"がんばれ!がんばれ!"
"諦めないで!"
女神様は必死に応援しています。
頑張る子には報われて欲しいですからね。
ファインドフィートが入学して数日後。
中央トレセン学園というウマ娘の為の教育機関だからこそか──早くも模擬レースが開催される事となった。
この模擬レースで優秀な成績を収め、衆目を集める。そして
専属トレーナーと担当ウマ娘という関係はここから始まるパターンが非常に多いらしい。
果てしない大空に羽ばたく為の第一歩として選ぶのなら、実に手堅い選択肢のひとつだ。
もちろん、ウマ娘が選択肢として選べるのはこれだけではない。
それこそ既存のチームに入るというのも賢い選択だろう。
加入するチームが上位になればなるほど、金も手間も掛かった質のいいサポートを受ける事ができる。
だが──チームの気風と己の気風の兼ね合いを考えなければならず、少し手間がかかる。
無論どちらの選択が劣っているという訳ではない。
ただ、ウマ娘によって適性も考慮すべき項目も各々違うということだ。
──そしてファインドフィートは、模擬レースに出走する事を選んだ。
というのも、まず間違いなく自分はチームに所属することに向いていない。
複数存在するチームメンバーと良い関係を構築するなんて不可能だ。
彼女は自分のコミュニケーション能力がどうしようもなく悲惨なものと弁えている。
……そんな訳で、学園で行う初めてのレースだ。
彼女が出走登録を行ったのが数十分前のこと。
既にいくつもの組が出走を終えている。出番が訪れるのも、もうすぐの事だろう。
学園支給の運動着に身を包む彼女は、入念に体をほぐしにかかった。
現時点での全力全霊──これを吐き出す必要がある。そして出来れば──可能な限りバ身差を離しての一着、これが欲しい。
だからほんの少しの妥協も出来ないし、そんな事をしてしまえば自分自身を許せない。
「すゥ……はぁ……」
──ギチ、ギチ、と筋繊維が撓った。
なめらかに駆動する関節に違和感はない。大きく反らした胸部は不足なく酸素を取り込み、心臓の稼働率を高めてくれた。
ほぐされ、少しずつ熱が充填される四肢に比例するように、冷淡な瞳にも力が篭もり始める。
「……9番、ファインドフィート……。かなり体が柔らかいな」
「出身は……知らない地名だな。在野からスカウトされた口か?」
「へぇ、それは珍しい」
パドックを練り歩く彼女に突き刺さるのは品定めの目、目、目。沢山の視線。
それの多くは物珍しさと柔軟性への注目であり、この場に大勢いるウマ娘に向ける視線と同質同量の熱しか宿っていない。
……当然だ。
現時点での彼女は、有象無象のうちの一人にすぎないのだから。
故に──まずは走る姿で魅せる。品評はその後にしてもらおう。
冷淡に胸中で零す。ギラギラと輝く陽光を受け、ハート型の耳飾りが赤く煌めいた。
何よりも、『ファインドフィート』には己が走れば誰かしらの目に留まるだろうという自信がある。
その溢れる生気は鼓動を伝って四肢に行き渡り、筋骨のコンディションを"絶好調"の領域へと押し上げていた。
現在の第──
涼し気な青い瞳を芝生の向こうへ飛ばし、自分と対戦相手以外の全てを意識の外に追い出す。
準備を整えた彼女は、ただ自分の"名前"が呼ばれる瞬間を待ち望んでいた。
□
中距離2000メートル、芝。
ここ最近の天気は快晴が続いていたこともあって、見事なまでの良バ場。
今はゲート入り直前。確認のため足踏みを繰り返せば軽い感触が豪脚を跳ね返してくる。
これはファインドフィートの適正にも合致していて、彼女の
それを見守る観客はトレーナーと、新入生にとっては先輩にあたるウマ娘達。
そして走り終えた後の、あるいはこれから走る新顔のウマ娘達である。
彼女と共に出走するのはイライザセイホー、ダルムシュタット、イズミハイセイ。
ハウアーユー、ハクアイオウ、ケイアイアース、オオヤマライデン……そこまで名前を見て、全ては覚えきれないことを悟り目をそらす。
9番6枠はファインドフィート。
それさえ覚えていれば問題ない。
──各々ゲートに入り終え、レース開始の合図を待つ。
左右にいる少女達はどこか不安げな表情でソワソワと体を揺らしており、落ち着かない様子であった。
有名な話ではあるが、こういった閉所が苦手なウマ娘はそう珍しいものじゃない。
しかしファインドフィートは非常に落ち着いた様子で、じっと瞳を細め集中していた。
まだか、今か──いやもうすぐだ──。
張り詰められた緊張の糸が臨界点に迫った頃──
