転生したメイドですが、大切なお嬢様の様子がちょっとおかしい   作:春川レイ

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ココ

 

 

凍りついたような静寂が部屋を満たしていた。世界から音が消えてしまったみたい。ここに閉じ込められて、何時間経ったのだろう。かなりの長い時間が過ぎたような気がする。

 

レベッカは壁に背中を預け、膝を抱えるように座っていた。虚無のような疲労が全身を支配しているのを感じる。石のように身体が重い。何も考えたくない。

 

ゆっくりと膝に顔を埋める。冷たい風が心の中を吹き抜ける。泣きたいほど、寒い。頭がおかしくなりそうなほどの孤独感を感じて泣きたいのに、不思議と涙は出てこなかった。徐々に意識が弛緩していくのを感じる。

 

 

 

 

 

--ああ、もう嫌だ。

 

--消えてしまいたい。この世界から。

 

 

 

 

 

ぼんやりと脳内が濁っていく。感情も感覚も消えてしまいそうだ。もういい。もう、何も考えたくない。

 

レベッカが目を閉じたその時、なぜか目の前にウェンディの顔が浮かんできた。

 

 

 

『ベッカ』

 

 

 

はい、と答えると、ウェンディが笑う。

 

 

 

『ベッカ、ミルク持ってきて。あと、膝枕して』

 

 

 

その命令には従えない。

 

だって、身体が動かないんです。

 

すると、ウェンディは拗ねたように唇を尖らせたが、すぐに言葉を重ねた。

 

 

 

『それじゃあ、お歌を歌って』

 

 

 

音痴なので嫌です。

 

 

 

『いいの。それでいいの。ベッカの下手なお歌がいいの』

 

 

 

そんなにおねだりされたら、拒否はできない。ああ、やっぱり私はお嬢様に甘いなぁ……

 

そんな事を考えながら、レベッカはゆっくりと唇を動かし始めた。

 

「……さあ、眠りましょう……優しい夜が、あなたを包んでいる……」

 

それは昔から、ウェンディによく歌って聞かせた子守唄だった。

 

「月と、……星が……あなたを見守っているから……朝が微笑むまで……ずっと一緒に……」

 

ウェンディの顔を思い浮かべながら、必死に歌を紡いでいく。

 

その時、誰かの気配を感じた。

 

一気に意識が浮上する。レベッカがパッと顔を上げると、目の前に小柄な人物が立っていた。ココと呼ばれていた少年だ。いつの間に入ってきたのか、小さなパンと水の入ったボトルを持ったココは、なぜか涙を流しながらレベッカを見つめていた。

 

「え……な、なに?」

 

その様子に戸惑いながらレベッカが声を漏らすと、ココはハッとした顔をした。慌てたように、床にパンと水を置き、そのまま背中を向ける。レベッカは素早く立ち上がり、ココの手を掴んだ。

 

「待って!」

 

ココが焦ったように振り返る。そんなココの様子に構わず、レベッカはココの細い足に目を向けた。

 

「怪我してるじゃない……」

 

ココの足には、小さな傷があった。よく見ると出血もしている。

 

「手当てした方がいいわ。そのままだと、傷跡も残ってしまうし……」

 

レベッカの言葉にココは動揺したように目をそらす。

 

「あなた、魔法が得意なんでしょう?治癒の魔法は?」

 

その問いかけに、ココはモゴモゴと小さな声で答えた。

 

「……治癒は、難しくて……うまく出来なくて……」

 

そういえば、医療や治癒に関する魔法はかなり難易度が高かったな、とレベッカは思い出した。

 

「うーん……じゃあ、せめてこれを」

 

レベッカはそう言いながら、自分の着ているエプロンの端を適当に破る。ギョッとしたようなココに構わず、レベッカはエプロンの切れ端を足に軽く巻いた。

 

「せめて保護はしておいた方がいいわ。ね?」

 

