淫魔ちゃんねる   作:だいこんおろし

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こんにちは、お久しぶりです。投稿に間が空いてしまいすみません。

ここで一つお知らせがあるのですが、実はこの度、こちらの淫魔ちゃんねるを再構成し、世界観自体は引き継ぎつつ内容を変え、改めてカクヨムコンテストという小説の賞に応募することになりました。そちらは掲示板パートがメインではなく、基本地の文ありで進んでいくことが多くなると思いますので、ご興味ある方はよければそちらの方を覗いていただければ幸いです。

説明が下手ですみませんが、要するにカクヨムで改めて淫魔ちゃんねるを連載しているという事です。こっちに載ってない新規エピソードばかりを、元旦から一か月ほど毎日更新する予定なので、良ければ見て欲しいです。(https://kakuyomu.jp/works/822139842333085181

はっきり申し上げますと、カクヨムコンテストで優勝とかして、書籍化もして、タワマン最上階に住みながら左団扇でワインとか飲む生活がしたいっす。連絡とか下されば靴も舐めますので、評価や応援コメントなど下さると助かります。ここはひとつ、人助けだと思って、何卒……。

※追記
カクヨム版の方はちょっと出来が微妙になってしまったので更新を停止致しました。お騒がせしてすみません。


*ドラゴン先輩に誘われて(中編)

「……で、本当にこのままの服装でいいんですか?」

 

そして、約束の日。

ドラゴンの先輩が主催するパーティとやらに招かれたので、今日は夕飯はいらないと親に伝えたところ、家中がひっくり返るほどの大騒ぎになり、登校する前には親父にスーツを押しつけられそうになったのだが。

 

「構わぬ。むしろ、半端にめかし込んだ方が、かえって目立つぞ。今回の式典は、そう……ホームパーティのようなものであるからな」

 

「まあ、そうですよね」

 

今回のパーティはそう堅苦しいものではないと言っていたし、あんな面接用みたいなスーツを着ても、先輩の言うとおり逆に浮いてしまうだろう。

とはいえ、先輩の家は魔界では名の知れた家系と聞く。

失礼のないように、家を出る前にアイロンをかけ直した制服の袖を伸ばし、ホコリがついていないか確認した。

 

そんな僕の様子を、じろじろと眺める先輩の視線が、背中に突き刺さる。

別に気にしなくてもいい、何なら本当に体操服のままでも構わない、とでも言いたげな目線だが──いくら何でも、ジャージは鞄の中にしまっている。

 

ちょっと不満げな先輩の視線を無視して、背中を向けながら身だしなみを整えていると、ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

 

「……で、招待状は忘れておらぬだろうな?」

 

「はい、これですよね」

 

くいくいと指でまねく先輩に、折り目や汚れがつかないよう、大事に保管しておいた招待状を渡す。

先輩はそれを満足げに受け取ると、肺に空気をゆっくりと吸い込み、牙を見せながら口を開け、その招待状の入った封筒ごと。

 

「うお……!?」

 

──自慢の炎で、包んだ。

ただの紙を焼くには過剰なほど高温の、真っ赤な灼熱のドラゴンブレスに、それは為す術もなく焼き尽くされたかのように見えたけれど。

 

「くはは、驚くにはまだ早いぞ」

 

むしろ、先輩の手の中の便箋は、水を吸い上げるスポンジのように、纏う炎を吸い込み──そして、蛍のようにほのかな光を帯びて、風もないのに空中へと浮き上がる。

その封筒の中から、するりと便箋が這い出たかと思えば、二つの紙はひとりでに折りたたまれ、紙紐のように折り混ざってゆく。

呆然としながら、その様子を眺めていると、招待状はいつの間にか、二つの色が編み込まれて──これは、紙でできたリボンだろうか?

 

僕の周りを、羽ばたく蝶々のように、くるりくるりと回ると、やがて僕の胸元にぶつかるよう飛び込んで、糊もないのに張り付く。

そして、その紙紐は意思を持っているかのように、するすると淀みなく曲がりくねったかと思うと──やがて、お洒落な蝶ネクタイのように整形されて、動かなくなった。

 

「それは、家に帰るまでは解くでないぞ。正式に我から城へと招かれたことを証明する、通行許可証のようなものだからな」

 

ほへぇ、と間抜けな声を上げながら、元招待状の蝶ネクタイを、くいくい引っ張って弄ぶ。

どうやら、もう本当に動かなくなったらしい。

 

「与えてやった魔力を使い果たしたのだから、もう動かぬぞ。何だ、愛着でも持ったか?」

 

そんな僕の様子を見て、先輩は可笑しそうにからからと笑う。

もしかしたら、こういった形式の手紙は、魔界では当たり前なものなのだろうか。

つくづく、魔界というのは常識からして違う場所なんだなと、感心するばかりだった。

 

「……さて、いい時間だな。そろそろ向かうか」

 

ひとしきり笑った後、先輩はポケットから懐中時計を取り出しつつ言う。

僕も先輩に合わせて、部室の壁掛け時計を眺めると、針の位置はだいたい五時半といったところ。

 

「腹は空かせておいただろうな?どうせなら鱈腹食って帰るがよいぞ」

 

先輩は、銀のリングに繋げられた鍵束をじゃらつかせながら、不敵に笑ってそう言った。

そうだ、これから僕は城のホールに招かれて、宝石みたいな値段のものを食べさせてもらうのだ。

──そう考えると、急に緊張して、なんだかお腹の減り具合も分からなくなってしまう。

 