「っ」
──―ついにゲートが開いた。
同時にぬるりと流れるように──もはや芸術点を加えたくなるほど鮮やかに飛び出す。
ほぼタイムラグが存在しない圧倒的なスタートダッシュ。
遅れて飛び出してきた──無論、彼女と比較しての話──ウマ娘達との差は視覚的にも分かりやすい。
しかし、このままハナを抑えるには脚質が違いすぎる。
するすると速度を落とし、なめらかな動きで5番手付近へ位置取りを固定した。
(わたしが狙うのは第4コーナー。そこまでは脚を溜めて、溜めて──差す)
規則正しい呼吸と正しい機動に整えられたフォーム。
ジュニア級ながら実に素晴らしい素養である。
──しかし。だから勝てるかと言えば、そう簡単な話ではない。
ここは中央。エリートウマ娘以外存在しない現代の魔境。
観客としてこのレースを眺めるウマ娘達の一人一人でさえもが日本トップクラスの優駿だ。
それを知っているファインドフィートの目には油断の欠片もなく、ただ鋭い警戒の色だけが浮かんでいた。
第一コーナーを抜け、直線に差し掛かる。
──まだ、動きはない。
レースの展開は早くも遅くもなかった。
しかし何事もないファインドフィートの付近とは違い、前方では先頭争いが続いているらしい。燻る熱気が風に乗り、熾烈な闘志をターフの上に香らせていた。
ならばせめてと願うのは、スタミナの消費がより激しくなる事ばかり。
しかし当人達の加速する想いさえ置き去りに肉体は駆動し──直線を超え、コーナーを抜け、僅かな時間を経ると共にゴールが近づく。
現在位置を指し示すハロン棒が、無機質に闘争心を煽っていた。
(まだ……まだ、溜めろ)
──残り1000M。
冷めた視線で周囲を睥睨し、今か今かと機を見計らう。
立ち位置は5番手内側──しかし外は完全に塞がっていて、前方の風向きも少し怪しい。
今の位置取りは良くはないし、悪くもない。
「ハッ、ハッ、ハッ──」
勝負は残り400M──最終直線だ。
必要なのは圧倒的な加速力。爆発力と言い換えても良い。
肺を大きく膨らませ、心臓の稼働率を瞬時に臨界点まで高める事にこそ勝機がある。
『ファインドフィート』にある才能とは、恐ろしく強靭な心肺にこそ宿っていた。
「ハッ、ハッ──―!」
残り800M。
脚部の筋繊維を膨らませ、仕掛けの準備を進める。
残り600M。残り500M。
大きく口を開き、轟々と音を伴う程激しい呼吸を繰り返した。
収縮の力を強める心臓。大きく膨らむ肺。巡回を早める
平時は40を下回る心拍数が急激な上昇を始め、数秒経つ頃には100を超え、更に鼓動は加速を重ねた。
「──ッ!」
残り400M。青い瞳が指標を認める。
──そして、
激しい鼓動が脚にさらなる血液を注ぎ込み、ふくらはぎという
繰り返し拡大と縮小を実行する
芦毛が熱気と共に風にたなびく。
レース場へと足跡を刻む度に芝が破裂し、後から土煙がターフを追い上げた。
大きく前傾した姿勢。破滅的な加速。
白い残光が尾を引く様は、さながら閃光のようだった。
「む、無ぅ理~!」
「無理~!」
前の二人が悲鳴と共に失速し、一秒経つ頃には彼女の背を追いかける立場へと転落した。
更に一秒経つ頃にはもう一人が絶望の表情を浮かべて落ちていく。
ファインドフィートは彼女等に一瞥さえも寄越さず──意識からすらも
「何……なの、よぉ……ッ!!」
そうして残った最後の一人──ハナに立っていた鹿毛を棚引かせる逃げウマ娘、オオヤマライデンが困惑の叫びを振り絞った。
後ろから迫り背中を突き刺すのは膨大な圧だ。
炎の如き熱量が前へ前へと追い立て、精神を炙り焦がす。それによって浮き彫りとなったのは、諦念と共に滲む微かな涙。
ただ差すだけならまだ良い。たしかに悔しい──本当に、惨めになるぐらいに悔しいし、泣きたくなる。
けれど"すぐ背後に迫っている彼女は異質だ"と、ウマ娘としての本能が語っていた。
「レースである以上……必ず、勝つ……!」
追い抜かれるまでの一瞬。
オオヤマライデンが横目に見た『ファインドフィート』の青い瞳。鮮やかな筈の虹彩から感じ取れたのは、どこか粘つくような執着。
僅かな交錯を経ても彼女は一瞥すらくれない。振り返りもしない。
そんな彼女に絶望して──
そして当然のように先頭に立ったのはファインドフィートだ。
最高速に達してもなお、決して脚を緩めること無く加速を続ける。
早く、疾く、速く──偏執的なまでに、終着点だけを見つめていた。
「ゴール!一着はファインドフィートだ!
