ざざぁ、ざざぁ。
潮騒の唄が、深々と耳に積もる。
ざざぁ、ざざぁ。
満ちては引いて、何度でも。
頭の
そして次第に仮面がほつれて──臆病なぼくの顔が、ひっそりと晒される。
風に当たる眼が冷たかったから、きっと泣いていた。
ざざぁ、ざざぁ。
そんなみっともないぼくでも、波の音だけが優しく撫でてくれる。
波の音だけが、悲しんでくれる。
「──よし、そこまで!」
「はい、
少しずつ飲んで……というよりも、飲める?」
「……ッ。
…………ッ!」
「…………?」
砂浜へ顔面を埋めて伏せる芦毛がひとり。
仰向けに倒れ、潮風が薫る空をミホーっと眺める栗毛がひとり。
双方の両手足首に装着された
ウマ娘のトレーニング強度を高めるために開発された器具の効力は恐ろしく高く、特に筋力に優れた彼女等の気力を根こそぎ削るほどに凄まじい。
それこそ最近では比較的
「……もうお昼ですか。
今日は……人参ハンバーグが食べたいです」
「悪いな。 今日の昼は魚料理で、夜は鍋物だ」
「そうですか……」
現実は非情である。
その上追い打ちをかけるかの如く潮風が砂浜に吹き付け、倒れ伏した少女達に砂の化粧を施していく。
燦々と照りつける日差しが咽る程の熱気を無情に生み出し、ファインドフィートの水着の裏まで容赦なく苛んだ。
顔や首、両手足に至るまで、外気に触れる肌にはじっとりと湧き出る大量の汗。
トレーニング直後の疲労故にそれを解消することさえ酷く難儀で、無抵抗に徹することしか不可能だ。
彼女の救いといえば、涼やかに響く波の音のみ。
ざざぁ、ざざぁと繰り返し透明な唄を奏で、ファインドフィートの鼓膜を優しく叩く。
そんな救いの象徴たる青い海に青い目を向けて、潮の香りを堪能しようとぼんやり呼吸を繰り返してみた。
……が、微妙に開かれた口の中に砂が入り込んでしまった。 不快である。
「ほら、パラソルの下にシート敷いてるからそっちに行きましょう?
ちょっとアンクルウェイト外すわね……うっ、おもっ……!」
「……ファインドフィート、自力で外せるか?
頼む、俺には無理だ」
「鬼……ですか?」
抗議を述べつつも、どうにか藻掻いて横向きへ。
そこから更に気合を詰め込み仰向けに。
纏わり付く砂を払い除けもせず、アンクルウェイトを搭載した手首を胸の前に引き寄せて、留具を外すために指先の操作に集中する。
ごそごそ、もたもたと。
それから自由の身になるまで、幾らかの時間が必要だった。
「ブルボンはあっちのシートに運んでいったけど……フィートちゃんも運んでいくわね。
葛城トレーナー、無理でしょ?」
「…………………………あぁ。そうだな」
「じゃ、失礼してっと」
やけに含みのある同意の言葉だった。
それを慣れたように聞き流し、呆れたのままに肩をすくめる。
そして砂浜に倒れ伏したままのファインドフィートの傍に腰を下ろして、首の後ろと膝の下にそっと手を差し込んだ。
女性的な体型でありながらも力強く肢体を律して、横抱きの構えで。
「……あの、大丈夫ですか?
こう、よくある……上体を起こして、そのまま
「大丈夫よ~。 私こう見えて鍛えてるから。
ほら、あっちのブルボンだっていつも同じ方法で運んでるのよ」
「そう、なんですね」
沈黙した芦毛の少女を自己の重心に引き寄せ、大きく一呼吸。
腹部に力を込め、もう一呼吸。
差し込んだ手の位置に注意して、痛めないよう──ゆっくり、立ち上がる。
素晴らしいことに、彼女は未だ
「……んん」
肩身を小さく縮こませ、直ぐ側の喉元から視線を逸らす。
この年になってから誰かに抱えられるという経験は然程多く無く、ファインドフィートは沸々と湧く羞恥心を抑えるのに必死だった。
せめて尻尾が崎川トレーナーの歩行の邪魔にならないようにと自分の腹に乗せ、青い瞳の先を砂浜に落とす。 それでもやはり、どうにも気まずいままだった。
「……すみません、重くないですか?
