ゲームや恋バナで盛り上がる、青春の時間。
そんな夜――同室の田口が、こんなことを言いだした。
「エロ談義しようぜ、エロ談義」
「なぁ、修学旅行最後の夜なんだしさ。何かみんなでやろうぜ」
最初にそう言ったのは田口だった。
──修学旅行の夜。
カードゲームを持ち寄ったり。
枕投げを敢行したり。
恋話で盛り上がったり。
そんなことで無為なコトを楽しむ、青春の縮図みたいな時間だ。
……僕たちの場合は、それは猥談タイムだったらしく。
満場一致で、そういう話を皆で語り合うことに決まった。
「じゃあ、俺から話すか。とっておきのエロい話があるんだぜ」
田口が、にやりと笑いながら言う。
どんな話なんだろう。寝ぼけ眼を擦る僕を横目に、彼はゆらりと語り出した。
◇
そうだな、あの話がいいか。俺が小学生時代に経験した話だ。
いや、経験したっていうか……。まあ、多分経験談ってことでいいんだろうけどな。
俺の小学生の頃のクラスメイトに、寺井秋春ってやつがいたんだ。
テラ井、なんて名前なのに凄く背が小さくてさ。学年で整列したときは大概一番前。みんなミリ井だのナノ井だの呼んでたよ。
……なんだよ、身長で弄るのは悪いことだって言いたいのか? あぁ、悪かったよ。でも小学生の頃ってみんなそんなもんだろ?
まあいいや、話を戻すぜ。
その寺井なんだけどな、これが凄いやつなんだよ。
背が小さくてすばしっこいんでな、物陰に隠れたりするのが得意だった。
それでもって、そいつが凄いエロガキでな。
俺達みたいな同学年の男子は黙ってたんだが、女子更衣室だとか女子トイレだとかに忍び込んで、覗きやら盗み聞きやら、色々悪さしてたわけだ。
ま、そうは言っても小学生だ。さほど問題にはならなかった。バレてなかったってのもあるんだろうけどな。
そんな寺井が、ある時俺のところにやって来てな。
「すごいものを見ちゃった」なんて言うんだよ。
そんなことを言われて、気にならない小学生男子はいない。俺だってそうだった。
俺は寺井にその話について詳しく言うように言ったよ。「いつもみたいに話してみろ」って。
あぁ、いつもみたいにっつってもわからねえよな。
寺井のやつがやってる覗きみたいな所業を俺たち同級生が黙ってた理由なんだけどさ。
あいつ、見たことをこっそり俺たちに教えてくれるんだよ。
誰の下着の色がどうだっただの、誰の胸がでかいだの、誰が誰のことを好きだって言ってただの、な。
普通じゃ入ってこない情報なもんだから、みんな知りたいわけだ。
そういうわけで、寺井のやつの所業は共犯みたいな形で公然の秘密になってた。
小学生だからって子供じゃないってわけだ。先公たちだって、クラスの半分が集団で隠し通してちゃ知る由もない。結局、卒業までバレなかったからな。
ああ、悪い悪い。その話の内容だな。
俺はどきどきしながらあいつの言葉を待った。わざわざ皆を集めるでもなく俺の所に来るんだから、きっと何か凄いことだろうって思ったよ。
それがな、あいつの話が始まってすぐ、俺は唖然としたんだ。
あいつ、「裸の女の子を見た」なんて言うんだよ。
そりゃ当然だろ? だって、更衣室だのに潜り込んでるんだぜ?
まあ裸ってのは確かに珍しいけど、その時期は夏だったしな。俺はプールの授業のために水着にでも着替えてたんだろ、って思った。
んで、言ってやった。そんなことが珍しいのかよ、ってな。
「違うんだ、違うんだよ」
寺井のやつ、そんなことを声を荒げて言うもんだから俺びっくりしちゃってさ。
「じゃあ、なにが凄いんだよ、言ってみろよ」
売り言葉に買い言葉、ってヤツだな。ついついイライラしながら言ったんだ。
そうしたらあいつ、なんて言ったと思う?
