【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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54話 : シニア級:前半/エピローグ

 

 

 物語における主人公に必要なものとは、何か。

 

 まず、主人公には原点となる思いが必要である。

 何のために物語を始めるのか。 何のために立ち上がったのか。 その指針がなければ始まらない。

 

 そして、大切に思う友たる者が必要である。

 支えなくして人間は立ち上がれない。 故に、主人公には傍らに立つ友がいなければならない。

 

 最後に、主人公を構成する核。 熱量が必要である。

 即ち、勇気。 獅子の心。 それがなければ前に進むことさえ叶わず、理想に溺れてしまうからだ。

 何よりも、主人公とは勇気ある者でなければいけない。 誰よりも雄々しく、気高くなければ。

 

 だから、ファインドフィートは。

 

 


 

 

 盗み聞きをした日からこそこそと、弟の目すら盗んで動き回っていた。

 図書館に行った時や、本屋を散策する時、弟が眠った後の深夜。

 それらの時間に本とインターネットで知識を漁って、自分にできることを探してみる。 少しだけ引き伸ばした夜更かしの時間は、いつの間にか毎日繰り返される日常に変化していた。

 もちろん、最終的な目標は弟の延命である。

 

 ……とはいえ、それは医者の仕事である。 あるいは、親が挑むべき問題である。

 けれども彼女は、"はいそうですか"と納得できるほど聞き分けの良い子供ではなかった。

 何といっても、相手が弟だ。 そして彼女は姉だった。

 だから指を咥えて待っている事なんてできないし、それが良いとも思いたくない。 ()()()()のではなく、思いたくないのだ。

 彼女はそういう、頑固な性質をしていた。 弟によく似て。

 

 そんな頑固な彼女は悩みに悩みを重ねながら、夜更けにひとり、ディスプレイを眺めていた。 母の携帯端末を勝手に借りて、である。

 毎日毎日飽きもせずほんの少しの時間を積み重ねて、僅かな可能性を探り続けた。

 

 けれども、冴えた答えは何時になっても見つからない。

 時計の短針が頂点を越えてしばらくした頃。 少女はディスプレイの光を消して、ぽつりと呟いた。

 

「……金が、必要ですね。 結局それがなければ始まらない……」

 

 布団の上をごろりと転がる。 枕にぽすりと顔を埋めた。 柔軟剤の香りが鼻腔を満たす。

 そして、すぐ隣で弟が寝ていたから、起こさないように気を付けながらうんうんと唸った。

 

「可能性があるのは、やはり心臓移植……。 ですが、順番待ちが長すぎる。 補助人工心臓でどのくらいまで持つのか……」

 

 うつ伏せの状態からもう一度、ごろりと転がる。

 今度は弟の側に向かって身体を半回転と少し。 さらりと流れる短めの芦毛──ヒト耳だから、白髪と呼ぶべきか。

 その白髪へ指先を伸ばして、一房をつまみ取り、赤い瞳を暗闇の中で輝かせる。

 毎日夜更かしをしているせいで、眠気が殆どなかった。 いっそ明日の朝まで起き続けていようかと考えてしまう程だ。

 

「……確実性を求めるなら、やはりアメリカに行くしかない。 でも、ウチは……貧しくはないとしても、際立って裕福でもない。

 移植の順番を抜かせるほどの金は用意できない……。 じゃあ足りないなら募金で、というのは厳しいですね。 金額が金額だ。 簡単には集まらない」

 

 弟の頬を撫でる。 もちもちとして、柔らかい肌だった。

 未だに筋張ることはなく、線は細いまま。 もうすぐ十を数える年の頃だというのに、この少年は少女然とした風貌から変わらない。

 姉はそれに強い安心感と、大きな不安感を抱いていた。 矛盾している自覚はあった。

 そうして相反する感覚はしかし、互いを邪魔することはなく、ただ弟の将来を憂うだけの物だ。

 

「……けど、ただの募金じゃなくて、注目を得られるだけの要素と、大義があったなら」

 

 反対側へ身体を転がす。 視線の先は、また本棚だ。

 その中にある一冊の背表紙を、薄暗い中で睨みつける。 当然、明かりはないから文字は読めない。

 しかし記憶の中に明瞭な形があったから、見えなくとも(そら)んずることは簡単だった。

 

