ブリッジコンプは一人、ホテルから離れた阪神レース場直ぐ近くのキッチンカーで蜂蜜ドリンクを頼んでいた。この前トウカイテイオーに勧められていたのにも関わらず、なんだかんだで飲むタイミングを逸し続けていた。だからとはいえ態々兵庫県まで来て頼むのもどうかと思うのだが……キッチンカーがあったのだから仕方ない。
「うーん、トレーナーに買ってもらえば良かったかな」
千円札を渡す、飲み物にしては結構割高だ。チョコチップフラペチーノだってもっと安い。すると男の店員にじっと顔を見つめられて、気になって帽子の位置を整える。
「ん?お嬢ちゃんもしかしてブリッジコンプさんかい?」
「あー、はいそうです」
一応マスクと帽子をつけてはいる。でも、金色の髪と瞳は隠しきれない。似合わなくてもサングラスをしておけばよかったかもしれない。レース場近くともなればニシノフラワー以外でも、よく見れば桜花賞出走ウマ娘の多少の変装くらい見抜けるのかもしれない。
「そっか。じゃ、サービスしておくよ」
出されたのは通常の蜂蜜ドリンクではなく、オプションの固め濃いめダブルマシマシだった。トウカイテイオーの一押しだったけれどカロリーが怖いし、流石に胃もたれしそうで避けていた。少しだけ悩んで好意を断るのも悪いと受け取る。
「有難うございます」
「良いんだ。うちの娘がファンなんだ。桜花賞頑張ってな」
頭を軽く下げて、あてもなく歩き始める。本番は明日の為、今日は軽いメニューを除いて一日体を休めなければならない。折角だからワイスマネージャー達の土産を探すのも良いだろう。此処に来るのもスクーリングを合わせれば六度、土産のレパートリーだって難しい。
トレーナーではないのだからターフィーショップでニシノフラワーのグッズを買うのは無しだ。
道行く人は、大人も子供も明日のレースは誰が勝つだろうかなんて話をしていて、でも通り過ぎるブリッジコンプに気づくことはなかった。存在感が強くないからだが、今だけはそれが有難い。ビルにはゴールドシチーと化粧品のポスターの横に、ニシノフラワーのポスターも大きく貼られていた。
『幼き天才、ジュニア女王が遂に桜花賞へ』、間違いなく一番人気になるだろう。
マスクをずらして蜂蜜ドリンクを一口飲んでえずく。喉に絡みつく上に甘さの暴力が舌を蹂躙する。仕方なく自販機で水のペットボトルを買って交互に飲んで誤魔化した。
「テイオーはよくこんなの飲めるなぁ」
あるいはそれが才能の差なのかもしれないけれど。流石に冗談でも、帰りにまた寄ってホテルに居るサクラバクシンオーに飲ませてみるのも良いかもしれない。
仁川に沿って歩いてもこれといって気になる土産物屋は見つからない。大人しく駅近くで神戸プリンでも買うのが一番だろうか?そう思案して居ると道端に人だかりが出来ていた。
有名なウマ娘か芸能人でも身バレしたのだろう。帽子を深くかぶり横を通り過ぎようとして声をかけられる。
「待ちなよ。アンタ」
美声に思わず目を向けると居たのは、ブリッジコンプと同じ金髪を持つ。だが遥かに美しい100年にひとりの美少女ウマ娘、ゴールドシチーが私服姿で立っていた。黒のジャケットを着こなして、ブリッジコンプとは違ってサングラスも良く似合っている。何時も雑誌などでよく見かけるレースとは違った方向で憧れのウマ娘。
急な展開にブリッジコンプが動揺している間に話はトントン拍子に進んだ。
「みんな、ごめん。アタシはこれからブリッジとデートなんだ。また今度」
「確か桜花賞に出るウマ娘だよね!凄い!」「シチー様とデートなんて羨ましい」「でもでも同じプラチナブロンドでお似合いかも」
気付けばゴールドシチーに腕を組まれて近くの喫茶店に連れ込まれた。相変わらずゴールドシチーは目立っていたが一人なら兎も角、視線は向けられながらも二人ともなれば話しかける勇気はないらしい。一息ついて店員に注文を終える。
