翌日。
ブリッジコンプを担当することになった当日に俺は早速、トレセン学園内のレース場の予約をした。前日ということもあって一時間しかとれなかったが、ブリッジコンプの、そしてもしかしたらサクラバクシンオーの適性を改めて自分の眼で確かめるためだけの予定なので構わない。
むしろ幸運だった。ウマ娘たちが続々とスカウトされるこの時期に俺と同じことを考えているトレーナーは多いはずだ。選抜レース後にはレース場の予約は埋まりきっていただろう。こういう時にチームは有利で、優先的に予約が取りやすい。アニメでスピカやリギルがよくレース場で練習できていたのはそのためだ。また、トレセン学園から車で一時間ほど行けば有料でトレーニングできるレース場もダートと芝それぞれ存在している。
そして……メジロ家やスカーレット家、シンボリ家などの名門は自前でレース場を持っている。彼女たちは二次性徴を迎える前から、レース場で走りなれている。よほどの才がなければ名門に勝てない理由はそこにある。
ちなみに、本人からは想像もつかないが、サクラバクシンオーの実家は名門中の名門サクラ家である。ダービーウマ娘サクラショウリ、天皇賞ウマ娘サクラチトセオー、そして有馬記念のウマ娘サクラローレル。即物的な話になるが、サクラ家もレース場を持っており、もし担当になれば借りることもできるだろう。
勿論そういった理由で担当する気はないので、相談に来たのだ。
さて、まだだろうか?
腕時計を見ると、約束の時間から三十分超過している。到着してからは四十分だ。しかし、一向に理事長室の扉が開く様子はない。俺の前に誰か面会しているらしく、なかなか終わらないのだ。聞き耳を立てるのも失礼と判断してずっと待っているのだがそろそろ足も疲れてきた。なにより理事長室の扉を眺めているというのも気分があまりよろしくない。ゲームの……ガチャ演出の扉にそっくりなのだ。
痺れを切らしてノックしようと扉に近づいたとき、内から扉が急に開き俺の体は宙に吹き飛ばされた。直後に背中に強い衝撃がくる。
これがディープインパクトォ!
「おごぉ!」
自分ではないような蛙が潰れたような声が出て、べちゃりと床に崩れ落ちた。
とっさに頭を庇ったものの、視界が白くちかちかと明滅し、節々に鋭い痛みが走る。どうやら俺は吹き飛ばされた挙句、廊下の壁に勢いのまま叩きつけられたらしい。エアシャカールのアイアンクロー並みに意識が飛びかけた。
悶絶していると誰かが駆け寄ってくる。トドメを刺しに来たのか?
「あぅ!ごめんなさい!まだ上手く力のコントロールができなくて……大丈夫ですか?」
ぼやけた視界の中で、そこにいたのはまるで小学生のような、というより本当に初等部の子だ。ピンクのカチューシャにイヤーカバーといえば一人しか思いつかない。セイウンスカイの嫁こと、ニシノフラワー。前世通りであれば生粋のマイラーのはずだ。今の一撃はまるで二次性徴を終えたウマ娘の、それも手加減のないパワーを発揮していた。
「えと、ど、どうしよう!」
「驚愕ッ!大丈夫か!」
理事長室から秋川やよい理事長と駿川たづなも顔を出してくる。駆け寄ってくる駿川たづなを手で制して、意地でなんとか起き上がった。相手は初等部である。あまり情けない姿を見せるのもプライドがよろしくなかった。
「頭は庇いましたので、あとで調子がおかしければ医務室に行きます。それでいったいどうしたんです?今のパワーは手加減のての字も忘れたような勢いでしたが」
理事長室の蝶番が歪んでしまっている。俺が疑問の視線を駿川たづなに向けるとすぐに答えてくれた。
「実はニシノフラワーさんは今日起きてみると兆候もなく急に二次性徴を迎えていたらしく、まだウマ娘としてもかなり若いですから力加減がうまく行っていないみたいなんです」
そういう事情であれば、なるほどと頷くしかない。今の叱られた子犬のようなニシノフラワーを見れば故意ではないことがわかる。とはいえ……。
「俺は大丈夫だよ。とはいえ、今日は帰った方が良い。俺みたいなトレーナーならウマ娘のパワーにも慣れているから対応はできるけれど、トレセン学園には人の教師や事務員もいる。彼らにそれを求めるのは酷だから、出来れば親御さんに迎えに来てもらうといい」
「うむッ!厳重注意!」
しょんぼりと落ち込むニシノフラワーだが、ここで甘えた声をかけるのはよくない。ウマ娘による人間の故意ではない傷害事件は年に100件以上ある。生物的な差があるし、ウマ娘として社会生活の中で気を付けるのは義務といっていい。方針に理事長も賛同のようだった。
