【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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40話

 

 "いのちって、なに?"

 ある日の双子は、ふと不思議に思いました。

 

 "いのちって、なに?"

 ある日の双子は、互いに向けて問いかけました。

 

 "どうしたら、いのちになるの?"

 舌っ足らずで、音の輪郭さえも曖昧。

 理解の及ばない言葉の表面をなぞるだけの、朧気な『いのち』です。

 

 "いのちって……なに?"

 

 ──きっと、この疑問こそが。

 この双子にとって、大きな大きな転換点でした。

 


 

 

「……はぁ、設備点検……? 

 栗東寮と美浦寮で?」

 

 寮の玄関で呼び止められ、告げられた二の句をオウム返しで放り投げる。

 歯の間をすり抜けるような、浅くか細い声が滔々と猜疑を彩った。

 

 芦毛の彼女と相対するのは青鹿毛(くろいろ)の少女。  

 短髪をボーイッシュに整えた様相だ。

 しかし女性的な体格であることも相まって、少しばかり色気が強い。

 

 その(かんばせ)を常日頃から茶目っ気に溢れた微笑みを携える彼女の名は、フジキセキという。

 学生の身分でありながら、ここ、栗東寮の長を務める少女だ。

 

 そんな彼女は両手を合わせて、心底申し訳無さそうに首を傾げる。

 瞑られた右目側の耳が、大きく垂れ下がった。

 

「その通り、毎年恒例行事でね。

 傷んでいる所だったり設備だったりを調べて補修するのさ」

「なる、ほど……確かに、去年頃からうちのドアも大分建付けが悪くなっていました。

 ……あれって、直してもらえるモノだったのですか」

「それは……ごめんよ。

 去年の点検では見逃しちゃってたのか……。

 ……ともかく、そうでなくても施設の修理は学園側の負担だから気軽に教えてほしいな」

 

 それに対してファインドフィートは……ほんの少し、答えに窮する。

 わかりました、とか。 そうですね、とか。

 そういった言葉とは程遠く、空気の抜ける音と大差の無い声が漏れ出していく。

 

「……そうです、ね。

 ブルボン先輩にも伝えておきます」

 

 何せ、そもそも、相対する青鹿毛の少女とは片手の指の数ほどしか会話した事がない。

 彼女はそんな相手に対して多くを語れる言葉を持たない(しらない)

 言葉を持つ(しる)機会が無かった。 あるいは、極端に少なかった。

 それ故の、鈍重な語り口だった。

 

「あの、フジキセキさん」

「どうしたんだい?」

「その……」

 

 左右の耳がひっきりなしに周囲に向けられる。

 赤い飾りの金具だけが、ちゃきりと啼いていた。

 

 ……そして、ややあって。

 初対面の相手に向けるよりは柔らかく、慣れた相手に向けるよりも遥かに堅い舌先で、ゆっくり口をこじ開けられるほどに。

 

「……それで、わたしたちの生活にはどの程度の影響があるのでしょうか? 

 事前に準備が必要なら……ブルボン先輩とも相談しないといけませんが……」

「ああ、基本的には殆ど影響無いと思ってくれていいよ。

 ただ……火災報知器とかの検査の時は、作業員さんを部屋に入れてもらうことになるけど」

「なるほど……」

 

 ちょっとばかり拙い口調。

 しかしフジキセキにはその口調を気にした様子はない。

 所謂()()()()()に酷似した気風を持つ彼女から、プリントを手渡される。 手書きの案内用紙をコピーしただけの物だ。

 紙面端のウサギがやけにファンシーで。

 それを視界の端に置くだけで、ほんの僅かに、ささくれだった心を癒やしてくれる。

 

「フジキセキさんは、すごいですね」

「ふふ、照れるなぁ。

 ありがとう、ポニーちゃん」

 

 概要、対応期間、期間中の注意事項など──。

 作成者の性格を反映したものなのか、とても親切で、遊び心に溢れた案内だ。

 

 その中に紛れるほんの少しの工夫だけで、毒気を抜かれてしまうようで。

 肩の中に淀んだ気苦労の類似品を、少しだけでも溶かしてくれるようで。

 ……腹の中が少しだけ軽くなったような、そんな錯覚まで覚えてしまうのだ。

 

「あとは……これ、ブルボンにはキミの方から渡してあげてほしいな。

 気になることがあったらいつでもおいで」

「……ええ、分かりました。

 ありがとうございます、寮長」

「どういたしまして。

 あっ、別に気になることがなくても私は歓迎するからね」

 

