【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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38話

 

 変わらないで欲しいと、供犠の少女は願いました。

 それは所詮現実逃避でしかないのだと、心の奥底では理解しているのに。

 

 それでもどうか、変わらないで欲しいと。

 蹲って延々と、供犠の少女が願っていました。

 

 


 

 

 ──()()()から時は過ぎて、幾日か。

 少女達の関係性は図らずも、少しずつ、少しずつ変容を重ねていた。

 

 それによって齎される結果が何であれ、全ては善意によるものだ。

 ヒトもウマ娘も、空に御座す神でさえも、()()()()で互いを見ていた事に違いはない。

 

 行き着く先が良いものなのか、悪いものなのか……それはまた、別の事柄ではあるけれど。

 彼女らが何を思おうとも変化は止められない。

 

 ……そして、それらの渦中に蹲るのはひとりの少女だった。

 普段通りの様子で、もうじき始まる大阪杯(春シニア三冠の一)に備えてトレーニングに打ち込むばかり。

 淡々と、延々と、芝の上を疾走し続ける。

 

 否、()()()()という表現は……些か相応しくない。

 その内面には微かな澱みがこびり付き、四肢の振る舞いにさえも僅かながら影響を及ぼしていたからだ。

 

 それでも、少女は走り続けていた。

 練習用レース場(トレセン学園)の直線を走る彼女へ向けて、冷たい風が吹き荒ぶ。

 無遠慮に(かんばせ)を叩き、長い芦毛を横殴りに散らす。

 

 びゅうびゅうと音を立てる冬の息吹。

 その中には若干であれど、春の色香が混ざっていた。

 

「ふぅ、はっ、はっ──」

 

 ……正直、少女──ファインドフィートは、今が冬でも春でも、どうでも良かった。

 赤いジャージの裾から内に入り込んだ空気は冷たくて、"寒い"という事実だけが天候の全てだ。

 空は晴れ渡っているというのに、陽の熱気はまるで伝わらない。

 

 それこそ、種族由来の高い体温がなければ到底耐えられなかったろう程に。

 

「はっ、はっ、はっ──」

 

 息を継ぐ。そして吐く。

 すぐ目の前に在る『姉』の幻影を追いかけて、鋭い呼吸を繰り返す。

 

 その気温故にだろう。 流れた呼気は真っ白だった。

 それはやがて空にのぼり、小さな小さな飛行機雲をうっすらと象る。

 走れば走るほど尾は長く伸び、やがて末端から消え失せていった。

 

 右回りのコーナーカーブに突入し、少しだけ頭を横に向ける。

 視界の端には、ごく僅かな蒸気が残留していた。

 

 

 それを見て──機関車から吹き上がる蒸気のようだと、酸欠気味の頭でぼんやりと空想する。

 地上を走る己から生まれ出るのだから、きっと大差は無いはずだと考えていた。

 

「はっ、はっ、はっ──」

 

 機関車──疲れ知らずで、狂いを知らず、正しいレールのみをひた走る。

 それなら敵知らずだ。 機械なら何かに思い悩む事もない。

 なら自分も本当に機関車になれたら良かったのに……なんて、今の彼女が考えるには子供染みた妄想だった。

 

 疲れ知らずで、狂いを知らず、()()()レールのみをひた走る。

 それはきっとファインドフィートが望む理想形のひとつで、ある意味での最適解で。

 なんて素晴らしいのだろうと、妄想に対して絶賛した。

 

「はっ、ふっ、ふぅっ──」

 

 しかし現実は、そう上手く行かないモノで。

 

 一歩を踏み出すたびに数ミリ単位で位置がズレ、数メートルで揺り戻し、数百メートルでは更にブレる。

 当然だ。 ファインドフィートは機械ではない。

 所詮、ただの子供でしかない。

 

 疲れと眠気に満たされて、簡単に失敗を繰り返し、正しさの解釈に惑ってばかり。

 そんなもの、ただの子供でしかないのだ。

 

 

