【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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63話

 

 やり残した事は? 

 

 


 

 

 準備はできたか。

 後ろ背で、男の声を受け止める。

 冷たくも温かい、溶けかけのアイスクリームみたいな声だと、子供じみた感想を抱く。

 

 踵を、床に打ち付ける。 勝負服の裾を揺らす。 首につけたチョーカーの、窮屈な束縛感を指でなぞる。

 身体の調子は最悪で、最高だった。

 初参戦の前々回は四着、前回は一バ身差の二着だったが、今回は確実に一着を獲れる自信がある。

 

 だからこの男に、トレーナーに、準備万端ですと言ってやるだけで良い。

 これで勝てると、のたまえば良いのだ。

 出口の奥、地上から打ち寄せる声を、己の一色に染め上げると。

 

 だというのに、この時のファインドフィートは、どうしてか即答できなかった。

 口を開けて、震える下唇を軽く噛んで、息を吹く。

 

「この天皇賞で勝てば七冠で、天皇賞春秋連覇の肩書も増えるな。 はは、随分立派な箔が付くじゃないか」

「最初の頃を思えば……なおさらに、ですね」

「あぁ。 最初に見た時からこいつは走るタイプだと思ってたから、それほど意外でもないが」

「つまりトレーナー(お父さん)の見立ては正しかった、と。 皆に自慢してもいいですよ」

「最初の選抜レースを見た人間は全員同じことを思っただろうし、俺の見立てが優れていたって訳でもないんだがな」

 

 だが、契約したのは彼だけだった。

 他の人間に靡かなかったのは、一体どうしてだったか。 昔のことすぎて、もう思い出せない。

 

「けど……そう、ですね。 きっと、大丈夫です。 ここまで来れたんです。 次も、わたしが」

 

 唇を噛む。 やはり無味だ。

 ただ、苦痛を、存在しない筈の痛みを以て打ち震える鼓動を、手のひらで押さえる。

 

「……わたしが、勝ちます。 見ててくださいね、トレーナー(お父さん)

「もちろん。 キミが一番速いことを証明してくれ」

 

 とくり、とくりと、規則正しく刻まれる拍を感じ取って、仄暗い勇気の灯火に浸る。

 ざらりと鼓膜を撫でる男の声から、義務感という名の後押しを抽出する。

 一歩ずつ、牛のように重苦しい歩みで、光の射す出口のほうへ。

 

『今回無くなったのは認知機能の切れ端ですよぉ。 もちろん、レースには影響ない範囲なので安心してくださいねぇ』

『見当識……時間感覚が曖昧になったりちょっと現実感がなくなるぐらいかしら。 身体機能って燃料としての効率が中々良いのよねぇ。 ……まぁこれぐらい、我が子なら平気でしょ』

『ちなみに次のやり直しは記憶を使いますよぉ、比重が大きめのを。 忘れたくないならもっと頑張って、今度こそ勝ちましょう?』

 

 

「けどな、怪我はするんじゃないぞ。 もしも予兆があったら無理せずに棄権してくれ」

 

 返事は、ついぞ返さずに。

 

 

 ◆

 

 

 腰の下から伝わる衝撃。 規則的に鼓膜を叩く鉄の嘶き。

 姿勢を保つ背筋が些細な疲労を訴えている。

 少女はそれらを受けて、ぱちりと目を開いた。

 

 涙のコーティングで霞む視界を、半ば停止した思考で左右に揺らす。

 水分で屈折した光がファインドフィートの眼前を雑に撫でて、あるべき像を曖昧に放り投げていた。

 

『この電車は各駅停車、■■行きです。 お急ぎのお客様は次の停車駅で──』

 

 二度、三度と瞬きを繰り返す。

 うちに涙が剥がれ、ようやく普段通りの解像度を獲得して、薄緑色のロングシート──電車の内装が、理解できる視覚情報に翻訳され始めた。

 

 そして衝撃を受けて時折に跳ねる身体と、ガラス越しにへばりつく陽光を受けて。 ようやく、今この時が現実である事を悟った。

 先程までの地下通路は夢の景色。

 天皇賞の秋は、もう一週間前に通り過ぎた過去の事だった。

 