 人差し指でくるりと円を描く。 そして華麗にぱちりとウインク。

 キザな仕草なようで、その上とても様になっている。

 

 曰く、年下の少女達には()()()の彼女の振る舞い。

 だがあいにくと、中身が少年たる『弟』の残滓そのもののファインドフィートには通用しない。

 故にただ、絵になるなぁと、感心したように息を零す。

 

 ……反応とも言えない反応だ。

 そうであれどもフジキセキに気にした様子はない。

 むしろ微笑ましいモノを見る、柔らかなまなざしで白い頭を眺めた。

 

 そして──ふと、何かに思い至った様子で。

 耳を立てる仕草であからさまに前兆を彩って、少女の顔のすぐ目の前に右手を差し出す。

 柔らかく閉じられた指の隙間の中身は、真っ暗で何も見通せない。

 

「はい、プレゼントさ」

 

 そのまま、勿体ぶらずに指が開かれた。

 

 ふわり、と数枚の花びらが舞う。

 それは白い花びらだ。 ファインドフィートの頭と同じほどに真っ白で、汚れのない無垢色だった。

 

「受け取ってほしいな」

 

 様子を伺うように対面のフジキセキに視線を送った。

 彼女はさして口を開かず、にこにこと、形のいい唇を穏やかな弓なりに曲げている。

 

 つまり、この場で彼女がとるべき選択肢はたった1つ。

 

 ……おずおずと、両手を伸ばす。

 

「ありがとう、ございます」

 

 指先を一本ずつかけ、白い花を摘み取った。

 薄い、しかし甘い香りが漂い、鼻腔を撫ぜる。

 

「これは……えっと、アネモネ、ですか……?

 というより、何処から出したんですか……これ」

「そこはもちろん企業秘密さ……って言いたいところだけど──これ、エアグルーヴからのプレゼントなんだ。

 あっ、本体の花束はこっちだよ」

「えっ」

 

 ばさりとはためく音。

 それと共に差し出されたのは、小振りな花束だった。

 

 大袈裟な品を好まない彼女の気性を理解してか、質素で──しかし、隠しきれぬ気品で彩られた様相。

 その包みの内側からは、幾本かの白いアネモネが"こんにちは"と顔を覗かせている。

 

「大阪杯優勝のお祝いだって。

 キミと中々会えないから……私なら確実に声を掛けられるだろうって託されたのさ」

「…………」

 

 花束を受け取る。 花の蜜がふわりと香った。

 ファインドフィートは、これを受け取って──。

 

 受け取った自分が何と言うべきなのか、分からなくなってしまった。

 己は、何を思うべきなのだろうかと。

 

 ありがとう。

 うれしい。

 次も頑張ります。

 次も勝ちます。

 夢の為に。

 

 ──なんて。

 それらを語る事が、悍ましいほど白々しいと考えてしまったのだ。

 何故か。 何故、今になってそんな無為な感傷を巡らせてしまったのか。

 

 ……それはきっと、彼女の信念が揺らいでしまっているからだった。

 芯とも称するべき背骨が、歪んでしまっているからだった。

 

 色のない誰かの後ろ背を陽炎のように思い浮かべ、そっと目を伏せる。

 勝利を誇ろうにも……ファインドフィートは、他の誰でもない彼女こそが、彼女自身を誇れない。

 

 だから、産まれ損ねた言葉を歯の裏に擦り付けて。

 舌の先で、そっと磨り潰した。

 

「それじゃ、確かに渡したからね」

「……はい。

 ありがとうございます、寮長」

「ああ、それと──私からも祝福を。

 優勝、おめでとう!」

 

 "ティン"と擬音が付きそうなほどに軽快な仕草で、ウインクを一つ。 実に絵になる仕草だった。

 そのまま去っていく背を見送って──。

 

 ……とりあえず同室の先輩には連絡しておこうと、決意を頷きに込める。

 

「早めに、部屋に帰らないと……」

 

 玄関から続々と入ってくる同じ屋根の下の仲間たちを後目に、そっと歩き出す。

 手のひらの中にある花束を潰さないよう優しく、そっと。

 

「花瓶、あったかな」

 

 花びらや茎から伝わる水気から、それが造花で無い事は察せられる。

 ならばしっかりと活けて、手入れをしてあげなければな、と。

 義務感にも似た行動原理で、簡単な予定を打ち立てた。

 