「二次性徴を迎えたということはニシノフラワーは今年デビュー予定ですか」
「ええ、もしよければスカウトされては?」
「いえ、電話でお話しした通り、俺はもう手一杯ですから。怪我させかけた相手がトレーナーというのもよくないでしょう。今の一撃は二冠ウマ娘のアイアンクローを彷彿とさせました。将来性は高いですからスカウトに関しては問題ないと思いますよ」
良いことを思いついたという風な駿川たづなの言葉を切って捨てる。
「そ、そうですか」
引かれた気がする、兎に角。ニシノフラワーを帰して、俺と秋川やよい理事長、駿川たづなは改めて理事長室に入った。机の上にはニシノフラワーが力加減を間違えたのだろう、砕けたコップが置かれていた。駿川たづなが掃除をしてガラス片を片付けるのを手伝って、ソファで対面した。
「今日は事前にお伝えした通りまずはブリッジコンプの契約書類を持ってきました」
「期待ッ!応援している!」
問題なく秋川やよい理事長に受理され、俺は正式にブリッジコンプのトレーナーとなった。サクラバクシンオーの時もそうだが、今回もニシノフラワーに意気込みなどが完全に破壊されたものの十分に嬉しい。俺がウマ娘のトレーナーになったのだ。
「意外でした。トレーナーさんが模擬レースの時に挙げていた名前は事前に注目されていた方々ばかりでしたし、そういう子をスカウトしたいのかと思っていました」
つまりブリッジコンプはあまり注目されていなかったということだが仕方ない。
昨日のうちに俺はブリッジコンプが出ている全ての模擬レースの映像を見た。短距離の模擬レースで三勝していたが、いずれもかなり面子に恵まれた上にかなりぎりぎりの戦いだった。タイムも特別優れているわけではない。昨年の黄金世代のような天才中の天才が集う魔境ではないため、今年デビュー予定のウマ娘の真ん中より上だろうがトップ層ではない。親も無名ではないものの、血統的に優れているとは言いがたいウマ娘だ。
「ええまあ、とはいえ一番の理由は逆スカウトされたからというのが大きいですね。いまだになぜブリッジコンプが俺に才能を見いだしたのかはわかりません。それでも、無名の新人トレーナーとしてはどういう理由にしろ信用が大切ですから」
「なるほど、たしかにそうですね」
「それにブリッジコンプに才能がないわけではないですよ」
残念ながらトウカイテイオーのような走りの才能ではない。ブリッジコンプはとても視野が広いのだ。一般的に視野の広さは馬群に飲まれやすい先行や差しがもっていると有利といわれている。対して逃げの視野の広さはスタート時に欠点にも利点にもなる。欠点としては見え過ぎるがために、集中力が散漫になり、模擬レースでは何度か出遅れていた。利点はその場で逃げの戦法を組み替えられることだ。うまく使えるかはブリッジコンプと俺次第だろう。
「出来るだけやってみるつもりです。本題はお伝えした通りサクラバクシンオーのことです。俺はすでにブリッジコンプの担当になったわけですから彼女の担当になるのは新人トレーナーとして厳しいものがあります。経緯としても、長距離レースに出て勝てるかと聞かれて頷いたまで」
「驚愕ッ!名門ではない新人トレーナーが初年度に二人からも逆スカウトを受けるのは珍しい!」
サクラバクシンオーに関しては完全に棚からぼた餅である。長距離レースに勝てると答えた一番最初が俺なだけで、選抜レース後であれば頷くトレーナーもいただろう。そう話すと、駿川たづなが首を横に振った。
「いえ、ウマ娘を正しい方向性に成長させるのもトレーナーの仕事ですよ。特に熟練の方であればあるほどサクラバクシンオーさんを長距離で走らせようとは思わないでしょう。正直新人トレーナーの無茶としかいいようがありません」
それはそうだ。正論が俺に突き刺さる。だが阻止したのが、よりによって秋川やよい理事長であった。バンッ!机をたたいて勢いよく立ち上がり、達筆で感激と書かれた扇子を理事長が見せつける。
「大変結構、私は猛烈に感動した!!ハルウララの面接試験の時、私は資質ではなくその夢と性格故に入学させた!ならば、このトレセン学園でサクラバクシンオーの夢も叶えるのが道理!」
「り、理事長……」
困った顔で駿川たづなが理事長を見るが、気にした様子もない。
「是非ッ!レースはトレーナーとウマ娘の二人三脚!夢を肯定できる者同士、担当トレーナーになるといい!」
ビシッ!と此方に扇子を向けた理事長に、俺は相談を持ち掛けたことを少し後悔した。この方、サクラバクシンオーと同類だ!怪我したらや、才能を潰したらということを一切考慮しないポジティブシンキングだ。