 ──だからこそ、"けれど、それでも"、と身体を鍛える。

 鍛えて、鍛えて、鍛えて。

 経験を積み、余分な物を削ぎ落とし、僅かな狂いを正し続けた。

 成長を続ければ()()()は完成できる筈だと、精錬に打ち込んでいた。

 

「────っ」

 

 けれど、ふと疑念が湧き上がる。

 トレーニングの途中だというのに、ぐるぐると思考が巡る。

 

 その()()()は、いつ訪れるのだろうか。

 

 完成とは、何を以て完成とするのか。

 夢を掴めば、()()できるのか。

 

 なんて。

 それが無意味と理解しながらも、考えずにはいられなかった。

 集中が切れている。 意識が散らばっている。

 

 まるで無心になれない。 愚かだ。

 ……しかしそれでも、今まで積み上げた修練は裏切らず──身体が勝手に、義務的に芝を蹴り抜いた。

 

 続くコーナーカーブも手慣れたもの。

 否、足慣れたもので、凄まじい精度で加速する。

 加速して、加速して、限界の間際を狙い澄ました。

 

「ラストスパートだ! フォームを正せ!」

「……っ!」

 

 ──無言の肯定として、更に風を巻き込む。 風を撒き散らす。

 柵の杭、その傍に咲く季節外れの赤い花が小さなお辞儀を繰り返していた。

 

 そして辿り着いた最終直線。

 ゴール手前に痩せっぽちの男が──去年よりは幾らか肉を付けた骸骨が、億劫そうに立っている。

 手には学習ノートとストップウォッチ。 完璧な記録係の出で立ちだった。

 

「──ふぅ」

 

 姿勢を前傾に。

 四肢を可能な限り大きく開き、体幹の撓りで地面と反発させた。

 

 時速60kmから更に加速し──瞬間的に、二の位を押し上げる。

 芝を蹴る、跳ぶ、そして着地。

 襲う衝撃を全身で受け流し、身体を前に進めた。

 

 前に、前に、前に。

 痩せっぽちの男はもうすぐ目の前だ。

 

「──!」

 

 最後に右足で踏みしめる。 強く、強く、強く。

 纏う空気ごと跳ね、ゴールライン(男の視線)を飛び越える。

 

 

 そして左足で着地し──『姉』の幻影が消え失せると同時。

 ぎぃ、と、蹄鉄の歪む音が鳴り響いた。

 

 ……"失敗したかもしれない"。

 なんて、ほんの少しの冷や汗が背筋に滲んで、仄かな失敗の予感が肩を叩く。 もはや確信に近しい像を帯びた予感だった。

 

「……良いタイムだ。途中までは幾らか調子が悪く見えたが……まぁ、誤差だな」

「……はぁ、ふぅ……。

 これは、あとで、考えると……して……、はぁ……まずは、トレーナー……。

 とりあえず……水、ください」

「ん、少し休んでいろ。諸々を記録したら講評に移ろう」

 

 顎で示されたのは葛城トレーナーの横。 芝の上に設置された保冷バッグ。

 つまり、そこが恵みのオアシスだった。

 

 酸欠でふらつく頭をおさえ、震える足で歩み寄り、ぬるいスポーツドリンクを取り出す。

 

 きゅぽん、と音を立ててキャップを外した。

 プラスチックの中で水が揺れている。

 

「んぐ……っ」

「……ゆっくり飲め、咽るぞ。 いいか? ゆっくりだ。

 キミは普段からそういった動作を考え無しに行いがちだが、水分を勢いよく接種すると胃腸への刺激が強くなるんだ。

 それに飲み方によって水分の吸収速度にも影響があってだな──」

「げほッ」

「…………いや、まぁ良い。 とにかく、休んでいてくれ」

 

 ……唇の端から垂れた雫を拭う。 少し気恥ずかしい。

 

 ともかく気を取り直し、もう一度口をつける。 今度はゆっくりと。

 若干冷た目の水であれども乾いた身体には有り難かった。

 

