【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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20話

"……はぁ、何ですって?『あなたの愛は捻じくれている』?

まったく久しぶりに連絡してきたかと思えば、『海』ちゃんはうるさいですねぇ……"

 

"あの娘が……ファインドフィートちゃんが夢を叶えるためですよ?

何の問題があるって言うんですかぁ?"

 

 

 


 

 

 

『──続いてのニュースです。

 先日の中山レース場で、新たな皐月賞ウマ娘が誕生しました。

 ファインドフィート氏の記者会見では──』

 

 声に反応して、壁に掛けられた大きなテレビに視線を向ける。

 ファインドフィートの目の前で文書を読み上げているのは年若い青年だった。

 スピーカー越しに微かな起伏を織り交ぜて、つい数日前のスポーツニュースを取り上げる。

 やや堅苦しい論調であれども私情を交えず、中立の立場から報道する事に定評がある男だ。

 

 ……しかし、その割には随分と()()()()な雰囲気が滲み出ていた。

 このような人間でも頬が緩んでしまうあたり、トゥインクルシリーズの持つ影響力が伺えるというもの。

 

「ああ、あの時の会見ですか……」

 

 画面が切り替わり記者会見の場を映す。

 端のテロップには"皐月賞"、"目指すは無敗三冠"などと聞こえのいい文言が踊り、視聴者へ向けて分かりやすいニュースへ飾り立てていた。

 

『月刊トゥインクルの前澤です。

 皐月賞、おめでとうございます。

 レースに至るまで様々な苦難があったかと思いますが、それらを乗り越えた現在の心境をお聞かせください』

 

『……はい、ありがとうございます。

 現在の心境、ですか……。

 ……そうですね、わたしが此処まで来れたのは──』

 

 マイクを手に取り、記者の質問に答えるファインドフィートは無表情のまま。

 凛々しい(かんばせ)とは裏腹に、微妙に(つたな)い敬語で事情を紐解く。しかし彼女はこういった場に不慣れなのだから、仕方がないといえば仕方がない事なのだ。

 これを緊張感で舌を鈍らせる姿は年相応の子供でしかないと表すべきか。はたまたアスリートとしては落第点と評するべきか。

 どちらにせよ矢継ぎ早に投げかけられる質問を捌こうと四苦八苦している姿は、見るからに──。

 

 ──ファインドフィートはそんな自分の姿を眺めて、我が事ながら無様だなと、鼻で笑った。

 口下手。無表情。耳も尻尾も落ち着きなくピコピコ跳ねている。

 "全く、こんなのだからダメなのだ"と自分の手首を握りしめた。細い関節がやけに頼りない。

 

「……はぁ」

 

 喉から響かせたのは掠れた吐息。

 考え込んでも無駄でしかないのだが、気は重くなってしまうもの。

 頭を振って切り替えようとしてみたものの、溜まった熱を追い出すことなど出来なかった。

 

『──次の目標は日本ダービーとの事ですが──』

 

「……」

 

 リモコンを操作する。

 

 切り替わったチャンネルでは今年の有力ウマ娘を特集していた。

 オオヤマライデン、キンイロリョテイ、アグネスデジタル、ファインドフィート。

 辛口な事で有名なコメンテーターが舌先三寸で評価を語り、司会者が纏めて面白おかしく盛り上げていた。

 やれあの時はこうしたほうが良かっただの、ここで差したのは早すぎただの、走りもしないヒトミミが走り方にケチをつける。

 

 ……とはいえ、それが彼らの仕事であること程度ファインドフィートも理解していた。

 結局最後は"今後が実に楽しみですね"と期待を滲ませて、綺麗な風に整え終わる。

 

「……」

 

 リモコンを操作する。

 

 丁度番組の小休止のタイミングだったらしく、コマーシャルの宣伝が始まった。

 見覚えのある──というよりも、見覚えしかない栗毛のウマ娘が無表情のままスティック状の菓子を頬張っていた。プロテイン20グラム配合! と派手に強調された謳い文句を棒読みで読み上げる様は、如何とも表し難い。

