【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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15話

 

夢を見た。

"それ"は夢を叶えた夢だった。

きっとある意味では、幸福だった。

けれどもある意味で絶望に沈んでしまうような、そんな夢。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「……姉、さん」

 

 ──唐突に響いた声が、耳朶を通って脳漿に反響した。

 透明な声音は意識を貫き、夢の海に沈んでいた自我を呼び醒ます。

 

 そのソプラノボイスが自分の喉から発せられていることに気付くまで掛けた時間は、たっぷり呼吸五つ分。

 緩やかに開く瞳が暗闇の中で瞬いた。

 

「姉さん……」

 

 続いたのは、やけに物悲しい声だった。それに随分と情けない声だった。

 ファインドフィートは自分で自分の事を無意味に詰って、また青い目をゆるゆると瞬かせる。

 時間帯はまだまだ深夜の領域。

 カーテンの隙間から垣間見える風景は当然の如く黒一色だ。

 陽の明かりの片鱗もない、まったくの暗闇。その深さにはいっそ寒気さえ覚えてしまう。

 

 しかし数分も経てば次第に慣れていくもの。

 いくらかは暗闇を見通せるようになった視界を駆使して、枕元に置いていたデジタル時計を手繰り寄せる。

 ぼんやり浮かび上がった文字が形作る現時刻は深夜2時。彼女が寝に入ったのは夜の9時。

 そこから逆算すると取れた睡眠は5時間前後か。

 とてもでは無いが──成長期のファインドフィートにはこれっぽっちも足りない睡眠時間だ。

 だからこそ、どうにか再び眠りにつこうと布団に潜る。

 頭まですっぽりと毛布をかぶり、外界から遮断され、自分の中に引きこもる事で意識を鎮めようとした。

 

「…………」

 

 けれども、眠れない。

 じっと瞼を下ろしてみても、押し寄せるはずの眠気は全く湧いてこない。

 どうしてか心細くて、寒くて、震えることしか出来なかった。

 

 理由は──強いてあげるなら、さっきまで見ていた夢のせいだろう。

 せい、とは言っても、彼女自身は見ていた筈の夢の景色を全く覚えていないけれど。

 何を見ていたのか、何を感じたのか、何を以って恐怖の源泉としたのか。

 それらの正体は陽炎よりも尚朧気で、答えはどこにもありはしない。

 ……ただそれでも、唯一薄ぼんやりと湧き上がる、暗澹と淀んだ想い。

 

 たったそれだけ。

 たったそれだけの想いが、ファインドフィートの心胆を苛んで止まなかった。

 

「……ダメ、ですね」

 

 指先が寒さで震える。

 気温も体温も凍えるほどに冷たいというわけではないのに、止められない。

 

 一応数分間は粘ってみた。

 が、しかし耐えきれず、ベッドから上体を起こして布団の包容から逃れ出た。

 身を晒した先も真っ暗だからか、心細くてしょうがない。

 部屋の隅、ベッドの下、天井の裏側。

 あらゆる場所にあらざる何かがいるのではないかと無意味な疑心暗鬼にさえも至ってしまう。

 

 ……そもそも、ファインドフィート──その前身の■■■(削除済み)は臆病者だった。

 何をするにも恐る恐る足を踏み出して、それでも怖くて。

 最終的には『姉』に手を引いてもらってようやく歩き出すような、そんな少年だったのだ。

 

 そして三つ子の魂百までというように、臆病者という気性は今になっても変わっていない。

 このように無意味に多々の言葉で飾り立てはしたものの、結局の答えを端的に言ってしまえば、何も見えない暗闇に怯えているだけである。

 

「……フィート、さん?

 どうしたのですか……?」

 

「ブルボン先輩……」

 

 ──しかし、この部屋にいるのはファインドフィートのみではない。

 心強い味方こと、ミホノブルボンも存在していた。

 

 眠たげに瞼をこする彼女も、当然ながらつい先程までは眠っていた。

 だが、ファインドフィートが鳴らしてしまった微細な物音で目を覚ましてしまったらしい。

 言葉を交わすまでもなくそれを理解した途端。申し訳無さで尻尾が萎びてしまった。

 

 ……が、正直に内心を表すなら、言葉を交わせる相手がいるという事実がこれ以上なく嬉しかった。素直に安堵のため息さえも零した程だ。

 もちろん、本人がその思いを告げることはないけれど。

 

「……あの、すみません。

 そちらのベッドに入れてもらえませんか?」

 

「……?

