そして彼女は、今日も髪を結わえて靴を履く。
着慣れた赤いジャージで肌を隠し、芝の縁をひとりで走る。
なのだから必然、その背後で何が起きているのかなんて知りやしない。 知ろうとも思えない。
故に今日も、世界の尽くに責められながら、呼吸を繰り返すのだ。
喪失を経た半分だけの命で、死人のそれと等しい命で、地を跳ねる虫けらにも劣る命で。
愚かしくも、罪深くも。
ぽぉん、と。 くるみを中空へと放り投げる。
親指の爪の先で弾けば、瞬きの間だけ滞空する。 やがて落ちてきたそれを、人さし指と中指で受け止めた。 ハサミの要領だ。
それからも何度も何度も飽きもせず、同じ軌跡、同じ速度、同じ間隔で放り投げる。
そしてそれを、幾度となく同じ動きで受け止めて、そしてまた同じ動作を繰り返し繰り返し反復した。
機械のような精密さで、しかし機械には無い、やわらかな指先で。
ミホノブルボンは幾度となく、手慰みにくるみを投げた。
それは無聊を慰めるためなのか、はたまた落ち着かない心を宥めるためなのか。 本当のところは彼女自身にさえ分かっていない。
それでもただ、自分の中身を言語化しないままで、何度も何度も繰り返す。
水あめが背筋を這うような、嫌な感覚を伴う冷や汗がじんわりと滲む。
そして頸椎から煮え立つ焦燥が、じわじわと、じりじりと、加減なくうなじを炙った。
「……くるみの耐久度、超過を確認」
……そんな事に気を取られていたせいなのか、受け止めたくるみに罅が入ってしまう。 力加減を誤ってしまった。
己の失態を把握してしょんぼりと耳を垂れさせ、仕方なく殻を割って中身を食べる。
カリカリの実は、少しだけ苦かった。
それでも動じずに噛み砕き、嚥下し、失態の証跡ごと胃の中に隠してしまう。
そして再び傍らのカバンからくるみを取り出して、また手慰みに弾き始めた。
「軌道の誤差、2.3%。 くるみの輪郭把握、重量測定。 軌道修正、力量調整……リピート」
──そうして我が物顔で同じ動作を繰り返して、いるけれど。
彼女がいるのは居住地である寮の部屋ではなく、チームスピカの拠点だった。
つまり、彼女はあくまでも部外者である。
とはいえ現在は彼女以外に誰もおらず、無人のソファーや机が寒々しく転がるばかりだ。
だから誰かに何を言われるでもなく、座って半畳の空間を占領し続ける。
変わらず、投げて、受け止めて。 投げて、受け止めて。 投げて、受け止めて。
それからたっぷり53回も繰り返して、ようやく。 ドアの外から、待ち望んでいた音を聞く。
がらり、と音を立てて引かれたドア。
その向こうには、随分と長い付き合いとなっている鹿毛の少女と黒い少女の二人組。
トウカイテイオーはいつになく真剣味を増した表情で、もう片方のマンハッタンカフェは感情を滲ませない、色のない顔で。
「……お待ちしていました。 テイオーさん、カフェさん」
そんな二人を出迎えて。
少女は生ぬるい呼吸を呑み込み、くるみを握り潰した。
◆
長机を囲うは三人。
ミホノブルボン、トウカイテイオー、マンハッタンカフェ。
本来はゴールドシップも来る手筈ではあったが──諸事情により、急に来れなくなってしまった。
故に用意されたカップは三組のみ。 立ち昇る湯気を各々の視界の端に収めながら、乾いた唇を湿らせた。
そして蛍光灯の明かりの下で、僅かな時間を香りに溶かす。
ぶぅんと、光の向こうから下りてくる小さなノイズ。
チックタックと、休まず働く時計の針。
パタパタと、誰かの尻尾が椅子をはたく。
かちゃりと、ティースプーンがカップの縁をひっかく。
「……では、お聞かせください」
小さなお茶会もどきは、この合唱から始まった。
……とはいえ、語ることは今までの焼き増しだ。
少女たちが知りうる限りの全てを、可能な限り主観を排して共有するだけ。 そこに目新しさはない。
家族のこと。 交通事故のこと。 存在しない筈の姉なる存在のこと。 胸の傷跡のこと。 強迫観念のこと。 毎朝、鏡に向かって何かを話しかけている様。
そんな、プライバシーもへったくれもない内容を隠しもせずに、そうと理解した上で記憶の同期を図る。
だから劇的な変化が訪れるはずもなく、共有し終えた後も、彼女等の合唱は変わらずそこにあり続けていた。
「なる、ほど。 大筋は、分かりました」
どうして、と疑念を抱く事はない。
大半は断片的な情報を繋ぎ合わせたものであれ、真実からそう遠くないという確信はあった。
けれども、大半を除いた一部が。