レベッカはそう言いながら、ココの顔を見る。ココはどうすればいいか分からない、とでも言いたげに困惑したような表情をしていた。レベッカはふとあることに気づき、ココの全身を見回す。小柄で、浅黒い肩や首は細かった。いや、細すぎだ。貧弱と言ってもいいくらいに痩せている。あちこちに小さな傷跡がたくさんあった。よく見ると、顔も左の頬が少し腫れている。

 

「……もしかして、お姉様とお兄様に暴力を振るわれてる?」

 

レベッカが問いかけると、ココは明らかに動揺した様子で大きく顔をそらした。レベッカは大きくため息をつく。どうやら図星だったみたいだ。

 

「わ、私、戻ります……っ」

 

声を震わせながら、出ていこうとするココをレベッカはもう一度引き止めた。

 

「ちょっと待って!」

 

手を強く掴むと、ココは必死にレベッカから離れようとする。そんなココの顔を見て、レベッカは気づいた。

 

--この子、女の子だ!

 

てっきり少年だと勘違いしていた。薄汚れていて傷だらけだが、よく見るとかなり可愛らしい顔をしている。

 

「ねえ、何日食べてないの?」

 

レベッカの突然の質問にココは驚いたような顔をして、レベッカを見てきた。

 

「あんまり、食事を取ってないんじゃない?」

 

その問いかけに、ココは答えなかったが、代わりにお腹から大きな音が聞こえた。

 

ココが顔を真っ赤にする。レベッカは少し考えると、床に置かれたパンを掴む。そのままココの方へと差し出した。

 

「食べなさい。私はいらないから」

 

ココはギョッとしたようにレベッカの顔へと視線を向けてきた。レベッカはココをまっすぐに見つめながら、安心させるように言葉を重ねた。

 

「誰にも言わない。約束するから。バレないようにこの場で食べていきなさい」

 

レベッカが更に言葉を重ねると、ココは困惑したように何度もパンとレベッカの顔を見比べる。やがて、迷ったようにしながらもおずおずとパンを手に取った。チラリとレベッカの顔を見る。レベッカが無言で頷くと、ココはようやくパンを頬張った。そのまま勢いよく食べ進める。あっという間に小さなパンは消えていった。途中でレベッカが水を渡すと、ココは今度は躊躇いなく受け取り、ゴクゴクと飲み干した。

 

どうやら兄や姉はこの使用人の少女にロクに食事もさせていないらしい、と悟り、レベッカは頭を抱えた。

 

「……あ、ありが、とう、ございます……」

 

パンを食べ終わったココはモジモジしながら呟くように礼を言う。そんなココをしばらく見つめる。やがて、レベッカはゆっくりとその場に腰を下ろし、ココと目線を合わせながら声をかけた。

 

「さっき、どうして泣いていたの?」

 

その問いかけに、ココは驚いたような顔をした後、唇を強く結んだ。無言でレベッカから顔をそらす。

 

「……答えたくなければ、いいけど」

 

レベッカがそう言うと、ココの口から小さな声が漏れた。

 

「--同じ」

 

「ん?」

 

「……同じだった、んです。子守唄が……お母さんが歌ってくれた……」

 

レベッカは大きく目を見開いた。そして、すぐに思い出す。ブランカはこの子の母親は病気で死んだと言っていた。きっと子守唄を聞いて母親の事を思い出し、泣いてしまったのだろう。レベッカは無言でゆっくりと手を伸ばす。そのままココの頭を優しく撫でた。ココはポカンと口を開けてレベッカを見返してきた。

 

そんなココを見つめながら、レベッカは口を開いた。

 

「あのね、……悪いことは言わないから、ここから……リオンフォール家から出ていきなさい」

 

その言葉にココは大きく瞳を揺らした。

 

「お兄様とお姉様にひどい事をされてるんでしょう?とても痛くて苦しいでしょう?このままだと、あなた、ずっと、ずーっとあの人達に奴隷みたいに扱われ続けるわよ。そんなの、嫌でしょう?」

