周囲をきょろきょろと見回す。
右よし、左よし。あの人は図体がでかいから、隙間に隠れるなんてことはできないと思うが、一応念のため、ロッカーの中や机の下も確認しておく。
そして、部室のどこにも人影がないことを確かめた僕は──やれやれと腰を落ち着けて、鞄の中から売店で買ったカツサンドを取り出した。
近所のパン屋さんが、朝から手作りで仕込んだパンと分厚いトンカツを、ソースと辛子マヨネーズ、そしてたっぷりの千切りキャベツと挟んだ逸品。
これとイチゴミルクを購買で買い込み、小腹が空いた頃に部室で頬張るのが、学校での何よりの楽しみなのだ。
包装のビニールを剥がして手に持つと、豚肉が厚い分、それ相応のずっしりとした重みを感じる。税込み180円の重みだ。
手作りにしては破格の安さだが、月に3000円のお小遣いをやりくりして使う高校生にとっては、小さな贅沢と呼べる。
どんなに豪華な御馳走よりも、結局のところ、これが世界で一番美味いのだ。
だと言うのに、あの人と来たら、僕がこれを食べているところを見るといつも文句をつけてくる。
一応、まだ部活の活動時間なのだから、パンなんか喰ってサボっていないで、文学部らしく本の一つでも読んでおけと──そう文句を言われるのなら、僕も納得するのだけれど、先輩はそんな事で苦言を呈したりはしない。
この部活自体が文学部とは名ばかりの、適当に集まり駄弁って帰るだけの部活だから、先輩もそのこと自体は別にどうでもいいと思っているのだろう。
なら、先輩が何を快く思わないのかと言えば、それはこのカツサンドの値段。
自分の目の前で、安っぽいものやジャンクフードを食べられるのが、どうも先輩は気に食わないらしいのだ。
正直に言えば、自分が食べさせられる訳でもないのだから、先輩に文句を言われる筋合いはないと思う。
当たり前だが、僕が何を食べていようが、それは人の勝手だろう。
けれど、見つかると面倒なことには違いない。
ちらちらとドアの方を見て、人影が来ないことを確認しつつ、ソースの匂いにお腹を鳴らし、さっそく大口を開け、かぶりつこうとしたところで──
「何をこそこそしているかと思えば、貴様という奴は……」
──すぐ背後から、呆れたようなため息が聞こえた。
びくりと肩を跳ね上げつつ、一口分、カツサンドを頬張りながら振り返る。
「う、先輩……!?どこに隠れてたんですか……?」
そこに佇んでいたのは、漆黒の角を逆光に鈍く輝かせる、巨躯の魔族。
ただ後ろに立たれているだけで、暴風に身体を押されているかのように感じるほど、強烈な威圧感を纏いつつ、彼女は腕を組んで僕を見下ろしていた。
「隠れていた訳ではない。たった今、そこの開けっぱなしのベランダから入ってきただけだ」
「あ……」
彼女は、くいと親指を外の方へと向ける。
人間からすれば、そこから出入りできるという考えすら浮かばない、三階のベランダ。
落ちれば怪我では済まないほど高い、その空中にせり出したスペースすらも、彼女にとっては地続きの裏口に過ぎない。
ぽりぽりと頬を掻きつつ、こっそりともう一口パンをかじる。
「ここは三階だからと油断したのか?呆れるな、ドラゴンの背に何があるのか忘れたか?」
じっとりと目を細めつつ、彼女はばさりと音を立て、改造され大きく背中の開いた制服から、大翼をはためかせた。
──ドラゴン。
人間を超越した身体能力を持ち、更に魔力という理外の力を持った、魔族という生物の中でも──殊更にずば抜けた潜在魔力や膂力を持つ、最強の呼び声高い種族。
人間は魔力は感じられないが、実際にドラゴンである先輩に目の前に立たれると、否が応でも納得させられる。
先輩はきっと、世界で最も美しく、そして世界で最も強い生物なのだ。