 幸いにも経験はあった。

 小さな花を可能な限り長く咲かせるために、適切に扱う術を知っている。

 そうしていれば花は応えてくれるのだと知っている。

 

 ……そしていつか、たった一輪のこれが根を生やすかもしれない。

 あるいは種によって増えるかもしれない。

 そうして世界の片隅で、小さな継承の糸を紡ぐのだ。

 

「種をつくるとして……その後芽吹くまで、何年かかるんでしたっけ」

 

 そっと息を吹きかけるような、小さな声で囁いた。

 無垢な童女と同じ程に無邪気で、老いた病人よりも弱々しい音色で。

 

「……その頃、わたしは……」

 

 つま先に放り投げようとした意図。

 それを舌で防ぎ、喉元に引き込む。

 そのまま知らん顔で歩いて、歩いて、足を左右規則正しく交互に伸ばして、その衝撃で腹の底に突き落とした。

 

 ちっぽけな命を抱きしめたまま、ゆっくりと。

 

 

 ◆

 

 

 自室の机にカバンを置いて、その場で花束の包みを解いた後。

 茎の先を水につけたまま、その2センチ程を鋭利なハサミで切り落とす。

 こうすることで花の寿命が長くなるのだ。

 

 そして手早く花瓶に突きいれて、そっとため息を零す。

 

 ……未だに制服姿のままではあるけれど、少し早めの休憩時間としてしまおうか。

 その降って湧いた発想に従い、ゆっくりゆっくり準備に取り掛かった。

 

 電気ケトルにカップ一杯分の水を注ぐ。 そしてスイッチを入れて一分ほど。

 そのお湯が沸くまでの僅かな時間の間にティーバッグを取り出し、陶磁器のカップに放り込んだ。

 今回のハーブティーは一袋三十包で3500円の物。

 ……味の良し悪しに聡くない彼女には十二分の高級品だ。

 

 そうしている間に沸いた湯をカップに注いで、お手軽な休息のお供を用立てた。

 立ちのぼる湯気が、顔の表層を熱く湿らせる。

 

 それから熱くない取手を握り、折角煮出し始めた茶を溢さないようにゆっくりと、部屋の中央にある折りたたみ式ちゃぶ台の前に陣取ってしまう。

 ふかふかの青い座布団は彼女のお気に入りの品だ。

 空気の抜けるぽすりという音にさえ愛嬌を感じる程に。

 

 ……対面の赤い座布団の主が居ない状況に僅かな物寂しさを懐きつつ、カップを両手で包む。

 この場にあるべき最後のピースが欠けている事だけは……少しばかり、残念だった。

 

「はぁ……」

 

 そんな感傷ごと呑み干そうと、カップをゆっくり傾ける。

 あたたかいハーブティーが喉を潤した。

 荷物を置いた直後の一休みにしては……ほんのちょっぴり、豪華な休息だ。

 

 座布団の上に足を崩して座り、ゆらゆらと尻尾を垂らす。

 ぱさりと床を叩いて、乾いた音を無意味に鳴らす。

 そして、もう一度カップを傾けた。

 

 すっきりと冴えるいい香りだ。

 

「…………あ」

 

 更に三回ほど口に含む。

 そこまで楽しんで、ようやく──そういえば己の先輩はいつ帰ってくるのだったかと我に返った。

 

 時計を見る。

 針は17時と半の位置を示していた。

 であれば、ミホノブルボンが帰ってくるのはまだ後の事だった。

 

「なら、もう少しだけ……」

 

 針が時を刻む度に、卑金の硬質な呼吸音が鳴り響いた。

 一定のリズムで、急かされることもなく。

 ……それは少しだけ、羨ましいと感じてしまう。

 

 カチ、コチ。

 カチ、コチ。

 カチ、コチ──。

 

 そんな針の音色をバックコーラスにして。

 ゆっくりと、舐めるようにハーブティーを味わった。

 

「…………ぁ」

 

 カップを傾けた。

 しかし唇には何も触れない。 空っぽだ。

 底を晒すカップが何とも寒々しい。

 

「……」

 

 カップをちゃぶ台の上に置いて、もう一度時計を見る。

 ミホノブルボンが帰ってくる時間まで……ほんのもう少しの余裕があった。

 

 ……ならば今のうちに、手早く着替えてしまおうか。

 思い至ったままに自分用のクローゼットを開く。

 