 

レベッカがそう言葉を続けると、ココは目を伏せた。

 

「……できません」

 

震えるような小さな声が部屋に響く。

 

「ジュリエット様には、お母さんも、私も、お世話になりましたし……そ、それに、他に行くところが、ないんです」

 

「そんなの--」

 

レベッカが言い返す前に、ココはクルリと背を向ける。

 

「あっ、……待って!」

 

もう一度引き留めようとレベッカは腕を伸ばしたが、ココは風のように素早く動くと部屋から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉庫から出たココは、そのままリオンフォール邸へと戻った。静かに走りながらサミュエルの部屋へと向かう。扉をノックすると、

 

「……入れ」

 

低い声がそれに答えた。サミュエルの冷たい声だ。

 

少しだけ息を呑み、ココは扉を開ける。

 

その瞬間、小さなカップがココの方へと飛んできた。避ける間もなく、ココの頭にぶつかる。鋭い痛みを感じた直後、

 

「遅い!何をモタモタしていたのよ!!」

 

ジュリエットの叫び声が響いた。

 

部屋の中では、サミュエルとジュリエット、そしてブランカが向かい合うように座っていた。サミュエルとブランカはココの姿を見てもほとんど何も反応しない。逆にジュリエットはイライラした様子でココを睨んでくる。

 

ココは慌てて頭を下げる。

 

「……も、申し訳、ありません」

 

「さっさとお茶を入れ直しなさい、この愚図!!」

 

その命令に頭を上げると、ココは動き始めた。

 

テーブルの上の食器を取り下げ、新しくお茶の準備をしている間にも、3人はココの存在を無視して話を続けた。

 

「それでは、もう話はついているんですか?」

 

「いや、そんなものは必要ない。ただ、連れていきさえすればいいんだ」

 

「大丈夫なんですの?」

 

「ああ、全てうまくいくさ。……キャロルさえこちらにいれば」

 

その名前を耳にしたココの肩がピクリと震える。3人はその様子に気づかず、会話を続けた。その場にいたココはその内容をほとんど理解できない。ただ、ジュリエットの折檻が怖いため、淡々と自分の仕事に集中した。

 

やがて、3人の会話は静かに終了した。ジュリエットが立ち上がり、部屋から出ていく。ココも素早く身体を動かし、ジュリエットの後ろに付いていった。

 

「ココ、明日は忙しくなるわよ」

 

歩きながら、ジュリエットが囁くように声を出す。その顔を見た瞬間、ココの背筋を冷たいものが走った。ジュリエットはとても楽しそうに笑っていた。それは、ココに対してお仕置きをする時の恐ろしい微笑みと同じだった。

 

ジュリエットから思わず目をそらしたココは、ふと、先ほど声をかけてくれたレベッカの顔を思い出した。妹だというのに、ジュリエットとは全然似ていない、と思った。ジュリエットのように華やかで派手な女性ではなかった。どちらかというと地味な人だった。

 

だが、怪我の手当てをしてくれて、更に頭を撫でてくれた。頭を撫でられたのは、母が亡くなってから初めての事だった。

 

--とても優しい声だった。温かい手だった。

 

ココはギュッと一度目を閉じる。そして、震えながら、瞳を開くと、声を絞り出した。

 

「……ジュリエット様……あの人、どうなるんですか?」

 

震えるようなココの問いかけに、ジュリエットは煩わしそうな目でココをチラリと見ると、口を開いた。

 

「--あんたには関係ないわ、ココ。黙って命令に従えばいいの。食事抜きは嫌でしょう?」

 

その言葉に、ココは無言でコクリと頷く。

 

ふと、立ち止まり、窓から外を見る。何も見えない闇の世界が広がっていて、押し潰されそうな空気を感じた。

 

ココはその景色から目をそらし、足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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