咲夜編其一
「……ん」
ふと、目が覚める。なんだかずいぶん寝てしまったようだ。いつもの早朝訓練の時間に起きれなかった。疲れていたのか?
「まぁいい。今日は仕事休みだし、もう少し寝るか」
だが、もう既に起きてしまったせいか、眠れそうになかった。仕方ない。起きるか
「…」
私は立ち上がり、ふと机に置いておいた手紙に視線を向ける。零士が呉から帰ってきた時に受け取った雪蓮の手紙だ
内容の半分は、零士との惚気と言う名の自慢話だった。だが、もう半分は、呉で起きた事件の内容だった。孫堅さんの死の真相、張譲の出現、そして零士が雪蓮を庇い毒矢を受けた事。その事に関しては、文面でもわかるくらい、謝罪の気持ちが伝わってきた。だが私は、そんな事よりも零士が矢を弾き損ねた事に違和感を覚えた。あいつは、そんな失敗しないはずだと。しばらく思案する。すると一つの答えが浮上した。あいつは、あいつの左眼は、もうほとんど見えていないのではないだろうか。あの日、私が原因で負った傷のせいで…
「…とりあえず、飯でも食うか」
私は考える事をやめ、台所へ目指す。これは仮定でしかない。そんな事を考え始めてもキリがない。体力の無駄だ
「おはよー」
私は『晋』とはまた別にある、家の台所の扉を開ける。朝食は皆、基本はここで済ませる。月が料理をするようになってからは、自然と月が朝食当番になった。月の料理は美味しいからな
「やぁ咲ちゃん、おはよう。今日はずいぶんゆっくりだね」
だが台所で待っていたのは、月ではなく零士だった。先ほどまでこいつの事を考えていた分、少し驚いてしまった
「ん?月はどうした?」
「月ちゃんなら、今日は朝早くから出かけちゃったよ。ちなみに詠ちゃんも一緒に行った」
月と詠が?そんな話は聞いていなかったが…
「まぁいい。今日の朝食はお前が?」
「いや、月ちゃんが作ってくれたよ。今温めるね。なにか飲むかい?」
「珈琲」
「ん」
零士は立ち上がり、料理を温め始めた。それと同時に、珈琲も用意する。別段、何不自由なく用意していく。やはり、考え過ぎなのだろうか
「お待たせ。さぁ、食べようか」
「ん?お前、まだ食ってなかったのか?」
「うん。咲ちゃんを待ってたからね」
「私を?」
珍しい事もあるもんだな
「あぁ。今日は何か予定はあるかい?よかったら、今日一日付き合ってくれると嬉しいんだが」
零士は一言そう告げ、そして朝食を取り始めた
零士が私を?本当に珍しい。こいつはこんな事を言う奴じゃないんだが…まぁいい。嬉しいと思った気持ちもある。それに、今日は…
†††††
「悪い、待たせたか?」
「いや、そんな事ないよ」
私たちはそれぞれ家の前で待ち合わせた。だが、思った以上に服に迷ってしまい、結構時間を食ってしまった。散々悩んだ末、今日は零士がずいぶん前に贈ってくれた和服というものを着ることにした
「お!今日は和服か。やはり似合っているね」
「そ、そうか」
私は顔が熱くなるのを感じ、視線を逸らした。どうやら私の選択は間違ってなかったらしい
「つ、付き合って欲しいとの事だったが、どこか行きたいとこはあるのか?」
私は照れているのを誤魔化すように、話題を振る。今日は零士の用事に付き合うって話だしな
「あぁ、僕の用事はまだいいんだ。だから、もし咲ちゃんが行きたいとこがあれば、付き合うよ」
ん?誘っておいてなんだそれは。ずいぶん適当だな。こういう時は、男が引っ張って欲しいとこだが…
「はぁ…まぁいい。じゃあとりあえず、行きつけの饅頭屋に行くか。そこで決めよう」
私たちは饅頭屋を目指し歩きだす。今日の零士の服はスーツ。旅の間はずっとこれを着ていたな。バーテンダー服も悪くないが、私はこちらの方が好みだ。スーツの方が、こいつらしい