「サンキュ、ファンは大事にしたいけど次から次できりがなくてね。此処は奢るから」
「あ、その、はい」
緊張でガチガチになったブリッジコンプを見てゴールドシチーは微笑を浮かべた。
「そう緊張しないで。学年は上だけどさ。アタシ、まだデビューしてないんだ。だから後輩ってことになる」
「そう……ですけど」
そんなこと言われても。目の前でイヤホンを付ける訳にもいかないけれど、無性にメトロノームが聞きたくなった。届けられたアイスコーヒーを口に含んで、ゆっくりと呼吸を整えて緊張をほぐしていく。ワイスマネージャーに知られれば凄く羨ましがられそうな状況だ。
被りっぱなしだった帽子を脱いで、改めてゴールドシチーに視線を向けるとじっと此方を見る青い瞳と合った。
「えっと、ブリッジコンプです」
「知ってる。アタシのことも知ってるみたいだね?ま、改めてゴールドシチーだよ。気軽にシチーって呼んで」
「解りました、シチーさん」
「まだちょっと堅いけどいーか。偶然だけどこうして会えて良かった。本当は学園で話しかけるつもりだったんだけど、なかなか忙しくて機会がなかったんだ」
言われた言葉に理解が出来ず首を傾げる。接点は無かったはず。もし用があるとすれば同期でもニシノフラワーやトウカイテイオーなど有名ウマ娘の筈だ。悩む私にゴールドシチーは髪を一房掴んで見せた。
「少し前はさ。日本の金毛は走れない、なんて言われていたのに同じ髪のアンタが現れた」
金毛の正式な分類は月毛か尾花栗毛のどちらかである。色合いは人間でいうプラチナブロンドにあたり美しく珍しい。何より白毛ほどではないが日本の金毛は走れないウマ娘として知られている。そういえば最近実況では金毛なのにだなんて言われなくなった。
「アタシは模擬レースで全然勝てないし、マネジからはレースなんてせずにモデルに集中しろってさ。でもアンタは走って勝って、今桜花賞なんて大舞台に立とうとしている。勇気をもらったよ」
ゴールドシチーは、確かに才覚という分野においては超一流の中でも下の方に当る。今のままでは伝説的な活躍は出来そうにない。でもブリッジコンプよりは当然上だ。言うべきか迷って、結局口にすることにした。
「シチーさんはGⅠ、勝てると思います。才能ありますから」
確信めいた言葉に、ゴールドシチーは青い目を見開かせる。
「あんがと。そんなこと言われると思わなかった。……っと、そうそう」
タイミング悪くブリッジコンプのスマートフォンが鳴った。確認をすればサクラバクシンオーから、そろそろトレーニングメニューの時間だと知らせるものだった。ホテルを出てから結構な時間が過ぎている。どうやら土産は駅で買うしかなさそうだ。
「ごめんなさい。トレーニングの時間なので、失礼します」
「ううん。また話そう、今度はちゃんとシチーって呼んでね。桜花賞、応援してる」
連絡先を交換して、ブリッジコンプは店を出てもまた気分が高揚していた。勇気を貰ったのはブリッジコンプも同じ、桜花賞に勝つ。改めて執念を燃やしてホテルへ向かって駆け出した。
阪神レース場から武庫川に沿って少し離れた公園、散り終わる桜を見納める為に多くの人やウマ娘がいる中でサングラスにコートといういで立ちのエアシャカールはすり抜けるように避けながら進んだ。その額には相変わらず青筋が立っていて、原因は明らかだった。
散りゆく桜など見向きもせずに、トレーナーはベンチに座ってスマートフォンを弄っていた。テレビにも何度か出た筈だが、胸元にはトレーナーバッジがないため誰も気にも留めない。どさりとエアシャカールはその横に脚を組んで座る。
「やっぱクソ野郎だな、お前」