「トゥインクルシリーズ……」

 

 年齢の壁はある。 才能の壁もある。 安定性なんて何処にもない。 ただの賭けだ。

 けれども、得られるリターンは余りあるのだ。

 何も出来ない子供の身でも、使い道としてはもっとも有効的な可能性が高い。

 

「金が、いるから。 私に出来ることは、そんなに多くないから。 どうせなら、私の時間を投じるだけの価値はある……。

 もしも私が有名になったら募金で……いいえ、違う。 そんな他力も必要なしに、私自身の力で、この子を」

 

 メインプランには、できない。 確実性があまりにも欠けているからだ。

 自分の人生ならまだしも、弟の人生を救う手段とするには愚策以外の何物でもない。 彼女の中には、そう考えるだけの冷静で現実的な部分も存在していた。

 しかし、あり得るかもしれない()()()の想像が、夢という釣り餌を垂らしてくるのだ。

 

 ファインドフィートがテレビの向こうに見た舞台は、目が潰れてしまいそうなほどキラキラと輝いていた。

 正直に言って、憧れた。 かっこいいとも口にした。

 この世界に生を受けたひとりのウマ娘として、そこで走る情景を想像するだけで心が昂ぶる。

 けれども、その昂ぶりを磨り潰すほどの強迫観念が震えるのだ。

 あそこなら、夢が叶う。 あそこなら、弟を救える。

 そんな衝動が、少女の内面をやたらめったらに掻き回していた。 どろどろに、ぐちゃぐちゃに。

 

「私のヒトミを」

 

 そうして溶け合った衝動が囁きかけた。

 "あの立場さえあれば、全てが叶うのではないか"と。 そんな、甘美に過ぎる誘惑が理性を誑かす。

 

 やがて、元々あった無邪気な憧れを盲目的な愛情が塗り潰して。

 執着心という指針が、羅針盤の芯にぴったりと収まった。

 

「……ヒトミ」

 

 身体を半回転させる。

 すぐとなりの白い顔を、ゆっくり眺めた。

 微かな死相を纏い始めた、相貌を見て。 口の端を、きゅっと引き締める。

 

 とにかくファインドフィートは、自身のもう半分に置いて行かれたくなかった。

 奇しくも、未来の弟──次のファインドフィートと似た、そんな願望を抱いていた。

 

 だって、愛し合う二人はいつも一緒であるべきだから。

 父と母がそうであるように、親と子がそうであるように、姉は弟を愛していたから。 だから、共に居るのが一番いいと確信していたし、共に居続けたかった。

 未だ幼い彼女にとって、家族こそが世界だった。 それが、幸せを構成する全てだった。

 

 

 ◆

 

 

 じわじわと、眠りの海から浮上する。

 薄くまぶたを開いて、濁りを秘める青色を覗かせた。

 まず、その視界を埋め尽くしたのは真っ白な天井。

 そして何も考えずに、靄が掛かった頭を横に傾かせれば、日光を透過する大きめの窓と白いカーテンがあった。 その窓の向こうではセミが鳴いている。 みーんみんと鳴いている。 眠りを妨害する喧しい鳴き声だった。

 そんな鳴き声から眠りを守っていた布団も白く、枕も白く、ベッドのパイプでさえも白い。 白、白、白ばかりだ。

 

 その情景を、寝ぼけ眼で眺めて。

 鼻を刺激する薬品の匂いに気付いて、ここが病室であることを理解した。 あんまりにも、馴染みが深い光景だった。

 ここまできてようやく、意識が明瞭に目覚め始める。

 

「……わたし、は」

 

 囁き声はひどく枯れている。 喉がカラカラに乾いていた。 舌の根っこもだ。

 空気を吸うだけでも痛んでしまう程に、潤いを失っていた。

 

「ゴールの後、転んだんでしたっけ」

 