「お!司馬懿さんいらっしゃい!今日は東さんも一緒かい?」
饅頭屋に辿り着くと、馴染みの店主が話しかけてくれた
「やぁ店主。咲ちゃんがいつもお世話になっています」
おい。その言い方だと、私はお前の子どもみたいじゃないか
「いいってことよ!こちとら司馬懿さんは大事な常連さんだしな!」
「へぇ。そんなに来ているんだ」
「この街に来てからだから、もう四年くらいの付き合いだな。ほぼ毎日通ってるぜ」
「それは凄いね」
四年の付き合いだが、ここの饅頭の味に飽きは来ない。甘さ絶妙な素晴らしい饅頭だ
「あら咲夜ちゃん、いらっしゃい。おや、東さんもいるじゃないか!今日は二人でお出かけかい?」
奥からひょっこりと、饅頭屋の奥さんが顔を出した。この人にも、相談に乗ってくれたりと、かなり世話になっている。信用もしているから真名も既に預けている。母親のいない私にとっては、母に代わるような人だ
「こんにちは綾乃<あやの>さん」
綾乃さんというのは、奥さんの真名だ。ちなみに奥さんの名は鄧艾というらしい
「こんにちは。はい、今日は二人でお出かけなんですよ」
「あら!よかったじゃないか咲夜ちゃん!」
綾乃さんは私の肩をバシバシ叩きながら笑っていた。実はこれ、結構痛い。綾乃さんは元軍人らしいからな。力が半端なく強い
それからしばらく、特に予定を決めるでもなく、饅頭屋の人達と談笑してしまった。私自身も楽しかったからいいんだがな…
「おっと、ずいぶん長居してしまったね。そろそろ行こうか」
零士も長居してしまったことに気付いたのか、私に手を差し伸べながら立ち上がった
「あらやだ私ったら!ごめんね咲夜ちゃん。せっかくの二人の時間を…」
「あ、綾乃さん!いいですから!それより、これからどこに行く?」
私は零士の手を取り立ち上がる
「んー…まだ時間には早いしなぁ…」
時間?なんの話だ?
「街を歩くだけでも、なかなか有意義に過ごせるよ!あんた達が来てから、この街はずいぶん住みやすくなったからね」
綾乃さんが提案してくれた。私たちは関係ないと思うが、確かに以前に比べて活気付いている。華琳の頑張りが目に見えるな……おっと!そうだった
「聞いたぞ零士。お前、詠に髪留めをあげたらしいな」
私は以前詠が話していたことを思い出す。すると零士は、まずい、といった表情になった
「あー、うん。確かに贈ったね」
「私には、なにもないのか?」
私は少し意地悪く言ってみる。実はこいつ、押せば簡単に折れる
「わかったわかった。君の好きなものを買いに行こう」
「は!そうこなくっちゃな!」
私は指を鳴らし、喜びを表してみる。零士はため息をついているがな
「ん?司馬懿さんがずいぶんご機嫌だね」
「女の子にはいろいろあるのよ!」
「お前は女の子って歳じゃ…」ボソッ
ドゴーン
「さぁ!あんたら二人はお行き。咲夜ちゃん、しっかりやんなさいよ!」
「は、はい!」
私は、綾乃さんの拳で黙らされた店主を見て元気よく答える。間違いなく、この街で怒らしてはいけない人の上位に入るだろう
†††††
「い、いやー、奥さん凄い人だね」
饅頭屋を出てしばらく歩くと、零士が笑顔を引きつらせながら言った。流石の零士も、綾乃さんにはビビったらしい
「普段は面倒見のいい人なんだけどな。さて、零士、覚悟しろよ。財布の準備は万全か?」
「お手柔らかに頼むよ」
なんか、楽しくなってきたな。あまり自分が主導権を握る事はないんだが、今日ばかりは零士を振り回してやる
私たちは街を歩き、装飾品や置物、服など、いろいろな物を見て行った。思えば零士とこうして普通に街を歩くのは初めてかもしれない。妙に新鮮な気がした。それに…
「この辺は賑わってるせいか、人が多いね。咲ちゃん、はぐれないように手を繋ごう」
