【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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31話 : 断章取義/エピローグ

 

 

 ……だからせめて、弔わないといけないのです。

 死に損なったぼくの全てを使って、姉さんの為に祈りましょう。

 仕方がないから、お父さんとお母さんの為にも焚べましょう。

 ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、捧げましょう。

 ぼくらの生きた証(あしあと)をくっきりと残すのです。

 

 ぼくには、それ以外を望めません。

 それ以上を願うべきではありません。

 

 ……けれど、それでも。 もし叶うのなら。

 最後は本当の(断片じゃない)姉さんがいるはずの、苦痛のない穴へと落ちていけますように。

 

 


 

 

 ファインドフィートの墓参りと同時刻、空の上。

 遥かなる空のざわめきを超越した果ての果て。

 不明瞭な概念そのものである"空"の上にて、二柱の女による柔らかな声が染み渡る。 それは文字通りの意味で天上の調べと表すに相応しい格を備えていた。

 

 ……もっとも、それを聞き届ける人類は誰一人として存在しなかったが。

 

『……やはり、気に食わぬな』

『どうしたんですか海ちゃん、藪から棒に』

『汝が気に食わぬ』

『えぇ……急に神格(じんかく)否定ですかぁ? こわぁい』

 

 とはいえ、ヒトには観測されていない領域である故に当然の帰結だった。

 遥か未来であるならまだしも、現代には神の居城を知る人間なぞ誰一人として存在しない。 ウマ娘であれど、きっと同じの筈だ。

 

 ──そして、その隠された空間に佇むもの。

 白い無垢な地平に建つ、木造の家。

 "それ"が神の住まう居城であり、二柱が相対する場であった。

 神が住まうと言う割には、随分と庶民的で俗物的なスケールでしかないが。

 

 けれども、そのような些事は神々にとってはどうでも良いらしく。

 二柱揃って表舞台の様相を見守りながら、つらつらと口蓋を舌で叩いていた。

 

 片や心底楽しげに、愛おしいと目を細めて。

 片や心底苛立たしげに、怜悧な口角を鋭く尖らせて。

 

 全く正反対の気質を持つ女神達だ。

 彼女等がどうして同じ格の存在として纏められているのかと問われれば、多くの人間は首を傾げるだろう。

 

 今回の対談はまだ始まったばかりだというのに、早くも場の空気が()()()()()程にウマが合わない様子である。

 

『……しかしどうせ、その行動こそが最善であるとでも言うのだろう? 

 情報の秘匿も過ぎれば滑稽だぞ、汝』

『あら、そうでしょうか? 

 だってしっかり隠してあげないと、ファインドフィートちゃんが困っちゃうじゃないですかぁ。

 それに、ほら! ヒトは誰だって、親しい誰かにこそ知られたくないモノがあるのでしょう?』

『隠したいモノか。

 それは隠されるべきモノか、隠すべきモノなのか、場合によって異なろう。

 ……汝はそこまで考えているのか?』

『えぇ、えぇ、もちろんですよ! 

 あんまりあの子の心に近付かれると夢が遠のいちゃいますからね。

 つまり、しっかりと隠すべきです!』

『そうか、吾は隠さないべきだと踏んだのだが……。

 汝は、己の選択に随分と極まった自信があるようだな』

『それはだって、神ですから』

『……そうだな』

 

 ゆるく長く息を吐いたのは、長い銀の御髪を持つ女。

 現代に於いては『海』と呼ばれる、種族の頂点を構成する三角の一点であった。

 

 そして、『太陽』の女神が持つ異なる価値観という壁を流し見て。

 幾度目になるかも分からない程に繰り返した通り、堪忍袋の緒を締め直す。

 吐いた息に込められたのは苛立ちの棘ではなく、単純な呆れの色が濃い。

 それが女神の──"神"という生命が有する性であることを正しく理解しているからこその、歪みのない感傷だった。

 

『だしても本当に、何故こうも……』

『お悩み事ですかぁ?』

『……ああ。

 現在進行系の、深い懊悩がある』

 