 その証拠だと言わんばかりに痛む身体。

 頭が痛む。 胸が痛む。 両腕と、左足首の痛みは特に酷い。 辛すぎて吐いてしまいそうだった。

 それに下腹部も痛くて、じんじんと寒気が滲んでくる。

 ……腹についてはともかく、レース後に転倒したが故の痛みであることは明白だ。

 

 真横を見れば点滴スタンド。 輸液で満たされた袋から、管がにょろりと伸びている。

 その管は──布団のせいで見えないが──ファインドフィートの右腕の、上腕部に繋がっているらしい。

 が、それはどうでも良い。

 ともかく目覚めたなら、患者である彼女はナースコールを鳴らすべきだ。

 姿勢を変えないまま、頭部だけを緩やかに動かして周囲を探す。 そして枕の真横に大きなボタンを拵えた板を見つけた。

 両手は包帯でぐるぐる巻にされているから手は使えないけれど、顎を乗せれば押せないこともない。

 それが少女を看護している者達の意図であることは、寝起きの彼女でも理解できた。

 

 けれど、なんとなく。

 なんとなく、今は誰にも会いたくなかった。 誰にも姿を見られたくなかった。

 だから結局どうすることも出来ずに、ただ天井を見て。

 

 

 ──特に脈絡も前兆もなく、女達が現れた。

 亜麻色と金色の女達だ。 ベッドの両隣に立って、にこにこと笑顔を浮かべていた。

 

『──まずは、おめでとうございます。 あなたは晴れて六冠を戴きましたぁ。 ええ、誇らしいですねぇ。 頭を撫でてあげましょう』

 

 亜麻色の女がたおやかに笑い、少女の真横に腰を下ろす。 尻の下の布団は一切沈まず、音もない。

 そして、柔らかい手で少女の白い頭を撫でた。 優しい手付きだったけれど、僅かにねちっこかった。

 

『夢が叶うまで残り三分の一。 ふふ、良い具合じゃないかしら』

『本当ですねぇ。 一時はどうなることかと思いましたが……終わり良ければ全て良し、とも言いますからねぇ』

『まったくね』

 

 夢。 さも当たり前のように、金色の女が口にした言葉。

 夢という言葉はまったく、これ以上無く便利だった。 いい意味でも悪い意味でも。

 中身がどれだけ醜悪でも、それが夢だと口にするだけで、ある程度はきれいに装飾できてしまう。

 

 ファインドフィートは、その夢に生かされた。 多くの夢に支えられた。

 彼女の体は夢と同じもので出来ていて。 だからこそ根っこの部分は、どうしようもなく脆くて、儚い。

 どれだけ身体が育っても、これだけ情緒が育っても変わらなかった。

 その根っこが変わる時があるとするなら、きっと大人になる瞬間ぐらいだ。

 

『安心してくださいねぇ。 別に結果の取り消しなんてされてないですから。

 ……ちょっとした放送事故になって、世間は大騒ぎしてますけど』

『それに肝心の勝者が意識不明。 本当に勝利扱いで良いのか……みたいな話になったらしいわよ?』

「……そう、ですか」

 

 やや間を空けて口にしたのは、歯切れの悪い返事。

 "心ここにあらず"と表すのがもっとも適切であろう語り口のまま、視線を天井から泳がせる。

 

 そうして、ここではない何処かを見て思い返した。

 最後の直線で転んだ時の情景を。 空を飛んでいたほんの一瞬を。

 その時ファインドフィートは、確かに声を聞いていた。 心に突き刺さる声だった。

 それは観客の悲鳴ではなく、すぐ真後ろから響く声だった。 そしてすぐ真後ろに居たとするなら……なんて。 態々そういう状況証拠を並べて推理する必要すらない。

 

 弾ける血を見た少女の絶叫は、よく知っている声だったから。 現実逃避を許さないほど、知りすぎている声だったから。

 あの瞬間の声がずっと、目覚めた今も頭の中でリフレインしている。 心が落ち着かないほどに生々しく、繰り返し鳴り響いている。

 だから心を囚われたまま、結局言葉を発さない。

 

 そんな彼女を不審に思ったのか、亜麻色の髪の女がそっと顔を覗き込んでくる。

 

『……どうしたんですかぁ? もしかして寝ちゃいましたか?』

 