「無論ッ!明日から、トレーナーにはたづなを貸し出そう!トレーナーの育成にも繋がるッ!まさに、一石二鳥!」
「理事長、ニシノフラワーさんの手続きもしないといけないですし。理事長がやっていないので仕事溜まっているんですよ」
「むむッ!仕方なーし!では毎日2時間のみとしよう!」
一度走り出した理事長は止まらない、まるでパンジャンドラム。周りを巻き込んでぐるぐると回転し、最後に盛大に爆発しそうな勢いだ。なおこの世界に戦争が発生していないため、珍兵器はほとんど開発されていない。
「いえ、ですから……、そもそも俺ではサクラバクシンオーを育てるのに不適格かとおもいます。彼女の走りを見ただけで俺ですら思いました。最強のスプリンター、方向性は違えどもシンボリルドルフ会長と同様に新たな伝説を築きかねないと」
「トレーナーさん」
びしりと、駿川たづなの一言で俺の動きは止まった。大型肉食獣のような眼光、笑顔の裏には怒りか、呆れか。先ほどまでは俺にサクラバクシンオーを担当させることに反対するはずだった、駿川たづなが完全に敵側に回っていた。
「最初はトレーナーさんは良識から担当を断る方法を、教わりたいのだと思っていました。ですが……トレーナーさんはただ担当になることを怖がっているだけですね。
サクラバクシンオーという存在そのものに特別な感情を抱いているから、誰かに断る理由を作ってほしいようですね。そういう兆候はシンボリルドルフさんにも、私に対しても見えました。事情はわかりません。獅子は我が子を千尋の谷に落とすではありませんが、
貴方自身の成長のためにもサクラバクシンオーさんのトレーナーになることを今一度検討してはいかがですか?」
「それは」
俺は咄嗟に言葉を口にしようとして、何も返せなかった。
ただパクパクと空気を求める魚のように口を開いては閉じ、開いては閉じ。頭が真っ白になって、凝り固まった思想が消えて深く考えることができたと思う。その間、じっと理事長も駿川たづなも俺のことを待ってくれていた。
トウカイテイオーの美しい物語に恋い焦がれるのと同じくらい、
俺はこの生まれ育った世界が、ゲームの世界であることを見せつけてくる存在が怖い。だから一定の距離を保ちたい。ファンのように憧れていたいが、深く関わることが怖い。
「……ええ、そうですね。俺はどうも、サクラバクシンオーを担当するべきなようです」
「歓迎ッ!長く話したいところだが、しかし、次の来客が来てしまう!また遠慮なく相談にきたまえ!」
「ありがとうございます」
二人にしっかりと頭を下げる。あるいは理事長は俺のダメなところを見抜いて、真っ先にサクラバクシンオーの担当になることを勧めてくれたのかもしれない。二十になったばかりの若造と違って人が出来た人達…あるいはウマ娘達である。
「トレーナーさんがレース場を借りた時間まであまりないですね。では、私も彼についていきます。そういえば理事長、私がいない間にドリームトロフィーに向けた調整と、今年度デビューする子の特報について事前確認書類を済ませておいてくださいね。どちらも二日遅れですよ」
「た、たづな!」
「理事長」
再びすさまじいプレッシャーが緑の悪魔から解き放たれ、救いを求めた理事長が轟沈する。真に最強なのはシンボリルドルフではなく、駿川たづななのかもしれない。ついでに俺の中で急上昇した理事長株が急落していく。
駿川たづなを連れて理事長室を出ると早速サクラバクシンオーと連絡をとる。ブリッジコンプにも一言送っておくのが良いだろう。
『理事長も、駿川たづなさんも背中を押してくれて俺は君の担当をすることになった。これからよろしく頼む』
『こちらこそ!一緒にバクシンロードを万進しましょう!』
5秒も経たずにサクラバクシンオーから返信が来た。返信もバクシンであるが、ちなみに今座学の授業中のはずだが?サクラバクシンオーはきちんと授業を受けているのか心配になってきた。隣の駿川たづなも凄まじいプレッシャーを放っているぞ!
「あとできちんと怒りましょうね。日常生活での注意もトレーナーとしての仕事ですから」
「は、ハイ。わかりました。バクシンオーには言い聞かせておきます」
そういえばニシノフラワーが出てくるということは、サクラバクシンオーのマイル路線も一強状態とはいかなくなったということだ。トレーナーとはいえ今年デビューする子すべてが載った名簿が貰えるわけではない。他にも強敵がいるかもしれない。
あとでブリッジコンプやサクラバクシンオー以外が出ている初期の頃の模擬レースも見ようと思ったのであった。
万進→邁進はわざとです
評価有難うございます