 

 所謂タイアップ企画、というやつだ。G1ウマ娘になればこうして企業から提携依頼が届くという話は有名である。

 実際、ファインドフィートにも"そういった話"が来ている事をトレーナーの口から聞いていた。

 しかしながらこの大事な時期に行動に移せるわけもなく、余裕ができた頃によろしくねという挨拶のようなものだったらしいが。

 

「……」

 

 ……小さく嘆息して、もう一度リモコンを操作する。

 

 右上の赤いスイッチを押し込んで、液晶の電源をオフにした。

 真っ暗に薄ぼんやりと反射する顔は、どうにも酷く疲れているよう。

 とはいえこんなもの、きっとパネルの黒色が見せる錯覚だろう、なんて、空々しく嘯いた。

 

 窓の外から響く()の鳴き声が、彼女を嘲るように反響する。みーんみーんと季節を無視して厚顔無恥の大合唱だ。

 ファインドフィートは()()()()()とふたり並んで、座布団に詰まった綿を尻で押し潰した。青い布が不機嫌に空気を漏らす。子供向けの小さな布地で作られていて──。

 

「……わたし、なんで此処にいるんでしょう」

 

 ──ふと、降って湧いた疑問が口をつく。

 彼女が今尻に敷いている座布団は、所持していた覚えなどない代物だった。

 よくよく考えてみれば大きな薄型テレビなんて寮の一室に(入り切らない故に)置いていないし、そもそも部屋の内装からして違う。

 ……だからといって、通い詰めているトレーナー室でもない。

 それどころかトレセン学園の何処とも一致しない、セピア色に寂れた雰囲気の一室だった。

 

 瞳を左に泳がせる。部屋の隅には学習机がふたつ。子供向けの丸い木材から造られている。

 頭を右に回してみれば、壁際に設置されている可愛らしい本棚が視界に収まった。

 背の低い棚の中に並ぶのは天体に関する辞書や、ウマ娘のレースを記す雑誌や教本達である。

 その隣に整理された玩具箱がもの悲しげに佇んでいた。中に入っているのは望遠鏡や星座盤、ファインドフィートが願う夢の(きざはし)だった。

 

「……けれど全部、捨ててしまったのです。

 わたしの手で、わたしが選んで……」

 

 天体を示す背表紙を視線でなぞって、淡い懺悔を混ぜて吐き出す。

 温かくも生々しい、見覚えのある子供部屋に。

 

「あのキズ、あのくすみ……。

 ……本当に、懐かしい。 本当に」

 

 白い壁紙に刻まれているキズも記憶通り。

 ファインドフィートの隣に座り込んでいる芦毛の少女と一緒に遊んでいた時に、勢い余って木の棒をぶつけてしまった時に出来たもの。

 その後ふたり揃って母親に叱られたのも、今となってはいい思い出だった。

 

 双子が過ごした過去の居城、ファインドフィートの生家であるのなら、それらは決して欠かせない大事な痕跡だ。

 

 母親の手で丁寧に磨かれた学習机も、双子それぞれの趣向を反映した本棚も、記憶の中に残っているままの姿。

 違うところがあるとするなら、それは観測手たるファインドフィート()だけだろう。

 

 "夢ですね"と、反射的に答えを弾き出す。

 "女々しいな"と、自虐的に己を罵る。

 

 もう何処にも存在しない写真(四人家族)が机の上に立て掛けられていて。

 しかもその上、自分の手で燃やした()()()()が本棚の半分を専有している。

 そんな事、現実にはありえない。ありえてはならないのだ。

 

 ──そして、"あまつさえ"と瞳の先を真横に向ける。

 そこにいたのは己と同じ芦毛の少女。

 同じ耳、同じ尻尾。 同じ顔。 同じ身体。

 違うとしたら、その瞳の色彩のみだった。

 

 彼女はそれを認めて、下唇をゆるく噛み締めた。

 今更、この期に及んで──彼女の『姉』と同じ空間を共有できるなんて、都合が良すぎる幻想だ。

 

