにおけるラストランになる。セイウンスカイ自身も気づいていた。

 

だからだろうか?更に一歩踏み込んだ。証明するために、セイウンスカイというウマ娘を世界に刻み付けるために。

 

踏み込んだ瞬間サクラバクシンオーはトレーナーを追って走り初めて、視界の端でキングヘイロー先輩も飛び出したのが見えた。

 

長い長い一秒の後に、前のめりに倒れていくセイウンスカイを受け止めたのは後ろから追い抜いたテイエムオペラオー先輩だった。観客はセイウンスカイが走り続けたが為に異常に気付かなかったのだろう。大歓声が沸き上がった。

 

ブリッジコンプはただその光景を見ていることしか出来なかった。そして思ってはいけないことを思ってしまった。

 

「羨ましい」

 

小さな呟きが空気に溶け込んで消えていく。

 

セイウンスカイは骨が折れて、リハビリも含めて治療には半年以上はかかるとみられる。治ったところで今まで通りにはもう走れるかどうか、奇跡が必要だった。記者会見はまだだがトゥインクルシリーズの引退を正式に表明した。ドリームシリーズでまた姿を見ることが出来るかも解らなかった。

 

なのにセイウンスカイは笑顔だった。抱きかかえられながらとても満足気で、身勝手に、勝ったと大喜びしていた。

 

羨ましかった。心の奥底でどす黒い嫉妬がダメだと解っているのに競り上がる。どうしても惹かれてしまう。ブリッジコンプはライバルだとか、良い勝負だったとか、そういう感情がまだレースに無かったから、勝ち負けが全てだったから猶更だった。

 

セイウンスカイはレコードを叩き出し、歴史に刻まれる。毎年大阪杯が来るたびに思い出を語られることになる。ただ勝利するだけではない。伝説となったのだ。

 

凄いウマ娘が、凄い努力をして、凄い成長をして、死力を尽くして奇跡を起こす。ブリッジコンプには絶対に無理な事だった。グラスに映る歪んだ黄金の瞳が、ブリッジコンプというウマ娘の程度を嫌でも理解させてくる。

 

「サボりかしら」

 

そのウマ娘は近づいてくるまで気配を一切感じさせなかった。自然な動作で椅子を引いて対面に座る。グラスから視線を移せば、黒みがかった鹿毛と、右耳の青いイヤーカバー、鋭利な瞳。一等星を思わせる存在感に名を直ぐに思い出した。

 

アドマイヤベガ先輩、ダービーウマ娘だ。

 

「えっと、その何の用でしょうか?」

 

今は新入生歓迎のオリエンテーションが体育館で行われている。だからカフェテリアにはブリッジコンプしかいないし、デビュー済みの在校生は出席するように言われていたのでサボりというのも正しい。とはいえじっとしていられないウマ娘のことだ。ブリッジコンプ以外にも抜け出したウマ娘は結構居るだろう。

 

態々先輩に話しかけられる理由が解らなかった。まあただ目を付けられただけかもしれないが、どうにも先輩は積極的に話しかけるような性格ではない様に思える。

 

「後輩が困っていそうだったから話しかけるのは普通よね、ブリッジコンプさん」

 

「……」

 

少しの沈黙の後に真顔で先輩は言い切った。

 

「冗談よ。自己紹介は必要?」

 

「いえ、アドマイヤベガ先輩」

 

「そう。ただ、私は恩返しのために話しかけた」

 

「恩、ですか?」

 

むしろ間接的に恩があるのはブリッジコンプの方だった。今でも夏合宿の夜空を覚えている。夏の大三角を、輝く一等星をトレーナーと共に見た日。あの日があったお陰で、致命的な断絶がなくトレーナーと今こうしてやってくることが出来た。

 

「ええ、貴方のトレーナーに私は大きな借りがある。この程度で返せるわけではないけれど。話してみなさい」

 

結局トレーナーがどんなことをしたのか話すつもりもないようだった。何より何故初対面のウマ娘に悩みを打ち明けなければならないのだろうか。私がそうして黙っていると、アドマイヤベガ先輩は一つため息を吐きだして勝手に話し始める。

 

「あの時点でのオペラオーは昨年の有馬記念程ではないにしろ、間違いなく現役最強だった。私はダービーで勝ったけれど、死力を尽くしても今勝てるかどうかは解らない。でもセイウンスカイは打ち破った」

 

また黙って、此方をじっと見つめる。段々、自分から話すのが苦手なウマ娘だというのは解ってきた。それでも話しかけるべきと判断したのなら、よっぽど今のブリッジコンプは酷い顔をしている。

 

話さなければ何時までもこの先輩は待つつもりだと解って、逃げるように金と桃のブレスレットに視線を向けた。

 

「セイさんは凄いウマ娘です」

 

ぽつりと口にすれば自然と言葉が零れ落ちた。

 

