桜花賞から四日、今期の選抜レースが始まった。桜も散り終わる頃、瑞々しいターフの上でジュニア期に入ったウマ娘達が準備運動をしている。彼女たちを見る為に多くのトレーナーが見学しに来ていた。今年の新人トレーナーは集団で固まってあの子が速いだろうなんて話をしていて、なんとも仲が良さげだ。レースで担当が競うことなってから急速に仲を悪化させた同期とは大違いである。あるいは彼らも来年には不仲になっているのかもしれないが。
今年は桐生院葵トレーナーと合流する。彼女も俺も今年はスカウトしないという方向で一致したので丁度良かった。担当の路線が被らなかったことも大きい。
ハッピーミークは順調に勝ち星をあげクラシック三冠路線、皐月賞へと挑むようだ。必然的に適正距離のトウカイテイオーとあたることになる。サクラバクシンオーに短距離で挑むようなもの。新しくウマ娘をスカウトする余裕なんてない。
同時に見に来ないという選択肢はない。駿川たづなに言明されたのもあるが、シニア二年目以降は担当がぶつかることになるため事前に目を付けておく必要があった。
「桜花賞おめでとうございます!完全にレースを掌握した展開でした!領域の研究はかなり進んではいますが、逆に領域の発動を阻害するというのはなかなか。でもよく考えれば可能性としてはあり得た筈、思考が凝り固まっていました。海外レースのラビットに近いのでしょうか?現在は廃止されているチームレースのデータを、
……あっ!す、すみません。私ばかりペラペラと」
「いやいや、いつも楽しく聞いてますよ。それに研究の方では遠慮なく話して貰って助かってます」
桐生院トレーナーとは共同研究を行っている。拙い内容ではあるがそのうち論文も出す予定だ。流石名門、膨大なデータと歴史に裏打ちされた発想は俺にはないもの。理系のように完全に論文数で評価が決まるというわけではないが、トレーナーは更なるウマ娘の発展の為に寄与することが求められる。
勿論、大前提として担当ウマ娘を勝たせることがあり、名門であれば秘伝のトレーニング方法を隠し持つ。なにを優先するかは各トレーナー次第。URAの評価が高いのが前者で、ウマ娘に人気なのが後者。URAの評価が高いとスポンサーが付きやすく、系列施設の利用も優先される。ちなみに、弱冠二十代でどちらもこなしてウマ娘の育成に革命を起こしたのが東条トレーナーである。
そんな話は兎も角、眼下のウマ娘達だ。タブレットを点けて名簿を確認する。
「頭一つ抜けているのはミホノブルボンとシンコウラブリイ、ライスシャワーですか。あとはもうスカウトされて選抜レースには出てきませんがアドラーブルに、マチカネタンホイザ、レガシーワールドなどなど」
「ええ、ただ癖のある子が多いみたいですね」
強いウマ娘は走る前から存在感が違う。両親の血筋はトレーナー間に公開されているし、ジュニア期を迎える前の模擬レースで全距離芝ダートを走ることになる。熟達したトレーナーが優れた観察眼をもって才能を見抜く。
一昨年流行った映画のように見向きもされなかったウマ娘に隠れた走る才能があり、なんてことはない。
今年も例にもれず才能ある多くのウマ娘が事前スカウトを受けてこの場には居ない。
才能があって残っているのはもっと上のトレーナーを求めたり、身の丈を越えた目標を叶える相手を探していたり、酷い癖ウマ娘だったり、メンタル面に難がある、ピンと来なかった等々、一癖あるウマ娘だ。
解りやすいのがサクラバクシンオー。俺は勝てると思っているが、最強スプリンターの目標が長距離勝利は端から見ればかなりの問題児である。
「ミホノブルボンはクラシック三冠路線を希望だそうです。適正はスプリンターかマイラーだと思いますがどうでしょう?」
準備運動を終えたミホノブルボンは空を見上げて茫然としていた。行動に反して存在感は凄まじく、共に走るウマ娘が霞む程。記憶の中だと黒沼トレーナーの下でトレーニングしていた。彼女には既に多くのベテラントレーナーからスカウトがあり、そして三冠目標を前に撃沈したのである。ウマ娘によって運命などというものが打ち破られた今、ウマ娘である彼女が三冠達成不可能とは言わない。
「出来ないとは言いたくないですね。ただ、最大の問題は菊花賞、たった一年半しかない。三冠をとったとしても待っている未来はなかなか厳しいでしょう。勝つか負けるかいずれにせよ。後悔がないと言わせられるかはトレーナー次第です」
