人は死ぬ瞬間になにを思うのだろう。
大切な家族に囲まれて往生する人は幸せだろうか?自殺する人は後悔しただろうか?事故で亡くなった人は迫りくる死へ恐怖しただろうか?殺された人は殺人者を憎んだだろうか?結局皆死んでしまったのだから答えは解らない。
一つだけ解るのは、人よりほんの5秒だけ早くその時が来た俺は。
桜花賞から五日、週末の皐月賞が迫った今日。暖かな陽気の中、一人ベンチに座って通話を切る。思わず弱音が漏れた。
「きついな」
ファインモーションのSPからブリッジコンプが休む旨を伝えられた。連絡先を交換していたワイスマネージャーから授業を無断欠勤したことは伝えられている。先にブリッジコンプがサボろうとして、ファインモーションが強引に付き合わせたのだろう。
別にサボること自体は構わない。練習を1日休んだら取り戻すのに3日かかるなんて前時代的なことをいうつもりもないし、元より練習に出るのも出ないのも好きにしていい契約だ。しかし、ブリッジコンプの性格上、モチベーションが上がるセイウンスカイとは違って、サボったところで走りへの不安が増大するだけだ。
ベンチに置いた分厚い資料を見やる。折角駿川たづなに用意してもらった海外遠征の資料も、無意味に終わるかもしれない。
改めてため息を吐きだして立ち上がった。暗い気分でいるべきではない、担当は一人だけではないのだ。サクラバクシンオーへの影響も考えられる。バクシン道をひた進むように見えて彼女は意外と繊細だ。高い自己肯定感が持ち味で、そのまま走りに直結してしまう。今更後悔などしてはいないがやはり初年度で二人の担当は無理があった。
重い足取りで少し早めにチーム棟へと向かう。
「こんにちは!トレーナーさん!私の選抜レースどうでした?」
「カイゼルパレスの名に相応しい皇帝の走りだったよ。一着おめでとう」
「なーにしけた面してんだ!マグロ食うか?」
「それインドマグロだろ。確かに旬だけど、冷凍じゃないってどういうことだ……?」
「あぁぁ……まずいことになりましたデース!」
「マンボなら西の方で見たよ。生徒会の定時見回りがそろそろだから気を付けて」
到着するまでに結構な時間かかったが、少し早く出たのが功を奏して到着したのは丁度良い頃合い。一応着替えている可能性もあるのでノックを四回、サクラバクシンオーの返事を聞いて中に入る。
「え?」
「こんにちは!トレーナーさんッ!」
反射的にどや顔を浮かべるサクラバクシンオーに挨拶を返したものの、目の前の光景を理解するには時間を要した。
「ああうん、こんにちは」
片眼が長い髪に隠れた紫色の瞳と、機械のようにぶれない青い瞳が此方を向いた。今ジュニア期の中で話題になっている二人のウマ娘、ライスシャワーとミホノブルボンが何時もミーティングを行うパイプ椅子に座っていた。なお、逃げようとしたのかライスシャワーは縛り付けられている。
思考を巡らせて、はたと思いつく。昨日確かになぜライスシャワーに記憶の中でトレーナーが付き添って居なかったか確認しようとして、サクラバクシンオーに聞くように連絡した。又聞きより直接聞いた方が解りやすいと判断したが故のどや顔。つまり、片方は俺が原因だろう。
ライスシャワーの後ろに回って縄を……良いトモだな。サクラバクシンオーやファインモーションといった脚とはまったく筋肉の付き方や質が違う。触れたことは無いが、マンハッタンカフェに近い、天性のステイヤーだ。
脚に見惚れながら縄を解こうとして、硬くて諦める。ウマ娘に解けないように絞められた縄を人間程度が解けるはずもない。
「そうだな。うん、ありがとう、バクシンオー」
「いえいえッ!トレーナーさんと私は一心同体!考えていることは解りますとも!」
お礼を言うのもおかしな気がするが、サクラバクシンオーが喜ぶなら何よりも優先される。ただライスシャワーは小鹿のように震え出して落ち着くまで話すのは待った方が良いだろう。代わりにミホノブルボンに向き直る。
此方も凄まじい才能の塊だ。鍛え上げられたトモはジュニア期未満にしてトレーニングを積んだクラシック級と言われても頷ける。才能のあるウマ娘は漠然と正しい走り方を知っていて、自然と最適に近い形で鍛え上がる。ミホノブルボンはその究極かもしれない。
「とりあえずバクシンオーはライスシャワーの縄を解いてくれ。それでミホノブルボンは一体何の用?」
「はい。質問をよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