 そのまま簡単に四肢をほぐして、一息を入れた後。

 トレーナーの隣に座り込んで左の青い靴を脱ぎ、ひっくり返して裏を見る。

 ……ゴールを越えた瞬間の、蹄鉄の音が気に掛かっていたのだ。

 

 使用しているのはスポンサー提供の品であり、トレーニング用のシューズとしては最上級の質のモノだ。

 粗悪などという評価とは無縁であり、ユーザー思いの機能を沢山詰め込んだ逸品。

 

 だからそう簡単に歪むものでは無い。

 ……その筈、なのだが──。

 

「……トレーナー。蹄鉄が歪みました」

「ん、ああ……それなら後で修理を頼もうか」

「はい……」

 

 しかしだからといって、一切壊れないなんて事はありえない。

 未来永劫壊れないモノなんて、この世の何処にも存在しない。

 

 小さなため息を吐き、残った右の靴も脱いでしまう。 購入後一ヶ月程の命だった。

 

 そして代わりの靴、蹄鉄の付いていない普通のシューズに履き替えた。

 ソックスの色は白。 シューズの色も白。

 真っ白な足先を芝にのばし、上手くいかない現実を慮る。

 

 どれもこれも全て完璧に──なんて、望めないことは理解している。

 良いことがあれば、悪いことも起きてしまう。

 

 しかし積み重なればどんなモノでも嫌になるし、嫌になってしまう。

 その不定形の在り方が、感情というモノだった。

 

「それと念の為に足を見せてくれ」

「……今、ですか」

 

 ……とはいえそれは、トレーナーには知りえぬ思考だ。

 ようやく情報の追記を終えたのか、視線をノートから切り離してファインドフィートを見下ろした。

 

「ああ、今だ。

 もし悪影響があったらどうするつもりだ」

「いえ、それはご尤も、ですが……」

 

 一度、言葉が詰まる。

 それから数秒、僅かばかりの思案を重ねて──自分の身体を見下す。

 滲む汗が蒸発して薄い湯気となって立ち上る。

 

「……また後で、良いのでは?」

「ダメだ、油断は禁物だからな」

「…………」

 

 ほんの少しだけ戸惑いがあった。 本当に、ほんの少しだけ。

 それだけを指先に込め、ズボンの裾を捲り上げる。

 

 当然、白い肌が外気に晒されて。

 当然の物理法則に従い、冬の凍える空気が纏わりついた。

 そして滲む汗が蒸気となる。 物のついでか体温まで強奪しての蒸発だ。

 

「トレーナー、早くしてください。 さむいです」

「すまん」

 

 つまり、端的に言えば寒かった。

 運動を止めて体温も下がり始めているのだから尚の事に。

 

「ふむ……若干、赤いな」

「……そう、ですか?」

 

 とは言え耐えられぬ程ではない。

 襲い来る寒さに気力で抵抗し、己の足を見下ろした。

 青い瞳が胡乱げに自分の生命線を検分する。

 

 けれどてんで分からない。

 肌の赤み、と言われても──普段との違いは見つからない。

 少なくとも……感覚面でさえ、座っている現状では違和感も何もない。

 

「痛みは?」

「いえ……特には」

「ふむ……」

 

 怪我といえば分かりやすく痛みを持って主張するもの。

 愚かで鈍い本体にも伝わるように、ぎゃあぎゃあと喧しく。

 

 ……しかし足は痛くない。

 まったく普段通りの有様だ。

 

 ならば、怪我など存在しないのではないか。

 

 少女は安易な考えで口を開いた。

 しかし、男から同意の言葉は引き出せず。

 ただ気難しい顔で口を噤み、足首に睨みを利かせるばかりだった。

 

「触るぞ」

「え……っと、はい」

「……熱を持っている。軽い炎症だな……」

「炎症、ですか」

「ああ、本当に痛みは無いのか?」

 

 問いに対し──小首を傾げる。 それが答えだった。

 痛み。 痛み。 己に訴えかけるもの。

 そんなもの、何処にあると言うのか。

 

