【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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19話

 

 "綺麗に、綺麗に育てましょう"

 "茎を切って葉っぱを落として、あなたの為に剪定するの"

 

 

 

 


 

 

 

「ファン感謝祭、ですか。

 わたしの記憶が正しければ……クラシック級のウマ娘は参加が免除されるはずでは?」

「ああ、一生に一度のクラシックに挑むウマ娘達への()()として、参加免除の許可は出ている……が。

 そうは言えども、当のウマ娘が参加したいといえば事情は変わるのさ」

「はぁ……」

「キミが参加したいのであれば言ってくれ。

 トレーニングに関してはそれを踏まえた上で調整するから問題はないぞ」

「……なるほど。

 結局はわたし次第、と」

 

 いつものトレーナー室──では、無く。

 麗しき三女神の像が鎮座する広場の、綺麗に清掃された木目のベンチ。そこに二人座ってはちみーを啜る。

 夕焼け小焼けの赤い光を浴びながら、ハードなトレーニング後の小休止だ。

 一緒に帰るカラスはいないけれど、もうじきに大型犬(ミホノブルボン)となら合流予定である。

 この語らいはそれまでの時間つぶしも兼ねていた。

 

「トレーナーの考えは、如何ですか?」

 

 額に滲んだ汗で張り付く前髪をさっと指先で払い除けて、機嫌良さ気に尻尾を振る。

 ミホノブルボンの手によって丹精に塗り込まれた香油の色香がほのかに広がった。

 

「俺個人としての所感だが、参加する分には問題ないぞ。

 能力の伸び具合からして一着争いには参加できると見た。

 なら精神的な安定を図る……つまり、ストレスを発散するっていうのも十分にアリな選択肢だろうさ」

 

「……ふむ。

 確かに……ブルボン先輩やテイオーさんについて回るのなら中々──」

 

 ──"悪くはない"と、舌の上で転がした。

 ミホノブルボンと一緒に過ごしていれば、きっと心の安寧を享受できるだろう。

 トウカイテイオーと動き回れば……なんだかんだでお祭り事の楽しみ方を理解している彼女のことだ。ファインドフィートに"楽しい"を教えてくれるに違いない。

 メジロマックイーンなら、一緒に出店巡りも良いかもしれない。

 彼女の担当トレーナーには申し訳ないなと、ファインドフィートにもほんのりとした罪悪感はある。だがきっと、素晴らしいひとときになる筈だ。

 ライスシャワーとのんびり歩き回るのも良いかもしれない。彼女は優しくて、強くて、ファインドフィートにとってはある意味での憧れだった。

 まだまだ付き合いは浅いけれど、だからこそ仲良くなりたいなと願うのだ。

 

「……じゃあ、わたしは……」

 

 そうして紡がれたのは、平熱でしかない言葉の続き。

 二人の間の夕日に溶けて、短く響いた。

 木々と枝葉が風に擦れ合う音に紛れるわけでもなく、確かな形となったのだ。

 

 

 ──しかし……さて、()()()の己は何と答えたのだったか、と。

 幾日をも数えた後、中山レース場の一室で回顧していた。

 ファインドフィートの為に拵えられた勝負服に身を包んで、ベンチの上に一人きり。

 膝の上に乗せられた両手をゆるく握りあわせて、じっと(おもて)を下げている。

 

 あの時、参加したいと言葉にしたのか。参加は見送ると拒絶したのか。

 それがどうした事だろう、頭の中から引き出せない。記憶の鍵の在り処を失ってしまってどうしようもなかった。

 

「……なんで、わたしはここにいるんでしたっけ」

 

 決定した意思の形は既に見えなくなっていて、過去は朧気に薄れゆく。

 けれども、結果として齎された現実だけは無慈悲に刻まれていた。

 何を選んだにせよ、ファインドフィートは来る日も来る日も妄執的に自己を鍛え続けた。友人との時間ではなく、自分の夢を選んだ。

 それだけが全てだ。

 

 何を理由としてこの選択をしたのか──はたまた、何故この選択に()()()のか。まったく理解出来ていないけれど、事実としてはそうなった。

 

「わたしは……わたし達は何の手を、掴んだのでしょう」

 