先輩は、やれやれと首を振りつつ、鍵束から一本の鍵──いや、鍵というよりは、ただの金の棒?波打つように曲線を描いてはいるが、おおよそ鍵穴に噛み合いそうな切れ目や突起は一つも見当たらない──を外し、手の中で器用に回転させて、手慰みにした。

 

そういえば、ここから先輩のお城とやらには、どうやって向かうのだろうか。

いつも先輩は、お付きのメイドさんに学校の送り迎えをしてもらっているから、家がどちらの方面なのかも分からない。

思い返せば僕は、先輩の家は写真ですら見たことがないのだ。

考えてみると、僕は先輩のプライベートのことについては、あまり知らないのかもしれない。

僕らは仲がいい方だとはいえ、ただの部活の先輩後輩同士なのだから、当たり前だといえば当たり前なのかもしれないが。

 

「……先輩の家って、お城なんですよね」

 

一応、自分の着ている制服に汚れがないか、確かめつつ聞く。

 

「実家はな。我は進学のこともあるから、この学校の近くに別宅を建てたが」

 

「ひええ、金持ち……。じゃあ、今回行くのは先輩のご実家なんですね。ちなみに、場所はどの辺りなんです?」

 

「魔王城下より二等外の……と言っても分からぬか。ともかく魔界だ。人の住む世界は狭いからな、城なんぞ建てるスペースがない」

 

「……てことは、やっぱり城って大きいんですか」

 

「ん……まあ、人間の家よりは大きいだろう」

 

気を紛らわせるために、先輩にあれこれ話しかけながら、うろうろと、手持ち無沙汰に、部室の中を歩き回る。

先輩はそれを見て、可笑しそうに笑いながら、僕の手を取って歩き出した。

 

「そんなに落ち着きを無くすほど気になるなら、とっとと向かってしまうか。言葉で伝えるより、実際に見た方が早いからな」

 

ばさりと翼を翻し、先輩は部室の扉を撫でる。

何かを確かめるように、縁を指でなぞったり、こんこんと指先で叩いてみたり。

 

「あ、はい……。でも、どうやって?」

 

だが──今から魔界に向かうと言ったって、本当に間に合うのだろうか?

ここから最寄りのゲートがある場所といえば、たぶん空港併設のあそこだろうけど──車で急いで向かっても、だいたい二時間くらいはかかるはずだ。

それに、人間界から魔界へ向かう時の手続きは、荷物検査などでそれなりに時間もかかる。

 

「決まっているだろう。こうやって、だ」

 

そんな僕の疑問を、鼻で笑い飛ばすかのように──先輩は、手に持った金の鍵を、部室の引き戸に突き刺した。

 

「え……!?」

 

どう見ても、サイズも何もかも合わない鍵だが、まるで誂えたかのように、その金の鍵はするりと鍵穴に潜り込む。

先輩はそのまま数秒、じっと待っていると──鍵穴の中で、どろりと金属が溶け始め、内側から浸食するように、扉そのものを変容させてゆく。

無骨な鉄とプラスチックでできた、学校の大量生産品の引き戸が、水たまりのなかに絵の具を落とした時のように、波紋を描きつつ、書き換わる。

 

節々に金細工があしらわれている、先輩の改造制服の文様に似た、シックな木目調の、重そうな扉。

四隅の縁まで、鍵が浸食し終えたところで──先輩は、ぐるりと右手を回し、鍵を開けて、堂々と、扉を開けた。

 

その奥から、ぶわりと流れ込む──人間界にはあるはずのない香り。

花のようでありながら、決してそうではない、不可思議だけれどいつまでも味わっていたい、嗅ぎ慣れない香りが届く。

 

ああ、いや、違う。

嗅ぎ覚えがない訳ではない、僕はこの匂いを知っている。

これは母上の城の庭で咲いたものだ、殺風景な部室には上等すぎるか──などと言いながら、いつか先輩が部室に飾っていた、あの花の匂いだ。

 

と、いうことは──

 

「これ……先輩の城へのゲートですか……!?」

 

「そうだ。いちいち公共のゲートを使うより、よっぽど手っ取り早かろう?」

 

当たり前のように、先輩は言う。

けれど──そんなの、一個人が行っていいことなのか?

それに、先輩が使っているその鍵は、一個人が扱っていいものなのか?

先輩の家が、超の字が五つはつくほどの大金持ちだということは知ってはいたが──いざこうして、その貴族っぷりを見せつけられると、思わず怖じ気づいてしまう。

 

「……何をぼさっと突っ立っている?とっとと来い」

 

先輩は、いつも通り偉ぶった態度をとってはいるが、その手つきはまるで、客人をエスコートする執事のよう。

袖を腕に通さず、外套のように羽織った制服をはためかせつつ、片手でドアを開けて僕を待ってくれている。

 

あの仕草もまた、貴族界におけるマナーの一つなのだろう。

どうしよう、僕も一応、ごく基本的な食事のマナーぐらいは目を通してきたけど、他には何にも知らないまま来てしまった。

いいのかな、先輩のご実家に顔を出す訳だけど、迷惑をかけてしまわないだろうか──と不安に思いつつ、先輩にせっかく誘ってもらったのだから、今更引き返す訳にもいかない。

 

ええいままよ、と先輩の懐に潜り込むと、マントのように羽織っただけの制服に、僕の身体は包まれた。

 