 現在のファインドフィートは、ミホノブルボンと一緒に、電車のロングシートに座っている。

 だから当然ながら過去と現実は同時に存在しないし、重なることもない。

 

「で、ブルボン先輩はいまだに夢の中……と」

 

 肩に乗った栗毛の頭を揺らないよう背筋を固めながら、ほうとため息をつく。

 頬に当たる耳の感触が、妙にささくれだった心を癒やしてくれる。

 けれど、夢から滲む余韻は中々晴れないままだった。

 

 それは負けたから、なのか。 否、そんな事はありえない。

 ファインドフィートは──否、『ファインドフィート』は、持てる物すべてを使って勝利を得たのだから。

 では、勝ち方に不満があるから、だろうか。 それとも勝ったという事実そのものが気に入らないからか。

 なんて、つらつらと幾つかの推測を頭の片隅に並べ立てる。

 ……が、その何れもが"これだ"と言える重さを有さなかった。

 

「……ねぇ、ブルボン先輩。 夢に近づくのも、意外と苦しいものなんですね。 テレビで見ていた頃はてっきり……もっと、先頭の景色は綺麗なもので、抱えてる悩みなんて何もないのかと思ってました。

 色んな人に褒められて、色んな人に応援されて、色んな人に愛されるのは、もっと……」

 

 けれど、現実は違った。

 まだ実績がなかった頃は、抱えている物が少なかった頃は、悩みもぼんやりと淡かった。

 心を切り刻まれる事はないし、夢の中で責め立てられる事もない。

 昔は、今よりも遥かに身体が軽かった、とさえ思う。

 昔は。 ひとりで立つことも出来なかったあの頃でさえ、もっと自由だったと、今にして。

 

 だというのに何故、今になってこうして思い悩むのか。

 

 答えは既に、そこにあった。

 ファインドフィートは決して口にしない──できないが、自分の浅ましさが浮き彫りになったせいだと、無意識下で自覚している。

 与えられた命で、与えられた力で、他者の勝利を奪う。 そこに罪を見出さずにはいられないのだ。

 けれども、負ければ夢に対する背信だ。 ファインドフィートは決して、裏切りたくなかった。

 

「本当は悩むまでもないモノの筈なのに……。 わたし、どこかおかしくなっちゃったのかな」

 

 まさか既に選んだ道を省みる日がくるなど、二年前のファインドフィートであれば想像もしていなかったろう。

 そして結局、今日も選択を先送りにした。

 愚かしい、と罵る声が聞こえる。 それは、あどけない少年の声をしていた。

 

 

「……ブルボンせんぱーい」

 

 とぼけた顔をして、人差し指をたて、隣の少女の頬をつつく。

 ぷにぷにとして柔らかい。 何よりも温かい。 生きている者の温度だった。

 指先に伝わる感触を楽しんでいるうちに、眉根にシワができた。

 しかし、目は閉ざされたままだった。

 

「ふふ……もう少しだけ、寝ててくださいね」

 

 一通り頬をこねて、満足する。

 それからファインドフィートも同じように、瞳の青を瞼で隠して、少しだけ寄りかかった。

 同じ体格、同じ体型、同じ重さ。 故に、多少寄りかかったとしても問題なくつり合う。

 

 だから今ここにいるファインドフィートが思うべきは、この電車で向かう先の土地と、すぐ隣に座る少女の事だけ。 現実にある、この時間だけを思えばいい。

 

 そうすれば、普段は息が詰まる帰路も、不思議と呼吸がしやすくなった。

 あれこれ無駄なことを考えて気を紛らわせずとも良いぐらいには。

 

「もう少し、だけ」

 

 薄く開いた口の端からすぅ、と息を吸って、ふ、と歯の隙間から吐く。

 肺の中身と交換したのは、埃っぽい車内の空気だというのに、少しだけ身体が軽くなった気がした。

 

 

 ◆

 

 

 二度のうたた寝、二度の覚醒を経て、頭の中をリセットして。

 ファインドフィートとミホノブルボンが足を踏み入れたのは、小高い山の中。

 目的は、いつかの約束通りの墓参りだ。

 

 綺麗に整備された山道を並んで歩き、真昼の涼しい風を浴びる。

 頭上の枝葉のカーテンは、日差しを遮るほどの密度を有していない。

 おかげで地面はよく乾燥していて、とても歩きやすかった。

 