「お、おう」
今日はなんだか、いつもより距離が近い気がした。手を繋ごうなんて、今までなかったよな?う、少し緊張するな。零士の手、大きい…
「うーん…ちょっと人が多過ぎる。咲ちゃんこっちだ」
「お、おい!」
私は零士に引っ張られ、裏路地に入っていく。……って、しまった!この辺は…
「ありゃありゃーん?こんなところに男女が一組…手まで繋いじゃって仲良しだこと」
でたよチンピラ…わかってたけどさ…
「女マジやべぇ!ボンキュッボンな上玉じゃん!食っちゃおーぜ!」
「ウホッ!俺好みのいい男!やらないか?」
約一名、変な奴が混じってるな
「咲ちゃん、たまには僕が相手するよ」
「ん?いいのか?お前の貞操の危機だぞ?」
「はは。気をつけるよ」
零士が悠々と私の前に守るように立った
「おーおー、女守るたぁかっこいアベシ!!」
「一人でなにがウワラバ!!」
「やはりイイ男!アッー!!」
零士は一瞬で三人を叩きのめした。こういう輩は、まだまだ絶えないな。そして零士は、何事もなかったかのようにそいつらを踏みつけてこちらに近づいてきた
「行こうか」
「そうだな」
†††††
時は夕刻となり、陽が傾き始めた。空は茜色に染まり、少しずつ暗くなりつつある。ずいぶんと、遊んでしまったようだ。そういえば…
「おい、お前の用事はよかったのか?」
今日はもともと、こいつが用があるというから付き合ったのだが、結果として私が連れ回してしまった。大丈夫なのだろうか
「あぁ、そろそろいい時間だね。咲ちゃん、少しついて来てくれるかい?」
「ん?あぁいいが…」
私は零士について行く。すると思ってもみなかったところに辿り着いた。城の前だ
「城がどうかしたのか?」
「ふふ、ちょっと失礼」
「な!?」
私は零士に抱きかかえられてしまった。ななな、何をする気だ!顔が近い!
「ちょっと飛ぶよ。よっ!」
「は?飛ぶって…きゃーっ!」
零士は私を抱えたまま大きく飛び、城の一番高い屋根に着地した
「おい!一体なんのつもりだ!」
「はは。落ち着きなよ咲ちゃん。落ちるよ?」
言われてハッとする。私はまだ零士に抱きかかえられたままだ。ここで暴れたらどうなるかわからない
「チッ!ならさっさと降ろせ」
悪い気分じゃないが、やはり恥ずかしい。鼓動が鳴り止まない
「その前に、ここからの景色はどうだい?」
「景色だぁ?そんなもの………」
一瞬で目を奪われた。私の視界に映った世界は、言葉にするには難しいほど美しい光景が広がっていた。太陽は既に沈んでいるにもかかわらず、地平線に薄く広がる茜色と、少し明るめの夜空が上手く重なり合っていた。本当に…
「綺麗だ…」
私は思わず声に出して呟く。すると零士が話し始めた
「この現象は、マジックアワーと言ってね。陽が沈み切るほんの僅かな時間でしか見れないものなんだ」
「お前、こんな景色を知っていたのか?」
「いや、僕もここまで綺麗に見えるとは思わなかったよ。高いところに来たら見えるだろうとは思ってたけどね」
それでここか。零士の癖に、ずいぶん味な真似するじゃないか
「気に入ったかい?」
「あぁ、悪くないな」
だが、一人でこの景色を見ようとは思わない。ここには零士と来て初めて意味を持つ。そんな気がした
†††††
それからしばらくして、私と零士は家に帰っていった。その間会話はなかったが、いつものことではあるし、なによりもその時間がたまらなく心地よかった
「ん?なんで店に来たんだ?」
私たちは家の入り口ではなく、店の入り口の前にやって来た。別に、ここからでも入れるが、何故わざわざ?
「僕の目的地はここだからね。さぁ、入った入った!」
はぁ?目的地って、さっきの景色じゃなかったのか?