 なにせ、トレセン学園の制服を常に着用しているのは多少肩肘がこる。

 より正確に言えば……スカートを身につけていると色々と気を遣ってしまって、どうにも落ち着けない。

 彼女としてはやはり、ズボン等のパンツスタイルで居る方が余程落ち着くのだ。

 

「適当に動きやすそうなやつで良いか……」

 

 手に取ったのは上下合わせて五千円そこそこの品々。 どちらもお手頃価格だ。

 白い襟なしの長袖シャツと、ゆったりとした黒いジャージ。

 両方とも値段相応にそこそこ厚手の生地でもあるおかげで、そこそこには暖かい。

 

 それらを吊り下げたハンガーを適当な出っ張り(べっどのふち)に引っ掛けて。

 適当に着衣を脱ぎ払って、後で洗濯かごに放り込むために纏めておく。 ついでにタイツも一緒に。

 ……タイツに関しては、この二年と少しですっかり慣れてしまった。

 

 その後にまず、ジャージを穿く。

 

「……毎度のことながら、面倒ですね」

 

 が、尻尾を臀部の穴に通す作業だけは未だに僅かに手こずってしまう。

 

 本来ならば専用の加工を施されている物なのだが……このジャージはメンズ物。 当然ながらウマ娘用の加工なぞ施されている筈もない。

 故に仕方なく、手ずからハサミで切り取り穴を作った。

 

 とはいえ、裁縫の技術はほぼ皆無に等しい。

 そんな彼女が施した加工なんぞ、正直に言うと杜撰極まりないものだった。

 しかし最低限の要件を満たす機能は有していて、尻尾を通すことだけは可能である。

 穴の周辺は若干(ほつ)れていて、よく見れば化学繊維の切れ端が飛び出しているが──一応は、形になっていた。

 

 ──そんなジャージに四苦八苦しつつ尻尾を通した、その直後。

 きぃ、と、ドアが開く。

 

「──!」

 

 建付けが悪い癖に、動きはそこそこ滑らかだ。

 

 ……うるさいだけの不良品とは、全く不思議なものだ。

 開いていくドアを眺めながら、薄ぼんやりとくだらない思慮を馳せた。

 しかし"うるさいだけ"とは言えども、その中途半端な建付けの悪さほど扱いに困るものは無い。

 もっと建付けが悪ければ素直に早く修理しようと思えるし、うだうだとやらない理由(いいわけ)とやる理由(どうき)を天秤にかける必要もない。

 

 だから、このドアは紛うことなき不良品だ。

 

 ともかく、つまり、そんな中途半端なドアは全くの無能である。

 故にこうして──入室者の道を阻む事も出来ないのだ。

 

「……テイオー、さん?」

 

 ドアが開いた。 きぃきぃと悲鳴を上げながら。

 その向こうからひょっこりと顔を覗かせたのは──見覚えしかない少女の顔だった。

 ここ数週間……否、一ヶ月以上も相対を避け続けていた、少女の顔だった。

 

「……。

 …………あ、ごめん! 着替え終わったら教えて! 

 ブルボン! バックバック! ステイホーム……じゃなかった、ステイドア横!」

 

 ──そんな少女は、すぐに"しまった"と言わんばかりに大きく目を見開いて。

 それから一切間を空けず、背後に居るらしいミホノブルボンへ指示を出しつつ消えていった。

 

 ……あまりにもはやい、一瞬の出来事だ。

 消えゆく彼女へどんな反応を見せれば良かったのかも分からなかった。

 

 ()()()()を隠す事も忘れて、薄いため息をカーペットの上に転がす。

 ふよふよと漂うだけの軽いものだった。

 

 頭からシャツを被って、襟首から白い髪を通し、全身を衣服で包み隠す。

 どうしてか、少しだけ肌寒い。

 

「…………」

 

 声を掛けに行く前に、ほんの少しだけ身嗜みを確認するため身を捩る。

 着崩れなし。 シワもなし。 尻尾のツヤもよし。 枝毛も特にない。

 という事は、ばっちりという事である。

 これ以上は無いなんて言える筈もないが、部屋着の装いとしては必要十分に違いない。

 

 ……とりあえずは最低限の身だしなみを整え終えたとして、ドアへと歩み寄った。

 何故引っ込んだのかも分からない部屋の相方と、見慣れた突然の来客を招き入れるために。

 

「……あの。

 着替え終わりました……」

 

 トウカイテイオーが待機していたのはすぐドア横だ。

 ミホノブルボンもそのすぐ後ろに居る。 ……彼女に関しては、何故引っ込んだのかまったく意味が分からないけれど。

 

 壁に背をつけている様子は少しだけ落ち着きが無かったが──しかし、さて。

 ファインドフィートには思い至る理由が何も無かった。

 

 身嗜みに問題はない。

 ここ最近の不和に関する振る舞いとしては……やや不適格。

 ともかく、心当たりはなかった。

 

 ……やけに胸元の付近を凝視してくるトウカイテイオーの様相に疑念を覚えつつ、手の仕草で入室を促した。

 

「──いや~、さっきはごめんね? 