「わぷ」

 

「少し目を閉じていろ。空間移動の術式は、慣れないうちは酔うからな」

 

先輩は、道ばたの自動販売機と比べても、頭一つか二つ分は抜けて見えるほど、ドラゴンらしい大柄な体躯を持っている。

その分、先輩の制服も、寝るときに使う毛布ほどの大きさで、僕を簀巻きにするのにも十分使えるほど巨大だ。

 

先輩は、僕が酔ってしまわないように、それを僕の頭に掛け、視界を塞いでくれているのだろうけど──これでは視界どころか、身体まで覆われて動けない。

それに、このマントは先輩の体温が移っているのか、妙に生暖かくて、そして甘くてスモーキーな、深く優しい匂いがする。

 

ジャコウにも似た、大人っぽくてセクシーな香り、そして僕を抱き寄せる腕。

何よりも、側頭部に当たっている、マシュマロのようにふかふかで柔らかい、弾力のあるクッション質なもの。

空間移動の魔法とやらに酔うよりも、ずっと深く酔っ払ってしまいそうな状況に、僕は頭をくらくらさせて──

 

「よし、着いたぞ。……何を腑抜けた面をしている?」

 

突然に、ぱっと制服を剥ぎ取られ、ふと我に返る。

見上げた先輩の表情は、怪訝そうなものだったが──先輩はどうも、自分の顔の良さや魅力、そして距離の近さにどうも無頓着なところがある。

抗議の意味も込めつつ、こちらも負けじと眉間に皺を寄せて、怪訝に見えそうな顔をしつつ先輩の目を見つめ返したところで──突如ぶわりと、身体が浮きそうになるほどの突風が吹きすさんだ。

 

「うわ……!?」

 

「丁度参列者が到着する頃か。いい時間だったな」

 

驚いて上を見上げれば、まず頭上をかすめるように飛来するのが、翼の生えた馬に引かれて空を走る馬車の群れ。

そして、その更に上からゆっくりと降りる──山ほどの大きさを誇る飛行船、何やら青く輝く巨大な宝石の台座に乗って、宙を浮く城。

それらによって、夜空がみるみる埋め尽くされる様子を、思わず背をのけぞらせて見入る。

 

「で、でかっ……!?」

 

「ああ……司空官の城か」

 

しかし先輩は、それを見慣れた様子で一瞥すると、また手元に視線を落とし、ポケットから取り出した懐中時計を眺める。

 

「あれらは、そうだな……人間の世界で例えるなら、国や種族を代表して外交を行う、大使のようなもの、と言えば伝わるか。我らのように、特定の地域に腰を据え、代を受け継ぎながら統治するのではなく、他の種族と会談をするために魔界各地を飛び回ることが主な仕事であるから、ああして城を宙に浮かせた方が都合がいいのだ。任務が下れば、城の中で生活しながら、その方角へ飛んでゆけばいいのだからな」

 

「は、はぁ……」

 

自慢げになるでもなく、当たり前のことを話すかのように平坦に、先輩はこともなくそんな事を言うけれど、人間の僕にはにわかには信じがたい。

だって、目の前に堂々と飛んでいるあの飛行船は、当たり前にプロペラを回しながらゆっくりと着陸しているけれど──あんな巨大な塊を、ヘリコプターに付いているようなちっぽけな羽で、どうやって浮かせているんだろう?

 

やっぱり、魔族の人たちの技術や規模感を、こうして間近に見せつけられると、人間である僕はどうにも釘付けになってしまう。

あまりにも、人間と魔族では、保有するテクノロジーや文明、産業や物資の量に差がありすぎることを、自覚せざるを得ない。

 

そして、それらを問題なく受け入れられるほど、贅沢に広々と駐車場──いや、駐城場?駐船場?を作っていられる先輩の実家も。

ただ単純にお金を持っているだけでは、こんなに大規模で大仰なものを作れはしないだろうから、やはり国や王族と繋がるパイプを持っているのだろうなと、勝手に推測して怖じ気づく。

つまり、それが意味するところは──今から城に集まるのは、国の大使である貴族や、それ以上にやんごとなき血筋の方々ということで。

 

空をぼんやり眺めると、巨大な山の塊みたいなものが、次々と飛来してきては月を遮って影を落とす。

そしてそれらは、器用に方向転換や微妙な位置調整をしつつ、僕達の後ろに着陸して、中からぞろぞろと、ドレスを着込んだ貴婦人たちが溢れてくる。

 

かつかつと響くヒールの音と、鮮やかな蝶の羽のように、煌びやかだけれど上品なドレス。

そのどれもが、今から始まる貴族の社交界の豪奢さを示すように、僕を見蕩れさせてやまない。

吸血姫と思わしき貴族の女性が、側仕えのこれまた顔がよくてスタイルのいいメイドさんに引かれながら、ワインレッドの裾をひらめかせ、馬車の階段を降りるだけで、その場面からどうにも目が離せなくなる。

城から出てくる人々は、誰も彼もが先輩のように、近づきがたいほど高貴で美しくて、雰囲気からして人間なんかとは違う、圧倒的な蠱惑があって──

 

「……おい、何を突っ立っている」

 

──と、そうして僕が目線を奪われていると、後ろから機嫌悪そうに、先輩が眼を細めながら僕を問い詰める。

何やら怒っている様子ではあるが──そうか、確かにあの人たちは、先輩のパーティの参列者なのだ。

それを僕がじろじろ見つめて不快にさせたら、先輩の顔に泥を塗ることになってしまう。

僕は咳払いを一つして、すいませんと一言謝りつつ、目の保養になる景色を名残惜しく脳裏に焼き付けながら、地面に目線を落とした。

 

