【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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64話

 

 

「フィートさん? どうしたの?」

 

 幼気な声を受け止める。びくりと、肩が跳ねた。

 夢うつつだった意識が明瞭になり、足元が定まる。

 そして、小さな困惑と共に、視線を前に放り投げた。

 

 窓から射し込む日。明るく照らされた廊下。長い直線と、まばらに散らばる少女達。

 放課後特有の弛緩した空気感のせいで、どこか生ぬるい。停滞感、と言い換えてもいい。

 

 ファインドフィートは、止まりかけた歩みをとっさに再開して、声の主──すぐ隣の少女を見下ろした。黒鹿毛で片目を隠した少女が、ファインドフィートを見上げていた。

 対面で気遣げに揺れる瞳が、鋭く突き刺さって、頭の片隅がもどかしさに震える。

 前にも似たような事があった気がするな、なんて。今となっては手遅れの追憶を浮かべて。

 

「いえ……失礼、少し気が抜けていたみたいです。それで……えぇ、何の話でしたか」

 

 (かぶり)を振った。

 しかし、ふわふわとした感覚はまったく抜けない。

 はてさて、一体なぜ自分がここにいるのか。それすらも、分からない。

 思い出そうにも前後の記憶は存在せず、断裂した場面が映像として思い浮かぶのみ。

 足元は今にも雲になって消えそうで、ふとした瞬間に、また無意識の海に溺れそうになる。

 

「本当に? 疲れてるなら無理しないでね……?」

 

 けれども、まだ動ける内は社会生活を営んでいたかったのだ。逃げてしまえば楽になれるだろうな、なんて、不毛な妄想をしながらも。

 それが失敗し続けている事は火を見るよりも明らかだというのに、仮初めの日常に縋り続ける。

 単なるわがままだった。

 

 

「えっとね……明日はフィートさんのお誕生日でしょ? だからみんなでケーキ買いに行きたいの。いい、かな?」

「誕生日……? 

 ……あぁ、そっか。もう11月か……」

 

 そして、頷く。顔には薄っぺらい驚きが滲んでいた。

 そこには、もう誕生日だったのか、という純朴な驚きと、ファインドフィートの視点では──親交の浅い少女からその言葉が飛び出たことに対する驚きが、それぞれ微量に混ざり合っていた。

 

 たしかに、11月の半ばは双子の誕生日だ。

 ウマ娘は一年の前半に産まれるものが多いけれど、彼女らは珍しくそこから大きく外れて、産まれた。

 早すぎたのか、あるいは遅すぎたのか、それすらも判別がつかない曖昧な時期の、寒い未明。

 冬の始まりが、彼女らが産まれた日だった。

 

 懐かしいな、と郷愁に目を細める。

 ……そして同時に、何かが引っかかった。

 

 じんわりと湧き上がる違和感に、じっと眉根を寄せる。

 喉の奥に小骨が突き刺さったときのように、もどかしい熱。うなじがむず痒くなって仕方がない。

 

「フィートさん、どうしたの?」

「いえ……何かを忘れているような気がして」

 

 何かを忘れるなんて今更のことだ。白々しい。

 そう罵る存在は──幸いにも、ファインドフィートしかいない。おかげでゆっくりと記憶を漁れる。

 いつの間にか、すっかり軽くなった箱を前にして、少女は残り少ない記憶の糸を手繰り寄せた。

 

 今日のやり残し、ではない。ファインドフィートの記憶は"今日"のラベルを保存できない。

 昨日の思い残し、でもない。ファインドフィートの意識は"昨日"の続きを認識できない。

 つまり、今とは繋がりのないもの。時間によらないもの。時系列の外。知識の領域。

 そこまで行き着いてしまえば、疑わしきを導き出すのは存外すぐのことだった。

 

「……あ。今日は21日ですよね? たしか近くのケーキ屋さんは定休日だったような気がするのですが……」

「ううん、14日だよ? ……あれ? フィートさんのお誕生日って15日、だよね?」

「え……? わたしの誕生日は22日──」

 

 そしてまた薄っぺらい驚愕を舌にのせようとして、はたと気付いた。

 11月22日。それは、ファインドフィートの誕生日だった。御供瞳の誕生日でもあった。

 

 だが、今は違う。

 ファインドフィートは。

 『ファインドフィート』は、死没と同じ日に産まれたのだから。

 