2着はオオヤマライデン!3着、イズミハイセイ!」
□
「ファインドフィートか!凄まじい末脚だったな……!」
「スタミナと加速力には眼を見張るものがある」
「あれならクラシック三冠だって狙えるぞ!」
走り終えたファインドフィートの元には多くのトレーナーが駆けつけていた。
この優秀なウマ娘に対する勧誘合戦は、毎年の恒例行事でもある。
そして勧誘合戦の外野には"勝てなかったウマ娘"が──いや、語るべきではないだろうか。特別な事例でもなければ、敗者にはスポットライトが当たることさえない。
"勝負の世界はやはり残酷なものだなぁ"、と。ぼんやりと冷めた目線で見渡した。
「ファインドフィート!私と一緒にクラシック三冠を目指しましょう!」
「俺ならキミを一切怪我させずに導くことが出来る!」
「その脚なら海外進出だって問題ない!」
トレーナー達は尚も熱を上げた。
他には渡したくない巨大な原石を自分が磨き上げたくて、誘い文句を語る口は驚くほど必死だ。
大輪の華に集まるハチのようだなと、またもう一度ぼんやり見渡す。
本質的にウマ娘に対する熱意あるヒトが集まる事もあるのだろうか。彼女の周囲はむさ苦しい熱気に満ちあふれているばかりだ。
ファインドフィートは鬱陶しさのあまりに耳を垂れさせ、瞳を伏せた。苦手なものは苦手なのだ。誰だってそう。大人だってウマ娘だって、ハチにたかられては恐ろしいだろう?
ソレを知ってか知らずか口を開いたのはとある女性トレーナー。胸元のバッチが
「あなたは何が夢なの?」
「………。
……わたし、が願う……わたしの夢は──」
──ああ、なんと振る舞おうか。どう伝えようか。言葉は何を選ぼうか。
今更ながらに気付いてしまったのは、進路の伝え方を考えていない事。
周囲は返答を聞くためにか、イヤに呼吸を合わせて静まり返っている。
変な意味合いはないのだろう。しかし不思議な緊張感がファインドフィートの肝を冷やした。
不安からか、胸元をギュッと握りしめる。ジャージの襟がクシャリと歪んで無言の反意を主張していた。
とはいえ己がコミュ障であることを自認している彼女である。
とっさに気の利いた言葉を話せるなんて自惚れてもいない。
あー、とか、うー、とか言葉にならない音を鳴らすが、夢を語る口には──文言を飾る機能を搭載することは土台不可能だった。諦めも肝心とはよく言ったものだ。
「……わたしは、
"おぉっ!"と場が湧く。
とんでもなく大きい夢だが、夢は夢。
届くとは思えない。だが王道を往くのであれば自ずと"見栄えの良い"結果には辿り着くだろう。
そんなトレーナー達の夢で一瞬のうちに熱せられた空気は──しかし、中心のウマ娘から続けられた言葉によって一気に冷え込んだ。
「だから、だから
さっと黙り込んだ周囲。そんな彼らをじろりと睨みつける。
その青い瞳には一切の冗談も混ざっていない。本気も本気の眼光だ。
"妥協はしないぞ"と、殺気混じりの視線が物語っていた。
「優しさは不要です。冷酷さが必要なのです。
体が壊れそうで壊れない瀬戸際を求められるヒトにこそ、トレーナーになっていただきたい」
──"とんでもなくハード"で、"ウマ娘を壊しうるほどの熱烈な指導"を所望している。
もしも調整を誤れば壊れる。ついでにトレーナーバッジも危うい。
そう一度口にしてしまえば、後は流れるように伝えたい言葉が溢れ出る。
それを助けるのは普段とは打って変わって滑らかに駆動する饒舌。思いの丈を吐き出した彼女は、鋭い瞳で
"妥協も、甘えも、何もいらない。最高効率を出せるのか?出せないのか?"