耳は口ほどにものを言うが、警戒、不安、期待?あまり長期的に観察できたわけではないので、担当の二人ほど正確に読み取れるわけではない。此方を見抜こうとするように動く瞳を見て、自然と力を抜いた。こういう時は隠し立てするより曝け出した方が良い。
一年前なら理論に従って自分を欺瞞で塗り固めただろうけれど、少しは俺も成長しているのだ。
「私の目標はクラシック三冠です。あなたは達成可能だと思いますか?」
10秒だけ目を瞑って思考を巡らせる。多分サクラバクシンオーに俺が長距離で勝てると言ったことを自慢げに話されたのだろう。なら昨日も言ったことを正直に話す。
「回答としてはYESだ。ただ少なくとも俺は三冠のその後を保証できない。たった一年で君の脚は擦り切れ、罅だらけになる」
「私の学園の入学目的は三冠達成のみ。目標変更はありません。バクシンオーさんから新チームを結成すると聞きました。目標を叶えていただけるなら入部を希望します」
「……チーム結成については黙っておくように言ったんだが」
縄と格闘しているサクラバクシンオーを見やる。眩しい笑顔がかえって来たので許した。
「単純に俺が忙しいから担当できないっていうのもあるけどな。スカウトしてきたトレーナーに失望したのかもしれないが早計だ。あまり面識はないが黒沼トレーナーなど俺じゃなくても君の夢を共に歩むだろう優れたトレーナーは多い。君程の才能ならメイクデビューは容易だからじっくり見極めた方が良い」
「では見学させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、バクシンオーに関しては通じるものがあるだろうし、基準にしたら良い」
「了解しました、マスター」
呼び方に不安を覚えたが、追求は薮蛇な気がする。ウマ娘の中には公然と旦那やお兄ちゃんやお姉ちゃん、将又モルモットまでいるのだ。全てのトレーナーに対してマスター呼びをしていてもおかしくない。一旦置いて縄が解けたライスシャワーに向き直る。
「迷惑をかけたな。選抜レースに出場しなかったことが気になってバクシンオーに相談したんだ。既にスカウトされてるのか?」
「いえ、その、……うぅ。あの、ごめんなさい」
此方を見上げる瞳がじわじわと潤みだす。慌てて謝ろうとして、その前にボロボロと涙が零れ落ちた。あるいは俺の言葉はきっかけだけで謝っても意味がなかったかもしれない。
「ぐすっ……ごめんなさい、ライスも、頑張ろうって、レースに出ようと思ったけど。でもやっぱり勇気がなくて」
ミホノブルボンといえばライスシャワーの涙に気にした様子もなくじっと此方を見ている。やりにくい。やはり分析出来ていないウマ娘の対応は管理トレーニング方式では後手後手に回らざるをえない。
こういう時は直感的に言葉が出てくる寄り添う方式のトレーナーが向いて、つまり俺の苦手とする分野だ。精一杯やるしかない。しゃがみ、椅子に座るライスシャワーと視線を合わせて、ハンカチで涙を拭う。
「良いか、ライスシャワー。君自身が思って居るほど、君の評価は低くない。多くのトレーナーが君を見て、才能があるウマ娘だと認めている」
「そんなの……ライスはだめな子で……」
「選抜レースは極論でなくても良い。あれはアピールと同時に走るための体が出来上がったことを自覚するためのレースだ。凄いウマ娘かどうかは大抵のトレーナーが走るところを見なくても解る。バクシンオーも出ていないしな」
「はいッ!私は凄い学級委員長です!」
サクラバクシンオーの元気な声に安心感を覚える。この状況も助けてほしいのだが、そもそもサクラバクシンオーはライスシャワーが何故泣き出したのかも、選抜レースに出なかったのかも、俗物的な話にはなるが陰キャが陽キャの行動原理を理解できない様に理解が出来ない。
「それでスカウトはされたのか?」
ライスシャワーは嗚咽を漏らしながらも首を横に振った。
「ライスいっつも逃げちゃって……その、名前だけ貸してくれるトレーナーもいるって聞いて……そうしようかって」
名義貸し。ウマ娘が選手登録を行う為だけに、トレーナーの名前を利用する行為だ。師匠のエアシャカールやアドマイヤベガなど自己管理能力の高いウマ娘が利用していた。ただトレーナーの全体数が少ない以上、あぶれたウマ娘は利用するしかないという事情もある。
ライスシャワーが記憶の中で自己トレーニングを行っていた理由が氷解した。
ただし。
「出来ないとは言わないし、クラシック二冠に至ったウマ娘を知っている。ただその為には自己を知り尽くさないといけない。評価が高すぎても、君のように低すぎてもダメなんだ。はっきり言って君には向いていないと思う」
「じゃあ、ライスはどうしたら」
