何も考えずに、ただ笑い合っていた昔の日。きっと楽しかった初詣。
新年を迎えて、『姉』や両親と顔を合わせて、"あけましておめでとう"を交換した。
外は寒かったけれど、家族といれば暖かい。
指先は凍えそうだったけど、手を繋いでいれば震えなかった。
……お参りのために水で手を清めるのは辛かったし、ガラガラと鈴を鳴らすのは少し疲れたけれど。
けれど、苦ではなかったと思う。
だって、その後に食べたおしるこがとても美味しかったから。
暖かくて、甘くて――。
こういうものが"幸せ"なのだと、無邪気に笑う事ができたから……それで良かった。
それだけで良かった。
石畳の表面を、数え切れないほど多くの声が叩く。
老若男女、種を問わず。
活気に満ちた新年を祝う熱気が立ち昇っていた。
華美な装飾もさることながら、何よりも人、人、人。
神社の境内にある道とて決して狭くはないはずなのに、それでも収まりきらない人の数。
普段、足を踏み出せばコツリコツリと硬質な音を鳴らしてくれる筈だった青い靴も、この場に於いては力不足だ。
鳴らした靴音は雑踏に圧し潰され、掻き消されてしまう。
けれど、そんな些事を気にする余裕もない。
ファインドフィートはくらくらと酔いそうになる額を押さえつけ、友人達に追従した。
そうしていれば弱った四肢に活力が籠もる気がしたからだ。
実際にミホノブルボンの直ぐ側に寄り添っていれば、俯きそうになっていた頭も耳もピンと立つほど元気になった。だからきっと間違いではなかったのだ。
茶色のコートの後ろ側――尻の部分に開いた尻尾通しの穴が拡がるのに、そう時間はかからないだろう。
「ここが……神社ですか」
「こ、今年もすごい活気だね……!」
「はぐれないように注意しませんと……。
特にテイオー」
「迷う訳ないよ!?
ボクを何だと思ってるのさ!!」
「それはまぁ……ええ、アレですわよ」
「マックイーン!?」
──女三人集まれば姦しいとはよく言うけれど、トウカイテイオーとメジロマックイーンの場合はたった二人でも十分らしい。
彼女等の活力を分けてもらいつつ、"なるほどなぁ"と大きく頷いた。
ファインドフィートは賢い故に、こうやって新たな知識を不足なく取り込めるのだ。
しかし間違った知識を飲み込む事も良くある。
次回の国語のテストの点数はズタボロになっているかもしれない。
「まったくもぉー!
ほら、神社に来たんだからやる事あるでしょ!」
「やること……?
あっ、たい焼きのお店ありますよテイオーさん」
「………!
たい焼き、カロリー、検索……。
──ヨシ、問題ありませんわ!行きますわよ!」
「ああ~!手を引っ張らないでヨー!」
「……あ、あっちにはハシマキがあるよ……!珍しいね!」
「ハシマキ……。
西日本、九州地方発祥とされる粉物料理の事ですね。
薄く伸ばした生地を割り箸に巻きつけている形状により、タスク『食べ歩き』に適しているようです」
颯爽と駆け出したメジロマックイーン。引き摺られていったトウカイテイオー。
そんな彼女等とは我関せずに口を開く
とりあえず三人行動のまま動き回り、通路を挟んで並ぶ露店の一つ一つを覗く。
そしてすぐ隣で多様なうんちくを垂れ流すミホノブルボンの口へと目掛け、購入した品々を突き込んでいくファインドフィート。
それを嫌がるでもなく恥ずかしがるでもなく、進んで口を開く様やピコピコ動く耳も相まって犬みたいだった。尻尾も機嫌良く大きく揺れている。
ライスシャワーはそんな彼女等の後ろ姿を、困惑を浮かべて見守るばかり。
"ライスさんもどうですか?"と振り返る彼女のお誘いになんと答えればいいのだろうか?
手渡されたハシマキをどう扱えばいいのか?
期待の色──らしきものを浮かべたミホノブルボンへの対応をどうすべきなのか?
気弱な彼女には何も分からなかった。
──そして、そんな彼女等の姿を尻目にあちらこちらの露店を渡り歩く芦毛のウマ娘がひとり。
「りんご飴、カステラ、綿あめ、たい焼き……!
そしておしるこ!!