 ──そう言いながらも、互いの視線は合っていた。

 だというのに甘ったるく問いかけてきたのは、一体何故なのか。

 

 皮肉だろうか、と薄っすら推察する。 しかし、すぐにその仮定を投げ捨てた。

 そも、この女にそれ程の情緒はない事を知っている。 それに、言葉の真意がわかった所で意味はない。 答えはどうでも良いのだ。

 

「ねぇ、女神さま」

 

 掠れた声に反応して、女が穏やかに微笑む。 覗き込んだ姿勢は変わらない。

 顔と顔の距離は三寸と少し。 流石に近すぎる。

 しかし少女には、それを突き返すほどの気力はなかった。

 だから仕方なくそのままの距離感で、女の目を見つめ返す。 ただの一色に染まった、空っぽな女の目を。

 

「ぼくは……ぼくが、勝ったとして。 最後まで勝ち続けたとして。 ぼくは本当に、正しくなれるのでしょうか。 姉さん達に意味を与えることができるのでしょうか。 ぼくらは、価値ある誰かになれるのでしょうか」

 

 掠れた声だった。 けれど、対面の女には十二分に届く声量である。

 この場にいる全員がヒトではなかったから、多少小さな声でも問題はない。

 

 だから、あれこれと頓着せずに思ったことを垂れ流す。

 話に脈絡はない。 話の意図が曖昧だ。

 伝えたい事を明確にするのは話術の基本であるけれど、その簡単な整理すら怠っている。

 

 しかし少女にはその自覚すらなく、伽藍堂の瞳で女を見つめ返す。

 空っぽと空っぽと空っぽ。 この場にいる全員が空っぽだ。 その前提を踏まえて見ると、いっそ虚しい光景だった。

 

「今のぼくが正しくないなんて、分かっていました。 きっと最初から、分かっていました。 だって、何をしても受け取ってもらえないんですから。

 ……そもそも、弔いや贖いは生者のための物です。 ぼくが為したところで何の意味もない。 ただの自己満足」

 

 正しくない、とは。 それはファインドフィートが過ごした()()()のこと全てを指している。

 生き延びたことも、夢に挑んでいることも、友の手を振り払ったことも、自身の過ちを知りながら止まらないことも。 そして、日常を慈しんだことさえも。

 それらの全部が、片割れが望んだことの真反対へ向けて全力疾走している。

 友達もトレーナーも、身近な誰しもだって望まぬ道だ。

 

 そもそも、姉がここにいる、と信じていたのは。 ただ、幼い心が縋るだけのまやかしだった。 信じたかった。 信じていたかった。 だって、そこにいるのであれば償えるから。

 そのくせに、当然の事実から目を逸らし続けていたのがファインドフィートという少女だった。

 

「ぼくは……分かってた。 けど、縋りたかった。 姉さんは、ぼくにとっての神さまだったから」

『あら。 それを私達の前で言うのね。 いえ……言えるようになった、が正しいのかしら』

「……はい。 姉さんは本当は神さまじゃなかったから、言えます。

 あのひとは、本当は、ぼくと同じように産まれて、ぼくと同じ目線で生きて、同じ早さで年を取っていくだけの、女の子だったんです。 そんな当たり前のことに、昔のぼくは気付けなかった」

 

 そしてその事実に気付かぬままに家族を失い、過去を失い、片割れを失い。

 名前という唯一の識別符号も失って、少年は誰にもなれない誰かに成り果てて。

 自我を構成するアイデンティティの尽くを失った。

 

 しかし、片割れの献身によって新たな個を獲得してしまったから。

 だから少女は壊れることすら出来ず、延々とあの日の延長線上に立ち続ける。

 想いを継ぐとはつまり、そういう呪いだった。 死を許さない、何よりも残酷で優しい呪い。

 せめて、死にゆく者は死者らしく突き放すべきだったのに。

 

「でも、ぼくに出来ることはありました。 せめて、姉さんの夢を叶えて。

 ぼくが代わりになってあげないとって、そう思ったんです」

 

 目を閉じる。 瞼の裏にある姉の笑顔を思い出す。

 そして、そこに重なる友達の顔へ、蚊のなくような声で言い訳を絞り出した。

 