「選抜レースに出れなくてもトレーナーやチーム棟に行ってみると良い。君ほどのウマ娘であれば何処でも歓迎される筈だ。大丈夫、間違いなく君は今の世代であればメジロマックイーンに匹敵するウマ娘になる」
なんとか五分ほど説得して漸くライスシャワーは泣き止んでくれた。
「……すごい……みたい」
「え?」
「ひゃっ!ご、ごめんなさい。なんでもないの」
「ならいいんだ。落ち着くまで此処にいて良い。良ければお茶か珈琲でも飲んでいってくれ。人参クッキーもあるしな」
時計を見れば三十分も遅れてしまったし、二人もチームではないウマ娘がいて、一人のウマ娘はサボっているのだがこれで漸くミーティングを行うことが出来る。ごほんと咳ばらいを一つ。新たに設置されたホワイトボードに向かった。
「さて今日はサクラバクシンオーに大事な話がある。今年の目標だ」
昨日の内にサプライズで書いておいたのだ。
「もしやここから軌道修正を!当初の予定の通り日本ダービーへと向かうのですね!」
「うん、そんな予定はないけど」
くるりとホワイトボードを回す。書かれていた文字は……有馬記念。年末の中山で行われるGⅠ芝2500m。年の総決算にして世界のトップ100GIレース10位につく偉大なレース。勝ちウマ娘には歴史に名を残す錚々たる面子が揃う。
「ちょわッ!?」
サクラバクシンオーが究極のスプリンターであることを忘れたわけではない。
「正直いって勝てると思っていない。今年はメジロマックイーンやナイスネイチャといった強豪ステイヤーが出てくるし、というかそんなことは毎年だ。ただ、来年の長距離レースへ向けてローテーションを考えると有馬記念で長距離独特の雰囲気を味わった方が良い」
サクラバクシンオーが走って勝てる可能性がある重賞は短距離かぎりぎり1600mのマイルに限られる。つまり実質的な今年最後の目標は十一月末のマイルチャンピオンシップ。短距離OP等を荒らしまわらないなら、順当に勝ち進めば来年の初めの目標は三月末の高松宮記念とそのステップレースになる。調整期間を抜いた約三か月を長距離勝利の為に利用する。有馬記念は最下位だろうとこれ以上ない経験値になる。
サクラ家で知った秘密から今まで有馬記念の利用を躊躇ってきたが、今のサクラバクシンオーの状態を見ていけると判断した。より一層奮起してトレーニング効率の上昇にも繋がるだろう。
「ようやくッ!ようやくッ!トレーナーさんも私と同じ考えに至ったのですね!有馬記念こそ私のためのレース!皆も学級委員長の走りを期待しています!」
感動に打ち震えるサクラバクシンオーに勝てるとは思っていないなんて言葉は聞こえなかったようだ。何時もの事なので気にせず話を続ける。
「ただし、有馬記念はファン投票によって推薦を貰わなければならない。短距離やマイルを主戦場とするバクシンオーは票が集まりにくいから当然その分評価の高いレースに勝ちまくって年末を迎えなければならない。解るな?」
「お任せくださいッ!」
「ならいい。目標は安田記念だ。葵ステークスをステップレースにする」
六月の頭に行われるシニア級も出てくる芝1600m、GⅠ安田記念。そして勝てると踏んで出る芝1200m、GⅢ葵S。厳しい戦いにはなるがサクラバクシンオーなら乗り越えられると信じている。しっかりと評価を積んで短距離最強を決めるGⅠスプリンターズSへと向かいたいところだ。
「おや?トレーナーさん、NHKマイルもありますよ」
「ああ、そうだが……正直言って様子を見たいウマ娘がいる」
まだ花開いていない凄まじい才能を持つウマ娘がこの世代には一人残っている。安田記念にも出てくるだろう。実力を見切ってからぶつけたいところだ。あるいはサクラバクシンオーの覇道に立ちふさがる壁となるかもしれない。
無敗に固執してはいないが不確定要素で躓く気も無かった。それに昨年のテイエムオペラオーと同じ周囲のウマ娘にとって強烈なプレッシャーとなる。利用しない手はない。
「後期はスプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、有馬記念となると結構忙しいからな。1600mは連続で出走するにはまだ脚が耐えきれないし今のうちにしっかり体を作ってお前のスピードを見せつけてやろう」
「スピード!ええ、勿論ですとも!安田記念をアットー的スピードでレコード勝ちッッ!その上で、勝ちまくり、有馬記念へと向かいましょう!」
普段ならごねてNHKマイルCにも出走したがっただろうが、有馬記念への憧れを前にしては大したことではない。モチベーションが上がったようでなによりだ。ミホノブルボンと、なぜかついてきたライスシャワーも見学に加えてその後は日が暮れるまでトレーニングを行った。