「ステータス『リラックス』……。 想定よりも15%程、起伏が緩やかです。 まるでピクニックですね」

「レジャーシートやお弁当を持ってきて本当のピクニックをしても良かったかもしれないですね。

 御供家(うち)の私有地なので他の人もいませんし、気分転換にはちょうどいいかと」

「でしたら、次に訪れるときは本格的に準備をしましょう。 ……折角です、ライスさんやテイオーさんも誘いたいです」

「……ええ。 次の機会があれば、是非」

 

 くしゃり。 枯れ葉を踏む。 登山用の靴の裏で、葉の繊維をすり潰す。

 粉々になった薄茶色は、風にさらわれ、散り散りになって、やがて山に溶けていく。 桜吹雪の真逆。 草木と土の乾いた匂いがした。

 そして、飛んでいくそれを追いかけて、昼を告げる町内放送が木々の隙間をすり抜けてくる。 滔々と、鈍く響く。

 やがて歪な余韻を耳に残し、幹の(うろ)に呑まれて消えた。

 

 一度振り返って、街の方角を眺める。

 もちろん、人工物は何も見えない。 町内放送はずっと遠くから聞こえていて、その距離は麓までの長さとイコールである。

 そこから自分たちの行軍速度を計算して、日が昇っているうちには寮に帰れるなと、安堵の吐息をついた。

 

「墓参りは早めに終わらせます。 そのあと山の中を軽く見て回って……そうですね。 駅前のゲームセンターにでも行きませんか?」

「……私はそのプランで問題ありません。 ……ですが、それほど急がなくてもよいのでは?」

「ああ、いえ。 急ぐ、つもりはありません」

 

 リュックを背負い直す。

 肩に食い込む紐を握って、清掃道具の重さを分散させる。

 

「ただ……あんまり長く居座ってるのも、気まずい、ですから」

 

 

 歩く。 歩く。 歩いた。

 草木の陰に潜む、ほんの少しの非日常を楽しみながら、山道を登って。

 やがて高低差が失せ、山道ではなく砂道になった頃。

 少女二人の眼の前が、唐突にひらけた。

 

「目的地はここです。 見晴らし、中々良いでしょう?」

 

 入り口から中央まで続く砂道を視線で追いかけてみれば、突き当たりに立派な墓石が鎮座している。 ようやっと終点だ。

 トレセン学園からの道のりにかかった時間を考えれば、中々の長旅であった。

 

 日の出と同じ時間に起きて、モーニングルーティンをこなし、二人して眠い目をこすりながら電車に乗る。

 もちろん普段のトレーニングに比べると、まるで大したことはない労力だ。

 が、あくまでも休みの日で、義務とは無関係の行事という前提条件が、うまく意識を切り替えさせてくれなくて。 だからなのか、ちょっとした疲労感を感じてしまう。 年相応といえば、それまでの話ではあるけれど。

 

「……ここにあるのは、あのお墓だけなのですね」

「ええ、まぁ。 景色は良いので隅っこにベンチでも置こうと考えたことはありましたが……ここに来るひと、ほとんど居ませんからね。

 わたしと先生──主治医のひとと、おじいちゃん……院長先生ぐらいです」

「あぁ、あの……」

「でも……院長先生は、最近体調が悪いらしくて。 だから結局、わたし以外に来てるのは先生ぐらいでしょうね。 ああ、でも手入れしてくれる業者さんもいましたか……」

「……先生方とは、今でも交流は続いているのですか?」

 

 砂道を辿る。

 道との境目に生えていただろう緑色はすっかり茶色になって、枯れ草の秋を彩っていた。

 

「時々電話をしたり、顔を見せたときに一緒にのんびりするぐらいです。

 あのひと、ちっとも休まないって院長先生からも心配されてるんですよ。 なのでわたしが強引にお願いして、休んでもらってます。

 ……ああいうのをワーカーホリックって言うんでしょうね」

「ワーカーホリック……」

「わたしのお願いは大体聞いてくれるのでまだマシです。 ……そうそう、前持ってきたお供物はお酒だったんですけど、それも先生に用意してもらったんですよ。 どんな理由があっても、わたしには買えませんから」

 