「で……またその安っぽいパンか。それが不味いものだとも、低俗なものだとも言わんが……お前が私の配下である以上、もっとその立場に相応しい、上等な物を食ってもらわねば困る。お前には、そう何度も伝えている筈だ」
彼女は、僕を覆うかのように大きく広げられた、一対の大翼をゆっくりと揺らめかせ、こちらにずいと顔を寄せる。
──その顔を見慣れた僕でも、思わず仰け反り、未だにたじろぐほどの美貌。
生まれ持った王者の素質を剥き出しにした、荘厳ながらも野性的な強さを秘める瞳は、目を合わせることすら不敬に感じてしまう。
目尻はいやに鋭く、瞳は三白眼気味だけれど、目の形は優しげな垂れ目型。
一見ミスマッチに思えるくらい、ワイルドな格好良さと穏やかな美しさが混じり合っているのに、何故だろうか。お互いがお互いの印象を引き立てて、完璧に美しく調和している。
その瞳はまるで、厳しく恐ろしいのに、穏やかで静かな、群れを見守る百獣の王のよう。
作り物じみた──いや、人の手などでは到底再現もできないほど、完璧に造形された目鼻顔立ちは、彼女の持つ圧倒的なカリスマを、これ以上なく裏打ちしている。
そんな瞳に見つめられると、意識が飛んでしまいそうなほど、かっと頭が酩酊して、くらくらと魅了されてしまうけれど。
「ん?何とか言ったらどうだ、愚か者」
──ぎょろりと、蛇のように縦に割れた瞳孔に睨まれて、はっと意識が立ち返る。
「いや……そんな事言われても、僕は先輩の配下になった覚えは……」
「あん……?」
言い終わる前に、ただでさえ鋭い目尻が、更に鋭く切っ先のように細められる。
僕もまた、ただでさえ縮こまっている身体を、一割増しで縮こまらせて、口答えをしたことに後悔した。
「愚か者め、我がこの部を取り仕切る長である以上、ヒラの部員である貴様は、我の配下になるに決まっているだろう。当然の帰結だ」
「いやまあ、確かに先輩はこの部活の部長ではありますけど……」
先輩は、僕に顔を寄せるため折り曲げていた腰を、ぐいと反らして傲岸不遜に腕を組む。
その居丈高なほど堂々としたポーズも、頂点捕食者であるドラゴンらしく、似合ってはいるけれど──先輩はやはりドラゴンらしく、身長もバストサイズも規格外に大きいので、そう真っ直ぐに立たれると、胸に遮られて顔が見えなくなってしまう。
あまりジロジロと見るようなものではないけれど──だっぷんだっぷんと大きく揺れ動く、巨大すぎる乳房は、先輩の方を向けば、否が応でも目に入ってしまうのだから仕方がない。
この下に立てば、一滴も濡れることなく雨宿りができそうだ。
そんな失礼なことを考えつつ、馬鹿みたいに育った乳房に向かって、僕はカツサンドを食べつつ反論する。
「だとしても、先輩には別に関係ないんじゃないですか……?」
──組み直した腕が乳房を揺すり、嘘くさいほどに柔らかく、乳脂肪が弾む。
座ったまま先輩を見上げている身からすれば、顔が見えない分、まさにおっぱいに向かって話しかけているようで、本当に聞こえているのか疑わしく感じてしまう。
「大ありだ、馬鹿者め。ドラゴンという至高の種族に生まれたからには、我は生まれ持った至高の才覚を全うするため、ほんの些末な細部に至るまで完璧を追い求めなければならん。我自身の立ち居振る舞いや能力は当然のこと、ポケットに入れたハンカチやほんの細やかな装飾品に至るまで、何もかもが、な」
そう豪語する先輩の立ち姿は、確かにケチの付けようもないほど完璧だ。
シワ一つなくパリっと伸ばされた制服は、糸のほつれも埃の一つも付いておらず、まるで新品のように艶々。
ズボンも同じように、折り目正しく綺麗に揃えられていて、例えこのまま貴族の集まるパーティに参加したって、全く見劣りしないだろうとすら思う。