「何度トレーニングしても勝てなかった。追いつけなかった。なのにセイさんがあんなに必死になって、脚を壊す覚悟でなければGⅠという頂きには辿り着けなかった。じゃあ私は、才能の無い私はどうしたら良いんですか」

 

あの一秒、僅かでも判断が遅れていれば勝っていたのはテイエムオペラオー先輩だった。ブリッジコンプはそんな短い間に判断できる自信も、覚悟もない。きっと迷って悩んで、一歩を踏み込むことが出来ずに無様に柵を潜ることになる。

 

明確な差を見出してしまった。口ではGⅠに勝ちたいなんて言いつつも、結局自分の覚悟はその程度だった。

 

「もう重賞を二つも取っているウマ娘から才能がないなんて聞けばきっと怒る子は多いでしょうね」

 

「それは……!トレーナーが」

 

未だにブリッジコンプは自分で勝ったとは思っていない。作戦を考えたのはトレーナーだった。トレーニングメニューを組んだのもトレーナーだった。細々とした生活の管理をしたのもトレーナーだった。メトロノームのリズムを教え込んだのもトレーナーだった。ブリッジコンプの心の支えになったのもトレーナーだった。使い道が解らない瞳の使い方を見出したのもトレーナーだった。

 

導いたのはトレーナーだった。ブリッジコンプの行くべき先には何時だって明かりが灯されていた。

 

悔いはない。だってあの始まりのジャパンカップで何よりブリッジコンプ自身が望んだのだ。自分自身には期待しない。才能が足りないならば他から勝つための要素を持ってくるしかない。だから天才的トレーナーに望みを叶えて貰おうと。

 

トレーナーの手腕で既にGⅢを二つも取っている。別にトレーナーは例えブリッジコンプじゃないとしても、同程度の才能があれば同じくらい勝つように育てた筈だ。この瞳だってなければ別の方法を思いついた筈だ。

 

ブリッジコンプはトレーナーにさえ劣等感を抱いていた。

 

「確かに怪物的ね。きっと元のトレーナーだけではセイウンスカイを勝たせることは出来なかった。無惨な復活になったはず。更には初めて担当したウマ娘をGⅠを含む無敗の四連勝、もう一人をGⅢ二勝。たった一年で新人がこれだけの功績。世紀に一人現れるかどうか」

 

「解っているじゃないですか」

 

先輩は呆れたような目で、思わず視線を戻したブリッジコンプの瞳を覗き返した。

 

「だからと言って貴方が自分を信じない理由にはならない。ブリッジコンプというウマ娘を信じない理由にはならない。桜花賞、トレーナーが勝つんじゃない。貴方が勝つのよ」

 

ブリッジコンプは何か言おうとして口を開いて、何も言うことが出来なかった。酸素を求める魚みたいにぱくぱくと開いては閉じて。言うべきことは言ったとばかりに先輩は席から立ち上がってしまった。反射的にブリッジコンプは声を上げた。

 

「待ってください。そんな勝手な!」

 

ブリッジコンプが立ち上がった勢いでカタンとグラスが横倒しになって、机の上に半透明の液体が広がっていく。慌ててスマートフォンを避難させた。

 

「ブリッジコンプさん。貴方はもう走れるウマ娘よ」

 

アドマイヤベガ先輩は最後に一言付け加えて、ブリッジコンプが台布巾でテーブルを拭いている間に何処かへ行ってしまった。アドマイヤベガがなにを伝えたかったのかブリッジコンプにはこの時まだ解っていなかった。陰鬱とした感情が胸の内で渦巻き、ただ無性にセイウンスカイに会いたかった。

 

グラスを片付けて、スマートフォンを手にカフェテリアを出る。既にセイウンスカイは東京に移送されていて今近郊のウマ娘用病院に居るから会いに行ける。トレーニングまでに帰ってこれるだろう。

 

正門に向かおうとすると丁度体育館から出て来た新入生たちが集団になって向こう側から歩いてきた。彼女たちは仲が良さそうにレースが楽しみだとか話していて。ブリッジコンプと違って夢や希望を抱いて、トレセン学園に入学を果たした。

 

急いで視線を背けて速足で通り過ぎようとする。黄金の瞳は望んでいないのに勝手に彼女たちの才能を見抜いていた。見てわかる凄い才能の子がいて、隣の子はデビュー出来ない才能の持ち主だった。絶対的な差があった。

 

今は仲良くしていたとしても学園を去るその時まで友達でいられるだろうか?なんて醜い感情が、暗い感情に引きずり出されて浮かび上がる。

 

最悪だ。

 

「あの、ブリッジコンプさんですよね!」

 

聞こえないふりをすれば良かったのに、声を掛けられて思わず立ち止まってしまった。視線を向ければ強烈な才能を持つ青毛の小さなウマ娘がいた。新入生だ。明確な形にはなっていないながらも、何処となくスペシャルウィーク先輩と雰囲気が似た燃え上がるような魂を持っている。見ているだけで胸の内が苦しくなる。

 

