【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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■■話 : 消失済みの記憶

 白く霞む幻は何も語らない。

 踵は影を生まず、背は光を透過する。

 だから何も語らない。 語ってくれない。

 それは決して、彼女を責めてはくれなかった。

 

 


 

 

 春のファン感謝祭。

 それはトレセン学園にて毎年開かれる恒例行事である。

 秋に開催されるものとは異なり、運動系の催しをメインにしているのが特徴だ。

 

 その起源は大して古いものでなく、当事者のウマ娘達が自主的に始めたものが行事として定着したとされる。

 時期で言えば、多くの人を集めてレースを開催するようになった近代以降──つまり、この500年間。

 世界中で多様な文化が開花する中でどのようにして発生し、どのように発展したのか。 詳細は定かでない。

 ただ、出走者達自身が発起人となったのは殆ど確実だった。

 

 何せ気性の難しい一部の面々ですら参加を拒否しないのだ。

 種族的な特徴として義理堅い面を有していると評しても、さほど的外れではないだろう。

 それは半端者を自称するファインドフィートも同じであった。

 

「……体育祭のようなものだから、ですか。 やはり活気が凄まじい……」

 

 どこもかしこもヒト、ヒト、ヒト。 それと時折見かけるウマ娘。

 

 あちらこちらへ視線を投げつつ、ふらふらと。

 右へ左へ歩みを進めて、陽光の下を無軌道に探索する。

 着用しているのが指定の赤ジャージである事もあって、その姿は学園生という群れの中によく馴染んでいる。

 

 やれ新しい出店が気になるだの、同級生がやっている仮装大会を見てみたいだのと。

 言葉に出さずとも、向けた足の先がそれらの欲求を雄弁に物語っているのだ。 そのガワだけを見れば単なる女学生でしかなかった。

 

 ──けれど、そんな彼女へ時折声が投げかけられる。

 その殆どは学園外からの来訪者によるもの。 その来訪者とはつまり、一般客の事だ。

 

「この前のレース見たよ、すごかった」

「これからも負けないで!」

「あなたに憧れてトレセン学園を目指しています」

 

 彼ら彼女らの、そういう特色のない声を受け止めた。

 すごかった、とか。 はやかった、とか。 あこがれた、とか。

 そういう、特色のない──しかし、だからこそ誇るべき声を白い耳で聞き取った。

 

 それは『ファインドフィート』という殻を見て、『ファインドフィート』という殻に抱いた感情だ。

 それを中身の少女が受け止めるとしても、どういう顔をつくれば良いのか。 これっぽっちも分からない。 だって、姉がこういう時にどんな顔をするのか分からなかった。 知る機会を失ってしまったのだから、知る由もない。

 そして、その答えを知ることが出来なかったから、彼女はここに居る。

 

 だから仕方なく、本当に仕方なく、ほんの少しだけ口の端をつり上げて。

 犬よりも分かり辛い表情で、白塗りの(おもて)を少しだけ崩した。 これが彼女なりの精一杯だ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 何を言うべきかも分からないから、発したのは本当に淡白な返答。

 鈍い舌先。 悲しいほどに枯れた語彙。

 けれどそれも彼女の、中身の少女の精一杯だった。

 

 本来、これを受け取るべきだった姉はここに居ないから。

 だから片割れである彼女がどうにか姉を真似て、殻を演じる自分で対応するしかないのだ。

 

 ……その演じ方はひどく単純である。

 片割れである自分だったらこうするから、きっと姉もこうする()()()という想像の上に成り立つだけ。

 例えば、綺麗なものを見た時や、まばゆい光を浴びた時。 彼女はそれに対して微かな畏怖を感じる。 だからきっと姉も同じだと、想像する。

 バッタが跳ねる姿や、子犬が初めて立つ姿。 彼女はそれに対して僅かな愛おしさを感じる。 だからきっと姉も同じだと想像する。

 美しいそれらへ感じる情は互いに同じなのだと信じて、ありえざる軌跡を真似るのみ。

 真似て、白々しく呼吸を重ねて。

 