これで今日のやることは全て終わり、ではない。忘れない様に用意した資料を鞄にしまって徒歩で駅に向かう。
今日は初めて父親にお願いをするために実家に戻るつもりだった。URA職員としてのコネを最大限利用してもらう私情……気は進まないが母親にはもう根回ししている以上帰らないわけにはいかない。
海外遠征に俺はブリッジコンプの可能性を見出した。芝の状態、気候、ラビットの存在、条件はあまりにも異なり、勝ち筋すら見いだせていない。それでも、少なくとも日本にはGⅠで勝てる可能性がもうないなら挑むしかない。
ただし俺にはコネがないし、全面的なURAのバックアップを得るには根回しが必要だった。まだこの話をしていないブリッジコンプがどうするかは解らないが、進められるだけ話は進めておいて損はない。
父親との関係は冷え込んでいた。多分、内心俺が憐れんだことに気付いたのだ。表情に出したつもりはないが実の両親には解ってしまうものなのかもしれない。父親は元トレーナーとして未だに東条トレーナーの輝かしい功績に目を焼かれたままだ。
「……いや、初めてじゃないか」
一人ごちる。実家にある一部屋だって完全にウマ娘のグッズで埋まりきっている。父親は強請らなくても毎回買ってくれたし、抽選会には必ず一緒に並んでくれた。言わなくても何時も俺の願いを聞いてくれていた。
溜息を吐き出そうとして、ゆっくりと息を吐いた。最近、ため息をつくことが多くなった。良くない傾向だ。
ブリッジコンプはもう寮に帰っているだろうか?サクラバクシンオーは不在のブリッジコンプについてなにも口にしなかった。察していたのかもしれない。
駅のホームでは帰宅するスーツを着た大人達でごった返していた。仕方なく反対側の黄色い線まで伸びてしの字になった列の最後尾に並ぶ。並んでいるうちに更に後ろにも人達が続々と並び始める。人の熱気に少しだけジャンパーの前を開けた。
「一番人気はやっぱりトウカイテイオーでしょ」
「まあそりゃ強いからね。なんてったって無敗だし皇帝の再来ってとこかな」
「生で見られるなんて凄い。三冠いっちゃうかな?」
「俺はシンホリスキーが可愛いから推したいけどな」
人々は口々に皐月賞を話題にする。そうこうしている内に電車が来たけれど、ぎゅうぎゅうに人が押し込められている列車の中に後から押し入る気にはなれなかった。それに出る時の扉は反対側だ。どうやったって抜けられそうにない。
仕方なく諦めて列の一番先頭で次の車両が来るのを待つ。車道も渋滞しているとはいえ、車かタクシーにすればよかったと思う。スマートフォンで皐月賞の情報を集めつつ時間を潰す。
「まもなく列車が参ります。危ないですから白線の内側にお下がり下さい」
……あれ?
この光景を俺は何処かで。
振り返る。見えたのは俺を突き飛ばそうとする男の姿だった。思わず男の袖を掴んで、なんとか勢いを殺そうとする。男の顔を知っていた。同期の、もう学園には居ないオットーというウマ娘を担当した、トレーナー。
「なぜ」
思わず漏れた言葉に返事は無かった。どす黒い感情が渦巻く瞳が此方を向いて、俺と男は縺れたまま駅のホームから線路へと飛び出していた。手放された鞄から資料が風に散らばっていく。
死ぬんだと解った。
やけにゆっくりと動く視界の中でもう直ぐそこまで列車が近づいている。ホームの下の溝に転がり込む余裕もなさそうだ。不思議と恐怖や苦しさはなくて、どこか安堵があった。
空には都会だというのに溺れるほどの綺麗な星々が瞬いて見守っていた。だからきっと、反対側のホームから此方に跳躍する黄金も最期に見る夢幻に違いない。
ただ会いたいと望んだだけ。なんとなく車で送られるのを断って、此所に辿り着いたことは奇跡に等しい。
「トレーナーっ!」
未来を、運命を乗り越えて、理想の黄金郷へと手を伸ばす。運命なんて奇跡があるのなら、超えられるのは奇跡的な存在であるウマ娘自身しかいないのだ。
一年と三か月後。遠く離れた地、英国GⅠエクリプスステークス。日本ウマ娘史上唯一の快挙。極東より来た黄金の髪と瞳を持つウマ娘を英国紙は「El Dorado」と讃えた。その始まりはパンドラの箱が如く絶望と、僅かな希望への期待だった。
「黄金郷への橋」完
また続きを書く場合はサクラバクシンオーか下の世代主題になると思います。
更新ペースが維持できない現状ですので筆を置かせて頂きます。
良ければ評価・感想をして頂ければ幸いです。
今までお付き合い頂き有難うございました。