 ──悩みの原因はお前だ、とは口に出さない。

 こういう語りを是正しようと討論を挑んだとしても、結局無駄な徒労に終わる。

 そもそも彼女の何かが悪いわけではない。

 善悪という基準を神に当て嵌めようと画策する時点で不適切であり、前提の時点で破綻しているのだ。

 

『……』

 

 ……しかし、それはそれとして、やはり気に食わない。

 苛立たしさに打ち震える心の淀みを振り払おうと(かぶり)を傾け、白銀の頭髪をゆらりと舞わせる。

 身に纏うのは装飾の類なぞ一切皆無の赤い貫頭衣。

 その表層をはらりと撫でて、微かな白光の軌跡を描いた。

 

『……あぁ、本当に、面倒だ』

 

 質素な椅子──良く言えば家庭的な椅子に腰を下ろしたまま、眉間に指先を添えた。

 常日頃は全く動じず、因子継承という単なる機構に徹していた彼女らしからぬ懊悩である。

 何を問えば良いのか。何を以て正すと云うのか。

『海』の女神は、これまで経験した事のない問題を前に、一切の答えを絞り出せずにいた。

 

 ……そも、『太陽』の女神がこれほどまでに独りの子供に入れ込むとは予想さえも出来なかったのだ。

 そんな彼女では──非常に口惜しくも、明快な一手は終ぞ思い付かなかった。

 何と論じれば、『太陽』の価値観にヒトという存在の構成を割り込ませる事が達せられるのか。

 何と意思(いし)を投じれば、『太陽』の心に訴えかける事が叶うのか。

 

『どうぞ、紅茶です。

 今日は良い茶葉(貢物)が入手できたんですよぉ』

『……吾は、何方かと云えば緑茶派だ』

『あら、残念』

 

 結局冴えた一手は陽炎のまま、現実の形には変容しないままだった。

 咄嗟に負け惜しみにも似た悪態をつき、そっぽを向く。

 

 配置されたティーカップに手を付けもしない。

 ただ怜悧な表情で顔を固定し、卓を挟んだ『太陽』を見つめた。

 

 ……対する『太陽』は何を言うでもなく、そっと口を閉ざすのみ。

 変わらぬ笑顔のままでカップに唇をつけ、静寂を保つ。

 

 そして、しばしの空虚に満たされた。

 ゆらりと、椅子の後ろで白亜の尾が揺れる。

 ぷかぷかと浮かぶ湯気を揃って見送り、惰性が滲む時間を過ごすばかりの──。

 

『──否、それは不適切だ。

 吾には、汝へ問うべき事があったのだから』

『へぇ、何でしょう。

 答えられることなら良いですよぉ』

『……』

 

 にこにこ、にこにこ。

 紫色で射抜く眼光を受け止めても尚、可憐な表情に変わりはない。

 声音は高く、軽やかなままで。

 いっそ、無機質なまでに揺らがない。

 

 淡々と、泰然と。

 吐息のリズムは不変で、波のように嫋やかにふくらむばかり。

 ただ細い白魚の指で白磁の器を弄んでいる。

 

 そんな彼女を観察して、そっと眉を顰めた。

 それは淡白な諦めに近く、憤慨からは両手の先の幅よりも尚遠い情動である。

 頭の片隅薄らぼんやりと理解しながらも口を開く。 ティーカップに触れることのなかった唇は、酷く渇いていた。

 

『なぁ、汝よ。

 吾は、あの幼子がどのような結末に至ろうとも……何も手を出さず、眺めるだけの木偶(デク)に徹するつもりだったのだ。

 如何な来歴を経たとしても、当者の選択によって齎された結果ならば。

 それは、吾が穢すべきではない領分だ。 誰にも穢されてはならない領域だ』

『……はぁ。

 それならそれで良いのでは? 

 だってあなた、出不精じゃないですかぁ』

『海底に沈んでいるだけだ』

『つまりは引きこもり……ってコトですよね? 