あぁ、いや、当てさせたいわけじゃないんだけどな。っていうか、俺も当てられなかったし。
あいつな、こう言ったんだよ。
「更衣室に、裸で入ってきて、そのまま裸で出て行ったんだよ」
まあ、当然耳を疑ったね。
その時は俺も小学生だ。裸族だの露出狂だのってワードは知りもしないわけでな。
疑問に思った。なんでだろうって。不思議だなってな。
それと同じくらい、こうも思った。
――見てみたい、ってな。
だってそうだろ? 裸で出てったってんなら、そりゃ外に出た瞬間だって裸のままなわけで。
わざわざ忍び込まなくたって、堂々と更衣室の入り口で偶然出会っちまったふりをすりゃいいんだもんな。
いや、まあ、わかる。わかるぜ。そう考えて更衣室の前で出待ちしてるヤツ、そりゃ不審だ。
俺は馬鹿な小学生だったからよく考えなかったけど、今考えりゃもっといい方法はあっただろうな。
……まあ、そんなわけで。それから数日くらいはずっとそのことが頭から離れなかった。
なんでか知らないが、寺井のやつはそのことを俺以外には言ってなかったみたいで、更衣室の周りを頻繁にうろうろするようになったのはクラス中で俺だけだった。
幸いなことに、先公には不審がられなかったみたいで何も言われなかったよ。ラッキーってのはあるもんだよな。
……それで終わりかって? いや、こっからが話の肝だ。
寺井のやつからその話を聞いて……一週間くらい経ったころだったっけな。
その日は五時間授業でな。みんなも早く帰れる日だった。
今じゃ集団下校ってのは一般的になってるもんだけど、俺の母校はその辺古臭い形式でな。
一人ひとり、帰る準備が終わったやつから帰る、ってことになってた。
俺は、ゆっくり帰る支度をした。
特別なことはない、あの話が気になって気になって仕方がなかったんだよ。
毎日見続けてもダメだったんで、もしかしたら人がいない時間に行けばいるかも、って思ったわけだ。
安直なもんだろ? まあでも、それが功を奏したんだ。
俺は、一人になった時間帯を見計らって、女子更衣室に忍び込んだ。
授業は全部終わってるし、部活も全部休みの日だったから、もちろん中には誰もいない。
中の間取りはほとんど男子更衣室を鏡映しにしたみたいな形で、一角には使い古された掃除ロッカーも置いてあった。
たぶん、寺井のやつはああいうところに隠れてるんだろうなって思ったな。
ん、なんでそんなに冷静なんだって?
ほら、あるだろ。掃除で入る女子トイレみたいなもんだ。誰も来ないのが分かってりゃ感慨も何もない。
それでも見つかったら怒られるんだろうけど、その時は何故か妙に冷静だったよ。
きょろりきょろり、周りを見渡した。
っつっても、人もいなけりゃ何か置いてるわけでもない。男子更衣室と違う場所もほとんどないわけで。
俺は溜息を吐いて、踵を返した。骨折り損だ、なんて思いながらな。
その時だったよ。がらりと、扉が開いたんだ。
――綺麗だった。
白くて。滑らかで。血管が薄く透き通るような肌。
その後ろで、黒くて長い、それでいて纏まった髪は、影みたいにゆらゆらと蠢いていて。
所々が骨張った身体の細い輪郭が、まるで周りの風景から浮き出るみたいに見えた。
そうだ。立ってたんだよ。扉の向こうに、例の女の子が。
小学生、くらいだろうな。俺と同じくらいの。
俺は息を呑んだ。あぁ、なるほど、寺井のやつがあれだけ慌てるわけだ。
薄幸の美少女、っつうんだろうな、一般的にはああいうのを。
くすりくすりと、そいつは俺の方を見ながら笑ってた。
……笑いながら、口を開いたんだ。
「ふたりめ、いらして、からからと」
それは……歌、だった。
わらべ歌、って言うんだろうな。ああいうのは。聴いたことはない歌だったけど、多分そうだ。