 ……ベッドのスペースは空いています。

 つまり、問題ありません」

 

「ありがとうございます……」

 

 ゴソゴソと自分のベッドから枕のみを引き剥がして抱え込み、ミホノブルボンのベッドへと移住する。

 やってきた彼女を迎え入れた先住民のミホノブルボンは、自分と同体格のウマ娘が収まれる程度のスペースを確保してくれていた。

 その空いたスペースにすっぽりと収まれば途端にファインドフィートの総身を包むぬくもり。

 それは物質的なものというだけではなく、安心感とも言えるもの。あるいは実感だろうか。

 独りではないという事実。それこそが何よりも嬉しくて仕方がなかった。

 

「ふぁ……おやすみなさい、フィートさん……」

 

「……おやすみなさい、ブルボン先輩」

 

「すぅ……」

 

 ──彼女の隣の栗毛の少女から寝息が響き出したのは、それから僅か数秒後のことだった。

 サイボーグだの何だと言われても、結局彼女もただのウマ娘。

 ご飯だって普通に食べるし、夜にはしっかり眠るし夢も見る。

 無垢な寝言に紛れた言葉──"ガション、ガション……了解、爆破します"というワードから察するに、戦闘ロボットになった夢でも見ているのだろうか。

 声音の中に苦悶の呻きが交じっている訳ではないので、その部分は安心できるだろう。

 

 ファインドフィートも深く息を吐きだして、天井へと意識を向けた。

 さっきまでとは違って、何も怖くない。

 暗闇がすぐ傍にあっても、何も。

 

「…………」

 

 不意に、彼女の小指がミホノブルボンの小指と触れ合った。

 そこから伝わる体温はとても高い。

 間違いなく幻影や夢では感じ取ることの出来ないものだ。

 

「……暖かい」

 

 聴こえてくる鼓動はしっかり二つ。重なる吐息も二人分。

 

 ……だから、ファインドフィートは独りではない。

 誰かと触れ合えるのなら、独りではないのだ。

 だから暗闇も何も怖くはない。

 この無意味な全能感は、己の庇護者に対する無邪気かつ無根拠な信頼感にも似ていた。

 

 しかしそれを実感できるというだけでも、途端に瞼が重くなる。ずっしりと、鉄の機構で制御されるように。

 それに引き摺られてゆっくり、ゆっくりと沈んでいく意識。朧げになる思考回路。脱力していく耳のハリ。

 規則正しい呼吸を繰り返せば繰り返すほどに、ぬるい眠気が膨らんでいく。

 

 それから、そこに二人が並び二つの寝息が占領するまで、一分も必要なかった。

 もしもこの場面を誰かが目撃したのなら仲睦まじい姉妹の姿と解釈するだろうか。

 

 ……実態はどうであろうとも、結果的にそうなることは間違いない。

 ファインドフィートも、ファインドフィートの『姉』も、ファインドフィートが姉のように慕う存在も共にいる。

 だからきっと、素晴らしいことである。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ──それから、何事もなく夜が明けて。

 目を覚ましたファインドフィートはまず"何故今更あのような子供染みたことを……"と顔を覆い隠した。

 いくら心が弱っているにしてもあれではただの子供ではないかと。

 

 ……しかし対するミホノブルボンは一切動じた様子もなく。

 普段通りに目を覚まして普段通りの挨拶を口にして、普段通りに身嗜みを整えて。

 いっそ清々しいほどに何も変わらないままだった。

 

 そんな姿を見てしまえば一人で悶々と悩んでいるのも尚更におかしく思えてしまう。

 故に心の奥底からほんのりと湧き上がる気恥ずかしさには蓋をする。そして何事もなかったかのように──本当に何事もなかったことにして、いつもの生活を営み始めた。

 

 朝食を胃に詰め込み、そのままの足で学校に赴き、各々の教室に分かれて授業を受ける。

 このトレセン学園に所属するウマ娘はアスリートであると同時に一介の学生でもある。決して学業も欠かしてはならないのだ。

 

 ──そうして迎えた放課後。

 定められたスケジュールに従った結果、現在地はトレーニングジムのロッカールーム。

 今日も今日とて複雑難解な(眠たくなる)授業を必死に乗り越えたファインドフィートは満身創痍(ただの知恵熱)である。

 