「なるほど」
「メモ取らないで頂けますか?流石に恥ずかしいので」
「すみません。つい癖で……」
ダダダダッと大声を上げながら、猛烈な勢いでトレーニング場からサクラバクシンオーが走り去っていった。
「ライスさーん!ライスさんライスさんライスさんッ!!どちらにいらっしゃるのですか、ライスさぁぁーーんッ!!」
今日サクラバクシンオーは奉仕活動として選抜レースの手伝いをしている。教員がテスト以外で点数を上げる涙ぐましい努力をしているのだ。協力はしているが俺もトレーニング以外のことは限界がある。ブリッジコンプも成績が悪い方なので、トレセン学園の教員には頭が上がらない。
「ライスシャワーは今回もいませんか。注目はされていますが精神的な面で問題が多いみたいです。模擬レースも何度かボイコットしていますから」
「相性の良いトレーナーが見つかると良いですね」
なぜ記憶の中のライスシャワーはトレーナーに頼ることなく一人で努力しようとしたのかは解らない。あれほどの才能、ほっとかれる筈がないのだ。エアシャカールやアドマイヤベガのように自己管理を得意とするタイプなのかもしれない。同クラスのようだし後でサクラバクシンオーにそれとなく確認してみた方が良いだろう。
「そういえばハッピーミークの学業成績は大丈夫です?」
「はい、ミークってばなんでもそつなくこなしてしまうので。逆に私が何かしてやれないかと悩んでしまいます!」
「羨ましいですね。うちの担当は皆ダメで、特にバクシンオーはどうしたものか」
「でしたら勉強会でも企画します?」
「是非ともお願いします」
ミホノブルボンが走り出した。ぐんぐんとウマ娘達を突き放して独走状態に入る。選んだ距離は芝2000m、皐月賞を明らかに意識している。
「垂れますね」
桐生院トレーナーの呟き通り、綺麗にラップタイムを刻んでいたにも関わらず1800mを過ぎた段階でガクンと速度が落ちる。完全に持ち味が失われたが其れまでの差によって一着でゴールした。あれではむしろマイルでの強さをアピールすることになった。秋川理事長が軽率に三冠を目指すことを頷くトレーナーにミホノブルボンを任せるとは思えない。なかなかトレーナー決めには難儀しそうだ。
「懐かしいじゃねェか。オイ」
「トレーナーさん♪」
声に振りかえると其処には制服姿のエアシャカールとファインモーションがいた。まだ手続きが終わっていないようだが正式に復帰を決めたらしい。非道なことに俺に黙ってである。彼女たちはどちらも知らない仲ではないし手間がかからないので、人数埋めにチームへ勧誘したのだが……。
「なんで二人ともうち来てくれないんですか。あんなに毎晩出掛けた仲なのに」
「変な言い方すんじゃねェ!ラーメン食いに行っただけだろォがよ。てめェみたいなバカが担当なんざ死んでも御免だ。才能ある新人トレーナーを育てた方がマシだ」
ファインモーションと違ってまだエアシャカールのトゥインクル時代のトレーナーは現役だが、新人トレーナーの面倒をみたいらしい。元のトレーナーとは名義貸しに過ぎなかったし、確かにエアシャカールは教えられるというより教える方が向いている。
ファインモーションはといえば。
「ごめんねー。もう少し色々考えてみたいんだ。隊長がトレーナーさんは駄目って言うし」
「俺SPに嫌われるようなこと……してますね、結構」
心当たりが多すぎた。色々やらかしている。特に研修中唐突に提案された九州ラーメン遠征などファインモーションがスマートフォンも事前連絡もうっかり忘れていた為、拉致事件を疑われた。最近気付いたのだが、目立たないように隠れているSPの、俺への視線には心なしか殺意が籠っている。
そんなわけで今のところ俺の勧誘は断られている。
「お久しぶりです、先生」
桐生院トレーナーがエアシャカールに頭を下げる。俺と違って好成績を残して研修を終えた。おかげで向けられる態度も全然違う。
「先生はやめろ。オレは講師を休業するし、呼び捨てで良い。それよりハッピーミークは調子が良いみたいじゃねェか」
「はい、おかげさまで」
「先生。生徒間の扱いが違い過ぎます」
「当たり前だ!てめェみたいな問題児!」
「ふふっ♪シャカールってば照れ隠しが下手だよね」
「あ゛ァ?」
四人でレースを見つつ、雑談に花を咲かせていればあっと言う間に時間が過ぎた。直に見ても事前情報通りとの違いが見受けられなかったので、若干無駄足だったかもしれない。全ての選抜レースが終わったので別れて、レース場から立ち去る。