「いや、それは……」
要約すればストイック過ぎる募集要項。
周囲のトレーナーが揃って口を閉じるまで、そう時間はかからなかった。
大輪の華にたかるハチは、
「……そうですか」
ファインドフィートが残念そうに目と耳を伏せる。
尻尾もこころなしか元気を失っているようだった。
──しかし彼女も、トレーナー達が二の足を踏むのは当然の対応であることを理解していた。だから失望はない。
「居ませんか。
……ですが、仕方のない事ですね」
気にした様子でもなく、レース場に背を向ける。
最悪他の方法が無いわけでは無い。焦る必要も
そんな彼女の心情を語るように、風に吹かれた頭髪が軽やかに揺れた。
「とは言え、この場で名乗り出るのも苦しいものがあるでしょう。
……また、お声がかかるのを待っています」
夕暮れ時。
三女神像が見守る広場で、彼女は黄昏れていた。
もう少し時間が経てばミホノブルボン──ファインドフィートが"ミホノブルボン先輩"と呼ぶ二冠ウマ娘と約束した自主練の時間になる。
ベンチに座り、はちみーをチューチュー啜りながら日常を謳歌するのも……実に、乙なものであった。
──それを承知の上でか、目元に隈を拵えた痩せぎすの青年が姿を晒す。
ガイコツ……と形容するには多少の肉が付いているが、どう見ても不健康な姿だ。
一応最低限の清潔感は確保しているスーツ姿で、意外にもしっかりとした足取りで歩み寄ってきた。
珍しくも素直に"うわぁ"と引きつった声を上げてしまうのも、まぁ無理はないだろう。
「やあ」
挨拶は気さく。
声音はさわやか。
されど見目は半死人。
胸元に輝くトレーナーバッジがなければ……まず不審者か否かを訪ねていたかもしれない。あるいは普通に逃げ出すべきか。
「……初めまして、見知らぬトレーナーさん」
「ああ、初めまして」
そんな不審者が"よっこらせ"と親父臭い掛け声とともに隣の席──彼女から少し離れた位置に座り込んできた。
……自分はどのような対応をすれば良いのだろうか?
ファインドフィートは珍しく、真剣に悩んだ。
なのでとりあえず──"はちみー飲みます?"と予備を差し出せば、"いや、マイはちみーあるんで大丈夫"と拒否されてしまう。
……当然そこから会話を繋げるような事が出来る訳もなく、再びストローに口をつける。ひんやりと喉を蹂躙する甘味が心地よかった。
「いい具合に、効率的に糖分を補給できるからな……好きなんだ、こいつ」
彼女と同じようにカップを取り出す彼を見て、随分と"無機質"な眼をしているなぁ、とぼんやり思う。
それにまあ、随分と個性的な方のようで──と自分の事を棚に上げて普通に失礼な視線で男を眺めた。
言わんとすることを察した彼は、仕方なさそうに肩を竦めて見せる。一応は自覚の上である。
「………ズズ」
「………ん」
束の間をマイペースに、無音で過ごす。
彼女らが醸し出す空気は奇妙としか表せないモノ。通りすがりのウマ娘が変なものを見る目をするのも無理はない。
そしてそれぞれがはちみーを飲みきって、一息をついて──まず口火を切ったのは、ファインドフィートからだった。
「……用事があったのでは?