 

 ──それから、ひとしきり。 一呼吸の間を五十ほど重ねたあとの事。

 ファインドフィートは──度重なる対応に疲れ果ててしまった様子で、雑踏の中に程よく紛れられそうな地点を目指して歩き始めていた。 白い耳はほんのり垂れて、白い尾っぽは風にも負ける。

 そんな彼女から鳴る蹄鉄の音は軽く、故に雑踏の波に容易く呑まれて消えてしまう。

 

 

 道すがら、なんとなしに右を見る。

 サポート科の生徒が露店を開き、自作の蹄鉄ハンマーを誇らしげに掲げていた。 そんな彼女が語るのは持ち手の工夫や材質の利点、幾らかの改造によって獲得した便利機能。

 生気に満ち溢れた、美しい笑顔をしていた。

 

 今度は左を見る。

 珍しい白毛のウマ娘が親子連れに道案内をしていた。 所謂、誘導ウマ娘の道を歩んでいる者である。

 彼女等の役割とはレース場における出走者達の先導役であったり、パレードや楽隊の構成員。

 詳細部分に関しては、自身の所属する学科以外に明るくないファインドフィートには知り得ない。

 が、白毛の彼女も己の夢を目指している道中にある事は間違いなかった。

 

 否、彼女だけではない。

 右も左も。 前も後ろも。 どこもかしこもそういう人々で溢れかえっている。 友、家族、夢、希望。 キラキラとしたものばかりだ。

 

 それらの姿を見ていると、どうしてか……胸の奥が、ちくりと疼いてしまった。

 錯覚と勘違いしても不思議ではないほど小さく。 けれど、錯覚でしかないと吐き捨てるには大きすぎる何か。

 茨の棘ではない。 古傷でもない。

 疼きの正体は、それらよりも遥かに単純であったが──しかしその根底を明らめようとはせず、そっと蓋を閉じて。

 ファインドフィートはまた、つま先で地面の空を蹴り飛ばした。 踵が地面を擦った小さな音が鳴り響く。

 もちろん、そこに共連れの足音なんて存在しない。

 

 

 ◆

 

 

 ──やがて、気分転換を求めたファインドフィートが辿り着いたのは体育館だった。

 建物として非常に大きく、一階部分の運動場と二階部分の観客席に分かれている。

 そこではバスケットボール大会が開かれていて、現在は準決勝の試合が始まったところだ。

 

 ボールが跳ねる度に漏れる観客の声。

 おお、とか、そこだー、とか。 野次なのか声援なのかすら判別が難しい大声を背に受けて、5名と5名の少女達がぶつかり合う。

 ボールを投げ、跳ねさせ、時には肩と肩を衝突させて。

 お世辞にもお行儀が良いとは言い難い。

 が、みながみな真剣な表情をしているからなのか、野蛮な気風を感じさせることはなかった。

 漂わせる物はどちらかというと勇壮な色香に近いのだから、不思議なものだ。

 

「すみません、横通ります……すみません……」

 

 ──そんな競り合いを見る人々の隙間をすり抜けながら、白い姿が前進していく。

 しっかりと見下ろせるフェンスの傍を目指して歩く。

 誰も彼もが試合に見入っているおかげでとても気楽だ。 少なくともこの場では同じ方向を見れる事を保証されているのだから、群れに紛れるという目的には合致している。

 

 しかも、老若男女を問わず揃いも揃ってレースとは無関係なスポーツに熱を上げているのだ。

 それはファインドフィートがやったことのないスポーツ。 未知の領域である。

 それほどの熱狂を生み出すものをより近くで見てみたい、と思うのは、好奇心を持つものであれば全く自然な行動であろう。

 彼女自身は本来、非常に好奇心の強いタチだった。

 

「おっと……大丈夫? 前いいよ、君の後ろからでも見えるから」

「……すみません、失礼します……」

 

