────。
まんまるに肥えた月。 透き通る星海。
湿った潮風。 冷たい空気。 固い砂浜。
合宿所を抜け出した先の海辺は、昼とは真逆の顔をしていた。
それに、少し肌寒い。 当然ながら気温も昼とは真逆だ。
夏用のジャージを着てしっかり前も閉じているけれど、それでも不足だった。
肩を抱きながら擦ってみれども寒気がしつこく付き纏う。
……けれども停滞した静寂に沈む世界は、その寒気を忘れさせる程に美しかった。
「これだけでも態々寝床を抜け出してきた甲斐はありました」
呟きと共に、砂浜と波の境目に視線を落とす。 ぽたりと、鼻から血が垂れた。
白い砂に赤が混じれども、ファインドフィートの目では差異を捉えることは出来なかった。
そして赤を拭いもせず、上下の空に己を晒す。
空と鏡合わせの水面に映る、不明瞭な月。 波紋の上で、か細く揺れる星の香り。
今も鼓膜をねぶる潮騒の音とは別の、純粋な波の音。 自然の呼吸。
一身に受け止めるこれを息を呑むほど美しい、とでも表現するべきなのか。
曖昧な基準しか有さぬ身であるから、どうとも断言できなかった。
けれども、心に訴えかける物がある事は違いない。
ふつふつと湧いてくる情動。
ほんの少し唇を揺らせば、なんとなく喉の奥から空気が漏れる。
望郷、哀愁、羨望。 そういう、さしたる重みのない情が、薄く空に立ち上っていった。 だからおそらく、ファインドフィートはこの景色を楽しむことが出来ていた。
「……たぶん、見たのは初めてですね。 夜の海がこんなに綺麗だなんて、知らなかった」
対し、空の海。
ファインドフィートにとっての、御供の
もうぼやけてあんまり見えないけれど、やはり美しい。 上も下も、どちらも。
ただ、
どうあっても、星を手中に収める事はできなかった。
……そうして夜と戯れて。
幾らか待っていれば呼び出し主が姿が現すだろうと思っていたが、しかし。
どうしたことか誰も訪れず、そのくせ音は止まらない。
あんまりにも不義理な扱いが、ひどく癪に障った。
「……いったい何がしたいんですか、ほんとに」
靴を脱ぐ。 波打ち際につま先を入れる。
ぱしゃぱしゃと軽く蹴って飛沫をあげた。
用もなく夜の意味に出張っているほど暇ではない。 こうして暇を潰していられる内に、早めに姿を現して欲しいところだった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
大海の
よっつ、いつつ、むっつ。
ねぶる音を、忌まわしい音を、飛沫に溶かしたくて足の甲を振るった。
淡々と、一時の水遊びに興じて──。
さほど、間を置かずに。 背後から、砂を踏む音が聴こえてくる。
ファインドフィートのものよりも軽く、小さい足音だった。
その音の主へ振り返ると同時に、さざ波が止まる。
「……あなたがわたしを呼び出したくせに、随分と待たせるじゃあないですか」
「謝罪する。 少し、準備に手間取ってしまってな」
「はぁ……いいでしょう。 ……色々と、言いたいことはありますけどね」
銀の御髪。 紫の瞳。
見知った誰かとよく似た冷たい相貌。 体格はその見知った誰かよりも小さいが、全体的にそっくりだった。
ただし、両足は半分ほど透けていたから、どう見ても尋常なる存在ではなかった。
『ひいお婆ちゃん』とは少し違う、浮世離れした色香。
どちらかと言えば女達──女神によく似た匂い。
少女が知る女神は二柱だけだったが……しかし、そもそもの三女神という名前から本来は三柱から成る存在だと察せられる。
故に、目の前の女が最後の一柱なのだと理解するまで、そう大した時間は掛からなかった。
去年の夏からほんの少し尻尾を出していた、未知の存在。 既知の女達と比べると随分と薄弱な覇気を纏っていた。
これを芯をなくした姿、とでも表するべきなのか。 ともかく、ファインドフィートが銀髪の女を女神
叶うなら関わり合いになりたくなかった、けれど。
顔を合わせてしまったなら仕方がないと、女に向けて潮でべたつく唇を震わせた。
「こんばんは。 海の香りがするひと」
「こんばんは……。 吾とは初めまして、だな」
「……ええ、初めまして」
そして、できれば会いたくなかった、なんて。
隔意を視線に込めて、砂浜につま先を沈めた。
恐怖と失望が交雑した末の色はひどく淀んでいて、青ざめた瞳を醜く歪めた。
「それで」
その目のまま発した声はひどく冷たい物だった。
もしかすると生まれて初めてかもしれない。
こんなにも強張って、嫌悪の滲む声を出したのは。
「一体、何の用ですか?