 この薄っぺらい現実の中にあって間違いのない真実と断言できるのは、一つだけ。

 誰かと過ごす他愛も無い時間は"無価値"などではないと、ファインドフィートは一途に信じて疑わずにいた。

 ガラクタのように箪笥の奥に押し込めるべき物ではなく、ましてや無粋な炎で穢して良いものではない。

 子供の悪足掻きに過ぎないとしても、愚かな現実逃避だとしても、そう信じている。

 

「……姉さん」

 

 

 ◆

 

 

 ──いつものように空を見上げる。雲ひとつない晴れた空だ。

 ざあざあと涼やかな風が吹き抜けて、長い芦毛を弄ぶ。

 ざあざあ、ざあざあ。

 芝を揺らしてもうひとつ、ゆるくほどけて溶けていく。

 

 ファインドフィートは少しの間春風のこそばゆい感覚を楽しんで、降り注ぐ日輪の輝きに目を細めた。

 普段通りの、レース前に行うルーチンワークだ。

 意識を集中するためにか、勝利を祈るためにか、あるいはその両方を目的としたものか。それは当人にさえも分かっていない。

 けれどもその甲斐あってだろう。今から"皐月の冠"に挑むというのに──意外な程に心地良くて、不思議な熱を含んだ気分だった。

 

「…………」

 

 細やかに跳ねる頭髪を手櫛で抑えて、逆の手のひらを翳してみる。

 生まれた小さな影では瞳を守り切ることは不可能で、たまらず目を細めた。

 翳した指先は光を通し、淡い()色を帯びる。生者の証に等しいものである。

 

「……綺麗な景色ですね。

 本当に、キラキラしていて……」

 

 風にそよぐ芝は艷やかで、それを踏みつける少女達も皆活力に満ち溢れ輝いている。

 それら全て、太陽のもとにあるお陰だ。

 もしも仮に土砂降りの雨だったとしたらこうはいかない。

 だからきっと、今日という日は恵まれていた。誰に聞いても肯定される純然たる事実である。

 

 ──"けれど"、と。乾く口の中を言葉で湿らせて、じっと腕を組む。

 右手を左の腕に添えて握りしめれば、ほんの少し痛かった。

 これを心の痛みと形にすべきなのか。はたまた情の淀みと(さえず)るべきなのか。

 軋む人さし指を親指と擦り合わせてしばし迷う。その瞳にある焦点は定まっていなかった。

 

「……まったく、無意味なんですよ。

 何かを考えること自体が……」

 

 "そもそもが、物体と非物体を等価として結びつけることに無理があるでしょうに"。

 当たり前の事実だ。

 やや迂遠ながらも行き着いた答えを嘯いて、ぼんやり吐き出したのは小さなため息。呼気に合わせて腕の力を抜き取った。

 

 最近は色々な事があったから無駄に悩む癖がついてしまったのだろう、なんて自分に言い聞かせて、ゆるゆるとゲートの方向へと視線を向ける。

 鋼鉄のゲート。ウマ娘達の発射台。

 いつものように無機質な威圧感を醸し出すそればかりが、どうしてか不気味で心地悪い。

 

「…………」

 

 "何故だろう"と首を傾げる。無駄に悩む。

 けれどもやはり、悩めど考えども明快な答えは出やしない。

 誠に残念ながらファインドフィートの脳みそは普段通りの低効率で稼働していたのだから、全く仕方のないことである。

 

 そのまま立ち止まって数分の思考……となれば良かったかもしれないが、当然ながら叶わない。

 ターフの主役の一角である彼女が放置されることなどなく、老若男女の甲高い声が雨あられと降り掛かる。

 それは観客席の人々、あるいはウマ娘達による温かい声援だった、が──。

 

「がんばれよ、サイボーグ二世!」

「芦毛の底力を見せてやれー!」

「無敗三冠! 無敗三冠っ!」

 

 ──少々……いや、かなり煩く騒がしい。耐えかねて耳をぺたりと伏せる程には。

 だが残念ながら音量はさほど変わらずに、ファインドフィートの鼓膜を揺さぶっていく。

 轟音や波濤にも似た応援。ごうごう、ごうごうと土を貫くヒトの希望。

 実に喧しい。オブラートに包もうにも"煩くない"などとは口が裂けても言えない声量である。これではオブラート如き容易く破れてしまうだろう。

 

「ファインドフィート!」

 