あと、その、汗の匂いとか……」
「大丈夫、大丈夫」
「そうですか……?」
──事実として、身体の軸はブレておらず力不足故の痙攣もなし。
むしろ崎川トレーナーには、顎に当たるウマ耳の感触を楽しむ余裕さえある。
一歩一歩を慎重に、腕の中の少女を万が一にも取り落とさないよう歩みを進め、パラソル下のシート目掛けて足跡を刻んでいった。
「……トレーナーには、無理そうですね」
「あ~、あの身体だからねぇ……」
「おい、聞こえてるぞ」
「聞かせてるんです。 トレーナーも多少は身体を鍛えてください」
「前向きに検討する……という事で頼んだ」
"是非とも前向きに検討してくださいね"と、すぐ隣に追いついた男をじとりと見つめる。
返答は──気まずげに視線を逸らすことで返された。
最早いつものやり取りである。
結局好転しないままと理解したファインドフィートが小さく溜息を零す事さえ、いつも通りの事だった。
「──ん、下ろすわね」
「ありがとうございます……」
「お疲れ様です、フィートさん。
こちらをどうぞ、
丁寧に降ろされたレジャーシートにそっと座り込む。
そして一足先に休憩していたミホノブルボンからアルミ缶を受け取り、震える指先でなんとか開封。
ぬるい温度に調整された中身を、少しずつ乾いた喉に通していく。
水分を失い火照った身体には効果覿面だった。
「んぐ」
跳ねる喉元。 そこに伝う汗を拭う余裕さえ存在しない。
アルミ缶が空洞になるまで掛かったのは僅か数十秒。
それと同量の水分を失っていたのだとしたら、トレーニングにそれだけの努力を積み上げたという実績の証明でもある。
湿った唇を指で拭い、満足げに頷いた。
「よし、二人共落ち着いたみたいね。
それじゃあ軽くクールダウンのストレッチして、歩けるようになったら合宿所まで戻りましょうか」
「了解です、マスター。
排熱機構、ブーストモードに移行します」
「合宿所まではそう遠くないし焦らなくても良いぞ」
「はい、分かりました。
トレーナーも今のうちに休んでおいてくださいね。
……まぁ、いざとなればわたしが運ぶので問題はありませんが」
しっかりと四肢を伸ばして寝っ転がったミホノブルボンに倣って、ファインドフィートもレジャーシートにそろりと身体を横たえる。
光は変わらず地表に照りつけて、夏の熱気を猛らせていた。
……が、パラソルの遮蔽によって生まれた影の内側は素晴らしく過ごしやすい。
仄かに暑苦しい程度の気温であれば、海風を浴びるだけで心地よさを際立たせるスパイスにしか成らないのだ。
せめて汗や砂などの不快要素が無ければ更に素晴らしかったのだが。
未だに頭髪に絡みついたままの砂を軽く払って、耳を震わせ尻尾を振る。
……数度も繰り返せば幾らか
身体の上下をくるりと反転させてうつ伏せになり、目と鼻の先にある海のさざめきをぼうっと眺める。
青い海に反射する日光が宝石の如くに煌めいていた。
「……サメとか、いないんでしょうか」
ざざぁ、ざざぁと引いては寄せる波を無意味に見つめて、眠気が宿り始めた瞼で幾度かの瞬きで誤魔化す。
大自然の中、パラソルと砂浜の境目で暫しの休息に身体を沈め、緩やかな呼吸を繰り返し──。
「おっ! ブルボンじゃねーか!