少なくとも、あの煩い音さえ無ければわたしからの用はありませんが」
そんな奇妙な感慨も、戸惑いも置き去りにして耳を後ろに引き倒す。
眉間に薄っすらしわを寄せ、常よりも鋭くなった目尻で、相対する女の顔を見た。
何かを言いたげに一度口を開いて──閉じて、また開く。
そうして何事かを躊躇っている様子の女が言葉を発するまで、波の音色で場を満たした。
幸いにも忌まわしき潮騒の音はすっかり息を潜めている。
多少の余裕を見せられる程度には、であるけれど。
「……。 あぁ、用ならある。 あるとも」
「そうですか。 でもわたしにはありません。 あんまりにも煩かったので此処まで来ましたが……ええ、あれを止めてくれたらそれで良いです」
「音を止めるのは構わないが──帰られるのは困る。 申し訳ないが、汝に用がなくともここに居てもらおうか」
「は。 一体どの口が……」
そもそも何故、いまさら。
狭めた喉の奥で、棘まみれの疑問を抱く。
用がある、といっても。
初対面の女に語れる事は殆どない。
……それに正直なところ。 ひとめ見た瞬間から、ファインドフィートはこの女が嫌いだった。
初の顔合わせでありながら隔意をまるで隠せていない。
原因は誰かしらから良くない
どちらにせよ、自分以外に嫌悪の情を向ける事自体は例外的だった。
「……第一、何故夜に呼ぶ出すのですか? 別に明日の昼でも良かったでしょうに」
「昼は……ダメだ。 お前達の所の番犬に噛みつかれる」
「はぁ……?」
とにかく、苛立ちが止まらない。
いっそこのまま帰ってしまおうか、とすら思ってしまう。
もう夜も遅いのだ。 早めに寝直さなければ明日に響くに違いない。
……ただ、そう思案しているのが態度に出ていたらしい。
女は軽く眉を吊り上げて、ファインドフィートを叱咤してきた。
「良いから話を聞け。 さもなくばまた耳を塞ぐ」
「……なるほど。 つまり、あなたはそういうひとなんですね。
いえ、まぁ……良いでしょう。 どうぞ、一旦足を止めますから」
そして、分かりやすい脅しで少女を拘束する。
さもきかん坊に言い聞かせようとする言動は不快で、やはり、苛立ちが収まらなかった。
やはり神であろうと、もどきであろうと、所詮ヒトではないのだ。
どうあがいても価値観の齟齬は変わらず、互いの間に横たわっている。
その透明な壁を証明するかのように、女は特に気にした様子もなく、淡々とした表情で少女に近寄ってきた。
一步、透けた脚が砂を押しのける。
「単刀直入に言うぞ。
まず、汝。 そやつらに頼るのは止めろ。 吾が言うべきではないかも知れぬが、人格が破綻しきっている性悪だぞ。
何も、汝の望みは他者に委ねるべき物では無いはずだ」
「……はぁ、それで?」
「っ……神というものは、願われた通りに力を振るう性質をしていない。
むしろ歪曲して理解したつもりになって、余計なことをしでかすモノだ。 歴史からして、どこも同じなのだぞ」
「そう……何か問題ありますか?」
「だから……っ!