そこにある鍵を構成するために、頭の中に散らばる点と点が繋がりそうで──否、殆ど繋がりかけているのに、どうしても納得できない疑問があった。
それはつまり、ファインドフィートというウマ娘に、よくないモノが何故つき纏っているのかという、マンハッタンカフェ以外には着目できない疑問である。
何せそこに至る通理がない。 そういうモノに好かれやすい性質なのだとしても、限度がある。 友好で繋がるのではなく、悪意とは少し違う一方的な執着で成り立つ関係。 それは簡単に成立するものではない。
執着に至るほどの何かがある筈なのに、その何かが理解できない。
別に、ファインドフィートの精神性だけであれば理解は及ぶのだ。
家族を失ったから、代わりの義務を果たす。 己の存在証明を、自己犠牲を以て定義する。
なるほど、納得は──したくないが、理解はできる。
夢を代わりに叶えたいのも、理解だけはできる。
しかし何故そこに、件の某が挟まってくる余地があるのか。 これが分からない。
非現実的かつ超常的な存在は見飽きるほどに見てきたマンハッタンカフェではあったが、しかし、今までの十数年で見た事のない存在には困惑する他なかった。
「……交通事故。 胸の傷跡……」
白い首筋に絡みつく赤い糸。 微かに幻視した、少女の後ろに立つ女の姿。
それらを脳裏の片隅に思い浮かべながら、これまでに得た情報を丁寧に整理してみて。
やはり、訳が分からないと首をひねる。
こういうオカルト的な概念が絡んでくると、普通の常識が通用しなくなってしまうから困る。
けれど、そこで止まってしまう訳にも行かない。
考えなければそこで終わりだ。
終わるのは、何かが、という形容でも、誰かが、という形容でも問題はない。
どちらであれ一個人の根底が崩壊することを指しており、それに疑いの余地はないのだと確信している。
少なくとも、この場にいる全員はそうだった。
言葉を尽くす。 情に訴える。 実力行使。
そうして止めようにも、結局のところ──二人は覚えていないが──無意味だった。
けれど今の彼女等は同じ轍を踏むことを
故に、二人は本能的かつ無意識の領域で。 一人のマンハッタンカフェは薄っすらと香る予感から、それらの正道から外れた視点を求めている。
だからとにかく考えて。 限りある時間を無駄にしないために、とにかく考えて。
チックタックと鳴る時計の針に急かされながら、三人揃ってうんうんと唸って。
「……胸の、傷跡?」
「どうしたの?」
「…………いえ、その……以前、テイオーさんが覗き見を──失礼、うっかり見てしまったという胸の傷跡に、少し違和感があって……」
「ホントに失礼じゃん!?」
ふと、なんとなしに疑問を抱く。
交通事故に遭ったことと、胸の傷跡。 これを──明言された訳ではないから仮定の上ではあるが、関係性の糸で結びつけてみる。
事故にあったから、胸に傷を負った。 全くもって分かりやすい流れである。
そして傷を負ったのであれば、病院にかかるのがあるべき姿の筈で。
「……テイオーさん。 確か以前、名刺の写真を見せてくださったかと思いますが……」
そこで、思い出した。
以前トウカイテイオーが見せた、出自不明の名刺のことを。
それは携帯端末の中に写真として保存されている。
それはいつの間にか撮影されていたものだ。
それは持ち主の記憶にはない写真である。
そんな怪しさ満点な写真を所望してみる。 返ってきたのは快諾だった。
「ん……これ、かな?」
「はい、少々お借りしても?」
指先でなぞる。 液晶の奥にある、色褪せた名刺の端。 電子的に綴られた名前。
アグネスタキオンに曰く、臓器移植に一家言ある医者の名前。
「……この写真を撮った場所は、ブルボンさん達の部屋でしたね」
状況証拠からして、これはファインドフィートの私物である事は明白だ。
であるなら、やはり彼女との関係があることも必然で、それを胸の傷跡と結びつけても何ら不自然ではない。
「行くべき、でしょうね。 事故の事も……私達よりは、知っていそうですし……聞きたいことがありますから」
故に、次の一手としてそんな結論を弾き出した。
そして何よりも、よくないモノがつき纏うに至った経緯をも明らめることが出来るかも知れない。
いくら心を折ったとしても、それだけでは不足であろうことはマンハッタンカフェには察しがついているのだ。