「……だって、葬式だって出来ていないんですよ? 誰も、ぼくらを見つけてくれなかった。

 そんなの、あんまりじゃあないですか」

 

 目を開く。

 姉の笑顔も、友達の無愛想な顔も、どちらも現実の景色に溶けて消えた。

 

 口にしたのは全て単なる言い訳だ。 そんな事は彼女自身が分かっている。

 それでも熱に浮かされる子供のようにとめどなく、頭の中身を垂れ流した。

 "姉さんの夢のため"とか、"家族の死に理由を与えたかったから"とか、"捨てた宝物を無駄にしないため"とか、"友達との思い出を冒涜した自分には義務がある"とか。

 舌の上を転がるそれらの理由を、女達へ語って見せる。

 結局のところ、自身の領分を弁えずに背負い込みすぎただけなのに。

 ファインドフィートはとにかく、病的なまでに頑固だった。 姉によく似て。

 

「ぼくは止まっちゃいけないんです。

 みんなとの思い出を、踏みにじって。 みんなにもらった思いを、放り捨てて。 ブルボン先輩や、テイオーさんにも、たくさん迷惑をかけて。 トレーナーまで、ぼくのせいで傷付けて。 姉さんを、ひとりで逝かせたのに」

 

 だから止まれないし、止まることを許せない。

 たとえファインドフィート以外の全てが許すとしても、ファインドフィート自身が許せない。

 

 だからそこで一度言葉を区切って、女達の顔を見た。

 亜麻色の女は優しく微笑んだまま、少女の顔を見下ろしていた。

 黄金色の女は空っぽな笑顔で、ベッドに肘をついて、少女の顔を見下ろしていた。

 そして、何方も今の言葉を否定しない。 黙して何も語らない。

 それを理解して少女は、ただ安堵した。

 

「……楽な方に逃げるなんて、ダメです。

 夢が叶わないから、なんですか。 幸せになれないから、なんですか。 この先に破滅しかないから、なんだって言うんですか。 そんな事が……たったそれだけの事、ぼくが諦めていい理由にはならない」

 

 だから、自分の心をへし折る。

 夢が叶わなくても。 幸せになれなくても。 この先に破滅があるとしても。 ファインドフィートは、それでも良かった。

 

『……それじゃあ、あなたは。 今、私達の目の前にいる、たったひとりのあなたは。 お姉さんの殻を脱いだ、ただの子供としてのあなたは』

『夢が叶わなくても、と言うあなたは、何を求めてるのですか? 償いや弔いは、何のためにあるのですかぁ?』

 

 声音に、糾弾する意図はない。 けれどその疑問は、不思議なほど深く突き刺さった。

 少女の剥き出しになった心を無慈悲に貫いて、毒を滲ませる。

 

 一度瞬いて、薄い息を吐き出す。

 そして、巡った毒が頭の中をぐるぐる回る。 ぐるぐる回る。 ぐるぐる回る。

 少女はしばし、言葉を忘れてしまった。

 

「何の、ために」

 

 何のために。

 夢が叶わなくても良いとするなら、何故追いかけるのか。

 幸せになれない事を知った上で、何故走るのか。

 破滅が待っていると知りながら、崖の先を目指すのは何故か。

 

 そもそも、未来ではなく、既に死に絶えた家族の為に生きるのは何故か。

 受け取り手のない献身に殉じるのは、何故だったのか。

 こんな物、誰も求めてないのに。

 何故、何故、何故、と。

 

「何のために」

 

 義務や義理、使命、役割。

 ひとつひとつ、鎧のように纏っていた理由(いいわけ)を剥ぎ取っていく。

 ぽろぽろと、塵屑のようにほどけて離れていく。

 

「…………」

 

 そうして、ただの子供に立ち返って。

 少女の胸に最後まで残っていたのは、深い罪悪感だけだった。

 

「……ぼくに、だって」

 

 あんまりにも、ちっぽけで。

 どうしようもなく惨めになる、湿った声音で。

 

「ぼくにだって……裁かれる権利ぐらい、あっても良いじゃないですか」

 