……だから、汝が求める事は叶わんと言っている。 何も弔いそのものは否定せぬが、別にそう云うものに縋る必要はないだろう。 汝は汝の友を悲しませたいのか?」
必死に平静さを保とうとする女の願いを受け止めながら。
しかし少女は、やけに冷めた目で相対する女の顔を見ていた。
悲しませたいのか、と問われれば。 もちろん、否だ。
他人を自分から悲しませたい欲求なんて存在しないし、それを求めるほど傲慢にはなれない。
けれども、悲しませたくない気持ちと裁きを求める心は両立する。
各々は別個の事象であって、そこに繋がりはない。
端的に言えば、それはそれ、これはこれ、とでも区切るべきもの。
片方のみの情に訴えかける言葉では、彼女を縛るなんて出来なかった。
「……あなたの言いたいことは分かりました。
でもね、わたしは裁かれたいんです。 わたしは死者として、罪の精算を受けたい」
「裁き……? 何故? 理解できん。 そこに何の罪がある? 罪がなければ罰もない。 それがあるべき理で、覆ることのない世の摂理だ」
「……どうやら、あなたとわたしでは前提の違いがあるみたいだ。
いいですか? 罪があるから裁きを与えられるのではなく、わたしが裁かれたいから罪があるんです。
その想いだけで、わたしの権利は正当なものになる。 女神さまが与えてくれるから、わたしは正しい。 咎められる筋合いはない」
一度、目をつむる。 大きく息を吸って、吐き出して。
ニ秒後、目を開ける。 苛立ちを薄れさせた顔で、夜空を見上げた。
それからチグハグな女の顔を見て、僅かに目を細めた。
「少なくとも、これを咎めるべきはあなたではない筈だ」
こういう事を言う者もいたのか、と、意外に思わないでもない。
女神を構成する一要素ではなかったのかと、疑問に思う気持ちもある。
どこまで知っていて、どこから知らないのか。
それも分からないが、何であろうと変わらない。
だってこの女は、何もしなかった。
虐げもせず、助けもせず、無視もしない。
束の間の自由? 選択の尊重? 一体何を言っているのか。
それは何も選ばなかっただけ。 敵でも味方でもない、なんて、そんなもの、恐ろしくって仕方がないのに。
そのくせにうろちょろと耳の周りを飛び回り、雑音を垂れ流す。 なんと鬱陶しいことか。
そうして、ただ憐れむだけの視線を投げてくるのが精神を逆撫でる。
そんな目で見られるほど落ちぶれてなどいない。 死者には、死者なりの矜持があるのだから。
「でも、あの方達は責任を取ろうとしてくれているのです。
だから……わたしは、これで構いません」
たとえ、死に損なったのがその神のせいでも。
たとえ、今ある苦しみが神のせいでも。
それでも、裁かれる権利を行使できる。
マイナスでしかなかった命を、ゼロに戻す事ができる。
「"わたし"は、御供の
そして、決定的に取り違えた『姉』の願いを語った。
生き損ないの彼女。 愛しの半分。 その夢を主軸とした、己を否定する旅路を。
"もしも"、御供の
"もしも"、ファインドフィートの血肉が分かたれず、単一の個として産まれたなら。
"もしも"、御供の
その果てには不純物のない、完璧な『ファインドフィート』が産まれるに違いない。
それこそ九冠をとってしまうような素晴らしい誰かが産まれる筈だ、なんて。 妄想の中の
「欠けることなく、完璧な状態で産まれてきた『ファインドフィート』を世界に残す。
この夢が叶ったなら……きっと、その末路に勝る裁きはありません」
つまり、夢の成就が責任を取るという事だった。
成就の先こそが双子の人生の結びになる。
笑顔にそぐわぬ、波の音色に混ざらない硬質な声で宣言した。
「……だからわたしは、今年で最後です。 来年には行けない。
夢の成就を願うまでが、わたし達と女神さまで結んだ『約束』です」
「……愚かにも、程があろう。 そんな約束を守って何になる……?」
「さて……少なくとも、わたしの尊厳は守れますね」
そこに良いも悪いも存在しない。
「……あと。 あんまり長く居ると、みっともない顔を見せちゃいそうですし」
ただ結果がある。 歪みを正した、結末だけがある。 あるがままの世界に戻る。
ファインドフィートの最後は、そうあるべきだった。
「……結局、あなたには関係ない。 別にいいじゃないですか、今まで通りで。
あなたは何も見なかった。 そう思っていてくれたら全てが丸く収まるんです」
「それでも……吾には義務がある。 祀られた者として、果たさねばならぬ義務が」
「結構です。 あなたはもう女神さまじゃない。 だから、何にも縛られていない。
だから、ねぇ。 別にいいじゃないですか」
湿った脚でもう一步。
砂を押しのけて、一見穏やかに見える薄い笑顔を浮かべる。
「そもそも、あなたがわたしにかかずらう必要はないはずだ。
こう言うと何ですが……ありふれているでしょう。 わたしみたいな