 ……しかしこうして名を呼ばれるというのであれば、嫌な気分になれもしない。

 ミホノブルボンが告げたように、トウカイテイオーが語ったように。

 ファインドフィートもまた同じ結論へ到達している。

 

 そもそも誰かに自分を応援されて快く思わないのだとしたら、そのヒトはおそらく余程のひねくれ者か、極限まで追い詰められて精神的余裕が皆無となってしまった病人だ。誰もが口を揃えて早急に休めと提言するに違いない。

 

 故にこそ言葉の中身を十分に咀嚼して、嚥下して──ただ、右手を掲げることで応えた。

 ()を突いた小さな手。頂点に立つのは一本指。

 白魚のしなやか指が衆目を集める。いつか(四年前)の再現のように。

 

「とります。

 "そこ"で、見ていて下さい」

 

 ──これは"先輩の無念を晴らすぞ"という宣誓か、"一番を取るぞ"という宣言か。はたまた何も考えていない単なる自己アピールなのか。

 数多に存在する観客達の目線からはその背景を幾重にも考察できたろう。

 

 当然、その()()に気付くものは誰も居ない。

 

 だから、この場にあって明確に断言出来る事は一つだけ。

 それは"これ"こそが観衆が求めるモノだったという事実。

 見て、応援して、楽しめればいい。レースに熱狂できればそれで全てが良しとなる。

 何せ、それこそが彼ら彼女らの役目なのだから。

 

「……は」

 

 踵を返し、沸き立つ観客席に背を向ける。

 横目で周囲に視線を彷徨わせれば他のウマ娘も各々で自分らしい決意表明を打ち上げている。

 そしてそれにまた観客が沸き立って、ごうごうと歓声が撒き散された。

 熱を迸らせて、滾らせて、溢れさせて──もはや狂気さえも孕んだ激情だ。

 まさしく熱狂と言わざるを得ない空気の波が生み出され、ターフの上の少女達を呑み込む。ファインドフィートにある種の非現実的な非日常感を刻んでくれた。

 

「悪くない」

 

 熱い。そして重い。

 全身で受け止めれば、不可思議な感傷を覚える味だった。

 これは疼くと表すべきものか。かゆみと称するべきものだろうか。

 無知なファインドフィートは的確な語句を知らなかった。

 

 ただ、この情動が"喜び"を起源とするもので、彼女の中の『姉』が発している信号なのだと()()()()()直感している。

 もしもこの直感を正しい答えとするなら、ファインドフィートにとっても心の底から喜ばしい事だ。

 たった一人の『姉』が喜んでいることを快く思わない『弟』なんていない。当たり前だ。

 ……少なくとも、彼女達は"そう"だった。

 

「姉さんも聴こえているでしょう? この声が」

 

 小さな問いかけを呟いて、ファインドフィートも一頻り観客へ向けて手を振ってみる。控えめであれども明確に。

 己が肉を以て行動したならば、必然的に『姉』も連なり結果を共に享受出来ると確信していたからだ。

 

 ……勝負服の青布を摘んで弄って疼きを誤魔化す様を自覚していない事は、まず間違いなく彼女にとっての救いだったろう。

 

「……先輩方も、この観客席の何処かにいるのでしょうか」

 

 見覚えのある色を探して視線を巡らせる。右へ左へ上へ下へ。

 観客席の前列後列、ガラス窓の先の指定席まで。

 ……とはいえ、流石にこの人数の中から特定の人物を見つけることは不可能だった。

 

「いない……」

 

 ファインドフィート自身ダメ元での挑戦だった故に然程の落胆はない。

 某有名絵本、シャーリーを探せよりも高難易度なのだから順当な結果である。

 だから決して、落胆の念はないが──微量の寂しさだけは、どうしても湧き上がってしまった。

 

「……」

 

 滲んだ苦味ごと頭を軽く振って、視線を前へ──ターフの流れに沿わせて居直る。

 ゲートはもうすぐ目の前だ。

 緑色と鉄色から構成される伽藍堂の中身は随分と寒々しい。

 だが、だからこそ鉄をも熱する少女を求めて威圧的に鎮座していた。

 

「皐月、サツキの花は……たしか、ツツジの一種でもありましたか。

 花言葉は節制……わたしに必要なものですね」

 

 本能から惹かれるように鋼鉄の内部に身をくぐらせる。頭を真横に回してみれば、周囲のウマ娘達も続々と恙無くゲートインしていた。

 鹿毛や栗毛、青毛に芦毛。色とりどりの頭髪が日光に反射して眩しく輝く。

 "きれいだな"とそっと呟き、唇をゆるく噛み締めた。うっそりと吐いた言葉は何処にも届かず、波濤に呑まれて流されるばかり。

 

『さあ、いよいよ始まります。

 今世代最速のウマ娘は誰か? 