 大丈夫ですかぁ? 今度一緒にハイキングでも──』

『そうやって話を逸らそうとするのは悪い癖だな。

 吾は、汝と卓を挟んで語っているのだぞ』

 

 ──響く声を苛立たしげに跳ね返した。

『太陽』は茶化すように肩を竦める事を回答とし、口を慎む。

 

 ……けれども、聞き分けが良い様子に見えて、その実これっぽっちも内面には響いていない。

 付き合いの長い『海』には手に取るように把握出来てしまった。

 が、今この場で指摘するつもりは無かった。

 

『……なぁ。

 ヒトの末路は、行く末という選択は、ヒトの手に委ねられるべきだ。

 吾は、あの幼子の選択を尊重したいのだ』

 

 幼子、それが指す名はファインドフィート。

 ヒトとの混種。

 過去を焼却された異物。

 この数年間、一柱の女神に愛されて続けてしまった存在に憐れみを向け、小さく呻いた。

 

 "神"としては、不思議と心を擽るそれ──当初は見誤っていた少女の内面に追憶を馳せる。

 もはや、彼女が大切にしている名前さえも酷い皮肉としか思えない。

 

 ……しかしそれこそが彼女の夢の証明であり、支えそのものだという。

 故に『海』に口出しする権利は無く、そもそも悲憤を押し付ける先ですらない。

 所詮、勝手な解釈で勝手に忌まわしいものと思いこんでいるだけだ。

 『海』もそれは自覚していた。

 

『……だから、そう──アレが()()()()()()()()、終わりまで疾走するもよし。

 あるいは……思考の縛りを解いた上で動きを確認し、もしも逃げ出すのならば庇護を与えるつもりでもあった。

 それがもっとも幸せなのだと、考えていた故に』

 

 ティーカップから立ち昇る湯気の先、光に照らされるテーブルへと視線を落とす。

 元来、舞台装置(因子継承の礎)に徹することを良しとしていた彼女にとって、全く未知の領域だった。

 

 ……そして、だからこそ恐ろしかったのだ。

 神として振る舞うという"それ"が酷く恐ろしい。

 

 己等より産まれた"種族"を愛するだけの女神には、ヒトの心という概念が理解できない。

 理解できないからこそ、その存在が求めることも、恐れることも、容易く取り違えてしまえる。

 ボタンを掛け違えるよりも簡単に、水がたっぷりと入ったコップを倒すよりもあっさりと、ヒトの基準を間違えるのだ。

 

 多少なりともヒトの価値観に寄り添える『海』でさえ、それは同じ事だった。

 

『……私からあの子を奪うなんて、認めるとでもお思いで?』

『必要であれば、認めさせる。

 己で定めた"契約(やくそく)"さえも守れぬのなら。

 それは、単なる外道でしかないのだから』

『ふぅん……』

 

 気のない返事を口にしただけの同胞へ、凍えた視線を差し向ける。 棘に塗れた憐れみを差し向ける。

 神という存在は、舞台装置に徹するべきだと。 それが最適解なのだと。

 神という存在は、愛に満ちた存在では無くなる事があまりに簡単すぎるのだ。

 

 

 ……だからこそ、『海』は逆に考えていた。

 子等が選んだ道を祝福するだけの存在であれば、きっと神は間違えない。

 子等が選んだ道に必要なのは北風でも太陽でもない。

 神々という現代に於けるジャンル違いの存在は、ただの大気として在れば良いのだ。

 

 きっと、子等の選んだ道こそが正しいのだと。

 『海』の女神は、そう信じていた。

 

『が、話が変わった』

 

 苦痛(せんたく)の先に幸福が待っているのなら、『海』という女神が手を出すべきではないだろう。

 それを判ずるために多少の手助け(縛りの解除)を行い、選ぶ先を見て、そこでひとり納得していた。

 

 ……しかし、違った。 正しくなかった。

 まず前提の時点で破綻していたのだ。

 