「……けど、そういえば……」

「どうした」

「いえ……やっぱり、何でもありません」

 

 ──けれど、その認識の齟齬もある種当然の事だった。

 常に()()()を突き刺す痛みを思えば──軽い故障による痛みは、精々誤差レベルの信号しか発せない。

 だから今回の足首もきっと、ファインドフィートには感じ取れないだけであって……物理的には損傷していた。

 

 そういう事か、ようやっと納得がいったぞ、と。

 仄かな満足感と共に(こうべ)を持ち上げ、己のトレーナーへ指示を仰ぐ。

 

 今日はもう休むべきなのか。

 あるいは多少の無理を押してでもトレーニングを続行するべきなのか。

 ファインドフィート自身の意見としては──どうせなら、トレーニング続行を推したかった。

 

 だって別に、無茶な選択肢ではないのだ。

 上手く行けば何事もなくトレーニングを終えられるだろうし……身体を痛めないような、身体への負担が少ない効率的な練習法(練習上手)を身につけることだって出来るかもしれない。

 故に存外アリな選択肢ではないかと尻尾を振った。

 

 ……そう、だな考えたのだが──。

 

「これ以上はダメだな。 今日はこれで終わりにしよう」

「……ですが」

「ですがも何もない。 選手生命の(かなめ)を考え無しに扱うバカが居るか」

「…………」

 

 ……なんて言われてしまえば、ぐぅの音も出なかった。

 トレーナーの言う通り、ウマ娘の足はガラス製とも呼ばれる繊細なもの。

 それを適当に扱うのは殆ど自殺行為と表しても過言ではない。

 

 だから、彼の正当性は理解出来たのだ。

 

 この痩せっぽちの骸骨は考え無しの己をしっかりと戒めてくれる。

 正しさを以て、糺してくれる。

 それは得難いものなのだと──ファインドフィートは、感謝さえも抱いていた。

 

 ……けれど、希望する選択肢は変わらない。

 

 口を開いて──しかし、なんと伝えれば良いものかしばし言葉選びを思案する。

 舌先に乗せるべきは何か。

 前向きな焦りか、後ろ向きの虚飾か。

 

 ……何も分からなかった。

 そうしている内にも風は変わらず吹いていて、口の中にたっぷりの酸素が染み渡った。

 うなじを焦がす熱が今も、頭頂から背骨へと這いずり回っているというのに。

 

「でも、走らないと……落ち着かなくて」

 

 瞼を下ろす。頭の中でぐるぐると苦悩が巡る。

 ぐるぐるぐるぐる、一切止まらず駆け回る。

 

 蓋の裏に浮かぶのは過日の団欒。

 友人達と囲んだ食卓の記憶。

 ずっとずっと変わらない、日常の追憶。

 

 ……ああ、否。

 変わらない筈だった。

 

 けれど数日前の──微かな痕跡が、今なおしこりとなって残り続けていて。

 

()()はあり得ない筈だ。

()()()()、あるわけがない。 通理がない。 疑う事さえ無礼だ。

 

 ……なんて、何度も何度も己に言い聞かせているのに──芽生えた疑念は、どうやっても踏み潰せなかった。

 それが何時になっても頭の中を満たしていて、離れなくて。

 

「……だから、頭の中を空っぽにしたくて」

 

 あの日からというものの、トウカイテイオーとの仲は何処かぎこちなく。

 以前まではするりと通っていたはずの友愛は喉の弁にせき止められて、幾らかの欠損を伴うハメになっていた。

 

 墓を暴いたのか。

 何を知ったのか。

 はたまた、何も知らずに帰ってくれたのか。

 それさえ問えず不明のままだ。

 

 いっそ頭をかち割ってしまえば頭蓋の中身を空に出来るのではないか。

 そんな無意味な空想を馳せてしまう程に、ファインドフィートの思考を侵していた。

 

「だから、わたしは……」

 

 だから、せめて、そんな現在(いま)から目を逸らしたい。

 何でも良い。現実逃避をさせて欲しい。

 

