【本編完結】心臓継承ウマ娘   作:豚ゴリラ

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67話

 

 

 何かを見落としている気がする。

 ミホノブルボン、あなたの1日は、そんな違和感から始まった。

 

 とはいえ、具体的には何を見落としているのだろうか。実に残念ながら、あなたはとんと見当がついていなかった。

 物なのか人なのか、もしかすると予定かもしれない。いやいや、それとも夢だとか希望だとか、そういう曖昧なものの可能性だってある。

 ……いい加減すぎる、と思うだろうか? だが、違うとは言い切れない。

 

 あなたはとにかく、そんな何かを見落としている。

 あなたには、その確信だけがあった。

 かも、ではなく。だろう、でもなく。間違いなく、何かを見落としているのだ。

 

 ……そしてあなたは、強く思っている。

 その何かは、見つけなければならないものであると。

 強迫観念にも似た想いを日々募らせて、ずっと手を伸ばし続けていた。

 それは焦りのような、じんわりと焦げつく熱を帯びて、あなたのうなじに纏わりつく。今この瞬間も、あなたを捕らえて離さない。

 

 残念ながら、その焦りが解消される兆しはない。前へ進もうとしているのは気持ちだけ。

 違和感の正体は中々掴めず、現実は何も変わらないままだった。

 

 それでも、一日は始まってしまう。

 

 身体を起こして、眠い目をこする。

 冬用の布団はふかふかで、あたたかく、寝起きのあなたを誘惑して止まない。

 加えて、窓の外から断続的に響く雫の音が、あなたを眠りの世界に引き戻そうと画策している。

 もう少しだけ眠っていよう、まだまだ余裕がある。そんな悪魔の誘惑が、そっとあなたに囁きかけた。

 

「……くぁ……」

 

 その魅力に抵抗するように、あくびをひとつ。ううんと背伸びで、もうひとつ。

 血の巡りがよくなったおかげで、じんわりと眠気が晴れる。

 少し項垂れていた頭を持ち上げて、今度こそ、しっかりと両目を開いた。

 

「……起床、完了しました。ステータス、良好……ミホノブルボン、発進、します……」

 

 ゆるく縛っていた髪紐をほどいて、床に足をつける。フローリングはひんやりと冷たくて、寒かった。肩を縮こませても誤魔化せない。

 もしこの部屋にファンヒーターがあったなら、すぐにスイッチを点けて、その前に陣取って動かなくなっていたに違いない。

 

 ……()()()が幼い頃も、そうだった。

 いや、あの子に限らずとも、きっと何処の子も似たような物だろう。

 今日のような真冬の朝には、子供よりも一足先に起きたお父さんがヒーターの準備をしている。

 そのうちに火が点いて、温風が勢いよく吹き出し始めたタイミングになって、子供がようやく目を覚ましてリビングに顔を覗かせるのだ。

 そして熱に惹かれる猫のようにするりと、お父さんとヒーターの間に小さな身体を差し込む。

 寝ぼけ眼に吹き付ける暖かい風は、とても心地よかった筈だ。そこから暫く動かなくなるほどに。……あの子は、そんな時間が大好きだった。

 ある意味で、冬の風物詩とも言える。

 あなたも、同じだったのだろうか? 

 

 

 ……もし違っても、それはそれで構わない。どちらにせよあなたの部屋のヒーターは故障中だ。

 あなたが風物詩を好むひとであっても、もう暫くは実現不可能である。

 

 ともかく、つまり、あなたはもう暫くこの寒さからは逃げられないのだ。

 フローリングも、スリッパも、本棚も、机も、机の上の教科書だって、寒くてひどく強張っている。

 あなたもそれらに負けないように立ち上がって、もう一度ゆっくりと背筋を伸ばした。伸ばして、ほぅと息を吐く。

 

 

 そしてふと、小首をかしげた。

 この部屋はこんなに広かっただろうか、と訳の分からない疑問を覚えてしまう。

 前はもっと狭かったような、そんな気がして──。

 

「──?」

 

 ……あなたは一度、隣のベッドに視線を向けた。

 いつからか空いたままのベッドが寒々しく、マットレスだけの体を横たえていた。

 

 その瞬間──ほんの少し、ほんの僅かな違和感が顔を覗かせて。

 ……けれどその違和感は、蓋をするまでもなく、あっという間に小さくなっていく。違和感があったという痕跡だけを残して、輪郭ごと暗がりに引っ込んでしまった。

 

 

 ミホノブルボン。あなたの一日は、この繰り返しだ。

 12月に入って以降、ずっと変わらない日常だ。

 前は無かったはずの違和感が、あなたに纏わりついて離れない。

 そのくせまったく正体を掴めず、あるいは掴もうとした瞬間にすぐに隠れてしまうのだから、あなたにはどうしようも出来なかった。

 

 ……それ故のやるせなさと共に窓に寄って、勢いよくカーテンを開ける。

 断続的に聞こえる雨音からも薄々と察してはいたけれど、やはり、期待していた朝日はない。

 