おぅおぅおぅ! ここで会ったが四年目! 大人しくこの飴玉でも食いな!」
「ゴールドシップさ──んぐっ」
「マグロ茶漬け味だ! ウマいだろ?」
──そして、瞼がおりる寸前。 破天荒な声音が轟々と鼓膜を揺らして射抜いて弾けた。
慌てて見開かれた網膜に映り込むのは眩い
艶やかな長髪が海を背負って風に揺れて、隙間からは太陽の光を覗かせる。
端麗な
「……だれ?」
……そもそもいつの間に近付いていたのか。誰も気付かなかったのか。
混乱の中、ミホノブルボンの頬をつつく赤いジャージの不審者を眺める。
……やはり、ファインドフィートにはまったく見覚えないウマ娘だった。
「おん? おんおんおん?
おいおいおいなんだよブルボン、オメー妹も居たのか?
ほれ、飴ちゃん食うか? 鮭とば味な」
「いえ、わたしは──むぐ」
声を出すために開かれた口。
そこにぽぉんと飴玉を投げ込まれた。
何処から取り出したのか、なんて至極真っ当な疑念を抱く隙も無く、朱色の玉がころころと舌の上を転がる。
……あまり美味しくはない。
へたりと耳を伏せ、無言で飴玉を噛み砕く。
「おいゴールドシップ! 急に走り出すなつったろうが!」
「んだよトレーナー。 かわいいゴルシちゃんに何てことを言うの?
海底にテレポートさせちゃうぞっ」
そんな彼女等の元に遅れて駆け寄ってきたのは──なんとも、軽薄な雰囲気を纏った男性だ。
側頭部で刈り上げた茶髪といい、それを後部で結わえたスタイルといい、トレーナーという職種にしては中々珍しい様相。
けれども彼こそが"チームスピカ"のトレーナーであり、トウカイテイオー、メジロマックイーンの指導者でもあった。
「あぁ……そういえばそうだったわね」
──そんな突然現れた闖入者コンビの身分を把握し、いち早く再起動を果たしたのは崎川トレーナーだった。
残念ながら葛城トレーナーは夏の熱にやられて隅でしっとり日陰干し。
日常生活が多少改善されたとは言え、所詮は担当ウマ娘にさえガイコツと揶揄される身体でしかない。
ファインドフィートは己のトレーナーへ小さな嘆息を漏らし、じとっと睨めつけた。
ゴールドシップなる少女に頭を勢い良くかき撫でられながらの不満表明。
……が、視界がぶれて長続きはしない。
「……えーっと、お久しぶりですね。沖野トレーナー」
「あー、悪いな崎川さん。 邪魔しちまった」
「いえ、特に問題はありませんが……チームスピカも合宿を?」
「ああ、そこそこ近くでな」
沖野トレーナーはじっとりと額に滲んだ汗を手の甲で拭い、大げさに肩を竦めてみせる。
巷で話題の破天荒娘の手綱を握るのは楽な仕事ではないのだ。
件の少女に視線を向けつつ、声もなく語った。 無音で、しかし雄弁に。
事情を理解できる崎川トレーナーも"そうだろうな"と、納得の意を込めて頷く他ない。
癖ウマ娘ほど御せぬ存在はそうおらず、保護責任者に相当する者の心労は凄まじいモノがある。
ゴールドシップは優秀なアスリートではあるが、同時に生粋のトラブルメイカー。
当人の理念故に
けれども、ファインドフィートには事の経緯を知る由もないのだ。
頬をつつかれながらも助けを求めて崎川トレーナーに視線を送る。
……が、ただ困ったような笑顔で両手を合わせられた。 謝罪のつもりであるらしい。
「あの、ゴールドシップ……さん?」
「フィートさん……興奮したゴールドシップさんを安定制御可能な存在はマックイーンさんしか居ません。
つまり、諦めましょう」
「おいどうした、単三電池型チョコレート食うか?」
「……何故、単三電池なんです……?」
ゴールドシップを振りほどこうにも、未だに体力の回復は殆ど出来ていない。
故に彼女に抗えるはずもなく、出来ることは──ミホノブルボンの助言の通り、近所の面倒くさいお姉さんに絡まれた時と同じく、ただ嵐が去る事を祈るのみだ。
それに、と。
若干ボサボサになった髪を整えつつ、ゴールドシップの顔を見上げた。 無邪気な笑顔を浮かべている。
何だかんだで敏感な耳は触らないように注意していたり、首を痛めないためにか適切な力加減はされていたりと、
「どーした? 浜に打ち上げられたサンマみてえな顔して。
あっ、そういや自己紹介してなかったな! ワリーワリー!