 数学や国語、地理に英語。

 数年前の小学校時代とは違って格段に上昇した難易度にはついていくだけでも精一杯だ。

 こうしてトレーニングジムに到着しても尚脳内に居座るのだから、まったく手に負えたものではない。

 

 例えば数学。

 四則演算の領域から飛び立ち、複雑さを増した計算の式。

 多種多様な数理の数々を読み解くことは、ファインドフィートが最も苦手とする分野である。

 "それにしたって算数では不足なのでしょうか"と、不満げに手元の復習用プリントに視線を落とした。

 踊る文字は奇々怪々。意味不明な数字の羅列としか思えない。

 最低限、補習は受けずに済ませたいところだが──しかし、残念ながら無傷で通過できる自信はない。

 むしろ補習を受ける自信しかなかった。

 

「はぁ……」

 

 ……とはいえ今から考えたところでどうしようもないのも事実だ。

 パサパサと指先でプリントを弾きながら、後で質のいい鉛筆を探しておこうと思い直す。

 ファインドフィートの判断基準では"六角形"でよく()()()()()()ものがベストである。

 

 それに、学業の時間はもう過ぎた後だ。

 プリントをカバンの奥深くに押し込んで、さっくりと気分を切り替えた。

 これよりは待ちに待ったトレーニングの時間である。

 

 そそくさと学生服を脱ぎ捨てて、手に取ったのはトレーニング用のウェア。

 黒いタンクトップと白いショートパンツ。ワンポイントとして所々に走る青いラインが特徴的だ。

 胸元に鎮座する()()がしっかり隠れていることを確認した上で、トレーニング用のベルトを抱え上げる。

 高重量トレーニングの際にはこのベルトを用い腹圧を高めることで負担の軽減、および姿勢の安定化を図る器具だ。

 もちろんこれはファインドフィート自身で調べたのではなく、トレーナーから聞きかじっただけの知識である。

 

「トレーナーが来るまでにストレッチぐらいは済ませておきましょうか。

 レースでもないのにケガをしてしまうなんて……バカみたいですからね」

 

 そう小さく呟きながら向かったのはジムの一角にあるストレッチエリア。

 シューズを脱いで、やたらとカラフルな柔らかいマットの上でしっかり柔軟を行う。

 小道具としてストレッチポールを使って背中や腰を刺激しておく事も忘れない。

 念の為、尻尾が巻き込まれないように気を遣いつつ。こんな時ばかりは尻尾のないヒトの身分が羨ましい限りだった。

 

「んん……?」

 

 ──そうしてしっかりゆっくり、入念な準備を整えつつもふと疑問を感じた。

 チラリと視線を彷徨わせ、壁の時計に意識を向けた。

 現時刻は17時10分。

 約束の時間は17時丁度。

 想定よりも10分ほど過ぎているが、未だにトレーナーの気配は存在しない。

 

 改めてシューズを履き、ストレッチエリアを後にした。

 ピンと耳を立てて、周囲のウマ娘や彼女等のトレーナー達の中から見慣れたガイコツの姿を探してみる。

 右を見る。左を見る。後方を見る。ひょっとして何処かで倒れているのではないかと床も見る。

 ……しかしどれだけ見渡してみても、己のトレーナーの姿は視界に映らなかった。

 

「……おかしい。まさか()()トレーナーが遅刻するなんて」

 

 一度ロッカールームに戻って携帯端末を確認する。

 けれども液晶が映し出すのは"通知なし"という事実のみ。

 "遅れる"とも"中止"とも、何も連絡は来ていなかった。

 

「まさか本当に何かが……?」

 

 早々にあることではないだろう。

 こういった場合、杞憂に終わることがほとんどだ。

 ……しかしこんな考えに至ってしまうと、途端に不安になって来るもの事実である。

 

 冗談めかしてガイコツだの不摂生だのと口にはしていたが、本当に体調を崩しているのではないか。

 何なら命の危機に瀕しているのではないか。

 もしかしたら、もしかしたら──と、嫌な想像は際限なく湧いてくるものだ。

 穴の空いた舟から水をかき出そうにも、(不安)を断っていないのだから切りがない。堂々巡りも至極当然の帰結である。

 

「…………」

 