 刮目して見守りましょう』

 

 ──"何にせよ"と少女らが抱える多種多様な情動を他所にして、時は変わらず流れゆく。

 感慨を分断する機械の中にあっても不変の現実だ。

 

 レースの前口上を朗々と語る男性の声に耳を傾け、徐々に意識を切り替えていく。

 今世代最速。皐月賞の夢。

 即ち是、大衆が望む冠の一である。

 それがファインドフィートが望むもの。

 全霊を賭して、余分を削ぎ落として挑むべき頂への足がかりだ。

 まったく気が遠くなりそうな話ではあるが、しかし求めたのはファインドフィート自身である。

 

 だから手をのばす。

 望んだモノを、望まれたように。

 願われたモノを、願うために。

 これこそが生者の義務なのだと、自己暗示染みた言葉を心の裡に刻み込んで。

 

『三番人気を紹介します。

 キンイロリョテイ、今日()すんなりゲートイン』

 

『続けて二番人気はこの娘、アグネスデジタル。

 朝日杯フューチュリティステークスの勝ちウマ娘です』

 

『一番人気、ファインドフィートです。

 見事冠を掴み取ることができるのでしょうか』

 

「だからとりますよ。

 絶対に、縋り付いてでも」

 

 呼吸を一つ。

 重ねて二つ。

 大きく三つ。

 

 何時になっても何度経験を重ねても、この緊張感に慣れることは無かった。

 きっと、これからも永劫変われないのだろうという奇妙な確信さえある。

 臆病だから、小心者だからと、ファインドフィートは自分をそう評した。

 

 ……そもそもの話、根っこの部分がヒトでしかないのだから当然といえば当然。

 ウマ娘としての気性を()()は有しているとは言えど、ヒトとしての部分が優れば枷となる。

 

 だから、そんな自分を隠してしまうのだ。

 性根を封じて理性の鎖で縛り上げ、ウマ娘としての己を前面に引きずり出す。

 そうしてしまえば怯えは容易く消え失せて、怯懦(きょうだ)な顔はいくらでも誤魔化せてしまえる。

 

「……すぅ」

 

 次第に鼓動が早まっていく。指や爪先が大きく疼いた。

 ピンと立つ耳が張り詰めた空気を感じ取り、微細な震えさえも無く、鋼鉄が軋む音を待ち構える。

 ウマ娘らはみな口を横一文字の形に引き締めて、奥歯を強く噛み締めた。

 

 そして観客達も同じく、彼女等が漂わせる爆発寸前の激情に釣られ沈黙に同調する。

 さざめく波が引くように、弓の弦を絞るように。

 

 その後に残るのは、風のささやきばかりだった。

 

「……」

 

 鼓動が重なる。吐息が連なる。

 瞳孔が拡がり、汗が滲む。

 そうして、然程の時間も経ずに──。

 

「は」

 

 ──ゲートが弾けた。

 瞬間的な加速。零から一へ、一から十へと刹那の間に切り替わる。

 ゲートが開き切る音さえ置き去りにしたハーフバウンド(スタートダッシュ)だ。

 その中でも"スキル"──と、トレーナー達に称される技術を有すウマ娘達の初動は頭一つ抜きん出ていた。

 

「……ッ」

 

 その内の一人であるファインドフィートは普段通りの流れを保ち、するすると好位置目掛けて後退していく。

 走行の妨害にならない事を意識しつつ、着けた位置は前方より数えて9番手。差しの態勢だ。

 前方で繰り広げられているハナの抑え合いを意識の隅に捉え、周囲の動向に意識を張り巡らせた。

 

 差し当たっての障害は──左前方とすぐ後方を走行しているウマ娘達。

 レース開始に合わせて稼働率を高め始めた頭脳を以てレースラインの選定を行い、視界を広げ、情報を集積。

 そのまま回転襲歩(初速の確保)を終えて交叉襲歩(巡行姿勢)へ。

 第一コーナーを指し示すハロン棒は、早くもバ群の目前にまで迫っていた。

 

『ハナを突っ切るのはオオヤマライデン! 