「ん……」

 

そして先輩は、自分のジャケットの内側に僕をしまい込むように、僕の肩をぎゅっと抱き寄せる。

目移りする恋人から目線を独占するような、強引な動きに心臓が跳ねるけれど、きっと先輩に他意は無く、ただ余計なことをするなと釘を刺しているだけなのだろう。

けれど、それでも憧れの先輩から、こんな恋人じみた事をされれば、どうしても意識せざるを得ない。

首に巻き付けられた腕の感触や、密着した身体の温かさや柔らかさ、そして濃密に香る先輩の匂いに、僕は一瞬、身体から重力が無くなったかのように、ふわりと浮き上がるような心地を覚える。

 

「全く、パーティが始まるまで、城の庭でも案内してやろうかと思ったのに、この節操なしめが……」

 

ぷいとそっぽを向いて、先輩はぶつくさと文句を言うけれど、あくまで僕を抱く手つきは、壊れ物を扱うかのように優しい。

その上、ただでさえ、大人と子供が並んでいると錯覚するほど僕と先輩の身長差は絶大で、おまけに先輩はどう見ても身体の半分以上を、その国宝級に長い脚が占めているため、歩幅は更に開いてしまうが──それでも、僕が歩くペースに合わせて、けれど不自然じゃなく、決して僕にそれを気取らせないように、ゆっくりと歩いてくれている。

 

その仕草は、どれもこれも紳士的。

女性からすれば、先輩はまさに理想的なデート相手だろう。

顔も下手な男性アイドルなんかよりよっぽどイケメンで、体格も女性的でありつつ筋肉もありがっしりと力強く、家柄や財力は言うまでも無い。

本当に、漫画に出てくるような、典型的な王子様のようだ。

きっとスパダリというのは、先輩みたいな人のことを言うのだろうなと思いつつ──先輩のスペックを理解すればするほど、彼女の住む世界の高さを思い知らされて、なんだか勝手に落ち込んでしまう。

先輩は、僕にそんな思いをさせるために、ここに呼んだのではないのだから、僕がへこむのもそれはそれで失礼だと分かっていても──僕という、何の取り柄もない平民が、こうして先輩に目を掛けてもらえる奇跡と、学校を卒業して、部活という縁が切れてしまえば、もう先輩にこうして構っては貰えないんだろうなという寂しさが、同時に僕を襲ってやまない。

 

「…………」

 

先輩は、そんな僕をちらりと見て、何か考え込むように顎に指を添え、一つ咳払いをする。

そして、僕の肩に添えた腕を、そわそわと戸惑うように、右往左往させてから──

 

「おや、ヴァンレッド卿ではございませんか。本日はパーティへの参加をお許しいただき、誠にありがとうございます」

 

何かをしようとしたのを、恭しく左腕を腹の前で曲げ、丁寧に一礼をする女性に遮られる。

一瞬、先輩は眼を細めて、目つきを鋭くするけれど──その女性を見た途端、眼を丸くして、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「ああ、ディムか、よく来てくれたな。それにしても久しい、しばらく見ぬ間に背が縮んだか?」

 

「ははは、それを言うなら卿の方が、また大きくなられたのでしょう。御身はドラゴンとは言え、普段何を食べていらっしゃるのですかな?」

 

二人は顔を見合わせて、嬉しそうな笑い声を上げる。

その、左に流した長髪で、左目だけを隠しつつ、その隠れた方の眼にのみ片眼鏡をかけているのが特徴的な、これまた長身の魔族と思わしき美女は──多分、先輩のお友達なのだろう。

 

「で、しばらく顔を見せなかった間は、何をしておったのだ?まあ、働き者のお前のことだ、休暇でない事は確かだろうが」

 

「ええ……ここ暫くは、天界と魔界を行ったり来たりでございました。卿も恐らくは、お耳にしていらっしゃると思いますが……まあ、力天使のリュミエル様と、少々お話する事がございまして」

 

「おお、お前もアレに関わっていたのか。……そうか、随分と苦労しただろう。そろそろ骨を休めたらどうだ、お前ならば、我が人間界への渡航許可証の便宜をはかってやってもよいぞ」

 

「どうせその後に、我の下に就くのなら、と続くのでしょう。……いい加減、本当に考えたくなってきましたよ。私が主君を裏切った時、匿ってくれると言うのなら、すぐにでも夜逃げしてやるんですがね」

 

「お前のは公務だろうが。魔王様に牙なんぞ剥けるか。……まあ、我の持っているリゾートホテルの部屋ぐらいであれば、使ってない時でいいなら貸してやるぞ」

 

気安い言葉を投げ掛け合い、二人は仲よさげに談笑をする。

二人は油断がないように、ぴんと背筋を立たせ、ビジネスライクな笑顔を浮かべてはいるものの──心の底から、慣れ親しんだ雰囲気が隠せていない。

きっとこのパーティの会場は、貴族の人にとっては、気を緩めて羽目を外すような場所ではなく、ある程度は仕事の場でもあるのだろうけれど、少なくとも今の二人の会話には、プライベートな感情が乗っている。

 