 結局、我慢はできなかった。

 スポーツウェアの上に赤いジャージを纏いカバンを引っ掴んで駆け出した。

 基本的に情報収集が苦手なファインドフィートであっても、自身のトレーナーが寮に住んでいる事は知っている。もちろんその場所も。

 

 そうして迷いのない駈歩(かけあし)でトレーナー寮まで一直線。

 ほんの数分で目的地へ到着した彼女は、さっそく事務員のヒトに事情を説明した。

 最初は困惑した様子の事務員だったが、事の経緯を知って"なるほど"と納得したらしい。

 スムーズに部屋の番号を教えてもらい、ファインドフィートはそそくさと──あくまでも早()()で、2階の角(ガイコツルーム)を目指す。

 

「207……207は……。

 っと、ここですか」

 

 目的の部屋を見付けたのは意外とすぐの事だった。

 早速ドアのすぐ横に備え付けられたインターホンを押し込んで、トレーナーに"生きていますか"の確認コール。

 耳をドアに押し当てるまでもなく聞こえてくる電子音が部屋の主を呼び出し始める。

 

 ──が、応答する気配も、ドアが開く予兆もない。

 念の為、もう一度インターホンで呼びかけてみる。

 ……が、やはり反応はなかった。

 

「…………」

 

 猜疑心からじっとりと目を細める。

 体調不良で寝込んでいる……という事なのだろうか。

 真偽は定かではないが、それを明らかにしようにもこのままでは手詰まりである。

 ファインドフィートは小さく嘆息して、ドアノブに手をかけた。

 所詮悪あがきでしかないと自覚した上での行為──

 

「……おや?」

 

 ──だったが、しかし。

 ドアが開いた。予想に反し、何ら抵抗もなく。

 当然ながらウマ娘の身体能力に物を言わせて解錠(マスターキー)したわけではない。

 ただ鍵が掛かっていなかっただけだ。

 だが、これが鍵の掛け忘れなのかどうなのか、判断に悩む所でもあった。

 鍵を掛け忘れていたのか。不法侵入者が訪れているのか。はたまた鍵を掛ける余力さえないのか。

 首を傾げたまま数秒ほど停止し──結局、ここで考えても仕方がないと結論を弾き出す。

 そもそも、ここまで来て何も確認せずに帰宅なんて出来るはずも無い。

 

「……お邪魔します」

 

 勝手に部屋に侵入するなんて、控えめに言っても無礼な行為であることは自覚していた。

 

 ──が、それはそれ。これはこれ。

 何も言わずに担当ウマ娘の事をほっぽりだしたトレーナーが悪いのである。

 ファインドフィートはそう信じて疑わなかったし、本人に詰問されたなら実際にそう応える所存である。

 これを以て自己弁護を完了。そろりそろりと差し脚抜き足。おっかなびっくり家宅捜索を開始した。

 

「トレーナー?何処ですか?

 まだ生きていますか……?」

 

 玄関、無音。

 キッチン、何もなし。

 居間、姿なし。

 

 となれば、残るは寝室ぐらいのものだろうか。

 間取りは1LDK。

 部屋の空気に漂うのは、父親以来まったく縁のなかった大人の男の臭い。

 初めて見る毛色(独身男性)の空間に少しばかり戸惑いつつ、ぐるりと周囲を見渡した。

 丈の低い机と座椅子、その上に鎮座するノートパソコン。そして山程の資料。

 それらばかりが部屋のメイン構成要素として居座っている。

 

「もっとこう……掃除もするべきではないのですか……。

 ここは一つ、担当ウマ娘としてガツンと言わなければ」

 

 居間の隅にはもう一つのドア。おそらくそこが寝室だろう。

 初めて踏み込む未知の場所にほんの少しの好奇心を浮かべつつ居間を横断し、ドアノブに歩み寄る──途中で尻尾が資料に衝突してしまい、一山が雪崩を起こして崩れ去ってしまう。やけに物が多い空間故の悲劇であった。

 

「…………」

 

 ……しかし、今はこれを手に取っての資料塔造りに勤しんでいる場合ではないのだ。ファインドフィートには為すべきことがある。

 "また後程改めて手を付けよう"と一瞬の逡巡を済ませ、再びドアに向き直った。

 

「トレーナー……?」

 

 躊躇いがちで、若干腰が引けた様子ながらも、今度こそトレーナーの居所へ侵入する。

 開いた隙間からもわっとした空気が広がり、ファインドフィートの鼻を擽った。それと同時に、規則正しいヒトの呼吸音も。

 