 やや速めのペースですね、大丈夫でしょうか?』

 

『何処かで緩められるタイミングを見つけられるといいですね』

 

 内ラチ(フェンス)から付かず離れずの距離感を保ちながらのコーナーカーブ。

 外に膨れる事もなく、内側によれる事もない安定した脚取りだった。

 

 横殴りの風が髪をかき乱すも、そんな些事を気にするリソースは既に払底済み。そもそも単なる風如きが地を走るウマ娘の障害になり得る筈もない。

 棚引く芦毛を背に従えて、ひたすらに周囲の動向に目を凝らして耳をそばたてた。

 

 風の音色が、人々の声援が、蹄鉄が地を踏み鳴らす絶叫が。

 世界を埋め尽くす大合唱が喧しくも賑やかにファインドフィートの脳内を蹂躙する。

 

 ──反響の軌跡が頚椎を伝って、ズキズキと、胸の奥が痛む気がした。

 

『レースも中程、残りは半分、疾走する乙女達は向こう正面へ! 

 全体的にかなり早い展開のようです』

 

『今年は"全体的にレベルが高い"という前評判もありましたが、正にその通りになりましたね。

 最後まで目が離せません』

 

 ズキリ、ズキリと幾度も震える。指先が、瞼が、耳が尻尾が。

 ファインドフィートの真っ白な思考回路にノイズが混入して、胸から伝う"痛み"が残影を残して全身を伝播し駆け巡る。

 

「ぐゥ……ッ!」

 

 痛みの根源は心臓。

 原因は"甘ったるい声の主"が残していった幻想の茨。

 棘を以て絡みつき、絞め上げ、傷を愛で、身勝手な祝福を注ぐ。

 その深みに際限などなく、無遠慮かつ無神経にファインドフィートの筋骨を操った。

 

『第三コーナーを抜けて先頭はオオヤマライデン。表情は苦しそうだ。

 続くハッピーミークは未だ余裕のある脚取りです』

 

『最後方のキンイロリョテイ、位置が上がっています。早くもスパートの姿勢です! 

 その前方アグネスデジタル内を見る。こちらも仕掛けの準備は抜群の様子!』

 

 神経に薄氷(うすらい)を突き刺す。延髄に熱鉄を叩き込む。

 それらと等しい痛みを受け止めるほど、出力が加速的に高まっていく。

 

 順当に走れば勝てる。

 正当に挑めばとれる。

 その筈だというのに、茨は加減はなく慈悲もない。

 ただ無粋に無邪気に"走れよ走れ"と一層力を強めるばかり。

 ──当然のように、ファインドフィートの身体を顧みることはなかった。

 

「は、はッ、ハっ──!」

 

 珠のような汗が風に吹かれ、後方に流れゆく。

 空中で舞う雫は視界に囚われることさえなく芝と土にぶつかり散って、形を失う。

 それら全て、レースに携わる全員の意識の外にある。ファインドフィートの喘鳴と同じように。

 

 仕方のない事である。

 皆が意識を凝らしているのは皐月の冠の行方という、全体を通しての事実のみ。

 ミクロの視点を持とうという奇特な者は誰も居なかった。

 

 ……いいや、極少数の関係者の視点だけは違ったらしいが、それだけだ。

 この場で何かしらの行動を取ろうという人物は誰も居ない事に相違ない。

 

『最終コーナーです! 

 ファインドフィートが上ってきた! 先頭めがけてぐんぐん位置を上げてきています!』

 

 ──故に、そのまま加速を続けるファインドフィート。

 ひとつ、ふたつ、みっつと抜き去る。

 前方には残り五名の先駆者。後方には十二名の追跡者。

 乾いた唇を一息の隙間でちろりと湿らせて、蒸気と共に肺の中身を吐き出した。

 

 視界の隅にちらりと写り込んだハロン棒を目印として、更に大きく強く踏み込む。

 示された残りの距離は4ハロン(800メートル)。ここから差し切るか、はたまた後ろから差されるのか──結末は未だ不明のままである。

 何せ、レースに"絶対"など無いのだから。

 