 故の疾走。

 故の没頭。

 

 それが、救いだった。

 

「その落ち着けない原因は、言い辛いことか」

「…………はい」

「そうか」

 

 知らずのうちに俯いていた頭上から、男の声が降り注ぐ。

 カラカラに乾いた、太い声だった。

 

「……そうか」

 

 地面を見下ろす視界の中で、黒い膝が着地する。

 視線の高さを調整する様は、まるで子供を相手にする大人のようで。

 ファインドフィートが知る男にはどうにも似合わなくて、少しだけおかしい。

 

 けれどもその姿に──父性にも似た力強さを連想してしまう。

 こんな痩せっぽちの身体には、全く似合わないというのに。

 

「ここ最近のキミは──そう、随分と……精細を欠いているようだが。

 それと、同じ悩みか」

「……それは」

 

 意図せず肩が跳ねた。

 一度、対面の男の顔を見上げた。

 黒ずんだ瞳の中には、真摯で真っ直ぐな意思だけが宿っている。

 

「……トレーニングが原因なら気負わずに教えてくれ。

 質か、量か、環境か……その何であろうと、対応する」

「い、え……それは、違います」

「……そうか」

「その、トレーナーとは……関係のない事ですから」

 

 だからそれはトレーナーに話せないのだ。

 言外に伝えて口を噤む。 歯の根を恐れで押し潰して封をする。

 きゅっと結ばれた一文字は少し歪んで、への字のように変形していた。

 

 ……そうして黙りこくったふたりの間を、風だけが吹いていく。

 冷えた身体を更に冷やして、髪に遊んで。

 結局何も残さず消えてしまった。

 

「……トレーニングは、身体にあっているか」

「それは……トレーナーが一番知っているでしょう。

 わたしは速くなった、わたしは強くなった。

 それが答えです」

「そうか……」

 

 また沈黙だ。 会話が途絶える。

 トレーナーはうんともすんとも言わず、ただファインドフィートを見下ろすばかり。

 

 ……少しだけ、据わりが悪くなってしまった。

 

「……トレーナー、わたしは今のままで十分です。

 このまま走り続けて、このまま勝ち続ける。

 わたしは、わたしを証明し続ける……それでいいじゃあないですか」

 

 それに、今さらなのだ。

 ファインドフィートが走り始めて三年目。 シニア級である。

 だというのに今になって"本当はもっと良いやり手法もあるのではないか"──なんて、言ってほしくは無かった。

 

 ファインドフィートは今のままで良かった。

 不変であって欲しかった。

 辿り着く先は変わらずに、抱く願いも変わらずに、日々のぬくもりも変わらずに。

 ただ、夢に溺れていたい。

 

 だから、と。

 少女は男の顔を見上げた。

 青い瞳は薄っすらと曇っていて、裏の裏さえ曖昧だ。

 

「ねぇ、トレーナー」

 

 そっと舌を滑らせる。

 骸骨のようなヒト。 冷血気取りで冷血モドキの、弱い大人へ。

 

 ファインドフィートの価値観で捉えた葛城という男は、そういう人間で。

 人間モドキよりは余程上等な、一人の大人だった。

 

「別に、変わらなくても良いじゃないですか。

 あなたはわたしのトレーナーで、わたしの夢を叶えてくれる魔法使い(便利屋さん)

 それだけで、良いじゃあないですか」

 

 それだけで十分なのだ。

 自分がいて、『姉』がいて、トレーナーがいて、友人達がいて。

 過ぎ去る日々をトレーニングと少しの安息で消化する。

 

 それだけで、十分なのだ。

 瞼を下ろし、言い聞かせるように嘯き続ける。

 

 "わたしのパートナーであるのなら、わたしの夢を助けて欲しい"。

 "わたしの夢だけを、助けて欲しい"。

 "わたしを()()、導べとなって欲しい"。

 

 ……現在(いま)までと、変わらずに。

 それだけで十分なのだと、満足して欲しい。

 それは自分を戒める暗示であり、トレーナーに願う希望であり、友人達に捧げる祈りだった。

 