「だと言うのに、貴様という奴は……。この我が特に目をかけている後輩という、我に最も近しい立場だというのに、購買のカツサンドとイチゴミルクを買い食いして、美味そうな間抜け面を晒すなど、あり得ぬことだ。貴様が我の一番の忠臣であるならば、貴様もまた一流の嗜みを行うのは当然のことよ」
先輩は、言い終わると同時に、腕を深く組み直して──たぶん、またいつものように顎を引いて、偉そうにふんぞり返りながら、こちらを見下ろすように目線を高くしているのだろう。
おっぱいに遮られていて、全く顔は見えないから、想像だけれど。
「つまるところ、だ。どうせ喰うのなら、こっちのローストビーフサンドにするがよい」
そうして先輩は、どこから取り出したのやら、紙袋の包みを右手でこちらに突き出す。
その紙袋に書いてある店名を見れば──うげ、僕ですら知っているような、銀座の高級店だ。
これまた庶民らしい覚え方だが、年末にやっている芸能人の格付けチェックで、正解の高級品として出てくるパンを作っているのが、確かこの店だったはず。
差し出された紙袋を、恐る恐る受け取り、中を開けてみれば──英字新聞に包まれた、いやに美味しそうな匂いのする、全粒粉のバゲットが顔を出す。
一目で分かる、朝ご飯に出てくるトーストとは一線を画した、格の違い。
小麦のいい香りがする、既に高級感漂うパンに、嫌味なほどたっぷりと挟まれた、肉汁たっぷりで赤みが残る、見るからに柔らかそうな牛肉。サラダでも中々見られない、青々パリっとしたサニーレタス、何やら名前も知らないけど、多分高級な何かの実のピクルス。
「さあ、喰うがよい。これこそが一流の味というものだ、噛みしめて味わえよ」
自信満々に、先輩は僕の対面のソファーにどっかりと腰をかけ、脚を組みながらそう言った。
毎度思うけれど、先輩が脚を組むと、太ももに肉がたっぷりと実りすぎているせいで、腿肉同士がむんにゅりと柔らかそうに潰れ合い、とても目に毒だ。
毎日こんな良い物を食べていると、こんなに肉質も良くなるのだろうかと、真っ白くてすべっすべの大福みたいな脚を横目に見つつ──丁重に、紙袋ごと、先輩にそれをお返しした。
「なっ……!?何故だ、もう腹が一杯になったのか……?あんな小さなパン一つで腹が膨れるとは、人間の胃袋の何と小さきことか……」
「いや、まあ……それもありますけど」
何やら見当違いなショックを受けた先輩は、机から身を乗り出すように立ち上がり、こちらを見てわなわなと震えている。
──胸があんなに大きいと、どんな体勢になったって、谷間の深さが強調されることには変わりないらしい。
本当に目に毒な先輩だ、とありがたいやら困るやら、心の中で独りごちつつ、僕はぽりぽりと頬を掻く。
確かに、折角頂いたものに手もつけず突き返すというのは、いくら仲の良い先輩相手とはいえ、とても無礼な事だ。
理解してはいるものの、しかしこれを黙って受け取る訳にはいかない。
何故なら、それは。
「先輩、これいくらするんですか?」
「む……?値段か?確か……六千円したかしなかったか、というぐらいか」
「なるほど、ありがとうございます。受け取れるわけないでしょ」
──先輩は、ドラゴンというだけあって、その感覚は一般庶民とはかけ離れている。
家系は古来より続く由緒正しい貴族の血統で、毎日学校に来る時も、何やらやたらと黒くて長い高級車とメイドさんに送り迎えされているし、そもそも先輩の家はでっかい城らしいし。
「……ああ、何だ、そういう意味か。金のことなら気にするな、我が全て払っておいてやる。貴族たる我は、配下に完璧であることを求める代わりに、完璧であるために必要な物は惜しみなく費やす。力を持つ物の勤め、ノブレス・オブリージュというものだ」