 その一言一言の──ワーカーホリックとは少し意味合いが変わるが──殆どが自分に跳ね返ってくることを、ファインドフィートは自覚していない。

 だからか、ミホノブルボンから呆れたふうに見られても、何が何だかわからないと小首をかしげるばかり。 ……もっとも、当のミホノブルボンもその面では大して変わらないのだが。

 

「……フィートさん。 今日は丸一日予定が空いていますよね?」

「えっと……はい。 おっしゃるとおりですが……」

「では、寮に帰ったらお泊りの準備をしてください。 ライスさんとロブロイさんのお部屋にパジャマパーティーしに行きます。 許可は──想定では、98%の確率で貰えるかと思われますので」

「それは随分と急な……いえ、お二人が良いというのであればわたしも構わないんですが。 ……しかし、なぜ?」

「……。 ただ、そうするべきだと思ったからです」

「そうですか……」

 

 

 言葉を区切り、立ち止まる。 すぐ目の前に墓石があった。

 リュックサックをおろし、刻まれた字の溝を視線でなぞる。

 花立てに生けられた花は、まだ瑞々しかった。

 

「……丁度、先生も来ていたみたいですね。 わたしに教えてくれても良かったのに」

 

 そうしたら三人で一緒に、と。 その先生が居心地の悪さに苦しむだろう想像をして、けれど現実にならなかったからすぐに頭から振り払う。

 

「こんにちは。 久しぶりですね」

 

 こんにちは。 いつもとは少しだけ毛色が違う声音だ。

 雨と水のように、雪と氷のように、空と大気のように。 そっくりだけれど、ほんの少しの差異がある。

 こんにちは。 表面を撫でながら、もう一度呟く。 墓石に染みる。

 音を吸う機能なんてないのに、跳ね返りはせず、ただ染み込む。

 だから返ってくるはずの"こんにちは"は、ついぞ少女の耳に届かないままだった。

 

「今日は友だちにも来て貰ってるんですよ。 わたしと同じ部屋の先輩で、とても良くしてもらっているんです」

「初めまして、ミホノブルボンです。 フィートさんには私こそ良くしてもらっています。 ……つまり、私にとっても、大切な友達です」

「……ん、ちょっと恥ずかしくなりますね。 ふふ」

「恥ずかしい事は何も言っていないかと思いますが」

「あー……えっと、その……とりあえず掃除しちゃいましょうか。 ブルボン先輩は上から水をかけてもらってもいいですか? わたしがタオルで磨きますので」

 

 朱色を帯びた頬を見られないよう墓石に向けて。 リュックサックから、水が入ったボトルと真新しいタオルを取り出す。

 そして今回も棹石(さおいし)の天辺から水を流して、石全体をタオルでぬぐう。 以前と違って協力者もいるから、掃除自体が終わるのはあっという間だった。

 ……もっとも、主治医が先に掃除をしていたらしく元々汚れてはいなかった。 故にあくまでも形式的で、儀礼的な行為である。

 

 掃除が終われば線香に火を点けて、線香立てに突き刺す。 ひとり三本、合わせて六本だ。

 立ち上る細い煙と古ぼけた匂いで墓石を燻した。

 墓にあるべき五供(ごくう)を完璧に満たせた訳ではないが、これで及第点は貰えるだろうと、ひとり大きく頷く。

 

「……」

 

 それから、墓参り最後の工程。 合掌だ。

 ミホノブルボンに声をかけて、膝をつき、手を合わせて、瞼をおろす。

 胸中に浮かべるのはこの一年間での歩み。 一握りの伝えたいこと。

 

 ……しかし、そうして手向けようとした言葉は、意味を持ってかたまる前に、頭の中でばらばらに砕けてしまう。 言葉と言葉が繋がらない。 喉は、ずっと引きつったままだった。

 音もなく隣に膝をついたミホノブルボンも、手を合わせたままで何も言わない。 ファインドフィートは、その沈黙が有り難かった。

 

 

 たっぷり、六秒後。 目を開ける。

 知らずのうちに止めていた呼吸を再開する。

 

 横一文字にきつく結んでいた唇を緩める。

 予め塗っていたリップクリームのお陰か、動きに淀みはなく、口が開いた。 墓ではなく、隣の少女へ向けて。

 