 そもそもの思考の縛り以前。

 選択権の獲得の是非以前の、最初の最初にあった過ち。 

 きっとファインドフィートは、いつかの少年は。

 最初の喪失の(独りぼっちになった)時点で己の足(基礎)を失っていたのだから。

 

『──つまり、なあ、汝よ。

 汝はあの幼子の心が成長せぬよう、抑えつけていたのだな?』

『……。

 何を言ってるのやら、よぉく分かりませんが……。

 あっ、この紅茶美味しい……』

『話を、逸らすな』

 

 テーブルに爪を立てる。

 ぎりりと軋む木の悲鳴が部屋に染み込む。

 

 腰を浮かした彼女の耳は後方に伏せられていて、瞳孔も悲憤に歪んでいる。

 今この空間では──ゆらゆら立ち昇る湯気だけが温かく、穏やかなままだった。

 

『……親を失い、片割れをその身に宿した(のち)

 少女は心を打ちのめされ、挫折を味わい、腐る。

 しかし、(最上の薬)と共に傷を癒やし、片割れの夢の為に奮起する。

 そして新たに友を得て、人生という物語を紡ぐ──等という、()()が。

 何処までも()()()()()こそが、本来の流れだったろう』

 

 片方が生き延びたのは()()だ。 故にそれはいい。

 喪失によって心が砕ける。 なるほど、それもまた当然の結果だ。

 神である『海』とて、知識を基礎とした上でなら正誤を判別する程度可能である。

 

 故に、そう。

 だから、それこそが正しく常道で、普遍的な流れであると確信していた。

 

 無形の心を癒やす為には、時間こそが最も有効な薬なのだ。

 喪失を受け止め、涙を流し、失意に蹲る。

 それは在るべき休息で、許されるべき挫折でしかない。

 

 その後に立ち上がることで、ヒトは強くなる。

 耐えられるように、強くならざるを得ないから。

 

 故に時間だけは、どんな存在であろうと糾弾出来ない不可侵の領域である。

 歪めてはならない。 冒涜は禁忌そのものだ。

 

『……だというのに、貴様。

 選りにもよって、(最上の薬)を奪ったな?』

『…………』

『傷を癒やすための三年間も、嘗ての過去という慰めも。

 あらゆる認識を封じ、押し込む。

 そうして夢の舞台へ放り出すまで──成長(自立)するという機会さえも奪ったのか』

 

 認知機能の剥奪か、思考能力の調整か、自我そのものの封印か。

 全てを他者に委ねる(いびつ)な精神構造がいずれかの証明であった。

 

 ……ともあれ、詳細は何でも良い。

 つまり、ファインドフィートが過ごした過日の三年間は毒でしかない空虚だった。

 一度鎖を解いた程度では、自力で立ち上がるなど到底不可能。

 『海』が前提としていた土台はそこの時点で潰えていたのだ。

 

 何故、そこで神という存在が出張ったのか。

 何故、彼女の選択に神の手が介在しているのか。

 ヒトであれば至極真っ当で簡単に思い浮かぶだろう単純な疑問であれども、そこに至ることさえ難しい彼女()では随分と長い時間をかけてしまった。

 

『……あれからしてみれば、時間移動を果たした認識に等しいだろう。

 補助として知識だけは詰め込んだようだが……だからといって、万事が上手くいくはずもない』

 

 ――己の性分への憂慮は一時捨て置き。

 (ようや)く至った解を冷ややかに述べる。

 

 事の経緯は何であれ、彼女は『姉』の想いを継いだ事だけは自覚していたのだと。

 『姉』が何を考えて命を繋いだのか、何を使って肉を繋いだのか。

 それは、誰に言われずとも理解していた。 理解出来てしまった。

 

 そうして明瞭になった傷口を。

 瘡蓋(かさぶた)さえ形成されていない傷口を抉り、顕になった心を灼熱の茨で貫き、縛る。

 元々奥底にあった強迫観念を刺激し、夢追い人の称号を与える。

 祈られた通りに、夢の先まで走らせるために。

 

『因果の調整失敗? うっかり、消したと? 