アタシはゴルシちゃん! ゴールドシップ様とお呼び!」
「……わたしはファインドフィート、です。
フィートで良いです」
それ故にか、意外な事にそれほどの不快感は無い。
"これぐらいなら別に良いかな"、なんて許容出来るぐらいには。
「そうか! よぉ~しよしよしよしよしよしよし!
なぁ
「いえ、もう大丈──むぐっ」
「あの、ゴールドシップさん。
フィートさんが苦しそうなのでそのあたりで──んぐっ」
「ほれ、ナマコ味とホヤ味だ。ウマいだろ」
ピタリと一切の動作を止めた無表情コンビと、ニマニマ笑みを浮かべるゴールドシップ。
この僅かな時間だけでも察せられる問題児の行動力。
最早ファインドフィートには何かを言う気も起きなかったが──とりあえず、決してウマいとは形容できない味だった。
「……その、お疲れ様です」
「ああ、まぁ……そうだな。
アイツも何だかんだで弁えてるやつだから……まだマシだ」
沖野トレーナーの言葉に嘘はない。
しかし、隠しきれない歯切れの悪さを誤魔化すように頬を掻く。
"弁えている"のが真実だとしても、騒動を起こしているのも事実であるのだと理解しているからだ。
これまでに何度彼女の行動による被害を被ったのか。
……その詳細部なんぞ一切考えたくもなかった。
「……今はトレーニング後のクールダウン中みたいだし、俺らはここでお暇としよう。
ってなワケでゴールドシップ! 戻るぞ!」
「おいおい、そりゃーねぇよトレーナー! 夢芝居はここからだぞ!」
「いや、そうは言ってもなぁ……」
ファインドフィートの頭を抱え込んだ問題児から"ぶーぶー"と上がる反抗の声。
自由気ままな彼女にしては珍しい行動だ。
ゴールドシップなるウマ娘は"風のように来て、風のように去る"という慣用句をそのまま体現する少女である。 こうして若干ながらも
……とはいえどちらかと言えば、偶々遭遇した近所の犬にじゃれ付いている風の可愛らしいものではあるが。
「二人の休憩が終わるまでは合宿所まで帰れないんだろ?
それまで此処に居座り続けるってのも悪いしなぁ」
「えー、まぁ……ブルボンもフィートちゃんも嫌がってないみたいだし、別に良いんじゃないかと思いますけど」
「いやいや、俺が気にすんだよ。 俺が」
そんな大人二人の会話を聞いたのか聞いていないのか、
そして流れるように無駄のない律動で──両腕をそれぞれ、ファインドフィートとミホノブルボンの腰に回した。
「──じゃ、アタシが運びゃあ良いじゃねーか!
オラッ! ゴルシちゃん宅急便だぞ感謝しな!」
「わっ」
「……!」
ファインドフィート、ミホノブルボン。
その両名を小脇に抱えるゴールドシップ。
三者の体格はそれなりに似通っている割には随分とスムーズな運搬体勢への遷移だった。
「フィート! んな"シケた面"してんじゃねえぞ!