「……それで、卿。そろそろ私めも一つ、ご挨拶をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

二人が話している間、僕は邪魔にならないよう、先輩のジャケットの内側に入ったまま、彼女の背中の裏にいたのだが──会話の最中、ふと彼女の視線がこちらへ向いた。

モノクルの奥で、悪戯っぽくにんまりと細められた眼が、僕を射貫く。

あの先輩に負けず劣らず、この人もスタイルが良くて、何より殺人的に美人だ。

そんな人に見つめられて、少し萎縮しながら、僕は先輩の服の内側から抜け出した。

 

「ああ……そうだな、お前にも紹介しておこう。こいつは、人間界にある学び舎で、我の後輩として可愛がっている人間だ。まあ、仲良くしてやってくれ」

 

先輩に促されるがままに、眼鏡の女性の前に出て、とりあえず名を名乗って一礼する。

何をするにも、いちいちマナーとして間違っていないか不安で、貴族の人と関わるのは緊張する。

今の挨拶にも、何か失礼がなかっただろうかと彼女を見上げるが──いやににこにこと、初孫を見るような温かい眼を向けられていたので、一旦は胸をなで下ろした。

 

「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。私はマーディム・サンザヴォワール。剣爵の位を頂く、しがない下流貴族でございます」

 

それに対して、彼女の動きは一つ一つが洗練されていて、流麗だ。

一礼してから顔を上げて、握手するために腕を差し出すまでの一連の動作に、ほんの少しも淀みがなく、迷いもない。

やはり、何をするにもいちいち動きがキマっていて、格好がつく。

ただ名乗りを上げて、こちらに流し目を送るだけで、思わず眼を奪われるような華がある。

剣爵の名の通り、腰に下げた煌びやかな剣に、男性的な衣装の趣も相まって、まるで白馬の王子様だ。

 

「ディムは幼い頃から親交がある、いわゆる幼馴染みという奴だ。こいつは昔から、頭も切れるし剣の腕も立つ故、貴族の間でもエリートとしてよく名を挙げられるほど優秀な奴でな」

 

後ろから、僕の頭にぽんと手を置きながら、先輩が補足する。

──貴族社会というのは、凄まじいものだ。

どこを見ても、こんな高身長のイケメン女性しか居ないのだから、心臓が弱い人間はやっていけないだろう。

 

「はは……それほどではありませんよ、皆さんが買い被りすぎなのです」

 

マーディムさんは、照れくさそうに困り眉を見せながら、先輩の言葉を軽く否定する。

けれど、先輩の話そのものを誇張だと否定する素振りはないことから──多分、この人は話以上のエリートなのだろう。

 

けれど、彼女は平民の自分に向かって偉ぶることもなく、むしろ腰を低くして、僕に握手しようと腕を伸ばしてくれる。

先輩のように、圧倒的な王者の立ち居振る舞いとそのカリスマで、人々の心を掴み魅了する、ドラゴンとしての在り方とはまた違った、彼女の貴族としての魅力に、僕は早くも取り込まれそうになっていた。

 

そんな僕に、彼女はにこりと微笑みかけて、固く握手した手に追撃するように、もう片方の手をそっと僕の手に添えて。

ひたすらに甘いマスクに、これまた甘い声を添えて、僕に囁き込む。

 

「ですから、私のことはどうかお気軽に、ディムと呼んで下さい」

 

爛々と輝きを増す瞳が、間近で僕を覗き込む。

その視線は、汗で濡れた肌に抱きつかれるように、しっとりと官能的な感覚を全身に覚えるほど、不可思議な艶を帯びており、綺麗だ。

 

──室温に放置した氷が、表面に汗を垂らすように、じわりと腰骨が溶ける。

明らかに、何か魔力を宿した視線で、脳の奥の恋愛感情を、無理矢理こじ開けられるような気分。

一秒でも早く眼を離さないと、このままでは魂まで絡め取られて、彼女の言葉に盲目的に従うだけの傀儡にされてしまいそうなのに──そうして堕とされることが、気持ちよくて仕方が無い。

 

すぐに、足下すら覚束なくなる。

先輩の身体に寄りかかっていないと、立っているのも難しい。

普通、自分の身体がそうなったら、明らかに異常だとすぐに理解できるものだが──注意が全て、ディムさんの方に吸い取られて、自分の身体にすら意識を向けることができない。

 

「……ふふ♡では、ヴァンレッド様共々、このディムと、是非これからも、どうか仲良く──」

 

そんな僕を見て、ディムさんはくすりと笑う。

王子様のように格好良い彼女の、少女らしく可愛らしい微笑みに、僕はどうしようもなく心を奪われて、そのまま、ふらりと彼女の方に脚を踏み出す。

何故、何のためにそうするかも、分からないまま、ただディムさんに、近づきたくなって。

そうしたら、ディムさんもまた、僕を受け入れるように、両腕を広げてくれて──

 

「ディム」

 

──と、思考が乗っ取られかけたところに、先輩の声が響く。

それは、真冬に鳴る鐘のような、決して大きくはないけれど、冷たく一面に染み渡るような、有無を言わせない声だった。

 

それと同時に、ふらりと前に出る僕の肩を、先輩がぐいと抱き寄せて、その瞬間にはっきりと意識が冴え渡る。

驚いて先輩の顔を見上げれば、普段の獰猛なほど自信たっぷりな笑みは、ぱっと見は変わらないけれど、どこか酷薄な印象を抱かせるように、鋭く細められていて。

その瞳がこちらに向いた途端、茹だった頭に氷水をぶっかけられたように、すっきりを通り越して、背筋が冷えるほど冷静さを取り戻す。

 

それと同時に、思い出す。

僕は今、ディムさんに何をしようとしていた?