「……ブルボン先輩は」

 

 視線は、墓の表面に固定したままで。

 平面な視界の隅の、線香のゆらめく煙を見守りながら、風に吹かれて。

 濁りのない声で、ひとつの問いを投げた。

 

「ご両親の事は、好きですか?」

「……? はい、好きです。 お父さんも、お母さんにも、私は『愛情』と呼ばれるものを抱いています」

「そう、ですか。 ……きっと、ご両親からしても同じ気持ちでしょうね」

 

 突拍子もない、と言えば、突拍子もない疑問。

 けれど問われた少女は僅かな逡巡の後に、すらすらと直情的な回答を返す。

 年頃にありがちな虚飾はない。 羞恥もない。 平常心そのものだ。

 どうにも、ほんの少し恥ずかしくなってしまった。 共感性羞恥とは少し違うが、いくらか近い。

 

「……もうひとつ、教えてください。 ブルボン先輩はなぜ、ご両親の事が好きなんですか?」

「何故、とは?」

「言葉通りの意味です」

 

 一度、区切って。

 視線を真横に向けて、心の底から不思議そうに。

 普段よりも尚、調子の低い声で問いを投げかけ続けた。

 

 両手は今も合わされたまま、形だけの祈りを捧げている。

 

「どうして、好きだと思うようになったのですか? 

 優しいから、ですか? 今まで育ててくれたから、ですか? きっとブルボン先輩には、ブルボン先輩の理由があるはずです」

「理由……ですか。

 ……すみません、考えた事がありませんでした」

 

 けれど、聞かれたからにはと、頭を揺らしながら思考を巡らせ始めた。

 

 ──ミホノブルボンは、両親を仲睦まじい夫婦だと認識している。

 元トレーナーで無骨な父と、元教え子で真反対の性質を持つ母。 どちらも尊敬に値する人物である。

 しかし、だから好きなのかと言えば、自信を持って頷けなかった。

 もちろん、好きを構成する一因ではある。 しかし、"だから"の理由にするには如何なものかとも思える。

 

 不器用な笑顔が好きだから。 それも一因だ。

 夢を応援してくれたから。 それも一因だ。

 愛してくれたから。 それも一因だ。

 

「つまり。 "だから"の理由は多くの一因の積み重ねであって、一言で断言できるものではない……私は、そう解釈しています」

「……そうですか。 本当に、いい人達なんですね」

 

 はにかむような薄い笑みには、欺瞞の色は欠片もない。

 

 だからこそ、自身の羨望が浮き彫りになっていることを、ファインドフィートは自覚していた。

 敬意を払うに値する親であること。 夢を応援してくれる親であること。

 その親がまだ生きていて、これからも思い出を作れること。 "これから"があること。

 それらに嫉妬してしまうのは、ファインドフィートが未だ幼いから──そう結論付けるのは、簡単だ。

 ほんのりと、ひっそりと、胸の奥に秘めた嫉妬は、小さかろうとも確かに燃えている。

 

「ああ、でも……良かった」

 

 それと同時に、安堵も。

 

 親に向ける愛情に理由があるのなら、それこそが正しいのなら。

 きっと自身の親も同じで、慕うに値する人物だったのだろうという確信が持てる。

 

 ……たとえ両親の記憶がなくとも、両親を見る姉の顔ぐらいは覚えているのだ。

 そして、はにかむような薄い笑顔で、母と思わしき人物に抱きついていたのも、たしかに覚えている。

 だからこそ、安堵した。

 眼の前の顔と、記憶の中にある顔が重なっているから。

 愛された記憶などない分際で、親を愛しているなどとうそぶく己の情よりは──よほど信用できる答えだ。

 

「じゃあ、安心だ」

 

 薄く笑う。 柔らかくほどけて、はにかむような、薄い笑顔だった。

 頭の片隅に居座っていた小さな疑問に答えが出て、胸のつっかえが失せたようで。

 この瞬間は姉の弟ではなく、親の子として、心の底から。

 

 

「……ふふ、ごめんなさい。 変なことを聞いちゃいましたね。

 でも、ありがとうございます」

「いえ……。 ……」

 

 両手を離して吐き出された、たった十文字の言葉。

 それを受け止めた少女は、一度口を開いて、もごもごと言い淀んだ。

 