こういうのですわ、求めていたのは!」
立てばスイーツ、座ればパクパク、走る姿は年頃の乙女。
一通り買い集めたスイーツを両手いっぱいに抱えて三人のもとに駆け戻る。トウカイテイオーは"ワケワカンナイヨー!"と嘆きつつ、後ろをついて回る事しか出来なかった。
……とはいえ一応、目的は見失っていないらしい。
ゆっくり、ゆっくりと、参拝の為の社には向かってはいたのだ。
たい焼きを食み、おしるこを呑み干し、カステラを頬張る。
このタスクを不足なく熟しつつの行軍ではあるが、それでも進んでいた。
そうして20分。あるいは、更に数分上乗せした程度の時間か。
お腹がそこそこ膨れ上がる頃には魅惑の通りを潜り抜けて、お守りや破魔矢などの品々を扱う売店の前へと到達できた。
ファインドフィート以外の面々はこれまでに何度か訪れたことのある場所である。
慣れもあってか、足取りに迷いは見えなかった。
「おや、あれは……?」
「……えっと、どうしたの?」
「ライスさん。
……あそこで扱ってるお守りが、少し"変わっている"みたいでして……」
購入者の邪魔にならないよう迂回しつつ、横から商品名を覗き見る。
若干小さな字ではあるが──ウマ娘の視力のおかげで、読み解くのはそう難しくはなかった。
「………『なんかめちゃイケ開運祈願』?」
「あっ、聞いたことあるよ。
最近こういうのが人気なんだって……ライスも、一個買っちゃおうかな……!」
「では、わたしも」
他の三人に断りを入れて、売店の前に連なる購入者の列に加わる。
由緒正しき神社にしては"フランク"な品々は、その目論見通り若者世代に大人気であるらしい。
それ故にか、ファインドフィートとライスシャワーの前に立つ人々は学生が多い。
もちろん、これまで通りのしっかりとした名目のお守りは変わらず用意されているため、それ目当てでは無い人も居ることには変わりないのだが。
おそらく女子高生と見られる面々が賑やかに──節度を持った音程ではしゃぐ姿を聞き流しながら、黙々と立ち尽くす。
……こんな時にこそ、ライスシャワーと世間話をするべきだという思いはあった。
「…………」
──あったのだが。
そこはファインドフィートである。やはり無言だ。
自分から声を掛けようにも、何を話せばいいのか分からない。
彼女の会話レパートリーは一にトレーニング、二にスイーツ、三に──。
………なんと、三は存在しなかった。
予想以上に少なかった自分の引き出しに気付いて愕然とする。タンスの改修工事が必要である。
だからどうすると言う訳でもなく、"さて、どうしたものか"と天を仰いだ。
空は憎たらしいほどに快晴だ。
寒いという事実に変わりはないけれど、陽光は普段通りに輝いている。
ファインドフィートの内心と乖離の激しい現実を見て、腹立たしげに尻尾を一振り。
……しかしその挙動はどこかぎこちない。
緊張、羞恥、はたまた単なる寒気による物か。
(……)
ファインドフィートはこれを"寒気"によるものと結論付けた。
真実はどうだろうか?本当に寒気のせいなのか?
もしもこの議題をトウカイテイオーが知ったのなら、前者二つと答えを弾き出すに違いない。
何にせよ間違いがないのは……隣のライスシャワーに当たらないようにか、無意識の内に気を遣った軌道を描いていること。
ライスシャワーにとっては、それさえ分かれば十分であった。
「ふふっ……」
「……なんでしょうか」
「あっ、ご、ごめんね……!
その、あの……」
「いえ……怒っているわけでは無いのですが」
「おそらくフィートさんの表情が原因ではないかと。
ステータス『無表情』は、その気がなくとも怖がられてしまう傾向にあります。
それによる先入観と、
横からニョキリと生えてきたサイボーグはかく語りき。
後方で待機したままの二人も言葉の主を見て、深く納得した。ファインドフィートも同じくだった。
"ブルボン先輩のことですか?"