第一声の罵倒に気にした様子もなくトレーナーは頭を下げる。
「解っていますよ。ブリッジの様子を見た限りちゃんと言ってくれたみたいですね。有難うございます」
舌打ちで返す。ブリッジコンプに話した言葉の中に嘘が混じっている。そもそも忙しい身であるエアシャカールは桜花賞のシミュレーションを独力で全て行う余裕はないし一月以上はかかる。だからシミュレーションはトレーナーと協力して作ったし、運命について時期をみて話すように言われたのもその頃。
エアシャカールの隠し事はとっくの昔に暴かれて利用されていた。そして今のブリッジコンプの不安定な状態を作り出したのもトレーナーだ。精神面の綿密な管理に関して言えばエアシャカールを越していた。いや、人の道を外れて超えてしまっていた。東条トレーナーは見抜いていたがクソ野郎以外の言葉がない。
「真っ当な方法で勝てるなら良かったんですけどね。実際バクシンオーに対してはそうですし」
「あァ、だろうよ」
ブリッジコンプの精神状態を前向きに安定させようと思えば安定させられた筈なのだ。
サクラバクシンオーがファインモーションに負けた時が一番解り易かっただろう。次こそはバクシンすれば勝てると何度も繰り返し慰めた。まだ成長途中で可能性があると褒めた。だが振り返ってみれば昨年の九月頃からブリッジコンプにはそうしなくなった。
「当たり前の話ですけど凄いウマ娘は優秀なトレーナーがついて、歴史に裏打ちされたトレーニングメニューをこなし、安全マージンをとって、王道の戦術で勝ちに来ます。どうやったって正攻法じゃ勝ち目がない」
血反吐を吐くほどの努力すれば勝てるなんていうのは才能がある者の理論だ。健全な精神で勝てないのならその逆を行く。自分に言い聞かせるようにトレーナーは口にした。あるいはこの狂人にすら良心の呵責があったのかもしれない。しかし全ては後の祭りだ。
「流石にアドマイヤベガに関しては予想外でした。追い風になってくれたので良いかなと。ああでもやっぱり傍から見て解ると違和感が出ますね……どの辺まで解り易かったですか?」
「自己評価が低すぎる。そりゃ才能の差って奴が見えてるなら多少はそうなるだろうがよ。行き過ぎだ」
ウマ娘達の体が出来上がる将来なら兎も角、現状だけでいえばブリッジコンプの実力は同期の中で上位に当る。でなければそもそもGⅢで勝つことも不可能だ。上を見上げればきりがないが、下を見ればはるかに多くの夢破れたウマ娘が存在する。だがブリッジコンプは上ばかり見続けている。
「原因の一つは同期の……特に才能がない連中との友人関係が薄すぎる。代わりに周りにいるのは才能のある奴ばかりだ。てめェが糸引いてるだろ」
「まあ、そうですね」
スマートフォンの電話帳にはずらりと並んだウマ娘の連絡先があった。元よりトレーナーは人でなしの癖にウマ娘のパーソナルスペースに入り込むのが上手い。気づけばウマ娘達と話している姿をよく見かける。悪評がウマ娘に広まらなかったのは、他のトレーナーが広めなかったというのもあるがそれ以上に既に関わりがあったというのが大きい。
最大限ブリッジコンプの印象操作にも利用されていた。
「別に悪い噂を流したり意図的に無視するように言ったりなんてしないですよ。普通に話したりはするみたいですし」
ブリッジコンプの交友関係が狭かったため、印象操作し易かっただろう。特別教室なら兎も角、普段の教室では仲良しグループが既に形成されている。学園において態々話したことも殆どなく趣味も知らないブリッジコンプに対して話しかけようとするウマ娘は少ない。精々がレースやトレーニングについてだがトレーナーが事前に話してしまえばいい。少しだけの誘導で事足りる。
結果として才能が低いウマ娘と必要以上に仲良くなることは無く、ワイスマネージャーを除いて才能あるウマ娘に囲まれた環境下に居続ける。