 ……無言で続くかもしれない何かを待ってみる。

 けれど結局、何でもありませんの一言だけで区切られた。

 ただし、その割には歪んだ表情だった。 本当に何でもないのであればもっと透明な色をするだろうに、と、不思議に思わないでもない。

 追求はしないが、目に滲む濁りは、不思議と印象に残っていた。

 

 

 そして、ふつと。 続いていた会話が途切れる。

 墓前からようやく立ち上がっても、肩と肩の間にあるのは沈黙、微妙な距離感。

 時折風が吹いては押し流そうと尽力してくれているけれど、そよ風ごときではどうにもならなかった。

 

 墓石の灰と黒のまだら模様に伝う水が、ぴちゃりと落ちた。

 飾りの先端から、地面の小さな水溜りへ。

 生まれる波紋を見下ろして、硬いまぶたを閉ざす。

 

「……でも、そっか。 わたし、もう、見つけてもらえないんだ」

 

 "良い子にしてたら助けてくれる"。

 父と母、どちらの言葉だったのか。 日記には残されておらず、故にファインドフィートは答えを知らない。

 思い悩んだことはある。 答えを求めたこともある。

 けれど、もう何の意味もない言葉だった。

 そう、すとんと腑に落ちた。

 

 何故、どうして、と呪った日々の答えは、ずっと鏡に映っていたのだ。

 

 

「──そろそろ下りましょうか。 思っていたよりもはやく終わりましたし、ゲームセンターのあとはケーキバイキングにも寄りませんか? 奢りますよ」

 

 目を開く。 舌先で封じる。

 そうして見せかけの平常運転で、一歩。

 油のない歯車を強引に動かし、軋みをあげた。

 

「……はい。 移動には賛成します。 ですが奢りは不要です。 むしろ私が出します」

「じゃあここまで付き合わせちゃった事のお詫びも兼ねて、ということで……」

「フィートさん……。 いいですか? 私は先輩です。 そして、あなたは後輩です。 どちらの立場が上か、分かりますね?」

「急に体育会系になるのは卑怯かと」

 

 口ぶりとは裏腹に、心底楽しそうにくすりと笑う。

 来た時に通った道を遡り、枯れ葉を踏んで、風と遊ぶ。

 

 折角だからお土産も買おうか、と提案してみれば、同意の言葉が返ってくる。

 日々カロリー計算に心血を注いでいるトレーナー達の苦労を知ってか知らずか。

 無邪気に知っている名前を列挙していく。 トウカイテイオー、ゴールドシップ、マンハッタンカフェにライスシャワー、メジロマックイーン、エトセトラ。 持って帰る手間を考えれば相手をもっと減らすべきだろうに。

 そんなことも気にならない程に、今のファインドフィートは気分が良かった。

 

「……ブルボン先輩。 今日はありがとうございました。

 この場所は、もう思い出さなくてもいいです。 でも、頭の片隅に残してもらえたら……嬉しいです」

「ご安心を。 私は記憶力に自信がありますので」

 

 続く自慢げな鼻息と、子供らしい自信満々な顔。

 何となく崩したくなる表情だったから、つい指が伸びてしまうのも仕方ない。

 

「むぐっ」

「えへへ……やっぱりやわらかいですね。 メジロ饅頭に倣ってミホノ餅とか出すのも良いんじゃないですか?」

 

 頬を人差し指でこねて、ころころ笑う。

 反撃として繰り出される手をするりと躱して、後ろ足で葉っぱを散らした。 視力的には隻眼のくせに、随分とこなれた動きで。

 

「ブルボン先輩。 ほら」

「むぅ……」

 

 胸元を左手で押さえ、逆の手を差し伸べる。 手を繋ぐ。

 何が面白いのか、ころりと笑った。

 

 

「……"わたし"の事、忘れないでくださいね」

 

 そして、小さく、密かに。

 大局にはまるで無関係な、極めて個人的な欲求をこぼす。

 

「『ファインドフィート』じゃない、この"わたし"だって。 誰かの中には残っていたいんです」

 

 もし叶うのなら、それはあなたであってほしい、なんて。

 少女はそっと、握る力を強めた。

 握られた側の手も、また。

 

 


 

 

 もう無いよ。

 

 

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