会って一言挨拶を交わし、少し握手しただけの相手に、我を忘れるほど魅了されて、意識もおぼつかないまま、抱きつこうとするなんて、どうかしている。

ここで先輩が止めてくれなかったら、僕は今頃、どうなっていただろうか。

一言ぴしゃりと呼び止めて、無理矢理にでも肩を掴み引き止めてくれた先輩に、僕は心から感謝する。

 

けれど──先輩は、その怒気すら孕んだ声を、僕でなくディムさんに向けた。

悪いのはどう考えても、勝手にディムさんの美しさに気を取られた僕なのだが、先輩に名前を呼ばれた彼女はと言えば──ほんのりと紅潮した頬を、いっぺんに血の気の引いた土気色にまで落として、顔中に冷や汗を浮かべている。

広げたままの腕は、凍てついたように固まっている上に、くっきりと鳥肌が立っていて、今にも震えだしてしまいそうだ。

そのうっとりと緩んだ頬も、口角を下げることも忘れて、口の端をひくつかせながら固まっており、もはやその態度には、先ほどまでの気安さなんてどこにもない。

必死に頭を回転させながら、命乞いのセリフを考えているとしか思えない慌てっぷりに、こちらまで恐ろしくなって──何を怒っているか知らないけれど、悪いのは僕なのだから、どうか許してあげてほしいと、言葉には出さないがそんな意図を込めて、先輩のジャケットの裾をくいくいと引いた。

 

先輩は、そんな僕の懇願を察したのか、眼を閉じてふうと一息吐くと、ディムさんに眼を合わせたまま、首元のところを無言で指さす。

ディムさんは、その仕草と僕の首元を見比べて──すぐに、先輩から貰った招待状と目が合って、はっとした表情で、慌てながら何やら弁明を始めた。

 

「……!これは、申し訳ありません、ヴァンレッド様……!お二人があまりに仲睦まじいものですから、私はてっきり、もう……」

 

「いや、よい。無理もないことだ、責めはせん」

 

ディムさんは、すっかり身体を縮こめて、平謝りだ。

それに対して先輩は、さっきまでの怒気を鎮めて、手で制しながらそれを受け入れている。

 

「元はと言えば、こいつがあまりに懐っこく、警戒心がないからいかんのだ」

 

そんな事を言いながら、くしゃくしゃと僕の頭を撫でる先輩の手は、ドラゴンらしくとても大きいけれど、柔らかくて温かい。

僕はそうして、先輩の服の裾を掴んだまま、黙って頭を撫でられるのを受け入れているので、先輩は気を良くしたのか、猫をあやすように顎の下にまで指を伸ばし、くりくりと愛撫を始めた。

 

しかし、他の人が見ている場所で、そんな飼い猫のような姿を晒すのはいくら何でも恥ずかしい。

僕はぶるぶると頭を振って抗議するが、二人の生温かい目線が止むことはなかった。

 

「……失礼ですが、これで、”まだ”なのですか?」

 

「”まだ”だ。……そんなに物欲しそうな目をしなくとも、時が来れば、ちゃんとお前にも連絡するよ。手伝いはいくらあっても足りんからな」

 

先ほどまでの剣呑な空気はどこへやら、二人はまた楽しそうに、主語も述語も足りない会話を繰り広げている。

それでも、二人はやはり、幼い頃から続くツーカーの仲なのだろう。

全て分かりきっているように、それ以上は何も言わず、ただ笑い合っている。

 

そして、それを眺める僕はと言えば──頭の上にハテナマークを浮かべて、突っ立っているしかない。

二人がツーカーの仲であることは分かったが、そのおかげで何に対しても説明がなく、結局さっきのいざこざが何だったのか、どうして仲直りしたのかも、ちっとも分からない。

 

「ご談笑中のところ失礼いたしますが、ヴァンレッド卿。そろそろ、お時間が」

 

結局、あれは何だったんですか。

痺れを切らして、直接そう聞こうとしたところで──突然、音もなく現れたメイドさんが、先輩のすぐ後ろから、そう囁いた。

眼を離した覚えもないのに、予兆なく空間を切り取ったように出現した、先輩に負けず劣らず大柄なメイドさんに、もう少しで悲鳴が出そうなほど驚くが、二人にとってはこれが日常なのだろうか、驚くどころか違和感を抱いている様子もなく、ただ受け入れている。

全くさっきから、魔界の常識というものには驚かされるばかりだ。

 

「ん……。二人とも、すまんな。また会場で会おう」

 

メイドさんから差し出された懐中時計を、ちらりと横目に流し見て、先輩は言う。

そして、そっとジャケットを羽織り直して、上着の内側にしまい込んでいた僕の身体を外に出し、少し早足でお城の方に向かっていった。

 

あ、と名残惜しげに声を漏らし、先輩の後ろ姿を追いすがる。

先輩のお城は見るからに馬鹿でかいから、案内もなしに置いて行かれると迷いそうで困る、という意味で追いかけたのだが──先輩はまるで、出かける主人を寂しげに見送る愛犬に、ひどく愛おしい目を向けるような、そんな表情で僕と目線を合わせるように屈み、そっと僕の頭をまた撫でた。

 

「折角連れてきたのに、案内できなくて悪いな。我は準備があるから、ここから先は、ディムに付いていくといい」

 