「……本当に、みっともない」

 

 ──"でも、これぐらい良いですよね"と、湿った後悔を口から零す。

 ファインドフィートは『姉』の正面に座り込んで、その赤い瞳を見つめた。

 鏡のように反射する芦毛の少女(歪んだ命)

 今此処にある『弟』の姿こそが何よりも冷たく過去との乖離を証明する。夢のくせに、何処までも無慈悲だった。

 

「見てくれましたか、姉さん。

 わたし、皐月賞を取ったんですよ。

 シンボリルドルフさんのみたいに、ミスターシービーさんみたいに……」

「……」

「ブルボン先輩みたいに、テイオーさんみたいに……わたしも……」

 

 『姉』は語句を返さない。耳も尻尾も寸分さえ動かず、彫像の如くに鎮座する。

 ただ、ぼんやりと見開かれた赤い瞳が無機質に蛍光灯の光を受けて煌めくばかりだ。

 淡々と言葉のキャッチボールを受け止めてるだけの彼女を見ていると、喉が引きつってしまう。

 

「わたしも、夢に向かって走れます。

 みんな……応援して、くれていますから」

 

 ……"それでも"と、もう一度口を開く。

 続けられた声音は生暖かく、微かな震えを帯びていた。

 

「──でも、結局わたしが走れたのは……わたしの力じゃなかったんです。

 みんな、わたしを通して、わたしじゃない何かを見てるんです」

「……」

 

 乾いた唇を舐める。

 ほのかな鉄錆の味が舌を苛んだ。

 

「わたしは、姉さんの名前を残さないといけないのに。

 ……わたしが、姉さんにならないといけないのに」

 

 尻の下に敷いた青い座布団に、更に深く体重を掛ける。

 苛立ちは際限なく胸の奥で淀んで濁って、真っ暗なテレビを見つめる瞳にも刺々しい色が混ざってしまった。

 どろどろ、どろどろ、滲む心は極彩色。

 現実では決して表出しない(仮面の裏に隠した)感情であれども、この夢の世界ならば叶ってしまう。

 

「きっと……わたしが弱かったからダメなんです」

 

 ……けれどその感情を肯定してしまえば、ファインドフィートは自分で自分を許せなくなってしまう気がしていた。

 生かされた側の自分が、何もかもを与えられている自分が、好き勝手に振る舞うなんてあり得ないのだ。

 だからじっと瞳を抑えて心を隠した。いつも通り、必死に。

 

「だから、だから……もっと、ちゃんと走らないと。

 夢を、叶えないと。

 名前を、足跡を、残さないと……っ」

 

 頭を抱えて、耳を震わせ尻尾も丸めて小さく蹲る。

 夢の世界だと言うのに、今この瞬間も胸が痛んで仕方がなかった。

 ずきずき、ずきずきと、ファインドフィートを焦がして止まない。

 

 そして麗しい荊棘が愛情のまま、彼女に絡みついてささやくのだ。

 "走って"、"どこまでも"、"夢のために"。どこまでも深く染み込む、甘ったるい声だった。

 

「分かっています。

 ……分かって、います」

 

 ──そんな姿を、隣の赤い座布団に座り込んだ『姉』がガラス玉の瞳で見つめている。

 青い瞳のファインドフィートと瓜二つの容貌で、全く同じ芦毛を伸ばしたウマ娘。

 ただ唯一違うのは瞳の色のみ。

 澄んだ赤い瞳は光を透過し、うすぼんやりと見開かれたままだ。

 

「……姉さん」

 

 トレセン学園の制服に身を包んでいる姿はきっと、ファインドフィートの願望を形にしたものだった。

 きっとあの日、交通事故に遭わなければ。 あるいは、ふたりの立ち位置が逆だったなら現実の物となっていた姿。

 ……その姿を見つめていると、どうしてか指先の震えが止まらない。喉の奥にツンとした淀みが溜まってしまう。

 

「ごめんなさい……もっと、走らないといけないのに」

 