日が傾き始める道を進み、仕事をしようとチーム棟に行けば窓から明かりが漏れていた。
部室に入れば案の定、ブリッジコンプが制服姿でいて雑誌を読んでいた。不安に揺れる黄金の瞳が此方に向いた。視線に気づかないふりをしてハンガーに上着をかけて、見抜かれることを解っていながら、出来るだけ普段の調子で話すことを心掛ける。
「今日は休息日だから来なくて良かったんだがな。人に囲まれるのは嫌か?」
「嫌、じゃないですけど。でもやっぱり、ちょっとだけ疲れたので」
桜花賞。歴史は古く重く勝者には栄光が授けられる。勝てばティアラ路線で活躍するウマ娘として期待されるわけだ。ブリッジコンプの名は一気に広がり、目立つ髪と瞳もあってよく学園内でも道端でも話しかけられる。ただ今のブリッジコンプにとっては重しにしかならず此処に逃げて来たのだろう。
「チーム名を考えているんだがどうすれば良いと思う?勿論バクシンはなしだが、普通は星座の星の名前を由来にするから獅子座のレグルスなんて恰好良いな」
くすりとブリッジコンプが笑った。
「琴座のベガとかどうですか?」
「流石にアドマイヤベガに許可を取らないと駄目そうだ」
ふぅと息を大きく吐き出す。何時までも目を背けてばかりではいられない。辛くて、避けられない問題を今から話さなければならない。パイプ椅子を引き寄せて近くに座る。
「……なあ、ブリッジ。やっぱり走れなさそうか?」
少しの沈黙、笑顔が消えて黄金の瞳が伏せられた。
「ごめんなさい」
俺だけじゃない、期待の声を掛けるファンに向けられた謝罪だ。震える手に手を重ねる。金色と桜色が交差するブレスレットを相変わらずつけてくれていた。
「良いんだ。謝ることなんてない。ブリッジ、誰でもあることだ」
怪我をしたわけではない。むしろ桜花賞の走りにしては不調が無かった。最高のライブを行って、小さなパーティーをして、一日しっかり休んだ。そして、領域に指をかけた感覚を忘れないために模擬レース形式で走らせてみて発覚した。トレーニングは出来る、でも全力で走れなくなっていた。
強いGⅠへの執着がブリッジコンプのレースで走る意味だった。結果として、桜花賞に勝ちブリッジコンプは意味を失ってしまった。日本ダービー、同世代最強を決めるレースで勝って燃え尽きるウマ娘が多いのと同じ。
例が多い分、レースへ向けた他の意味を見つけさせる事を出来なくはない。例えばオークス、ダービー、ジャパンカップや有馬記念でも良い。記憶の中の出来事なんて無視していい。だけどセイウンスカイの想いを受けて、俺は嘘で覆い隠してまで背中を押す気はなかった。
勝てないのだ。元からブリッジコンプが才能あるウマ娘に勝つには肉体が再度成長期に入る前、クラシックの夏までが一番見込みが高かった。一年間負けないを積み重ね続け、一度きりの切り札も切り、集大成をぶつけて漸く桜花賞に届いた。
つまり次のGⅠでは通用しない。策は全て桜花賞の映像から丸裸にされ対策される。領域は指をかけるのが限界で深くは入り込めない。意識のスポットに入るマークもブリッジコンプに背後を取らせない、追い込みか大逃げ相手なら意味がない。先行や差しでも振り回せばブリッジコンプの方が先にバテる。ルーチン妨害もあると解っていれば対策のしようがある。
策が通じなければブリッジコンプは少し強い目が良いだけの、ありふれたウマ娘の一人になる。目が良すぎるからこそ、ブリッジコンプももう才能あるウマ娘に勝てないことを理解している。
「桜花賞に勝ったんだ。折角だし何処か出掛けるか?金ならあるし、今の時期なら温泉宿も空いている」
「そう、ですね。ああでも、夏合宿で行った場所に出来れば行きたいです」
「サクラ家の所だな。解った。もう一度クラゲを観に行こう」
「はい。あと、夜空も」
ブリッジコンプはぎこちなく笑った。時間をかけて解決していくしかない問題で、時間が経てば経つほど才能があるウマ娘との走力の差は広がっていく。GⅠで勝ったのだ。感動も希望も全てが其処にはあった。一人のウマ娘が打ち立てる功績には十分すぎるほど届いている。だからこそ、もう、走るのを辞めてしまうかもしれない。
あるいは一つだけ。
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