「トレーナー」

 

 ようやく見つけた青年に対して、安堵交じりの溜息を吐き出した。

 件の葛城トレーナーはベッドの上で布団に包まれて、真っ赤な顔を晒している。

 誰がどう見ても発熱していると判断できる有様だ。

 しかし──少なくとも呼吸は規則正しいし、たった今開かれた瞳から明確な意志を感じ取れた。

 

「……ファインドフィート、か?」

 

「どうも、勝手にお邪魔しました。

 連絡もなしに遅刻なんて珍しいですね」

 

「ああ……そうか、そうだった。

 すまん、連絡を忘れていた……」

 

「いえ、それは大した問題ではないのですが……」

 

 葛城トレーナーを見下ろした。

 こうしてマジマジと見れば良くわかる。

 明らかに痩せ型で、免疫力の欠片も無さそうな肉付を誇っている。

 むしろよく今まであのような(睡眠不足・不摂生)生活を送れていたものだな、と驚愕の念を禁じえない。

 ファインドフィートとて彼の目元の隈から体調面の悪化を心配はしていた。

 果たして問題はないのだろうかと考慮も重ねていたのだが、しかし今回の件で尚更に事態の重さを理解できた。

 

「常備薬はある。明日には問題なくなっている……筈だ。

 今日は……すまんが、自主トレーニングで頼む。メニューは渡した通りのものでいい」

 

「了解しました。

 ……ですが、トレーナーはどうするのですか?」

 

「どう……とは?」

 

「晩御飯はどうするのですか?

 見るからに……その、ろくな食事は摂れていなさそうですが」

 

「いや……」

 

 ベッド横の台の上にはスポーツ飲料のペットボトルが置かれているが、中身は空っぽ。

 それと某有名なカロリーバー。手軽に摂取できるブロック状の食品ではあるが、実のところ栄養バランスはさほど良くない。

 ウマ娘の栄養管理は完璧そのものであるというのに、何故自分の事となるとこうもズタボロな有様なのだろうか。

 紺屋の白袴か、はたまた大工の掘っ立てと表すべきか。まったく、世知辛い(おろかしい)話だ。

 

「まったく……少し横になっていてください。

 色々と用意してきますから」

 

「いや──」

 

「いいですから」

 

 返事も聞かず、再度出立の準備を整える。

 必要なもの──例えば水分補給用のスポーツ飲料や、胃に優しい食事。あとはタオルか。

 幸いなことにそれらの仕入れ先には心当たりがあった。

 

「……よし」

 

 ウマ娘の脚であれば移動の時間なんてそう掛からない。

 トレーニングの代わりにもなりはしないが、気晴らしにはなるだろう。

 独り言ちて、颯爽と駆け出した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「お粥です。どうぞ」

 

 軽く息を切らしたファインドフィートが"ずずい"と押し出したのは、大きめのお椀に入った温かいお粥。もちろん量はヒトの病人基準である。

 しかも梅干しを添えてバランスも良い。

 億劫そうに体を起こした葛城トレーナーに受け取らせた後、自慢気に尻尾を揺らした。

 ベッドの隣に設置した椅子に腰を預けて、手元のレジ袋からスポーツ飲料と冷えピタシート、そして干し芋を取り出す。ちなみに、この干し芋はファインドフィート用である。

 

「このお粥は一体……?」

 

「わたしが作りました──とでも言えれば格好が付くのですが。

 カフェテリアのおばさまに作ってもらったんですよ。感謝しながら食べてくださいね」

 

「なんで君が偉そうなんだ……?」

 

 とは言いつつも、しっかり両手で受け取る。

 一緒に渡されたレンゲで掬い上げ、ノロノロと口へと運び出した。

 腐ってもトレーナー。たとえ自分の体調管理ができなくとも、風邪で倒れた時の最も効果的な対処方法程度は心得ている。

 即ち、しっかり栄養を摂取して十分な水分と十全の睡眠を確保すること。

 それさえ守っていればまず間違いなく根治出来る。

 もっとも、担当ウマ娘の手助けでどうにかしようとしているあたり、全く褒められたことではないのだが。

 

「……トレーナー、普段の生活習慣はどうなっているのですか?