更に一步、歩み寄る。
脚の透けた、未だに何も知らない女に。
「何故、わたしに触れるのか。
……今目の前にいるあなたに限った話ではなく、女神さまもです。
あなた達は何故、わたし達を見つけたのか。
その答えをずっと考えていましたが……えぇ、最近、ひとつだけわかった事があります」
少女が一体何を話しているのか。 何を話したいのか。
女はどうにも意図を掴み損ねて、疑問の入り混じった顔で、無言で続きを促した。
正直な所、興味本位だ。
神として欠けたが故の物なのか、はたまた女個人の知的好奇心からくる情動か。 あるいは、自己だからこそ見えない本性を知りたがったのか。
その
「たとえば、道端で死にかけている犬を見つけたとき。 たとえば、飢えて死にそうにな猫を見つけたとき。
その時、その子達を救える力があったのなら、誰しもが救おうとするでしょう。 わたしだってそうします。 何もせずに死なせるのは可哀想ですから」
なにも犬や猫に限った話ではない。
ねずみでもいい。 リスでもいい。 可哀想と思える生命体なら何でも。
大事なのは、庇護すべき格下の存在であるということだ。
つまり、その死にかけが人間だろうと同じく当てはまる。
可哀想だから手を伸ばす。 己に力があるから、軽い気持ちで手を伸ばせる。 その可不可に責任感の有無は関係ない。
「……だからね。 あなた方の思いというのは、これなんですよ。 きっと。
それが悪い、という話ではありません。
あなた方はただ、相応の姿勢でいてくれたらいいんです。
救った後に責任を取るのも、看取るのも、あるいは無視をするのも。 全てあなた方の自由だ」
ファインドフィートが思う答えとは、これだった。
嘗ての少女は、空に
愛していると嘯く口を持ちながら己を灼く。 そんな人でなしの価値観を理解出来なかったからだ。
けれど年数を重ね、多くを失った今だから見えてくる物もある。
つまり、立場をわかりやすい形に入れ替えてしまえば良いのだ。
神をヒトに、ヒトを小動物に。 そして、前提として言葉の壁を挟み込む。
そうしてしまえば……虚しいほど、よくよく分かってしまう。
「わたし達は、女神さまに訴えかける言葉を知りませんから」
ヒトが犬や猫と同じ言葉を話せないのと同じように。
ヒトは、神と同じ言葉を話せない。
ただそれだけの、簡単なことだった。
「……そのせいでしょう。 確かに、女神さまがくれた"しあわせ"はわたしが思うものとは違っていました。
けれど皆と出会うことが出来たから、それで良いのです。 わたしは満たされてる。
わたしは皆に会えて幸せだったから、今度こそ納得して終われる」
「……流石に嘘だろう。 納得など、出来るはずがない」
「いいえ、本当です。 わたしは」
ひとりの人間として。 虚飾などなく、確かに満ち足りていた。
だからこそ、眩しすぎる。
「もう、これ以上の未来なんて要らない。 わたしには長すぎるし、バチ当たりだ」
そもそも奇跡がいくつか連なってようやく十三年は生きられるかどうか、という身体だった。
いまさら限界を超えてまで欲しがろうとするには、先を生きる気力がない。
であるならば。 やはり裁きの後に、あるべき姿に戻らなければならない。
『姉』の夢を叶えて、家族の死はその為にあったのだと価値を与え、自己を徹底的に否定し、弔いと成す。
そして今度こそは手と手のしわを合わせて、墓の中に入って静かに眠る。
土は土に、灰は灰に、塵は塵に。
大きな足跡を残した最後にあるこれが、少女の正しい結末だった。
「だから、あなたも選んでください。 わたしを看取るか、無視する道かの
「……なにも、結果を残すだけが全てではない。 他にもあるだろう。
生きた痕跡を残したいというのであれば、思想を誰かに継げばいい。 元々の夢──星を追う学者になるでも、自身の子を残すでも、何でもあるではないか。 何故駄目なのだ……?」
「言っても今のあなたには分かりませんよ。
それに、あなたはわたしを理解しなくても良いんです。 ただ、選んでくれたら」
「────」
それから、幾らかの間を置いて。
口を噤んだ女を見て、薄っぺらい笑みを浮かべた。
そして少女は、あぁと、口の端から吐息を零した。 納得を多分に含んだ吐息だ。
この悩む姿は腹立たしいほど優柔不断で、底なしに愚かしくも見えて、微かに見覚えのある面影を宿していた。
女の顔を見ていれば、今考えていることが手に取るように分かる。
前に進む先がいくつもあって、どの分岐が失敗に繋がるのか予想できない。 だからとにかく恐ろしい。 見えない物が恐ろしい。
女はまさにそういう顔をしていて、少女自身も見慣れた面だ。
きっと、だから似てしまったのだろうな、なんて。
実際に伝えるでもなく、言葉を胸の中に産み落とす。
そのせいで欠けてしまったのだ。 結局。
「……別に、この場で答えろとは言いません。 いえ、もう答えなくてもいいです。 結果で示してくれたら、別に構いません」