これ以上ないドヤ顔を見せる先輩だが──そういう意味ではない。
意思表示のため、机の上の紙袋を、もう少し押して先輩の方にずらす。
「そういう意味ではなく、こんな高価なもの、何の見返りもないのに受け取れないと僕は言いたいんです。六千円もするものなんか奢ってもらっても、恐ろしくて味なんかしませんよ。僕のお小遣い二か月分ですよ?」
それを聞いて、先輩も負けじと、紙袋を僕の方へと押し返した。
「我に見返りがない訳ではない。言うなれば、貴様がこれを喰うことで、ひいては我の見栄が保たれるのだ」
「じゃあ百歩譲って、もし僕が今日これを有難く受け取らせていただいたとしても、僕は週に二回は購買でパンを買ってるんですよ?そのために僕が買い食いを辞めるのは嫌だし、かといって先輩に月に何万も払わせて、僕が美味しく食べるためだけのおやつをパシらせるなんて、意味が分からないでしょ。むしろそっちの方が威厳に傷がつきますよ」
「構うものか。我にとっては、その程度の出費など、贅沢とも言わぬ。貴様が安いカツサンドを買い食いするよりも安い買い物だ」
「貨幣の価値は一定です。先輩に数万も貢がせているという事実に変わりはありません」
「貨幣の価値ほど相対的なものもそうはあるまい。貨幣制度のある世界に生まれたくせに、そんなことも知らんのか?」
──机の上で、六千円分の紙袋が往復する。
卓球のラリーのように、ローストビーフサンドが前後するこの状況も、端から見れば面白いかもしれないが──先輩がこうも頑固では、埒があかない。
「……とにかく、受け取れません。こんなに高価なものをタダで頂いては、かえって心苦しいです。今の僕が頂いても、購買のカツサンドよりも美味しくは食べられませんよ」
「むむ……。こいつよりも、あの安いカツサンドの方がいいと言うのか?」
「ええ、まあ……。少なくとも、今の僕には、そうでしょうね」
「ぬ、ぐ……」
そうしてもいいと思えるほど、僕のことを気に入ってくれているのは嬉しいが、先輩は少々ブレーキが効かないところがあるので、意思を伝える時ははっきりと伝えないと、止まってくれないことも多い。
少し悪いことをしたかなとも思うが──いやいや、ここではっきり断っておかないと、先輩は本気で、僕がおやつとして食べるだけのパンに、毎日でも数千円を使ってしまうだろう。
あんなにも大きな身体と態度をした先輩が、心なしかしょぼくれて、小さく縮こまっている。
口をへの字に曲げつつ、難しい顔をする先輩は、何でもない風を装ってはいるが、さっきから背中に生えた大翼が、枯れた枝のようにしおれていることから、多分落ち込んではいるはずだ。
先輩は、生まれつき人の上に立つことが宿命付けられた、ドラゴンという種族であり、口答えされ慣れていないからか、こうして僕に逆らわれると、すぐに落ち込んでしまう。
普段は確かに凜々しい人なんだけど、こういうところは少し子供っぽい。
一度こうなった先輩は、帰る時までしょぼくれたままで中々元に戻らないので、困ったものだ。
一晩経てば元の偉そうな先輩に戻るのは、せめてもの救いか。
「……や、安舌め……」
威嚇するように、翼をばさばさと忙しなく上下させながら、先輩は僕の方を涙目で睨みつける。
明らかに常識から外れたことをしているのは、どう考えても先輩の方ではあるのだが、こうも落ち込まれるとどうも罪悪感が沸いてしまう。
だからと言って、先輩をこのまま甘やかして──甘やかして?どちらかと言えば甘やかされているのは自分の方だが──前言撤回する訳にはいかない。
僕は毅然と口をつぐみ、先輩の視線を無視して、最後の一口になったイチゴミルクを紙パックから吸い上げた。