 けれどもそれが、少女の根っこにある本性だったから。

 もしかすると、いつかは許されるかもしれない、なんて、ぽつりと零した。

 

 姉さんに、両親に、友達に、みんなに許されて。

 抱いた罪悪感もキレイに濾過されて、まっさらな魂になって、今度こそ姉さんに会いに行けるかもしれない。

 そんな、妄想に近い願望だった。 姉の夢を()()にして抱え込む、本当の願いだった。

 

 それでもファインドフィートは、裁かれたかったのだ。

 罪悪感を感じるのなら、その身には罪が宿っている。

 罪が宿っているなら、罰が必要だ。

 罪人はその魂を裁かれて、ようやっと過ちを正される。 正された果てにこそ、素晴らしい終わりがある。

 

 それが『ファインドフィート』という物語の終着点だ。

 少女は、そう信じていた。 そう信じる事しか出来なくなった。

 それ以外の道は既に無くなってしまっているから。

 

『……えぇ、えぇ。 大丈夫。 大丈夫ですよぉ。 私は見捨てませんからね。 だって、こんなにもちっぽけで、健気で、かあいらしいじゃないですかぁ』

『そう、大丈夫。 あなたはこれから正しくなるのよ』

 

 その背を押し続けた女達がにっこりと笑った。

 黄金の目。 魔性の目。 執着が見え隠れする、童女の如き無邪気な目。

 バッタの足をもぎ取る子供のように、善悪の天秤を有さぬ白痴の女達。

 たった数年で獲得した人の心モドキで、愛した子供に囁きかけた。 女達は、報いる方法をこれしか知らなかったのだ。

 ただ、『約束』を守る。 それだけが、愛を証明する縁だった。

 

『救われぬあなたに、痛みを施しましょう』

 

 『約束』。

 それは嘗ての姉との間に交わされたもの。 『姉』から『弟』へ引き継がれたもの。

 『約束』。

 それは『弟』を生かすこと。 心臓を継承すること。

 『約束』。

 それは強い身体を与えること。 そして立ち上がるための支えとして、『姉』の夢を『弟』に繋ぐこと。

 いつかの未来を目指せるように、明日を生きる身体を。 その願いも今となっては皮肉でしかないけれど。

 

 しかし『約束』の根底にあったのは、家族を繋ぐ愛だった。 間違いなく、偽りのない愛だった。

 その意味を履き違えた女達は結局、自分達の破綻を理解できないままで。

 

『あなたは『ファインドフィート』としての物語を完成させるの。 あなた自身の手で、『ファインドフィート』の人生に区切りをつけるんですよ』

『きっとね、あなたにとっては何よりも苦しい罰になる筈よ。 他の誰でもないあなたの手で、お姉さんの人生に区切りをつけるのだから』

 

 だから、変わらず突き進むために。 突き進むための道をつくる。

 対話もせず、自問自答で答えを出して、それで納得していた。 より良い未来(おわり)のための答えを、そこで確定させていた。

 永い時を生きた女達にとって、未来とは()()()()()()でしかない。

 

『……私達の祝福も、今年の終わりまでは持つわ。 だから、あなた。 勇気を振り絞ってね』

『物語を完結させるために、あなたが走るんですよ。

 家族の想い(カーネリアン)を受け継いで、綺麗な思い出(カランコエ)を両手いっぱいに抱えて、大きな勇気(ライオンハート)を胸に秘めて夢に挑むの。 そうしたらほら、まるで主人公みたいでしょう?』

『素晴らしい終わりになるわ。 きっとこれ以上に豪華なお葬式なんて存在しないし……あなた達は、やっと永遠になる。

 それと……あなたが死んでも。 ちゃんと、ちゃぁんと、向こうであなたのお姉さんを見つけてあげるから。 あなたと会わせてあげるから安心なさい』

「……あぁ。それは」

 

 少女は、無色の吐息を漏らした。

 亜麻色の女の髪の毛が、うっすらと黒に染まり始めている様子を眺めて。

 ああ、終わりが近付いているんだなぁと、ぼんやりとした直感を抱いた。

 

 