「あぁ?……まぁ、入るけど…」
私は店の扉を開ける為に手を取る。そして開けると…
パァンパァン!
「お誕生日、おめでとー!!」
「………は?」
店に入ると、クラッカーの破裂音と共に悠里、月、詠、恋が出迎えてきた。え?一体どうなってるんだ?
「咲夜姉さん、誕生日おめでとー!」
「おめでとうございます咲夜さん!」
「おめでとう!咲夜、二十歳になるんだってね?」
「…おめでとう」
突然の事で、少し頭がついて行かない。誕生日……ハッ!そうだ、今日は私の誕生日だ
「おめでとう咲ちゃん。びっくりしたかい?」
いや、今日の朝までは確かに覚えていた。だが、零士と付き合っているうちに忘れてしまっていた……まさか!
「おい!まさか零士、これを仕込むためにわざわざ?」
「案を出したのは悠里ちゃんだけどね。僕は時間稼ぎさ」
零士は片目を閉じて、悠里の方を見た。悠里はぺロっと舌を出し、してやったりといった表情をしていた
「へっへー!驚かせてやりたかったんですよねー!」
「ふふ、大成功ですね」
そうか。だからこいつら、朝から見なかったのか…
「チッ!やられたな…」
私は涙が零れそうになるのを我慢する。本当に嬉しかったからだ。今日は誕生日、だがそれよりも、私にとって忘れられない日でもある。それでも、こいつらは楽しい思い出にしようと色々仕込んでくれた。それがたまらなく嬉しかった…
「咲夜!ボケっとしてないで、こっちに来なさい!今日はあんたの好きな料理をいっぱい作ったんだから!」
「…咲夜、一緒に食べる」
私は皆に連れられ、料理が並ぶ机に座らされた
「凄いな。これ全部お前らが?」
詠の言う通り、並べられている料理は全て私の好物だ
「とーぜん!」
「頑張りました」
「味は保証するわよ」
「…食べて、咲夜」
「あぁ。いただきます…」
私は皆が作ってくれた料理を食べ始める。それは今まで食べてきた料理の中で最も、美味しいものだった…
その後、それぞれから贈り物を貰った。悠里からは孤児院の皆で用意した花束と悠里個人が用意した前から欲しかった本と筆記用具、月と詠からは新しい調理器具と茶碗などなど、そして恋からは小さい犬の人形が括り付けてある紐をもらった。本当に、いつの間に用意したんだろうな。どの品も、本当に嬉しいものばかりだった
†††††
誕生日会を終え、皆が店で寝静まった頃、私は一人起き上がり、外に出た。すると店の外の、普段恋が寝ているソファに、零士が座っていた
「ん?起きたのかい?」
「お前こそ、ここで何をしているんだ?」
「いやなに、特に意味なんてないんだけどね。なんとなく、星空を見たくなったんだ」
「そうか。隣いいか?」
私は零士が頷いたのを確認し隣に座る。こいつの隣は、不思議と落ち着くな
「君と出会って、もう六年か。早いものだね」
「そうだな…」
そう。今日は私の誕生日。そして私の両親を失った日であり、零士と出会った日でもある。
だから、忘れるわけはないのだ
「なぁ」
「なんだい?」
私は、ずっと気になっていた事を聞いてみることにした
「お前、左眼はどれくらい見えている?」
沈黙。だがそれが答えなのかもしれない。やはりもう、見えていないのか。すると零士が話し始めた
「雪蓮ちゃんだね?あの日、僕は矢を弾き損ねた。左眼が、もうほとんど見えていなかったんだ。自分でもびっくりしたよ。まさかこれ程とはってね」
「あ…わ、悪い…」
「咲ちゃんが謝る事なんてないだろ?」
零士は笑ってくれているが、私にはそれが辛かった
「いや、これは私の責任だ。私のせいで、お前の眼は…」
こいつと出会ったのは、六年前の今日
そして私がこいつと共に生きると誓ったのは四年前
『晋』を立ち上げる前の、二年間の旅の話………