自己評価が上がらないし、安定もしない。ニシノフラワーと深く関わらせないことでライバルすら理解できない。ニシノフラワーと会って話したことが偶然にもより追い風になった。
「ブリッジは根本的に優しすぎるんですよ。仲良くなった相手に勝ちきれない可能性がある。その辺の気質はキングヘイローが参考になりました。だから仕方なかったんです」
模擬レースではブリッジコンプを常に格上と戦わせ続けた。負け続けた。ハッピーミークと模擬戦を組まなかったのは勝ってしまう可能性があったからだ。心が折れる、負け癖がつくぎりぎりのところでGⅢで勝ってなんとか持ち直した。結果として同格と競い合う楽しさを知らずにレースに勝ち負けしか拘れなくなった。
勝つこと、負けないことへの肥大化した執念は同期の中でも群を抜いている。
「最大の目的は、理論的には切り替えと同じです。最大値が低いなら、より低いところから始めて変化量を大きくすればいい。領域に指をかけ、疑似的な爆発力を得て分析を覆して勝ちきる。一回きりの戦法ですよ」
ブリッジコンプは同期でも上の方の才能があると自覚しながら、強烈な領域を見過ぎたせいで自身は出来ないものと勘違いしている。本来領域に入らずとも指先をかけるくらいの才能はある。浅くはあるがそもそもメトロノームによるペース調整自体、領域に近しい分野である。下準備は出来ているのだ。
まだ自覚すらしていないのだから他のトレーナーにもウマ娘にも分析出来ない。ブリッジコンプは常に勝ち続けるのが目的ではない。GⅠで勝つのが目的だからこそ出来る奇襲。邪道だった。
聞き終えて駆け回るウマ娘の子供を見ながら、エアシャカールはぼそりと呟いた。
「狂ってんな」
この話には大きな問題がある。ブリッジコンプがレース中に自分の力で精神的に覚醒し領域に指をかけることを前提としているのだ。トレーナーがレース前に立ち上がらせては警戒される。サクラバクシンオーが朝日杯で、セイウンスカイが大阪杯で見せ、エアシャカールとアドマイヤベガが背中を押したとはいえ。確実性はないどころか失敗する可能性の方が高い。心が折れる危険も常にあり続ける。
限界ギリギリを狙って、ウマ娘の心を実験体みたいに弄繰り回す悪魔の所業。だというのに手を貸してしまったのはどうしても七センチの先を見たかったからだ。エアシャカールはなにより自分自身に苛立っていた。
「オレにここまで加担させたんだ。勝てるんだろうな?」
「運命なんて奇跡があるのなら、超えられるのは奇跡的な存在であるウマ娘自身しかいない。なにより、俺が世界中で誰よりも一番、ブリッジがGⅠで勝てるって信じていますよ」
聞きたいことは聞き終わった。エアシャカールは立ち上がり、去ろうとした背中にトレーナーが声をかけた。
「そういえばシャカール。なんで制服だったんです?似合ってましたけど」
「チッ!てめェには関係ねえだろ」
まだ決心はついていないが、ドリームトロフィーへ向けた復帰の手続きを準備していた。全てはブリッジコンプの走り次第、七センチを超えられると証明できるかにかかっている。勿論、そんなことはトレーナーには言わないのだが。
「滅茶苦茶気になりますって」
「……うぜェ」
「いやいや教えてくださいよ。今度は写真撮らせてください」
「うぜェんだよ!」
思わず手が出て綺麗にアッパーが決まり、トレーナーが天高く舞い上げられる。直前に噛まない様に舌を引っ込めていたし、心配するような相手ではない。立ち上がられずに木の下で藻掻いているトレーナーを置いて、桜が舞い散る中をエアシャカールは去っていった。
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