 それから多少の労力を対価として、ようやく最前列の端っこを陣取れた。

 たどり着いた先の男性が親切なタイプだったおかげもあって、幾らかスムーズな場所取りだった。

 ちなみにファインドフィートの身長は現在163cm。 去年よりもほんの僅かに伸びているし、決して小柄という程でもない。 女性としては、という注釈が必要になるけれど。

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

「いいよいいよ。 ちゃんと見えてるから」

「……すみません、ありがとうございます……」

 

 その後ろからでも問題ないという男性の背丈は──実際、平均(約170cm)よりいくらか大きい程度。

 それで何も問題ないなんて事はない、筈なのだが大丈夫というばかり。 耳が視界を横切らないか心配だった。

 故のほんの僅かな申し訳無さを抱えつつ……しかし、善意を踏みにじるまいと眼下のホールに意識を向けた。

 

「……なるほど。 これがバスケットボール……」

 

 走り回るのは10名の少女たち。

 汗が弾けて、シューズが擦れる。 流れるように身をかわし、主導権(ボール)を奪い合う。

 一部の参加者にはG1ウマ娘も混ざっていて──やはり、というべきか。 相応に激しく、華のある戦いだった。

 中でもメジロライアンは大いに目立っている。

 背丈をも越える跳躍力を以て、ゴールリングの中にボールを直接叩き込む(ダンクシュート)。 視覚的にも分かりやすい活躍だ。

 

 その雄姿を見守りながら、手すりに体重を預ける。

 今は昼前で、ファインドフィートの予定は辛うじて空いている時間帯だ。

 少なくとも、この試合を見届けるだけなら問題ない。

 

「……おぉ、また一点入った……」

 

 もちろん、この試合が見終わったら彼女も役割を果たしに行く必要がある。

 

 ……()()()()()()()()()トレーニングの合間の休養期間を活用している身であるから、激しく動く種目には参加できないのだが。

 それは無駄に消耗できないから、ではなく。 単純に体力が尽きかけているからだった。

 普通に活動する程度であれば問題ないが、全力疾走は些か苦しい物がある。

 ともかく、目の前で繰り広げられているようなスポーツのレベルは不可能である事に違いはない。

 

 ……であるなら、この祭りでの彼女の役割とは何か。

 それは運動系以外の、走行を必要としない出し物か、あるいは引き立て側の実況解説役などに限られてしまう。

 が、実況解説に必要なものは優れた話術や豊富な語彙だ。 あるいは、聞く者の共感力に訴えかける熱情が必要である。

 その資質をファインドフィートが備えているかと言えば、非常に怪しい。 残念ながら。

 

「……あれ、怖くないのでしょうか。 あんな速度で走って転んだら……わたし達の骨なんて、簡単に折れそうなのに」

 

 それらを踏まえて、クラスで役割分担の相談を行った結果。

 ファインドフィートが任されたのは腕相撲大会のクラス代表だった。 実にお誂え向きである。

 足元への影響は一切無く、鋭い舌鋒は不要であり、それでいて感謝祭での役割も十分に果たせる。

 必要なのは姿を晒すことと、来訪者を楽しませること。

 それだけが今回の必要十分なのだから、非常に易しいものである。

 

 

 ◆

 

 

 準決勝の終わり。 メジロライアン率いるチーム『ノリーズ』の勝利を見届けて、ファインドフィートは自分自身の役目に回帰していった。 時計の針を逆回しにするように、同じルートを通って体育館の外へ出る。

 彼女の役割とは、つまり、腕相撲大会への参加である。

 場所は体育館前にある仮設ステージ。 決戦の舞台はそのステージの上の、多目的に作られたお立ち台だ。

 

 勝ち抜きのトーナメント方式で、参加者は16名。

 大井レース場におけるフルゲートと同じ頭数だ。

 つまり、4回力比べをして勝てば優勝という事になる。 レースと違って勝敗への重みが無い故に、ファインドフィートには気楽なものだった。

 とはいえ、一部の負けず嫌いはそうでもないのだが……。

 

「……いえ、なるほど。 そこまで本気になって挑む物なのですね」

 