今までに多くのモノを見てきた彼女であってもタチが悪いと称する他ないあれ。 あれはきっと、素直に終わらせてくれることは無いのだろうと、奇妙な確信さえ懐き始めていた。
それは友人二人の性根と後輩の性根を踏まえて考察した上で思うあるべき未来と、実際にある現状の落差を理解した故の確信だった。
事実、それは正しい。
心を折った程度で終わるのなら、足を折った程度で終わるのなら、ファインドフィートという少女はそもそも居ない。
「……私達が聞きたいことを、纏めておきましょうか」
「……はい。 私は……まず、事故の背景と、可能であれば親族の情報も得るべきだと提案します」
「お姉さんって結局誰なのか、まだよく分かってないんだよね……」
「確かに……その正体も、気になるところです」
そこで、一度カップに口をつけて。
猫舌をゆっくりと湿らせた黒い少女が再び顔を上げた。
「それと……入院期間の様子、ですね。 もしあれが、その頃から居たのだとすれば──」
そこで、歯を噛み合わせて言葉を区切る。
事故の前に憑いたのか、事故の後に憑いたのか。 それが分かるだけでも大きな進歩だ。
もし後者であれば、入院中の様子──例えば、存在しない誰かに言及しただとか、何もない空間を見ていただとか、所謂幻覚のような症状が確認されていれば多少話は分かりやすい。 それに当て嵌まらなければ前者の可能性は高くなる。
……あるいは、もしマンハッタンカフェに、そういうよくないモノを引き剥がせるような、オカルトの極みのような能力でもあれば話は早くなるのだが。
しかし残念ながら、あるいは当然であるが、そう都合の良い話はなかった。
彼女に出来るのは、見ることと会話することだけ。
十字架と聖水で悪魔を払うことは出来ないし、祈祷と香草で精霊の声を借りることも出来ない。 所詮は現代日本に生きる少女でしかない。
だから彼女に出来るのは、一歩ずつ、地道に、真実へ向かっていくこと。 その果てに、納得の行く落とし所を見つけること。
非常に迂遠なそれこそが、最善の道だった。
「……ともかく、私達に必要なのは、あの子の心を折るための"何か"です。 本当に、何があっても二度と走りたくないと思わせるための──折れても問題ないと思わせるための"何か"が必要です。 そのための第一歩として、まずはこのお医者さんに面会の約束を取り付けたい所、ではありますが……」
「私達がフィートさんのことを聞きに行ったとしても、個人情報保護の観点から受け入れられない可能性がある……と」
「はい……頭の痛いことに」
そう囁いて、カップを啜る。
……啜ろうとして、中身が殆ど空であることにようやく気付く。
ちょっぴりの気恥ずかしさから頬に赤色をのせた。
「でもさ、どうするの? コジンジョウホウの保護の為です~、なんて言われちゃったらボクらなんにも出来ないよ~」
「……ああ、それでしたらひとつ、いい考えがあります」
そして、そっとカップを下ろして。
彼女は、やや時間を空けて口を開いた。
黄金色の両目が蛍光灯の光を反射して小さな月を彩る。
空にある物よりも身近な現実感を伴うそれは、どこか怪しげな色香を纏っていた。
「日頃から迷惑を掛けられてばかりですから……。 たまには逆の立場を味わって貰うべきではないかと、思いませんか?」
◆
「だからといって何で私なんだい? 確かに白衣を好んで着用してはいるけれど、医者だの医師会だのとは一切無縁なんだけどねぇ……」
場所は変わってとある空き教室へ。
そこは以前、トウカイテイオーが物忘れの相談のために訪れた場所だ。
さほど期間が空いていなこともあって部屋の様子──見事に二分割された色調などは何も変わっていないが、アグネスタキオンの専有領域にある紙束や書籍類だけは幾らか量が増えていた。
それら雑多な紙類の中枢に座るアグネスタキオンはやや気怠げに目頭を押さえて、闖入者の三人組へ呆れたようなため息を投げかける。
何せ、研究中に急に部屋に入ってきたかと思えば"以前知り合いが入院していた病院に押しかけて、当時のことを聞き出したい。 方法を教えてほしい"、などと言い始めたのだ。
何故そういう話が出てきたのか、何のためにそのような事を行う必要があるのか、それらも一切わからないままである。
しかもそのくせに何処までも真剣な表情で語るものだから、無下に突き返すことも憚られる。
だから仕方なく。
本当に仕方なく、拒絶の念ごとペンを置いて、大げさなため息を吐く。 諦めを多く含むため息だ。