 いまは午前6時、11分。

 外は、まだ薄暗い。窓ガラスを叩く雫でさえ、夜の色を残していた。

 

 

 ○

 

 

 掲げた傘を雫が叩く。

 "ざあざあ"というほど強くはない。どちらかといえば"ぱらぱら"と、まばらな雨が降っていた。

 その静かな音を共連れに、少しだけ明るくなった空の下で、学園への道を歩く。

 

 その間、声はない。

 あなたは今、ひとりで歩いている。

 誰かと待ち合わせていた訳でもないから、別におかしいことはない。

 ……けれどあなたは、そこに奇妙な物足りなさを感じていた。あるべきものが足りていないような、違和感だ。

 ()()を構成するパーツが欠けたままなのに、()()を強引に成り立たせているようで、どうにもしっくりこない。

 

 あなたはふと、隣を見た。

 そこには誰も居ない。誰も居ないのは、おかしくない。おかしくない筈だ。

 けれど、何かを見落としていて、何かを忘れている。

 あなたにはやはり、その確信だけがあった。

 

「はぁ……」

 

 視線は隣を通り越して、道端の水たまりに到達する。

 しとしとと生まれる波紋を眺めて、栗毛の尻尾をくるりと丸めた。

 傘からはみ出て濡れた毛先が、ほんの少しだけ重い。

 

 

 それからも、右へ左へ、足りない何かを視線で探しながら道をゆく。

 時折水たまりを避けたり、ジャンプで越えながら、ゆっくりと。

 湿気った匂いから逃れるように歩みを進めてみるけれど、どこに行ってもあなたに纏わりついてきた。

 

「……あれは」

 

 その、逃避行の最中。

 朝になっても明るいままの街灯の下に、見覚えのある姿を見つける。

 一瞬、忘れていた何かだろうか、と期待した。

 一秒後、満たされなかった自分を鑑みて、あれは違うのだと落胆する。

 だが、それはあんまりにも自分勝手だ。

 ……あなたは自身の感情を内省して、しょんぼりと耳を伏せた。

 

 ともかく、突然勝手に期待されて、勝手に落胆されたその人物は、あなたのトレーナーの先輩だ。

 あなたが"大マスター"と呼ぶ彼が、ぽつんとひとり佇んでいる。

 黒くて大きい傘を広げて、手元の本──雑誌と思わしき何かを見つめている。

 

 彼の服装は以前見た白スーツではなく、白いジャージ姿になっていた。

 そしてなぜか、ジャージの下は何も着ない独特なファッション。入念に鍛えられた男の胸筋と腹筋が、外気に晒されていた。

 色々と気になる点はあるが……まず、寒くないのだろうかと、あなたはそんな疑問を覚えてしまった。

 

 傘をさしていても雨の冷気は防げないし、雨が降っていなくてももう冬だ。ウマ娘であればともかく、ヒトには厳しい寒さである。

 いったい何があったのかと、好奇心半分心配半分で足を向けた。ぴしゃりと、水たまりを踏んで。

 

「大マスター、おはようございます」

「あぁ……朝は早いんだな、ミホノブルボン」

「はい。早寝早起きは私の得意分野です。

 ……ところで大マスター。何故、ジャージの下は何も着ていないのでしょうか? 現在の気温は摂氏5度、ヒトには厳しい寒さかと推測しますが」

「……俺は慣れてるからな。何も問題ない」

 

 "問題ない"も何も、どこが"問題ない"なのか。

 服を着ていない時点で風紀秩序的にかなり問題がある筈だが──ミホノブルボン、あなたはそこで疑問を覚えるタチではなかったらしい。

 なるほど、と、一体何がなるほどなのか分からない頷きと共に、納得してしまった。どこに()()()()出来る要素があったのだろうか? 

 

 とにかく、あなたは物怖じしないタイプだった。

 

 やけに肌色の多い男の隣に立って、彼の手元に視線を向けた。

 あなたの推測通り、それは雑誌だった。

 

「……疑問。何を見ているのですか?」

 

 横からちらりと覗き込めば、レーシングカーにも似た鋭利なデザインの車体や、その値段がずらりと載っていた。

 ただ、その値段はとても安く、ともすれば子供の小遣いでも買ってしまえるほどに低価格。疑問に思ってよくよく見れば、車体も相応にチープな外観だった。

 

「ラジコン、ですか?」

「いや、これはミニ四駆の……すまん、単なる趣味のブツだ、気にするな。それより何か用があるんじゃねぇのか? 授業は──まだ、余裕がありそうだな」

「はい。現在時刻は6時55分、『とても余裕』です」

 

 そうか、と。男は硬い声で答えて、雑誌を折り畳んだ。

 それから……ふたりとも口数が多くないせいか、少しの間会話が途絶えた。

 ミホノブルボン、あなたにとって彼──黒沼と顔を合わせたのは二度目だ。まだ、彼と何を話せば良いのか分からないのだろう。

 だがそれは黒沼にとっても同じだ。後輩の教え子という微妙に遠い立ち位置の少女に何を話せば良いのか分からないのだ。

 どうにか場を繋いでくれたのは、ぱらぱらと降りしきる雨音だった。

 