"いいえ、違います。確かに私のコミュニケーション機能に難があることは認知しています。しかしそれはただ単に私というウマ娘の内面部分を一切知らない、または知らせることが出来なかったが故の現象であり──"
"すごい早口じゃないですか……"
……第三者視点から見れば、どっちもどっちである。
そんな事実に気付いていないのは当のウマ娘達のみだった。
「……あのね、あのね。
フィートさんも普通の女の子何だなぁって思うと……なんだか安心しちゃって……!」
「あぁ~……確かに顔を見ただけだと殆どサイボーグみたいだよね~。
ちょっとでも関わるとすぐにポンコツって気付けちゃうけど!」
「……テイオーさん。
何故、私の方を見ながら言うのですか。
説明を要求します」
「別に~?」
ころころ笑うその顔が答えだろう。
ミホノブルボンは納得したふうでもなく──ただ、拗ねたように耳を伏せた。
――そうこうしていれば、やがて列も捌けていく。
数分後にはお守り──というには、やたらとカラフルな布袋が二人のウマ娘の手に渡っていた。ちなみにお値段は……にんじん3本分といったところである。
これがお買い得か否かは、個人の所感によって変わるに違いない。
少なくとも、早速自分の財布にくくりつけたファインドフィートはご満悦に耳を揺らしていた。
ともかく、これで寄り道は完了である。
当初の目的を忘れてはいけない。
あくまでも、ここに来るまでにした寄り道は寄り道でしかない。
初詣といえば何か。
新年を祝うため。そして新しい一年が幸福でありますようにと、神に祈願する行事である。
彼女等もしっかり忘れず祈りを奉じるため、参拝客の列に並ぶ。
一応神聖な場であるという意識もあったからか、次第に声音も小さくなっていた。
「……
忘れず寄って行きましょう」
参道の脇にある手水舎に足先を向ける。
柄杓の水で指先を濡らし、簡単に身を清めた。
そして末端を伝って余計に冷えだした身体を小さく震わせつつ、また列に戻る。
ファインドフィートはもう既に、ただただこの初詣を早く終わらせて温かい飲み物を──例えば、おしるこを食べたい気分に浸っていた。
「……………」
歩く。止まる。歩く。止まる。
そしてまた歩く。
列に合わせて少しずつ前へ進み、本殿の前にたどり着いたのは幾分後なのか。
もはやそれに思考を巡らせるのも億劫だ。
賽銭を握りしめて、大きな鈴とそれから垂れる縄を見上げる。
ガラガラガラ、と鳴らしてみれば──思った以上に大きな音が出て、少し肩が跳ねてしまった。
曰く――この鈴を鳴らす行為は、自らが訪れたことを"神"に知らせる為のものらしい。
それを母に教えてもらった幼き日のファインドフィートは、"それってインターホンみたいな物?"と聞き返したのだったか。
「すぅ………」
呼吸に合わせて二礼二拍手、一礼。
ぱんぱん、と手を鳴らして、下げた頭。
さらりと揺れる芦毛は軽やか。
……だったが、その内に籠もったのは如何な想念なのか。
「…………」
頭を持ち上げるまで、一呼吸を空けて。
するりと列の外側──既にお参りを済ませた後の友人たちの元へと合流した。
おしるこを幸せそうに啜るメジロマックイーンが目印。よく目立つ。
「おかえりなさい、フィートさん。
……何を願ったのか、お聞きしても良いですか?」
「………ナイショ、です」
「えぇ~、恥ずかしい事なの?」
「いいえ、いいえ。
ですが……ナイショです」
耳も尻尾も、欠片として揺れていない。
苛立たしさも、呆れも無い。
普段それらから心理情報を採取しているミホノブルボンは、おや、と目を瞬かせた。
なにせいつもは感情豊かに躍動するものがカチコチに固まっているのだから、思わず彼女の調子が悪いのかとも心配してしまう。
なので"ほぐせば回復するのでしょうか"とモフモフ、モミモミと尻尾をこねくり回しておいた。
モフモフ、モフモフ。
無心で指先を動かすサイボーグの姿は、控えめに言って精神年齢幼女である。
「……はぁ」
気怠そうに振られた尻尾に両手を解かれて。
しかし満足そうに"ミッション、『尻尾ほぐし』完了です"と呟く様子も、やはり精神年齢幼女であった。
「……おっと、おみくじもあるんだ」
「せっかくですわ、引いてみましょうか」
「あぅ…………」
「ライスさん、大丈夫です。
これはあくまでも験担ぎ、運試し……運……」
「……大丈夫ですよ、きっと。
所詮は運試しですから」
「うん、そうだね……!」
運試しは運試し。
大吉だったから良いことがあるわけでもない。
大凶だから辛いことが起こるわけでもない。
そういうものでしょう。そういうものです。
きっと、きっと。