 ノックもしないで急に入っちゃって……」

「申し訳ありません……ステータス『勇み足』を抑止出来ませんでした」

「……いえ……今のは別に、大したことじゃありませんから」

 

 ベッドの下から客人用の座布団をひとつ取り出す。

 客人用の品が収納されているのはミホノブルボン側のベッドだ。

 

 緑色のそれをちゃぶ台の前に置いて、三人が居座れる状態に整えた。

 

「ところで……その、何かあったのですか? 

 テイオー、さんが此処に来るのは随分と久しぶりの事ですが……あっ、お二人はゆっくりしていて下さい。 今お茶を淹れますから」

「ありがとうございます……。

 私も、電子機器を扱えたら良かったのですが」

「しょうがないよ、体質なんだし……って言っても、電子機器に触ったら壊れるなんて意味がわからないけどね」

「ブルボン先輩は……たぶん、歩く電子特攻兵装みたいな……そういうあれ、なんじゃないですかね」

 

 何だかんだであっという間に人口密度が上昇してしまったが、それは悪い事ではない。

 

 ファインドフィートは正しい手順で訪れたモノを心の底から歓待する。

 このひだまりを壊さないで済むのなら、それだけでいい。

 

 電気ケトルに水を注いで湯を沸かす。

 駆動している証明として、赤いランプが薄く光っていた。

 

 沸騰するまで凡そ3分程度。 これもあっという間だ。

 

「──そうそう、それでね! 

 えっとね、今度キャンプの練習……練習? 

 うん、練習するためにキャンプしにいくんだ! 良ければフィートも来ない?」

 

 彼女に背に向けトウカイテイオーが語る。

 内容に関しては……正直なところ、知見が浅すぎて"はい"とも"いいえ"とも言い辛い。

 

 丁度仕事を終えた様子の電子ケトルからカップへ湯を注ぎつつ、熱を伴う湯気を顔面に浴びた。

 

「……キャンプの練習のためにキャンプ、とは……。

 それは……何というか、変わっていますね」

「発案者ゴルシだし」

「……なるほど。

 ちなみに一体何処で?」

「隣県のキャンプ地。

 で、そこが山の上だから……登山も一緒にやる感じかなぁ。

 星空がよく見える所らしいよ?」

「…………なるほど」

 

 "それは本番の扱いで良いのでは?"

 そんな、捻りのない感想を抱いてしまった。

 

 そもそもキャンプの練習という概念自体にピンときていない。

 事前準備を整えて、テントを担いで山に登ったのなら、それはもうキャンプではないかと。

 そこに本番も練習も何もないのではないかと、そう思ったのだ。

 

「ま、ボクもそう思う。

 とにかく、参加者はボクとブルボンとゴルシと……あと経験者としてカフェ先輩、マンハッタンカフェ先輩だよ」

「な、なるほど……?」

「そーそー。

 っていうワケで、フィートも一緒にキャンプしよーよ」

 

 それに困ってしまうのは……やはりと言うべきか、ファインドフィートのみだった。

 眉をハの字に曲げて──なんて感情表現は出来ないけれど。

 代わりに耳を垂れさせることを表情の代替えとする。

 

 ……正直なところ、彼女にも理由は色々と存在していた。

 経験がないこと。 アウトドアは大して得意ではないこと。

 知らない人物(マンハッタンカフェ)がいること。

 トウカイテイオーに()()を出しそうなこと。

 

 そして何よりも、天皇賞春が近いこと。

 ファインドフィートはそれに向けた特訓を行う必要があるのだから。

 

 もしも当日に遊び呆けて、繊細なバランスで為される調整に失敗してしまうなど……考えるだけでも恐ろしい。

 その結果で、まさか、まかり間違っても──負けるなんて、あってはならないのだ。

 何があってもそれだけは許さないし、許されない。

 