 ──訂正。

 一部ではなく、ファインドフィートを除いた大半が負けず嫌いの質だった。

 

 時間に合わせて集まった他の少女達はみな、たいへん()()()()な様相を見せつけていた。

 ただ、そうでなければ競走の道を選ぶことは──無いとは言い切れないにしても、選ぶからにはやはりそういう性質である方が自然なのだ。

 紛れ込んだ群れの中で幾らかの居心地の悪さを抱えつつ、ステージの上にのぼる。

 お立ち台の右脇。 観衆から見ての左脇。 そこを定位置として、ぞろぞろと集まってきたヒト耳達や一部のウマ耳に手を振った。 ほんの少し、抱えていた居心地の悪さが紛れた気がした。

 

「と、いうわけでー。 皆さんお集まりのようですし、第十二回……え、十三回目? ……あー、とにかく腕相撲大会を始めたいと思います。 司会は皆さんおなじみ、ネイチャさんでお送りしま~す」

 

 そんな彼女等の姿に疑問を挟むでもなく、マイク片手のナイスネイチャが進行役を担う。

 赤みの強い鹿毛(茶色)のツインテールを小さく揺らしながら、手元のメモ用紙を見下ろしていた。 それはいわゆる、カンニングペーパーという物だった。

 

「あー……っと、まずは一回戦からですかね。 これから名前を呼ぶお二人さんは簡単な自己紹介をしてから力比べしてください。 あ、レフェリーもネイチャさんが兼任しますよ~」

 

 それから一呼吸を挟んで、間延びした声で呼び出されたのはキングヘイローとカワカミプリンセスだった。

 奇しくも、揃って()()()()()立ち振舞いを重んじるコンビである。 その完成度はさておきとして。

 

「単純な力比べ、なのよね? それにしては……こう、命の危険を感じるのだけれど」

 

 その片割れ、キングヘイロー側は──些か、落ち着かない様子だった。

 一流たれと自己を厳しく律する彼女にしては珍しく、耳も尻尾もソワソワと小刻みに震わせながら、台の横の階段を上っていく。

 

「しゃあっ! ここで優勝できればお姫様パワーが高まること間違いなしですわ~っ!」

 

 対し、カワカミプリンセスは意気揚々と踝を跳ねさせている。

 赤みのある長髪を風に踊らせる姿が、根っこの部分にある気品を微かに感じさせる。

 が、どうしても隠しきれない、原始的な熱が彼女を鮮烈に彩っていた。

 

 つまるところ、カワカミプリンセスというウマ娘はたいへん()()で、()()()のあるタイプなのだ。

 その逸話のいくつかは面識のないファインドフィートでさえも知っている。

 例えばオーブントースターを手刀で破壊しただとか、校舎の壁に大穴を空けただとか。

 どれもこれも道具なしの素手、あるいは素足での所業だというのだから、彼女の身体スペックは凄まじい物がある。

 だから、そのアクティブな部分は大いに尊敬していた。 もちろん、意図しない破壊活動は決して真似したくはないが。

 

「はいはい、おふたりさん手を組んでくださいね。 それじゃあ、アタシの合図に合わせて競り合い始め。 どちらかの手の甲が机に着いたら勝負ありって事で──」

 

 口々に応援の声を上げる観衆達が見守る中、少女たちが互いの右手のひらを重ねて、ぎゅっと握り締める。

 そしてその上からナイスネイチャの手が蓋をして、試合が始まるまでの封とした。

 

 しかしどうしたことか、試合は始まってもいないのにキングヘイローの顔は既に血色を失っていた。

 姿勢は力比べの準備を終えていても心の準備はまったく出来ていない様子だ。

 

 そんな対照的なふたりの姿を、やや遠巻きに眺めた。

 机ごとぶち抜く、なんて日常生活ではそうそう聞くことのないセリフを聞き流しながら。

 