それを見た先輩は、呻きながらうな垂れて──かと思えば、すぐに体をばさりと跳ね上げながら、僕に向かってびしりと指をさす。
「ええい分かった、分かったぞ。16歳などという、赤ん坊のようなふざけた年齢のくせに、生意気にも遠慮なんぞしおって」
ぐるる、と喉を鳴らしながら、口元からちょっと炎を漏らす先輩の姿は、その素性を知らなければ恐ろしくも見えるのだろうけれど。
僕からすればむしろ先輩の方こそ、幼い子供がムキになっているようにしか見えない。
実際、先輩は妙に頑固な部分があり、一度こだわりを持って決めたことには、もう口を挟ませてはくれないのだ。
「こいつが勿体なくて受け取れないなどと抜かすなら、これならどうだ?」
先輩は、制服のポケットに手を突っ込むと、指の隙間に紙を挟み取り出しつつ、僕にぴっと突きつけた。
明らかに意地を張っている先輩の様子に、何やら面倒なことになりそうだな、と頭をぽりぽり掻きつつ、そのはがき程度の大きさの紙を受け取る。
「えーと……これは一体?」
洒落た和紙のような質感の封筒に、赤い蜜蝋でシーリングが施された、一枚の便箋。
そのシーリングの模様が、勇ましく天に向かって炎を吐いている、デフォルメされたドラゴンの形であることから、おそらくは先輩からの贈り物であることは分かるけれど──そこに書き添えられた文字を読もうとしても、何やら日本語ではないファンタジックな言語であるため、一切内容が分からない。
いや、もしかすると達筆な筆記体だから僕が読めてないだけだったりして……?
まるで知恵の輪を解くみたいに、便箋を何度も裏返し、光に透かしたりして眺める。
そんな僕を見かねたのか、先輩はからからと威勢よく笑いながらこちらに近寄り、後ろからひょいと、熱した爪でシーリングを焼き切って、中身を見せてくれた。
「明後日の夜、我の城で立食パーティが開かれるのだ。これは、その招待状だな」
お城でのパーティに、煌びやかな金箔混じりの招待状。
そんな、シンデレラを娶った王子様じゃあるまいし──と思ったけど、先輩はまさに、それくらいの地位を持った本物の貴族様なのだ。
で──その王子様のパーティに、お呼ばれするという事は。
「暇なら来い。貴様のような平民には、二度と目にかかれぬ本物の馳走を見せてやる。一皿数万は下らない、最高級のステーキに、滅多にお目にかかれない高級魚の刺身も食わせてやろうではないか」
「いや、いやいやいや……!」
──悪化した。
もはや六千円なんて持って行っても、会場の水を一杯飲めるかどうか。
そんな、おとぎ話でしか見たことのない、本当の王族の立食パーティなんて連れて行ってもらっても、先輩に迷惑をかけるだけだ。
こちとらパーティなんて、四人でサイコロを転がした後、ミニゲームで対決するアレしかやったことがないのに。
「くはは、そう案ずるな。そう畏まった式典でもなし、会場では適当にふらふら過ごしておればよい。服もそのジャージで来て構わぬぞ」
「そ、それはそれでありがたいんですけど、そういう話ではなく……!」
相変わらずどこかズレた、先輩の価値観。
こうして僕を誘ってくれるのは、心からありがたいのだけれど──根本的に、そんな高価なものを対価もなく受け取ってしまっては、申し訳がないという部分は一切解決していない。
「あん?勘違いするでないわ」
だが、今度こそ先輩は、僕の恐縮を意にも介さずに、にやりと不敵に微笑みかける。
「よいか、貴族の集まりでは、何よりメンツというものが重要なのだ。それこそ、参加者が取りたがっている食材を切らすなど、以ての外だ」
「であるから、こういったパーティでは、食材は余ることを見越して、想定よりも多めに仕入れる事が殆どだ。貴様には、その余り物を食わせてやると言っている」