 ──そんな愛しい片割れに向けて、縋るように、祈るように跪く。

 二人の距離はすぐ近く。

 手を伸ばせば頬にだって届くだろう。抱きしめたいと願ったのなら、ほんの一瞬で叶うだろう。

 

「────」

 

 "姉さん"と呼ばれた少女は動かない。

 瞳を揺らすこともなく、耳も尻尾も振りもせず、口を開きさえしない。

 無表情で無感動。有機的でなりながら無機質。淡々と、ありもしない遠い地の底を眺めるばかりだ。

 なにせ彼女は夢の産物だ。そのような機能、持てる筈もない。

 

「だってわたしは、ファインドフィートだから。

 だから、だから……」

 

 "走らないと"。

 そうファインドフィートの口から零れ落ちた青色は、酷く傷みきっていた。

 

「頑張らないと、いけないんです。

もっと、もっと、もっと……っ」

 

 ……言葉を聞き届けた少女は、やはり何も返さない。返せない。

 (こうべ)を垂れた片割れのつむじを見下ろすだけで、慰めの意思の片鱗さえも表せなかった。

 

「……ごめんなさい。

 ごめんなさい、姉さん……」

「……」

 

 それでも、彼女は縋り付いた。

 彼女の『姉』は(こぼ)れた心を受け止められない。

 所詮は夢の世界に顕れただけの、ファインドフィートに"ファインドフィート"を受け継がせた過去の残滓。単なる残響を形にしただけの物。

 精神の欠片程度なら残っているかもしれないが──どうあっても()()ではない故に心は宿らない。

 

 ……当然、知っている。本当の『姉』はもう死んでしまったのだから。

 だが此処にいる彼女が偶像だったとしても、ファインドフィートにとっては大切な『姉』だった。

 そっと服の裾を握りしめて小さく震える。取り残された迷子のように。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 目が覚めたら、もっと頑張るから。

 ちゃんといい子になるから、だから、今だけは──」

「────」

 

 ──()()()()()『姉』にとって大切な『弟』だった。

 今此処にいる『姉』の顔に感情の色は宿っていない。不確かな存在は今にも消え失せてしまいそうな危うさがある。

 

 "しかしそれでも"、と。

 ゆるゆると右手を持ち上げて、目の前の頭上に乗せた。

 "慰める"という意思の行いではない。夢であろうとなかろうと、そんな機能とうの昔に消え失せている。

 "義務感"という思想の発露ではない。そんな重みを解するだけの思考能力は何処にも無いのだから。

 

「……」

 

 これがファインドフィートが願った夢というだけなのか。

 それとも女神が見せた気紛れの幻想なのか。

 ……あるいは──。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい」

「…………」

 

 ──何にせよ。

 どう解釈して足掻いた所で、瞼の外の現実は変わらない。

 

 しかし瞼の外の事情の尽くは、瞼の裏側である今だけは存在しない事柄と成り果てている。

 故に、夢の一時を邪魔する者は誰も居ない。

 双子の間を引き裂くものは何もないのだ。

 

 『弟』は何に謝っているのかも分からずに、小さく声を震わせる。

 『姉』は何をしているのかも理解できずに、ぼんやり頭を撫ぜるのみ。

 そうして満ちる静謐な空気が二人を取り囲むばかりだった。

 

 ……部屋に響いていたはずの蝉の金切り声は、いつの間にか止んでいた。

 

 

 

 

 

「──……姉、さん」

 

 "ぱちり"と、目が覚めた。ふと我に返った。

 どちらとも形容できるほど自然に、眠気の海から浮上する。

 

 開けた視野は明瞭で、ピントが合うのもすぐだった。

 窓のカーテンの隙間から差し込む朝日と、空気中で反射してキラキラ輝く塵のおかげだ。

 住み慣れた寮の一室は暖かくファインドフィートの目覚めを祝福している。

()()()()()()()()()()()()の体温の高さもあって、彼女の心を優しく解してくれる。

 

「姉さん……?」

 