ゴルシちゃん様を舐めてんのか! 笑え!」
「いえ、別にわたしは──」
「行くぞぉ!
ゴルゴル列車発進しまぁす!! カンカンカンカン!!」
「聞いてない……」
──そして、そのまま駆け出す。 大人組をその場に残して軽快に。
飛び散る砂が、ファインドフィート達の尾となり後を引く。
抱えられたままの彼女はぼんやりと漂うそれを眺め──ふと、飛行機雲みたいだなんて、ぽつりと呟いた。
勿論、言葉は置き去りにされていく。 現実逃避の戯言なんぞ拾っていく価値もないと言わんばかりだ。
◆
そうしてはしゃいで、時計の針をぐるりと回してほぼ一周。
"騒がしい一日だった"、"大変な一日だった"と疲労を滲ませつつも──そのくせどうにも眠れなかったから、ベッドから身体を起こし抜け出した。
そこはかとない背徳感がファインドフィートの背筋をのぼる。
ゾワゾワと仄かに沸き立つ高揚感は否定できない。
夜中の探検という用語だけでも、置き去りにされた少年の心を刺激してやまなかったのだ。
「ん……っと、誰も居ないですね。
夜中なら当然かもしれませんが」
寝室に背を向け、深夜の回廊を巡行しつつそっと喉を震わせた。
か細い声が静かな空間にそっと染み込む。
「夜、11時……まぁ、1時間ぐらいなら散歩しても問題ないでしょう」
トレーニング後の疲労は入浴によって癒やされており、軽く出歩く程度なら身体への負担は無い。
どちらかといえば一緒に"あらいっこ"をしたがるミホノブルボンから逃げる事の方が相当に苦労した。
ファインドフィートは少女であれども、十年もの間積み重ねた少年としての生が"流石に勘弁して欲しい"と羞恥心を訴えるのだ。
こればかりは譲れない一線でもあった。
……しかし、それらを含めて総括しても楽しい一日だったことに違いはない。
朝食の団欒も、ゴールドシップによる束の間の特急列車も、穏やかな夕食も──。
それを安息として捉えていたことはどうあっても否定はできぬと、か細く耳を揺らして弾ませた。
右の耳飾りも左の耳飾りもチャリチャリと愉快な金切り音を鳴らして喜んでいるよう。 ご機嫌だ。
廊下を渡り、階を下り、とん、とん、とんと裸足のまま軽やかに跳ねて無人の玄関ホールに踏み込んだ。
棚に並んだ靴の内からサンダルを取り出し、白い脚に履かせて見せる。 夏になってまで長袖長ズボンを着用する理由も拘りはなかったからか、ファインドフィートが選んだのは白い半袖シャツと青いショートパンツ。
……ただし、その選択を少しだけ後悔していた。
夏とは言え夜である故に肌寒い。
小さく肩を震わせ冷気を誤魔化しつつ、玄関ドアを無音で開く。
「……綺麗な星空」
ざり、ざりとコンクリートを踏み締め、土の上を渡る。
散歩の目的地はたった今決定した。
"そうだ、海に行こう"と踏み出す脚で進路を示す。
風は皆無に等しく、白い長髪は彼女の背中に乗せられ揺れるのみ。
音といえばファインドフィートの足音と、時折に響く虫の鳴き声。それら以外は何もない。
「本当は、ブルボン先輩やトレーナーも誘いたかったんですけど……。
眠っている所を起こすわけにも行きませんし」
特にトレーナーは身体が弱く、だからこそ眠れるときには眠って欲しかった。
ファインドフィートが描く夢の為に尽力しているとはいえ、それによって親しい誰かが不利益を被るなど望んでいない。
それは『弟』であろうと『姉』であろうと、どうであっても同じ結論に至るに違いない。
「また明日も、明後日もありますから」