「──いえ、15日であっています。11月の、15日です。……ごめんなさい、ちょっと寝惚けてたかもしれません」

「そ、そうなの……? 夜はちゃんと寝ないとダメだよ?」

「ん……善処します。できる限り」

 

 とは言ったものの、さて。

 正直、有言実行できるとはこれっぽっちも思っていない。

 善処するという言葉は所詮その場しのぎ。実現性など有さない。

 

 だって、何を目的に、何を以て、どう改善するというのか。

 もし人並みにあわせよと言うのであれば、まずファインドフィートは、病院に監禁されるところから始めなければならない。そうなってしまえば、秘している欠落も隠しきれなくなるに違いない。

 だから善処とは、目的の真逆をいくものでしかなく、故に決して実行されない。……ひどい皮肉だ。

 

 それを誰よりも理解している少女は、目元の薄黒い隈をこすって、鈍いため息を吐く。

 空気よりも重たい息は、誰にも触れずに落ちていく。

 

 

「──ま、何にしても……ちょっと早いけどお誕生日おめでと。いやはや、あのフィートもついに……ついに、何歳だっけ? 元が大きかったからちょっと分かんなくなっちゃった……」

「あぁ、テイオーさん。もうミーティングは終わったんですか? ちなみに明日で……15歳になります」

「んー、スペちゃんがやらかしちゃってさ。トレーナーがお冠だったから先に抜けてきちゃった」

 

 "いやぁ、まさかあそこで大食い大会に飛び入り参加しちゃうなんてね"。トウカイテイオーはケラケラと軽いノリで笑う。

 当然、スピカのトレーナーとしては堪ったものではないだろう。日々の気苦労に加えての、それ。

 ファインドフィートもライスシャワーも、彼に同情を抱かずにはいられなかった。

 

「ところでさ、二人してどこ行くの? まぁまぁ珍しい組み合わせじゃん……っと、そういえばケーキ買いに行くんだっけ? もうそんな時間?」

「えっとね、これからフィートさんと一緒にタキオンさんのところに遊びに行こうとしてたの。買いに行くのは、そのあとで良いかなって」

「カフェさん経由でお誘いいただきまして。なんでも……新しいリラクゼーションドリンク……? というのが出来たらしいんです。せっかくお誘いを頂いたので、行ってみようかなと」

「んぇ、タキオンの新作? それって大丈夫なの?」

「た、多分……大丈夫、だよね?」

「……さぁ。わたしもタキオンさんの噂話程度なら色々と聞いていますが……今回はカフェさんを経由しているんです。問題はないでしょう」

「あ~、それならたしかに大丈夫かぁ。あっても色々聞かれたりするぐらいでしょ」

 

 アグネスタキオンは知的好奇心旺盛なタチで、好奇心を満たすためにあれこれと話をしたがる少女だ。その理由付けのドリンクと考えれば、なるほど。別に不自然ではない。

 マンハッタンカフェがそれに協力した事は珍しいが、押しに押されて仕方なく、の可能性も十分にあり得る。

 他人に迷惑をかけない範囲であれば、彼女の頭はかなり柔らかい。少女が保護者としての信頼を獲得している理由のひとつだ。

 そう納得して、ピタリと横につく。黒、白、茶の順番で並んだ。

 

「じゃあ出発進行~。ワガハイをしかと護衛せよ~」

「……ふふ。なんだか懐かしいですね、それ」

 

 真横の姿。澄んだ覇気。肩のあたりにくる頭。

 こうしてくだらない会話に興じるのも、ひどく懐かしい気がした。

 

 ライスシャワーと話すのだって、そうだ。

 もはやファインドフィートは覚えていないが、一年目や二年目の頃はそれなりの頻度で交流を重ねていたのだ。だというのに、三年目のいまとなっては顔を合わせることすら殆ど出来ていない。

 昔は、一緒に買い物に出かけることもあったろう。一緒にお菓子を食べて、ミホノブルボンもまじえて、遊戯にふける事もあったろう。

 けれどその記憶の殆どは失われ、記録の輪郭をなぞるしかできない。今のファインドフィートに出来るのは、薄い懐かしさを抱きしめる程度だった。

 

 

 けれど、そもそもの話で。

 そんな過去を懐かしむ資格なんぞ、一体どこにあるというのか。

 