──もしかして先輩は、僕が寂しくなって付いてきたとでも思っているのだろうか。

この人はどうも、長命だからか知らないが、僕のことを過剰に子供扱いするきらいがある。

 

「ええ、もちろん承ります。ささ、どうぞこちらに」

 

後ろから追いかけてきたディムさんも、さすがに先輩のように気軽に僕の身体に触れたりはしないが、先輩とよく似た生温かい目でこちらを見てくる。

先輩はよく、千年も万年も生きている魔族にとって、十年やそこらしか生きていない人間は赤ん坊のようにしか見えないと言っているが──魔族というのは、皆そういう風に思うものなのだろうか。

 

だとすれば、なおのこと先輩への憧れは、成就しそうにないな──と、ため息を吐きそうになるのを、ぐっと堪える。

わざわざ案内のために付いてきて下さったディムさんに、心配や迷惑までかけるわけにはいかない。

気分が落ち込みそうになったところで、どうにか気持ちを切り替えるために──そういえば、さっきは結局、先輩と何でケンカをしていたんですか、とディムさんに雑談を持ちかけた。

 

「はい? ……ああ、招待状のことですか。先ほどは失礼致しました。こんなに間近で、父上以外の人間の殿方を見たのは、人生で初めてのことでして、つい舞い上がってしまい……いや、お恥ずかしい」

 

僕の言葉にそう答えつつ、眉を困らせ、頬を掻くディムさん。

結局、その何が失礼とされていたのか分かっていないから、聞いたのだけれど──と僕はますます首を傾げるが、その様子を見てディムさんは、目を細めてくすりと笑う。

 

「……ああ、もしや、その招待状の意味を、卿から伺ってはおりませんでしたか」

 

いやはや、卿もあれで、奥ゆかしいところがある──と、ディムさんは悪戯っぽい表情で呟くが、その目はどこか嬉しそうだ。

 

「申し訳ございませんが、卿ご本人が言いたがらないことですから、私が勝手にお教えすることはできかねます。すみませんが、後で彼女に聞いてあげて下さいませ」

 

もしかしたら、教えてくれないかもしれませんが。

そう付け加える彼女は、表情だけは申し訳なさそうにしているが、今にもスキップしそうなほど楽しそうだ。

 

「ただ、そうですね……どうせ会場でお気づきになるでしょうから、これだけはお伝えさせていただきましょう」

 

私が言ったということは、ヴァンレッド様には内緒ですよ。

ディムさんは、そう言いながら、ずいと僕の前に近寄る。

そして、服の襟元を少し緩め、見やすくしてから、真っ白な白磁の首元を指さして。

 

「ヴァンレッド様から招待状を賜ったお方は、この世界に、貴方一人だけですよ」

 

──そこに、僕と同じ蝶ネクタイがないことを、示した。

そう言われてみれば、確かにディムさんも、さっき遠くで飛行船から出てきた人も、この招待状で編まれたネクタイは着けていなかった。

先輩はこれを僕にくれた時、目立つところに着けていろ、家に帰るまでは勝手に取るなと言っていたのに。

 

その事実に、あの明朗で豪快な先輩が、隠し事なんかできるのかと、軽くズレた驚きを挟みつつ、首元のネクタイを弄る。

和紙ともコピー用紙とも違う、ザラつきつつも柔らかで、シルクのように滑らかな、不思議だけれど心地よい触感だ。

これもまた、例によって高級品なのだろう。

 

無心でそれを玩んでいるところを、やたら笑顔のディムさんに見守られたまま、大きな噴水に銅像、毒々しいやら華々しいやらな色をした花畑に生け垣を越えて、正門前の庭を横断する。

その間にぞろぞろと列をなしてすれ違うのは、誰も彼も、住む世界が180度違うであろう貴族の女性たち。

グラマラスなバストとヒップを、殺人的な腰のくびれで引き立てつつ、身体のラインがくっきりと出る豪奢なドレスに身を包む姿は、まるでレッドカーペットを歩く海外のセレブのよう。

いや、実際、ここに居るのは、そんなセレブなんて鼻で笑うような大金持ちの魔族ばかりなのだ。

 

──それに対して、僕といえば。

自分の着ている服を引っ張って、まじまじと見る。

まるで、白鳥の群れに混じったドブネズミだ。

心なしか、他の貴族の方々に後ろ指を指され、ひそひそ噂されているような気すらする。

 

どう見たって、僕の姿は場違いだ。

それでも──僕は確かに先輩から、直々に招待状を送られて、この場に立っているのだ。

僕は、主催者である先輩の顔に泥を塗らないよう、せめて堂々と、ディムさんに案内されるがまま歩いて行った。

 

そして、もうそろそろ着くだろう、という僕の予想を五度ほど裏切られた後に、ようやく城門が姿を現して、先輩のご実家が全容を現した。

山のようと表現したばかりだが、その威容をいざ前にしてみると、その表現はあながち誇張でもなく、見上げてみればきりがない。

首をどれだけ曲げても、頂点にあたる部分がどこにも見当たらず、遠すぎて雲の向こうでぼやけてしまっている。

なら端はどこだと見渡せば、駅前の区画一丁分はありそうなほど、よこにずらりとレンガの波が、それも繊細な彫刻付きで並んでいて、気が遠くなりそうだ。

 

──しかし、そんな情景にも、今の僕はどうも目がいかない。

胸元のこれに、今頃になって気を取られているのだ。

 