ざりざり、ざりざり。ちりりりりりり。
吐き出した言葉の代わりと言わんばかりに雑音ばかりを耳に詰める。
ファインドフィートが土を踏む音。 雑木林の隙間からはキリギリスの鳴き声が響いている。
一歩一歩を歩み、左右の脚を前に伸ばして繰り返す。
繰り返し、繰り返し──近付いてくる潮騒の音を手繰り寄せた。
ざりざり、ざりざり。ちりりりり。ざざぁ、ざざぁ。
一分が経ったろうか。二分を歩いただろうか。三分か、四分か、あるいはもっとか。
歩みを進めるうちに少しずつ、僅かながらも音の構成が変化し始める。
そんな変調に耳をそばだて、海を目指して前を見る。
前へ。前へ。前へ。
海が近付くほどに、潮騒が鼓膜を撫でるたびに、頭の靄が明瞭に晴れる。
日中もそうであったように、ファインドフィートの頭蓋を満たしていた鎖が解けて緩んでいた。
──昨日から変わらず、胸の痛みは色も形もなく静まり返っているままだ。
傷みが、痛みが、じっと穏やかに息をひそめる。
それ故に、ファインドフィートの安息を邪魔するモノは何もなかった。 何者であろうとも許されなかった。
「……ぁ」
そうして辿り着いた先に在るのは、神秘的に佇むだけの海。
一面に広がる砂浜と、一定のリズムで打ち寄せる波。
潮の香りがファインドフィートの鼻を擽って、夜の海を幽かに彩っている。
足元を爪先で蹴り飛ばせば砂の霞が脆く散った。
「……姉さんとも、来てみたかったです」
それが叶わぬ願いと知っている。
しかしそれでも、空想に描きたくなってしまうのだ。
生きているだけでも辛いことだらけで、夢を追いかけることには苦しみしかなくて、呼吸を繰り返すだけでも泣きたくなって仕方がない。
そんな生涯に癒やしを、安らぎを求めてしまっても仕方がないではないかと。
子供らしい駄々の如くに理屈を捏ね、砂浜に小さく蹲る。 ついた膝は少しだけ湿っていた。
「だって、寂しいです。
わたしの傍に姉さんが居ないことが、姉さんの名前しか無いことが。
姉さんの"名前"がここにあるから、だから一緒にいる、なんて──それだけで片付けるなんて、寂しいじゃないですか」
ゆるく息を吐いて、瞳を閉じる。
いつものようにその場で
流されるまま、無様に呼吸を繰り返すばかりだ。
「……姉さんと、お父さんとお母さんと、トレーナーと、ブルボン先輩と、テイオーさんと……。
みんなで一緒にいられたのなら、きっと幸せなのに」
空っぽの左手を見つめて、独り小さく寝転がる。
夜空の下の砂浜は不思議とあたたかくて、優しく包容してくれた。
"せめて一時でも安らぐと良い。
海の底に、音が生まれます。
言葉をなさぬ音階を高く深く鳴り響かせて、岩に腰掛ける『海』の女神さまがそっと唇を撫でました。
白銀の御髪を流れにのせて、くるくるくるりと戯れさせて。
"なあ、汝よ。 哀れな混血の子よ。
汝の行く末は、きっと素晴らしい軌跡を描くだろう"
表情に色はありません。
けれども声音は、ひどく悲しげな唄のように響きます。
深々と、深々と。
"……
故に
端麗で怜悧な顔を波の隙間に持ち上げて、アメジストの虹彩を地上へ向けて唄います。
地上の少女へ、あるいは少女を通した空へめがけて。
遠く幽かに唄います。 想いを込めて唄います。
けれど真摯で、優しい"呪い"でした。
"……けれど、そうだな。
どうか、最後は笑っておくれ。
春に包まれて、眠っておくれよ。
やがて冥界にたどり着いたとしたら──せめて、邪魔はさせぬ。
『約束』しようとも"