 頭部に乗せられた手は横から、つまりベッド脇から伸びていた。

 ぼんやり鈍ったままの脳みそで、現状を解きほぐして呑み込もうと思索してみる。

 ……が、どうにも思考回路と感覚が噛み合わない。

 

 ゆったり、ゆっくり、呼吸を刻んでぼうっと瞬く。

 はて、目が覚めたのに何故頭に重みを感じるのだろうか。

 何故思考が纏まらないのか。そもそも自分は今目覚めているのか。この瞼は開いているのか。

 どれもこれも、今のファインドフィートにはまったく理解が及ばなかった、が──。

 

「……フィートさん。おはようございます」

 

 ──おもむろに手の主とパチリと目が合う。

 主が鎮座するのはベッドの横、備え付けられた椅子の上。ゆらゆらと揺蕩う栗毛の尻尾を視界の端に捉えつつ、彼女とは違う深みの青を見つめる。

 星のような瞳が影の下で輝いていた。

 

「フィートさん、大丈夫ですか?」

「……ぁ。

 ぉはよう、ございます……?」

 

 ミホノブルボンがゆるやかに腕を揺らし、釣られた手先がファインドフィートの白い頭髪を撫でていた。

 丁寧で優しい手の平を通じて現状を把握したは良いものの、やはり頭の中はぼんやり重たいままだった。

 

「……ぁ」

 

 時間を掛けて徐々に平常時の思考速度へ回帰する最中も、白い髪を指先がなぞる。

 こそばゆさと安心感で包み込まれて、また起き上がろうにも身体に力が入らない。

 胸の痛みが紛れる気さえするほどに優しい手だった。

 

「……その。魘されていたようなので、頭を撫でていました。

 蓄積されたメソッドには、他者と触れ合うことで感覚ニューロンを刺激することができ、リラックス効果を高めることも可能という記述があります。

 つまり、夢見を良くしたかったのです」

「……それは……その、ありがとう、ございます」

 

 何とか口を開いても、どうにも鈍い舌先だった。

 夢の景色を否応なしに想起させる手つきのせいだろうか。

 このぬくもりが、どうにもファインドフィートの心に染み込んだ。

 普段なら常に気にしていた筈の時計の針さえ視界に入り込めず、独りぼっちで駆動しているばかりな程に──。

 

「──フィート、さん? 

 泣いているのですか?」

 

「……?」

 

 ──咄嗟に跳ねた指先で頬を擦った。

 しかし指先に水気を感じることはない。涙なんて流していないのだから当然だ。

 

 ミホノブルボンの勘違いだった事を理解して、安堵のため息をひとつ。

 じっと耳を伏せ、ふたつみっつと瞼を瞑って開いてすぐ隣の少女を見上げた。

 

「……ブルボン先輩?」

 

 何故だろう、と困惑の意が喉に籠もった。

 ファインドフィートとよく似た雰囲気の無表情が僅かに形を変えて、端正ながらもほのかに暗い色を浮かばせている。

 何故だろう、ともう一度疑問を瞳にのせる。

 ミホノブルボンが辛そうな顔をしている理由が、悲しそうに瞳を揺らしている原因が分からない。

 

 ファインドフィートの額に手を置く彼女は、あいも変わらず無表情のままだ。

 ……が、その雰囲気から内心を汲み取るのは存外簡単な事である。

 

「あの……もう少しだけ、こうしていてください。

 お願いします……そうしたらまた、元気になりますから」

「……オーダー、確認しました。

 オペレーション『休息』を実行します」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「──という、事が昨日ありました。

 以上の事実からフィートさんの状態を演算した結果、ステータス『疲弊』である可能性が95%であると推測されます」

 

「……そっか。

 やっぱりそうだよねー」

 

 うんうんと小刻みに頷きポニーテールを揺らしたのはトウカイテイオー。

 休日午後二時のカフェテリアは利用者が少ない事もあってだろう。周囲に彼女ら以外の姿は存在しない。

 テーブルの対面に座るミホノブルボンは、やや間を空けて耳を垂らした。

 しょんぼりしなしなと力を失う様子は見る者に哀愁を感じさせる。

 