歪む視線。 浮かぶ苦悩。
それらをついに見ていられなくなって、視線を外した。
そして、くるりと背を向ける。
語るべきは語った。
示すべきは示した。
あとは責任が果たされることを願うばかりだ。
「それでは……もう、会う必要がないことを願っています。 お互いのためにも、ね」
潮風に濡れた髪が重たい。
軽く振り回しただけなのに、後ろに引っ張られるような錯覚を感じてしまう。
とはいえ錯覚は錯覚。 脱ぎ捨てた靴は履き直さずに両手に持って、来た道を引き返す。
幸いにも足跡はまだくっきりと残っていたし、十分に目視できる程度に月が明るかった。
だから後は辿るだけ、だったけれど。
「待て……。 まだ話は終わっていない。 まだやり直せる筈だ」
女はしつこかった。 まるで、縋るような言葉が背中に降りかかる。
救いの手を差し伸べる側こそが、逆に救いを求める声をしている。 なんて、ひどい矛盾だ。
何がそこまで駆り立てるのか。
眉根を寄せて考えてみたけれど、今日初めて顔を合わせたばかりの少女にはまるで分からなかった。
ただ、単なる義務感によるものと言うには少しばかりしつこすぎる。
「……いいえ、もうこれ以上は不毛です。
もっと前に、あなたがより良い方法をぶら下げていたのなら、きっとわたしはあなたに従っていたのでしょう。
けれど、そうはならなかった」
「違う、違うんだ。 まだ間に合う。 汝はまだ孤独ではない。 まだ壊れきっていない。 今からでもその中身を摘出すれば、もっと……!」
「何のために?」
だから突きつける理由は、ただの一つだけ。
吹く風に言葉を乗せて、背中越しに放り投げた。
「だってあなた、わたしを見てないじゃないですか」
結局、その一点だけは変わらなかった。
女にとってのファインドフィートはあくまでもレンズもどき。
青い目の向こうにある色付きの景色を見るためのものだった。
レンズの向こう側に何があるのかまでは、神ならぬ少女は知らない。 けれど透過する視線が執着の在り処を物語っていた。
そも、女の語る選択肢。 解放とは、そもそも誰のためにある物なのか。
求めていない物を押し付けるのは、はたして救い足り得るのか。
答えは否。 いっそ無様な悪徳である。
故にファインドフィートとこの女は、思想を共にできない。
「待ってくれ」
後ろの正面から、尚も縋る女の声が聴こえる。
「待て」
しかし止まらない少女に追い縋ろうと駆け出して。
そのくせ半透明の脚は見た目通りに機能不全を起こしているのか、軽い音と共に転んでしまった。
「……っ」
目で見ずとも転んだことぐらいは把握できるものだ。
だからかつい一度振り返って、その足を見てしまって。
心の底から憐れむように、眉の端を垂らした。
「……希望を見せるだけ見せて、それっきり。
だから、あなたはわたしの女神さまじゃない」
放られた言葉が明瞭な壁を作る。
己の女神でないのであれば、己に関わる必要性はない。
今の女がどういう状態なのかは知らずとも、どうであれ自分に関わらない方がよほど価値ある時間を過ごせる。 少女はそう信じていた。
……そうして完全に突き放す寸前だ。 ふと、もう一つだけ伝えたい言葉があった事を思い出した。
個人の好悪はさておきとして──今日の一日が楽しかった事は、決して嘘ではない。
そしてそれが目の前の女に齎された事も、確かに理解していたから。
「……でも。 今日の事は感謝しています。
これから先何があっても、わたしはあなたを恨みません」
「────」
多少裏切られるぐらいなら、許してしまえる。
この一日はそれだけの価値があった。
たまには今日みたいに思い出を作っておくのも良いかも知れない、と、今後の身の振り方を多少考え込んでしまうぐらいには。
──何も語らなくなった女から、ふつと視線を切る。
そして今度こそ、帰り道を歩き出した。
なぜこうも首を突っ込みたがる物なのか、とか。 そんな益体も無い愚痴を零しながら。
何せ、もう結論は決まり切っていた。
それすら知らずに"まだ間に合う"なんて、どうしようもなく無意味な問答だ。
鶴と亀は滑って転んだ。 ずっと昔に転んでいた。
だというのに、無理に引き起こしたからこんな歪みが生まれてしまった。
肥大化した自重に耐え切れなくなって、相反する想いを抱いて、ついには四肢から腐り始める。
その上隠していたつもりだった本性すら日の下に晒された。
ずっと目を閉じたままでいれば、これほど歪むこともなかったろうに。
ともかく、歪んでしまったのなら正さなければ。
……おいおい、これどーすんだよ。 お前が自信満々に"吾に任せよ!"とか言うから任せたんだが?
こう、胸の中身抉り取って除霊! みたいなのはできねーの?
……無理?ゴルシちゃんそろそろキレていいか?
ってかよぉ、そもそも三女神って何なんだよ。なぁ。