アグネスタキオンという少女は基本的に振り回す側であって、他者の都合をあえて無視する質である。 が、時と場合を考慮出来る程度の思慮は備えていて、本当に良くない場面を見極められる程には聡明だった。
「今の私はあくまでも学生で、一アスリートに過ぎない。 過剰な期待はよしておくれよ」
「とはいえ、まるで立ち回りができないわけではないでしょう……。 少なくとも……私達よりは、ずっとマシな筈です。
……それに一応、名家の出身らしいですし、そのあたりもうまい具合に躱せる口先もあるのではないかと」
「名家出身という立場に夢を見すぎじゃないかい? 私の親は放任主義だったからそういう教育は受けていないんだが……」
ぎしり。 背もたれが軋む。
一般的なオフィスチェアに座る一人と、ゴシック調のソファに座る三人が相対する構図の中。 アグネスタキオンは手元の資料を全て横に退けて、申し訳程度の聞く姿勢を整える。
足を組んで尻尾を揺らし、肘を机の上に押し付けて。
やや崩れた態度ではあるが、他三名にとってはそれでも十分だった。
「そもそも、それならテイオーくんでも良かったんじゃないかい? 一応、キミだって旧家のご令嬢だろう、一応」
「何で一応を強調するの!?」
「そこは……その、適正の話と言いますか、やはり白衣が無いから違うと言いますか……こう、そういう雰囲気が……」
「推察。 つまり、テイオーさんには『お腹の黒さ』が足りていないという事かと」
「キミ達も大概好き勝手に言うねぇ」
ろくろを回す手で語る庶民A。 ふわふわとした、"それっぽさ"というイメージを抱く庶民B。 あれやこれやと鳴くご令嬢。
それらを片手で宥めつつ、それで、と。
明日の天気を言い当てるかのような気軽さで、飄々と口の端を吊り上げる。
騒がしいのは別に嫌いでないが、それはそれ。 話を早めに確定させてしまいたかった。
「何はともあれ……フィートくんの事だろう? 件の患者というのは」
「……よく、分かりましたね。 正直なところ……一応無関係なあなたに気苦労を背負わせないための、気遣いのつもりだったのですが……」
「いや、むしろ分かりやすかったさ」
なんてあっさりと言い放ち、右の人差し指をぴんと立てて見せた。
しかしそう言われた側の三人はまるで思い当たりがなく、やや間を開けて小首をかしげる。 動作のタイミングは全員同じだった。
「今、君たちと交友のある知人枠で、明らかに問題を抱えている存在。 それは彼女しか当てはまらない」
くせっ毛の前髪を揺らしながら、滔々と舌を回す。
「知っての通り、私はデータ集めに余念がなくてね。 当然、めぼしいウマ娘は予め入念に調べてる。 それは何も脚の速さだけじゃあない。 心肺機能に加速力、柔軟性、レース運びの癖、ここぞという時の胆力……まぁ、情報は多いに越したことはないからね」
「ええ……それに加えて、実験と称して色々と手を出そうとしてるでしょう」
「手を出そうとしただけだよ。 実際に協力してくれる娘はそう多くない」
「その時点で十分問題かと思いますが……。 いえ、今は、いいです。 続けてください」
咳払いをひとつ。
やや不満げな表情を作って見せてふたつ、若干の間を拵えて。 そしてまた、語るための雰囲気を整えた。
「……まぁ、フィートくんはその中でもとびっきりの謎を持つ存在さ。 何せ、事前の計算から求めた能力と、得た結果が釣り合わない。 特に、ここ最近での逃げスタイルは……そう、おかしい事しかない。 彼女にそれほどのスタミナは無いはずだし、あそこまでの粘り強さは一周回って異常にも──いや、そこはいい。 とにかく、
例えば、意味もなく同じ行動を繰り返す"常同行動"は、ストレスを溜め込んだウマ娘によく見られる行動である。
例えば、耳を後方へ絞る行動は、怒っているか警戒心を抱えているか、はたまた何かを恐れている際に見られるものだ。
ファインドフィートは練習中にそれらの仕草を頻繁に見せていて、録画情報にも記録されている。
もちろん、それだけでおかしいと判断した訳ではない。
けれど、いっそドーピングを疑いたくなるような過程と結果があって、当人の精神的健康を憂慮するに値する過去と現在があって。
それぞれの根拠が弱々しくとも、いくらか数が積み上がってしまえば無視も出来なくなってしまう。
仕草ひとつ、言動ひとつ、表情ひとつ。
それらのひとつひとつが彼女を構成する要素であるとして、そのどれもが健全な形を示さないのであれば。