 先程キッチンを覗いたときには……その、まるで使われた形跡がありませんでしたが……」

 

「カップ麺、ビタミン剤、ゼリー飲料。

 これで最低限の栄養は摂取──」

 

「出来ていませんよね?」

 

「…………」

 

 ──その言葉には反論できようはずもなかった。

 葛城トレーナーという男はそのように無駄に慢心して、貴重な一日を無為に潰してしまったのだから。

 部屋の片隅に鎮座するカップ麺タワーは、嘗てはこれ以上なく心強い味方(徹夜のお供)だった。

 そう、()()()のだ。

 

 ……が、今となっては愚かさの象徴と成り果てている。

 まさか昨日までの友が今日の敵となってしまうとは……この世の無情と言う他ない。

 ファインドフィートが冷めた目でタワーを眺めているのも無理はないと、そう納得することしか出来なかった。

 

 そうは言っても、しかし。

 非常に残念ながら、実際に当人が考えているのは"一つ分けてもらえないかな"という一点のみである。

 彼女は葛城トレーナーが考えているほど思慮深くはなかったのだ。

 

「……食べたら早く寝てくださいね」

 

「ああ、分かってる」

 

「本当ですか?」

 

「本当だよ。

 本当に、嘘はつかない」

 

「……なら良いです」

 

 チク、タク。チク、タク。

 それからの数分間は空転する針が鳴り響くのみだった。

 葛城トレーナーが自覚していなかっただけで、身体は飢餓状態に陥っていたのだろう。

 レンゲを口とお椀の間で往復させるペースは素晴らしく早かった。所詮ヒト基準ではあるが。

 

「ふぅ……。

 すまん、助かった」

 

 カランと、プラスチックのレンゲが空の器の底を叩く。

 しっかりとお粥を食べてお腹も膨れたおかげか、その声音にも心做しかハリが戻っている。

 干し芋を咥えたままのファインドフィートが顔を上げれば、やはり若干の生気を回復させたガイコツの姿。少なくとも、彼女の口元でプラプラと揺れる干し芋よりは元気そうだ。

 

「んぐっ。

……では、わたしはそろそろ帰ります。

ですが……出来そうなら、ちゃんと身を清めてから寝てくださいね」

 

「…………すまん。やはり臭う、か?」

 

「まぁ……その、わたしはウマ娘ですから」

 

「そうか……」

 

 言外に答えが滲んでいた。

 身動きが取れない故に汗を流す事すら出来なかったのだから、こればかりは仕方の無いことである。

 ファインドフィートもそれを理解していたからこその歯切れの悪さだった。

 

「あの、干し芋食べます?」

 

「……いや、すまん。もう腹は減ってない」

 

「そうですか……」

 

 これがファインドフィートにとっては精一杯の誤魔化しだった。涙が出そうになるほど質の悪すぎる誤魔化しだ。

 ファインドフィートと葛城トレーナーの間を揺れ動く干し芋がそこはかとない哀愁を漂わせるばかり。

 

 決して、誰かが悪いという話でもない。

 今回のこれはただ、ウマ娘の感覚器系が優れているが故の悲劇だったのだ。

 視覚、聴覚、そして嗅覚。どれもが凡そ一般的な人間の尽くを凌駕する事は、もはや常識と言ってもいい。

 もちろんファインドフィートもその例に漏れず──彼女の父親を彷彿とさせるアレコレを嗅ぎ取っていた。それだけの事である。

 

 ──ああ、『姉』と二人揃って"お父さん臭い"と鼻を塞いだ当時のことを思い出さずにはいられない。そして、その言葉を聞いた父の顔も。

 

「で、ではもう帰りますから早めに寝てくださいね」

 

 その立ち振舞に悪意はない。

 ないのだが──だからこそ、心にクる物がある。

 哀れな大人の(サガ)だった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 1月8日 はれ。

 トレーナーが体調を崩していたので、様子を見に行きました。

 結局風邪を引いていただけなので、まだ良かったと思います。

 ですが原因は睡眠も食事も質が良くなかったからみたいなので、生活習慣の改善が必要です。

 しばらく様子を見て、あんまりにも酷いようならカフェテリアに連行したほうがいいかもしれません。いざとなれば弁当でも作ろうと思います。料理を作ったことはありませんが、たぶん頑張れば作れます。

 

 それと、たくさんの干し芋を買いました。

 一人では食べ切れそうになかったので、ブルボン先輩と一緒に食べました。

 おいしかったです。

 

 

 

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