 抜かせよ……よりにもよって、貴様が、そのような失態を演じるはずなど無いだろうに』

 

 傷を癒やす時間なんぞ何処にも存在しない。

 "奪われた"と形容しても、何らおかしいことではない。

 

 少なくとも、『海』にとっては単なる剥奪だった。

 選択権以前の、選択するための精神(基礎)の存在さえ許さない無慈悲な剥奪だった。

 

『聞かせよ。

 何故、尊厳(選択の自由)を奪った』

 

 徹頭徹尾、『海』はそれのみが気に食わなかった。

 

 それは幼子への慈悲の心による憤怒──だけではない。

 己達の舞台装置としての領分を履き違え、神の気品さえも損なう行いへの失望だった。

 故に、気に入らない。

 純粋に、三女神()という神格として許せない。

 

 

 ──だから、今日この日の決別は必然だったろう。

 神以外には成れない存在と、神以外にも理解を示そうとする存在。

 舞台(人生)に介入し始めた存在と、舞台(人生)を見守ることを是とする存在。

 

 それらが手を取り合って和解するという選択肢はあり得ない。

 "子"に対する姿勢の相違は、埋めることの出来ない亀裂として刻み込まれた後なのだから。

 

『──で、それってあなたに関係あります? 

 全て()の勝手でしょうに……変な所に拘りますねぇ』

『……理由を、聞かせてくれ』

『理由……ねぇ』

 

 アメジストの瞳を鋭く細め、相対する黄金の眼を見つめる。

 曇りのない透明な網膜の向こうへと焦点を合わせてみても、その内面を窺い知る事は出来やしない。

 

 

 ──けれども『海』の怒りなど素知らぬ様子の『太陽』は、指先を顎の下にあてがい暫しの熟考に浸る。

 

 何故、と問われても、すぐには理由を取り出せなかった。

 何故、何故、何故。

 その行動が至極当然で代わり映えのないものであれば、態々理由を考慮したりはしない。

 呼吸を行うのに理由が必要なのか。

 食事を行うのにお腹が空いたから以上の動機が必要なのか。

 我が子を愛するのに、愛しい以上の感情が必要なのか。

 

 彼女にとって、それが全てだった。

 あらゆる動機に理由を紐付けるなんて考えたこともない。

 

『理由……理由、ですかぁ』

 

 ──が。

 求められたのならば仕方が無いと、普段は一切使用しない脳内リソースを駆動させる。

 

 たっぷり悩んで三呼吸。

 言葉として整形するのに三十秒。

 

 声が喉を通り『海』の耳朶を叩くまで、凡そ一分。

 尖っていた唇が柔らかさを取り戻し、再び笑んだ。 純粋に、輝かしく。

 

『──だって、ほら。 あのままだとお家で悲しんでいるだけでしょう? 

 ずっとずっと、泣いているばかりでしょう?』

 

 だから、涙を止めてあげた。

 三年後の走る理由を補強するために。

 

『それなら……ねぇ。

 どうせなら何もかもを合わせて、全部を燃料に焚べたほうが良いでしょう? 

 濃縮された悲嘆も、沸騰する恐怖も、無垢でしかない祈りも』

 

 だから、心を止めてあげた。

 後から苦悩が追いつくように、最低限は受け止められるように調整をした上で。

 

『全部、全部を炉心に溶かすの。

 どこまでも、果てしなく加速するの。

 だってそちらのほうがより効率的で、あの子の希望に適う筈ですから』

 

 麗しい語り口で、花が咲くよりも尚可憐な笑顔で、雅な尻尾をくるりと回した。

 そこには邪気など一切介在していない。

 深く、深く、澄んでいた。

 

 心底から彼女の為になると確信した上での、愛に満ちた言葉だったのだ。

 

 合理性、というにはヒト(受け取る者)の通理を見失いすぎている。

 それは、対象の心根を把握した上での愛なのか。

 あるいは何も見ぬまま、盲目的に注ぎ続けるだけの愛なのか。

 