「後ろからだけじゃなくて……っ、ここからっ、差し切られそうになって、もっと頑張る、ウマ娘ちゃんの顔も見てみたい……ッ!」

「……ッ!!」

 

 その言論を補強するのは隣を走行するウマ娘(アグネスデジタル)だった。

 彼女の脚元から轟く蹄鉄の音はいっそ暴力的であり、ファインドフィートも肝を冷やさざるを得ない。

 

 ──しかしファインドフィートにとっては幸運な事に、この段階でのアグネスデジタルというウマ娘は未だ蛹の状態である。

 彼女のトレーナー以外は知らない事だが、本領を発揮(芝とダートを蹂躙)するのはもう少し先の未来の話となるだろう。

 

「ふおおぉぉぉ……──!」

 

 前へ右脚を振り抜いた。隣り合う未完のウマ娘を越え、さらにもう一人を躱して進む。

 前方には残り四名の先駆者。後方では十三名の追跡者が地を鳴らす。

 

 ファインドフィートの眼前では逃げのウマ娘は枯渇しかけているスタミナをさらに振り絞り、脚を動かしていた。

 先行のウマ娘は先頭を奪うためにかピッタリと照準を前へと向けている。

 そしてファインドフィート達、後方に所属していたウマ娘も同様に──"まだ足りぬ"と脚に活を入れ、溜めに溜めた全霊の出力(ラストスパート)を始めていた。

()()()()()()()()()とは、はたして最初に誰が言い始めたのか。

 語源なんぞファインドフィートには全く興味のない事柄ではあるが、実にありがたい金言である。

 この言葉のおかげで"仕掛けるのならさっさと仕掛けろ"と、簡潔で単純な事実が浮き彫りになるのだから。

 

『順番が激しく入れ替わっています! 

 先頭はオオヤマライデンからヤ■■ト■へ──』

 

 前方の熾烈な争いを視界に収め、その場に参戦するため更に踏み込む。

 更に更に、もっともっと"まだ足りない"と強く鋭く、芝を潰す。

 

「まだ、まだっ」

 

 耳鳴りがする。

 肺が膨らむ度ににごうごう、ごうごうと耳朶の内を濁流が満たして止まない。

 芝を蹴り、姿勢を一息で()()()()()吐息を漏らして、ほんの少しでも濁流を吐き出そうと口を開く。

 けれども零れ落ちたのは裂帛を籠めた唸り声のみ。

 

 既に心臓(炉心)の駆動率は臨界点。理性は痛みに赤熱し、本能は狂ったように泣き叫ぶ。

 脈拍は正常性を見失って久しく、独創的にも程があるリズムをかき鳴らしていた。

 

「ぐ、ゥ……!」

 

 漏れる喘鳴を噛み潰す。

 脚の震えを踏み潰す。

 青い靴の裏側で、蹄鉄がぐしゃりと歪んだ気がした。

 ──けれども甲斐はあって、()()に供給された活力が総身を満たす。

 淀んだ執念さえも漂う、度を超えた加速だった。

 絶対に負けられない──否、"()()()()()()"というナニカの意思を感じ取れる程に。

 

『──最■直線です! 

 中■の直線は短い! 中山の直線は短いぞ!! 

 どの娘が先頭の景色を独占するのか──!!』

 

 コーナーを曲がり切る。

 今更遠心力に振り回されるなんてことはありえない。

 素地として体幹を鍛えに鍛えているのだ。小動(こゆるぎ)もしなかった。

 そんな事実になんら感慨を覚えることもなく──ただ、もう一度呼吸を入れて気力を回復させる。

 

 そして、()()

 更に深く、バ体の可動域()()を最高効率で活用するためだけの態勢だ。

 葛城トレーナーに指導されてすらいないフォーム。

 

「もっと、深く、速く……ッ!」

 

 この土壇場で形作ったのは本能故か。

 さながら何らかの天啓を受けたかのような、確信を伴った変性だ。

 だが間違いなく──これこそがファインドフィートという()()()に最も適した走法だった。

 

「──あっ、そうだ。

 前々から見覚えあるとは思ってたけど……」

「なんか、オグリキャップみたいだな。ファインドフィートって」

「オグリキャップ二世だ」

「オグリキャップはクラシックに挑めなかったけど、この娘なら──」

 