「……えぇ、本当に。まったく、まったくですよ。見る夢は選べないにしても、もうちょっと他にあるでしょうに」

 

 大きく、息を吸う。意識を尖らせる。

 たったそれだけ。それだけで懐かしい景色は、幻のように脆く、儚く消えていく。

 

 停滞した廊下は、弛緩の果てに崩れ去る。

 黒鹿毛の少女は、いつかと同じく夢として消える。

 鹿毛の少女は、懐かしい笑顔を浮かべて、記憶の中に溶けていった。

 

 そうして、全部が剥がれ落ちる。

 今まで見ていたのは、何もかもが、幻覚だ。幻覚だった。

 白昼夢のように生々しいだけの、ただの幻。

 代わりに広がったのは、見慣れた白い部屋。無機質で冷たい感触は、間違いなく現実のそれだった。

 

「はぁ……」

 

 鼓膜を揺らすのは、大勢の人々の歓声と、声援と、それにも負けずに響く大きな蹄鉄の音。

 それからようやく定まった足元を認識して、ここがレース場の控室であることを悟る。

 否、そもそもそういった情報を収集する必要すらなかった。ただ、自分の体を見下ろせばいい。

 そこにあるのが白い服であれば、それはレース前しかありえない。もし泥に汚れていればレース後だ。つまり、今のファインドフィートが気にするべき全てがそれで分かる。

 ……その何れにも当て嵌まらないのであれば、さっさと気を抜いてしまえばいい。もう、それで、全てが事足りるようになった。

 

「……いまのわたしを見たら、テイオーさんはなんて言うんでしょうね」

 

 ベンチに座り込み、行儀悪く足を乗せて、膝を抱える。

 そして、あぁ、と。

 納得の意にも、無念の声にも取れる、どっちつかずの呻きをこぼす。

 きゅっと結ばれた横一文字の口が、やわらかな失意を象っていた。

 

「わたしは」

 

 思い出すのは、いつかの、どこか。記憶の中に淡く残る、トウカイテイオーの問いかけ。

 "後悔してないの? "なんて、あまりにも直情的な問いかけは、今も胸に突き刺さったままで。

 ……しかし結局、心残りにはなり切れなかった。少女のひと刺しは傷と同化して、それっきりだ。

 

「テイオーさん。わたしは結局……こういうバカだったんです。わたしは強くなれなかった。わたしは、後悔をなくそうとは思えなかった」

 

 いま、思うに。

 後悔を抱いて、それを消化できるのは、強いものの特権だ。

 後悔を後悔のままにせず真正面から向き合い、答えを出す。そんなこと、ファインドフィートにはできなかった。

 

「わたしも、あなたにみたいに強くなりたかった」

 

 囁いて、臍を噛むように口の端を結ぶ。

 

 けれども、強くなったとして、それで。

 ……それで、後悔を消化できるのか? 

 その選択を胸を張って選べるのか? 

 ファインドフィートは、その帰結を考えていなかった。

 

 消化した想いは、何になるのか。

 ファインドフィートの血肉になるのか、それとも何処にも行けなくなって、ただ消えるのか。

 消化した先の姿すら想像できない身で、形のない強さを求める欲求は、"愚かしさ"と呼ぶべきではないのか。

 ……それを何と定義するにしても、きっと"正解"とは呼べない。ファインドフィートが求める"正解"は、そのような欠陥を有さない。

 

 だから、少女達の間にあったそれを突き詰めてしまえば、単なる主義主張の違いだった。

 だから、正解なんて存在しないし、トウカイテイオーのそれが正しい訳でもない。

 もちろん、ファインドフィートも。

 

 「……羨ましいなぁ」

 

 膝に顔を埋めて、いじけたふうに息を吐いた。

 隣の芝生が青く見えているだけなのだ、結局は。

 

 ……それを理解したところで、羨望は消えないのだが。

 

 

『じゃあ良いじゃない、無視しちゃえば。あなたは変われないのだから、どうしようもないの。

 あなたとあの子の双方が納得できる結末なんて存在できないのよ』

「……女神さま」

『はぁい。あなたの女神、王冠よ。太陽のほうは寝ちゃってるから私だけ出てきたわ』

 

 そんな、少女の思考をあざ笑うかの如く。

 机のふちに腰掛けた女がくつくつと笑った。

 