 そうでなければ──破綻してしまう。

 何もかもが壊れてしまう。

 

「……あなたは、どんな大人になりたかったのですか?」

「…………」

「あなたは、何を目指して、此処にいるのですか?」

 

 だから()()が、ファインドフィートの求める全てだ。

 

 ……男は何も言わず、耳を傾けていた。 傾けて、くれていた。

 その所作が誠意であり、彼の人間性を保証するのだ。

 

 相対する彼女も、滔々と語った。

 それがきっと……ヒトとしての最低限の誠意だと、信じていたからだ。

 

「あなたが、崎川トレーナーと……沖野トレーナーに何を言われたのかは、知りません。

 どうにも……わたしには知られたくはないようですから、知ろうともしません」

 

 乾く唇。 冷えた指先。 動かない尻尾。

 

 ──また、瞼を上げる。

 青褪めた瞳は揺れていて、酷く不安定な有様だった。

 

「けれど、トレーナー。

 あなたは、わたしのトレーナーです。

 わたしが、あなたに求めることは……最初から、一つだけ」

 

 だから、その他は全て余分だ。 不要なのだ(そうあるべきだ)

 変わる必要なんて無い(かわってしまえばおわる)

 このまま前を向き続けるだけ(だからふりかえるな)

 それ以外を求めるなんて、許されない(ゆるさない)

 

「……ああ、そうだな……俺は君のトレーナーだ。

 トレーナーとしての責務を全うするだけの、そういう人間なんだよ」

 

 葛城は真意を悟らせない純黒の瞳の裏で、納得の意を吐き出した。

 そして少女の瞳に映る己に向けて、強く暗示する。

 

「そうとも……『ファインドフ(キミ)ィート』が一番速いんだ。

 俺はそれを証明するための支えで、杖で、肥やしだ」

「……ええ、だから……わたしはそれに応えて。

 わたしを以て『ファインドフ(ねえさん)ィート』の最速を証明する。

 だから──」

 

 ──あなたは、嘘をつかないで。

 お父さんみたいに、お母さんみたいに、嘘をつかないで。

 

 小さな小さな、掠れきった執着を紡ぐ。

 彼の耳に届くか否かはきっと、風の気分次第だ。

 

「……あなたを、信じていますよ」

 

 感傷が滲む。

 顔か、尻尾か、耳か。

 その何処かに、ほんの数滴だけが染み付いていた。

 

 

 そして再び、僅かな時間を沈黙で埋める。

 細く白い喉が一瞬震えて、そしてまた動きを止めた。

 

 ……僅かな時間は、沈黙だけが埋めてしまった。

 

「……冷えてきましたし、戻りましょうか。 屋内でもトレーニングは出来ます」

「ああ……そう、だな。

 ……トレーニングをするか否かは、別の話としてな」

 

 ふたり揃って立ち上がる。

 

 大きく息を吸って、肺の中身を薄めて。

 薄めて、薄めて、薄めて。

 

 ……腐った祈りを、大きく吐き出す。 それを風が攫っていく。

 遠くまで、どこか遠くまで。

 

「……っ」

 

 ……そして、トレーナーに連れられて退場する前にもう一度。

 なんとなしに振り返る。

 

 微かな春風に吹かれて、いっぱいの芝が揺れた。

 ざぁざぁと葉っぱ同士で擦れる音を立てて。

 季節(なかま)外れに咲いてしまった赤い花も、小さく揺れている。

 

 ファインドフィートはそれを見て──"かわいそうに"と心の底から吐き捨てた。

 

 その赤い花と、六条の『赤い糸』に縛られる彼女。

 果たして、そのどちらが幸せ(しあわせ)に近しいと言えるのか。

 

 


 

 

 万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)

 一面の緑の中、ひとつだけ混ざった赤い花(いぶつ)の事を指す。

 

 詠柘榴詩(ざくろをよむうた)より抜粋。

 

 

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