「──大マスター。大マスターは、普段は海外のトレセンにいるとお聞きしました。今回はなぜ日本へ?」

「……理事長に用事があった。そいつはもう済ませたが……ついでに、未だに不仲な後輩共が気になって、な」

 

 ようやく絞り出した疑問が、軽く打ち返される。

 その話に出てきたのは、不仲な後輩。

 なるほど、と頷いた。

 あなたには件の人物が誰なのか、すぐに分かった。

 つまり、あなたのトレーナーと、そのトレーナーの同期の男のことを指しているのだと。

 

 

 ……しかしどうしてか、何かが引っ掛かる。

 

 何が引っ掛かったのか? 何処に、違和感を覚えたのか? 

 ……そう。あなたが疑いの目を向けたのは、その同期の男を知っていること、それそのもの。

 もっと言えば、不仲な同期というには遭遇した機会が多いことに、である。

 だって、あなたのトレーナーならまだしも、あなた自身には会う理由がないはずなのだ。

 

 けれど、確かに覚えている。

 あなたは、その男と、葛城という男と顔を合わせたことがあって……しかし、会話をしたことはそう多くないことを。

 

 まるで、そう。

 母と一緒に歩いていた時、母の知人と会った時の感覚。

 友人と一緒に過ごしていた時、友人の姉妹と会った時の感覚。

 では、そう感じた理由は一体何なのか。

 ……あなたはそれを、思い出せずにいる。それに、視線を向けられずにいる。

 

 だが、あなたは何も悪くない。当然の事なのだ。

 ()()()の原因になりかねないのだから、隠されるに決まっている。

 

「崎川とは上手くやれているのか。あいつは……教え子に寄り添えるタイプだろうが、人の機微に疎い。何でもかんでも確率とやらで判別するきらいがあった。お前とは、どうだ」

 

 あなたはそうとも知らずに頷きを返しながら、ありもしない原因を探している。

 ……ミホノブルボン。あなたのそれは、もう無意味な行いでしかないのに。

 

「マスターは私に良くしてくださっています。それに……機微に疎いのは、きっと私にこそ当てはまる評価です。

 ……私はいつもマスターに助けてもらってばかりでしたから」

「そうか。……あいつも、トレーナーをやってるんだな」

 

 また、会話が途切れる。

 

 黒沼は言葉を探すようにじっと眉を顰めて、白い吐息を吐いた。

 サングラスが曇って、彼の姿を少しだけ間抜けに装飾する。

 

「……お前にも教えておいてやる。いいか、大人だろうと子供だろうと変わらねぇ。人間である以上、どうしても分かり合えない事はある。主義主張が一致する奴ばかりじゃねぇからな。だが、だから道を違えるべきだ、なんて決まりはない」

 

 部分的に白くなったレンズが、あなたを見下ろす。

 視線は、隠れて分からない。けれど強い語調が隠された目を幻視させる。

 きっと、鋭い眼差しが、あなたを見下ろしていた。

 

「必要なのは、喧嘩だ」

「喧嘩……?」

「そう、喧嘩だ。口でもいいし、拳でもいい」

 

 ジャージのポケットに、雑誌を持った手を差し込んで、今度は地面に視線を向ける。

 入り切らずにはみ出した紙は湿気っていて、字のインクがぼんやりと滲んでいた。

 

 ただ、あなたにはそれが見えていないのだろう。

 真横の顔を見上げて、理解に窮した様子で口を噤んでいる。

 

「肝心なのは真正面からぶつかり合うこと。てめぇのそこが気に入らんと想いを叩きつけろ。そして叩きつけられろ。互いの尖った部分を潰し合って、落とし所を見つける。……そうすりゃ、少なくとも一歩前には進めるだろう」

「……落とし所」

 

 そして、噛み締めるように、頭の中で繰り返す。

 あなたはきっと、それが必要になると感じたのだろう。

 落とし所とやらを求める相手も忘れてしまったというのに、それでも。

 

 ……だが、それも、あなたの理解が足りていない証拠である。

 

 あなたは忘れているのだ。

 忘れたものに手を伸ばそうと足掻いても、たったそれだけで思い出せるはずがない。

 いうなれば、透明なガラス玉をプールに落としたあと、また手探りで見つけ出すようなものだ。それが無理難題であることは子供にも分かるだろう。

 ……ひょっとすると、膨大な時間と労力を費やせば再度手にすることも叶うのかもしれないが、あなたには叶わぬ事だ。

 

「……そうだな、ついでにいい言葉を教えてやる。どんと構えて、一歩も引かずにこう言ってやれ」

 

 分水嶺は、とっくに越えている。

 あなたがいくら足掻いたところで、あなたが求めている姿も、あなたが求めた日常も、息を潜めてそのままだ。

 

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