ソファーにどっかり腰掛けて、脚を組みつつつらつらと語る先輩は、いつにも増して得意げだ。
機嫌よさげな先輩は、そのままがさがさ紙袋を漁り、自分で買ったローストビーフサンドを、美味そうに一口かじってから、僕に向かって流し目を送る。
「どうだ、それなら構わぬだろう?」
そして、それで決まりだと言わんばかりの態度で、先輩はそう僕に問いかけた。
だが、確かに──たぶん余った食材は、後でお城で働く方々の間で分けたり、自分で食べたりもするだろうから、無駄という訳ではないだろうけど──それでも、どうせ余るものだから食べていいと言われたら、意味も分からず奢られ続けるよりは随分と気が楽だ。
それに、いくら貴族のパーティとはいえ、作法を知らない僕がジャージでお邪魔しても構わない場所だと言われたなら、正直お邪魔してみたくはある。
そもそもお城の中に入って、貴族らしく立食パーティに参加するなんてこと、確かに先輩の言うとおり、平民の僕にはもう二度と機会のないことだろうし。
つい今しがた、先輩の好意をにべもなく断った手前、余りものだからと言われた途端、ほいほいとお誘いに付いていくのも、なんだか現金に思われるかもしれないが──
「……ありがとうございます。でしたら、先輩のご厚意に甘えてみようかな」
──素直に、自分の興味に従うことにした。
「ん。決まりだな。明後日は腹を空かしておけよ、それと招待状を忘れるな」
僕がそう言うと、先輩はほくほくとした様子で革靴を脱ぎ、そのまま自分の腕を枕にしつつ、ソファの上に寝そべる。
言うことも言ったから、先輩はいつも通り、ここで昼寝してから帰るつもりなのだろう。
一応、ここは異性も居る場所なのだが、先輩はいつも声をかけても一切反応を示さなくなるほど、ぐっすりと熟睡してしまう。
無防備だと思わなくもないが──ドラゴンである先輩に、こっそりイタズラを施そうという方が、かえって無謀だ。
さて、このまま寝ている先輩を置いて帰るのも失礼なので、いつも通りスマホを開き、ソシャゲのデイリーミッションを消化しつつ、僕も対面のソファーで横になりだらける。
本当は、僕以外にも部員は四人いるはずで、前はその人たちと時間を潰していたのだが──あいつらは、ここ一ヶ月ほど部活に顔を出していない。というか、学校にすら来ていない。
来なくなったのは、魔族が五人と人間が二人。
傍から見ていた身として言えば、二人とも随分と狙われていたことだし、遅かれ早かれいつかはそうなっていただろうというのが、正直な感想だ。
今頃奴らは、どこかで楽しくハネムーンでもしているのだろう。ちゃんと復学するのかな。
そんな事を考えつつ、横になってまだ一分も経っていないのに、もう呼吸を深くしている先輩の方を見る。
先輩は、僕のことをどう思っているのだろう。
さっきも自分で言っていた通り、先輩はドラゴンとしての強い矜持を持っている。
そして、何よりも先輩は、その矜持にも勝るほどの能力に血筋、そして美貌を持った女性だ。
そんな先輩に、まさか僕が釣り合うなんて、口が裂けても言えやしない。
先輩がいくら魔族だとはいえ、そもそも貴族という立場上、僕などという平民と恋愛関係になるなんてことはないだろうし──先輩が僕のことを気にかけてくれているのは、先輩の純粋な面倒見の良さがあるからこそだろう。
あーあ……と、声に出るほど溜息を漏らしつつ、スマホの画面にも意識を割かずに、物思いに耽る。
ともかく、明後日はせめて、先輩の邪魔にならないよう、マナーぐらいはちゃんとしておかなければ。
まだプレイ途中のソシャゲを中断して、合っているかどうかも分からない、貴族界のマナーまとめとやらの記事を読み始めた。
後編に続きます。