「私シーザリオって言います!ブリッジコンプさんのファンなんです!この前のファルコンステークスも観に行きました!桜花賞も絶対観に行きます!」

 

「……さい」

 

「え?」

 

「うるさいっ!!!」

 

ブリッジコンプは気づけば駆け出していた。フォームもしっちゃかめっちゃで、正門を抜けてただひたすらに病院へ向けて走った。

 

惨めだった。期待を込めた純真無垢な瞳に見つめられて、ブリッジコンプは自分の中のどす黒いものが見透かされるのではないかと恐怖を抱いた。何よりまだ新入生に過ぎない、デビューしてもいないウマ娘に怒鳴ってしまった自分が嫌いだった。

 

走って走って走って。病院の前に着いた。トレーニングに比べれば大したことない距離の筈なのに鼓動が喧しく、息が上がる。

 

白塗りの清潔感がある病院。ウマ娘の嗅覚にとっては、アルコールの臭いが鼻につく。待合室には多くのウマ娘がいた。

 

横を通り過ぎて、受付に向かい、看護師から面会許可を貰う。普通のウマ娘と違ってセイウンスカイの面会には身分証の提示だけでなくトレーナーがサブトレーナーであることも証明しなければならなかった。入院している病院は伏せられているものの、多くのファンが駆けつけるのを避けるためだ。

 

最上階の角部屋がセイウンスカイに与えられた部屋だった。

 

ノックをする。

 

「どうぞ~♪」

 

取っ手を掴んではたと思い出す。セイウンスカイに会いに来たかったのは確かだが、何のために会うのかは明確な答えがなかった。ただ心の奥底に渦巻く感情に突き動かされてブリッジコンプは走って此処まで来た。

 

迷って、でも開けないわけにも行かずに引き戸を引いた。

 

春の陽気が降り注ぐ窓辺に備えられたベッドでセイウンスカイは半身を起き上がらせていた。手には林檎とナイフがあり、病院服で、左脚はギプスで固められている。テーブルには果物の籠が置かれていた。入れ違いにでもなったのだろうか?トレーナーの匂いもした。

 

「おやおや~?ブリッジちゃんてば手ぶら?夕張メロンでも期待していたのになー♪」

 

何時もの様に飄々とした態度でセイウンスカイは笑った。

 

「あ、その、御免なさい」

 

「にゃはは、セイちゃんジョークだよ。もっとこっちにおいで」

 

「……はい」

 

近づいて、傍にあった丸椅子に座る。セイウンスカイはくるくると林檎を回して器用に皮を剝いていく。

 

「それで、どーしたの?サボりの相談なら色々とアドバイス出来るよ☆」

 

ただのお見舞いではないことは見破られていた。それはそうだ。何の手土産もなしに、アポイントメントもなしに急に押し掛けたのだから。やはり何をしにきたのか自分でも解らなくて悩んだ末に言葉を絞り出した。

 

「なんで。なんで踏み出せたんですか」

 

あの一歩だ。あの一歩がブリッジコンプには途轍もなく遠いものに思えた。セイウンスカイはナイフを動かす手を止めて視線をブリッジコンプに向けた。青い瞳の奥でキラキラと光が輝いて見えた。怪我をした後だというのに、大阪杯を走る前に比べてセイウンスカイというウマ娘が一歩先に進んだように感じさせる光だった。

 

「自分のため。あそこで踏み出さないともうGⅠで勝つことは無理だったから」

 

言いたいことは、解る。解るけれど、だからといってブリッジコンプなら踏み出せない。考えているとセイウンスカイはにゃははと笑ってもう一つ付け加えた。

 

「あとはトレーナーさん」

 

セイウンスカイは二人のトレーナーの呼び方をイントネーションで分ける。今のは間違いなくブリッジコンプのトレーナーを指していた。思わずオウムのようにブリッジコンプは聞き返した。

 

「トレーナー?」

 

うん、とセイウンスカイは頷いた。

 

「でも別にトレーナーさんのために勝つ!……とかは、全然ないよ?

 

ただ、たった一年間だったけど、色んなことがあって、少しずつトレーナーさんのことが解ってきて。ああ、トレーナーさんはセイちゃんがまた走れるって勝てるって信じているのに、同じくらい走れなくなるって負けるって思ってるんだなって解ってさ。

 

ファンの予想よりも、なによりも、トレーナーさんの予想を裏切りたかった。トレーナーさんの驚いた顔が見れたら、凄くドキドキしてワクワクして最高だなって思ったんだ。結局、半分しか出来なかったけれど」

 

ギプスに包まれた脚に視線を移して、花が咲いたようにセイウンスカイは笑った。

 

「でも私の走りを見てすっごくトレーナーさんは驚いていたから、うん。満足。

 

まあ……だから私が走る理由はクラシックの時から変わってない。徹頭徹尾、自分のためだよ。それに信じているんだ。また皆と一緒に走れる、そんな気がするからね♪」




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