「……胸の奥に『かゆみ』を検知しました。

 フィートさんの苦しげな顔を認知する度に、一秒ごとに増大しています」

 

 手にもつカップが小さな音を立てて受け皿(ソーサー)に着地する。

 赤い紅茶に波打つ紋ばかりがやけに目立った。

 

 普段一緒に行動している筈のファインドフィートの姿はない。

 今日の彼女はトレーナーと共に高地トレーニング(低圧低酸素環境)まで出張中だ。

 だからこそ、こうしてトウカイテイオーとミホノブルボンは集まった。

 

「……つまり、『心配』です」

 

 ミホノブルボンはもう一度カップを持ち上げ、乾いた唇を潤した。

 対面でちびちびとはちみーを舐める鹿毛の少女に"最近のフィートの様子、なんか変じゃなかった? "と質問をされて、問われた通りに答えたのみではある。しかし不思議と乾いてしまうのだから仕方がない。

 

「……ん」

 

 唇を湿らせる。

 そして質問の意図の本質を掴み損ねた故の疑念をうっすら瞳に滲ませて、目の前のトウカイテイオーを見つめた。

 少女は眉をハの字に歪めて悩んでいるらしき彼女は瞳を伏せたままだ。

 ただ、深い思慮からなる重みで耳を垂れさせていた。

 

「う~ん、う~ん……?」

 

「ところで、テイオーさん。

 本日集まったのは……どうやら、フィートさんの普段の様子を聞きたいだけという訳でも無い様子ですが」

 

「ん……あっ、そっか。

 ごめんね、事情も説明してなかったね」

 

「いえ、それは全く問題ありません」

 

 両手の指を軽く握り合わせて口を開く。

 演算回路から引き出したのは──同室の後輩で、どこか放っておけない空気を纏った芦毛の少女。

 

 ふと、今更ながらに思い出す。

 皐月賞の日から──時折胸を抑えて、何かを堪える姿を。

 いくら思い返しても彼女の表情は変わってなどいなかった。

 しかしその下面の裏側では、きっと苦しんでいた筈なのだ。

 

 その原因は分からない。

 分からないから、分かりたい。

 ミホノブルボンが動く理由なんて、それだけあれば十分だった。

 

「フィートさんが心配なのは、私も同じですから」

 

 無垢な視線を受け止めた少女が再度頷く。

 ミホノブルボンの思いは、友人を助けたいという願いはトウカイテイオーも同じなのだから。

 

「うん……ボクも確証があって行動してた訳じゃないんだ。ごめんね」

 

 言葉を飾らずに言えば、"ただの直感"と言う他ない。

 多少思慮を深堀りしても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という深慮に及ばないもの。

 彼女の周囲から漂い、ふとした瞬間に存在を主張する()()を言語化することは限りなく不可能に近かった。

 

 目に見える何がある訳でもなく、単なる勘違いであるといえばそれまでの話。

 だからこそ今の今まで特別行動に移す事は無かったのだが──。

 

「前々から違和感はあったんだけどね、こう……最近、ますます変な感じがしててさ」

 

「……?」

 

「……あれをなんて言ったら良いのか、ボクもイマイチ分からないけどね。

 何ていうか……うぅ~」

 

 しかし事情は変わった。

 事の起こりは皐月賞の後、ファインドフィートにお祝いの言葉を贈りに向かった時だ。

 普段通りに顔を合わせて、普段通りに一緒にはちみーを買って、普段通りに雑談に興じて、あの瞳を見て。

 ……"目は口ほどに物を言う"とは非常にできた(ことわざ)らしいなと、トウカイテイオーは今更ながらに実感した。

 

「何かに……()()()()みたいだった」

 

 

 

 


 

 

 

寝ても覚めても、ずっと痛い。

ずっとずうっと、ずきずき、ずきずき。

胸の奥が痛んで、苦しくて、頭の中も空っぽのまま変われない。

 

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