『それにしても……ふふ、あなたも物好きね。

 結局忘れちゃうのにああして言葉を交わすんだもの。友情関係は同等関係……あなたのそれは、当てはまるのかしら?』

「…………」

 

 ふたりの視線は絡まない。

 少女は膝を抱えたまま床を見つめる。

 女は、足をぶらつかせながら天井ばかりを見つめる。

 黒いひび割れのはしる足がゆらゆらと、反復運動を繰り返す。その動きに音はなく、故にこの部屋は静寂に包まれていた。

 

 けれど一時だけ訪れた静寂を、また女の声が破る。

 無邪気に、とは言えない。薄っすらと欲を滲ませる声は、少しだけ人間臭かった。

 

『あなたがあの子達と言葉を交わしたのは、どうして? もちろん、燃料に使えるから別に悪い事じゃないのだけれど……ねぇ、どうして自分から足を踏み出したの?』

 

 踏み出した。たしかに、ファインドフィートから踏み出したことは、幾度もあった。

 その最たるものは墓参りだ。あれこそ必要なかったものだ。

 なくてもマイナスにはならない。そして、プラスにもならない。燃料としても、友好の深さとしても、あるいは数値として扱える全てにおいて、きっと変わるものはない。

 言ってしまえば、ファインドフィートの欲でしかないのだ。

 

『ねぇ、ねぇ。そもそもあなたにとっての友達って何なのかしら。利害関係? 踏み台? それとも、都合のいい道具が欲しかった? ……私に言ってくれたら用意してあげたのに』

「……っ」

『ああ、そうすると……あなたは、本当の友情は感じていなかったのかしら? ……本当は、苦しみを運んでくるあの子達が嫌いだったんじゃないの?』

「……女神さま。あなたは……あのひと達を嫌ってほしいと、思っているんですね」

『さぁ。どうだと思う?』

 

 もし嫌えるのであれば。もし、そうであれと願えるのなら、きっとファインドフィートは楽になれる。

 仮初でも良い、嘘でもいいのだ。

 "だいきらいだ"と口にしてしまえば、きっとそれは疵になる。疵になれば、ひび割れる。ひび割れれば、やがて砕ける。

 つまり、苦しみの根っこが取り除かれるのだ。時間はかかっても、いつかは。

 そして天秤は、正しくなる。女達にとっての最適解が実現する。

 

 ……けれど、違うのだ。

 正しかろうと、何であろうと、しかし違うと少女は言う。

 

「だって、あのひと達がいたからわたしはここまで来れたんです。あのひと達がいたから、わたしは満足して、いける」

『……そう』

 

 苦しみがあった。悲しみがあった。けれど、それを上回る、喜びがあった。

 合理的ではない。矛盾だらけ。その想いは夢の正反対を向いている。

 それでも、ファインドフィートはそれを愛していた。

 愛している。

 

「お葬式に来てくれたら、嬉しいなぁ」

 

 

 そしてまた、ポツンとひとりきり。

 

 少女以外誰もいなくなった部屋の中央で、ベンチに腰掛け、両手をあわせて、祈るように肩を丸める。

 矮小な背。卑屈な器。まさしく愚か者。

 そんな彼女を見つめるのはベンチの前の、机の上の、雑多に散らばる小道具ばかりだった。

 蹄鉄ハンマーだとか、冷却スプレーだとか、目元の隈を隠すための化粧品だとか。

 ただカバンの中身をひっくり返しただけの無秩序が、合わせ鏡のように、我が物顔で横たわっている。

 それらを片付けるでもなく、手をつけるでもなく、放ったらかしたままで時間を浪費し続けた。

 

 一分、五分、十分。

 時間の重みを誰よりも知っていた筈の彼女は、しかしそれを実感するための機能を失っている。

 故に、思考を巡らせることすらもせず、有益に消化することもせず、ただ、薬にも毒にもなれない呼吸だけを重ねて。

 

 

 そして、いつか。

 ついに、遠くで歓声が上がる。

 続く解説の声。壮年の男の声。しわがれた重みのあるそれが、第11レースが終わった事を語る。勝者の名は、聞き覚えのないものだった。

 ジャパンカップは12レースだったから、つまり、ようやくファインドフィートの出番だ。

 

 のろい仕草で顔を上げて、気怠げに目を伏せる。

 立ち上がったのは、部屋のノックが鳴ってからだった。

 

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