条件を飲める方ですか?あるいは……わたしを説得しに来た
「条件を理解した上での勧誘だ」
「なるほど」
簡潔に、完結した。
同時に"なるほど、コミュ障仲間ですか"と納得してしまう。
この時点で既に話の結論は定まったようなものである。
青い瞳と黒い瞳で視線を合わせ流れるように──余分が挟まることもなく、
おそらく間違いないだろう。
だが──様式美というのも必要だ。幾らかの期待を視線に込めて言葉を待った。
「ビジネスライクに行こう。俺はキミの望み通り、ギリギリを攻める。超高速のレースでコーナーの限界を疾走するように。良心と倫理観の
「………なかなか個性的なお誘いですね」
「こういうの、好きだろう?」
「嫌いではありません」
青い瞳の奥を覗き込むように、無機質な視線が突き刺さる。
無遠慮の権化とも言える不躾な眼だが、彼女は嬉しそうに尻尾を揺らした。
年頃の少女らしからぬ冷淡な視線で"それで続きは?"と促せば、更に重ねられたのは爽やかな声音。
「俺はキミというウマ娘の価値を何処までも高める。俺は名誉を、キミは夢を掴むんだ。
なあ、歴史に名を刻み込もうじゃないか」
「──ふむ」
「これはキミを使ったビジネスだ。夢と希望、名誉、伝説の称号……全部掴もうぜ。妥協はしないんだろ?」
ピンと耳が立つ。
ウマ娘の肢体を消耗品と知った上で語る、"最低"とも言える誘い文句。
その上で彼自身の欲望もブレンドされていて、えも言われぬ風味を香らせていた。
気に入らなかったか?
言葉選びはダメだったか?
……いいや、やはり彼は自分の同類のようで、安心しただけだった。善意で飾らない直球ストレート、実に結構。
「良いですね、とても──気に入りました」
他のウマ娘が聞けば"最悪ッ!"という罵倒と共にド派手に──手加減はされた上で──蹴り飛ばされていたかもしれない程には、ひどい。
しかしそれでも、彼女にとっては"最高"の動機。
願望がはっきりしている分、信用できるし信頼できる。それも私欲に拠るものだとくれば、更にポイントは高くなる。天井知らずだ。
"何故こんな性根の男がトレセン学園に在籍出来ているのやら"──という、至極まっとうな疑問には蓋を閉じておくべきだろう。
「ですが、デリカシーはありませんね」
「悪いな。訴えるのは勘弁してくれ」
「ふふふ」
「表情が変わってないぞ」
彼女の口から出される答えが決まりきったモノと理解しながらも、じっと待つ。
勧誘が失敗するなんて危惧は、彼の思考回路の何処にも存在していなかった。
そんな男を下から食い入るように、青い瞳が覗き込む。
彼女の口から吐き出される言葉には、きっと学園に来てから今までで最も誠実さを宿していた。
「であれば、わたしはあなたの指導に従いましょう。
九冠ウマ娘という前人未到たる頂点の座を獲得するまで、ひたすらに駆け抜けます。
あなたが、わたしのトレーナーです。わたしがあなたの担当ウマ娘です」
「……いいな、そういうの」
「昨日、先輩と一緒に考えました」
"にこり"と浮かぶ、花が咲くような笑顔……とでも、なれば良かったのだが──。
相変わらずの無表情、無感情で口を閉ざした。
しかしトレーナーはそれを気にしていないのか、ピクリともしない無表情のまま大きく頷く。
「多少の悪評が付き纏ってしまうのではないかと思いますが──」
「何、気にするな。
……今更、だからな」
「そうですか」
白く、傷一つ無い手を差し出す。
それを骨ばった手が握り返した。
「俺の名前は葛城だ、好きに呼んでくれ」
「『ファインドフィート』です。よろしくお願いします、トレーナー」
──たまたまヘンテコな状況に居合わせた周囲の人間がそれで良いのか?と目で語る。
いくら当人の同意の上とは言え、さすがに──と。
しかし周囲は周囲。よそはよそで、うちはうち。
握手による信頼関係の構築も終え、連絡先の交換を手早く終えて……。
となれば、次は事務処理。事後処理に計画立案。
仲良くなったから記念に食事でも、なんて
「まぁ、今すぐに出来るような事は殆どない。こちらで書類は用意しておくから今日は帰るといい」
「そうですか。
実は、これからトレーニングジムに行こうと思っていたのですが……」
「……自主練か。付添人は?」
「同室の──ミホノブルボン先輩と一緒です」
「そうか、心配は不要だな。ああ、何かあればすぐにでも電話するように」
「了解しました」
熱の欠片もない会話を終え、空っぽのカップを片手に立ち上がる。