驚くほど綺麗な声だったよ。あれ以上の声にゃ、もう出会えないんだろうなってくらい。
「そろえて、ならべて――」
くるり、とその女の子は踊るように一回転した。
美。言っちまえば、そう例えるのが一番分かりやすいんだろうな。
モナ・リザだとかダビデ像だとか、そういうもんを見てるような感覚。
……学がありゃあ、もうちょっといい例えが出来るのかもな。俺にはこれ以上は無理だ。
そんな感じで、妙に冷静なままだったんだけどな。その子がこう言うまでは。
「――どうしたの?」
その時は俺も心臓が縮み上がるかと思ったね。
なんて言うんだろうな。傍若無人に振舞うヤツに突然心配されたみたいな。
……あぁ、そうそう。檻の中から話しかけられたみたいな気持ちだったよ。
なんでだろうな。同じ場所にいたはずなのに、どこか隔てられたものを見てたようだったんだ。
それが、その一言でぐるりと真逆に捻じ曲がったような感じだった。
檻の中にいる獅子を見ていたら、気づいた時には檻の中にいた、みたいな。
気付いたら、全身から汗が噴き出してた。血の気が引くってのは、ああいうのを言うんだろうぜ。
「待ってたんでしょう? 私を。知ってるよ、ずっと見ていたもの」
そう言って、その子はからからと笑った。
笑いながら、俺の方に歩を進め始めたんだ。
何か応え返そうかとも思ったよ。でもな、声が出ないんだ。
口の中の水分が全部飛んじまったみたいでさ。喉の奥から空気を絞り出すのが精いっぱいで。
かといって、身体も緊張で強張ってるみたいに動かなくて。
「ッ、ぁ――」
「ふふ、ふふふ、ふふふふふっ。あははははっ」
ひたり、ひたりと近づいてくる。
一歩。
一歩。
また、一歩。
その子が足を進める度に、周りの空気がぞわっと逆立つような感じがした。
「おかしいね。声が出ないの? かわいそうに」
気付いた時には、もう目と鼻の先に、その女の子の顔があった。
吐息が顔に触れるくらいの距離。その子は、それでも笑みを崩さなかった。
「じゃあ、こうすれば楽になるかな」
不意に、その子の指が俺の顔に触れた。
華奢で冷たい、白くて細い指だった。
顎から耳を撫でるみたいに、するりとその手が伸びていく。
「ひッ!?」
「ふふ。動いちゃだめだからね」
こめかみのあたりを通って、額にまで、その細い指が伝った時だっただろうか。
その少女が、不気味に笑ったような気がして。
「おやすみ、また会うことがないといいね」
――俺の意識は、暗闇に落ちた。その一端に、女の子の笑い声だけを残して。
……気が付いた時には、もう誰もいなかった。
白昼夢か、それとも俺の妄想が暴走でもしたのかなって最初は思った。
でも、それにしては俺の服はおかしいほど汗に濡れていたし。
俺が立っていたのは、相も変わらず女子更衣室の中だった。
結局、その日はそのまま家に帰ったよ。
もう、翌日からは女子更衣室前で出待ちもしなくなってた。
でもな、今でも思い出すんだよ。その女の子の笑い声と、真っ白な身体を――。
◇
「ホラーじゃん?」
田口がドヤ顔混じりで語り終えると同時に、小島が真顔でそう言った。
「違うんだって。俺が口下手なのはそうだけど……さぁ!」
「いや、それを加味してもホラーじゃん?」
田口がろくろを回しながら、小島に突っかかり始める。
結局、田口がゴネ続けているので、小島以外の周りも呆れて寝始めてしまった。
正直眠気が限界だったので、僕もそれに乗じて寝てしまうことにした。
布団に潜って、目を閉じる。
その子の声がどれだけ綺麗だったかは僕には知る由もないことだし。
その子の身体がどれだけ綺麗だったかは僕には知る由もないことだけれど。
……一度、会ってみたいな。少しだけ。
布団に潜りながら遠のく意識の中、僕はぼんやりとそんなことを思ったのだった。