 猜疑の視線を受け止めもせず、素通りするばかりの黄金の瞳を見つめる。

 

 ……黄金であれど、ガラス玉なんぞ比較にならないほど透明だった。

 同胞の悲嘆は受け止められもせず、するりと抜けて無意味に終わる程に。

 

『──だから私は、あの子から時間(悲しみ)を預かりました。

 あの子が成長(飲み干)してしまう前に、()()()()()()()封じました』

『そうか……』

 

 そして、誠意をいくら尽くしても『太陽』の女神は変わらない。

 神は神でしかないのだから、変わらない。

 矮小なるヒトの心でさえも簡単に変わることは無いのだから、それよりも圧倒的な上位存在である神の心が変われる筈もない。

 

 言葉は、意思を伝えるための記号でしかないのだ。

 受け取る側の解釈次第で、如何様にも希釈される。

 

 言葉と言葉の交わりとは、そういうものでしかない。

 

『そうか』

 

 ……それを悟ってしまった女性は、乾いた瞼を小さく降ろした。

 悲嘆、ではない。

 義憤でもない。後悔でもない。

 彼女の胸中に居座るのは、単純な納得の念ばかりだった。

 

『……そうだな』

 

 小さく鼻を鳴らし、席を立つ。

 

 病巣ではない病巣を切除する事は不可能だ。

 それが分かっただけでもこの場に訪れた意味があった。

 

 この結論を以て、彼女等の間に横たわる認識の隔絶を決定付ける。

 

 これ以上に語るべき口はなく、尽くす言葉も存在しない。

 何もかも、無くなってしまった。

 

『……もう帰るんですかぁ? 

 まだ来たばかりだというのに』

『心にもない事をよく言う』

『あら、私がそんな外道に見えますかぁ?』

『見えるが』

『……ほんと、心外ですねぇ』

 

 事実、神としては外道ではない。むしろ正道だ。

 己の価値観のみを基軸とするその在り方には一点の曇りも無かった。

 ……三女神()としては、別の話であろうが。

 

『ああ、そうだ。 忘れていた』

『……おや、まだ何か?』

『最後に、一つ。

 あの幼子を何と重ねて見ているのかは知らぬが……』

 

 背中越しに『太陽』に一瞥をくれた。

 亜麻色の頭髪を揺らし、呑気に紅茶を楽しむ彼女へ向けてかさかさに乾いた唇を震わせる。

 "もっと優しい道は選べなかったのか"と、先に立てなかった哀愁を込めて。

 

『……今の汝は、随分と醜いぞ』

 

 ──その記号(コトバ)だけは酷く湿っていた。

 宿っていたのは憐憫か、哀愁か。

 その何れかに近しい情感だった。

 木漏れ日の仄かな残香を想起させる程に、水平線の波よりも穏やかな。

 

 そして、残したのはたったそれだけ。 振り返りもせず去っていく。

 それはきっと認識に隔たりの無かった過去を思えばこその、友としての手向けでもあったろう。

 

『……あぁ。

 ウスノロ風情が……知った風の口を、利くじゃあないですか』

 

 ……けれども、その真意が汲み取られるか否かは別の話。

 意志の交わりとは所詮、そういうものでしかないのだから。

 

 


 

 

 どうか、お願いします。

 

 あの子を、夢の先に連れて行ってください。

 あの子はとても臆病だけれど、それ以上に優しい子でした。

 限りのある命を精一杯生き抜こうと足掻く、勇気ある子でした。

 あの子こそが、()の宝物なのです。

 

 ……だから。

 私ではなく、あの子を助けてください。

 これから生き損なうべきは私です。 死に損なうべきはあの子です。

 そのためになら私の全てを使っても構いません。

 私の片割れを、幸せにしてあげてください。

 

 どうか、『約束』して欲しいのです。

 私達の女神さま。

 

 

 ──そして、もし叶うのなら。

 いつか、しわくちゃのお爺ちゃんになったあの子と、苦痛のない穴の底で再会できますように。

 

 

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