 見た限りの様相はどうであれ、どちらも現代日本では名の知れたアスリートだ。

 斯様な存在を無意味に傷付けるような企画なんぞ通る筈がないのだから十中八九問題はない。 カワカミプリンセスはこういう場面において()()()()をしてしまう程軽率ではなく──本能の部分でブレーキをかけるから、他者に怪我をさせることができない。

 

「ふゥ……キッツいですわ~ッ!」

「……あ、あら? 思ったより勝てそう……ねッ!」

 

 つまりは、そういう事である。

 結局カワカミプリンセスは全力を発揮できず、一回戦で敗退した。 アリを潰さないように踏む行為ほど、難しい行いは存在しないのだから。

 

 

 そして、それから二組が試合を行って。

 

 その度に繰り広げられる力比べを見送りながら、ファインドフィートは己の勝率を簡単に見積もっていた。

 比較対象は自分の基礎スペックと、他者の基礎スペック。 そして各々のモチベーションの差。

 

 基礎スペック、という分野に関してはそこそこの自信を抱ける。

 まず、ファインドフィートの筋力は比較的優れている方である。

 とはいえ下半身にかけている労力に比較すると、上半身はあくまでも()()()()にしか鍛えていない。

 ただ、デッドリフトの形式であれば300kgのバーベルを持ち上げる事ができるし、その状態で安定させられる。

 米俵を片手で持ち上げることだって可能だ。

 

 とはいえ、上には上がいるもの。

 たとえばオグリキャップは500kg以上のバーベルを持ち上げられるし、ヒシアケボノはそれ以上に重たい"牛"を抱えられる。 それを初めて聞いたときには"そんな事があり得るのか"、と珍しく困惑した物だった。

 もちろん、そんな上澄み中の上澄みには敵わないが……彼女は、自分が意外と"やる方"だという自負があった。

 

「──次は……ファインドフィートさんと学級委員長さん……もとい、サクラバクシンオーさん。 怪我のないようにね、おふたりさん」

 

 しかしモチベーションの部分に関してはどうとも言い辛い。

 モチベーションとは、やる気や勝負根性と言い換えても語弊はない。

 ともかく、それは精神性に由来する部分の熱量である。 対戦相手から沸き立つそれを、目で見て取れる範囲だけで比較して──ファインドフィートは、己のそれがひどく貧弱であることを理解した。

 

 壇上へ脚を向けながらひとりごちる。

 ああ、これは勝てないな、と。

 

 そもそもの問題として、彼女は勝とうとすら思えていなかった。

 ここで勝つことに意義を見いだせない。 ここで労力を費やすことに意味を有せない。

 だから勝てない。 簡単に導き出せる結論だ。

 

「フッフッフ……学級委員長の力を見せて差し上げましょう!」

「お手柔らかに、お願いしますね……」

 

 そんな推論を頭の端っこに据えながら言葉を交わして。

 一度、ぬるい息を吐き出し、代わりの冷たい空気を肺へ取り込む。

 そして手を交差させる。 握りしめる。

 向かい合って目と目を合わせた。 そこに、絶対的な熱量の差を垣間見る。

 ……つまり、ファインドフィートの推察は正しかった。

 

「ッ」

 

 審判の手のひらが蓋となって、それからほんの一呼吸の間。

 伝わる体温が互いに染みるには不足であっても、心構えを整えるには十分な間だ。

 

「ファイっ!」

 

 手が離れる。

 瞬間、全身を巡る血へ酸素を叩き込んだ。

 ぎちり、ぎりりと筋繊維が収縮し、相手の剛力を真正面から受け止める。

 しなやかな弓を引き絞るように、大きなタイヤを押し歩くように。 ただ、生物として備わった筋力のみで立ち向かう。

 

 引き倒して。 引き倒して。 引き倒して、ねじ伏せろ。

 なんて、単純なこと、いくら腕に命じようにも完遂されない。 当然だ。

 組んだ手は空を指し示したままか細く震えるばかりで、勝利の方向へと傾かない。

 つまり、ファインドフィートの全力では現状維持が限界だった。

 

「く、ぅ……! バク、バク……シィン……!」

 