やはり、どう解釈を変えても健全を表す証跡にはなり得ず、逆説的な異常を表してしまうのだ。
「つまり、消去法みたいなものだねぇ」
「……なるほど。 ステータス、『納得』に遷移しました」
ミホノブルボンへ向けて頷いてみせ、そこから背もたれへと全体重を預ける。
所詮は少女の体格であるが故にさほど重くない筈だが、それでもオフィスチェアはいとも容易く音を上げた。
そんな意気地なしの下僕へほんの少し眉を顰めつつ、改めて話を本筋へ戻す。
「なんにせよ、だ。 私達はまず立場を用意する必要がある。 色々と教えてもらえる立場を、だ。 患者の情報は、部外者には教えられない決まり事だからねぇ。 本人か、本人が定めた代理人か、親族か……」
「ステータス、『困り気味』。 つまり、悩ましいです」
そして、どのパターンであれ、患者本人を関与させずに事を進めることはほぼ不可能だ。
それは法律が定めた壁であり、故に彼女等には正当性を与えてくれない。
「……でも、引き下がれないんだろう?」
「はい。 私は知らなければならない。 そして……何かを、謝罪しなければ、いけない気がするのです」
膝の上にのせた手の甲。
それをじっと、無機質な青目で見下ろしながら、ぽつりぽつりと懺悔にも似た独白をこぼす。
その薄い肌色の向こうに見るべきは、果たして何だったか。 何へ語るべきなのか。
そんな簡単なことさえも思い出せず、時間ばかりが過ぎていく。
「私は……以前、何かを、致命的な"何か"を、間違えたのです。 きっと、どうしようもなく、選択を誤ったのです。 だから……せめて、その間違えた"何か"を知らなくては、謝ることさえ出来ません。 私は、私達は……ちゃんと、目線を合わせないといけないのに」
だから、変えなくてはならないのだと。
変わらずにいるべきことは、必ずしも正しくないのだと。 そっといつかの後悔を抱え込んで。
時系列さえもあやふやなそれに疑問を挟むこともせず、確信と共に舌へのせる。
それを愚かと笑うことは誰にもできない。
「……ボクも、友達だからさ。 せめて、ボクらぐらいはあの子を見てあげないといけないし……どうしても、言いたいことがあるから」
「私は……まぁ、乗りかかった船ですから……」
三者三様の回答。
それを浅いところで受け止めて、咀嚼し、オフィスチェアに座ったままくるりと回転した。
マンハッタンカフェはともかくとして──他の入れ込んだ様子の二名を回転する横目で眺め、うっそりとため息を零す。 けれど背もたれの軋む音に紛れる程度だったから、場へ影響を及ぼすことはない。
そして、それらの答えを聞いた上で思うのは、自分は何故こうも巻き込まれてやっているのかという、まったく今更な疑問だった。
何故こうも手間がかかり、時間がかかる事柄へ、積極的に関わろうとしているのか。
これが中々、理由の言語化が難しい。 しばし首をひねって宙を見る。
同情、ではない。 頼まれたからという義務感でもない。
であれば、ここぞという時でのみ限界を超える少女への、ある種の好奇心のようなものか。
……そんな仮定を浮かべてみても、どうしてか腑に落ちなかった。
けれど考えても分からないのなら無駄なリソースの浪費であると、自分自身の中で簡潔に結論づけて。
また、視線を三人の方向へさしむける。 考え込む彼女の瞳の焦点は少しばかりズレていた。
「……正規の方法は無理だね。 どうにか誤魔化すしかないが……。 ふむ、絶対に不可能ってワケじゃないね。 必要なのは
「ええ、ホントに~?」
「ある。 意外と問題ないねぇ」
「まさかタキオンさん、違法な方法じゃないですよね……?」
「ハハ、まさか!」
あっさりと、こともなげに言い放ったのは自信満々の宣言。
近くのノートパソコンを手繰り寄せた少女はぴょこぴょこと両耳を揺らしながら、キーボードを軽やかに叩いてる。
画面に表示されたブラウザには目的地である病院のホームページやアクセス経路、それと"ウマ耳にも分かる変装術"など謳う胡散臭いウェブサイト。
それをその場に居る面々へ見せ、仰々しく胸を張る。
「それじゃあ、まずは……おめかし、しようじゃないか」
それじゃあ。 その前にあるべき説明は何もない。
しようじゃないか。 その後にあるべき説明も何もない。
なのだから、必然。
指をさされたミホノブルボンは、曖昧に小首をかしげることしか出来なかった。
一方その頃、ゴールドシップは芦毛の行き倒れを拾っていた。
銀色の長髪がよく似合う、潮の香りがする女だった。