「──だから……その、参加は厳しいです」

「あぁ~……天皇賞春、ね。 でもでも、もうしばらく先なんだし、ちょっとぐらい良いじゃん?」

「テイオーさんのおっしゃるとおりです。

 定期的に気を抜きつつ、締めるべき所で引き締める。

 それが質の良いトレーニングの秘訣かと」

 

 しかし──そんな思わぬ援護射撃をなされてしまうと、いよいよ彼女は拒否しづらくなってしまう。

 ある意味ではまったく不思議ではなく、彼女の気性を考慮したなら自然とも言える援護射撃なのだから……むしろ、それを"思わぬ援護射撃"と感じるファインドフィートこそが正しくないに違いない。

 

 女神の価値観や基準さえも理解出来ぬ状況で、自由を謳歌する訳にもいかないと云うのに。

 顎先に指を添えてありもしない言葉を探し、視線を上部左右を彷徨わせた。

 

 ……結局、話せる理由が何もない事に気付いてしまった。

 本当の所にある理由は、胸のうちに秘すべきモノだ。

 

 それは話せないし、話すべきではない事柄。

 故に彼女は……地蔵のようにダンマリを決め込む他に選べる手段が無い。

 

 つまり、今までと同じだ。 何も変わらない。

 

「……悩ましいのなら、一度試してみては如何でしょうか。

 例えば……トレーニングと同じで、まずは何も考えずに試すべきです」

「…………」

 

 涼やかな声音だ。

 

 ……それが彩る中身は、ファインドフィートが抱える何かへの苦慮を含んでいる事は明らかだった。

 "なら放っておけば良いのに"と思った。

 "あなた方の利になることは何もないのだから"と、拒絶したくもなる。

 

 けれど。

 そう考えているくせに、その手をすぐに振り払えない。

 

 だからこそ。

 彼女はこうして痛みを抱えたまま。

 ずるずると、ずるずると、やがて訪れる破綻を遠ざけ続けているのだ。

 

「……"何も考えない"、というのは。

 とても、とても大切なことです。

 最初の一歩を踏み出すためには"そこ"から始まる……マスターにもそう教わりました」

「ブルボンのは、こう……"四の五の言わずに走りなさい! "みたいな事を言われてただけのようなー……」

「はい。

 これは大マスター……つまり、マスターの師匠からの受け売りだそうです。

 私はレースの練習の為という事情もあるので、今しがたの発言とは些か趣旨が違いますが……」

 

 そこで区切り、ファインドフィートに視線を合わせた。

 涼やかな声が鼓膜を撫でる。 舌の動きは滑らかで、発する音はひどく柔らかい。

 

「……とにかく、一度試してみませんか?」

 

 無表情であるというのに、表情豊か。

 提案しているようで、実際のところはあんまり拒否させるつもりがない。

 

 ……()()()だ。

 だから彼女はいつも、その手を振り払えない。

 

「きっと、楽しいですから」

 

 そのせいで──あぁ、それなら良いか、と。

 あっさりと、簡単に、感情が反対へ転がってしまうのだから、どうしようもない。

 

 だって、いつもそうだったから。

 ()()()()から変わらない。

 

 ファインドフィートが下手な理屈を捏ねて、理由をつけて逃げようとする。

 ミホノブルボンはそんな彼女の手を()()()()()強引に引っ張り、優しく振り回す。

 

 ……あるいは、それが。

 

 その、なんてことはない日常の構図が、ファインドフィートにとって何よりも大切なひだまりで。

 それを何時までも変えたくないだけで。

 変わりたくない、だけだった。

 

「……あぁ」

 

 変わりたくない。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 それだけで十分じゃあないかと、深く盲信しているのだ。

 

 ただ、()()のために浅い呼吸を繰り返す。

 思い出の残滓の中で、延々と蹲って。

 浅く、浅く、呼吸を繰り返す。

 

「あなた達と、一緒なら」

 

 ……小さくて、真摯で、みっともない祈りだった。

 己のそれが惨めな代償行為でしかないのだと、無意識の裏で理解しながらも。

 淡々と、粛々と耳を伏せる。

 

 色のない誰かの後ろ背を、悼むように。

 

 


 

 

 数を増やし、細々と栄え、やがて滅びるまでは根を張り続けるモノ。

 けれど、ほんの些細な行き違いだけで簡単に息絶えるモノ。

 そんなちっぽけで、弱っちい輝きを、次へと繋げていくモノ。

 

 いつかの『少年』と『少女』は──そんなちっぽけで、ひどく矮小なそれこそを、『命』と定義した。

 

 

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