 それだけの時間があれば、組んだ手から互いの体温を染み込ませるには十分である。

 白熱し、肌を炙り、汗を滲ませる。 それによって手が滑りそうになるが、しかしより一層力強く握り締める事で強固な綱として成立させ続ける。

 もし、ファインドフィートにその気がなくとも、対戦相手であるサクラバクシンオーはしっかりと勝ちきるつもりだったのだ。

 

 故に、やがて勝敗の天秤が傾いていくのは当然のこと。

 勝利の女神は相応の気迫を持つ勇者に微笑むもの。

 

 サクラバクシンオーの側はじわじわと力を強めるのに対し、ファインドフィートは少しずつ力を抜いてしまう。 じわじわと、ゆっくりと、風船が嗄れて萎んでいくように。

 その力を維持できるだけの血の巡りを、保持できなかった。

 

「参り、ました……」

 

 ──決着の合図は、ぽすんと軽い擬音が付きそうなほどにあっさりと。

 

 数十秒に渡る競り合いの後に、手の甲が着地する。

 引き倒したのはサクラバクシンオーで、引き倒されたのはファインドフィート。

 勝敗は審判による裁定は不要なほどに明白である。 疑いようもなく、ファインドフィートの負けだった。

 

 そして、これによって格付けは済んだとでも称するべきか。

 当人たちや衆目から見てどう感じるかはさておき、結果としてはそうだった。

 

 ファインドフィートはこの勝敗に納得していて、敗北へ至る理由も理解できていた。

 故に、続くセカンドラウンドも結果は変わらず。 一組の、勝者と敗者が生まれる。

 

 それを見た観客から上がるのは、あぁ~、残念だったなぁ、流石の驀進王だ、などという労いの言葉。 勝敗の行く先を肯定する言葉でもある。

 

「……まぁ、こんなものでしょうね。 わたしでは」

 

 それに悔しいとも思えず、淡々と尾を振った。

 試合後の握手を交わして、それっきり。

 

 

 そんな彼女らを他所に、ナイスネイチャが各々の一回戦の決着を告げた。

 トーナメント表の勝ち上がりを追記して、次にある二回戦の面子を読み上げて。

 その姿を尻目に捉えて壇上を降り……一応、引っ込む前に観衆へ向けて会釈だけはしておく。

 

 そして、続くトーナメント。

 ファインドフィートもステージの端っこに立ちながら、ぼんやりと進行を見守る。 時折ナイスネイチャからコメントを求められた時に反応を返しつつも、基本的には地蔵の姿勢を崩さない。

 一回戦敗退の身ではあるが、それでも参加者である。

 敗者には敗者なりの役割があって、少なくとも、負けたから"じゃあさようなら"とは行かないのだから。

 

「うぅ~む……」

 

 そのファインドフィートの状況を暇していると捉えてか。 そもそも何も考えていないのか。 まったく別のことを考えているせいか。

 何時でも何処でも元気一杯と評判のサクラバクシンオーにしては珍しく、大した声も出さずにファインドフィートに歩み寄る。 しきりに右手の開閉を繰り返しながら、訝しむように。

 

「やはり妙な手応えです。 触った感じからして……こう、もっと手強いかと思っていたのですが。 具体的に言えば、ちょっと小腹が空いた時のカワカミさんと同じぐらいに……。

 もしかして、お悩み事でもあるのでは!?」

「……それ、わたしに言っていますか?」

「はい! もちろんです!」

「あの、声はもう少し小さくして頂けると……」

「はい! すみません!」

「…………」

 

 ともかく。

 何食わぬ顔で隣に立った鹿毛の少女は、天真爛漫な笑顔で語る。

 純粋な面持ちで小首を傾げながら、ファインドフィートの目を覗き込んだ。

 身長差は5センチほどあったから、サクラバクシンオーの側はやや見上げる形だ。

 