 ──"あの人みたい"。

 "あの人の後継者"。

 "あの人が出来なかった事をやってほしい"。

 誰も彼もそれらのレッテルを貼り付けられた少女が何を思うのかなんて一切気にせずに想いを連ねる。

 目指すべき事や自分の軸を決めるべきは当人であるべきなのに、無責任に夢と理想を押し付けた。

 世界とは、所詮そういうものだった。

 

 何せ、ウマ娘の祖たる女神さえも囚われている業である。

 事の裏を知る由もない大衆の熱狂は、ある意味で仕方のないことだ。

 

 ……故にファインドフィート(殻の内側)を見る者は、未だ誰も居ない。

 少なくとも、今はまだ。

 

『ファインドフィート! 伸びる! 伸びていく!! 

 先頭はファインドフィート! キンイロリョテイ追い縋る! アグネスデジタル追い縋る!! 

 しかしバ身差はまだ埋まらない! むしろ離れて行きます!!』

 

 熱気を含む風がファインドフィートの顔を叩く。

 生暖かくてぬるくて、観客席の熱狂を反映した空気は少し重い。

 

「一番は、わたしです……ッ!」

 

 先頭に至ろうと尚脚を緩めることはなく、白い彗星は前へ前へと押し出されていく。

 前へ前へ、前へ前へと直線一気。追跡者達を振り切るため、無垢な残影を描いて駆ける。

 

 ゴール棒はすぐそこだ。

 尻尾を三回程度の揺らす時間でもあれば到達できる。

 他者の足音はすぐ傍らに、風は遥か後方に、"輝き"は指先が届くほどの目の前に。

 

 真っ赤に染まるゴール棒がファインドフィートを睨みつけて、"僕はここだよ"と笑っていた

 観客達の顔も、指先も、芝の葉さえも綺麗な赤で飾られてキラキラ輝く。

 

 ──こんなもの、世界が赤に染まっているのではなく、色覚に異常をきたしているだけ。

 眼球に上った血によるフィルターが主張しているだけの光景に過ぎない。

 

 

 その事実(レッドアウト)に気付けたのは……ゴールして頭が冷えて、少しの時間が過ぎた後。

 膝に手を突き息を吐き出すうちに、体内に溜まった熱を多少なりとも抜き取ることが出来たお陰だった。

 

『ファ■ンドフィートです! 皐月賞、今世代最速のウマ娘が、今此処に決定しました!』

 

 ファインドフィートの名前を呼ぶ声が聞こえる。

 ファインドフィート、ファインドフィート、おめでとう。夢を見せてくれてありがとう、と。

 

 汗に塗れた顔を必死に持ち上げて電光掲示板を睨んだ。

 滴る水分が風を受け止めて蒸発し、ついでの如く熱を奪う。些か不快だった。

 だがそんな矮小な苛立ちも、やがて汗と一緒に消え失せる。

 結局最後には、安堵の心だけが彼女を満たした。

 

「……姉さん、姉さん。

 見ていますか、見えていますか?」

 

 白い耳がぶるりと震えて、赤い耳飾りが淡く鳴く。か細く健気に。

 

「ひとつめ、です」

 

 突き立ったのは一本指。太陽を突き刺そうと藻掻く様は美しい。

 それは、俯いて悔し涙を流す周囲のウマ娘達に目を瞑れば──という話ではあるが。

 

 けれども、どうしようもない事だ。

 勝負事は夢も希望も、失意も絶望も沢山詰め込まれた玩具箱のようなもの。

 それに挑むと"選択"したのは、他の誰でもない彼女達自身なのだから。

 

「……あ、ブルボン先輩だ……。

 テイオー先輩もいる……」

 

 息も絶え絶えなままのファインドフィートは、引きつる瞼を抑えながらも理解する。

 血潮で真っ赤に染まった網膜越しの世界は、想像以上に酷薄だった。

 

「わたしが、走る所……見てくれましたか?」

 

 

 




 ──想いを受け継いだ! 
『ファインドフィート』の継承効果! 
 スピードが40上がった。
 パワーが20上がった。
 『ペースキープ』のヒントLvが4上がった。

『太陽』の女神の継承効果!
 賢さが20下がった。
 『茨の冠』のヒントLvが1上がった。

 コンディション獲得……。
 "選択権限制限中"になってしまった。


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