──これは、僕にだけ与えられた、先輩からのプレゼントだ。

先輩はこれを、僕にだけ、渡したんだ。

 

どうしてだろうか。

理由を考えるなら、まず単純に、僕は貴族ではなくただの人間だから、勝手に入った人じゃないと証明できるものがないと入れないとか。

あるいは、セキュリティとして魔界でよく使われている、魔力の波を測って個人を識別するシステムが人間相手には使えないから、先輩の魔力を貸してもらわないとそもそも門の中に入れないとか。

 

──それとも、もっと自惚れて、自分に都合が良いように解釈するならば。

 

「……さて、こちらの扉の奥が、パーティの会場でございます」

 

そうして考え事をしているうちに、隣に連れ添ってくれていたディムさんの脚が、突然ぴたりと止まる。

勝手知ったるといった風に、迷いなくここまで歩いてきたディムさんが、手のひらを向けて指しているのは、城と中庭を繋いでいる、入り口に当たる扉だ。

 

人間の常識で考えれば、この扉を開けたらまずは玄関となるエントランスがあって、その後でパーティ会場となるホールに、通路を渡って移動するのが普通だろう。

だって、そうでなければ──実家であるこのお城に帰ってきたら、先輩はその中にあるであろう、自室やリビングなんかに向かう時も、わざわざ千人でも二千人でも入る、だだっ広いホールを通っていかなければならないことになる。

そんな不便なことってあり得るのか、と思うけど──相手は魔族なのだから、多分、そういう事ではないのだろう。

 

「ヴァンレッド様の城館は、我々のような下級貴族に比べて、特別に広いものでございます。わざわざ歩いて移動していたら、端から端まで向かうのに、平気で一時間はかかりますから、扉と扉をワープゲートとして繋いでおき、瞬間的に移動させているんですよ」

 

その予想通り、扉を見上げてぼうっと突っ立っている僕に、ディムさんが解説してくれる。

要するに、お城の中限定で使える、どこでもドアみたいなものですね──と、僕に合わせて分かりやすく解説してくれているけれど、まさかこんな絵に描いたようなイケメン貴族様の口から、そんな俗っぽい単語が出るとは思わず、少し驚いた。

 

でも──考えてみれば、貴族の中でも特に高位の貴族である先輩も、初めて会った時から偉そうではあったけど、平民にも分け隔て無く、気楽に接してくれていた。

それは多分、先輩なりの礼儀というか、人間の世界の学校に来たのだから、郷に入らば郷に従えの精神で、こんな僕にも親しみやすいよう気を遣ってもらっていたのだろうけれど。

それでも、貴族という人たちは、平民である自分が考えているより、よっぽど普通の人だったりするのかな──なんて、希望的観測を抱かずにはいられない。

 

「ふふ……そうですよ。あのヴァンレッドのことですから、どうせこの立食パーティーも、ただの家の集まりだと仰っていたでしょう? でしたら、肩肘は張らず、そのように堂々としていらっしゃれば宜しいのですよ」

 

──そうして、一瞬だけ気を抜いたのを、見抜かれたのだろうか。

ディムさんは、微笑みを深くして、執事さんのように恭しく、僕を扉の前までエスコートしてくれる。

本当に、貴族というのは誰も彼も、一挙一動がキマりすぎていて困る。

 

ディムさんにそっと手を取られながら、考える。

本来は、この貴族の集まりにおいて、きっと僕なんて、路傍の小石にも満たない存在なのだろう。

それでも、僕がこの城からつまみ出されないのは、あの先輩が直々に招いてくれたからだ。

 

そういう意味では、僕の胸元に止まっている、この紙でできた蝶々は、何より雄弁に僕の立場を保証してくれている。

これがある事によって、今ディムさんがそうしてくれているように、きっと色んな人に気を遣わせてしまうのだろう。

当然だが、それは僕という個人が歓迎されている訳ではなく、先輩が貸してくれている虎の威に、他の方々が従っているに過ぎない。

 

それでも──これがあるなら、一応のところ、僕は先輩の招待客なのだ。

それならば、僕がただみすぼらしい平民だからといって、排斥されることはない。

むしろ、これを胸元に頂いておいて、下手に不安がり、おどおどとみっともない姿を見せるのは、むしろ先輩に迷惑がかかる。

 

「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、堂々とさせていただきます」

 

深呼吸の後、そう宣言した僕に、ディムさんはにっこりと破顔して、こくこくと何度も首を縦に動かす。

 

「……! ええ、ええ、是非に!」

 

心から嬉しそうに、にこにこと微笑みを浮かべながら、軽くぱちぱちと拍手してくれるディムさん。

その様子を見ていると、不思議と授業参観の母親を思い出す。

 

ともかく──ディムさんにはディムさんのやる事があるだろうから、ずっと一緒という訳にはいかないだろうが、入ってしばらく隣に居させてもらうことぐらいはできるだろう。

大丈夫、それなら多少緊張はしても、恐れたり怯えたりすることはない。

 

なにせ僕は、先輩の招待客なのだ。

その言葉を、何度も心の中で唱えながら、巨大な城門のような扉を、両腕で押して開く。

 

「……おや、流石に伯爵の生誕十万年記念パーティーですね。私のような田舎の下級貴族とは、全く規模が違う……」

 

そして──扉の向こうの景色に、僕は。

人前であることも忘れて、文字通りに、腰を抜かしたのだった。

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