「奇しくも同じ距離適正で、同じ脚質のよしみです。 この学級委員長が相談に乗りましょう!」

「……同じ、距離適正…………いえ、それはともかく。 別に、わたしはわたしに出来ることを積み上げていっているだけです。 これは悩みなんてものではありませんし……もし仮にこれを悩みだとするのなら、この学園に所属している全員が当てはまるでしょう」

「ふむふむ……ですが、握った手からは迷いを感じ取りました! なのでこれはバクシン的お悩みシグナルかと……ッ!」

「関係ないでしょう。

 ……話は以上ですか? でしたら……その、試合の実況とか、解説とか、そういう物をやってみても良いのでは?」

 

 口から飛び出したそれは、突き放す響きをいくらか含んでいる。

 そして彼女なりに言葉を咀嚼している様子でひとしきり頷いて、僅かに弓なりに細められた目が青色を捉えた。

 ぴんと人差し指を立てて、胸を張って。

 

「でしたら言い当てましょう! バクシン的、模範アンサーで!」

 

 大きい声である。 が、しかし直前に受けた注意をある程度踏まえてか。

 幾らか抑え気味の声で、観客のざわめきに紛れ込めるぐらいだった。

 ……しかし、真正面から直撃を受けたファインドフィートには溜まったものではない。 そっと、白い耳を伏せた。

 

「──つまり、怖いのですね! 触れるのが!」

「…………」

 

 しかし、そんな彼女の様子にすら気付いていない様子だ。

 顎に指を充てがいながらうんうんと頷いて、そのくせに仕草は堂に入っている。

 

「触れるのが怖いから、力が抜ける。 なるほど、我ながら恐ろしい推理力です……!」

「それは、何故」

 

 けれど、それを聞いたファインドフィートには堪ったものではない。

 よりにもよって触れることが怖いから、などと。

 

「何故、わたしが怖がっていると。 わたしの、どこを見て──」

「だって、そんなにも怯えているではないですか」

 

 日光のもと、桜色の瞳がきらめく。 独特の形状をした虹彩(はなびら)が印象的だった。

 鹿毛の一本結びがぴょこりと揺れて、サクラバクシンオーという少女の自信を彩って。 彼女の口先を、力強く後押しする

 

「そうでなければ、その肩や手は何故震えているのですか?」

「な」

 

 半ば反射だった。

 自分の肩をおさえて手を見てみる。

 

「いえ、これは……」

 

 けれど、震えなんて存在しない。

 

「心当たりは、お有りのようですね」

 

 普段どおりだ。 普段どおりのファインドフィートがそこにいるだけだ。

 咄嗟に反応してしまったが、それはサクラバクシンオーによる欺瞞だった。

 ……けれど、咄嗟に反応してしまえるということは、相応の動機や心当たりがあるということで。

 

「……うそ、だったんですね」

 

 故にようやく行き着いたのは、そんな答え。

 微かな震えや甲高さを含んだ吐息を、歯の間をすり抜けるような語尾で纏める。

 

 サクラバクシンオーはそれに対して肯定、するわけではなく。 否定することもせず。

 ただ、艷やかな唇をぴったりと閉じて、浅い弓なりの笑みをつくるのみ。

 つい先程までの騒がしさはいずこへ消えたのか、顔を合わせているファインドフィートにすら把握できなかった。

 

「傷付けるのが、怖いですか?」

「そんなの……怖いに、決まってるじゃないですか」

「傷付けられるのは、怖いですか?」

「それは……あんまり、怖くないです、けど」

 

 細められた桜色の瞳。

 その奥に封じ込められた熱情を覗き見ながら、途切れ途切れの答えを返して。 薄く引き伸ばされた極小の音で間を取り繕った。

 

「……その根底にあるのは。 きっとあなたが、あなた自身の事を信じていないから……。 いえ、正確には信じたくないから、が正しいでしょうか?」

 

 そして、隠していたつもりの中身に明確な形を与えられて。

 ファインドフィートは自分が何を返すべきなのか、途端に見失ってしまった。

 何を言えば良いのか、そもそも何を言いたいのか、そんな単純なあるべき姿さえもまるで掴めない。

 分からない。 分からないのだ。 自分以外の心は目に見えないから、分からない。

 ……だから人々は、互いを理解するために言葉を交わすのだけれど、ファインドフィートにはそれも出来ない。

 