最初は離れた位置に座っていた二人も、立ち上がればすぐそばに隣り合っていた。
……"物理的な距離"と"精神的な距離"を等価とするのならば、ファインドフィートは悪い男に誑かされた純情な娘だろうか。
しかし現実には無機質、無味乾燥、ビジネスライクな協力関係である。
ロマンスの気配も無い──しかしそれ故に強靭に結ばれた契約。
だからこそである。
ファインドフィートは、思ったよりもスムーズに進んだ現状に大いに満足していた。
この感動、この達成感──汗に変換出来たならとても気持ちいいだろう。
「…………」
「おや……まだ、何か?」
「……いや、何でも無い。また明日の朝──そうだな、7時にはもう一度ここに来てくれ」
「ええ、分かりました。
……それでは、また」
耳はごきげんそうに揺れ、尻尾はぱたぱたと風を起こす。
そのままの勢いで軽やかに駆け出す──駆け出そうとした直前。
ふと思い出したように、くるりと振り返る。長く白い髪が軽やかに舞った。
「そうです、忘れていました」
「……?」
怪訝そうな表情の葛城へ向き合う。
葛城の立ち位置からは夕暮れの逆光のせいで、表情は分からなかった。どうせ先程と変わらず無色のままだろうが。
「『ファインドフィート』は、速かったですか?」
「あ、ああ……勿論だ。お前の肉体は十分に上を──頂点を目指せるスペックだと認識している」
「……本当ですか」
「本当だ」
それを聞いた彼女は、嬉しそうに尻尾を揺らして駆け出す。
走り去る彼女を見送ったのは、三女神の像だけだった。
■
家族が乗った軽自動車は、大型のトラックに追突されてぺしゃんこになって。
父も母も、色んなとこを欠けさせて、何かを言い残すことも出来ずこの世を去った。
弟は胸を強打して──幼い心臓はあっけなく、職務を放棄してしまった。
姉であるウマ娘だけだった。
頑強な肉体故に辛うじて生き残り、家族の死に様を目に焼け付けたのは、彼女だけだった。
自慢だった両脚を失い、腹の内側にあるべきモノを幾つも失って。
それでも生きていた。
幸運にも生き残れたのではなく、不運にも死に損なった。
けれど、こんな終わりが嫌だったから起死回生の一手を──家族全員で死ぬのでは無く、最後の一人だけは生かす次善策を求めてしまう。
心臓だけは無事だった姉と、心臓を失った弟。
双子としての血の繋がり、魂の繋がり。
『姉』は、そこに一切の全てを賭けた。
失敗してしまえば、ただ全てを失っただけ。
成功出来たならたった一つ──己の片割れという"夢"を残せる。
悩む余裕はない。考える余地もない。
数秒の時間が立つ度に肉体から生命力が失われ、加速的に意識が霞んでいく。
たまたま自分達が搬送された病院の医者に、
その医者が
今回はウマ娘とヒトの心臓移植──過去に存在しなかった事例である。だから目が眩んだ。
本来なら有り得ないはずで、しかし様々な要因によってありえてしまった末路。
それに加え、姉は思考を回す余力を残してしまっていた。
麻酔を込められた注射器を眺める姉は……弟の未来に思いを馳せて、憂いたのだ。
"そういえば、あの子は一人ぼっちになってしまう。"
家族はいつの間にか死に絶え、遺されたのは姉の一部。
前に居たはずの両親はどこにも居ない。隣りにいたはずの片割れは自分の中。
きっと苦しいし、寂しいはず。
わたしならきっと折れてしまう──つまりあの子も耐えられない。
全く同じストレス耐性、全く同じ精神性を共有する身である故に、この世の他の誰よりも理解していた。
『弟』が自壊する未来を。
『だから支えを──夢をあげるね』
最初は純粋だったはずの願いを丁寧に丁寧に煮詰めて凝縮して。
『心臓』という器から溢れそうになるぐらいに、詰め込んだ。
夢と執着と偏執と妄執と、大きすぎる愛情。
『彼女』が『彼女』として目覚めた時に壊れなかったのは……確かにその
「ええ、安心しました」
今度こそ
夢に挑む──これが出来る事自体、とても幸福なことなのだから。
「良かったですね、姉さん。わたしは、あなたを連れて行けそうです」
とくり、とくりと規則正しく鼓動を刻む。
『姉』の心臓は、今日もしっかりと機能していた。
『ファインドフィート』は誓いました。
とくりとくり鼓動を繰り返す『姉』と、今は亡き両親に。
ウマ娘は神秘的な種族。
――なら、わたしだって『ファインドフィート』になれる。
ねえ、そうでしょう?わたしたちの女神さま。
三女神のうちの一柱は明るい笑顔で、必死に応援の声を上げています。
けれどおかしいですね、他の二柱のお顔が真っ青です……。