 女達はそれだけ言い残して、またあっという間に姿を消した。 もはや慣れたものだ。

 現れた瞬間の恐怖も、消えた瞬間の安堵も、どちらにも慣れてしまった。

 

「それは、ほんとうに、魅力的です」

 

 ひとりぼっちになった病室の中。

 姉さんには怒られちゃうかな、と小さく零して、苦しげに眉を垂らした。

 そして、どんな形であれ向こうに行くことは歓迎されないだろうな、と呟く。

 彼女も分かっていた。 逆の立場に立って考えて、自分自身で納得する。

 しかし、それでも。

 

「……でも、頑張ったんです。 ぼくだって、頑張って生きてみたんです。

 けど、ひとりは寂しい。 ひとりは寒い。 姉さんに手を繋いでほしい。 お父さんに頭を撫でてほしい。 お母さんに抱き締めてほしい。 またあのひと達に、おはようって言いたい。 おやすみなさいって、言いたい」

 

 全部を理解した上で、天秤の上にのせて。 少女は何故かつっかえる喉で、そんな願いを口にした。

 

 ……だから、仕方がないじゃないかと思う。

 友達のことは大切だ。 トレーナー達のことも、嫌いではない。

 無意味なことの積み重ねが愛おしくなるなんて、思いもしなかった。

 だからこそ、少女は、自分が異物であることを厭うたのだ。

 愛しているのに、ではなく。 愛しているからせめて、綺麗なままで訣別したかった。

 

「……だから、ごめん」

 

 生きるために与えられたその脚で、自分自身を踏み潰す。

 何度も何度も、何度でも。

 その果てにどうなるか、なんて。 分かっているのに。

 

 少女は思う。 友を。

 きっと悲しんでくれるだろうな、と。

 きっと怒ってくれるだろうな、と。

 心を弄ぶ悪魔とやっていることは変わらないだろうに、憎んではくれないかな、と。

 

 それならあの時、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか。

 今更な案ばかりが思い浮かんでは消えて、頭の中でぐるぐる回る。 ぐずぐず腐る。

 ファインドフィートはもっと早くに思い知るべきだった。

 破綻した本性を理解するべきだった。 そして、振り切れるべきだった。 中途半端だったから、どんどん傷口が広がっていく。 もがけばもがくほど、首に絡まる糸が深く食い込む。 喉首を締め上げられる。

 

「ごめんなさい」

 

 ──けど、仕方がないじゃあないか。

 

 あの日は死に損なったけれど、結局死んでしまっているのだ。

 肉体ではなく、心が既に死んでいる。

 だから、仕方がない。 本当に、仕方がない。

 そもそも、ファインドフィート自身に明日を目指す気力が無かったから。

 

「ごめんなさい」

 

 結局行き着くのは、ああ、お前が全て悪いんだという、そんな自罰の呪いばかり。

 そうでなくては何故ここにいるのか、筋の通った理由がないではないかと。

 そうやって信じる事が、正気の支えになっていた。

 

「……ごめん、なさい」

 

 口の端が歪む。

 嗚咽が隠しきれなくなってきた。 姉と同じ顔も、今となっては涙でぐちゃぐちゃだ。

 しかし砕けて役立たずになった腕では隠すことも、涙を拭うことも、自分の首をへし折ることも、何も出来ない。

 

「産まれてきて、ごめんなさい……っ」

 

 だから今の彼女にできる事は、延々と許しを請う程度。

 

 生き残ってごめんなさい。 産まれてきてごめんなさい。

 世界がこんなに綺麗だなんて知りたくなかったのに、知ってしまったのです。

 だから、ごめんなさい。 穢してしまって、ごめんなさい。

 愛してしまって、ごめんなさい。

 

 そんな嘆きを、何度も何度も震える声で囁く。

 響く嗚咽を聞く者も、止まらぬ涙を見る者も、誰もいない。

 だから仮面も殻もなにもなく、裸の心で悲嘆に溺れる。

 

 そして、幼い破滅願望を星に願うのだ。

 無慈悲に正しく裁かれて、いつか、再会するために。

 

 


 

 

 If you’re happy and you know it(あなたはいま幸せですか),

 Stomp your feet(幸せなら足をならしましょう) ! 

 

 

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