 対話することは、恐ろしい。 理解できないから、恐ろしい。

 怯えを仮面の裏に隠しながら、そっと目を逸らす。

 

「……そんな、こと。 あなたにはどうだって良いでしょう。 だってそもそも、あなたとわたしは今日初めて会話を──」

 

 ──した程度の仲だから、あれこれと言われる義理などない。

 

 そう続けようとして。

 しかし、途端に胸の奥が痛みを叫んで、喉の元を引き絞る。

 こひゅ、と。 溺れるような喘ぎを漏らした。 痛くて、痛くて、脳の髄が溶け落ちてしまいそうだった。

 

「……初めて、なのに?」

 

 初めて、の筈だった。 会話を交わしたのは。

 

「本当に?」

 

 ファインドフィートの記憶にある限りでは間違いなくそうだ。

 だというのに、"初めて"と口にした数だけ胸の奥が痛んで仕方がない。

 

「本当に……?」

 

 そんな彼女へ向けられた桜色の瞳は、微かに伏せられた。 小さく、浅く。

 

 ──かと思えば。

 僅か数瞬後には晴れやかな笑みが満面に広がる。

 自信いっぱいで元気もいっぱい。 普段から己を()()()学級委員長と呼んで憚らぬ少女らしく。 お手本通りに。

 

「……ですがご安心ください! 何せこの学級委員長が傍にいるのですよ! ですから一緒にバクシンしていれば、あなたもすぐに、あなたの事を好きになれます!」

「…………」

「さあ、あなたも一緒にバクシンしましょう!」

 

 それから一度、試合の場へと視線を投げて、ようやく首を横へ振った。 静かに、音も出さず。

 ……とはいえ、そもそも周囲の観客による声の方が大きいのだから音なんて気にする必要なんてない。 音を気にしている者がいるとするなら、それは他ならぬファインドフィートだけである。

 二回戦の二組目が試合中で、彼女等ふたりを除く全員が力比べに夢中だった。

 

 わぁ、と歓声が上がる。

 がんばれー、と応援が聞こえてくる。

 負けるなー、と発破の叫びが響く。

 その声と声の隙間を縫うように、喉の奥を震わせた。

 

「……わたしが欲しいのは、結果だけ、なんです。 結果さえあれば、わたしは納得できる。

 そう。 結果さえ、結果さえあれば良い。

 そこへ至るまでに、わたしの自己嫌悪があろうと何も関係ない。 違い、ますか?」

 

 言葉はふたりの間だけに染みていく。

 まるで形のない何かに隔てられているのかとでも疑いたくなる程、他の何処(いずこ)かへ到達することもない。

 微かに腐った肯定を聞いた桜色の少女は、ただ、眉をほんのり垂れ下げた。

 

「……もちろん、あなたが言った事は覚えておきます。 だって、あなたほどの方が言うのですから」

 

 その姿を見ている癖に最低限を言葉の形に押し固めて、視線を少女の真横の、ステージから見た空へと放る。

 せめてもの誠意を露わにしたつもりであっても、虚しいほどに白々しかった。

 

「──ああ、もうそろそろあなたの出番みたいですよ。 あなたを、みんなが待ってる」

「ちょわっ!? すみません、今行きます!!」

 

 そんなもの、いつか春風に呑まれて消えていくというのに。

 

 


 

 

 目覚まし時計の喉が震える。

 唾を飛ばしながら大口を開いて、みっともなく喚き散らした。

 

 愛おしかった。 しかし忘れた。

 何でもない日々こそが輝いている。 けれど捨てた。

 あれらの積み重ねがお前をつくる。 だというのに、諦めてしまった。

 全部、全部、薪の中に隠れてしまう。

 

 お前のせいだ。 お前のせいだ。 何もかもがお前のせいだ。

 お前の……。

 

 ……ぼくの、せいだった。

 

 

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